2010年09月10日

「老いの坂」を迎える日本社会

 どこぞの島国のどこぞの政党の代表選を排泄物がらみでたとえていたら、自分がお腹を下してしまいました。どうも、火曜に食べたカツオの叩きかちょっと遅い時間に食べた梨か、どちらかにあたったようで、水曜日は朝から風邪のような状態でしたが、途中から便所から出られない状態になりました。あまりブログで書くことではないのでしょうが、ノロウィルスにやられたと思しきときにも、その自覚がなく、一日で収まってしまったので、消化器系統は異常に丈夫なのかもしれません。便秘を経験したのは、1か月も入院したときぐらいですが、便秘があれほど苦痛とは。下痢なんぞ、流してしまえばどうということはないのですが、便秘のときには死にそうなほどのたうちまわって、とても書けないようなことまで試した上で、あまりの苦痛に睡眠導入剤を通常の倍(危険な行為ではありますが)ほど服用して、12時間ほど眠った後で、1時間かけてゆっくり排泄しました。たぶんですが、入院中は歩けない状態でしたので運動不足もいいところで、退院後、ようやく解放されたという感覚が強く、いろいろ歩きましたので、腸が刺激されたらしく、正常に戻る過程で苦しんだのでしょう(阿比留瑠比さんのエントリーを読みながら、「誰かが『下痢と便秘のどちらがいいかという選択だ』と言っていましたが」とあって民主党代表選を見ていて似たような感想をもつ人がいるのだなあとまったくのマイノリティでもないのかなとホッとしました。どうでもよいのですが、「イザ!」界隈では某巨大掲示板経由で今泉画伯の絵に一発で惚れてしまい、しっかりリーダーで読み込んでいます(「ひ、ひいい!」がお気に入り)。「時の最果て」の住人ですのでコメントなどはせず、日の当たるブログを日陰から見ている感じですが)。

 それはともかく、下痢に苦しみながら、たまにPCを付ける状態でしたが、目を剥いたのは、『産経』が配信した「民主党に政権担当能力なし 東大・御厨貴教授講演」という記事でしょうか。ほお、さすがに御厨先生でもこのざまを見れば、1年もかかったとはいえ、民主党に政権担当能力がないということぐらいは理解できるのかとちょっとは安心しましたが、記事の中に「4、5年はかかるが、明治維新や戦後改革など過去の政治的歴史を対照して大きな改革をしてもらいたい」とあって心が折れました。「歴史に学ぶ」というのは無理なのでは。あるいは、プロにしかわからないから黙れと言われれば、なにも申し上げることはないのですが。まあ、政権交代後のドタバタを明治維新に喩えられるとげんなりするのですが、現代的には明治維新も内ゲバの嵐であったと言われれば、まあそんなものかなあと。ただ、明治維新というのは、西欧流に表現すれば、市民革命であったのに対し、今回の政権交代自体は国家体制を転覆することが目的だったのあろうかと。結局は、小泉氏が確立した官邸主導の政治的リーダーシップをその後の自民党の後継者が引き継ぐことはできず、国民の多数に見放され、民主党政権に変わってさらに迷走を重ねているだけにしか見えないのですが。というよりも、民主党政権は統治機構そのものを破壊しているようにしか私の目には映らないです。簡単に言えば、統治機構の麻痺状態ということでして、御厨説によると、麻痺状態は4、5年は続くということでしょうか。日本国の存続にかかわりそうですな。

 そういえば、珍しく民主党のコア支持層と話す機会があって、地元の後援会の有力者だそうですが、議員さんは政務三役の一角を占めている方ですが、本当に情けないとのこと。菅か小沢かで迷っているので、菅は参院選を無にして許せないが、小沢ではお前の次はないと思えと叱り飛ばしたそうで。あくまで一地方の話ですので、まあ、代表選がどうなるかはさっぱりわかりませんが、「う○ち」(ジュニアサイズ)が「う○こ」(シニアサイズ)か「○んこ」(特大)を選ぶという状態のようですなあ。大変だなと思うのは自民党の地方組織で、よほどカネがないのか、人が集まらないのか、この手の噂すら耳にしなくなりました(あの人事は微妙だなあ。閣僚を配置する必要がないのですから、メディアではスルーされても、石破さんなみに安定感と能力のある人材がよかったような。あ、石原さんや小池さんへのあてつけではありません)。クルーグマン先生の日本観察は雑な面もありますが、一人当たりGDPが米国に比して低下している現象を人口という要因でかなりの部分が説明できるというのは、まあ、そうだろうなと。「寝言」として浮かぶ感想は、社会全体が「老いの坂」を迎えるときに、政治的混乱が生じるというのは、宿命論的な見方かもしれませんが、ある程度までやむをえないのかもしれないということでしょうか。


 こういう状態を直視して、上手に老けるのは本当に難しい。ついつい年をとったことを忘れて力んだり、まだまだ若い者には負けぬとやはり力む。ふと、気がつけば、生きているというだけで幸運かもしれないということを忘れがちになる。同じ日本人でも、有形・無形の資産は、世代間だけではなく、世代内でも格差があるのでしょうが、日本国として活用できる資産は、明治維新後(実際には維新後には生活水準は低下した)や占領期後とは異なり、大幅に増加する確率は極めて低いでしょう。もてる資産を有効に活用する知恵が必要なのでしょうが、できもしない「政治主導」や御厨氏に象徴される大言壮語がまかり通るようでは、知恵をもつ者が現れる気分にすらなりません。

 まあ、長い歴史を見れば、一時的に経済的繁栄を謳歌したり、軍事的に成功を収めた民族が、次の世紀では没落するというのは別に珍しいことでも何でもなく、たいした話ではないのでしょう。とりわけ凡庸な日本人にお勧めするとしたら、「改革」などと力まず、生活水準と国際的な地位の低下という避けがたい事態を甘受し、既に所有している資産を上手に切り売りする才覚もないのでしょうから、なんとか安値で買いたたかれないように用心することぐらいでしょうか。せめて海外の動向ぐらいは目を配っておいた方がよいと思いますが、それすらも今の日本に求めるのは難しいと感じます。
posted by Hache at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言
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