2009年10月16日

中村隆英『現代経済史』が映す難しい時代

 ふう。アクセス数が急増するというのはあまり心地よいものではなく、いつ落ち着くのかなと様子を眺めておりましたが、予想よりも早く過疎化が進んでホッとしました。うまく表現できないのですが、火のないところに煙は立たないとはいえ、炎上させようというのはついてゆけないですし、亡くなった方へのお別れを告げるのにあまりに強い自己主張は不要な気もいたします。違和感を覚えることも少なくなかったので、今後は頂いたコメントに御返事をすることに留めます。

 仕事の関係で中村隆英『現代経済史』(岩波書店 1995年)を再読しておりましたが、最初に読んだ段階ではまるで読めていなかったことに気がつきます。味わいの深い本で電車の中でざっと読んで、自宅でじっくり読み込むという感じです。「あとがき」に次のような一節がありますが、1970年代以降の経済の全体像を見事に描かれていて、読めば読むほど、味がでてきます。

 現代の経済については、すでに多くのすぐれた解説書がある。しかし、そのほとんどは、専門的、あるいは短期的、部分的な分析であるために、ごく最近の経済史の全貌を把握することは、必ずしも容易ではないのも事実であろう。本書においては、過去二五年間の経済を、時期を追って、総合的にあとづけてみようと試みたつもりであるが、理解しやすいかどうかの判断は読者に委ねなければならない(256頁)。

 一般向けの著作でこれだけ洞察に富んだ、それでいて才気がほとばしるような筆致ではなく、実に安心して読める著作というのは大家の特権なのでしょう。学生時代にボスが「君たちは本当に物を知らないから、高校生でもわかる本をテキストにする」とあきれながら、中村隆英先生の『昭和経済史』をゼミで扱ったことを思い出します。恥ずかしながら、これが中村先生の著作との出会いの初めてで、実にわかりやすく、なおかつすっと全体像が浮かび上がるので、驚いた覚えがあります(実は飲み会で2年生が次の年からゼミに初めて参加する年度だったので、苦肉の策でやさしすぎるかもしれないが我慢してくれと言われていたので二度、恥ずかしかった覚えがあります)。逆走するように、『日本経済――その成長と構造』あたりから『現代の日本経済』などを読んで、大家というのは若いうちからやはり頭の出来が違うのだと感じたことがあります。

 仕事の関係では産業のところがメインなのですが、これがまた実に淡いタッチながら過不足がなく、もちろん学問的な分析ではあるのですが、もはやこれは技芸の領域でとてもではないですが、まだ若いうちに真似ようとするとえらいことになるのでしょう。仕事で使う話は「時の最果て」ではちょっと厳しいので、既にそうなっていますが、雑感ですね。

 『昭和経済史』が7回のセミナーから構成されているのに対し、『現代経済史』は5回のセミナーで構成されています。本書を読みながら、日本経済の内的な変化と外生変数とするしかない国際経済との関連が截然とわかたれるのではなく、両者の違いを読者に印象付けながら、それが日本経済の動的な変化を一体となって描いているあたりが全体を貫く叙述のスタイルで、既に脱帽です。忙しい人ならば、「第三回 国際化と自由化」からいきなり読み始めてもよいのでしょう。中村隆英先生の著書はもちろん最初から通読するのが楽しいのですが、この回の叙述は本当に惚れ惚れします。私ですと、自由化というのは国際的なヒト・モノ・カネの動きの変化への対応という図式に陥ってしまうのですが、1970年代の国際通貨体制の変容と日本経済、とりわけ財政と金融の変化という条件がからみあって国際化と自由化が進むプロセスがいささかの図式に陥ることなく描かれています。赤字財政による国債市場の成立が債券市場の整備のはじまりとなるあたりは、自由化と債券市場の発達をついバラバラに見てしまうバランスの悪さを自覚させらます。

 さりげない叙述も冴えていて、「特定不況産業安定臨時措置法」に関する部分では長崎の町の描写が入って、産業の保護育成を目的とした政策から不況産業対策への転換が実に鮮やかに描かれています(70−71頁)。また、中曾根内閣のときに防衛費(原著では軍事費となっておりますが)の「GNP1%枠」を超える予算を組むという話も、実は成長率を低く見込んで計算していたので、実際は1%内に収まったというのはさすがです(124頁)。左右からそういう姑息なことをするからダメなのだと批判を浴びそうですが、「したがって、政治的な協調関係が喧伝され、他方経済関係の面は、経済摩擦一色に塗りつぶされた観がありましたが、実際にはそれほど人目につかないところで、日本の資本輸出がアメリカの台所を支えるというメカニズムが日米間に存在していたのです」と結ぶあたりは淡々としていますが、日米関係における「政治と経済の間」の冴えた描写だと思いました。また、『昭和経済史』と比較すると、占領期の民主化、とりわけ「反独占」というマルクス主義の影響の下でのある種の経済統制に批判的な叙述がされているのも目をひきます(246頁)。『昭和経済史』における叙述から意見が変わったというよりも、民主化のプラスの面をマイナスの面を高く評価しつつも、経済思想から行う改革に留保をつけているわけですから、後者の点に力点がおかれているというところでしょう。

 そんな中村先生も1995年の出版時点では、「第五回 宴のあとの日本と世界」ではIMF体制の基軸通貨国であり、唯一の超大国であるアメリカが同時に純債務国であることに懸念を抱きながら、アメリカ中心の国際経済体制を支える国として日本とドイツを挙げながら、ドイツは東西統一後、経常収支赤字を出していることを指摘して、日本がアメリカ中心の国際経済体制を補完しなくてはならないと苦吟しているのが印象的です。資金の面ではアメリカを支える大国であるのにもかかわらず、政治的・軍事的には大国ではないというジレンマに苦しんでいます。20年から30年というスパンで中国がアメリカの地位にとってかわるというあたりはやや疑問ですが、「将来の可能性として、ドイツを中心とするEU、それに日本とアジア諸国が、集団的に国際通貨を支えてゆくことになることが考えられます」(238頁)というあたりは経済畑の人間としては、そんなことは自明ではないのかという気の利かない批判もあるのでしょうが、様々な可能性を考えながら、諸制約を考慮してこのあたりだろうという経済の発想をよく表した、安心できる展望でしょう。

 もちろん、本書が執筆された時点ではアジア通貨危機を予測することは困難であり、後知恵で批判するのは容易でしょうが、再度、アメリカ経済が不安定な現状では、やはりこのような発想が生きてくるわけです。経済の面からみた場合、やはりアメリカ経済が不安定な状態は日本にとって不利益であり、またアメリカの地位を代替するということ自体が非現実的な以上、経済の側面に限定すればアメリカと補完的な関係にあるのが日本経済全体にとってやはり死活の問題であり、相互に反目する外交というのは控え目にいっても、経済的に自滅へ向かう道なのでしょう。


  自分でも嫌だなと思いますが、喪の気分から「なまもの」に触れると、『日経』1面トップの「概算要求最大、90兆円」で噴いてお下劣モードになりますね。補正を切りこんで「いざマニフェスト実現!」となると、水鉄砲がお似合いの方たちが予算編成という実弾など扱えっこない。バカげた「主な概算要求の内容」を見ますと、「子ども手当」につられてついつい魔が差したという人をだから言わんこっちゃない、「低能」と無能だったら、「低能」の方がダメージが少ないんだよとついついいじめてしまいます。小渕さんは「真空」と言われたけれど、無能とは無縁でしたなあととどめ。あ、かぎかっこをつけるのを忘れちゃった。

 さあ、いよいよ民主党内でババ抜き合戦がスタートというところでしょうか。まず、最初に落ちそうなのが前原国土交通大臣ですね。橋下大阪府知事に煽られて、「羽田がハブ」とおそらく橋下氏の算段では120%の回答をして、どんどん自分で首を絞めてゆく姿は滑稽ですらあります。だって、誰が見ても関空が「西のハブ」なんて非現実的ですから、橋下氏のねらいは非現実的なふっかけをした上で、大阪府の負担をいかに国に押し付けるかという打算が見えている。で、成田はどうなるんだと泥仕合に持ち込んで、国土交通省へ大臣がどうなろうと押し付けてしまえと。国益もへったくれもありませんが、オープンスカイすら手もつけていないのに、ハブ空港は羽田と言ってしまうあたりは笑いを抑えるのにたいそう苦労します。もう一つの「毛鉤」である高速道路無料化どころではなくなっているのが前原氏にとっては救いでしょうか。

 鳩山首相は小泉さんを嫌いながら真似をされたいご様子ですが、アメリカを敵に回しかねない外交、天文学的な数字に膨らみかねない赤字国債の新規発行と無能の極み。政権交代後は、よほどのバ○でなければ悪いことは自民党のせいにできたのですが、いきなり予算編成で躓きそうで、早くて年内、もって半年という小泉さんの予測はちょっとどうかなと思いましたが、やはり総理を5年間、全うした方の目の方が確かなのかも。迷惑なのは、マニフェストを見て、ああ、ダメだこりゃと投票しなかった者まで負担を負わされることですが、補正の執行停止でひどい目にあったという種々の業界の恨み節を伺いながら、扶養者控除と配偶者控除の廃止で多くの家計にとっては実質増税だってどうせ知らなかったんでしょととっても嫌味なことを言っては凹ませる毎日です。

(さらに追記)

 最近は『朝日』の記事でなかなか読ませるものが多いなあと感じます。「米高官、APEC主導に意欲 東アジア共同体には距離」という記事は、『朝日』らしく優等生的ではありますが、表現が抑制されているだけに鳩山外交の危険さをかえってよく表していると思いました。

「米高官、APEC主導に意欲 東アジア共同体には距離」

『朝日新聞』2009年10月15日15時1分

【ワシントン=村山祐介】米政府高官は14日、米国を含むアジア・太平洋の21カ国・地域でつくる「アジア太平洋経済協力会議(APEC)」を、アジアの地域機構の「主舞台」と位置づける戦略を明らかにした。鳩山由紀夫首相の「東アジア共同体」構想への言及は避けつつも、アジア・太平洋の経済統合を米国が主導する考えを表明。11月のオバマ大統領初訪日を前に、アジアの将来像を巡る日米の軸足の相違が浮き上がった形だ。

 国務省のカート・トンAPEC米代表代理が米下院外交委員会の公聴会で証言した。

 証言や委員会に提出した書面では、アジアの協力の枠組みが「急増してきた」と指摘。「アジアの多国間協力の努力は支持する」とする一方、米国自身は「あらゆる組織に参加したいとは思わないし、その必要もない」と距離を置く姿勢をにじませた。

 その上で、「実態を考えれば、実効的な地域経済機構にするには太平洋の両側を含まなければならない」と主張。米自身も「経済統合に建設的に参加しなければ、経済的に不利になりかねない」と危機感も示し、APECを通じて「米国はアジア・太平洋における経済統合の強化において、リーダーであり続けることが重要だ」と意欲を示した。

 アジアへの関与強化を掲げたオバマ政権内では、「米国抜き」ともみえる鳩山首相の「東アジア共同体」構想へは警戒感が根強い。日米外交筋によると、岡田克也外相が今月上旬、共同体に「米国まで含めることになっていない」と言及した直後には、在米日本大使館を通じて日本政府に非公式に不快感の表明もあったという。オバマ氏は11月の初訪日の際、今後のアジア政策について重要演説をする予定で、首相の看板である「東アジア共同体」との関係が注目される。
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