2007年10月23日

学を絶すれば憂い無し 論を絶すれば・・・

 ふとした拍子に思い出しましたが、『ニュースステーション』でよかったかな、夜の10時ちょっと前ぐらいから始まるテレ朝系列の報道番組で久米宏氏が愛知万博の2年ぐらい前に愛知県は調子に乗っていて東京は大丈夫ですかねという趣旨の発言をしていたのを聞いてギョッとしました。オリンピック誘致で東京都と福岡県が争っていたときに、たまたまNHKを見ていたら、たぶん全国で流しているのでしょうけれど、やっぱ東京しかありえないでしょみたいな発言をして、もっとギョッとしました。メディアの方たちのほうが、洗練されていて都会的であるのは間違いないと思いますが、発言自体は田舎もの臭くて、しかも全国に向けて発信しているという自覚がなく、うーんという感じ。まず、首都圏と中京圏では経済規模だけをとっても、2倍以上の差があり、人口規模でも未来永劫とは申しませんが、両者が肩を並べることはまずないでしょう。文化的影響力となると、数字では表せませんが、経済規模どころではない差があるでしょう。まして九州を全国の公共放送でくさすなど論外。失礼ながら、私よりもコスモポリタン的な世界に生きている方々から、とてつもなく田舎臭い発言が出ると、やはり、この国はどこに行っても田舎なんだなと感じてしまいます。この状態では、政権がコロコロ変わっても、やむをえないかなという感じ。地域間格差なんてどうにもならないと思いつつも、宥めようとする雰囲気ぐらいつくらないと、いつまでも絶望的な「反乱」が続くだけ。メディアという「嘘」をつくことを仕事にされている方が、本音を仕事で言うというのは、愚劣以外の何者でもないなあと。政治家が言ったら、おしまいよですから、まだ救いがあるのかなと。

 偽善ではあっても、首都圏は一地方であると同時に、日本の中枢であり、中央であるわけですから、愛知がどうだ、福岡がどうだぐらいでは微動だにしないぐらいの面構えが必要でしょう。私の知りうる限り、メディアに露出していて、今後、期待できそうなコスモポリタンの香りがする「若手」の方(超高齢化社会では、かんべえさんでも折り返し地点を少し回ったぐらいですから、年齢を感じるなどと書いてほしくないなあ。あたしゃ、薄情だから、さっさとくたばりますけれど)は、伊藤洋一さんが抜けていて、少し落ちるがかんべえさんぐらい。活字の世界では、雪斎先生が抜けている感じが致しますが、あとはよくわからない。知識はあるが、見識はなさそうな方なら吐いて捨てるほど、いそうですが。経験だけではどうにもならない部分があることを感じます。資質といってしまうと、おもしろくはないのですが。

あんたは何様って?

言うまでもないでしょ、「寝言」ですから。検討にすら値しない。

 話が変わりますが、悪友と飲んでいると、人間というのはemotinalな存在だということを実感します。お互いにお世辞にも組織人ではない。職業柄、人間は合理的であるという前提で話を進めますが、そんなわけがないだろうとまあ誠心誠意、嘘をつくという感じ。組織というのは、全然、合理的ではない。日本的風土とかもあるんでしょうが、それはよろしい。どこでも、なにがしらかの風土はある。日本人にわかりやすく書けば、建前は論理だけれども、本音は感情だろうと。ただ、論理というタガを外してしまうと、むきだしの感情で収拾がつかなくなるので、論理というタガでやりくりをしている。そんな「寝言」を語り合うという、ありがちな中年の会話ですな。だから、論理というタガで感情を抑えている人たちを動かすには、こちらが感情的になってはダメである。己を空しくするということをはきちがえている人が多い。私の感情は私のものであってあなたのものではない。あなたの感情はあなたのものであって私のものではない。それをぶつけたところで動かないから、論理という虚構の世界で人との感情をやりくりするのであって、虚構である以上、すべてを解決することは不可能でしかない。そこでじっと自分を見れば、感情の動物でしかないことがわかる。感情が先にあるのであって、論理は後からついてくる。そのような自覚がない人たちが、無形のゴミをはき散らかす。理屈っぽくてそんなのは嘘だというのなら、自分が欲望の動物であることを認めることから始まる。論理などというのは、自分の欲望を正当化するための虚構でしかない。文明というのは、嘘で成り立っているのだけれど、嘘をつかなくなれば、文明は終わる。文明の衰退というのは嘘を上手に言えなくなることから始まる。

 『老子』は、嘘の吐き合いが活発だった中国古代の末期に成立したのでしょう。とても、上等な「寝言」もとい嘘がそこら中にある。一番、洒落た嘘、あるいは「ほほお、さすがですなあ」と思わせたのは、次の一句。

 学を絶すれば憂無し。

 「時の最果て」ならば、次のようにリライトしたくなりますね。『老子』のように洗練されてはいないので、ひねりにひねった文章を元に戻すのは、あまり楽しくはないのですが。

 論を絶すれば絶句するより他無し。 
posted by Hache at 01:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言
この記事へのコメント
 それは、「学」で何かをしようという人々に対する強烈な皮肉ですな。拙者は、それでいいと思います。
Posted by 雪斎 at 2007年10月23日 03:12
>雪斎先生

およそ「学」というのは、考えに考え抜いて、これだけは勘弁してください、説明抜きで前提として認めてください、そうしないと気が狂いますという「虚構」を置かねば、始まりません。極論すれば、「嘘」である以上、よほどのことがない限り、語るべきものではないと考えております。

それにしても、現代はあまりに「論」が多いように感じます。信頼するに足りうる方を見つけること自体、難しく感じます。信を置ける方を見出していること自体は幸せなのかもしれないとも感じます。
Posted by Hache at 2007年10月24日 01:14
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