2007年03月31日

「保守」の衰退 自民党の「凋落」

 本論は自分のメモを加工したもので、おもしろくないので、「続き」にアップいたしました。煽っているわけではなく、本当におもしろくないので、クリックされたからには苦情はお断り申し上げます。土日で手持ち無沙汰な方はクリックしていただければ幸いです。記事の方は、「感情論」でまいります。自民党関係者の方、自民党支持者の方、自民党が好きな方はお立ち去りください。不快になるだけだと存じますので。「本論」は、日本の「保守主義」が経済政策との対応とは実は無関係(いろいろ複雑な相関はあると思うのですが)という「仮説」をごちゃごちゃと書いております。

 時期はさだかではありませんが、ある会合が開かれて、小泉政権も人気絶頂とまではゆきませんが、閣僚の方がお一人みえられました。私は、部外者的な存在でしたが、つてがあったので、僭越ながら、その方の「品定め」をすべく、でかけました。会場の最前列に座席が用意されていて、ちと申し訳ないやら、緊張するやらで、まあ、小心者です。会合が始まり、パネリストが最初にでてきて、閣僚の方がステージの奥の方で待機しておられました。私が自意識過剰なだけで勘違いかもしれないのですが、その閣僚の方が私の方を見つめておられるように思ったので、本当にびっくりしました。自意識が過剰だという意識があるぐらい自意識過剰なので、視線をそらして素知らぬ顔をしていると、見つめているのではなく、険しい顔をされて、睨みつけているのがわかりました。このとき、ふっと頭をよぎったのは、その方が自民党でも保守的で私の髪を見て怒っているんだなということでした。

 これは乱馬よりは軽い悩み(父玄馬は髪が薄い(正確には…))でして、20代後半から白髪が一気に増えたので髪を染めていました。床屋の店長さんは若い人だったので、しきりに明るい色を勧めるのですが、若づくりもほどほどというのがありまして、一番暗い色で染めてもらっていました。それでも、光の加減にもよりますが、髪を染めているのは、周囲が真っ黒というよりも、年配の方が多いので白髪の方も少なくありませんが、どうも目立っていたようです。もちろん、これは私の印象にすぎないので、単なる自意識過剰かもしれませんが。それにしても、大臣とはいえ、若造と見ると、ひどい扱いだなあと思いました。あと、「よそ者」にはデリカシーのかけらもない無神経さも感じました。

 会合の内容は、失礼ですが陳腐でした。新興企業の社長さんが閣僚の方から表彰されていたそうですが、話がお粗末。大臣の話は退屈。パネリストの最初の方は、インキュベーターの話をされていましたが、私が学生時代に読んだ都銀の調査部が出していたレポートの方がよっぽどちゃんとしているぐらい、ひどいものでした(自分でも年齢を感じますが15年ぐらい前ですね)。びっくりしたのが、この程度の方が、大臣から顕彰されていると聞いて、ドン引き。この社長さん、しきりにリスクをとる企業家を育てようという話をされていたのですが、国立大学と提携し、省庁と連携しで、やり手だろうけれど、「国策会社」程度のリスクだなあと思いました(ライブドア事件にも関係していたという噂まであって、チャートを見ると、見事に株価が右下がりですな)。あまりにくだらないので眠ってしまい、目を覚ましたら、本当にびっくりしたのですが、大臣がこちらをもろに睨んでいて、よほど嫌われているんだなと思いました。それ以来、自民党、とくに保守色の強い方は苦手になりました。私にも事情があるのですが、そんなことはおかいまいなく、「茶髪」=不良みたいなイメージですかね。このお方を大臣にするとは小泉前総理も見る目がないな、なんて生意気なことも。

 そんなわけで自民党にもいろいろな「先生」がいらっしゃるのでしょうが、ああいうところとはお付き合いしたくないなあ、向こうも嫌なんだろうけどと思っておりました。そんなイメージを変えて頂いたのが安倍官房副長官(当時)でした。やはり、私の髪の毛をみて一瞬、嫌悪感が表情に出ましたが、あっさりと「若い方もお見えで、これは喜ばしいことです」と軽くスピーチでフォローしていただいた上に、握手していただきました。私は単細胞なので、この一件で安倍さんはもちろん、自民党も好きになってしまいました。ほんと、単純なものです。ネットで安倍総理のことを悪く(ただし、事実に反してはいない)書かれているところも目を通しておりますが、つらいですね。みなきゃいいのにと自分でも思うのですが、自分の都合のよいことだけ目にしていると、判断を誤りますので(もっとも、私が間違えたところで、周囲から浮くだけで「実害」はないのですが)、見ています。

 それはともかく、「自民党の凋落」。「感情レベル」でゆけば、「郵政選挙」で終わったなと思いました。衆院で造反組がやらかして、先述の閣僚の方(当時は閣外)も造反したと聞いて小躍りしました。これで総理の目がなくなったってね(あまりフォローになっていませんが、地元ではとってもいい「先生」のようです。「地盤」の地域の若い人に聞いても、こまめに地元の方の面倒をみられているようです。ただ、とどめをさしておくと、総理だけにはなっていただきたくないなと思っていました)。ただ、選挙の日が近づくほど、これでいいのかなと迷う気もちが強くなりました。私の選挙区も、造反者がでて、「刺客」が送り込まれましたが、どっちに投票するのも、躊躇うぐらいひどい選択肢(まあ、印象だけですので、実際はもっと優れた方たちなのかもしれませんが)。民主党の候補者も、なんだかなあ。まあ、通りそうにないし、小泉総理(当時)の「代理人」と思えばいいやぐらいの感覚でしたね。はっきり言って、この前の選挙で疲れました。正直なところ、落ちると思ったから、入れたというのが本音。次は、自民党に入れようという気が起きないですね。たぶんですけど、寝ます。

 つらいことに、ネットどころか、実生活でも安倍政権と自民党の評判は散々です。母上との話はデフォルメしましたが、「○○大臣は顔に悪いことをしているのがもろにでている」とかね。「それじゃあ、○○○子さん(わがブログの存続のためにほとんどわからないぐらい伏字で申し訳ありませぬ)みたいだよ」と言っても、「あの(総理の)奥さんはなによ」とか、もうめたボロ。びっくりしたのは、コアな自民党支持層だと思っていた団塊の世代の方が、「もうダメだな」とかね。2004年の参院選では自民党の「タマ」があまりだったので、生まれて初めて民主党の候補に入れたとかね。母上も団塊の世代の始まりぐらいですが、この世代の自民党離れはネットよりも、実生活ではるかに実感します。実際には、静かに小泉政権下で自民党離れが進んでいて、30代や40代の「軽い人たち」が騒いでいただけ。露骨に言えば、小泉総理が無理やりたがをはめ込んでいたけれど、そのたがが、ネットで見ていると、30代、40代でも外れちゃった感じです。

 ネットでは麻生ファンが多いようですが、リアルでは「麻生なんて論外」となります。私の周囲だけの話ですけど。あまり考えたくないのですが、万が一のときは麻生外相以外にいないと思うのですが、周囲では安倍総理よりも、はるかに評判が悪くて、「自由と繁栄の弧」なんてとてもいい話だと思いますよと言っても、「あれだけ失言が多くちゃ」となってしまいます。母上やワイドショーを見ている人から聞いたのですが、悪く響くように上手にカットしていて前後を話すと「えっ、そうなの?」となるのですが、いかんせんテレビの影響力には勝てません。バカにされる方もいらっしゃるでしょうが、ネットでも発言しない「無言の有権者」が多数派なんで、バカにしていると、まあ、あたしゃ知らんよというところでしょうか。失礼な話ですが、大卒者よりも高卒者の方が人口の大半を占め、大卒者の「値打ち」も高卒者がよく見ていますからね。「オピニオン・リーダー」なんて死語かな。商業高校をでて親御さんの事情で大学へ行かせてもらえなかった方が、「大学で漢字一文字の学科をでているとまあまあで、二文字だと『こんなものかな』で、長いとバ○が多いのはなぜですか?」とバレバレですからねえ。

 というわけで、副会長さんこの記事が掲載された当初、驚いてしまいました。正直なところ、リアルワールドでは、とても自公で過半数を維持することすら、夢のように思えてしまうので……。まあ、こんなにバカ正直に自分の投票行動を書くのは私ぐらいで、普通は、口と手は別なのかもしれませんが。ただ、自民党支持層かと自問自答すると、なんか違うなあと。要は、薄甘い「安保保守」あるいは、「親米ポチ」みたいな感じでしょうか(本論で紹介している論文を読んで、「革新」ではないけれど「保守」ではけっしてないなと思いました。「中道」なんて気どりはありませんけどね)。

 それにしても、3月30日の「産経抄」は激萎え。『ウィキペディア』の『産経新聞』の項目で「論調」の冒頭に「紙面および社説は概ね親米保守」とあるのですが、あの「産経抄」は終わっているなあと思いました。朝から新聞なんて読んじゃダメですね。古森さんの一連の記事で一部の反米派が暴走しても、大丈夫だろうと思っておりましたが。主導者のバックグラウンドがわかれば、あとは火を消す上手な方法を考えるだけだと思いますけど。「産経抄」は、火をつけたいようで。部数が少なくて幸いですな。『産経』には申し訳ないのですが、『朝日』や『毎日』のコラムではなくてよかったとそれだけが救いです。海外で「クオリティ・ペーパー」とみなされているところに、あれが載せられたら、さらにややこしくなりますからね。

 くどいようですが、煽りじゃなく、「続き」はWordの標準書式で約7枚強あります。くどくど、どうでもいい「寝言」を書いております。1時間で一気に書いただけなので、「品質保証」はいたしかねます。


 あなた、クリックしちゃいましたね。くどいようですが、煽ったわけではありませんよ。以下は、お仕事そのものではありませんが、3分の1程度、お仕事モードで書いてますので本当につまらないですよ。念を押しますが、「こんな話はつまらん!」とか文句は言わないで下さいね。

 「Yahoo! みんなの政治」の「政治ポジションテスト」では、「保守−リベラル」と「小さな政府−大きな政府」という2つの軸で政治ポジションを4象限に分類していましたが、「小さな政府−大きな政府」(個人的には規模の大小ではなくて、より古典的な「安価な政府(cheap government)」が望ましいのですが)はともかく、「保守−リベラル」の分類が、個別の設問自体はわかりやすいのですが、全体のイメージがなかなかできませんでした。御厨先生の『保守の終わり』は勉強になったのですが、イデオロギー対立がなくなるのかといえば、どうなのかなという感じ。雪斎先生も共感する部分もあるのですが、私には難しすぎてわからない。

 「政治ポジション」で検索しても、それらしい話がでてこないので、あれこれキーワードを変えてみて、「有権者 政治意識」でgoogleで検索したら、安野智子・池田謙一[2002]「JGSS-2000 にみる有権者の政治意識」(『JGSS研究論集』[1])という定量的な分析がでてきました(以下、安野・池田[2002])。なお、PDFファイルですので、本文を読まれたい方は、お手数ですが、下記のアドレスをコピペしてアクセスしてください(リンク先が学術機関ですので、直接、リンクしても問題がなさそうですが、データ量が大きいファイルですので、うっかりクリックを防ぐために直リンはやめました。なお、IEでダウンロードする場合、セキュリティ水準を「中」以下にしておく必要があります)。安野先生の新しい論文もアップされていますが、現在の政治情勢にはそぐわない部分もあるので、こちらはカットさせていただきます。なお、多変量解析はかじっただけなので、間違いがあるかもしれません。お気づきの点がございましたら、御指摘ください。なお、普通の読解力ある方ならば、私見にすぎないことはお分かりいただけると思いますが、念のため、安野・池田[2002]を「寝言」風味で読んだ感想ですので、この記事を元に論文を批判されることは慎んでください。
ttp://jgss.daishodai.ac.jp/japanese/5research/jgssm1pdf/jgssm1_7.pdf

【本論】

 この論文の興味深いところは、冒頭の要約部分に集約されている。「自民党の政権担当能力を評価するのは保守層、男性、年長者、町村部、高世帯収入層という特徴を持ち、民主党を評価するのは革新層、男性という特徴をもっていたが、両者に共通するのは政治に対する無力感が相対的に弱いことであった。これに対し、『政党政権担当能力のある政党はない』とする回答者は政治不信が高く、若い革新層という傾向があった。イデオロギーと政治的有効性感覚についてみてみると、現代日本人のイデオロギーは政策への評価よりも伝統志向と関連していること、また組織への参加(社会関係資本)が政治的有効性感覚を高める可能性が示唆された」。この論文では、多面的な分析が行われているが、とりわけ、政治的イデオロギーが冷戦後、政策への評価よりも伝統志向と関連していることを示唆している点が興味深い。

1 注意すべき点

 ただし、この論文の、とりわけ計量分析の部分(84−85頁)には以下の若干の疑問がある。

1.1 モデル

 検定の対象となるモデルが明示されていない。紙幅の関係か、よく使うモデルだから省いたのかわからないが、変数の定義などが式で明示されていないのは疑問。検定結果には負の値をとる場合の意味などが明示されているので形式的とはいえ、モデルを明示するべきではないか。

1.2 検定について

 この論文ではp値のみが記載されており、なおかつ、p値の範囲のみが示されていて、値そのものは示されていない。t値も含めて記載する場合が少なくないが、グループ数が3とはいえ、やや疑問が残る。この分野ではp値だけで十分なのかもしれないが。

1.3 母集団
 サンプル数が2,677は、母集団が全国の有権者であることを考えると、微妙な水準ではある。ただし、このようなデータが存在すること自体が貴重であり、他には見当たらないため、やむをえないだろう。

 いくつか留保すべき点はあるが、「政治意識」に関する仮説としては興味深い。「実証」という点ではやや疑問が残るが、むしろ、著者たちの意図に反するだろうが、ファクト・ファインディングと考えると、評価できる。

2 政党支持と「政権担当能力」の評価

 83頁の「政権担当能力」に関する分析は、概ね通説にしたがっているといっていいだろう。著者たちが指摘しているように、自民党の「政権担当能力」を評価する傾向が、自民党支持層(含む「好ましい政党」)だけでなく、民主党支持層や自由党支持層(合流前であることに要注意)、その他政党支持者(共産党ですらゼロではない)だけでなく、いわゆる「無党派層」の約4分の1(25.1%)を占めることは注目すべき点である。また、若干ではあるが、公明党支持層よりも民主党・自由党支持層で自民党の「政権担当能力」が高いことも、示唆に富む。著者たちは、公平に事実上、政権を単独で組織したのが自民党のみであることを指摘しているが、この点は、政権交代によって、自民党の「強み」が失われる可能性があることを示唆している。ただし、この点に関しては、後の若年層の分析によって自民党から民主党へという、いわゆる「二大政党型」の政権交代の可能性がかならずしも高くないことが理解できる。

 回帰分析の結果は、留保すべき点が多いが、自民・民主各政党の支持者でなおかつ「政権担当能力がある」と評価する層の特徴は、概ね、評論などで論じられる自民党支持層、民主党支持層のイメージと合致する点が多い。

3 「保守−革新」と「小さな政府−大きな政府」

 87−88頁では、保革の対立軸が時代とともに変化してきていることや「福祉重視」が「合意争点化」されていることと同時に、「保守−革新」という政治イデオロギー上の対立点から、いわゆる「小さな政府−大きな政府」という対立点が独立した変数であることが指摘されている。この点に関する論証はかならずしも十分ではないが、地域ごとに分析を行うことによって、新しい特性が見出されるかもしれない。最も蓋然性が高いのは、都市部では保守層・やや革新層ともに「小さな政府」が概ね一致し、農村部では保守層と「大きな政府」が一致するという仮説ではないか。

 図2.2(89頁)では、「格差是正」(安野・池田[2002]では「貧富解消政策」という表現が用いられている)に関して保守・革新問わず、賛成が多数であることを示唆している。2000年の段階で既に格差是正に関してはほぼ「合意争点化」していたとみるべきだろう。このことは、有権者の関心が格差是正の是非ではなく、そのあり方にあることを示唆しているだろう。したがって、安倍政権が格差是正に消極的であるというイメージが広がるほど、政権のみならず自民党の支持率は頭打ちとなるだろう。ただし、安野・池田[2002]が指摘するとおり、「現代の日本では福祉や自助努力への考え方が『大きな政府か小さな政府か』という単純な二者択一の争点として存在していない可能性がある」ことは留意すべきだろう。いわゆる「バラマキ」ではもはや格差是正ではないと有権者の大半に映る理由の一つがここにあるのだろう。この点では、自由党と合流した民主党も明確なビジョンを打ちだしてはいない。2000年の時点で既に「格差是正」に関して有権者の間で合意があり、なおかつ政党がそのニーズに応えきれていない点は、現時点でも同じである。「格差是正」への具体的な政策手段がないとすると、「政党離れ」が加速するだろう。結局、政党の政策遂行能力よりも説得力がものをいう可能性がある。とくに、自民党は政権を担っているだけに、「成果」を厳しく問われてしまう可能性が高い。

4 日本の保守層

 「保守層に関しても、『日本の保守主義は現状維持志向の現れである』という先の指摘(阿部ら,1990)を鑑みると、日本の保守層の中には、明確に保守的イデオロギーを支持する層と同時に、とくに『現状維持できればよい』と考えているだけの層が含まれる可能性がある」(94頁)という指摘は正しいだろう。問題は、どの程度、「現状維持できればよい」という層が含まれているということであるが、現実にはこの層を分離することは困難だろう。97頁で触れられているように、この層が実は自民党支持層の大半ではないかと想像する。すなわち、冷戦下のイデオロギーによって自民党を支持していた層は実はインテリ層と下流(左翼・リベラル層を「アカ」と平気で口にするタイプ)であって、大半の中流程度の自民党支持層は自民党の政策(親米・経済成長重視)が国民の生活水準の上昇を招いた結果を評価していたのであってイデオロギーありきではなかったのではないか。

 それでは、自民党支持層のいわば「コア」あるいは「中核」はどのような「価値」あるいはイデオロギーによって組織されてきたのか。安野・池田[2002]では夫婦別姓への態度や夫婦の役割分担のデータを挙げて「イエ」あるいは家庭のあり方だという指摘をしている。簡潔にまとめれば、日本の「保守主義」とは、「夫婦別姓には反対であり、夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」ということになる。もちろん、著者たちはより多面的に捉える必要性を指摘しているが、一面をついているだろう。高度成長期において農村部から都市部へ人口が流出し、「団塊の世代」ではこのような家族観に適合する家庭が減少している現状では、まさに「変化への抵抗」であり、高度成長期以前の伝統的な家族への憧憬が日本の保守主義の要素を構成していると考える。さらにいえば、このような世代は、歳月を経て減少傾向にあることが想像できる。自民党の「長期低迷」は、「冷戦での西側陣営の勝利」からではなく、より長期的な、日本の家庭環境の変化から生じている可能性がある。この変化は、就労形態の多様化とあいまって、元に戻る可能性は少ないだろう。控え目にいえば、経済政策を巡る論争にもイデオロギーは存在するが、政治的イデオロギーとの関係はきわめて希薄である可能性が高い。

5 まとめ

 「政治的有効性感覚」の分析は興味深いが、データが粗く、定量的な分析になじみにくい印象がある。この問題は、現在の私にはわからないことが多い。割愛する。

 全体の印象として、自民党支持層、より正確には保守層のコアは、生活水準の上昇を評価する一方で失われた日本の家族観など伝統への回帰を求める層であろう。「核家族化」などは、私が子供のときから「社会問題」として指摘されてきた。この変化がほぼ不可避といってよい現状では、自民党支持層の中核は減少する一方であろう。また、連立のパートナーである公明党の支持層が自民党の「政権担当能力」を社民党支持層よりも低く評価する一方で、民主党の「政権担当能力」に関してほぼ絶望していること(共産党支持層をも下回る)は注目に値する。もっとも、7年をへた現在では、公明党支持層の意識が変化している可能性も高い。

 安野・池田[2002]の分析を離れて、今後の有権者の政治意識の動向を考える。

5.1 自民党支持層の減少とと家族構成の変化

 「自民党離れ」は「政治とカネ」などの問題以上に家族構成の変化など長期的な日本社会の変化を反映しており、小泉政権は自民党の「衰退」を一時的に「先送り」しただけだということである。逆にいえば、小泉政権は、「擬似政権交代」によって自民党の「延命」に貢献したと評価できる。他方で、個人のパーソナリティに依存した政権が次々と誕生することも困難であろう。遅かれ早かれ、自民党は、政権政党であるがゆえに「政権担当能力」をもつという評価を失う可能性がある。わかりやすく言えば、「新しい自民党」など存在しない。政権にあってこそ自民党であって、現状の自公連立でも日本社会の変化に適応できない層を重視した「保守政党」であれば、いずれは政権を手放さざるをえないだろう。

5.2 自民党の「政権担当能力」の維持

 第2に、現状で民主党支持層でも自民党の「政権担当能力」が高いという想定が成り立つならば、自民党が政権政党であり続けるためには、自公連立に民主党を加える必要がでてこよう。安野・池田[2002]の分析結果は、自民党と公明党よりも、自民党と民主党の方が「政権担当能力」、もっと露骨な表現をすれば、「どれもダメだが、まだマシ」な組み合わせになる可能性が高い。これは学術的な分析を離れてしまうが、自公連立になんらかの形で民主党が加わり、民主党に「政権担当能力」を与える方が、政治の安定に繋がるだろう。定量的には明確には示されていないが、自民党支持層の中核が減少する一方で「現状維持」を求める層が安定している状態で、「中核」層を維持することに汲々としていれば、自民党は政権の座から降り、二度と復帰しない可能性が高い。なお、若年層の「政党離れ」は深刻な側面がある一方、イデオロギーや組織への忠誠心の乏しい若年層をとりこむことができれば、漸進的な「政権交代」は比較的、容易かもしれない。

5.3 小泉政権の評価

 皇室典範の改正に積極的だった小泉政権は、政治イデオロギーの側面からいえば、「保守」から「革新」への擬似的な政権交代として国民に映っていた可能性がある。小泉政権下の統治は、結果的に「巧妙」だったのではないか。対外政策で拉致問題などで国内の対外強硬(ただし親米)というコンセンサスを固める一方で(現実には世論に流された側面が大きいだろうが)、国内的には靖国参拝など「伝統」を重んじると同時に、皇室典範問題では「伝統」を破壊することも辞さない姿勢を見せた。このことが、自民党支持層の「中核」を維持すると同時に、他政党の支持層や無党派層を取り込む要因となったと考える。すなわち、問題によって小泉政権は、ときに「保守的」であり、ときに「革新的」という場当たり的な対応を行い、結果的に「保守」から「革新」への移行を演出したと考える。

 信頼できる定量的なデータが存在しないが、悠仁親王殿下のご誕生にもかかわらず皇室典範改正に賛成する世論が反対を上回っていたことは各種報道で明らかである。女系天皇の誕生の善悪是非を無視すると、国民の大半は、家族構成の変化に好むかどうかは別として適応しており、女系天皇への移行の問題で容認する世論が大きいことは、「保守」が衰退傾向にあることを示している可能性が高い。

 私自身は、皇室典範問題そのものについては現状維持が好ましいと考えるが、このような意見は、今後、ますます少数になってゆく可能性がある。皇室典範問題は、そのような意識の変化が噴出した現象の一つではないか。この問題に限らず、「保守」の衰退は、一時的な問題ではなく、社会の基本単位である家族構成の変化に起因しているのだろう。長期的には、自民党が完全に「政権担当能力」を失うのか、民主党と「任務分担」し共存する道を選ぶのかという選択に直面するだろう。

5.4 「格差是正」は自民党の「凋落」を加速する

 安野・池田[2002]では、日本の「リベラル層」がアメリカのそれとは異なることがあらためて指摘されている。「保守層」もより曖昧である。海外と比較して、経済政策上の対立と政治信条の問題は、日本ではリンクしない傾向が強い可能性がある。私自身は、家族構成など社会の基本単位の変化は市場経済の深化、さらに、国際経済への依存との関連があると想像しているが、家族構成の変化を和らげるための政策手段は事実上、存在しないだろう。あるいは、生活水準の向上を断念するほかないだろう。

 公共事業への地方の依存は、むしろ自発的な地域内の家族間のコミュニティを破壊して政府と個人の関係に代替する側面がある。高度成長後の1970年代、バブル期後の1990年代はまさにそのような政策がとられた時期である。「格差是正」の政策手段として「バラマキ」を続ければ、いずれ、農村部における「保守主義」は死滅し、自民党の支持基盤は崩壊するだろう。また、都市部の住民は、このような「負担」を好むとは思えない。現状では、地方における公共事業は一時的に景気浮揚効果があっても、便益計算を事実上、無視している状態では地方の状態は改善しないだろう。

 安野・池田[2002]では「保守−リベラル」と「小さな政府−大きな政府」という対立軸は独立した論点であることが確認されている。「バラマキ」以外の「格差是正」を演出しない限り、自民党の長期低落に歯止めがかかることはないだろう。現状では今夏の参院選をにらんで「バラマキ」を求める声が党内でも強いようだが、再び、「バラマキ」に戻った場合、この10年程度で自民党は民主党と共存する可能性がなくなり、すべてを失うだろう。

(追記) 下線部を加筆・修正いたしました(2007年4月4日)。
この記事へのコメント
 ばら撒きによる「格差是正」は、「世界で最も成功した社会主義体制」を復活させることを意味しているのですけれども、反「小泉改革」の自称「真正保守」論者が、その「社会主義体制」を擁護しているのは、誠に滑稽な風景です。
Posted by 雪斎 at 2007年03月31日 21:45
>雪斎先生

参考にした論文が、政治学と社会学との教会のような論文でしたので、ちょっと話がそれますが、「バラマキ」についての私見です。

現在はどうかわからないのですが、公共事業の便益評価に間接効果を入れるべきかどうかについては議論が分かれていますが、私自身は、純粋に厚生評価のみにするべきだろうと思います。「バラマキ」の対象となる地域の住民の方たち自身が「不要だ」と感じるのはそれなりに理由があると思います。

この件は、「保守」とか「社会主義」とは無関係の問題です。
Posted by Hache at 2007年04月01日 18:31
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