2007年12月12日

ムダを削る ムダを残す

 『諸君!』12月号で経済論壇の「イデオロギー化」が話題になっておりましたが、そんなものかなあと論壇全般に興味がない私は軽く読み流しておりました。ただ、安倍政権以来の違和感はあって、「なんとか構想」がなんと多いことかと思います。昔の「イデオロギー」は、それが妥当かどうかは別として、それなりに包括的な世界像を与えたものですが、現代では、「とりあえず、消費税は許して」とか「上げ潮」(名目成長率を政府がどうやってコントロールできるのかがまるでわからない)とか、もっとひどいのになると、「インフレ期待の形成を」とか「赤字国債の新規発行をゼロに」とか、メニューを見た瞬間に、「すまん、別の店にする」という按配になりそうです。さらに場末(しゃれにならないことに「議連」ができていたりするわけですが)では「日本版SWF」なんて、「カジノ」に出入りする前に「借金」を返済しろと叫びそうになりますが、その瞬間にどうでもよくなって、なにごともなかったようにお茶をすする。そんな感じでしょうか。4%前後の利回りでご不満ですか、そうですかという感じ。

 だからというわけではありませんが、地味におもしろいのが電力自由化でした。複雑な経緯はわからないので、いい加減なものですが、「官」と「民」の対立で私が知りうる限り、「民」が強い分野という印象でした。「官」の言い分も聞いてみたいのですが、「民」の言い分をとりあえず抑えておきましょうという感じです。半日程度かじっただけのど素人ですが、なるほどと感心することが多く、「一見さん」だけに恥ずかしい質問もできて楽しかったりします。自由化自体はいいんだけれど、料金が低下して消費量が増えるという最も単純ですが、自由化の成果を図る基本が通用しないんじゃないんですかという恥ずかしいことも聞けてしまう(もちろん、料金が安いにこしたことはないのですが)。単に図々しい、ずれた人かついかれた「外道」の発想ですが、自由化を先にやった国では既に議論が終わっているようで、表現が悪いかもしれませんが、ことを急かないほうがよいことが多いことも感じます。こんな脈絡がないのが「時の最果て」の流儀ですので、かんべえさんの「釣り」にひっかかった方は早々にご退場なさるのが精神衛生上、よろしいかと存じます。印象に残った点を私自身のためにメモとして残しておきます。
  
(1)電力サービスの品質と信頼性

 電力業界では「安定供給」の内容を十分に整理してこなかったのではないか。単に停電が起きないなど表層的なレベルだったのではないか。発電から送電、最終消費者への供給までのプロセスで品質と信頼性を区別して安定供給を考える必要がある。

 品質は、(1)周波数、(2)電圧、(3)電気の波形などの要素で示すことができる。これらは消費者には通常、知覚されない要素である。信頼性は、消費者が知覚できる要素であり、停電などのような極端な自体から、精密機器に代表されるようにちょっとした電力の品質の変化によって停止してしまうケースなどある程度の幅がある。この区別は形式的に聞こえるかもしれないが、発電の分散化によって、異なる品質の電気が混在してしまうと、事業所によっては電力供給が事実上ストップしてしまう。このような事態を避けるために投資を行っているが、案件によっては数千億単位に上ることもあり、発電の分散化がただちに費用削減や品質の向上、信頼性の改善につながるわけではなく、むしろ、逆の事態を招くことが多い。

 東西の周波数が異なるために、東西で電力を融通するためにも投資が必要となる。他方で、投資の効果に関しては主として金銭的な評価が中心であるが、品質や信頼性の観点から評価することを含める必要がある。

(2)計量分析とシミュレーション分析

 均衡解が存在しないという結果は、ある程度想定してはいたが、解釈が難しい。最も単純に解釈すれば、東西での電力の融通のために中途半端に投資するならまとめて投資をするか、そうでなければ、ケチった方がよいということになるが、乱暴すぎる。計算自体は、本当に簡単になった。もっと簡単にすればExcelでもできるぐらいだ。ただ、でてくる結果の解釈は難しくなっている。

 計量分析の積み重ねがまだ貧困だ。3つや4つでは、検証にはならない。理科系並みとは言わないが、もっと研究者が参入してせめて20ぐらい同じデータで検証するぐらいにならないと、話にならない。電力分野はまだ恵まれている方だが、まだ研究の蓄積が必要だ。

(3)すべては変わってみな同じ

 自由化はしたものの、ピーク・非ピークや非貯蔵性など電力サービスの特徴は変わらない。料金水準が低下したものの、料金体系も昔とさほど変わらない。とくに外部の人に理解されないのは、電力の場合、瞬時の変化に対応を迫られるが、それに備えるためには無駄なぐらいの投資が必要だということだ。これをどんどんと削らざるをえない。最近は、昔の電力マンの知恵を聞きたいと思うこともある。ただ、「大家」と呼ばれる人たちの話は面白いが、系統的に受け継ぐことが難しい。よく聞いていると、考えさせられることが多いが、「交通整理」がまるでできていない。もっとも、自分が年をとったときに同じことを言われるのかもしれないけれど。

 ざっと記憶のままに並べただけですので、あくまで個人的なメモです。私の解釈がかなり入っているでしょう。ふと思ったのが、"redundancy"を意識的に残すことというのは難しいなと。自由化で「ムダ」を削るほど、ギリギリで操業しなくてはならなくなります。最近では、大都市圏で大規模な停電がなくなって、家庭がまるで慣れていない状態です。もちろん、停電がない方が望ましいのですが、いざというときの備えが私自身、できておりません。昔は、停電があると、最初は慌てるものの、何事もなかったように、父上が懐中電灯と蝋燭を取り出したものですが、20年以上前と比べて、電力に依存する生活環境であるにもかかわらず、個人の備えは足りない。

 「市場原理主義」という、おそらくは2000年近い歴史を誇るであろう、陳腐なお題目の批判には組しませんが、インフラストラクチャーという地味なところから見ると、市場がありとあらゆるところに浸透しているにもかかわらず、それが機能しなくなったときの備えがあまりにないことに気がつきます。これが唯一の答えというほどのものがあるのかどうかすらわかりませんが、"redundancy"をどの程度の水準で保つのが適切なのかということに市場が解をもっているのかは怪しいかなと思います。
posted by Hache at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言
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