2007年08月23日

大航海時代

 以前、ひどいことを書いてしまった『大航海時代W』ですが、古いPC(とはいえ、OSはXPでCPUはPentium4の2.6GHzではありますが)にインストールしたら、正常に動作しました。ついついやり込んでしまい、アイテムもコンプリートまであと9つ。お盆休みの後半は、こんなことばかりやっていたので「大後悔時代」でした。もっとも、下らないどっかの省庁の次官がどうたらこうたらよりは『大航海時代』で遊んでいた方が精神衛生に極めてよいです。どちらも非生産的という点では変わらないのがちと悔しいのですが。

 大航海時代といえば、ヨーロッパ中心に見れば、「地理上の発見」の時代です。あるいは、スペイン・ポルトガル(単純化のために当時の錯綜した王国の関係を省略しております)が先導した「グローバル化」の始まりでしょう。「地理上の発見」という表現がヨーロッパ中心の見方ではあると思いますが、16世紀に出現したメルカトル図法は、海を舞台とした「グローバル化」によってもたらされた知識を体系化するという点で他の地域に対するヨーロッパの優位を示していたと思います。また、メルカトル図法は海の時代を象徴しているのでしょう。単純に航海という点では鄭和のインド洋航海の方が先んじていますが、彼の事業はそれっきりになってしまいました。ヨーロッパの場合、スペイン・ポルトガルを中心に地中海を舞台に内部的にも覇を競い、東のオスマン帝国への対抗という「外圧」がありました。東方の優位にチャレンジし、挑戦者同士でも覇を競い合うという環境で大航海時代が出現し、若きヨーロッパのエネルギーが対外的に外部へと広がっていった時代なのでしょう。

 現代から見れば、当時の「グローバル化」は原初的です。今日のグローバル化は基本的には開放的で互恵的な関係(ただし、非対称情報からくる例外も少なくありませんが)が推進力となっていますが、当時のグローバル化は、ある帝国による排他的な交易圏の構築という側面が強く、なおかつ互恵的というよりも、征服が主であったと思います。控えめに言っても、グローバル化を強制するというところでしょうか。これは大航海時代に限らず、19世紀に日本や中国が経験した事態です。適切な専門書を読んでいないので不正確な理解に基づいていますが、江戸時代の鎖国といっても、実態は交易(ある程度までは純粋な国内においても)を幕府が制限し、管理するという話でしょう。しかし、幕末・開港の時期には幕府は、その権限を失わざるをえませんでした。攘夷運動と対外交易は直接的に結びついていないのでしょうが、グローバル化を強制された日本ではナショナリズムが台頭したこと自体は間違いないのでしょう。交易に伴ってモノだけでなく、カネはもちろん、ヒトも国境を越えてゆきます。現代ですら、「ハゲタカ」を嫌う一部の風潮はこの時期に端を発しているのかもしれません。

 話を大航海時代に戻しますと、この時期の「地理上の発見」は当時の政治権力と結びついている場合がほとんどです。エンリケ後悔王子をはじめ、マゼランやコロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマも王室からの命やパトロンとしての王室が不可欠でした。まあ、高校の世界史の教科書レベルではありますが。ただ、大航海時代と一括りにするものの、実際には航海の動機は多様であったように思います。ヨーロッパを中心に見れば、交易の利益が前面に出てくるのはインド洋や東南アジアへのアクセスが確立してからで、イスラム勢力の排除やキリスト教国同士の勢力圏争いなど政治的動機と経済的動機を切り離すことは難しいように思います。むしろ、両者を切り離して考えるようになったのは20世紀以降の話なのかもしれません。

 また、個々の探検家・冒険家の個人的な野心も重要な要素なのでしょう。もちろん、交易からえる物質的な利益が彼らを突き動かしていたのでしょうし、パトロンとの関係では「はい、こんな発見をしました」ということでは済まないのでしょう。しかしながら、個人的な功名心という要素も無視できないと思います。ルネサンスと大航海時代の結びつきという場合、羅針盤など主としてルネサンスによる技術的な成果が強調される印象がありますが、個人の功名心を刺激したという点は無視できないと思います。いわゆる「個人主義」というほど洗練された話ではなく、単純に個人の欲望に忠実に行動するという程度の話です。この点ではルネサンス以前の十字軍に起源があるのではないかという「寝言」を超えて「妄言」が浮かんでしまいます。イスラム圏や東方正教会からすれば、十字軍は侵略以外の何者でもなく、部外者である東洋人から見ても、キリストの名においてひどいことをするものですねという皮肉が浮かびますが、良くも悪くも行為という点から見れば、個人の欲望を解放する側面があったと思います。異端審問なども考えると、一直線にキリスト教的世界観からヨーロッパ世界が脱したというわけではないのでしょうが(現在でもキリスト教世界観は元来のキリスト教国以外にも影響を残していますし)、ごく限られた人たちとはいえ、主観的には宗教的熱狂にかられてのことかもしれませんが、個人の欲望を解放する役割を十字軍は果たした側面があったのかもしれないと思います。

 ゲームの話を書くつもりだったのにもかかわらず、お約束どおりとりとめがなくなってきましたが、グローバル化というのは最近になって始まったものではなく、それ以前の積み重ねの結果だと思います。この数週間は、金融市場における「危機」が注目されているようですが、現代におけるグローバル化は大航海時代と比較すれば、はるかに分権的であり、互恵的です。他方で、相互依存がこれだけ深化してくると、ある地域の損失が他の地域の利得というわけにはゆかないのでしょう。ちょっとだけ気どった「寝言」を書きますと、今日のグローバル化は中西寛先生の表現を拝借すると、「主権国家体制」がまず基礎にあり、「国際共同体」としての側面が強くなっているということになりますか。中央銀行の協調的な行動がなくてはグローバル市場そのものが維持できないという点では主権国家体制がなくてはグローバル化そのものが成立しないことを示していますし、同時に各国・各地域の中央銀行が同一の価値観を共有しなければ協調が成立しません。現代のグローバル化を大航海時代に喩えることもできるのでしょうが、互恵的な関係が支配的となっている先進諸国では当時のような勢力圏争いの側面ははるかに抑制されていると思います。余計ですが、どこかの島国はいまだに「鎖国」されていらっしゃるご様子ですが。

 『大航海時代W』の「外道」プレイの前置きを書いていたら、ずいぶん長くなってしまいました。暇人と思われる可能性が高いので(既に手遅れか)、このあたりで「寝言」ではなく、まじめなことをやらなくては。
posted by Hache at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言
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