2007年10月31日

国際石油市場データに見る経済的相互依存の深化(前編)

 雪斎先生の「石油の一滴は血の一滴」という記事は、情理をつくしており、論旨には概ね共感を覚えます。他方で、コメント欄で紹介されているデータは、私の迂闊さをあえて記しておりますが、原データを見るのは初めてでして、参考になりました。BPのデータを見ていると、エクセルで簡単な計算をしながら、様々なことを思います。例によって、「時の最果て」らしくとりとめがありませんが、データを見た感想をあれこれ書いてみます。なお、思ったより長くなってしまったので、2回にわけて掲載いたします。なにか特定の政策的インプリケーションを導こうという意図もなく、単に雪斎先生の記事で紹介されていたデータを眺めながら、楽しんでいた感想文ですので、お世辞にもまとまっているわけではなく、「寝言」にお付き合いくださる、お暇な方(失礼!)のみ、クリックしてください。なお、今週末から来週にかけて予定が立て込んでいるため、更新を行わない日が増えると思います。


 ガソリン価格(レギュラー)が150円を越える勢いという記事を見て、少しだけ驚きました。さすがに異常な水準で、雪斎先生の記事を読みながら、直近のWTIを見ると、もうなんだか訳がわからない状態。ケンミレのチャートを見ていると、2006年8月に1バレル70ドル台で80ドル台を伺う勢いでいしたが、このあたりがピークで下落傾向が続き、2007年1月には50ドルを割る状況でした(これでも異常な水準ではありますが)。そこから、途中で乱高下はありながらも、とうとう90ドル台にまで上昇しています。水準は異なるとはいえ、指標の動き自体は北海ブレントやドバイ原油もほぼ同じトレンドで、需給では説明が付かない部分があまりに大きいのでしょう。

 また、イランの核開発や雪斎先生のところで紹介されているタンカーの乗っ取りなどいわゆる「地政学的リスク」というのも全くは無視できないのかもしれません。しかしながら、率直なところ、原油価格指標の動きは「お手上げ」状態で、判断の材料と分析能力を越えていると記しておきます。

 BPの"Statistical Review of World Energy 2007"から"full report workbook 2007"(以下、出所はすべてこのデータ)をダウンロードしてデータを見ていると、素人目にはいろいろ面白いなあと。原油は地理的に偏在しているということは、小学校や中学校でも習いましたが、確認埋蔵量を見ると、1986年と2006年を比較して増加しているのが中南米ではベネズエラ(約550億バレル→約800億バレル)やブラジル(約24億バレル→約122億バレル)、中東はサウジアラビア(約1,697億バレル→約2,6430億バレル)やイラン(約992億バレル→約1,375億万バレル)、イラク(約720億バレル→約1,150億バレル)などが顕著で、UAE(約972億バレル→約978億バレル)は変化こそわずかなものの、可採年数(R/P rario)が90.2年と相変わらず高く、しぶちんだなあという感じ。アフリカではリビア(約228億バレル→約415億バレル)やナイジェリア(約161億バレル→約362億バレル)などの確認埋蔵量が増加しているのが目立ちます。スーダンも2006年末で約64億バレルほどの確認埋蔵量があるものの、世界全体では約1兆2,820億バレル(1986年末で8,774億バレル)という状態ですから、ごく微々たる数字で、中国の「資源ナショナリズム」は、やや理解に苦しむ部分もあります。話がそれますが、スーダンへの介入は資源、とくに原油という点からのみでは説明が難しい印象を受けます。他方で、アジア・太平洋地域で最大の産油国である中国の確認埋蔵量は1986年の約171億バレルから2006年末には163億バレルに低下しています。石油の安定供給を確保したいというインセンティブが中国政府に存在することは理解できるのですが、国際石油市場に依存する「脆弱性」を避ける手段として「資源ナショナリズム」が有効な手段たりえるのかと考えると、疑問であると思います。アフリカから中国までのシーレーンを考えると、中国独自で確保するとなりますと、アメリカはもちろん、イギリスをはじめ、他のOECD諸国との摩擦なしでは困難で、合理的ではない印象をもちます。

 「漫談」ですので、ゆきあたりばったりで参りますが、1日あたりの生産量(千バレル単位)の時系列データ(表1)を眺めると、1960年代における石油生産の増加率は約7−8%台(以下、伸び率は概数であることに注意)で1年ごとに生産量が増加し、1970年には10.1%ほど上昇しています。71年に5.8%、72年に5.6%と増加率がいったん減少しますが、73年には再び8.9%ほど増加し、73年の第4次中東戦争を受けて、OPECがいわゆる「石油戦略」を発動した第1次石油危機の始まりとされる74年には0.3%と原油生産の伸びは急激に鈍化し、75年には−4.8%とBPの統計では1965年以来、生産量が初めて減少しました。ただし、76年には8.2%と高い伸び率を示しています。第2次石油危機の場合、1978年の生産量の増加率は1.0%、79年には4.3%となっており、減産の効果は80年の−4.7%ではじめて現れ、イラン・イラク戦争(1980年9月より)の外生的なショックの効果も含めて81年の−5.4%、82年の−3.8%、83年の−1.9%と4年連続の減産を記録しています。他方で84年から85年も相変わらず生産量は横ばいと減少をへて86年頃から他のOPEC諸国の「裏切り」に業を煮やしたサウジアラビアが増産に転じてから、価格の低下(1986年には14.43ドル)と生産増が生じますが、1970年代のピークである6,604万7945.75バレルの水準を回復するのは1993年(6,605万983.04バレル)と実に15年近くかかっています。湾岸戦争のショックは1991年の生産量の減少(−0.3%)に現れていますが、1999年にも−1.6%ほど生産量が減少しており(おそらく1998年のアジア通貨危機以後の需要の伸び悩みに対応していると推測しますが)、外生的ショックとしてはデータ上、それほどでもないという感じでしょうか。2001年にはテロが生じますが、同年に−0.1%、2002年には−0.6%を記録しますが、同時期には需要の伸び率も2000年ごろから低く(消費の伸び率は2000年では約1.0%、2001年には約0.7%、2002年には約1.2%)、かならずしもテロと生産量の関係は自明ではないようです。イラク戦争が勃発した2003年には3.4%、2004年には4.1%と高い生産量の伸び率が記録されており、戦争の影響は生産面ではデータには現れておりません。

表1 石油生産量と増減率の推移
(生産量の単位は千バレル/日)

	   生産量      増減率
1965 31802.95389
1966 34568.40186 8.7%
1967 37118.0486 7.4%
1968 40435.78489 8.9%
1969 43632.85293 7.9%
1970 48061.32932 10.1%
1971 50843.60266 5.8%
1972 53666.17732 5.6%
1973 58463.71238 8.9%
1974 58616.69153 0.3%
1975 55824.75392 -4.8%
1976 60410.56716 8.2%
1977 62712.31671 3.8%
1978 63330.16737 1.0%
1979 66047.94575 4.3%
1980 62945.57134 -4.7%
1981 59532.4569 -5.4%
1982 57295.5423 -3.8%
1983 56595.46145 -1.2%
1984 57682.55262 1.9%
1985 57468.54852 -0.4%
1986 60463.43714 5.2%
1987 60784.3236 0.5%
1988 63157.3768 3.9%
1989 64049.24256 1.4%
1990 65469.63008 2.2%
1991 65286.77981 -0.3%
1992 65795.01037 0.8%
1993 66050.98304 0.4%
1994 67121.53785 1.6%
1995 68124.81262 1.5%
1996 69931.11654 2.7%
1997 72251.19812 3.3%
1998 73625.85025 1.9%
1999 72438.50755 -1.6%
2000 75032.77467 3.6%
2001 74931.85618 -0.1%
2002 74495.83878 -0.6%
2003 77056.14159 3.4%
2004 80243.53528 4.1%
2005 81250.32452 1.3%
2006 81663.31098 0.5%


 ちなみにイラクに限定すると、1970年代の生産のピークは1979年の約348万9,000千バレルです。イラン・イラク戦争開始後、1981年に約90万7,000バレルに落ち込みました。しかし、戦争中にもかかわらず、イラクの石油生産は回復を続け、停戦の翌年である1989年には283万8,000バレルの水準に達しています。イラン・イラク戦争以上に湾岸戦争によるダメージが大きく、1990年の214万9,000バレルから1991年にはわずか28万5,000バレルと大幅に生産量が減退しました。1992年から1996年までイラクの石油生産量は50万バレルでしたが、サダム・フセインにとっての「小春日和」であった「石油・食糧交換計画」(OFFP: Oil For Food Program)の下で1997年には116万6,000バレル、1998年から2002年までは200万バレル台で安定した状態になっていたことがわかります。イラク戦争が行われた2003年に134万4,000ドルと再び落ち込みますが、翌2004年には203万バレルに回復し、再び2005年には183万3,000ドル、と落ち込み、2006年に199万9,000バレルにやや回復しています。イラクの治安状況などと直接、リンクしているとはいえないでしょうが、戦争直後はイラクの石油生産が回復したものの、占領統治の不首尾によって2005年には再び生産量が減少し、2006年に回復したものの、戦争前の水準に回復するにはまだ時間がかかる可能性が高いと思います。イラク戦争のショックそのものは、国際石油市場を生産面から見ると、他の産油国の対応によってある程度、吸収されていた(表面的なデータの観察にすぎませんが)と考えます。

 なお、産油国といえば中東が大きいのですが、時系列で見ると、1965年には中東地域の石油生産が世界全体に占める割合は約26.4%でしたが、2006年には約31.3%に増加しています。なかでも、サウジアラビアは、同時期に約7%から約13.3%まで上昇しています。ただし、中東地域の石油生産量がピークであった1977年には中東地域の割合が約35.9%、サウジアラビアの割合が約15%でした。中東地域が石油生産という面で世界で最も重要な地域であることは否定できないでしょうが、政情の不安定もあって、存在感という点では微妙な感覚があります。この地域が原油を武器に国際的に発言力を強めるとするならば、現在のイランの核疑惑のように混乱の源としてではなく、政治的に安定した地域になった状態なのかもしれません。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/6369153

この記事へのトラックバック