2007年05月23日

とりとめのない「歴史談義」

 政府レベルの「日中友好」のおかげか、民放が「呪縛」から解放されたように、中国の「ヤバイ話」を報道しているようです。佐藤空将のブログに書いていることあたりが、リアルタイムで耳に入ってくるので、「八・一五」の呪縛が解けたのだなあと思います。周囲で「反中厨」が増えているのですが、「へえ」でスルー。海外で親日家ばかり会っていますし、国内では親日的な中国人、韓国人ばかり相手にしているので、「反中」、「反韓」というのはついてゆけない部分があります。もちろん、国と国との関係は別で、こちらは厳しいことも当然書きますし、本人を目の前にしていうこともあります。それで去る程度なら、その程度の関係と割り切ってつきあわないと、彼らとつきあうのは難しいです。

 そうはいっても、政治ぬきで語り合うのは楽しいもので、10年ぐらい前でしょうか、四川省出身の女子留学生の家にみんなでお呼ばれして鍋をつついたときは、楽しかったです。「気分しだいの『らんま1/2』」カテゴリーがなぜか三国志ネタで盛り上がっておりますが、「四川省なら諸葛孔明でしょ?」とばかりに話をしたら、「孔明を日本の人が知っているんですか?」ととても嬉しそうにしていたので、こちらがびっくりしてしまいました。「出師の表」の冒頭部分をそらで読み上げると、今度は彼女が目が点になって、「どこで読んだんですか?」と尋ねられて、小説や正史の日本語訳を教えてあげると、びっくりしていた様子でした。中国といっても、滅茶苦茶広いので一括りにするのは無理がありますが、やはり三国志の時代は『演義』が主流になっているようで、正史を日本人が知っていること自体が驚きだったようです。さすがに「董卓プレイ」(別名「鬼○プレイ」の話はしませんが。

 私が困ったのが、関西の方に名古屋出身だということを言った途端に「なぜ、織田信長や豊臣秀吉は名古屋を首都にしなかったんだ?」と聞かれて今度はこちらが目が点に。まともに当時は京都が政治・文化の中心で、堺は商業都市じゃないですかとついつい「ネタにマジレス」をしたら、そういう問題じゃないとのこと。司馬遼太郎さんの影響のおかげで当時の尾張が先進的だったというイメージが過度に広がっている印象がありました。ただ、信長が本能寺でやられなかったら、統治の中心をどこにおいたのかを想像するのは、楽しいことに気がつきました。いずれにせよ、清洲や岐阜はないとは思うのですが。

 一番、閉口したのは学生時代に韓国人留学生に「日本が近代化に成功して李氏朝鮮は失敗したのはなぜでしょう?」という問い。これは話が大きすぎるなあと思いつつ、苦し紛れに江戸時代の幕藩体制下の武士と両班の違いと李氏朝鮮がいったんは「攘夷」に成功したのに対し、幕府は開港を強制されたことなどを挙げると、考え込んでいました。今でも、この問いに答える力はないのですが、旧支配層に柔軟性がないと体制移行がそもそも進まないですし、進んだとしても混乱して急進化しやすいことがひとつ。西洋文明の受容は、東洋思想で凝り固まっているところでは難しく、日本の場合、黒船のおかげで、開港を余儀なくされ、そのことが政治的な反発や物価騰貴など経済的混乱を招いた側面もありますが、西洋文明の強力さを知ってその先進性に学ぶ人たちを生むきっかけになった側面もあるのだろうと。もちろん、素人的な話で本気でそれで説明がつくとは思わないのですし、暇を見つけてはいろんな角度で考えてみたい問題です。

 最近は、昔よりも中国や韓国の留学生と接する機会が以前よりも少なくなったので、古臭い感覚でしょうが、彼らは日本が好きで留学しているのですが、当然のごとく、そのほとんどが同時に愛国者でした。塩野七生さんは、海外で日本の悪口を言う日本人の「識者」に嫌悪感を書いていたことがありますが、私が接した中国人や韓国人はまったく対照的でした。とくに、中国人のナショナリズム(ただし、からなずしも排外主義的ではない)はやはり日本人の比ではない。ただし、共産党の一党独裁には天安門事件後は表立って批判する人は皆無といってよい状態になりましたが。中国人が中国を愛することは当然であって、それ自体は批判するのは筋違いというもの。また、「民主化」に過度に幻想をもつのは危険だと思います。ヨーロッパや日本を見れば、失敗を経ない限り、排外主義的なナショナリズムと民主主義はかならずしも共存不可能ではないように見えます。もちろん、中国は私が考えているより進歩しているのかもしれません。しかし、中国が経済的に成長し、その果実を軍事に注いでいる現状を考えると、ナショナリズムがもつ排外主義的な傾向を抑止すると同時に緩和する用心深い対応が不可欠だと思います。中国の「後進性」を嘲笑するのはたやすいことですが、肝心なことは中国のナショナリズムを日米が緩和し、排外主義的な側面が前面にでないよう誘導し、抑制し、最悪の場合には抵抗する手段を確保する細心の注意と具体的な措置を講じることをおさおさ怠りなく実行することだと考えます。
posted by Hache at 02:10| Comment(4) | TrackBack(0) | まじめな?寝言
この記事へのコメント
ども、すっかりエントリの更新が止まっているカワセミです。
書きたいことはいろいろあるのですがいつも数行で終わりそう。

>小説や正史の日本語訳を教えてあげると

中国の歴史なんですが、日本人は特定時代の特定の人物に興味を示すことが多いですね。群像ものである程度の期間話が継続するようなものを好む。この観点では日本の中世あたりの話をするのと感覚的に区別がないでしょう。その一方で人物が出てきてはすぐ退場するタイプの封神演義や水滸伝などは日本人の感覚からすると違和感があるのか人気があまり盛り上がりません。単純に日本人の感覚に近いものだけ取り上げているようにも思いますね。中国人の岳飛への思い入れとかはこれまた日本人は理解し辛いでしょうし。

>信長が本能寺でやられなかったら、統治の中心をどこにおいたのかを想像するのは、楽しいことに気がつきました。

安土城の選択は興味深いですね。それが畿内周辺ローカルの交通の要衝としてテストケースとするなら、最終的には大阪かなと思いますが。

>日本が近代化に成功して李氏朝鮮は失敗したのはなぜでしょう

単純に、その時近代化していた欧州諸国との政治文化の距離が日本のほうが近かったからではないでしょうか。まぁ、実際そう答えるのは遠慮するにしても、社会の発展段階というのは普遍性があると思っているので。ま、大雑把すぎますけどね。

>海外で日本の悪口を言う日本人の「識者」に嫌悪感

西欧的リベラリズムの極端な例として、欧州諸国あたりでも見られる風景です。日本の場合はジャーナリズムへの悪影響が強すぎるように見える関係上(実際は国民一般との解離の度合いが高すぎるので実害は少ないかもしれませんが)目立ちますけど、先進国の知識人階級には良くあるのではないでしょうか。フランスなんかメチャクチャのように思いますけど。それでも主流派は手堅く利益を確保しているあたり似てますね。米国あたりは表面を取り繕って金儲けはしっかりしてることにかけての世界二大巨頭みたいな言い方をしますけどね(苦笑)

中国のナショナリズムは、どう転んでも一時的には仕方ないでしょうね。その間抑止をしっかりするしかないでしょう。問題はその時間が百年以上になるかも知れないことですが。
Posted by カワセミ at 2007年05月24日 00:59
>カワセミ様

恥ずかしながら、『水滸伝』は読んだことはなく、『紅楼夢』は中学生時代に読んだ記憶があります。このあたりは、小説へ分類されるので、好みの問題が大きいのかなと思ったりもします。私みたいな素人にはカワセミさんの評も当たると思いますが、日中のプロの歴史学者の好みの違いなどがわかるとおもしろいかなと。

信長の「最後の拠点」が大坂というのは私も思ったことがあります。ただ、偶然とはいえ、家康が最終的に幕府を開き、江戸を本拠地としたのは、その後の近代化のプロセスに結果的にですが、相当、プラスになったと思います。近畿圏の方には怒られそうですが、大坂が首都となっていたら、江戸時代にあれほど全国的に開発が進んだのだろうかと思います。司馬遼太郎さんの小説では、家康の評価がずいぶん低いのですが、商業中心の経済が繁栄するのには農業の生産性が全国的に高まることも大切で、これは確かめていないのですが、当時、最も人口が多かった地域は現在の新潟県であるという資料もあるそうです(江戸より多かったのかまでは原資料をみたことがないのでわからないのですが)。

「社会の発展段階の普遍性」に関しては、私自身は、だんだん自信がなくなってきたというのが正直なところです。「時の最果て」では、とりあえず、フランス革命後に限定して、初期民主主義の失敗について論じようとしているのですが、なかなか作業が進まず、恥じ入るばかりです。

まあ、知識人というのは「リベラル」あるいは「進歩的」な方が多いというのは、ある程度までしかたがないのかなと。「実害」という点では、海外の日本人「識者」よりも、超ドメの方々の方が大きい気がします。ただ、知識人とみなされている方たちとそうじゃない方たちとの「乖離」が甚だしくなると、「マーケット」自体が縮小して大変だろうなあと他人事なので無責任に見ております。

中国の「ナショナリズム」の高揚への対応に関しては、戦前も英米は対応に失敗してワシントン体制が崩壊したので(日本にとってはダメージが大きかったのですが、英米にとっては致命的だとは映っていないでしょう)、たぶん、もう一回、失敗するだろうと醒めた目で見ています。もちろん、そうならないことを願っておりますが。もし、外見上、「フォルス・マジュール」と第三国に映る形で台湾併合が実現すれば、仮に日米同盟がより双務的になっていても、危機に瀕する可能性もあるでしょう。その場合ですら、日米同盟が中国のナショナリズム、あるいはユーラシアにおける独裁者の出現を阻むキーストーンとなるよう、どのような手立てが最低限必要なのか。深読み、筋違いそのもののような気がしますが、「寝言」が浮かぶようなボーっとした頭でそんなことを考えたりします。

Posted by Hache at 2007年05月25日 00:30
Hache様、こんばんは。
信長は延々と石山本願寺と泥仕合をやってましたね。寺を立ち退かせて城を作るつもりだったようで(ただの宗教弾圧であるだけかも知れませんけど)、秀吉の大阪城は信長の受け売りでしょう。最後の根拠地は大阪と言うのは間違いないと思います。
司馬さんの家康への評価が妙に低いですけど、「家康は商売が分かってない」点を気にしてるようです。
家康がどこを首都に選んでも農業生産は向上したんじゃないかな、と言う気がするんですが、どうなんでしょう。安定政権を作ることが出来たからこそ、諸藩競って新田開発が出来たのだと思うのです。
Posted by やすゆき at 2007年05月29日 22:02
>やすゆき様

やすゆきさんも「大坂派」ですか。政治・軍事・経済を総合的に判断する信長のタイプからゆくと、明確な根拠は示せないのですが、大坂が本拠というのは有力だと思います。石山攻めに関しては、一向宗との対決が主で、その段階で大坂を本拠にするところまで考えていたのかは、示唆する文献を知らないので、ちょっと自信がないのですが。安土城に関することを調べて見たいのですが、本能寺の後、焼けてしまったので、案外、安土のままだったかもしれないという空想もしてしまいます。

たしかに司馬さんの徳川家康の評価は低いと思います。『覇王の家』あたりでは、日本の「後進性」を江戸幕府の誕生というよりも、三河的気質にまで求めている印象があります。あれは三河をあまりに過小評価していると思いますね。ただ、司馬さんの作品の面白いところは、ネガティブな先入観をもちながらも、築山御前など陰惨なエピソードの信憑性などはともかく、意に反して家康の美徳が浮かび上がっているところでしょうか。

それにしても、江戸時代の再評価がどんどん進んでいるのに勉強不足で恥ずかしいです。そんなわけで、説得力がないのですが、安定政権をつくった家康の功績を評価するやすゆきさんの意見にはほぼ同意です。首都がどこであっても、発展したというのは、なるほどと思うのですが、もう少し考えて見たいので「宿題」というところでしょうか。
Posted by Hache at 2007年05月31日 01:07
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