2013年04月06日

拘束される日々 解放される日

 高校時代が陸上部に属した最後です。筋トレのメニューがありましたが、どうにも苦手だったのがスクワットでした。周囲はみんな気合を入れるのですが、私だけはわが身の安全が第一で、膝を痛めない程度に適当に力を抜いていました。適当にやっていると、周りは敏感に察知するもので、「ほんにお前という奴は」という扱いを受けましたが、けがをしないという点では異常に安定していました。個人レッスンも4月いっぱいで一段落したい気分もあるのですが、膝が痛まないスクワットをやって汗だくになりましたが、すっきりしました。帰宅してから20回を3セットほどやりましたが、膝に驚くほど負担がかからないですね。こういう種目が1回のレッスンで最低でも1つはあるので、続けてしまいます。

 最初はストレッチポールの上で腕を上げたり、腕で弧を描いたりする運動をしていました。非常に珍しいのですが、何のためにやっているのかの説明がほとんどなくて、最後にプルダウンをやりました。上半身はかなり左右で歪みがなくなっているのと、動きがよいのでしょうか。

 次がスクワットでしたが、とうとうやるのかというのが正直な感じでした。スクワットなんて、膝を痛めるだけの無駄な運動と思っていました。当然、膝を曲げるのですが、あまり前に突き出さないように注意されて、ホッとしました。膝に負担をかけるのは危険ですからと言われたので。お食事中の方には申し訳ないのですが、和式の大きい方で踏ん張る態勢によくにています。尻を後ろに下しながら突き出す感じですね。トレーナーの方は、「筋肉痛でのた打ち回りますから」と笑顔で10回を3セットで終わりにしましたが、一人で体が覚えるまで叩き込む意味もあってプラスして20回を3セットやりました。ジムでは最後の10回は7キロの棒を抱えて負荷をかけていたので、回数が倍になっても楽なものです。どうも、下半身の筋肉は、もちろん高校自体とは比較にならないほど衰えてはいるものの、負荷のないスクワット程度では筋肉痛にはなりそうにないです。そういって明朝、起き上がれなかったら、笑うしかないのですが。ふくらはぎと太ももの筋肉は、歩いているせいもあって、かなり安定しているようです。最初、負荷をかけたときに、いつも褒めてくれることが多いのですが、今回は想定外によかったようで、あっという間に負荷を厳しくかけられました。

 こうなってくると、血栓性静脈炎になぜなったのかが益々、謎でして、その時期に運動不足で病気になったという可能性もあるのですが、どうも「たまたま」ではないのかと。2004年のときには、遺伝子レベルの検査を受けてほしいけれど、負担が大きいからなあと言われたので、遺伝も影響しているのかもしれません。研究の対象になるぐらいなので、遺伝で確定しているわけではないと思いますが。

 2011年の11月から禁煙を始めましたが、漸く、目標とする段階に来つつある感じです。一つはやはり体ですね。これを「唯物論」というと、問題があるのかもしれませんが、体に不安を抱えていると、精神の働きも不安定になるというのが持論です。肉体に不安を感じるのなら、面倒でも一つ一つ、それを克服していこうと。3年程度はかかると見ているので、最終段階といっても、ここから最低でも1年間ほど、運動を続けないと全く意味がありません。

 そして、やはり本業はデスクワークですので、肉体の不安を取り除くプロセスと並行して精神的な活動を活発にするチャンスかなと。今の職場では誰も理解してくれない話にチャレンジするので、できたら異動があるといいななんてね。それはともかく、まさかこの問題にこのアプローチを使うのかという驚きをもって勉強していますが、もう1段階、踏み込んで生活自体を変える必要がありそうです。

 それにしても、まず禁煙に着手したのは、「時の最果て」で何度も書いているので、うんざりする方もいらっしゃるかもしれませんが、よかったなあと。タバコから自由になると、他の拘束もどんどんと楽になります。勤務先の拘束は増える一方で、肩書が上の方の拘束は減る一方なのはどういうことなんでしょと不思議で仕方ないのですが。


 衰退に処するというのはなかなか大変でして、一応、積極的な目標を掲げているものの、老化現象に対応するために試行錯誤しているというのが率直なところです。個人の肉体レベルのたとえにすぎない話を社会に拡大することには、実は抵抗があるのですが、日本を見ていると、老いは避けられないと見た方がよいのだろうと。民間企業もつらいのですが、ドメインをどうとらえるかにもよりますが、日本社会の「老い」と一企業レベルの衰退はかならずしも一致しないことが多いのでしょう。逆に言えば、高度成長期のように、民間企業の成長と社会の繁栄が一致する幸福な時代は、控えめに表現しても、当分はこないのかもしれません。簡単に言えば、「閉塞感」なるものの正体の一端は、努力しても報われない、今日よりも明日がよくなるとは思えないという悲観論でしょう。生活保護が叩かれること自体、ある一面では現実的な反面、現代的な病理かなと思う部分もあります。難しく表現すれば、私的な合理性と社会的な合理性が一致しない、厳しい時代ということになります。

 行政へのニーズが高まる一方で、財政負担は避けたいのというのは困った話ですが、感情論として単純に排斥することも難しいともいます。端的に言えば、コミュニティレベルで最終的な説得を行う年長者が、年金の受給者であり、安価な医療サービスの受益者でもあり、介護サービスの受益者でもある状態で、なおかつ現役時代の負担は現在の現役世代よりもはるかに小さいということになりますと(累積する公的債務はその結果)、まともに説得できる人材はほとんどいないということになります。

 そんな時代に都道府県レベルではしっかり仕事をしている人はいらっしゃるんだなあと感心しました。私みたいな碌でもない人間からすると、頑張って下さいという程度で、こうした方がいいですとかとても言えないです。国レベルではこういう地道に汗をかいて、それを筋を通して説明できる人材に出会ったことがないです。体調が改善しつつあるおかげで、こういう経験もできますね。

 困ったのは耳鼻科の治療で、鼻腔のポリープ(鼻茸)を当面は薬で抑え込んで、最終的に外科的措置を行うか決めましょうということになっているのですが、花粉症では断じてないと思うのですが、鼻水がひどくて、朝起きたときにも、鼻づまりでのどが乾燥していることがありますね。それもあって、毎食後の薬を欠かさず飲んでいるのですが、勤務先で食事をする際に薬を飲んでいたら、薬自慢ですかと言われて、こんな社会の底辺が集まる会社に勤務しているのかと憂鬱になりました。ちゃらんぽらんなせいですが、人間の忠誠心なんて実につまらないことで崩れるものだと実感しますね。ただ、忠誠心という言葉の使い方が適切ではないようで、この組織で評価されないことに苦痛を感じなくなるというところでしょうか。ほめられたら、私がやっていることの欠片もわかりもしない愚か者が何を言っているのかとあしらう感じ。一労務者なので、労務を提供して対価をもらったら、それ以上は関わりたくない感じ。組織的な行動を要求されれば、協働もするが、感情は入らない感じ。実は、自分の次の仕事を準備する1年にするにはベストかも。ただ、それ以上、いるのは、底辺と口をきくのも嫌なので苦痛でしかない感じでしょうか。

 ただ、テクニカルなことを理解してもらいたいという願望はなく、本質さえ理解して頂ければ、あとは些末な問題なのです。それさえ、現状では期待していないですが、もし、そういう機会があるのなら、私がなにをしたいのかをごく大雑把に理解してくれる方がいらっしゃるところがいいですね。もっとも、受け入れ側にも受け入れる値打ちがあるかどうかを値踏みして頂いて、これはむりとなる可能性はあるので、今の勤務先のまま、無感情にテクニカルなことに徹するという人生もありかなと。

 まったく話がうってかわるのですが、本業では英語で書かれたものを読むことが多いのですが、最近、ギリシャの話ばかりで、「時の最果て」とたいして変わらないレベルじゃないかと思っていたら、ちゃんと手が動いているんですね。アメリカ優位の世界が覆る可能性は、やはり無視していいんじゃないかと。しかし、要求されるスキルが年齢に関係なく、容赦なく上がっていくのはなかなか厳しいです。彼らと対等の土俵で競争するのはさすがに無理ですが、周回遅れでついていく感じです。
posted by Hache at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康な?寝言
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