2010年06月18日

愚者の断章

 嘘は怒りを招く。真実ではないことを吹聴することが怒りを呼び起こすこと自体は恐れることではない。本当に恐ろしいのは、怒れる者が限度を忘れてしまうことである。真の災厄は、真実を見る目が曇ることである。


 どうも理解できないのは利己愛と利他的な愛を区別する現代人の病だ。わけがわからない世の中を生きるなら愛するしかないだろうに。


 「神秘的なのは世界がいかにあるかではなく、世界があるということなのである」とウィトゲンシュタインは呟いた。「寝言」としては最上の部類だ。気が利かないのは、後者の問いに前者の問いへの答えで代替しようとする人たちだ。もっとも、退屈しのぎには有益であることは否定できないが。


 愚か者はなぜか他者に自分が利巧だと映りたいと願う。それは自分の真の姿を隠したいからではなく、知恵など吹けば飛ぶようなものだという空しさを知らないからでしかない。


 真に賢い者は沈黙する。彼に力があるのは、知恵の空しさを知っているからではなく、絶句するしかほかない世界を見てしまったからである。絶句した後、沈黙するのか、それでも呟き続けるのかは気分の問題ではある。


 ちなみに「寝言」を書いている者は絶句する世界を見たことがない。まあ、そこまで突き詰めなくても、そこから先がない話というのもあることは薄々、気が付くし、そこまで思いつめるためには力量が必要なこともわかる。明白なのは、そこまでの力量がないことであり、下手の考え休むに似たるということを経験しすぎているからでしかない。

 人間の考えと行為で最も難しく、上等なことの一つは忘れるということかもしれない。「神秘的なのは世界がいかにあるかではなく、世界があるということなのである」ことでさえ忘れてしまえば、どうということはない。他方で、現代の文明は人間と自然に関する膨大なメモリーで成り立っている以上、忘却することは自己否定につながる。忘却が許されない環境というのは生きるということ、より根源的なあるということを難しくする。いかにあるということが難しくなるのではないことを理解できないのは不幸なことではある。
posted by Hache at 02:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言
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