2011年02月18日

新しい時代のNHK

 過疎地ではありますが、どれぐらい鄙びているのだろうかと覗かれる方が、午前9時から午前10時ぐらいとお昼時に偏るようです。お食事中の方には申し訳ありませんが、先週から断続的にお腹を下しておりまして、厳しい状態ですが、木曜日は若干、回復しまして、多少の遠出も可能になりました。長時間の移動に手洗いがない電車での移動は非常に危険ですので、遠い方が助かることもあります。まったく畑違いですが、最近、放送の動向がわからないと本業に差し支えることがでてきているので、とある勉強会へ。初心者にもわかりやすく、NHKの事業展開についてプレゼンがあって、なるほど。名古屋市の財政問題を調べていたのですが、HPの市税減税の説明があまりに大雑把で投げ出しましたが、民主党亡き後、「地方の反乱」でさらに政治システムの麻痺が進みそうで、気にはなっているのですが、手が回らない状態です。日本放送協会の方のごく内輪の勉強会でのお話はど素人には非常に勉強になりましたので、自分用にメモです。なお、イニシャルでさえわかる人が見たら一発でわかるでしょうから、スピーカーの方については完全に黙秘させていただきます。

(1)メディアの変化とNHKの対応

●全体として、従来のメディアから通信と放送が融合していく過渡期。中途半端な時期であり、技術を含めて新しいメディアのあり方を予想するのは難しい。他方で、不確実な環境下で公共放送の新しいあり方を構想する時期でもある。パッケージ商品に関しては、CDやDVDなどからオンラインのデジタルコンテンツへの移行期であり、書籍等に関しては電子化への移行期であり、海外放送に関しては欧米圏から新興国への移行期である。

●IPTVの出現によって、テレビは放送事業者の独占ではなくなる。プラットフォームを提供するGoogleなどと競争しつつ、どのように連携を図るのかを構想している。また、キャリア(通信事業者)との連携も進めている。

→CATVが再送信だというのは初耳でした。冷静に考えれば、CATVを利用している段階でIPTVサービスを利用しているわけですが、利用していても、気がつかないことが多いのですね。IPTVの出現によって、タブレット型端末やスマートフォンが普及すれば、テレビ受像機など受像の形態が多様化し、放送事業者の独占ではなくなるという点はわかりやすいです。他方、固定電話が移動体電話に逆転されたほどの変化が生じるのかはやや疑問に思います。

 通信事業が足回りを抑えているのに比べると、放送事業者が近年の変化への対応に関して、かなり意識的になるのでしょう。どうでもいいのですが、NHKの経営委員会って経営の感覚がないという嘆きが言外に伝わってきたのは気のせいですか、そうですか。

(2)環境変化への対応を妨げる制約

●総務省との協議によってインターネットにおけるコンテンツの配信は放送済み番組のみで、インターネット向けの独自のコンテンツ制作はできないのが現状である。

●著作権団体との関係に関しては、コンテンツ配信に対してフィーをどのように配分するかなど、ビジネスモデルが存在しないため、整理が容易なコンテンツからインターネット配信やビデオオンデマンド(以下VOD)を行っているのが現状である。

→ここが素人にはわからないことだらけなのですが、放送事業による縛りというのは素人の想像以上に厳しいのかなと。他方、これは私の想像ですが、公共放送が受信条件が限られているコンテンツを製作するのはやはり問題なのかなあと。著作権はわけがわからなさすぎて、知財の人も敬遠するぐらいですから、縦割り行政の弊害というあたりで素人としては思考を止めたいところです。

(3)海外展開

●欧米からアジア重視の事業展開を行っている。上海のSMGには「東京カワイイ」を提供して、現地では高い人気をえている。また、『竜馬伝』は、台湾メディアから早い段階で配信したいというオファーがあり、韓国、(次は聞き間違えている可能性あり)タイなどでも放送される予定である。
●公共放送の使命として、アルジャジーラと提携して「こどもチャンネル」を、ボツワナでは教育チャンネルを配信している。

●(質疑応答にて)ポップな内容のコンテンツを配信する場合、杭州では現地で人気のあるアイドルとタイアップしないと、事業展開は失敗する。民放との提携やキャラクターを含めた総合的な取り組みが、アジアでの事業展開では不可欠である。

→アルジャジーラとの提携がかなり深いのが印象的でした。懇談会で伺った話では、英米圏のメディアは中東では配信できないことが多いそうです。例えば、イスラエルにおける従軍拒否などはNHKが取材してBBCに配信しているとのこと。NHK作成とあれば、イギリス国内でも放送しやすいそうです。

 『竜馬伝』に関しては、これを機に高知や長崎を訪れる台湾人や韓国人が増えているとのことで、海外展開と地域振興がリンクしている側面もあるそうです。これは、地味ではありますが、興味深いです。ソフトパワーとしてファッションやライフスタイルのみでは東京に集中してしまいますが、他地域のもっている魅力が海外に伝えるというのは地道に続けてほしいなあと思いました。

 ドラマ『おしん』は、私の聞き間違いかもしれませんが、アジアで当初ODAを活用して配信されていたのが、現在でも人気番組で既に商用ベースに乗っているとのことでした。不謹慎ですが、今の日本国内ではある年代から下には無理目の番組なので、途上国で視聴されるのはありがたい反面、痛し痒しの感もありますね。

(4)平和アーカイブスへの取り組み

●平和アーカイブスに関しては種々の批判があることは承知している。他方で、先の大戦で戦地に赴いた兵士や被爆者の高齢化が進んでおり、10年以上前から語り部がいなくなることに危機感をもって番組を制作している。海外では日本は平和国家というイメージをもたれている。今後も、そのイメージを強化するコンテンツを充実させていきたい。

→実は、平和アーカイブスをほとんど見ていないので、コメントが難しいのですが、この種の情報発信の賞味期限はあまり長くないのではとも思います。過去ログではあまり触れていないのですが、私自身はコミュニタリアンではないのですが、先の大戦への道徳的的責任そのものは私どもの世代も負うと考えております(政治的にどのように演出するのかは別の問題)。他方、韓国人がほとんどなのですが、なぜ日本だけはアフガニスタンでも給油活動で済んでいるのかとかと言われてしまうこともありました。長期的には平和維持活動やODAをはじめとする種々の海外支援など、地味であっても、戦後において実際にやってきたことを淡々と発信した方がよいのではと思います。一例として、「自由と繁栄の弧」を中国封じ込めとして描くよりも、華々しさには欠けるとはいえ、戦後、日本外交が積み重ねてきた努力を後付けとはいえ、戦略的な意味を与える政府の努力が前提ですが。

 ずいぶん畑違いの勉強会に参加しましたが、消化しきれていない部分も多いので、ノートを元に、懇談会の内容なども若干、混ぜてメモしておきました。3年ぶりぐらいにあるキャリア関係の研究所のSさんとお話しましたが、数年前は「ダークファイバー」なんて言っていたのが、これだけトラヒックが増える可能性が高くなると、有線・無線を問わず、インフラ投資にどのようにインセンティブを考えないと、まずいですねえなどと話していました。Sさんの謙遜ではキャリアなんて「土管屋」ですよとなるのですが、「土管」の整備とメンテナンスは意外と大切でして、昔のように、とにかく電話の普及率を上げる(昭和の時代には加入申請しても電話回線の敷設が数ヶ月遅れるというのが常態でしたから)とも異なる時代ですので、単に光ファイバーを全国に敷設するというのはばかげているだろうと。それにしても、15年前からVODの実験をアメリカではやっていて失敗していたのですが、実際に需要が生じる時代になるとはねえと。新端末の出現が大きいのは間違いないのですが、需要条件の変化はキャリアの人もわからないことが多いようです。

 場違いな感じでしたので、少数でしたが懇親会では片隅でおとなしくしていたら、こんな会話をしているうちに、あっという間に名刺がはけてしまってびっくり。下○をおして遠出した甲斐がありました。


 場が場だけに、ネットはノイズの海とかそちらの方の話で盛り上がることもありました。私めも「寝言@時の最果て」なるブログを書いておりますので、忸怩たるものがありますが、「なまもの」ではメディアに頼ることが多く、ネットがメディアを代替するということはないのではという点ではコンセンサスに近いでしょうか。ツィッターも、「ウヨサヨ」を斜め上から見ている人たちの言動も一週間で飽きて、リアルでの人間関係がないと役に立たない気がしました。他方で、テレビでさえ、業界全体として受信における独占(このあたりはまだ整理ができておりませんが)が成立しない時代では、とりわけ従来、紙媒体だったメディアは10年後には姿を変えている気もいたします。このあたりは公用語が英語ではないという点が日本のメディアにとっては、市場を狭くする可能性があるのでしょう。

 興味深いのはアラブ諸国との関係でして、欧米のメディアでは浸透できない部分をNHKが代替していることがあるというのはちょっとした驚きでした。ここでは書けない話も伺いましたが、宗教や文化、地理的な位置という点で日本は意外なソフトパワーを潜在的にはもっていると思いました。それをソフトパワーとして活用するのは政治的な知恵ですが……。目先もうんざりですが、その後も混乱が続きそうで、またまた、ちょっと残念な10年間になるのでしょうか。

 追記の追記ですが、欧米のメディアよりもかなり早い段階でムスリム同胞団の幹部へインタビューできたことに関して尋ねましたが、「申し訳ありませんが、アルジャジーラとの提携が関連しているのかはわかりません」とのこと。ここは深い意味はなく、自然に対応して頂いたので、私自身は深読みしていません。日本のメディアは中東情勢に弱いのではという根拠の薄い先入観をもっておりましたが、事実関係はかなり正確で、情勢そのものを把握するには日本のメディアでも十分なぐらいでした。日本外交の顔が見えないのはお約束なので、かえって安心しますけれども、ええ。
posted by Hache at 09:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 情報通信技術関連
この記事へのコメント
かつての湾岸戦争時に欧州におりましたが、最初の画像報道はNHK経由でした。総合的な情勢分析の質に関しては私などには判断がつきかねますが、現地取材に限って言えば(取材を可能にする金銭力も含めて)それなりのノウハウが継続しているのかもしれません。
植民地関係などをひきずらない極東「日本」という国が中東において醸し出す一種の抽象性、無色性のおかげでしょうか。しかしそうしたただの無色性を「ソフトパワー」へと転化するのは簡単ではありませんね、きっと。
Posted by neck64 at 2011年02月18日 19:55
neck64様

コメントを賜り、ありがとうございます。湾岸戦争時のエピソードは驚きました。アルジャジーラとの提携が意外でしたので、そちらに関心が引っ張られすぎたのかもしれません。情勢分析に関しては、私自身がメディア業界に疎いことが大きいのですが、わからないことが多いです。書ける範囲では視聴者向けに出す情報と取材している情報の質の差も大きい印象を受けました。

積極的に共感をえるという点ではご指摘の通り、ソフトパワーとしては弱い側面もあると思います。他方、近代化を果たして、戦争による挫折をへた後、経済的繁栄のみならず、社会的安定をえたプロセスというのはステレオタイプかもしれませんが、アメリカの生活様式とは異なった魅力がないだろうかと考えております。中東において、金融危機以前のアメリカほどのぎらついた強い印象がないので、やはり弱いとは思いますが、そのあたりが日本の身の丈に合っているのではと思ったりします。本当は、もっと高い志が必要なのでしょうが。

例によって散漫な話に終始してしまい、恐縮です。また、気軽にお越し頂ければ、幸いです。
Posted by Hache at 2011年02月19日 01:37
宇宙の成り立ち、古代文明の有様、外国の実情などを知る場合にも、我々は英語を使わなくてはならない。
外国人が我々日本人を理解する場合にも、英語を通して行われている。かな・漢字を通して理解されているわけではない。
だから、英語は、我々にとって単なる一外国語ではなく、とりわけ重要な国際語というにふさわしい情報交換の手段となっている。

英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっていれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしがなりたたない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境がととのはないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


Posted by noga at 2011年02月19日 16:51
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