2009年10月19日

public interest?

 評論家というのは専門性の高い分野で抑制された発言をされる方から適当な知識をメディア等を通してまき散らす方まで幅が広いので、一括して論じるのは難しいのでしょう。もう、名指しするのがこちらの「品格」を落とすのでやめますが、八ッ場ダムから羽田空港の「ハブ化」(仁川の下請けを目指すのが現実的ではないかと思いますが)まで"public interest"で押し切ってしまえというのは苦笑するしかありません。羽田の「ハブ化」に至っては「国益」だそうで、実施しない場合と比較してどれほどの利益が見込めるのか、さっぱりわからず、露骨にいえば、政治的にはもとより、経済的にも文化的にも情報という面でも、アジアの中心がもはや東京ではなくなりつつあるという現実を考えれば、そんなにお年寄りがかっかしない方が健康にはよろしいのではと思ったりします。

 「寝言」ですので、とりとめのない話を持ち込みましょう。イギリス人と話をすると、"public"の捉え方の裏には"private"がはっきりしているようです。ただ、私の拙い語学力ではごく一部しか理解できませんでしたが、ある公的地位にある方に言わせると、どうも"public"というのは口をききたくもない連中とも話さなければならないところであり、"private"というのはそういう連中とは口をきかない自由があることだそうです。もちろん、"public"と"private"の関係の捉え方自体は、イギリス人の数だけありそうですが、なるほどと思うところが多いです。

 あるフォーラムに毎年のように参加しておりましたが、『産経』の「正論」の常連で年配の方に話しかけられたので、名刺をお渡ししたところ、所属を見て、他の機関と間違われたのでしょうが、「北朝鮮と関係の深いところか」とひどくいやな目つきで見られたので、そのフォーラムには二度と参加しないことにしております。カネを払ってまで口をききたくもない輩と話すほどの「ど○」ではありませんから。まあ、その意味でもごく小規模な集まりでも、カタカナに直しますがパブリックなんでしょう。

 話を現在の政策決定に戻しますと、八ッ場ダムや羽田の扱いですらたいした優先順位の高い問題ではないでしょう。既に、国内でいくつも報道がありますが、普天間飛行場の移設問題は、国と沖縄県、日本国とアメリカ合衆国という二つのレベルでダムだの空港だのよりもはるかに公共的な問題であり、国家間関係という点でははるかに火種になりそうな様子です。仲井真沖縄県知事は中央政府よりもはるかに現実的で、普天間飛行場がやはり沖縄ではあまりに危険で、日米安保を担保するために沖縄の米軍基地がやむをないのなら、せめてより沖縄県の立場から害が少ないところで手を打ちたいという現実的なスタンスに見えます。これをアメリカ側も国家間の契約を破棄するものではないと見ているようです。

 問題は、日本国政府でしょう。県外移設というのは、それが実現すれば、歴史的に沖縄に負担が集中している現状を改善するのかもしれませんが、現実問題として、移設先すら明らかではない状態では普天間飛行場は現状のままという状態が再び10年単位で続いてしまう可能性もあるでしょう。アメリカも政権交代したからといって既に日本政府と交渉してきた結果を変える用意がないことを明確にしています。政権交代をして対米関係で重大な変化が生じたのは、この数年では2004年のマドリードにおけるテロと当時のアスナール政権の対応の拙さから政権交代が生じ、イラクからの撤退したことぐらいでしょうか。この問題は、評論家のインスタントな議論では到底、割り切れない問題でしょう。

 日米関係がこじれれば、いわゆる「核の傘」の信頼性も難しくなるでしょう。と書いていたら、『東京』の記事では民主党所属議員の6割がアメリカの「核の傘」から脱却することを考えているそうで(「民主6割超が『核の傘脱却』 一部に三原則見直し論 衆院議員調査」、『東京』2009年10月11日(参照))。真面目に海外移住を考えなくてはならない時代に入ったようです。記事には「今後の日米関係に微妙な影響を与える可能性も否定できない」とありますが、日米関係にはもちろん微妙どころではない影響がありそうですし、それ以前に日本という国が国際政治の主体として前提が崩れそうですね。これはすごいなあ(外交で露骨な表現は避けるのが普通ですが、アジア重視と「核の傘」(拡大抑止以前まで戻るのも信じられませんが)の見直しとくれば、「ばあさんはしつこいとか、ばあさんは用済みだ」とかつぶやきたくもなるでしょうなあ)。無能と書きましたが、ひょっとして無脳なんですかね。首から上がない方は存じませんが、それらしきものがついていても、中はからっぽなのかしら。太平洋の東側は控えめに表現しても中国に遠慮していますし、西側はアメリカよりもアジアと一緒になりたいご様子。日米安保はよほどのことがない限り切れないと考えてきましたが、条件がそろいつつあるのでしょう。あとは、さらなる反米的政策(基地の見直し、拡大抑止への「妨害」その他にもありそうで怖すぎる)の推進でアメリカ側に日米安保体制のメンテナンスへのインセンティブを失わせれば、「はずみ」がどこかからくれば終了でしょう。国家間関係の破綻なんて必然性というのはなく、意外と「はずみ」のような偶発性がはるかに大きいような。偶発性そのものはコントロールができないので、「時の最果て」のように「はずみ」で動くのを避けるのが外交と素朴に考えてきましたが、正反対の「外交」を見ておりますと、あまりにも非現実的で自国のこととは思えない部分があります。

 話がそれましたので元に戻します。現政権の課題は、"public"の立場から政策をかなりの強制でもって実行できるか否かではなく、"public"の具体的な内容を国民の大多数が納得できるように提示する能力を獲得することなのでしょう。これが、猿に芸を仕込むよりも難しく(あ、またお猿さんに失礼なことを書いちゃった)、まあ、政治なんて余計なことをしてくれなければよいのにという、いかれた「外道」の目からすると、どこまで害が及ぶのかなというのが主要な関心事です。期待値がマイナスでしたが、ここまでひどいとは思わなかったので、考えるのもバカらしく感じる日々です。

 そうはいっても見ざるをないのは、経済が不安定な状態に安全保障環境まで不安定になると、穏当な表現をすれば予測不可能、わかりやすくいえば、「なにが起こっても不思議ではない」状況になるからです。これが自国の状態だと思うと苦痛でしかありません。これをやると、アメリカ側に日米安全保障条約を死文化するインセンティブが生じるという問題を、既に顕在化している問題だけではなく、これまででは考える必要がなかった範囲まで広げる必要があるのかもしれません。なにしろ、今回の政権交代は「革命的」だそうですから。

【追記】既に加筆・修正を一杯やっておりますが、さらに「改竄」しましょう。Kurt Campbellもアメリカ抜きの大東亜共栄圏もとい東アジア共同体へ懸念を繰り返し表明していますから、民主党様におかれましては、現状のまま政権を4年間続ければ、日米同盟どころか日米安全保障体制を確実に修復不可能なまでに壊していただけるのでしょう。この点に関しましては、方針を転換されてもブレたなどと批判する気はまったくありません。さておき、この小沢さんは愛嬌があって好きだなあ。


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  私みたいな軽いクラシックファンではオペラはちょっと辛いのですが、先週、気のよい方が、これ観てご覧よとカール・ベームが1980年に来日した際の『フィガロの結婚』DVDを貸して下さいました。もう美味でございます。天気が良かったのですが、日曜日はこれを視聴していたら、フルコースでおいしいものを頂いた気分です。借りる前に、晩年のベームのスローペースは異常ですよねと話すと、でも、あれぐらいがいいのかもと。モーツァルトのシンフォニーの25番なんてありえないスローペースで、今では手に入らないかもと思って20年前のCDをもってますよと申しましたら、1980年代後半のグラモフォンの定番だったので、ご存じだったようで、あれはいいねえとおっしゃっていました。

 ちなみに『フィガロの結婚』と一緒にフルトヴェングラーの『第九』も貸そうかとおっしゃっていました。聴くところによりますと、第2次世界大戦でドイツが空襲を受ける時期にフルトヴェングラーが指揮棒をふったせいか、他の『第九』とは迫力が異なって、これを聴くと、次の朝が目が覚めないんじゃないかなとおっしゃるので、謹んでお断りいたしました。フルトヴェングラーの指揮自体はすごいとしかいいようがないのですが、数年に一回、聴ければよくて、ドイツの敗北を予感しながら指揮した『第九』はちと私には厳しすぎます。ベートヴェンはやっぱりフルトヴェングラーだろうねとおっしゃるのですが、モーツァルトはダメだなあとのこと。実は私自身、フルトヴェングラーが振ったモーツァルトを聴いたことがないのでへえと思いましたが、不思議なことにだめなんだよなあとのことでした。

 クラシック好きの方というのは怖くて、「君はベートヴェンが好きではないでしょ?」と言われてドギマギしました。「楽聖」が嫌いというのはよほど変わり者ですし、嫌いというほどではないのですが、なんとなく押しつけがましい。この感覚はわかってもらえることが少なくて、ベートーヴェンの音楽が素晴らしいのはわかるのですが、それは耳で響いて頭で感動するという感じでしょうか。大してモーツァルトは頭で感動するという部分があまりなく、単に無教養だからだと思いますが、いかに音を楽しむのかに専念できます。ただし、モーツァルトにも例外があって、ピアノコンチェルトの24番は難しいです。そんな話をしていたら、私よりも年配の方ですが、楽しそうにされておりました。

 雰囲気が暗転したのは、カルロス・クライバー率いるウィーン・フィルの演奏を素晴らしくて今でも耳に浮かぶんだよと語られた時でした。もう、そんな贅沢をしたら、翌日、冷たくなっても不思議じゃないですよとつい言ってはならないことを口にしてしまいました。「実は、何人にも死んでもしょうがないなあと言われたんだよ」と苦笑交じりに語られました。だから、辛い病気をいくつもされた訳ではないのでしょうが、人生というのは妙なところで帳尻が合うものかもしれません。これは聴いていないふりをされておりましたな。

 この方とはクラシックの話題が多いのですが、イギリス贔屓いう点では一致しておりまして、最近のイギリスの没落から衰退を二人で悲しんでおりました。ブレアに関しては、テロの前に行く機会が多かったものですから、私なりにブレアの政策やロンドンと地方都市でのヒアリングの話をしたら、「ブレアは単に社民的な人だと思っていたけれど、伝統的なイギリスの現実的な政治家だったんだねえ」と言われてなるほど。政権が交代したのだから、日本人も精神構造を変えなければならないという軽佻浮薄な評論家の文章など読まずに、こんな会話を楽しむ機会を増やすべく、たまっている仕事を今週で片付けなくては。 
posted by Hache at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言
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