2007年08月10日

「寝言」ならぬ単なる「与太話」

 なんというのか、ボロボロです。『三國志11』も相性が今ひとつでしたが、『大航海時代IV』の廉価版(販売元SOURCENEXT)を入れた途端に、サウンド機能がすべて麻痺してアンインストールしても、元に戻らず、疲れ果てました。『毒を食らわば皿まで』とばかり、音が出ない状態でプレイしたところ、予想以上におもしろい。2chの関連スレでは『大航海時代IV』自体の評判があまり芳しくないようですが、以前のバージョンをやったことがないので、コーエーにしては珍しく、SLGというよりRPGみたいな感覚。ドラクエやFFならば戦闘でお金を入手するところを、このゲームでは交易で儲けるという感覚でしょうか。おもしろいのはよいのですが、困ったことに、16ビット機にあわせてつくっているせいなのか、サウンドがすべて止まってしまう。デルのサポートセンター(一時期を考えると、ずいぶんよくなりました)に問い合わせても、解決できず、ピックアップ修理をしましょうとなって、さあ、大変。

 今、自宅で使っている機種がいつでもVistaに移行できるよう、事実上、64bitを意識した環境でXPを使っているので、Windows9x時代のゲームは軒並み、壊滅しています。『信長の野望 武将風雲録』あたりは壊滅。『三國志11』は上海馬券王先生のお勧めで、董卓の顔が見たいというだけで(with PK版!)買いましたが、意外と楽しい。「このクソゲー!!」と叫びながら、画面サイズを最大にしてWindowで起動すると、フルに楽しめます。個人的には、本体のプレイよりも、「決戦制覇モード」が楽しく、「才媛抜擢シナリオ」あたりは三国時代の男女共同参画社会かと思いつつ、内心、「クソ中のクソ」とつぶやきながら、熱中してしまう。採用対象者となる女性武将は、そのほとんどが男性武将の嫁ではあるのですが。「二僑」イベなんていうものが生じて、ドキッとしましたが、幸い、エロや「萌え」とはほど遠く、胸をなでおろしました。孔明嫁が無理にメガネ美人からメガネをとったような顔で、CG作画を担当した人も苦労したんだろうなあと。説明も苦しいですし。間違っても、ブ○というわけにはゆかず、苦しいところでしょう。ちなみに、この嫁、無茶苦茶、有能です。内政・外政・戦争とフル活用。劉禅のパラメータが「魅力」を除くと、軒並み一ケタ台なのに、この嫁(黄月英)は、都市攻略には欠かせないですし、知力がかなり高いので(馬謖87に対し、黄月英89と準軍師並み)兵器製造など生産期間が複数ターンにまたがる場合には助かります。諸葛亮自身は、「五丈原の戦い」でプレイヤーが担当する司馬懿に「舌戦」(要は、『提督の決断II』のカードゲームみたいなものか)で敗れ蜀の大義を否定され、火計でボロボロにされてしまうのですが。いまだに『出師の表』から始まる蜀の攻勢が理解できないので(私だったら、ゲリラ戦ですな)、諸葛亮の評価はあまり高くなく、「奸悪」とされる武将が好みだったりします。だいたい、物語で「善玉」とされる人物がことをなしたことは少なく、「悪玉」とされている人物に肩入れする傾向が強いのですが。

 「時の最果て」らしくとりとめがなくなってきましたが、PCはXPの「システムの復元」でなんとか元通りになり、修理にはださないことに。もう一台、ノートPCはもってはいるのですが、キーボードを打つのが苦痛でして、やはり90年代半ばのIBM製のキーボードは最高です。ストロークがちょうどいいですし、なにより10年以上、酷使して(使わない日がほとんどないのにもかかわらず)、全く故障しない。かんべえさんや大御所の「攻撃」で私が何度コーヒーをぶっかけても、カバーを洗うだけ。日常的に使うPC関連機器で生き残っているのは、キーボードとは皮肉なものです。不思議なことに私は壊したことはないのですが、キーボードは8bit機の時代から消耗品扱いでした。私が中高生の頃にはカバーをつけることもなく、飲食物は一切PCの近くには置かなかった記憶があります。ハードディスクを内蔵するようになってから、PCは壊れる前に更新する癖がつき、今使っているのが、事実上の三代目。ゲームごときに日常が振り回されてはかなわないので、PCでゲームをやるのは『三國志』が最後かなあと思います。

 というわけで帰宅しては『大航海時代』に振り回される日々が続きました。あんまり進んでいないのですが、どうもおっとりゲームを進めすぎて、序盤で既に新大陸の権益をとられていたりと自分でものろまだなあと思いますね。歴史の要素が極めて少ないのはちょっと意外でしたが。サウンド機能が停止するのは結構つらいです。マウスでの操作もちょっときついかな。プレステでやるにはちょうどよい感じでしょうか。

 ゲームのことばかり書いていると遊んでいると思われそうなので、「拉致敗戦」を立ち読みましたが(立ち読みする自分も自分ですごいと思いますが)、うーんという感じ。安倍政権の対北朝鮮政策におけるプライオリティに関する批判は違和感はないのですが、交渉で北朝鮮が核を放棄するのかどうか、見通しが見えないです。プライオリティの問題自体は、漠然とですが懸念を持っていましたが、良くも悪くも、純粋な方(政治家の形容としてはあまりよくない表現ですが)とのことで、今年の3月あたりにあきらめムードになりました。立ち読みしながら、核開発に限定しても、あまり期待はできないなあと思いました。全体の印象では、交渉に北朝鮮が核を放棄するインセンティブをどのように与えるのかが不明確でした。他方で、北朝鮮が核武装を事実上したままの状態の場合、周囲が日本・韓国を除くと、核保有国かつ核戦力は重厚ですから、どの程度、北朝鮮の核を「脅威」として認識しているのかは疑わしい。核武装の見返りは罰だと思いがちですが、北朝鮮の地理的な位置もあって、パワーポリティクスの側面が強く出ると、北朝鮮にとっての「資源」そのものになってしまう側面もあります。松尾文夫さんの質問は厳しいところもあって、シーガル氏の説明も苦しい印象がありますが、この種のインタビューとしてはかなり踏み込んでいて、立ち読みの割りにえらそうですが、本屋で読み込んでしまいました。内容自体は雪斎先生やかんべえさんが書いていますから、あまり付け加えることはありません。パッと読んだ印章は、(1)北朝鮮の核の放棄でアメリカのスタンスはそれほどぶれていないこと、(2)核よりも拉致にプライオリティを置くかのような印象を与えることは交渉を硬直化させるだけでなく意思決定者の合理性に疑念を抱かせること、(3)現状では北朝鮮の核放棄は交渉のロジックで進む方向に着ており交渉の成果に過大な期待は抱けないこと、などでしょうか。公式には無理でしょうが、北朝鮮が核の放棄に応じない場合、あるいは不徹底に終わった場合などを見据えて「非核三原則」の「持ち込ませず」は既にあまり意味のない話になっていますが、このあたりを原則は原則として維持しながら、自国の安全確保との折り合いを上手につけてゆく準備も考えておいたほうがよいという程度のことぐらいしか思い浮かびません。

 核抑止・核管理の議論に明るいわけではないので的外れかもしれませんが、北朝鮮の核自体は戦力としてどの程度、機能するのかという以前に開発の段階などあまりにも不透明な要素が大きいです。北朝鮮の核を検証可能にするだけでも、途方もない労力を必要とするでしょう。くどいようですが、この段階でも交渉が十分な成果が挙がらない可能性があると思います。

 さらに、核に限らず、軍備というのは意図と能力の掛け算で決まるのでしょうが、北朝鮮の「意図」に深入りするよりも、能力から入る方が明快だと思います。先述のように、私には北朝鮮の核の能力は非常に不透明ですが、六ヶ国協議の主要参加メンバーのうち、米・露・中は核大国であり、北朝鮮が核をある程度、戦力化したとしても、抑止が可能でしょう。日・韓はアメリカの同盟国であり、韓国の方向性は危ういものがありますが、他国の心配をする以上に日本はアメリカとの同盟を強化するほかないでしょう。「拉致敗戦」は、北朝鮮に核放棄をさせることがアメリカの基本戦略であり、日本にも積極的な役割を求めるというよりも、せめて足を引っ張るのはやめてくれというメッセージでしょう。何回も繰り返して恐縮ですが、この交渉に過度の期待はできないでしょう。しかし、この交渉でアメリカとの関係をさらに強化しておくことは北朝鮮との交渉が不満足に終わった場合の備えになりますし、核戦力という点からすれば、ロシア・中国の方がはるかに強力なわけですから、こちらへの対応を考えると、この交渉は単なる北朝鮮の核放棄にとどまらない意義があると思います。

 この時期に殺伐とした話ですが、広島・長崎の教訓は、敵対関係にある一方が相手の反撃を無視できる程度の力関係であれば、道義ではなく、力学的に核兵器が用いられるということです。他勢力を損耗させ自らの意思を強制する、極論すれば、地上から物理的に抹殺しようと思えば、核兵器ほど安価な手段はありません。私自身の理解力不足が大きいのでしょうが、日本の現状を見ると、核管理や核軍縮のような核保有を前提とした問題においては自ら核をもたないことを国是としている国では道義的な旗振り役以上の役割は困難でしょう。せめて核抑止という自国の安全に関わる問題で冷徹な議論を行うことをためらわない雰囲気が必要でしょう。この場合にも、自国の核保有という極論がすぐにでるあたりでまだ成熟しているとはいえないように思います。北朝鮮の核は「虫歯」のようなものだと思いますが、「虫歯」へ冷静に対処しながら、核抑止、もっといえば通常の抑止を含めた的確な議論が行われ、コンセンサスが形成されないと、次の10年を凌ぐことは非常に難しいと思います。

 いずれにせよ、外交交渉で自らの言い分が100%とおることなどはまずないということを抑えておく必要があります。私自身が脅威と感じているのは、北朝鮮の核武装よりも中国の核戦力の増強です。中国の核に関しても、実際は冷戦末期の米ソ関係に比べれば、あまりに不透明な部分が多すぎます。しかも、アメリカとの核のパリティを達成したソ連は、内政面での理由も大きいのでしょうが、様々な核軍縮・信頼醸成措置に応じる態度に転換しました。当面の中国は、そのような状況ではないでしょう。冷戦後、核戦略論はやや下火になったそうですが、当面の課題の核抑止を確実にするためにも、核軍縮や核管理に関する専門家が必要になってくると思います。核問題の現時点での現実的な課題は、核廃絶そのものでもなければ(私自身はこれを追及すべきではあると思いますが)、核戦力の増強を図る国々を押さえつけることでもない。問題は、これらの国々と核に関する「信念」を形成することであり、核を持たない国には核保有の費用対効果の計算を透明化して核保有に至らない枠組みを形成することだと考えます。

 今週末から来週にかけて浜松でのんびりしてからお墓参りです。既に不定期更新になっておりますが、生きておりますので、ご安心を(心配してくれる人がいないのよね(しくしく))。
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2007年05月31日

更新の休止

 私自身が身内の者を失ったわけでは在りませんが、突然のことでお慰めの言葉もでてまいりません。私が喪に服するということではないのですが、日曜日まで更新を休止いたします。この種のことに疎いので、的外れなことをしているのかもしれませんが。なお、私もまったく偶然に悲報に接しましたので、事情は一切、申し上げません。

 衷心より哀悼の意を捧げます。
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2007年02月28日

2007年2月完走の御礼

 なんとか2月は毎日、記事を書くことができました。なぜ、このようなあまり意味がないことをやり始めたかといえば、実は自分でもわかりません。陸上、それも長距離をやっていたせいでしょうか、自分で一度こうと決めると、融通がきかなくなって、最後までやらないと気が済まないようです。

え゛っ、それはあんたの性分だろうって!

陸上とかそういう問題じゃない!?

 ……失礼しました。高橋尚子さんを初めてテレビで見たときに衝撃を受けました。とうとう女子マラソンもここまで来てしまったのかと。負けず嫌いさが美しく表出していて、強烈なまでの意志の強さを感じました。どのスポーツでも「負けず嫌い」や競争心は当然ではあるのですが、個人競技は妥協」すれば簡単なので、個人の克己心がストレートに反映します。私ごときが申し上げるのは憚られますが、女性の社会的地位を高めているのは女権論者ではなくて、高橋さんのように知名度が高くなくても、実際に活躍している方たちなのだろうと思います。

 話がそれましたが、とりあえず、カレンダーを埋めるというどうでもいい目標を達成して、本当にどうでもいいのですが、妙に充実感があります。ふと思うに、基本的に自己実現という高尚なレベルで生活しているのではなくて、単に自己満足で生きているようなものだなあと思います。1年間、書き綴ってみて、しみじみ実感するのは、もう本当に進歩しないなあという嘆きです。社会の進歩には懐疑的ではあるのですが、自分が進歩しないことにはやはり鈍感ではいられません。別にブログなど書かなくてもわかりきったことではありますが、自分がたいした人間ではないことを再確認するぐらいの意味はありました。3月からどうするのかは実はなにも考えていないのですが、こんな調子になると思います。まあ、人生自体が「寝言」のような悪い冗談でありまして、「時の最果て」もそのおまけと申しますか、副産物。「汚染物質」を垂れ流しているような気もしますが、見なければ済む話しだしと開き直る自分がいてちょっと鈍感になりすぎですね。

 人生を旅に喩えることが少なくありませんが、いつ、どこが出発点で、いつ、どこで目的地に来るのかさえ、見当がつきません。下品かもしれませんが、そんなことを考えたところで、お金になるわけでもなく、人間性が高まるわけでもなく、あまりご利益はなさそうです。露骨にいってしまえば、「病気自慢」みたいなものでありまして、まあ、その程度の効能は書いている本人はあるのだろうと。ただ、病気自慢も、ある水準に来ると、「詩」のようになるわけで、そのような境地はほど遠いと思いつつ、彼方を見ている、そんな感覚です。まあ、そんな業病にとり憑かれた人間であることを自覚させてくれた一文をご紹介して、今月最後の記事とさせていただきます。

 われわれが以前の自然科学よりもより多く知っているのは,認識可能なもののすべての領域に通じる通路の確実な出発点は何もないということ,むしろかえって,すべての認識は,いわば,底なき深淵にただよわなくてはならない,ということであり,そうして,われわれは,いつも,その中間のどこかで,適用することによってはじめて一層明確な意味を次第にもちうるようになる概念を用いて実在を語ることにとりかからなくてはならないということ,そうして,論理的,かつ数学的な正確さについての要請をことごとく満足する最も明確な概念体系でさえ,限られた実在領域内でわれわれに行くべき道がわかるようにしようとする暗中模索的な試みであるにすぎない,ということである(ハイゼンベルグ(田村松平訳)『自然科学的世界像』 みすず書房 1979年 124頁).
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2007年02月13日

時の最果てと「時の最果て」

 ブログなるものを始めてから、1年が経過しました。そういえば、アクセスカウンターが9万を超えました。正直なところ、あまり感慨もなく、よく1年も続いたなと思うのですが、これでは過疎ブログとはいえ、読者の方々にあまりに失礼な話であります。ご愛顧いただいている方には、心より感謝の念を申し上げます。

 このブログのメインは、「ある敗戦国の幸福な衰退史」というテーマです。どうも最近は「なまもの」について書きすぎていて、自分らしくないなあと思いますが、戦後のこの国の歩みを「戦後史」そのものについて書くのではなくて、近代以降のフランスやドイツ、ロシアなど、私が大日本帝国の興亡と重なってくる話をしながら、言ってみれば、戦後の歩みそのものを「解剖」するのではなく、外側から石膏で固めてみたら、どんな姿が映しだされるのだろうという関心が出発点です。

 この作業は、同時にある政治的主張も含んでいます。すなわち、集団的自衛権の行使を認めて日米同盟の双務性を高めよということにつきます。もちろん、アメリカ以外の国々とともに武力行使に参加することも考えておく必要があります。ただし、「個別的」であろうが、「集団的」であろうが、自衛権に関していらざる留保をやめることが、この国の安全にとって寄与するだあろうということが、この主張の前提になっています。とるに足らない議論ですが、アメリカへの「引け目」やアメリカの「お先棒」を担ぐという話は、自国の安全にとって集団的自衛権の行使が可能である状態にすることが損なのか得なのかという計算を度外視しているように思います。露骨に言えば、日米同盟の双務性を高めるのは、この国のためであってアメリカのためではないということです。同盟の場合、微妙な利害対立の調整はあるのでしょうが、自国の安全を守るための手段を確実にすることが、パートナーの選択肢を広げ、結果的により自国の安全が高まるというだけの話です。他方で、このような議論は、論壇はよくわかりませんが、最近ではほとんど政治的には無視できる程度の話になってきました。安倍総理は、幹事長時代に集団的自衛権に関する踏み込んだ発言をしましたが、問題発言としてマスメディアで取り上げられることはなかったと記憶しております。

 それでは安倍政権になって集団的自衛権に関する政策的プロセスは前進したのかといえば、現時点では目に見える成果はありません。私自身は、内閣法制局をどのように扱うのかが焦点だと考えております。集団的自衛権に関しては様々な卓見が示されていますが、実際に解釈をまともにするためには、内閣法制局が解釈を変えなくてはなりません。国会や論壇でもすぐれた見識が示されていますが、最後は泥臭い作業をどのように上手に演出するのかが問題でしょう。集団的自衛権の行使に関して「党派的」な意見を書いている割に具体的な話が少ないのは、もはや政治的な巧拙の問題であって、それが決着すれば、あとはこの問題をどのように国民に死活の問題としてプリゼントするかの問題であると考えているからです。麻生外相の「新たな安全保障環境における日本とNATO」演説でも、この点は従来の政府見解を踏襲しています。他方で、麻生外相の演説ではどこかの段階で「オペレーショナルな面においてもどのような協力が可能かを見つけるであろう」と述べられています。これは、安倍政権の「ボトムアップ・アプローチ」――まず、やれることかやりましょう――を代表していると考えます。集団的自衛権に関する議論が深まることは歓迎しますが、その解釈の変更、そして変更した後の運用は、巧拙の問題であって、「国家像」は事前にではなく、そのような営みの結果として生まれてくることは、けっして忘れてはならないことだと考えます。極論すれば、政治というのは、この問題に限らず、その場、その場の臨機応変の対応であって、同時に後からよいものを継続する作業が不可欠なのだと思います。

 このブログを始めた当初、集団的自衛権の行使に関する解釈がまともになれば、この国も安泰だという楽観的な見通しをもっておりました。いまでも、そのような考えに変化はありません。「ある敗戦国の衰退史」にはもう一つの通奏低音があります。それは、「民主主義は失敗する」ということです。仮に集団的自衛権の行使が可能になったとしても、それは主として抑止力として機能するでしょう。最も、楽観的な見通しは、日米同盟が日英同盟なみになって、アメリカ中心の国際秩序を武力でもって転覆しようとする国が出現しないことです。しかし、一寸先は闇です。アメリカは「善意の国」であり、今後、「民主主義の失敗」を経験するかもしれません。アメリカが古典的な帝国であれば、現在のような状況にはなっていなかったでしょう。このことを嘆くのはたやすいことです。問題は、この国の「民主主義の失敗」です。もし、アメリカが「失敗」して実際に自衛権を行使する段階で果たしてこの国が「失敗」しない保証はありません。この国が失敗しても、アメリカは苦しいけれども、滅びることはないでしょう。対照的に、この国は滅びる確率が高いでしょう。戦後の歩みから考えれば、「作為」による失敗よりも、「不作為」による失敗の方が危険だと考えます。他の政体と同じように、民主主義も失敗する。このことを前提にして、この国の民主主義が失敗したときにも、滅びる確率を最小限に食いとどめるにはどうしたらよいのかを考えることが、「ある敗戦国の幸福な衰退史」で考えてみたい伏線になっています。

 このテーマについて考え始めたのは、この国に生まれ、なに不自由のない生活を送っていることに感謝していることが出発点です。他方で、私は「考える」という「狂気」にとりつかれた人間です。この国は、小さな島国にすぎません。そんな島国が生き残りをかけてどのような努力をするのか。それは私自身の生存にも直結する問題ではあるのですが、突き放して「考える」対象としたいという欲求があります。この国の安全を心から望む「時の最果て」の「寝言」と述べることと民主主義の失敗と復元力を他人事のように考える時の最果ての寝言が渾然としているのが、このブログのスタンスです。

 上記の変な文章を読んで理解できる者は、私ぐらいでしょう。こんなものをウェブで公開することには、いくら時の賢者様が「半キチ」と呼ぶ私でも、恥ずかしさがあります。奇特な方に「寝言」とおつきあいしていただければ、幸いです。連休明けにこんな長くてつまらない記事を最後までお読み頂いた方々にお約束を捧げます。

ここは「時の最果て」。すべては「寝言」。

おやすみなさい。
posted by Hache at 06:19| ごあいさつ

2006年10月21日

運営者からの報告と御礼

 ブログなるものを始めて約8ヶ月、「さくらのブログ」に移転してから約2ヶ月が経過しました。データに連続性がないので信用はできませんが、アクセス数累計が14万、訪問者(のべ)が5万を超える状態になりました。実は、そんなことより嬉しいのは記事の数(242件)よりもコメント数(271件)が上回る状態になったことです。匿名性が高いがゆえに、ブログでも面倒なことが少なくないようですが、幸い、様々な方から、真摯なコメントを賜り、私自身が勉強させていただいております。

 もっとも、『寝言@時の最果て』という、いかにもちゃらんぽらんな臭いのする、タイトルのブログです。気楽に、「ここはおかしい」とか「他にもこうも考えられる」という指摘を賜れれば、幸いです。

 最近は、最初のポリシーに反して「なまもの」に関する記事ばかり増えてしまいました。複数の事情が重なってゆっくりと考えをまとめるゆとりがあまりなく、自分で読み返しても、@niftyの時よりも、記事の質が落ちているように思います。まあ、@nifty時の記事の質が特に高いわけではないのですが。気がつくと、安保環境を変動させかねない事件が起きて、それに引き摺られるように時事ネタが増えてしまいました。メディアを読んでもわからないと嘆いておりましたが、現状での政府の対応を副会長さんがきれいにまとめられています。12月ぐらいには落ち着く可能性が出てまいりましたので、「時の最果て」らしく過去・現在・未来の時間軸に囚われずに、自由に記事を書いてゆきたいと考えております。

 10月13日に物持ちのよさを含羞をこめて自慢いたしましたが、唯一の例外があります。それは、本でありまして、私の手元にある本のうち、本業で使うものを除くと、約1割程度はボロボロです。一番、ひどい目にあっているのが岡崎久彦『陸奥宗光』(PHP研究所(文庫版) 1990年)です。私事で恐縮ですが、25歳のときに人生で一番、つらい別れを経験して、それから3年ぐらい、おそらく人生の中でも手当たり次第になんでも読んでいた時期に出会った著作でした。クラシックを聴いて思わず涙がこぼれることは多々ありますが、この著作は本を読んで初めて泣く経験を味わいました。岡崎先生が筆をとられた本来の動機とは反するとは思いますが、頭だけでなく血で書かれた歴史書を読むうちに、「死処」を見失ってさまよっている自分がいることに気がつきました。あと、何年生きられるのかはわかりませんが、「ある敗戦国の衰退史」という「寝言」をなんとか書き終えることが、私の「死処」かなと思ったりします。世に出すつもりもなく、単なる自己満足ですが、この国の戦後がハッピーエンドで終わり、新しい希望の時代へ入ってゆくことを心から願ってやみません。

 末尾になりましたが、 『文語の苑』というちょっと私みたいな無教養なものには敷居が高いサイトを紹介させていただきます。以前、こちらのサイトを通して谷田貝常夫先生の御厚意で小冊子を二冊ほど送っていただきました。殺伐とした時代ではありますが、文語体の文章を味わうと、不思議なもので平静な気分になります。谷田貝先生には申し訳ないことではありますが、一冊目は予定より遅くなりましたが、ボロボロになってしまいました。それでも、自分で文語体の文章を書ける水準ではありませんが、私の下らない記事よりも、こちらのサイトを御覧頂ければ、幸いです。
posted by Hache at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ごあいさつ

2006年10月15日

業務連絡(2006年10月15日)

トラックバックを送っていただいている方々には、心より感謝いたします。申し上げにくいのですが、ブログ名、もしくはサイト名がURLですと、さくらのブログが用意しているテンプレートの仕様が悪いのか、スタイルが崩れてしまいます。これまでにも、何度か同じ現象が生じておりますので、やむをえず、削除、もしくはトラックバック自体を受け付けない状態にしております。ご不快に思われた方がいらっしゃるかもしれませんが、上記の理由のため、やむをない措置と御理解ください。

 それにしても、過疎地なのに、迷惑トラックバックが一日に何件も来るのはなんでだろう。ぶつぶつ。この1ヶ月ぐらい、多いときは「迷惑」トラバ10件近くくるので、ちと面倒になっております。操作ミスをしているかもしれませんので、その際には、御一報ください。

 「迷惑」かどうかの判断は、かなり恣意的ではありますが、基本的な基準としては、(1)送信元IPのデータが特定できること、(2)「公序良俗」(主として露骨な性的表現)に反しないこと、(3)記事の内容に関連していること、(4)明らかに営利目的と思われるサイトではないことなどです。さくらのブログに移ってから、(4)のところで私の目から見てどうもなあというトラックバックが増えました。営利目的でサイトを雲煙されること自体は私の関知するところではありませんが、基本的に個人的趣味でやっているので、あまりその種のサイトとはかかわりたくないというのが理由です。記事と関係なく、無差別にトラックバックを発信しているように見えるトラックバックは、こちらも遠慮なく削除させていただいております。

 なお、トラックバック規制をすりぬけて直ちに反映してしまう場合もあります。自宅でのみ、管理画面にアクセスしておりますので、削除が遅れることがあります。慣れている方が多いと思いますので、大丈夫かと存じますが、なかには悪質なサイトからのトラックバックが含まれていることがあります。どうでもいい「寝言」を読みにきてくださる方は貴重でありまして、私もできうる限り、数少ない読者の方に御迷惑をおかけしないよう、努力いたしますが、トラックバック先をクリックする際には、一応、御用心ください。

 失礼な話ではありますが、大御所の場合、別の御用心を。コーヒーや紅茶を片手にされているときにはキーボードにカバーを被せてから、クリックされることをお勧めいたします。
posted by Hache at 00:14| Comment(2) | TrackBack(0) | ごあいさつ

2006年10月01日

療養中

 9月29日の記事にコメントを賜り恐縮です。体温は安定してまいりました。ただ、不摂生と思ったより安静が長引きました。このため、軽い運動でも脈拍が若干、増加する傾向があり(安静時55程度、20分程度の軽い歩行で85程度)、安静時にも、やや脈拍が不安定です。おそらく、あと数日で平常に戻ると思いますが、場合によっては、もうしばらく様子を見て循環器系の病院で検査を受けます(半年前の検査で特に異常がないので、再度、検査を受けても異常がないことを確認する程度だと思います)。現在のところ、冷静に集中して作業できる時間が極めて限られておりますので、当面、記事の更新を停止いたします。

 頂いたコメントに一つ一つ御礼を申し上げるべきところと存じますが、動悸や息切れが周期的にきて思考がまとまらないので御容赦ください。お励まし頂いた方々に感謝いたします。現在、再開する時期は未定です。再開したときにお越し頂ければ、幸いです。

(補足)申し訳ありませんが、コメントにお返事ができない可能性が高いので、この記事へのコメントは受け付けておりません。トラックバックなども管理ができない可能性がありますので、引き続き、受付後/承認とさせていただきます。なお、この記事に関してはトラックバック自体を受け付けない状態になっております。
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2006年09月29日

とりあえず

寒気と暑苦しさが交互にきて水以外、摂取する気にもならない状態です。記事は停止。コメントも復調しだいということで、申し訳ありませんが、御理解ください。季節の変わり目に体温調整がついてゆかないようで。36.0℃から37.5℃程度の間で体温がコロコロ変わっています。よくあることですので、とりあえず土日は寝ます。
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2006年08月13日

業務連絡(2006.8.13)

 予定通り、8月13日から15日まで浜松に出かけます。コメント、トラックバックは、受け付けますが、管理ができない状態なので、直ちに反映されない状態になります。主として迷惑トラックバック対策ですが、トラックバックのみの保留ができない(私がやり方を理解していない)ので、ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。



 過疎ブログですが、念のため、このような対応を行うことにしました。この期間にコメントをいただく可能性は、非常に低いのではありますが。



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2006年06月24日

「時の最果て」からの御礼

 ブログなるものを始めて気がついたら、4ヶ月と1週間が経過しました。累積アクセス数が4万2千弱で、零細ブログではありますが、思ったより多くの方にアクセスしていただき、心より感謝いたします。本音を申し上げますると、始めてから1ヶ月ぐらいは桁が一つ小さい状態を想定していたのですが。「5.25同時二発テロ」のおかげで瞬間最大風速を経験して心臓に悪かったのですが、最近は、平日で500、土日は300前後と安定しておりまして、ホッとしております。ちょっと恥ずかしいのですが、寝言道とは、他人事じゃないことを他人事のように語ることであると見つけたり。…いきなり外してしまいました。



 ブログを始めたきっかけは、直接にはやじゅんさんのお勧めです。もともと、戦後のこの国のことに関して「ある敗戦国の幸福な衰退史」という変なテーマで文章を書いてみたいと漠然とではありますが、考えておりました。基本的な問題設定や結論は、もう数年前に考えていて、いまでも変わっておりません。私が望んでいるのは、自分の文章を完成させることそのものよりも、現実の政治が先に進んで、こんなテーマで書くモチベーションを失ってしまうことです。もっとも、その場合にも、「歴史は繰り返す」ということをいろいろな角度から考えるという動機を失うことはないでしょうが。



 ブログで記事を書き始めて生活で最も大きな変化があったとすれば、かんべえ師匠にメールを送る回数が激減したことでしょうか。以前は、「不規則発言」を読んでは毎日、感想を送り、『溜池通信』を読んでは毎週のように感想を書いて送信させて頂いておりました。恋愛というのは、最初が楽しく、あとはその遺産をどう活用してゆくかで生き残るかどうかが決まるのではないかとひそかに(←ここ突っ込むところです)考えておりますが、最初の1年は毎日のようにご返信を頂いたのが、だんだんと返信を頂く回数が減り、まじめなことを書くと無視され、どうでもいいことを書くと、1ヶ月に2回程度、反応があるという状態でした。悲しいものです。別れ話を書こうとしているのではなく(←ここは突っ込むところではありませんよ)、人間関係というのも、恋愛になぞらえるといろいろとおかしさと苦味があることに気がついたしだいです。もちろん、今でも毎日、拝読しております(記事を御覧頂くと、微妙に痕跡があると思います)。



 もう一つの変化は、雪斎先生やじゅんさんさくらさんぐっちーさんのところで(いわゆる「闇の組織」)コメントを書く回数以上に、コメントの長さが短くなったことでしょうか。かんべえ師匠へのメールと同じことでありまして、私の少ない32MBというメモリーでゆくと、自分のブログの記事を書くのが精一杯になって長いコメントをするゆとりがなくなります。このブログを始めた最大の副産物の一つに、やじゅんさんは私と「ご同病」ではないかという疑惑がどうやら事実だと確認できたことがあります。「5.25同時二発テロ」時のコメントの分量を超える方は、おそらく現れることはないだろうと確信しております。やじゅんさんのコメントを引き出そうとしているのではなく(←ここは突っ込むべきところか悩ましいです)、からかっているわけでもなく(←ここは突っ込んでもなにもでません)、やはり病気というのは一人だけですと孤独感に襲われるものですが、もっとつらい思いをしている方がいらっしゃると思えば、自分の病気が苦しいなどと言ってはいられないことを実感いたします。



 また、トラックバックを送って頂いたカワセミさん珈琲さん門司港の魚住さんには心より感謝いたします。とりわけ、珈琲さんの「眠気が覚める鋭く長い寝言」(強調は引用者による)というご紹介には、われながら苦笑を禁じえません。コンパクトな記事を目指したいものですが…。この点に関しては「病気」ということでお許し頂けますと、幸いです。本当は子守唄のようなブログを目指したいのですが。音楽関係ではmitsuさんのブログは、守備範囲が非常に広くて、最近はバッハかそれ以前の音楽ばかり聴いている私には非常に刺激的です。IP電話に関するコメントは記事の内容の質を超えるもので、この点でも脱帽いたしました。皆様のところに、落ち着いたところでお邪魔させていただきます。



 ブログを書き始めてから気がついたのですが、ブログの「価値」というのは、記事もさることながら、コメントの質によるところが大きいと思います。開設当初からすると、多くの方から貴重なコメントを賜り、感謝いたします。コメントを頂いている方々の中でも、老眼様のコメントは、いつもポイントを突かれておられて、運営者が見えていない事実、あるいは読み筋をご指摘頂き、このブログの価値を高めていただいております。心より感謝させていただくとともに、今後も御指導を賜りますよう、お願い申し上げます。



 最後に、このブログの記事の大半は、岡崎大使の知見、著作、岡崎研究所HPに多くを負っております(余談ですが、『溜池通信』も岡崎研究所HPを通して知りました)。しかし、遺憾ながら、私自身の力量があまりに貧弱であるため、自分の分析によって新しい価値を付け加えるにはほど遠い状態です。実を申せば、私は「お国のため」とあからさまに口にだす方に拭いがたい不信感があります。戦前の帝国の崩壊も大きいと思いますが、私自身の美意識として、かりに「お国のため」と思っても、それは口にださずに実行することが大切だという感覚があるからです。ですが、やはり国家の大事のことを考えるときに、「お国のため」ということを臆面もなく主張できる方が不可欠であることを実感いたしました。私個人、そして、このブログにはほとんど影響力はありませんが、同世代でそのような知識・見識・胆識をもった方が育つことを心より願ってやみません。



 私みたいな人間と外交・安全保障というのは自分でも食い合わせのような気がいたしますが、この問題に関心をもつ理由は簡単に説明できます。第1に、国の安全は私の生活の基礎です。生活のことも国の安全も脅かされる前にそうならないようにするのが当たり前だと市井の人間は考えます。第2に、大きな問題ほど考える対象としておもしろいものはないという私の性癖です。第3に、考えることは対象から切り離すことはできませんが、岡崎大使が披露されている戦略論は、私の本業でも共通する部分が多いからです。考えるということは、行動するための補助に過ぎませんが、そのおまけの部分の方が楽しくなってしまうと病気です。私の最大の趣味は「考えること」なのですが、要は病気自慢であります。



 それにしても、「坂の上の雲」ということを実感できただけでも、私は幸運な人間なのかもしれません。翻ってみれば、一生かかっても返済できない借財をしてしまった気もいたしますが。私自身は、「ある敗戦国の幸福な衰退史」というお気楽なテーマで楽しみながら、利息の一部だけでも返済できればと思います。根っからの個人主義者である私が間違えるとしたら、うかつに義理人情に流されて利他的な動機で行動するときであるということを、三十数年の人生で学習しております。迂遠な道のりですし、自分勝手なことではありますが、生涯をかけて少しでも借財を返済することができればと存じます。



 ありゃま、軽い気持ちで書き始めたら、ずいぶんな分量になってしまいました。この病気は何とかしないと…。きっと日曜日には「罰ゲーム」もあるでしょうし。いつも長くてつまらないのですが、今回は、御礼を述べているうちに止まらなくなってしまいました。ふわあ、「寝言@時の最果て」は平和そのもので、運営者も記事を書きながら眠くなってまいりました。この記事をお読みいただくのは、けっして苦痛ではないと思いますが、少なくないお時間を費やされたことと存じます。要は、これが書きたかったのですが。こんな鄙びたブログを御覧頂いている方にお約束を捧げます。



ここは「時の最果て」、すべては「寝言」。



おやすみなさい。

posted by Hache at 22:47| Comment(10) | TrackBack(0) | ごあいさつ