2007年02月28日

2007年2月完走の御礼

 なんとか2月は毎日、記事を書くことができました。なぜ、このようなあまり意味がないことをやり始めたかといえば、実は自分でもわかりません。陸上、それも長距離をやっていたせいでしょうか、自分で一度こうと決めると、融通がきかなくなって、最後までやらないと気が済まないようです。

え゛っ、それはあんたの性分だろうって!

陸上とかそういう問題じゃない!?

 ……失礼しました。高橋尚子さんを初めてテレビで見たときに衝撃を受けました。とうとう女子マラソンもここまで来てしまったのかと。負けず嫌いさが美しく表出していて、強烈なまでの意志の強さを感じました。どのスポーツでも「負けず嫌い」や競争心は当然ではあるのですが、個人競技は妥協」すれば簡単なので、個人の克己心がストレートに反映します。私ごときが申し上げるのは憚られますが、女性の社会的地位を高めているのは女権論者ではなくて、高橋さんのように知名度が高くなくても、実際に活躍している方たちなのだろうと思います。

 話がそれましたが、とりあえず、カレンダーを埋めるというどうでもいい目標を達成して、本当にどうでもいいのですが、妙に充実感があります。ふと思うに、基本的に自己実現という高尚なレベルで生活しているのではなくて、単に自己満足で生きているようなものだなあと思います。1年間、書き綴ってみて、しみじみ実感するのは、もう本当に進歩しないなあという嘆きです。社会の進歩には懐疑的ではあるのですが、自分が進歩しないことにはやはり鈍感ではいられません。別にブログなど書かなくてもわかりきったことではありますが、自分がたいした人間ではないことを再確認するぐらいの意味はありました。3月からどうするのかは実はなにも考えていないのですが、こんな調子になると思います。まあ、人生自体が「寝言」のような悪い冗談でありまして、「時の最果て」もそのおまけと申しますか、副産物。「汚染物質」を垂れ流しているような気もしますが、見なければ済む話しだしと開き直る自分がいてちょっと鈍感になりすぎですね。

 人生を旅に喩えることが少なくありませんが、いつ、どこが出発点で、いつ、どこで目的地に来るのかさえ、見当がつきません。下品かもしれませんが、そんなことを考えたところで、お金になるわけでもなく、人間性が高まるわけでもなく、あまりご利益はなさそうです。露骨にいってしまえば、「病気自慢」みたいなものでありまして、まあ、その程度の効能は書いている本人はあるのだろうと。ただ、病気自慢も、ある水準に来ると、「詩」のようになるわけで、そのような境地はほど遠いと思いつつ、彼方を見ている、そんな感覚です。まあ、そんな業病にとり憑かれた人間であることを自覚させてくれた一文をご紹介して、今月最後の記事とさせていただきます。

 われわれが以前の自然科学よりもより多く知っているのは,認識可能なもののすべての領域に通じる通路の確実な出発点は何もないということ,むしろかえって,すべての認識は,いわば,底なき深淵にただよわなくてはならない,ということであり,そうして,われわれは,いつも,その中間のどこかで,適用することによってはじめて一層明確な意味を次第にもちうるようになる概念を用いて実在を語ることにとりかからなくてはならないということ,そうして,論理的,かつ数学的な正確さについての要請をことごとく満足する最も明確な概念体系でさえ,限られた実在領域内でわれわれに行くべき道がわかるようにしようとする暗中模索的な試みであるにすぎない,ということである(ハイゼンベルグ(田村松平訳)『自然科学的世界像』 みすず書房 1979年 124頁).
posted by Hache at 01:13| Comment(7) | TrackBack(1) | ごあいさつ
この記事へのコメント
2月完走おめでとうございます。
ハイゼンベルクの著作などについては、こういうお話を見るたびに、物理屋あるいは技術屋と、文科系の方々とは受け取りがちがうなぁ、といつも思います。不確定性原理や量子力学というのは、物理屋や技術者にとっては、いまや鋸やネジ回しと同様な日常的な道具であり、特段哲学的インスピレーションを与えるものではありません。私たちが鈍感なのかも知れませんが。
Posted by 珈琲 at 2007年02月28日 22:10
>珈琲様

引用した部分に続く第6章の終わりを端折ってしまったので、ちょっとまずかったかもしれません。

「このように,われわれは,なるほど,ケプラーの,すなわち世界の大規模な連関がその創造者の意志によって与えられ,天球調和の認識でもってその創造計画を理解する直前に,すでに,立っているのだと信じたケプラーの幸福な境遇にはない.だがしかし,われわれがわれわれの思惟をはたらかせて一つの大きな連関の中へ,ますますずっとはいり込んでいくことが結局はできるのではないか,という予感こそは,われわれにとっても依然として研究の推進力なのである」(ハイゼンベルグ(田村松平訳)『自然科学的世界像』みすず書房 1979年 124−125頁)。

社会科学は、遺憾ながら自然科学のような精度で予測を与えることはできません。ただ、対象が自然と社会という違いはあれ、全体を知りたいという欲求は、生理的な欲求とは異なる意味で持続的であり、意識的な努力が不可欠であること、部分に関する、ごく些細なことであっても、全体を知りたいという根源的な欲求と結びついていることなどを自分のために再確認しておきました。別にハイゼンベルグでなくてもよいのですが、彼は端的にそのような欲求を表明していて、共感するところが大だからです。現在の自然科学で最先端の仕事をされている方がどのように感じていらっしゃるのかは、残念ながら、そのような機会があるとは思えないのですが、伺って見たいと考えております。
Posted by Hache at 2007年03月01日 09:52
エントリー内容と関係ないんですが、ハイゼンベルグが日本に来ましてね、(1967年だったか)京大で講演したんです。それを私が会場の前のほうで聞いてましてね(未だ子供)、なんだか感激しましたよ。これがあの20世紀物理学を代表する神様かって。日本の神様の湯川博士が司会しました。講演内容は忘れました(理解できるはずない)。ハイゼンベルグ博士は、歴史のかなたの人ではないんですね。会ったんだから。
Posted by M.N.生 at 2007年03月01日 10:50
Hache様

挨拶が遅れました。2月、「完走」おめでとうございます。私は、2月は、グダグダで、まあ、いつも、グダグダですが(笑)、更新も、クオリティも下がりました。

なかなか、毎日、更新するということは、できないことです。頭が下がる思いです。

前のクロのテンプレートもよかったのですが、このシロも、スタイリッシュで、大人の男を感じさせます。センスが抜群ですね。

私が高校生の頃、読んで、衝撃を受けたのは、ドーキンスの『利己的な遺伝子』ですね。

その頃は、遺伝子工学や脳科学をやりたいと思いました。

やはり、社会科学は、自然科学への憧れみたいなものがありますね。

今でも、たまに、息抜きに簡単な数学をやります。

エントリとは、あまり関係ないコメントお許し下さい。
Posted by forrestal at 2007年03月01日 21:31
>M.N.生様

思わず絶句するような組み合わせです。理系の方からすると、「偶像崇拝」に見えてしまうのかもしれませんが(そういう部分があることは全否定は私自身に関してはできないですが)、やはり知的刺激を受けます。

大変、失礼かもしれませんが、そのときにハイゼンベルグの講演を理解されていたら、凄いと思う反面、ちょっと危ないかもなどと不謹慎なことを考えてしまいます。

理系の方には「もう『巨人の時代』ではないですよ」と釘を刺されるのですが、やはり未知の領域に意識的に飛び込んでゆかれた方の話を読むと、ポンと背中を押されるような気分になります。ダメモトでいいし、当たってもたいしたことがないので、「巨人」の話を読むと、この程度でぐだぐだ考えるなという気分になれます。

>forrestal様

ドーキンスと来ると、やじゅんさんと違って年齢詐称「疑惑」が生じる可能性がないですねえ。物質→生命→脳というのは、物理学の意義が薄れるわけではないと思いますが、時代の流れを感じます。自然科学への憧れは同感です。

完走は…。やってから思ったのですが、もっと他にやるべきことがあるだろうと。自己満足以外のなにものでもないです。

老婆心が鬱陶しいかもしれないのですが、「時の最果て」では全然、大丈夫ですが、「息抜きに数学」は、日常ではあまり使われない方がよいかもしれません。相手にもよりけりですけど、数学にコンプレックスをもっている人の方が多数派なので、長いものには(以下略)。
Posted by Hache at 2007年03月02日 00:51
完走おめでとうございます。すっかりマイペースになってしまった私にはとても真似できません。お見事です。

普段から基礎的な教養を身に付けておけばふと頭に浮かんだネタも色々繋がるのでしょうが、知識の枠が狭いと苦労します。教養の大切さは年を取るにつれ痛感します。
Posted by カワセミ at 2007年03月03日 02:41
>カワセミ様

ありがとうございます。「完走」もマイペースでして、途中でネタ切れ気味の記事も多かったのですが、私の場合、書いちゃった方が、あとから話が見えてくるので、こういうスタイルもありかなと思ったりします。

教養に関しては、「偏食」の部分が大きいですし、今回引用したハイゼンベルグの文章は、10年ぐらい前にノートに書いていたのをワードで作成したものです。10代から20代ぐらいまでに読んだ書物の影響が大きくて30代に入ってから、広く読まれている本で私が読んだことがない書物が多いことに気がついて、焦っております。
Posted by Hache at 2007年03月04日 04:04
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Excerpt: 『夢はかなう』 高橋尚子さんの考え方や、感じ方がある程度わかったように思います。自分が信じた道をまっすぐに進んでいくという生き方は、両親を尊敬しながらも両親の望みとは別の方向(ランナーになること)....
Weblog: ホノルルマラソン挑戦者【ホノルルマラソン完走への道】
Tracked: 2007-03-10 03:25