2009年12月04日

政治とビジネスの間

 バーナンキFRB議長が11月29日付でワシントンポストに掲載された"The right reform for the Fed"をめぐる周辺がなにやら臭うので、片手間で追っていましたが、議会は議会で共和党がまとまれない様子。お皿を洗い終えたら、次々と「これを洗ってね」とお皿がどんどんと重なる状況では「寝言」も浮かびません。オバマ大統領がアフガニスタン増派を決めましたが、なにしろ、米紙が無暗に報じてくれるので、目を通すのがやっとです。まあ、急いで評価する必要もないだろうと。なんとなく、オバマはやっぱりインテリだなと思いましたが。

 「日銀はバカだ」論には与しませんが、「政府との対話」を始めたら、「市場との対話」を忘れたというのにはふきました。まあ、日銀も所詮は公的機関でありまして、デリカシーのなさという点では現政権にはさすがにおよばないのでしょうが、やはり同じ穴の狢かなと思う部分もあります。正直なところ、経済に関しては政府が関与する度合が少ないほどうまくいっている証左と感じますので。エコカー減税、エコポイントそのものには反対というほどではありませんが、これが長引いて依存してしまうと、海外市場で製造業企業が競争してゆけるのだろうかと余計なお世話でしょうが、懸念もあります。

 それはさておき、公取のHPで競争政策のディスカッション・ペーパーを読んでいたら、「小宮隆太郎教授へのインタビュー」がおもしろかったです(参照)。歴史的な視野ではやはり中村隆英先生の方が興味深く、1930年代の重化学工業化の時期にむしろ1920代に古典的経済、あるいは自由経済に近い状態があったという指摘の方がより深みがあると思いますが、小宮先生は戦前は統制一色で割り切ってしまっていて、このあたりが歴史家と理論家の違いなのかなと思ったりします(時期の区切りによりますが、1930年代以降を考えれば割り切りすぎというのは的外れな指摘だと自分では思いました)

 ただ、やはり大正末・昭和初期生まれの方の時代の感覚は共通する部分もあって興味深いです。戦前は自由主義者と呼べるが少なく、「寥寥たるもの」と形容されていますが、この時期は英米でも自由主義が後退してリベラルの意味が変化しつつあった時期ですから、学者や言論人の風潮からばかり評価するのはちょっとどうかなと。それよりも、実業界の方がはるかに現実社会で果たしている役割は大きいわけですから、下記の指摘の方が時代をよく捉えていると思います。

(小宮教授)でも,そうなるとどうしても《マーケット》を入れないと意味を成さなくなりますね。日本語を直訳して《フリー・エコノミー》としたら大変なことになる。それでも日本では,《自由経済》という言葉が比較的頻繁に使われていました。
 この言葉が意味する自由経済の思想が多少ともあったのは,東洋紡とか日清紡といった関西の紡績会社でした。これらの企業の人々が自由経済思想を持ちえた背景には,東京から離れていたという事実と,輸出で繁栄していたという事実が挙げられると思います。これらの企業では,世界各地の原綿を輸入して,それを製品へと加工していました。日本において綿業が世界でも有数なものとなったのは,紡ぐ前のまだ綿の段階の混棉技術に優れていたからです。その技術を背景に,この2社をはじめ綿紡績の会社は世界中を相手に原料を購入して,製品を販売していたのです(10頁)。


 このあたりの描写はさすがだなあと思います。思想嫌いの私には紡績会社の「思想」には興味がわきませんが、単純に、国、あるいは中央政府がなにかをしてくれるのを待つよりも、関西の紡績会社が自らビジネスを展開していたのが実情だということが伝わってきます。あらためて中村隆英『昭和経済史』151頁のグラフを見ると、繊維生産が1939年から急激に落ち込んでいるのを見ますと、あためて小宮先生の紡績会社の評価はなるほどと思います。「東京から離れていた」がゆえに関西の紡績会社は当時の統制一色の経済から比較的、自由ではありましたが、対中戦争の開始とともに強烈な打撃を受けたのでした。軍部の政治ほど無能だったのはおそらく日本史でもごく稀ではないのかと思います。他方、戦後もこの関西の伝統(?)が受け継がれたのか、八幡製鉄と富士製鉄の合併に関する問題でもでてきます。

 住友金属が設備投資調整に強硬に反対していた理由としてもうひとつ考えられる点は,東京と比較して関西の方が競争的なスピリットが多少とも強いことが挙げられると思います。既に触れましたように,関西の東洋紡とか日清紡の経営者には,世界中から自由競争で原棉を買ってきて,製品も世界中に輸出して,お上の世話にはあまりならないという戦前の自由主義的な経済思想の気風が残っていました。日向さんも,そういう考え方から設備投資の調整に強く反対しておられたのだと思います。八幡,富士の両会社の企業体質は,戦後かなりの時期まで東洋紡や日清紡とは明らかに違っていました。まず両社の源は「官営八幡製鉄所」であり,鉄鋼は配給制だったからです。何をどれだけ作って,どこにどれだけ配給するという戦争中の統制経済が完全に払拭されたのは,1950 年に始まった朝鮮戦争後のことではないでしょうか(23頁)。


 官営八幡製鉄所まで遡りますと、東京と関西の相違というよりも、民業対官業の問題のような気もしてきます。私自身は関西人ではありませんが、経済史に興味をもったのは明治期の殖産興業、戦後の産業政策というものが本当に効果があったのだろうかと。露骨にいえば、民間が稼いだお金をぶんどって成り立つのが政府でありまして、それが民間部門の代わりに商売をやったり、あれこれ指図する能力があるとは思えなかったという素朴な感覚でしょうか。そんな頃に『日本の産業政策』は干天に慈雨でした。さすがに小宮先生は格調高く、このあたりの感覚を表現されているので、なるほどと思います。23頁の「自動車業界には,通産省にお百度を踏んで優遇を求めるというメンタリティが,他の業界と比較して少なかったように思われます。その当時の通産省と民間産業との関係は,個々の産業ごとにそれぞれ非常に違っていたのです」という指摘も興味深いです。このメンタリティが今次の景気対策で損なわれることを恐れているのですが。

 やや視野が狭いとはいえ、大野耐一氏は1978年初版の『トヨタ生産方式』で次のように述べています。

 ものごとを、決めたとおり、なにがなんでも動かしてしまおうという考え方は、たとえていえば、統制経済・計画経済のやることである。
 このようにすれば、すべてがもっとうまくいくはずであるという、統制経済の下では、人間の意を体した「かんばん」による生産の微調整などという芸当もできるはずはないと私は思う(91頁)。


 まだ冷戦の盛りの時期にこのような感覚をビジネスサイドがもっていたことはあらためて驚きます。逆にいえば、ビジネスサイドからすれば当然なのかもしれません。公正取引委員会や競争政策の話がおまけになってしまいましたが、ビジネスサイドに市場経済への信頼感がないところでは競争政策は機能しないでしょう。また、競争政策自体は事後的な措置ですから、それがあるというだけで企業が競争を阻害しようとする行為への抑止力になるのでしょう。他方、競争政策あるいは独占禁止政策も規制の一種である以上、現状では杞憂にすぎませんが、やりすぎれば統制経済や旧通産省の産業政策と変わらず、市場を混乱させるだけになる危険もあります。時間がかかるのでしょうが、既に多くの事業法が撤廃されたとはいえ、競争を制限する公的な規制を競争政策で代替してゆくのが望ましいのでしょう。

(追記)事実認識に誤りがありましたので、訂正しています。下線部は補足です。なお、中村隆英『昭和経済史』152頁には「国民生活物資の量」という表があって、米こそ1941年に1,175万kgから1945年7月時点で942万kgへの減少でとどまっていますが、昭和16年(1941年)を100として肉が20%、魚が30%、綿織物が2%、毛織物が1%、地下足袋が10%、石鹸が4%、紙が8%となっています。151頁では機械生産が落ち込んだのが1945年でほぼ1937年の水準です。鉄鋼は1943年をピークに低下していますが、落ち込みが激しいのは1945年で実数が表示されていないので参照程度ですが、1937年の6割程度です。戦後直後を「焼け野原」と言いますが、各種生産が落ち込んだのは空襲の被害よりも、戦時統制で軍需に偏った生産を行ったことと原材料が輸送できなくなったことが大きいのでしょう。生産は落ち込んでいますが、銑鉄や銅、アルミ、鉛などの生産設備は、空襲の被害にもかかわらず、1937年よりも大幅に増加しています。繊維産業の設備は不要不急ということで強制的にスクラップ化されてしまった。国富の被害で最も大きいのが船舶でして金額ベースなので問題もありますが、経済安定本部の推計で約84%。中国、ついでアメリカを相手に戦争をするというバカなことをしている間に、人命を数多く失っただけではなく、もちろん、それが最大の悲劇ですが、生き残っても生活に苦労する状態になっていたということです。


  少し、書き足りない感覚があるので補足しますが、鈴村先生の「構造規制」への愛情はやや理解できない部分もあります(質問者が明示されていないので別の方の見解の可能性もありますが)。企業分割はアメリカでも例が少なく、市場を重視する立場からは1950年代から60年代の産業政策に批判的なことは理解できるのですが、企業分割自体はそれよりもはるかに強力な市場への介入になります。構造規制が発動されないのは、企業分割が正当化されるほどの競争阻害効果が確認されること自体が少ないという結果にすぎないのではとも思います。公正取引委員会の擁護をする気はまったくありませんが、独占禁止法などで与えられている権能が大きい分、執行にあたって謙抑であることは、結果論にすぎないかもしれませんが、バランスが取れている部分もあると思います。本題から離れますが、私自身は、戦時統制も占領期のニューディーラーもコインの裏表と捉える中村先生の立場により共感を覚えます。一方はイデオロギーで会社をくっつけて、他方はイデオロギーでばらした。それだけのことでしかなく、それだけのことであってもくっつけられたりばらされる側はたまったものではないでしょう。

 まあ世間は円高株安と補正予算で揺れた一週間でしたが、民主党政権への懸念はあまり変わりません。上で述べたこととは逆に、外交・安全保障は民間では代替できないですから(補完する部分はあるのでしょうが)、ここでのミスは救いようがありません。アフガニスタンでは蚊帳の外でしょう。まあ、それも困ったものですが、相変わらず普天間移設では迷走が続いています。ここまで続くと、鳩山首相は本気で国外移設を目指しているのではないかとすら思えてきます。おそらく、米政権内で日本に好意的な高官は政権内部での発言力が低下し、中国寄りであったり、日本に厳しい高官の影響力が増すことを懸念します。私が米政権内で発言力があったら、間違いなく日米同盟が機能しない場合のオプションを検討して提示するでしょう。現政権下では極東有事の際ですら、米軍の作戦に制約を課しかねないリスクを感じるからです。

 言ってみれば、政治と経済は平穏な時期には政治が経済によけいな口出しをしなければよい。ただし、今日では政府債務が巨額に上っていますから、そのような意図がなくとも、政府の行動は否応なく民間部門へ影響を与えます。どうも、政権交代にかかわらず、この点に関して鈍感な印象があります。もちろん、交代後の方が比較にならないぐらいひどいのですが。

 政治の役割はやはり危機、それも財産よりも生命が優先されるほどの危機に備えることにあるのでしょう。私の印象にすぎませんが、鳩山首相の言動からそのような突き詰めた問いを自らに投げかけたことがなく、明確な定見をおもちではないのではないのかと感じます。リーダーシップというのは、いざというときに異論が生じるであろう優先順位を明確にし、説得し、誘導し、最後は強制するだけの人間的な迫力あるいは魅力でしょう。ただし、リーダーシップが適切に発揮されなけば、国は滅びます。60年以上前に、日本人が全滅させられてもおかしくない状況まで追い込まれたのにもかかわらず、政治的リーダーシップを育てる土壌はあまりに貧弱なのでしょう。まあ、戦後政治のなれの果てが民主党中心の連立政権なのかなとあきらめの境地に入りつつありますが。
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