2011年04月20日

カルロス・クライバーによるブラームスの交響曲第4番

 そろそろ「不謹慎な寝言」というカテゴリーが必要なのではと思うのですが、冷静に考えると、不謹慎ではない「寝言」というのが見当たらず、困ったものです。今週で一番、驚いたのニュースといえば、フィラデルフィア管弦楽団の破産だったとは、さすがにクラシック好きの人にも言えない話です。たぶんクラシック音楽を聴く時間が長かったピークの一つは10歳頃から17歳頃だったと思うのですが、安物なりにLPにアンプ、スピーカーを買ってもらったのが中学2年生ぐらい。それも、当時の私の小遣い(月千円也)ではLPレコードを買うのは無理でして、多くはラジオ(自作)でNHKのFMを聴いている状態でした。フィラデルフィアといえば、あまりに古い感覚なのでしょうが、やはりオーマンディ。レスピーギはいろいろな指揮者・オーケストラの演奏を聴きましたが、お気に入りでした。

 ネットでは散々の「団塊の世代」の人たちですが、リアルでは親を除くと、助けて頂くことが多く、クライバーの演奏をライブで聴いたという方から、バイエルン国立管弦楽団を指揮したモーツァルトの交響曲33番とブラームスの交響曲4番を録画したDVD(1996年)を渡して頂いて、これをライブで聴いたんだよと。だから、「耳が痛風にry」と言うのを見越してか、先に言われてしまいましたが。ちなみに、NHKのBSプレミアで流れていたそうで、名人戦以外もチェックしなくては。クライバーの演奏は、ベームにはない華がある印象があるのですが、木管の柔らかさも実に心地よいです。報道に接していると、精神的に参りそうなのですが、クライバーとバイエルンのモーツァルトのおかげでホッとしました。昔、グラモフォンに入っていたベームの最晩年の25番の異常なスローもよいのですが、全体として抑制が効いた演奏なのに対し、クライバーは自由だなあと。どちらが好みかと言われると、その日の気分しだいというわけでして、「時の最果て」の中の人はこんなものです。本音を言うと、このあたりを理屈で説明するというのは、胡散臭いと思っていると負け惜しみを書いておきます。

 気分的にはブラームスの4番は重たいのですが、実に20年ぶりぐらいに聴いたので、大雑把な構成すら忘れていたのですが、1回目はなにも考えずに聞き入ってしまいました。第4楽章のフルートが実に美しく、バッハの影が見え隠れする主題もすばらしいのですが、たまらない感じです。まるでバロック期には夢であった自由が実現した後の、自由を求める精神が生きているようで、私自身は、クライバーの演奏ですら、モーツァルトやバッハの方が耳になじむのですが、19世紀以降の西洋音楽の粋だなあなんて平凡な感想をもちながら、あまり考えずに楽しんでしまいした。最後のコーダは明らかに古典派ではないのですが、自由でありながら抑制が効いていて、静かな感動がありました。

 最近は、クラシックすら聴かない日が多いのですが、いつもの癖で最初は目を閉じて聴いていて、本当にいいものを聴いたなあと。2回目は動画を見ながらクライバーの指揮に見とれてしまいました。正確な知識がないので、誤っていると思うのですが、1996年の演奏となると、ほぼ指揮者としては最晩年ではないかと思うのですが、バイエルンとは息があっていることも大きいのでしょうが、最後のコーダのあたりは抑制と解放が実に巧みで、官能的ですらありました。早くブルーレイで聴きたい録音です。


 はあ。日曜日と月曜日の睡眠時間が4時間でちときつかったので、早めに退社したら、「いい御身分ですなあ」という目で見られて、うーんという感じ。今年度から通常業務が2倍になった上に、過去に書いた駄文の問い合わせがあって、問い合わせ先の意図がわからないので、背景から説明を書いていたら、あっという間に6時間が過ぎてしまう始末。週明けからぐったり気味でしたが、クライバーのおかげで完全復活でしょうか。なんちゃってクラシック好きですし、クラシックに関する「寝言」もいかれているのですが、エッチな気分ではなくじっくり音色を楽しみたいときにはベームとウィーンフィルが最高です。たまらなくエッチな気分なときには、ナチスが宣伝に使ったフルトヴェングラーの第九がいく感じで、これまた最高ですね。不謹慎すぎるかもしれませんが、フルトヴェングラーの才能は全体主義の下で最もよく発揮されたという気がしないでもないです。今回は、ストレスが溜まっていて、ほどほどにエッチな気分のときに聴きましたが、クライバーはオールラウンドプレイヤーだなあと。適当にキスして、適当に揉んで、適当に舐めて、1時間ちょっとで、すぐ、いたすインスタントな○ぐらいなら、クライバーの演奏の方がはるかに官能的ですから。

 それはともかく、やはり第4楽章は考えてはいけないのですが、考えてしまいます。バッハの無伴奏パルティータはまったく関係ないのですが、あのシャコンヌは、自由を求める孤独な道の先に調和が約束されている。第4楽章は、自由人が孤独な道を歩きながら、調和に至るのか否かに確信がもてない状態のように響きます。やや時代の相違という音楽以外の要素が入りすぎていると自分でも思いますが、19世紀以降の音楽家はそれ以前の音楽家とは異なる業を抱えてしまったのかもしれないと思ったりします。もちろん、楽曲としての完成度は申し分がないのですが。

 こうしてみると、昭和の時代というのはすごいなあと思います。クライバーやカラヤン、ベームなどマエストロが何度も来日するというのはうらやましい限り。クライバーを生で3回も聴いたという方は、「もう死んでもいいでしょ?(意訳:死ねってことだろ。言わせるな恥ずかしい」と何度も言われたけれど、君みたいに「耳が痛風ですね」という方がきついとのこと。「クライバーに限らず、好きなクラシックの演奏が耳に届いた瞬間に耳に激痛が走るようになったら、どうします?」と尋ねたら、「わし、自殺する」とのこと。しかし、映像で見ると、クライバーは演奏後、真っ白に燃え尽きるところまではいきませんが、あれだけの才能を振り絞ると、どうやって回復するのだろうと思いました。
posted by Hache at 01:39| Comment(4) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言
この記事へのコメント
ご無沙汰してます。

レコード芸術誌はたまに推薦盤の特集をした別冊を出すことがあります。年を取ると数年おき程度でも「また似たようなのか」との印象を受けることもあります。しかし1984年に発行された「不朽の名盤1000」は推薦文が実に素晴らしく、貴重な本と思い今も所持しております。
その中で原田茂生氏がクライバー/ウィーン・フィルのブラームスの4番のアルバムを推薦するにあたり、「どんな演奏家も固有の音を持っているが、クライバーの音は求心的な音だがやや硬い。このアルバムでもウィーン・フィルの音がいつになく硬く、そのため後期ロマン主義と言うより擬古主義者としての側面を強調している形になっている」というような内容を語っています。この曲に関しては結果的に本質を突いた表現となったのかもしれません。バイエルンの演奏だとクライバーに対する反応は良いのですが、若干響きが浅いと感じることもあります。とはいうものの、もちろん非常な名演ではあります。

一方、、今回BSで放送してくれた1986年の日本公演の方ですが、これは素晴らしいものでした。ベートーヴェンの交響曲も、アンコールの2曲も、いずれもCDよりいいと思います。オケと指揮者いずれも絶好調で、抜群の反応を示しているように思います。昔この演奏をNHKでやった時にHiBandBetaで録画して、デッキを手放す時もこれだけはダビングしました。良い状態で再録画したかったのですが、本人が再放送を禁止しているため二度と見られない状態となっていました。今回の放送は本当に助かりました。

いつか気紛れでバイロイトかどこかに現れ、第九を振ってくれないものか、そこまでは望まないからせめて「英雄」を、と。またバイエルンやウィーン・フィルを聴いていると、この人に本当に合うのはベルリン・フィルじゃ無いだろうか、と思ったこともあります。日本公演のチケットは一度だけ購入できたのですが来日中止でキャンセルする羽目になりました。どれも、永遠に失われた機会です。生命そのもののような姿が消えた寂寥は表現し難いものがあります。

で、今回のヒラリー・ハーンもチケットは買ったがあえなく来日中止と・・・次回は絶対に押さえるか。
Posted by カワセミ at 2011年04月23日 01:27
>>カワセミ様

なんと申しましょうか、紹介して頂いた方は1986年に来日した際の演奏をライブで聴いたそうで、ベートーヴェンの4番が最高だったそうです。1980年代に2回、1990年代に最後のクライバーの指揮を拝む機会があったそうで、あの『ばらの騎士』が耳に残って忘れられないというのを少なくとも5回は伺いましたので、あまりよい演奏ばかり聴いてしまうと、耳が痛風になりますよと毎回のように囁いているありさまです。ライブは当たり外れもあり、運不運も大きいのでしょうが。

今回は観るクラシックという感じでしたが、実に表現が自由で、あらん限りの力を振り絞る演奏で興奮しました。自由すぎるという批判もあるとのことでしたが、カワセミさんのコメントを頂いて、なんとなくわかったような気がします。音楽理論にくらいので気のせいかもしれませんが。バッハに戻ろうと思っても、戻れないというのは難しいものだと思いました。外れではないというだけでホッといたします。

今回の最大の収穫は、指揮者を観ながら音楽を聴くのがこんなに楽しいのかということでした。生で聴いても、演奏中は後ろ姿しか見えず、表情が見えないのですが、モーツァルトを振っているときに、展開部で実にのびやかな表情をしているのに、楽章の終わりの部分では繊細さと余韻を損なわないようにしているのか、実に慎重な表情になるのが印象的でした。クライバーの録音自体が少なく、まして映像となると、探しても見当たらないので、なんだろうと思いましたが、再放送を禁止とは驚きです。ブルーレイディスクも期待していたのですが、かなり厳しそうですね。映像なしでかまわないのでブラームスの1番が聴きたいですなと甘えたところ、「それがないのだよ。あったら、真っ先に聞いている。クライバーが振っていないはずがないのになあ。」と言われて、ありゃまという感じでした。

不謹慎すぎるかもしれませんが、カワセミさんの悲しみを伺ったおかげで、次の会話のときには、クライバーのライブを聴くと1回あたり5年ぐらい寿命が縮まるらしいと脅そうかなと。『ばらの騎士』がひときわ美しく響いたときがお迎えの合図ですよとか。しかし、万が一にもありえませんが、クライバーの第九を聴いたら、そのまま往きそうな気がしました。
Posted by Hache at 2011年04月23日 21:42
コメント恐縮です。

>1986年に来日した際の演奏をライブで聴いたそうで、ベートーヴェンの4番が最高だったそうです。

あれの実演を、というのはとても羨ましく思います。
ああいう演奏は現地の僅かな空気の動きさえも重要ですよね。体験してみたかったですね。

>再放送を禁止とは驚きです。

本人が亡くなってしまったので今回も放送できたようです。今後は発掘されるかもしれません。LD時代にベートーヴェンの4/7盤のディスクが出ましたが、あれより1986年のライヴは
良かった気がします。

>今回の最大の収穫は、指揮者を観ながら音楽を聴くのがこんなに楽しいのかということでした。

クライバーの特例みたいな感じがありますね。20世紀前半の指揮者は個性的な人が多そうです。映像が残っていれば荘重な祭礼を思わせるものが数多くあったでしょうね。

>そのまま往きそうな気がしました。

マーラーの古い歴史的名演とか危なそうですね。自然な流れで息を引き取りそうです(苦笑
Posted by カワセミ at 2011年04月26日 00:24
>>カワセミ様

日曜日に観て聴いたDVDのことを書き始めたら、体中の細胞が目を覚ます感じで、いったん熱が覚めるのを待つ感じでした。書けば恥が増すだけですから、沈黙しておこうと思いましたが、やはり書かずにはいられず、コメントを頂くのとほぼ同じタイミングになりました。

BRDで観たいなどと書きましたが、これはまずいかもです。DVDも何回も再生しているのでもつのかなあと。

「マーラーの古い歴史的名演とか危なそうですね。自然な流れで息を引き取りそうです(苦笑」

個人的には理想的な大往生です。でも、やはり危険な香りですね。
Posted by Hache at 2011年04月27日 00:31
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