2011年04月22日

ありゃまの瞬間

 花粉症が世間様を苦しめる時期には、将棋の名人戦が楽しみですが、ありゃまの展開。一日目からずいぶんと直線的だなあと思っておりましたが、帰ってきて棋譜を見ていて、先手の羽生善治名人の45手目は目が点に。一日目からして、見ている分には駒がぶつかって楽しいといえば楽しいのですが、後手の森内俊之九段は4一玉と矢倉のお城に近づいているだけ、わずかですが、安心ですが、羽生名人は居玉。実は、水曜日の晩に封じ手は△7二飛以外にないでしょと思って、棋譜解説を見ながら、ああでもない、こうでもないと考えてみたのですが、居玉では戦えないので、私には見えない必殺の手が羽生名人にあるか、どこかで自陣の整備を行う曲線的な手が出るのかと思ったら、45手目で羽生名人が飛車をとったので、悲鳴を上げそうになりました。これは、ひどいなあと。48手目の森内九段の手が悪いとは思えないのですが、確かに、パッと見は意味が分からないのですが、終盤に受けるための鉄壁となっていて、驚きです。序盤の折衝がすさまじいだけに、まさかの展開でした。録画で木曜日の午後の中継を見始めたら、ほぼ4時半頃には終局で、それになりにあやがあるとはいえ、ど素人にもわかりやすい局面が続いて、全体を通しても、ありゃまという感じでしょうか。第1局が素人には難解すぎるのとは対照的です。羽生名人が調子を取り戻さないと、第4局以降は見ないかもです。BS中継の録画で終局直後の両対局者の表情が写りましたが、森内九段がへとへとになっているのが印象的でした。この将棋をひっくり返されては立ち直れないでしょうから、形勢不明の局面が続いたときよりもプレッシャーがかかったのではないという、「外道」な「寝言」が浮かびます。

 嫌な予感しかしないのが下の動画ですが、周囲に「外道」であることを知らしめるべく、不謹慎なことばかり言っております。古びた○発が「ポポポポ〜ン」とか、シュールすぎてついていけない人が少なくないのですが、なぜかついつい笑ってしまう人が多数になってしまう。開き直れば、過度の緊張感というのは1か月が限界なのである。



 それにしても、2011年4月20日の『日経』一面トップが話題にならないのは、いくらしゃれにならない情勢とはいえ、それもどうかなと。不確かな記憶ですが、2008年頃に堀内光雄氏は「『後期高齢者』は死ねというのか」とかいう作文を『文藝春秋』に寄せたのを読んで、「死ね」じゃなくって、今の医療水準を維持するのにもカネがかかるのだから、昔の革新自治体がバカみたいに高齢者の医療費の無料化を進めた時代とは違うんですよと。いわゆる「団塊の世代」がどうたらこうたら以前に、既に現役世代の負担は過重になっており、左寄りの人のみならず、酷使様たちも口をきわめて罵った長寿医療制度でも現役世代にはあまりに重いという現実を理解していただきたいと思うのですが、無理なんでしょう。乱暴な議論ですが、これだけ男女を問わず高齢化が進んでいるという社会が、「低福祉」というのはありえない話だと思います。まず、「団塊の世代」が年金の満額支給を受けるようになり、後期高齢者へと移行する10年後あたりには、1990年代後半から2000年代に生じた財政の悪化を上回る「セカンドインパクト」がくるのは容易に想像できます。仮に、年金の支給年齢を70歳に引き上げたところで、私の前後の世代(1960年代終わりから1970年代前半生まれ)が年金受給世代になり、医療サービスを利用する頻度が上がる、「サードインパクト」まで、わずか30年間しかありません。堀内光雄氏のように1930年代生まれあたりの世代は、「ノブレスオブリージュ」を上の世代から体感したものの、真っ先に失った世代でもあるのでしょう。彼らの生活は現役世代によって支えられているのにもかかわらず、ご自身が失ったノブレスオブリージュを下の世代には押し付けるという、「ありゃま」という感覚を覚えさせる御仁が目立ちます。現在の震災からの復興は10年がかりでしょうが、ご高説をのたもう人たちが社会保障制度改革の抵抗勢力としてまだ10年近く影響力を残せば、30年たっても、その災厄たるや、甚だしいものとなりかねないでしょう。


 うーん、震災関連は御免蒙りたいですなあ。今、見ていた『報道ステーション』で、東電の清水社長が土下座をしている姿や住民が補償を求める姿、社長に説教する住民の姿などが映っています。いいにくいのですが、この種の報道に接するほど、いかれた「外道」の同情心が薄れていきます。おばあちゃんが、社長に「お互い様だから」と声をかけるあたりは、さすがテレビ朝日の演出でしょうか。東京電力管内ではないせいか、周囲でも贖罪の意識がないのが実情ですが、既に4月初めの段階で、東電もあまりに問題が多いものの、首長や住民が感情に任せている姿が繰り返し映ると、当初は痛みは感じても、あるレベルを超えると、どこかでひいてしまう人がほとんどです。もっとも、会議でとてもできそうにない計画が出ると、「東電以下的水準」というのは、まず外さない便利な表現ですが。

 個人的には東電管内の電力不足ばかりがとりあげられて、4月18日の「寝言」でも書いた東北地方の電力不足に、在京のマスメディアの関心が薄いことに違和感を覚えます。東北地方の電力不足が長期化すれば、短期的な復旧や被災地支援はもちろんのこと、長期的な復興にも影を落とします。福島第一原子力発電所の問題に報道も各種サイトも偏りすぎているため、エアポケットになっている印象があります。このあたりの情報が少ないため、震災関連のことから関心が薄くなる要因の一つにもなっています。ちなみに、福島第一に関しては、今回の事故で東電(経済産業省をはじめ政府もですが)だけが問題になっていますが、事故処理に係る費用や補償などを、福島第一から長年にわたって便益を受けていた人たちが負担するのか、全国民で負担するのかという問題がまともに論じられないのは不思議な光景です。

 これは無理かもしれませんが、今回の東北地方太平洋沖地震が「山」で今後、余震をともないながらも沈静化していくのか、スマトラ島沖地震のように、地殻の運動が活発化して、周期的に大地震が生じるのかというあたりも見極める必要があるのでしょう。もっとも、最近は自然科学の雑誌を買っていないので、既に分析が進んでいるのを私が知らないだけかもしれませんが。

 「原子力村」という表現がネット上では増えましたが、専門家なんてほとんどムラ社会じゃないのかなあと。最近、笑ってしまったのは法学の民法のお話で、学生時代から民法は本当に難しく、わからないので、実務家から大学の先生の方にお話したら、当時のフランスの大学教授でさえ理解できなかったボアソナードの学説を理解できて日本の民法をつくった明治の法学者が偉大すぎて、普通の人が普通に理解できる民法に書き換えるのが大変なんですとのこと。できすぎる先人を持つというのも難しいものです。もっとも、日本が条約改正に成功できたのは、戦争によって実力が認められたという以上に、民法をはじめ、種々の法令が整備されたことが大きいので、悩ましいかな。

 「原子力村」と並んで、「政治学村」もオワコン感が漂いますが、「経済学村」もなかなかですなあ。資本市場で資金調達が困難になっているのに、「奉加帳方式」で各電力会社のカネの出し方が少なくてけしからんとか、太田氏のように、周波数統一には莫大な機会費用が発生するのにもかかわらず、ふだんは会計上の費用しか見ないとお怒りなのに、実際に電力不足で夏がたまらないとなったら、機会費用概念を忘れるとか、笑うしかないです。あまり言えないのですが、首都圏で実際にお仕事されている方の悪態の方が実感に近くて、こちらの「どこぞの禿は寄付活動する金があるのなら携帯電波通電状況および有線電話回線の強化に金を掛けるのが本来のインフラ産業としての使命だと思いますけどねえ」には噴きながら、強く共感しますねえ。私も「寝言」ばかりではなくて、悪態の付き方を学ばなくては。ちなみにiphoneに食指が伸びないのは、外いるときぐらいネットなんぞ無視したいというのもあるのですが、キャリアがなあというのも大きいです。通信で東電に相当するのがNTTグループでしょうが、やはりいつでもどこでもつながる電話というのはありがたいです。
posted by Hache at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言
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