2012年05月03日

チェンバロとピアノの歴史(2)

 目利きの方が貸してくれたのが『アート・オブ・コンダクティング』というDVDでした。これについても書きだすとキリがないのですが、シュヴァルツコップのインタビューでフルトヴェングラーとベームを評価する一方、対照的な指揮者としてカラヤンを挙げていたのが印象的でした。まあ、このなんとも言えない、少し鼻につく、敷居の高さがクラシック音楽の特徴でしょうか。実は、私自身、相手から振られない限り、クラシック音楽について話すことはありません。シュヴァルツコップの評価は世代を考えれば理解できますが、日本人で50を超えているかどうかという人がカラヤンは俗受けするタイプとバカにするのを見ると、クラシックが好きと素直に言えない自分がいますね。LPを買っていた頃はほとんどがカラヤン指揮のベルリンフィルでしたから。悪く言うのは簡単ですが、あれほどクラシック音楽のファンを増やすのに貢献した人は数がやはり少ないのではと思うのですが。

 「続き」にある動画を貼りましたが、再生数が5000ぐらいで、なんだかなあというコメントが目立つのはクラシック音楽ぐらいではと。評論が好きというのは決して悪いとは思わないのですが、既にクラシック音楽というジャンル自体が左前の時代に、さらに人を遠ざけるタイプがほかのジャンルより多いとなると大変だなと。正直なところ、時々、クラシック音楽を趣味として挙げるのはなんとなくためらいを覚えることもあります。

 他方、高齢化が進むと、クラシック音楽というのは案外、無視できないマーケットとして存続し続けるかもしれないという、あまり根拠のない楽観もあります。実を言えば、40歳になる前にくたばる予定だったので、こうして生きているのは困ったものだなあと。とりあえず、仕事をする一方で、最近は昔ほどの熱意が薄れてきていることも実感しますので、ボケないようにクラシックでもという感じです。海外事情は、英語圏に出かけた際に困らない程度に単語を覚えておこうかという感じですし。カネがなかったら、60歳あたりで文字通りの人生の「定年」でいいんじゃねというところでしょうか。

 それはさておき、ピアノの話の続きです。ピアノがチェンバロの改造だったというのはそれほど意外ではないのですが、イタリアだったというのは意外でした。クリストフォリの没後、フォルテ・ピアノを経て現代のピアノにいたるのですが、顕著な改良の代表は、まずウィーンで生じたようです。例によって浜松市立楽器博物館の資料の写真です。

piano_Vienna

 外観だけを見ても、どこが変化したのかはわかりづらいです。「ウィーン式」と命名されているアクションの説明と展示を見てみましょう。

action_of_Vienna

アクション(1) ウィーン式アクション

 このアクションは、別名「はね上げ式」とも呼ばれ1770年代中頃に完成されたといわれています。ウィーン式アクションのピアノは、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンなどに愛されました。タッチが軽やかで繊細な音色です。しかし、より力強い音が出せるイギリス系のアクションの広まりとともに次第に使われなくなりました。(浜松市立楽器博物館)


 次の写真はウィーン式アクションの模型ですが、実際に鍵盤部分を強弱をつけて叩くと、音量を調整できることがわかります。前回、省略してしまいましたが、チェンバロの模型で鍵盤を叩く強弱を変えても、音量がほとんど変わらないことも試すことができます。

action_of_Vienna2

 下の写真は、アクションをさらに模式化した図です。意外と仕組みは単純ですが、チェンバロと比較すると、既に複雑になっていることがわかります。

action_of_Vienna3

 ピアノの歴史に詳しいわけではないのですが、私みたいなど素人からすると、19世紀以前ではやはり西洋音楽の中心はイタリア(フランスは消費地として無視はできないのですが)であり、そこで発明されたピアノがウィーンというパリほどではないにしても、当時としては巨大な音楽の消費地で改良がされたというのは、中心から周辺に音楽の重心が移っていくプロセスの一つだったのかなあと。ただ、モーツァルトのピアノ協奏曲とベートヴェンのピアノソナタでは異なる楽器で演奏されることを想定していたのではないかと思っていただけに意外な解説でした。

 次は、かなり驚きましたが、目立った改良は次にイギリスで生じたようです。下の写真が陳列されていたイギリス製のピアノです。

piano_of_Britain

 「イギリス式アクション」とされている鍵盤を叩いて弦を叩く動作は、かなり複雑になっていきます。簡潔に要点を記しているのが下の写真の説明です。自分の影がかなり邪魔なのが遺憾ですが。

action_of_Britain

アクション(2) イギリス式アクション

 「突き上げ式」とも呼ばれるこのアクションは、1770年頃にイギリスで作られました。イギリス式アクションのピアノは、晩年のハイドン、ベートーヴェン、ショパンなどが演奏し、イギリスのみならずヨーロッパ各地の製作者が採用しました。タッチも響きも重厚で、後のフランス式アクション(現代のピアノアクション)へと繋がっていきます。(浜松市立楽器博物館)


 博物館の説明ではウィーン式アクションとほぼ同時期にイギリス式アクションが製作されたことになります。ピアノ製造技術の革新がどの程度のスピードで広がったのかは記述がないので、想像するか、考えないようにするかしかありません。モーツァルトの死がバスチーユ監獄襲撃から2年後、私自身が好きなピアノ協奏曲第21番が1785年、有名な第23番が1786年とすると、モーツァルトがピアノ協奏曲のお披露目に使おうと考えていたピアノを想像すると、かなり混乱します。機械的には、(1)クリストフォリ没後、原型に多少手を加えた程度のピアノ、(2)ウィーン式アクションを採用したピアノ、(3)イギリス式アクションを採用したピアノに、それぞれを組み合わせた可能性もあります。他方、ウィーン式アクションとイギリス式アクションの説明の双方に名前が出るのはベートーヴェンだけです。模型で叩いてみただけですので、わからないのですが、モーツァルトのピアノ協奏曲は20番と24番以外は長調で、軽やかで華やかさが中心ですので、モーツァルトの頃にはイギリス式アクションのピアノはウィーンでは知られていなかったか、モーツァルト自身が楽器の変化に鈍感だったか、どちらかなのかもしれません。

 妄想はさておき、イギリス式アクションの模型です。パッと見ただけで、ウィーン式よりも複雑になっています。

action_of_Britain2

 例によって、さらに模式化した図の写真ですが、模型をパッと見ただけではわからない程度にまで複雑になっています。ウィーン式よりもハンマーが全体の支点から遠ざかり、より強く弦をはじく仕組みになっているように見えます。

action_of_Britain3

 古楽とは異なる視点から楽器を見ていますが、古楽関連の書籍を読んだ方がよいのかなあとも。私の場合、演奏に使われていたであろう楽器を作曲家の視点からとらえたいなあと考えておりましたが、古楽と変わらんですね。ベートーヴェンあたりですと、ウィーン式アクションのピアノとイギリス式アクションのピアノが混在していた時期になりそうです。他方、それ以後のピアノとの接点は、あったとしても少ないのでしょう。

 次は、フランス式アクションです。実は、フランス式アクションのピアノかどうか、ペダル部分の写真しか撮っていないので、いきなり説明からです。

action_of_France

アクション(3) フランス式アクション

 フランス式アクションは、イギリス式(突き上げ式)を基に、連打機能(鍵を完全に戻さなくても再度打弦できる装置)を追加したものです。このアクションは、現代のピアノと基本的な機能は同じで、1821年にフランス・エラール社によって考案されました。このアクションを用いてリストなどの作曲家は、超絶技巧を用いた楽曲の演奏ができるようになります。(浜松市立楽器博物館)


 フランス式アクションとなると、時代がはっきり異なって、イタリアのように個人ではなく、はっきりと会社になるのが興味深いです。ちにみに、模型で鍵を叩くと、連打が可能であることが素人でもわかります。

action_of_France2

 説明ではリストの名前が挙げられていますが、例えばラヴェルの「夜のガスパール」あたりも、このような楽器が存在しないと、演奏は無理なのではと思います。例はキリがなさそうなのでやめますが、クリストフォリの発明で音の強弱がつけられるようになった改造されたチェンバロは、19世紀になると連打が可能になるところまできました。ピアノと言えばやはりショパンでしょうが、突き上げ式がなければ、作曲自体が変わっていたのかもしれません。

 自分で演奏できる楽器が皆無ということも大きいのですが、単に音楽をボーっと鑑賞していたのが、段々と、聴いているうちに、楽器が気になるようになりました。今回は、ピアノ関係で最も国内で集積が進んでいるであろう博物館を訪れたおかげで、基本原理が理解できるようになりました。実は、浜松に住んでいた頃に、ピアノを習いたいと言ったら、母上に、ピアニストにでもなるのと嘲笑とともに幼い、穢れのない心を汚された記憶があります。ピアノの歴史をたどるのがやっとですが、なかなか楽しいです。

 ちなみに、クラシックに関しては敷居の高さを感じさせない目利きの方は、「オーディオ唯物論者」です。コンサートを除いたら、その人の耳は、使っているオーディオセットの音のよさで決まるという説で、これに反駁するのは極めて難しいです。アンプは真空管、スピーカーはどでかいのでびっくりしましたが、これでクライバー指揮、ウィーンフィル演奏のブラームスの4番を聴いていたら、いきそうになりました。聴いている途中で「あれここのコントラバスの響きがバイエルンと異なりますね」と思わず呟いたら、「しょぼい環境で耳が意外と超えてるのお」と言われて、いろいろ教えて頂いております。私の場合は、その時代の代表的な楽器が作曲家を規定してしまうという「楽器唯物論者」といったところでしょうか。古楽との違いは、発想が単純すぎるということでおしまい。







 私の中では、ロマン派、というよりベートーヴェン以降は、今日ではクラシック音楽と日本語では呼ばれるジャンルが大袈裟になってしまった時期だという程度の区分です。モーツァルトは技巧的には18世紀の音楽の枠からはみ出ている気がしますが、やはり18世紀の音楽だなあと。19世紀以降はどうも話が大袈裟になった上に、余計な功名心までついてくるので大変だなあと。先日も書きましたが、モーツァルトの音楽を聴いているときに、出された「お品」を味わってモーツァルトの耳ではどんな風に響いていたのだろうと妄想することはあっても、作曲していた時期のモーツァルトの心情などは考えることはありません。その意味でも、ブラームスの交響曲4番の第4楽章の解説の最後にブラームスの心情を推し量る部分があって、こちらが19世紀以降では普通なんだなあと。「オーディオ唯物論」を否定するつもりはないのですが、聴いている時期が全く異なると、耳も違ってくるかもしれません。

 これは完全に脱線ですが、モーツァルトのオペラは、作曲というよりも製作に近いそうです。映画の『アマデウス』は今でも影響を残しているのですが、小林秀雄の評論と同じく、モーツァルトを単なる天才として描く傾向が強いでしょう。強いて言えば、下品な部分を入れた点が少しだけ斬新だったと思います。モーツァルトのオペラは、台本にしたがって各パートを丹念に仕上げてから、全体の編集をかけているとのことで、製作プロセスだけを見れば、ハリウッドの映画のように、フィルムを編集プロセスをへているとのことです。まあ、このあたりはまた別の機会でもいいかなと。

 「時の最果て」らしくいきなり話がとびますが、浜松で中学時代に恩師と話していてこれは大変だなあと思いました。静岡県は日教組の組織率が異常に高いのですが、橋下氏に期待しているとのことでびっくりです。いいのか日教組というのは置いておいて(浜松あたりだと互助組織に近いのでしょう)、話に耳を傾けながら日本政治に関心が高い年代ほど閉塞感が強いなあと。私などは、政権交代の意義というのは、民主党がダメ総理に3代にわたって国政を担わせてくれたおかげで、政治も実際的な仕事であり、バカに権力を与えることがいかに危険かという点をまざまざと見せつけたこととわりきっております。しかし、私みたいに、どこか斜に構えて適当に見ている人ではない方には相当の閉塞感を今の政治が与えていることも理解はできます。豚を豚と呼んでいるのは、功名心で消費税率引上げなどに走った点がとてつもない手順前後で、普通に被災地の復興と直接、被災していない地域のエネルギー問題や経済が活性化するのを妨げないという普通の手順を踏む余裕が、前任者2名よりもあったのにもかかわらず、名前を残すというバカなことを優先するからですね。この種の気負いほど迷惑なものはありません。私は、実務的な指導者を望みますが、多数派が統治機構の破壊を選ぶのなら、手の打ちようがないなというところでしょうか。

 しかし、扁桃腺が腫れたおかげで、禁煙して、実質的にはタバコを止めた状態になるとはね。どうも治りきっていなかったようでこじらせましたが、タバコを止めたおかげで、こんなに楽だとは。あと何年ぐらいこの世にいるのかは知ったことではないのですが、好きなことを好きなだけやる日々が続くんじゃないかなと。私のDNAを残すべきという話になると、困りますが。こんなダメな血統は俺の代で絶やしてやるというのが30代に血栓性静脈炎に二度もかかった率直な実感です。まあ、ゴキブリ並みにしぶとくて、左足が実質的に壊死に陥って、肺に血栓が詰まってお陀仏という確率はかなり高いはずですが、ワーファリンを飲むだけでなんとかなってしまいましたが。

 それでも年をとったのか、耳鼻科でお母さんと子ども連れを見ていると、昔とは違って小さい子はかわいいなあと。元気のよい子が3人ぐらい吸入を待っているときに走り回っていて、母親が静かにしなさいと怒っていましたが、成長を見守るというのも人間の欲求なのですかね。老いを迎える時期にくると、親というより祖父母が甘かった理由がわかるような気がします。もっとも、孫子の世代にツケを回さないというのなら、もっと上の世代に「ノブレス・オブリージュ」を発揮する簡単な方法があるんじゃないかな。別に物騒な話ではなく、少しだけ遠慮してもらうだけでずいぶん楽になると思いますが。

 まあ、とりとめがないとはいえ、「寝言」がすぎますので、おやすみなさい。
posted by Hache at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言
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