2010年06月12日

なんだかあたふた

 自分でも「何屋さんだったけ?」と自問自答したくなるような状態です。頭の中で七つぐらいのお手玉をなんとか落とさないように回している状態です。まあ、年齢を考えると当然かなとも思うのですが、並列作業が苦手な私にはちょっと厳しい。ときどき頭の中を空っぽにするために、「寝言」を考えるわけですが、正直なところ、仕事よりもこちらの方が楽しくて深入りしそうになると、ぐっとブレーキを踏む感じでしょうか。週末はちょっとした楽しみでしたが、冷静になって無伴奏ソナタ&パルティータを全曲、通して聴くとなると、こちらの鑑賞能力以上に体力が問われますなあ。というわけで、不謹慎な話ですが、プライベートで体力を使いそうなので、今週は手を抜きながら温存しようとしたのですが、金曜日に痛恨のミスをして、結局、疲れ果てました。

 「寝言」関連(要は「悪い冗談」なわけですが)で、Robert D. Kaplanの"The Geography of Chinese Power"(Foreign Affairs, 89(3))を読んでいるのですが、27頁の図を見て噴きました。"Countries that will resist Chinese influence"で網かけになっている国で、インドはともかく、日本が網かけになっているのが笑えます。もちろん、笑うところではないのですが、「眠れる獅子」と恐れられていた清が日清戦争の一撃で「死せる豚」という実態が列強にばれてしまったのと逆のことが起きそうなんじゃないのかなという非国民ですので。なにせ、ブーメラン政党が与党でブーメランのド本命の方がトップ。野党なら笑ってすみますが、与党となりますと、被害甚大。しみじみ、日米安保のお陰で長生きしてきましたが、それも終了の可能性が大かなと。そんなわけで、現政権下の国で生きるというのは日々、"dead or alive"の状態に直面しているのですが、漫画代や下着代(キャミはさすがに大臣の言い訳を信じたいのですが)がほにゃらららで批判している人たちもよほど平和なのでしょう。とにかく嘘でも澄ましてKaplanの地図から網かけが外れないようにしないと。「お前はもう死んでいる」と言われたら、終わりですからね。

 ふと気がつけば日本語版があるのですが、なぜか英語版をコピーしてしまう自分がバカだなあと。こういう分析というべきか常識的な論考が日本ではまずお目にかかれない(例外はこちらですが、やはり少数派だと思います)のが、ちょっと不思議です。日本人は他の国の人と比較しても歴史好きではないかと思うのですが、なぜか「帝国」というのは古代からの連続性で捉えられることがなく、19世紀以降は別の文脈になってしまいます。まあ、この件は別の機会(ずっと先になるのかもしれませんが)に「寝言」を唱えるとして、空理空論を唱えてきた人たちが曲がりなりにも権力の座につけるというのは、「反戦平和思想」の影響ととるのが普通でしょうが、やはり日米安保は成功しすぎたのだという「寝言」が浮かびます。アメリカによって、ほとんど100%の安全を保障されている状態では、よほどの阿呆ではない限り(一匹は駆除したのですが、もっとすごいのが後を襲ったのが現状なわけで(以下略))、対米関係を壊さない限り、やはり安全なわけでして、アメリカの覇権が万全だった20世紀後半は平和だったなあと。これが軍事的なパリティを達成しそうな国が現れると、かなり高い確率で頓死するでしょう。毎回、試験で零点をとる子が、ある日、突然、満点を出すのはご無体な話でありまして、今の政権が続く限り、"dead or alive"の状態が続くのでしょう。政権の枠組みが代わったところで、中国の過大評価を改めようというのは、他面で、アメリカの台所事情が苦しいことも背景にあるわけですから、そのあたりは素直に歓迎できない問題でもあります。

 Kaplanの中国帝国論は、非常に簡明で、拡張の動機が天然資源のアクセスなど、人間の欲にもとづいているという点で典型的な帝国なのだということが明確です。これは、裏を返せば、アメリカという「帝国」が歴史的にも異端児であることを示しているのでしょう。異質な使命感に燃えた帝国の庇護の下にある島国はあまりにも自国の運命に無関心すぎる気がします。アメリカの「ナイーブさ」と中国のナイーブさは質的に異なるのでしょう。また、使命感に燃えたアメリカという異端の「帝国」が世界史でも稀な開放的な秩序を築いたということも日本人は忘れがちです。米中という共通項が多いように語られてきた秩序形成者と挑戦者は根本の部分で異質性が強いことも留意が必要なのでしょう。


 それにしても、さすがは中国。Zoelickの甘い対中見通しにもとづいた"G-2"論には日本人の間では評判が悪かったのですが、中国は自国の利害計算(アメリカ外交の不確実性という面も考慮しているのでしょう)から乗りませんでした。"G-2"論は、米中融合ともいえますが、現状からいけば、アメリカ中心の秩序に中国を包摂しようというわけで、虫がいい点もあるのですが、秩序の、開放的な性格へ「アウタルキー」を取り込むような無理もありました。「帝国としての中国」を考える際に、中国には古典的な帝国に共通する「アウタルキー」の性格が強いことにも留意が必要なのでしょう。あまり自国を貶めることを書くべきではないのでしょうが、日本の場合、開放的な性格でありながら、アウタルキーを目指すこともあるなど、支離滅裂な状態に陥り(中途半端な国には珍しくないことですが)、自滅することもありうるのでしょう。

 「帝国としての中国」とどのように向き合ってゆくのかという点に入る前に、中国の現状を粗いながらも観察することが「ある敗戦国の幸福な衰退史」の次の課題じゃなかった「寝言」になりそうです。しかし、明日の楽しみでもあり、聴き手としての力量を問われる話がありますので、気が向いたら「寝言」を呟く状態が続きそうです。
posted by Hache at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言
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