2011年01月05日

ひどい新年

謹んで新年のお慶びを申し上げます

旧年中は御厚情を賜り厚く御礼申し上げます

本年も御指導、御鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます

 

 ある程度は予想はしていたものの、大晦日から始まって今日まで地獄です。年を重ねるごとに新年の感覚が希薄になっておりますが、今年は新年早々、ヨレヨレです。なにかあったときに困りますので、自作機が仕事用のメインなのですが、デルのC521という安物スリムPCに、今は亡きダイナブックのCシリーズが予備にあるのですが、ネットに接続できない環境に逃げ込んで、「俺、知らん」と言いたくなることもございます。年々、感じることでございますが、若い世代で将来が希望がもてそうな人とたぶんダメだろうなという人の差が拡大している印象でしょうか。今の仕事を始めてから10年近くなりますが、世代間の格差も無視できないのでしょうが、世代内の格差はもっと広がりそうなのが1980年代後半生まれの方ではないかと職業的には感じております。

 この問題を、せめて身近なところで緩和しなくてはと思うのですが、無情にも、世間様は正月モードでして、新年会やらキャンセルしようか迷うところですが、長いお付き合いですので、なにか「二心」があるかのように勘ぐられても困りますので、参加いたしますと、ある世代から上は御夫婦でお子さんがいらっしゃって、なかなかよい光景です。まったり世間話をしていたら、老先生にからまれまして、参りました。なぜ、お前は嫁がいないのかと。まずいなあという感じ。たいていは、モテませんからの一言で片が付くのですが、こちらはそれでは済まず、参りましたです。要するに、ワシも長くないかもしれないから、お前が落ち着いて一仕事をするのを見たいのじゃという誠意からおっしゃっているので、参ったなあと。困ったときの決め手の一つである、パスカルだったか、モンテーニュだったか、大学生のときに適当に読み散らかした書籍にあった「籠の外にいる鳥は中に入りたがり、籠の中にいる鳥は外に出たがる」という一句をさらっと(ムダな抵抗とは知りつつ)申し上げると、「それはそれで真実の一面だが、外にいる鳥は中に入りたがるのが普通なのだ。外に出たくなったら、出ればよい」と言われて、あっさり轟沈。来年までに嫁を連れてくることが「ミッション」になってしまい、参りましたとさ。職場で使う、「ホモかつイ○ポ」作戦も大失敗でして、往生しました(職場でも信じている人はいないらしい。私のインチキ力も加齢とともに落ちたものだなあと)。猫じゃあるまいし、そんな簡単に拾ってくるこれるはずもなく、25のときにこちらから別れて、それ以来、「結婚」の二文字は考えたくもないということを話すのも疲れますし、ぐったりしました。

 しっかし、世代が違うとはいえ、教師連中というのはたちが悪くて、「今のアラフォーは独身が多くて、彼らが日本経済に貢献するのは、働くこと以上に結婚することだと思うのですが」なんて、人の感情を踏みにじるようなひどいことを平然と年賀状に書かれるのだろうかと。やはり日教組は敵ですな。というのは「寝言」としてはちと不満なのですが、この数か月ぐらいで、身を固めろというプレッシャーが陰に陽にかかっていて、私の戸籍「童貞」をそんなに汚したいのですかという悲鳴があがります。いっそ、女性には興味があるのですが、肝心のことをどのようにいたしたらよいのかわかりませんので教えていただけないでしょうかと開き直ってみようかなと……。

 それにしても、100人も見合いして女性観が歪んでしまった男性とか、ある意味、武勇伝を聞けたのは「収穫」なんでしょうかね。既婚女性がほぼ意見が一致していたのは、「私はこだわりがありません」とか「私はえり好みをしません」という男性ほど、こだわりとえり好みがはがしいという指摘はなるほどでした。サンデル教授ではありませんが、非常にいい指摘だ(「名前は?」と尋ねたいところですが、既知の人ばかり)。「私はこだわりがありません」と言う男性は、それまでのコミュニティの被歴史性に負う自己の存在に無自覚なので、いざ異なる被歴史性に負う女性という「異物」に接すると、そこで交流する基盤をつくることに無自覚なのである。ま、酔っ払っていたとはいえ、「好みはどんなタイプなの?」と尋ねられて、「美智子さま」と正直に答えたら、相手がしらふになるぐらい酔いがさめてしまったのは大失敗でした。現皇太子ご成婚の際には、母上が美智子さま派で私が雅子さま派でしたが、やはり年齢を重ねるごとに内面の美しさを感じると、転向しました。皇室に入りたいわけではありませんので、念のため。

 ちなみに"Konkatsu, what's?"でしたが、結婚活動の略だと教えてもらいました。うーむ、数少ない先例ですが、はずみとか「気分」を重視する人間からすると、欲しがるほど失敗するような。こればかりは運ですな。過去の失敗例からすると、「玉砕覚悟のダメもとでアタック」→「あっさりOKであれれ?」という展開が多く、というか、最初の段階でダメという経験は皆無。そこから、経緯は無数にわかれていきますが、なにか必然性というのを感じないですね。重要なのはタイミングと思い込み。『めぞん一刻』を読んだのが、確か『らんま1/2』を読んだ後だったので、30になるかならないかなので、それよりも前なのですが、あの漫画のおかげで本当のことが言いづらくなりました。まあ、口に出すことではないですしね。ある段階を超えると、もし、先に亡くなったらどうしようと。籍も入れていないのに、バカじゃないのと言われても仕方ないのですが、祖母が亡くなった後、祖父がまるで生甲斐を失ったようにボケていくのを目の当たりにしたので、祖父の内心はわかりませんが、先立たれる辛さは男女の別がないとはいえ、男の方が打たれ弱いだろうと。離婚率が上昇し、終身雇用も失われるご時世で古臭いのかもしれませんが、いくら合理的に物事を割り切ることに平然としている私でも、この辛さにはたえられそうにない。まあ、ヘーゲルがカントを皮肉ったように、泳ぐ前に水練するようなものだと言われれば、あえて反論する気はないのですが、たった2年でも切るのがつらくなるのですから、何十年もかけて共有して先立たれたら、仕事は残っても、生きていけるのだろうかと。サンデル先生は同性婚の問題で自分の見解を伏せていましたが、私自身は同性愛の傾向が皆無なので、離婚ならば怖くないのですが(うんざりはしそうだなと思いますがね)、先立たれたときに耐えられるほど、自分が強くはないということはさすがに自覚があります。

 そんなわけで、パヤたんのスターリングラードの戦いや焼印を押されるシーンがフラッシュバックする並みに結婚に関してはPTSDがひどいのに、新年から古傷を思い出させるように塩を塗り込まれましたとさ。まあ、しかし、酔いもさめると、確かに2004年に血栓性静脈炎をしてから、やや自暴自棄の傾向があったなあと。2008年に再発して、いつくたばってもいいだろうという感覚に拍車がかかりましたし。不思議なもので、昨年は徹底的に歯から各種臓器までチェックを入れて、残り少ないかもしれないけれども、前向きになったような気もします。まったくもって恥ずかしいのですが、若い人と話をしていて今年が本厄だからなあと言っていたら、ええと今41歳ですよね、昨年が本厄で今年は後厄ですよと言われて、そうなのかなと思ったら、本当でしたね。先のことは考えずに、とりあえず欲求が満たせればということが少なくありませんでしたが、今年は自暴自棄の傾向を抑制してみようかと。あまり関係がないのかもしれませんが、25歳で人生で唯一、私自身から関係を切ると言ってから、20代後半で急激に睡眠が浅くなり、どこかで苦しんでいたのかなあと。17年前のことがいまだにフラッシュバックするというのは自分でも信じがたいのですが、もう思い出にしなくては。もっとも、具体的にあてがあるわけではなく、こればかりは縁でしょうかね。

 あまり言えないのですが、女らんまじゃないのですが、男女同伴じゃないと浮く場合が増えてきて、活動が縮小しています。まあ、もてないので諦めていますが、今年はもう少しだけ積極的になってもいいのかなと。ふられる方はひきずらないことは経験済みですからねえ。他方、新年になっても、経済・外交・安全保障は要警戒でしょうか。こちらは、仕事と同じく、まったく変わらないというのが率直な実感です。


 今年の正月で助かったのは、マイケル・サンデルの講義をNHK教育で流してくれていて、通して聴けたことでしょうか。ネットで絶賛中の時には、ハーバードという名前でミーハーが騒いでるんだろうぐらいの感覚でしたが、ああ、ソクラテスメソッドはやはり生き残っているのねと引き込まれました。けっして日本の哲学者の悪口ではないのですが、大学で哲学といえば、カントの専門家(伝記作家じゃあるまいし、これ自体が私には理解不能ですが)の書いた無味乾燥なテキストを読んで覚えるという哲学史で途中で講義を投げてしまいました。講義が邪魔くさいので自分で『純粋理性批判』やらなんやらを読んで、試験直前に板書コピーをもらって、適当にこんなもんだろうと答案を書いたら、余裕の「優」。哲学など、原書は無理にしても訳書を読んだ方が話が早いところで、政治哲学の講義ねえ。わけのわからないものをありがたがる日本知識人層のレベルを考えれば、流行り廃りだろうと思いましたが、これはよい意味でびっくりしました。単に、みんながありがたがっているものは読まないというひねくれた性格のせいでサンデル先生の著書も読んだことがなかったのですが、講義はおもしろいものの、功利主義批判やカント、ロールズの話までは、さすがにハーバードの学生は賢いのおとは思うものの、内容自体は教科書的な部分が多くて、やや退屈でしたが、ロールズ批判の視点はなるほどという感じ。

 しかし、コミュニタリアニズムに至るプロセスでアリストテレスが出てくるあたりは臭いますねえ。私の感覚ではアメリカの伝統的価値にプラトンを持ち込むにはそこまで成熟していないのでしょう。講義の最後で弁証法を説明する際にやっとプラトンに触れていますが、ごく一般的な解説。ただ、この一般的な解説でさえ、ネットで議論する際に、痛い「ポストモダン」の人たちに「似非科学批判」の人たちが論点とはあまり関係のないソーカル事件までもってきて批判するのを見ると、アメリカの高等教育を受けた人たちを、日本のそれを受けた人たちが上回ることはないだろうなと(日本でディベートなんてどだい無理な話。ネットで傍観者の立場で見ていて分がある方が相手を「殲滅」しないと気が済まないらしい)。もっとも、アリストテレスを持ち込むだけで、やり方次第ではアメリカではスキャンダラスになりかねない気もしましたが。ケーブルテレビのリモコンで副音声の切り換え方法がわからず、わかったようなわからない日本語の吹き替えが続いたので、疲れましたが、全体を通しての印象は、個人主義をベースとした自由主義における正義論の限界を、それそのものを否定するのではなく、私たちがかくあるというところから価値中立の限界を包み込むように気が付かせるあたりはさすがだなあと(「事実」が「価値」が化ける「錬金術」はカント以来かな。ここまで来ると、プラトンまで連れてきて「産婆術」をより巧妙にした方がいっそ清々するような)。

 そうは言っても、サンデル先生は大したもので、哲学なんて人生を棒に振るようなものだよと警告するあたりは本物感がありました。ただ、気になるのは、功利主義すらまともに受容した経験のない日本の知的風土でコミュニタリアニズムを「輸入」するのは危険だろうなと。TPPあたりが「ホップ・ステップ・肉離れ」になりませんようにと冷笑的に見ているように、ベーシック・インカムだの思想の「輸入」ばかりせずに、たまには自分の肉体についている頭を使ったらいかがかしらんという「寝言」が浮かびますね。私は、来年の新年会に嫁を連れて来いという過酷なミッションを課されているので他人事ですが。
posted by Hache at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/42382899
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック