2007年12月21日

「グランドデザイン」のない国際経済

 まあ、「パニック?」というより、「パニック一歩手前」という状態でしょうか。モルガン・スタンレーが9−11月期の決算で96億ドルの損失を公表したという話を最初に見たのがこちら。「ニューヨークの金融業界のメルトダウンのような事態」というおっかない表現を見て、ちとびっくり。ただし、記事そのものは冷静で先進国間の協調体制にSWFをのけ者にするのは難しいという論調が基本だなと思いました。

 あとは、予想が外れてご本人がパニックの状態になっているので読むのが苦痛だったりします。エコノミスト、エコノミストの批判をする人たち、どちらも事態を冷静に捉えることができない人がほとんどではないかという印象をもってしまいます。予想が外れて混乱している人たちが多数派になっている状態をパニックと定義するなら、ネットの一部は既にパニックなんでしょう。伊藤洋一さんを除くと、冷静な観察が少ない印象があって、中国のマネーがアメリカの投資銀行に入ることによる効果もまるでわからない。「米中融合」へ過度に重点をおくと、事態がわかりにくい印象があります。

 他方で、伊藤洋一さんは金融市場の混乱による米国債の値上がりという日本側の利益を認めながら、それ以上に事態が進んだ場合、日本も政府系ファンドの活用を考えるべきだという主張をされていますが、かんべえさんの記事を読むと、かなり厳しい印象。CICがMSに出資した金額が50億ドルですから、今から政府系ファンドを立ち上げても間に合わないかもしれません。資金が仮にあっても、それを活用する人材がいないのでしょうから。それにしても、MSの次はどこと不謹慎なことを考えていたら、あっさり「次」が出てくる始末。

 伊藤洋一さんの2007年12月21日の記事によると、メリルリンチも50億ドルのテマセックから資本注入を受ける可能性があるとウォール・ストリート・ジャーナル紙が報道したとのことです。こうなってくると、危機が収まったときに起こりうるであろうことよりも、危機の「マグニチュード」(最近ではガルですか)がまるでわからなくなります。確実なことは、資本注入など欧米の圏外の政府系ファンド(SWF)を頼らざるをえないということで、欧米諸国の中央銀行の協調だけでは解決しそうにないということでしょうか。おそらくは、「震源地」であるアメリカがもっとも失うであろう資産が大きく、EU圏が次というぐらいで、まるで規模がわからない。大手金融機関が「招かざる客」を投資家に加えたことには各国内の投資家の反発が強まりそうで、どうなりますやら。素人の目に映るのは、経済的依存のレベルでは先進国だけで「新しい中世」とはならないかもしれないということでしょうか。

 SWFの実態は素人にはよくわかりません。ノルウェーの「国家石油ファンド」の場合には、安達正興さんによると、非常に厳しい制約が課されているようです。素人的にはアジアやアラブ圏の、SWFの強みの一つは、欧米流のルールに従う必要がないことだと考えております。彼らが欧米の金融機関への資本注入に手を上げるということは、欧米圏内に(中央銀行や政府を除くと)資金の出し手がいない状態でしょう。単純にカネが不足しているというだけでなく、さまざまな制約もあってとてもじゃないがよその面倒を見る余裕がない。さらに、MSでも追加損失が出る状態ではリスクも読み切れないでしょう。「ナイトの不確実性」で説明することも可能でしょうが、期待効用関数に関しては、加法性以外にも修正が進んでおり、将来を予想する理論自体がまだ粗いことを示しています。いずれにせよ、欧米圏内の金融機関には資金の出し手がなく、少なくともアメリカでは日本とは異なって政府が資本注入を行うわけにはゆかない。いきおい、欧米圏外でリスクをとれるだけの資金をもち、政府による余計な制約から自由で、かつリスクをとって利益を上げようとする意思があるファンドに頼らざるをないということでしょう。UAEやシンガポール、中国などにはそのような条件を満たすSWFがあったということで、もし彼らの存在がなければ、欧米諸国はルールを変更するか、ずるずると「パニック」に引きずりこまれるかという選択に迫られていたのかもしれません。もちろん、一連の資本注入にもかかわらず、「パニック」を避けることができるという保障はどこにもありませんが。

 厄介なことに、CDOが、金融機関だけでなく事業会社も含むカネの面での相互依存関係を集約して象徴する商品であることでしょうか。様々なリスクをヘッジするために作られた商品が、サブプライムローンを発端に悲観を市場が覆う状態になってしまうと、リスク計算そのものが困難になってしまい、悲観が悲観を呼ぶという淵源になってしまいます。この状況では一点で起きた「事故」が、他の経済主体にも拡大して波及してしまう。元々、市場自体がそのような相互依存そのものではありますが、資本市場は実体経済と比較すればはるかに調整速度が速く、同時にレバレッジなどで波及効果が拡大する性質が強く出ます。資本市場の「パニック」は、人々に適切な将来の予想(あるいは期待)を形成することを困難にしてしまいます。現状では「パニック一歩手前」と見ておりますが、資本市場が機能不全に陥った場合、少なくとも期待形成という点で、実体経済に影響がでるのは避けられないでしょう。もちろん、CDOに組み込まれている債券やローンなどだけでも十分に影響が既にでているわけですが。資本市場の振幅自体がわからない以上、実体経済への影響を考えることは無理がありますが、資本市場という現在の経済と将来の経済を結ぶ最も太いラインが機能しなくなった場合、アメリカやEU圏が相当の混乱を起こすことを考えておく必要があるのでしょう。

 再び、アラブ圏やアジア圏のSWFに話を戻すと、政治色などからこれらを敵視とまではゆかなくても、「無法者」扱いする傾向がG7でもありました。欧米流の資本市場のルールでは規制できないという点では、そのような扱いはやむをえないことも多いのでしょう。他方で、経済的相互依存の主体になる金融機関は「無法者」に資本を頼らざるをませんでした。センセーショナルな書き方をすれば、「欧米がアジア・アラブに頭を下げる時代の到来」となるのでしょう。「時の最果て」の中の人はボーっとした人なので、もっとどうでもいいことを考えてしまいます。

 欧米の資本市場の混乱が示しているのは、田中明彦先生の『新しい中世』の第一圏域も、第二圏域から超然としていることはできず、両者が経済的相互依存という点では、対立と協調という問題だけでなく、第一圏域内のみならず、第一圏域と第二圏域の相互依存が深化してゆくという意味での「多極化」が避けられないということでしょう。そのような実態に対応して国際協調体制も、少なくとも経済のレベルでは、第一圏域のみにとどまることはできなくなる可能性があります。その善悪是非にかかわらず、です。いずれにせよ、先進国中心の経済レベルにおける国際協調体制も、実際には体制外の存在によって補完される可能性が高いのでしょう。

 他方で、アメリカの政治的リーダーシップが弱くなれば、協調体制そのものを維持することが困難になるかもしれません。政治レベルでは協調体制から排除されている政治上の主体の統治下にある国の経済主体が、経済のレベルでは徐々に国際的な市場でプレゼンスを高めているわけですから、これらを排除した協調体制が維持できるのかどうか疑問でしょう。そして、かれらのプレゼンスを高めているのが、アメリカの金融機関との相互依存である以上、アメリカがこれらの国々を排除して政治的リーダーシップを発揮することは難しくなるでしょう。

 目の前にある「危機」から遠く離れてしまいますが、ブレトンウッズ体制はアメリカの政治・経済・軍事の総合的な国力をもとに西側諸国を経済のレベルで協調するよう強制する強力な力をもっていました。それは、あえてアメリカを偽悪的に描けば、アメリカ国内の管理通貨制度に西側諸国を組み込む効果をもったとも考えます。他方で、この体制は頑健ではありませんでした。ブレトンウッズ体制の下でアメリカ以外の西側諸国は経済的にも復興し、固定為替相場に象徴される国際的な政府による資本市場の規制の枠組みを資本市場自身が乗り越えてしまい、ドル危機が生じてしまいます。最近は、このような表現を好まなくなりましたが、ブレトンウッズ体制は成功したがゆえに破綻したというところでしょうか。アメリカの強制があったとはいえ、別の側面から見れば互恵的であるがゆえに成立し、少なくとも30年間は存続することができました。

 ブレトンウッズ体制の崩壊後は、資本市場への規制は、BISによるものをはじめ、分散化、あるいは分権化する傾向を示しています。見方を変えれば、アメリカによる強制という側面は後退して、各国の自発性のウェートが高まったとも言えます。他方で、協調体制が各国の自発性のみで成立するか否かは自明ではないのでしょう。少なくとも現在までは、アメリカの政治的リーダーシップと各国の自発性は、完全ではないにしても、基本的に補完関係にあるのでしょう。現時点からさらにアメリカのリーダーシップが低下した場合、国際協調が存続しうるのかはわかりません。憶測に憶測を重ねると、国際協調がない場合に資本市場が機能するか否かもまったくわかりません。資本市場が完全に自らを律することができるのかといえば、現状を見れば悲観的にならざるをえません。もちろん、国際的なルールがかえって資本市場を不安定にする側面も無視できませんが、資本市場の自発性のみで適切なルールができると考えるのは私には楽観的すぎるように感じます。

 今回の資本市場の混乱が示している側面の一つは、相互依存と分権化が地球的規模で拡大している市場レベルの問題と資本市場を律する国際的な枠組みが合致していないということだと考えております。もともと、両者が完全に合致することなどないのかもしれません。ただ、世界経済に関する国際協調体制は、アメリカの「覇権」をEU(遺憾ではありますが、日本は「圏外」)が代替するという古典的な発想ではなく、相互依存を後追い的にカバーしてゆく緩やかなものにしてゆく、より拘束力の弱い発想にもとづかざるをえないだろうと。もっと露骨に言えば、まず国際協調体制を築く政治的リーダーシップをアメリカにとって代わるほどの国はなく、アメリカのリーダーシップも他の国に超越する形ではなく、"one of them"としてものに変化してゆくのであろうと。

 市場の立場から見れば、ブレトンウッズ体制は、アメリカの強制によるものではありつつも、国際的な財や資本の市場の「設計図」を示したものでした。おそらくは、今後、そのような「設計図」にもとづいて市場が機能するという幸福な時代はしばらくはこないのであろうと。まず、取引という相互依存があり、そこから様々な慣行や習慣が発生し、それを事後的に律するという形に国際協調の重点が、既に変化しつつありますが、さらにそのような方向へと変化してゆくと考えます。

 ただし、このような国際協調体制は、実はより強いリーダーシップによって補完しなければ、機能しないのではないかと危惧しております。市場に関するルールづくりで肝要な点は守られるべきルールを明確にするために余計なルールを作らないことだと思いますが、多様な経済主体が存在する下で余計なルールを作らないこと自体、非常に強いリーダーシップが必要でしょう。さらに、国際協調では各国の政治的思惑を排除することは困難でしょう。国際協調体制に参加する国の数が増えるほど、適切なルールづくりは困難になることも多いでしょう。確実なことは、事前に「グランドデザイン」を描いてそこへ各経済主体を落とし込んでゆくというタイプの規制は難しくなっているということです。これまでルールづくりではアメリカとEU、場合によっては日本も加わる、先進国内の「覇権」争いに比喩されることが少なくありませんでしたが、そのような時代もすでに過渡期として見る時期に来ていると思います。
この記事へのコメント
寄せ集めFGのMです。たびたびお邪魔します。SWFについては議論が喧しいのですが、要は国家の余資を誰が、どのように運用するのか、という問題に帰着するのではないでしょうか。わが国の課題としては、民営化されたばかりのゆうちょ銀行やかんぽ生命の運用力涵養が先決ではないかとも思います。
優秀な人材が政府の周囲に限られている途上国はいざ知らず、日本のように民間にも適材が揃っている国であれば、まずは「官より民」でしょう。
それに、借金返済に勝る運用はなし、の例えどおり、もし国に運用に回すだけのおカネがあるのなら、日本国がやるべきことは巨額債務の返済でしょう。これは増税議論に優先します。
更に申し上げるなら、おカネそのものには道徳観はありません。儲かる(と思われる)ところに集まり、損を蒙ると思ったらとたんに逃げ出します。国家のように何らかの理念や道徳を求められる組織が手を染めるには馴染まないものではないでしょうか。
自分が属する業界のことは話し出すと長くなってしまいますので、今日はこの辺で。
Posted by M at 2007年12月22日 12:01
>M様

コメントを賜り、ありがとうございます。記事の質が低いおかげで、勉強になります。カネの話を知りたいならプロに聞くのがベストだと実感いたします。ただただ、頭が下がります。全体として「御意」と申し上げて終わりではありますが、やはりいろいろ考えなくては自分のものになりませんので、私めがリプライするのは不躾ではありますが、コメントを拝読しながら、感じたことを申し上げます。

「SWFについては議論が喧しいのですが、要は国家の余資を誰が、どのように運用するのか、という問題に帰着するのではないでしょうか。わが国の課題としては、民営化されたばかりのゆうちょ銀行やかんぽ生命の運用力涵養が先決ではないかとも思います」。

→ほとんど、「日本版SWF」を考える基本中の基本をお示し頂き、ありがとうございます。「国家の余資を誰が、どのように運用するのか」という基本が抜けたまま、議論だけが行われていることがよくわかりました。また、優先順位からして、ゆうちょ銀行やかんぽ生命の運用力を、同じく、「誰が、どのように運用するのか」という方が高いというのも納得です。素人目には財投から一気に都市銀行なみの運用へというのは難しいと思います。ご指摘を受けてから気がついたのですが、たしかに優先順位が変ですね。

「優秀な人材が政府の周囲に限られている途上国はいざ知らず、日本のように民間にも適材が揃っている国であれば、まずは『官より民』でしょう」。

→すみません、本当はSWFの活用はないでしょうということを書きたかったのですが、自信がなく、本文ではぼかしたようなあいまいな表現になっておりました。また、なんとなくですが、都市銀行も人材を使いこなせていない印象もありました。このあたりの呼吸は素人にはあまりに難しいのですが。

「それに、借金返済に勝る運用はなし、の例えどおり、もし国に運用に回すだけのおカネがあるのなら、日本国がやるべきことは巨額債務の返済でしょう。これは増税議論に優先します」。

→12月12日の「寝言」で思わず、「『日本版SWF』なんて、『カジノ』に出入りする前に『借金』を返済しろと叫びそうになりますが」と書きましたが、すっきり整理して頂いた感じです。ちゃんと整理をしておりませんが、SWFが存在する国の多くは、財政黒字もしくは健全な状態ではないかと思います。政府が借金漬けの状態でSWFをやっているというのは私が知らないだけで、まったくないのかまでちゃんと調べてはいないのですが。

「更に申し上げるなら、おカネそのものには道徳観はありません。儲かる(と思われる)ところに集まり、損を蒙ると思ったらとたんに逃げ出します。国家のように何らかの理念や道徳を求められる組織が手を染めるには馴染まないものではないでしょうか」。

→この明快さは本当に感じ入りました。ここまで明確にご指摘いただくと、素人でもすっきりわかります。基本を忘れて素人が「応用問題」を考えると、碌なことがないことを実感いたします。長期金利が低い(最近の低下は不気味な感じすらしますが)状態である今、ちゃんと財政を立て直す議論をしておいた方がよいと思います。話がそれましたが、「日本版SWF」やMSへの資本注入などで、このあたりの議論が紛れないことを願っております。

「寝言」とはいえ、あまりにひどい話にお付き合いくださり、恐縮です。ただでご指導いただいているので、申し訳ないのですが。今後も、コメントを賜りますよう、お願い申し上げます。
Posted by Hache at 2007年12月23日 00:30
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