2011年09月04日

まあ、なんでも、いいですけれど。

 仕事の合間に『三国志』関連のことを考えておりましたが、なかなか思うように欲しい資料がなくって、あまりまとまらないですね。元々は、赤壁の戦いがわからないというところから官渡の戦いも渡河戦があったはずだなあと思いながら、当時の船はどう動だったんだろうと思って、あまり期待せずに検索していたら、『三国志博物館集解』というサイトを見つけて、びっくりしました。「時の最果て」を始める前に見た記憶がありますが、これは濃いなあと。読み出すと、止まらなくなるので、おそるおそる拾い読みです。あとは、7月ぐらいにようやく再読が終わった吉川英治の『三国志』のあとがきにある蜀の人口を見ていたら、この数字の出所も気になるのですが、家族構成が古代にしては「核家族化」しているのが気になりました。こちらはウィキペディアに後漢のデータがあるのですが、いつの時期なのか、出典が明記されていないので微妙ですが、一世帯あたり5−6人が平均となるので、やはり北伐で疲弊したのかもしれないなと。

まあ、なんでも、いいですけれど。

 内閣総理大臣が代わってなんかいいことありそうという方が多いようで、おめでたいですね。東証一部時価総額を見ていると、この先生きのこるのは大変だなと。なんとか260兆円台を回復したとはいえ、この水準からスルスルと上がる材料もなく、低水準で安定してしまうと、増税で財政再建なんて意気込むと、所得税の最高税率は100%、消費税率も30%とか素敵な世界が待っていそうで・・・…。

まあ、なんでも、いいですけれど。

 ギリシャ危機が定番になってくると、「ギリシア悲劇」じゃなくって、「ギリシア喜劇」みたいですなあ。既に、7月の段階で次のタイムリミットは9月半ばというのは周知の事実(参考)なので、笑えないような、笑えるような。アメリカも雇用の増加がゼロで萎え気味のご様子ですね。10年間もこの状態が続けば、中国共産党がでかい顔をするのを止めるのは非常に難しいでしょうね。若い人には、私みたいなおっさんになる頃には、中国人の靴をなめるか、欧米との細く弱い絆を維持するのか選択するときが来るかもしれないから、よく考えておきなさいよと言っていますが、あまり聞いていないようです。

まあ、なんでも、いいですけれど。

 トリポリの中心を抑えたら、終わりと考えていたご様子の好戦派の方が多いようで、おめでたい限り。イラク戦争に賛成して、リビアへの介入には反対というのはへそ曲がりもひどいものだとわれながら思いますが、ない袖は振れず、ない胸は揺れないものです。ああ、いかん、まじめな話を書こうとしていたのですが、楽しい動画ばかり見ていたので、最後で崩れてしまいました。

まあ、なんでも、いいですけれど。



 Xboxは無理だなあと思って、動画しか見ていないのですが、実は、既に8月の段階で、中の人のキャラが面白すぎて、こちらに関心が移ってしまいました。「外の人」って表現は初めてでした。下の動画を迂闊に貼ると、貼る方が変○と思われそうなので(って手遅れか)、ためらいがあったのですが、恥じらいとともに、「そこにシビれる! あこがれるゥ!」 でツボにはまってしまったことを正直に告白しておきます。ジャンプに連載していた頃に真っ先に読んでいた漫画を10歳以上は年下の人がなんで知ってるんだろうと思いましたが。

まあ、なんでも、いいですけれど。

アサミンゴスP



 ようやく土曜の夜に「見てれぅ」の出典がわかったという初心者なのですが。アサミンゴスPのアイマス講座初級編でこれは無理だなあと。オーディションの思い出で反射神経が必要ではなかなかハードルが高いです。反射神経に関しては、中学卒業後の春休みにN88-BASICで作ったブロック崩しすらクリアできなかった黒歴史の持ち主ですので。おかげで動画でもと見ていたら、「エアD」とか「NHK」とか余計なことばかり覚えてしまい、台風でお外は荒れているのですが、帰宅すると平和な日々です。
posted by Hache at 07:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言
この記事へのコメント
お久しぶりです。
いつも楽しく読ませていただいております。

「貝と羊の中国人」の著者の加藤徹さんのサイトによると、
http://www.geocities.jp/cato1963/jinkou996.html

後漢末の人口が約5600万人、
三国時代末期の人口が
魏約440万人、呉230万人、蜀94万人で
合わせても800万人弱となっています。
(西晋の人口が約1600万人となっています。)
これを見る限りは、
蜀以外の地域でも人口が大幅に減っています。

後漢末に、人口崩壊が先に起きたのか、
社会不安の結果として人口崩壊が起きたのか、
どちらが先なのかは大変興味のあるところです。
Posted by 匿名 at 2011年09月19日 21:23
>>匿名様

こちらこそありがとうございます。

ご紹介頂いた加藤先生の記事は、ちょっとびっくりです。本題からそれますが、清朝の人口爆発のすさまじさに目を奪われました。人口というのはもっと連続的な変化だと思い込んでおりましたが、これはすさまじいです。

加藤先生も触れていますが、「政府の戸籍把握力の低下」はいろいろ気になる部分もあります。やはり清朝の地丁銀制は人口を隠すインセンティブが少ないという点がありそうです。他方、それだけではやはり説明できない「人口爆発」だとも思いました。

三国時代に戻ると、魏の人口崩壊もすさまじいですね。こちらは蜀よりも説得力がありそうですが。黄巾の乱、董卓の暴政や曹操による虐殺などが重なって中原から流民が生じたことも大きいのかなと。また、魏に限らないのですが、人口の掌握能力もかなり低下していた可能性が高いのでしょう。

『三国志』にある官途の戦いで曹操が動員した兵数が少ないというのは注で批判されているのですが、当時の状況を考えると、それほど不思議ではないと考えておりました。この時期には、少なくとも当時の漢朝の統治能力の低下と戦乱による人口減を考えると、やはり相当、荒廃していたのだろうと思いました。

人口崩壊と社会不安の因果関係は難しいですね。これは想像ですが、後漢末に統治能力が衰退し、戸籍人口に入らない山賊や河族などが増えて治安が悪化し(これ自体はそれほど戸籍把握力の低下には貢献しなかったと思いますが)、生産人口が大幅に低下したのかもしれません。

いろいろ想像してみたくなる記事を紹介して頂いて、ありがとうございます。
Posted by Hache at 2011年09月22日 07:25
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