2006年11月05日

「いじめ」考

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:ここまで、お約束どおりだと、数少ない読者のみなさんにもあれじゃが…。あのデブのブログが人気がないゆえ、ワシらの人気も出ないのがちと寂しいのお。おい、いい加減に起きんか。
ハッシュ:ふわあ、なんじゃ、おぬしか。
ボッシュ:…。おぬし、いつも同じことを言っていて飽きんのか?
ハッシュ:いつも同じだったかな。
ボッシュ:…。知らぬが仏ともいうから、なにも言うまい。ちょっと古い話だが、ジパングではいじめというのが話題になっておる。
ハッシュ:いじめ?
ボッシュ:体が弱かったり、喧嘩が弱そうな子供を別の子供が集団になって嫌がらせをしたり、暴力を振るったり、いろいろじゃな。小学校や中学校あたりの教室単位で起こることが多いようじゃ。子供が子供をいじめるというのは、どうも好かんな。いじめられた子が自殺まですることもある。ここまでくると、犯罪に近い。
ハッシュ:しかし、ジールの頃とて自殺した者は知らぬが、それに似たことならあったじゃろ?
ボッシュ:まあ、そうなんじゃが。ただ、ワシが今いる時代だと、だいたい15歳ぐらいまでは学校に行くことが義務づけられておる。同じ学校とはいえ、いろんな子供がおるじゃろ。そこで、狭い教室に閉じ込めると、いろんな理由でいじめが起きやすいんじゃ。いったん、この子をいじめても大丈夫という雰囲気ができると、やっかいなんじゃ。呆れたことに、学校の教師ともあろうものが、その雰囲気を煽ることもあるらしい。
ハッシュ:雰囲気でなぜいじめるんじゃ?
ボッシュ:…。説明が難しいなあ。ワシらはこの手の話とは無縁ゆえ。まあ、どう言ったらいいんじゃ、テレビなどを見ておるとじゃな、今の子は、といっても、今の20代ぐらいまでそうらしいんじゃが、「浮く」ということを嫌うんじゃ。簡単に言うと、周りと同じことをやっていないと、目立ってしまう。それを嫌がるんじゃ。ただ、ワシの目からすると、テレビにでている人など、ジパングでも世間からずれた人の方が多いようじゃから、こんなことが言えるわけで、会社というところでも大して変わらんようじゃ。ワシの印象では、ガルディアよりも、ジパングでは周囲から浮くということが、仕事や学校生活に支障がでかねないぐらい、集団への意識が強いようじゃ。
ハッシュ:しかし、ワシらとて、それでいったら、ジールで浮いておったじゃろ?「理の賢者」だの、「命の賢者」だの、「時の賢者」だの、頭がおかしいだけじゃないのかと陰口を叩くものもおったじゃないか?
ボッシュ:…。まあ、それはそうだが、ワシらは女王の庇護の下にあったし、周りも変わり者と思いつつも、大半は、一目おいてくれた。しかし、小中学生の場合は難しいんじゃよ。ちょっとしたことで、自分と違うものに敵意をもつし、それを抑える力も弱い。さらに、いじめる子供の保護者や学校がそれを見てみぬふりをしたり、最悪の場合、煽るんじゃ。こうなると、もう勢いさ。手のつけようがない。
ハッシュ:しかし、程度の差こそあれ、ワシらの頃にもあったじゃろ?
ボッシュ:なんというのか、その雰囲気の強さがジパングは、違うようなんじゃ。
ハッシュ:しかし、雰囲気といっても、所詮は、一人一人の感じ方の問題じゃないのか?いじめられる子供のことが憎たらしいと思うものもいれば、そうでない者、どうでもいい者、人それぞれじゃろ?
ボッシュ:そうだが、ジパングはどうも集団から浮くのが難しいんじゃ。政党の有力者や政府の権力者ですら、集団のコンセンサスから離れたことを言うと、ぼろくそに叩かれる。
ハッシュ:しかし、その場合には、おぬしが以前、言っていたように、選ばれた人たちだから、ちゃんと自分の趣旨を的確に説明すれば、収まる話じゃろ。そういう場も保証されているようじゃないか。それができなければ、無能ということじゃな。だいたい、人の上に立つものが、世間を説得できぬようでは終わっておるな。いじめの話は、ワシにはようわからんが、人の上に立つ者が「いじめ」なるものから自分を守れなかったら、まして子供など、ご無体な話じゃ。
ボッシュ:…。話がそれるから、元に戻すが、ジパングでは村八分といって昔から周りから浮かぬことが、生きてゆくうえで肝心なんじゃ。こんなところでぼーっとしている御仁にはわからぬじゃろうが。村の掟を破ると、葬式と火事以外は面倒を見ないという話なんじゃな。いいかえると、いじめにも限界があったようじゃ。今は、その限界がなくなっておる。これは容易ではない。
ハッシュ:最初からそうじゃが、いよいよワシにはわからん話になってきたな。掟を破ったら、しょうがないんじゃないの?
ボッシュ:…。おぬし、いじめを肯定するのか?
ハッシュ:たとえば、核爆弾なる物騒なものをつくろうとした国があるとする。まさに掟破りじゃな。これに、カネで締め上げ、場合によっては「暴力」を加えるのはいじめではないのかね?
ボッシュ:…。それとこれとは別の問題じゃろ?おぬし、どうかしたのか?
ハッシュ:ほおれ、おぬしもそう答えるじゃろ。掟を破った場合、破った者が平然としてたら、掟などあってなきがごとしじゃ。しかし、なんじゃ、「せいさい」とかいうものを受ける側からすれば、「いじめ」じゃのお。「いじめ」など、それをいじめと感じるかというのは立場によってまったく違う。さらに言うと、なんじゃ「ほうりつ」とかいう話の場合でも、罰則があったり、なかったり曖昧だったりするようじゃ。こうなると、ワシにもようわからん。ただ、子供のいじめの場合、掟自体が曖昧なんじゃ。いじめる側もなんでいじめたのかということを突き詰めてみれば、よくわからないとなるんじゃないかな。要は、いじめたいからいじめたという話ぐらいにしかならぬ。いじめられる方も同じじゃ。よほど変わり者でもない限り、自分からいじめられたいという者は少ないじゃろ。いじめられる側からすれば、理由がよくわからない。いじめる側もいじめられる側も、どうでもいい話なんじゃ。ただし、お互いがどうでもいいと気がつくには、大人になるしかない。もっとも、年をとることが大人になることとは限らないが。
ボッシュ:…。しかし、自殺した子供はかわいそうじゃぞ。おぬしは、それを放置しろと言うのか?
ハッシュ:おぬしは、昔からそうじゃった。正義感が強くて、ワシも好きじゃ。しかし、元々、感情的になりやすい話で感情をぶちまけたところで、なにも変わるまい?表現は悪いが、いじめなるものも、ある種の自然現象のようなものと思って、ある確率で起こると見るんじゃ。それをゼロにすることなど、到底、不可能に近い。それを低くする、そして起きたら、状況に応じて対処する。いじめの「なぜ」を問うのではなく、「どのようにして」対処するかが問題じゃ。「なぜ」を問うている間にも、いじめは起きる。もちろん、「なぜ」を問うことは大切じゃ。しかし、いじめの現場で臨機応変の対応ができなければ、意味がない。ワシ自身は、集団生活などごめん真っ平じゃが、集団で暮らす以上、この手の問題は絶えぬ。絶えぬことをまず認めないと、どうにもならんとワシは思うな。
ボッシュ:…。ワシにはついてゆけない話になった。なんだか疲れてしもうた。悪いが、そろそろ、お暇する時間じゃ。それでは。
ハッシュ:まあ、そうことを急かぬことじゃな。また、おいで。

 私もついてゆけない展開ですが、いじめられた経験もありますし、止めた経験もあります。いじめというのは、ある水準を超えてしまうと、とめどがなくなります。小学校低学年のときにはいじめられました。まあ、露骨に言うと、殺意を覚えましたが、あんな奴を殺して自分がひどい目にあうのも癪なので、だんだんと鈍感になってしまう。時々、仕返しをしてやるんですね。テスト程度も自分でできない奴が相手だったので、わざと全部、間違った解答を見せてやって、残りの10分で自分だけ正しい答えに全部書き換えてしまう。当然、写したバカは先生にどしかられるので、周りがバカにするようになります。私は、「同盟不能者」だったので、「自主防衛」でそうやっていじめをしかけてくる中心メンバーを一人一人、追い詰めてゆきました。最終段階ではいじめる側が周りから浮いてしまって、メンバーの一人が窓から飛び降りそうになりました。そばに行って「この程度で死ぬんだったら、勝手に死ねば」と言って、とどめをさしてやりました。どうせ、いじめなどをする連中は死ぬ気がないんで、これぐらいやらないとダメです。

 止める方は、はるかに難しい。「いい子ぶってる」と浮きかねません。中学生のときですが、前から嫌な雰囲気は感じていたので、まずいなと思っていましたが、こういう場合、ことが大きくなるまで対処が難しいです。あるとき、いじめられていた子が学校から授業中に耐えられなくなって逃げ出してしまいました。クラスは騒然として、先生もおろおろするばかり。言いにくいのですが、こういうときがチャンスでありまして、まずは、いじめている側の中心人物に向かって「あの子、死ぬ気かもしれないよ」と冷たく言い放つと、震え上がりました(最近は、この手は利かない水準にきているので大変だなあと思います)。これまた書きにくいのですが、いじめられる側にも全く問題がないケースというのは少ないのですが、「いじめた方が悪い」と決め付けるしかありません。

 後は、学級委員長の名を借りて内々に先生に、家に連絡するように指示して、学校に戻らせて、私と二人で話し合いました。とにかく話を聞いてあげる。全部、鬱憤を吐きださせるしかないんです。タイプにもよりますが、私の見るところ、この子は冗談抜きで自殺しかねない。だから、全部、吐き出させてしまう。彼の言うことに、いいとも、悪いとも一切、口を挟まない。彼は、相手が全部、悪いと思っちゃっている。そこで、君もこうすべきだとか言ってしまうと、もうダメです。だから、とにかく、あなたを認めているという態度で接するしかない。全部、聞いた上で、学校の先生に頼んで翌日は自宅で休ませることにして、保護者の方に観察してもらうように頼みました。

 あとは、「裏社会」に根回しです。当時は、まだ侠気のある不良連中が生き残っていました。経緯を書くと面倒なのですが、私が学校で評判がいいので、目をつけていたらしく、ある事件で逆手をとって不良に参ったと言わせておいたので、私の言うことなら聞いてくれる。いじめていた連中を軽く脅して(手はだすなという指示も)もらうように頼んで、学校ででかい顔ができないように手を打っておきました。問題は、見て見ぬふりをしていた、良くも悪くも普通の生徒たちです。これが多数派だったので、一日だけではなく、間をおいておく必要がある。休んだ理由は、風邪という見えすいた話にするよう、担任に頼んで、彼らの動向を抑えておかなくてはゆけない。いじめられた子に過度に同情すると、その子が正常に学校生活を送るのにかえって息苦しくなります。どうも、過度に罪悪感を感じている様子だったので、不良連中に頼んで、間が空いている隙に、騒ぎを起こしてもらって男子・女子ともに別の話題へ関心をそらせる策をとりました。幸い、話が軽くなりました。様子を見計らって登校させると、もう大丈夫で、いじめはぴたりと止みました。

 まあ、とにかくいじめをなくすなんて容易じゃないですね。とくに、当事者じゃない第三者が止めるというのは、難しい。たまたま、うまくゆきましたが、彼がはにかみながら、「ありがとう」と言ってくれたときに、ホッとしました。自分でも打つ手は打ったけれど、この手のことは、逆効果になりかねないことも子供心に理解しておりましたから。また、その場しのぎの対応でしかないことも。

 まあ、こんな経験をしたせいでしょうか、中学校のときの弁論大会で人の数だけある「価値観」というものを「物差し」に喩えて、多様な価値観を否定するのではなく、多様なままでどうやって暑苦しくないつきあいかたをするのかという弁論をぶちました。異なる単位の物差しをどうやって共通の単位でお互いが理解してゆくのか。私の個人主義や自由主義は書物によるものではなく、個人的な経験にもとづいています。だから、よいとか悪いとかという話ではありません。私の個人主義・自由主義というのは、どうにもならない癖(へき)なんです。まあ、これも「寝言」かな。

 なんだか、息苦しい話になってしまったので、こんな下までスクロールして下さったお礼に、気が楽になる話を紹介させて頂きます。肩の力を抜きたい方は、「続き」をどうぞ。




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2006年10月29日

らんまらんまで 日が暮れる

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:…。いつ起きているんじゃ?この御仁は…。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、また、おぬしか。
ボッシュ:…。
ハッシュ:さっきは、呼び止めようとしたんじゃが。
ボッシュ:そうだったのか…。実は、もってきたぞ。『らんま1/2』じゃな。
ハッシュ:…。そのためにジパングに戻ったのか?
ボッシュ:それだけではないが。客人がくるのを忘れておったゆえ。危ないところじゃった。こんなトコにきている場合ではなかったんじゃ。
ハッシュ:こんなトコはひどいな……。
ボッシュ:ふと気がついたんじゃが、おぬし、『らんま』を読んでおらぬか?
ハッシュ:さて?
ボッシュ:あのデブのブログに書いてあったんで気がついたんじゃが、4巻のセリフとおぬしのセリフはほぼ一致しておる。言葉遣いが老けてはおるがの。
ハッシュ:うーむ、ワシはそのようなものを読んだ覚えはないんじゃが。
ボッシュ:ひょっとしてあのデブの記憶か?
ハッシュ:…。そうかもしれぬ。
ボッシュ:あのデブの心の中に入りすぎると、碌なことがないぞ。記憶力の低下から始まって、総合的な思考力や判断力、決断力が低下するはずじゃ。さらに、モラルの低下、人格の劣化など碌でもないことになりかねぬ。
ハッシュ:…。なぜ、おぬしがそこまで言い切れるんじゃ?
ボッシュ:おぬしは、ココにきた人の記憶がたどれるそうではないか。あのデブのブログにあったが、いい年をしてバカなことばかり書いておる。おぬしが面倒を見ているのは、もっとマシな御仁が多いんじゃろうが、あのデブはダメだぞ。
ハッシュ:あのデブが頭が悪いのは事実じゃが、そこまで…。
ボッシュ:まず、いい年をして結婚をしておらん。これだけで、判断ができる。まあ、デブの上に顔がひどいからのお。しかし、中身がよければ、それなりの相手がいるはずじゃ。これだけでも、判断がざっとじゃが、できる。
ハッシュ:しかし、ワシもおぬしも、独身ではないか?
ボッシュ:…。…。…。ワシとしたことが、自爆であった。無念じゃ。
ハッシュ:まあ、お互い年だし、あのデブとて侮れぬ。他人の悪口は言わないことじゃ。
ボッシュ:…。そうじゃな。しかし、驚いたぞ。『らんま1/2』とやらは、ジパングだけで5,000万部以上売れているそうじゃ。マンガ本の印税の決まり方はしらぬが、ざっと見積もって20億円以上は作者に入っているじゃろ。映画やグッズの売り上げなどを入れるとすさまじい数字じゃ。
ハッシュ:…。だから、なんなの?
ボッシュ:…。こんなトコでぼーっとしている御仁には難しすぎる話じゃった。ワシの店が数十年続いてようやく入ってくる収入なんじゃ。ジパングでは『バカの壁』というのが、数年前に出版されて300万部を超えたと騒いでおったが、なにしろ桁が違う。まあ、一冊の本が百万単位で売れること自体、すごいことではあるんじゃが。
ハッシュ:…。そんなことをワシに言うために、ココにきたのか?
ボッシュ:…。失礼。ところで、あのデブの女性の好みはどうじゃ?
ハッシュ:…。ワシの知ったことではない。
ボッシュ:なにやら、仲間ちゃんにけしからぬことを書いておるが。
ハッシュ:そうじゃな。しかし、あのデブ、テレビを見ながら、なかまなんとかという人とはせがわなんとかという人に見とれておったぞ。
ボッシュ:…。書いておることと、実際が不一致ではないか。やはり、碌でもないデブじゃ。
ハッシュ:あのデブの好みか…。…。そういえば…。
ボッシュ:ほお?
ハッシュ:ちとワシの口からだすのは憚られるが、ある身体的特徴に共通点がある。
ボッシュ:?
ハッシュ:どうも、あのデブが30まではある箇所がふくらんでいる女性ばかりを好んで付き合って、それ以上は思い出すだけで恥ずかしいが、なにやらいかがわしいことをしていたようじゃな。どうも、それに飽きてあるとき、あまりふくらんでいないちょっと年下ぐらいの女性と付き合ってから、好みが180°変化したようじゃ。
ボッシュ:…。…。はっ!!…。…。…。あまりにわかりやすい話じゃのお。情けないほどに。
ハッシュ:どうも、あのデブがおぬしの好きな漫画にはまったのも、おそらく、その身体的特徴が大きいのではないだろうか。
ボッシュ:…。おぬし、よくそんな恥ずかしい話をまじめにできるのお。
ハッシュ:おぬしの質問に答えただけじゃが。
ボッシュ:…。まあ、そうじゃが。それにしても、世の男のたいていは、その、なんじゃ。まあ、大きいにこしたことはないはずじゃが。ひょっとして、あのデブは○○コンか?(不適切な表現を含んでおりますので、一部を伏字にしました:書記係)
ハッシュ:○○コン?
ボッシュ:ゴホン。まあ、要は、若いというよりも幼い女の子が…。
ハッシュ:それはまずないな。自分の年より9歳以上離れると、幼稚らしい。実際、手を出す相手を見ても、童顔は一人もおらぬ。
ボッシュ:…。その前に、あのデブが幼稚な気がするが。それにしても、おぬし、バカ正直すぎるぞ。
ハッシュ:そうかな。でも、ワシらの話を修正せずに、あのデブは自分のブログに載せなければならぬ。
ボッシュ:…。おぬし、意外と人が悪いのお。おっと、そろそろ『功名が辻』が始まる時間じゃ。終わったら、『らんま』でも読もうかのお。一気に読んだから、ディテールを忘れてしまった。はあ、忙しいのお。それでは失礼する。
ハッシュ:…。なんとも、せわしない話じゃ。また、おいで。それにしても、あのデブ、この話をブログに載せる勇気があるのかのお?

 …。

 …。

 …。

 時の最果てなんて碌でもないところなど消えてしまえばいいのに…。なぜ、私の個人的趣味までばらされなきゃならんのですか!!

 おまけに、仲間・長谷川ファンの顰蹙をかいかねませんな。もう、どうでもいいってな感じ。あたしゃ、しらんよ(無責任)。

 えっ、どうせ『サ○プロ』で岡崎先生の出番を待っている間に話がつまらないから、最初の記事を書いたんだろうって?

 …。それは、深読みというもの。命の賢者様が、突然、帰ってしまったために発生したハプニングでございます。

 えっ、そうでなければ、10月27日の記事へのコメントに返事を返すのが面倒で誤魔化すために適当にやってんだろうって?

 …。それも、深読みですね。ちゃんとコメント返しをしますよ。いつかね。

 それにしても、外見でゆくと、年齢が30±3で身長が158±4pで健康かつ明るく(あまり書くべきことではありませんが、カップはC以下が望ましい)、政治経済にはあまり興味がなくて芸能・スポーツに強い女性はいないかなあ…。あと理屈っぽくない人。「急募」ではないのですが。

 はあ。それにしても、らんまに振り回された一日でした(本当にどうでもよいのですが、「らんまらんまで 日が暮れる」というのは、『熱闘編』以前のオープニングソング『じゃじゃ馬にさせないで』の一節です)。時の賢者だの、命の賢者だの、碌でもない寝言ばかりでまいるなあ。ピラティスをやって気分がよくなったところにこれだもの。まったく。ぶつぶつ…。

らんま らんまで日が昇る

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:それにしても、静かな寝息じゃな。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、おぬしか。
ボッシュ:…。本当にワシが来るとき以外に起きておるのか?
ハッシュ:時の迷い子が来るときは、目を覚ましておるぞ。
ボッシュ:まあ、証拠をだせとまでは言わんがのお。ところで、あのデブの碌でもないブログを読んだら、ひどい目にあった。
ハッシュほお?
ボッシュ:ほれ、なんじゃ、あのデブが書いておった漫画とかいうやつじゃ。下らんと思いつつ、ついつい全部、読んでしまった。今日はその話じゃ。
ハッシュ:まんが?
ボッシュ:…。あれだけ読んだのに、タイトルを忘れてしもうた。ええっと…。天井と鴨居の間に通風、採光のため格子や透彫をとりつけてあるところ…。
ハッシュ:それは欄間じゃろ。
ボッシュ:…。(ポン)これじゃ。キューバ起源のラテン音楽!四分のニ拍子で力動感がある!!
ハッシュ:ルンバじゃろー、それは。
ボッシュ:もしや…ラーメンの上にのってる…。
ハッシュ:メンマじゃろ、それは。おぬし、本当に読んだのか?
ボッシュ:…。なぜじゃ!!タイトルだけがでてこんぞ。なにか調子が悪いようじゃ。出直してくる。
ハッシュ:おーい。ワシのいうことも聞かずに戻ってしまったな。それにしてもせわしないのお。

 …。命の賢者様は、洗髪香膏指圧拳でもかけらたのでしょうか?もっと驚きなのは、時の賢者様が命の賢者様のボケにしっかり原作どおりに突っ込まれていて、私が読んでいるときの記憶がしっかり残っているのでしょうか?どうやら、続きがあるそうなので、書記係も楽じゃありません。

 10月27日の記事のコメント欄がチャット状態に。そのうち、頂いたコメントにお答えいたしますので、しばしお待ちを。それにしても、時間をかけて魂を込めて書いた記事にはコメントがつかず、10分もかからずに書いた記事にコメントが膨れ上がるとは…。コメントを頂いている方は素晴らしい方ばかりだとは思うのですが。

…しくしく。

2006年10月22日

究極の隠居

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:この光景を何度見たことか…。
ハッシュ:ふわあ、おぬしか。今日は何の用じゃ。
ボッシュ:…。究極の隠居じゃな。
ハッシュ:おぬしも、ジパングで幸せそうじゃないか。
ボッシュ:しかし、ここまで平和ではないぞ。例のアフロの将軍様とやらが油断ならぬし、客人も来る。おぬしと違ってうまいものを食わせなくてはならない。
ハッシュ:そういえば、最近は光の柱が増えたな。
ボッシュ:ほお…。言われてみれば、そんな気がするなあ。
ハッシュ:あまりよいことではないが。
ボッシュ:おぬしでも憂いがあるのかあ…。単なる御隠居にしか見えぬが。
ハッシュ:前にも言ったが、記憶がとんでいるものが来ると、ワシもお手上げなんじゃ。
ボッシュ:うーむ。おぬしがお手上げとはのお。
ハッシュ:まあ、考えても埒があかぬ。ところで、おぬしとあのデブは全く同じ時期のジパングにいるのじゃが、こうも違うのかと驚くな。
ボッシュ:あのデブは、どうせ暇じゃろ?ワシより気楽なんじゃないかな?
ハッシュ:そうでもないぞ。まあ、あのデブを見ていても、おぬしほど楽しくはないんじゃが。
ボッシュ:まあ、そうだろうな。
ハッシュ:ふだんは、ディスプレイとかいうものを見てしきりに文章を作っておる。頭が悪いゆえ、ぶつぶつ言いながら2時間かかって、本1頁程度だな。今日は、朝からネクタイとかいうもので首をくくってでかけっていったわい。
ボッシュ:…。まるで自殺したように聞こえるじゃないか。まあ、あのデブなりに忙しいというわけか。
ハッシュ:そういえば、あれはなんじゃ。トイレとかいうところで「覚悟して猛虎落地勢を使うとき」とかぶつぶつ言いながら、別の部屋に入って、まずは、膝を床につけて上体を何度も倒して「申し訳ありません」とか叫んでおった。
ボッシュ:…。それは察するに土下座じゃな。「猛虎落地勢」などと大袈裟な名前をつけおって。情けない姿じゃ。
ハッシュ:不思議なもんでのお。最初は、頭から湯気が昇りそうになっていた相手が、気が抜けたようにほうけた表情になってしまうんじゃ。あのデブの日常で一番、不思議な光景じゃな。あるいは、あのデブの唯一の芸じゃな。
ボッシュ:土下座が得意技とはのお。まあ、どうせ散々、他人様に迷惑ばかりをかけておるんじゃろ。それにしても、ここでおぬしと話をしていると、不思議と安心するのお。うっとおしい国がミサイルだの、核だの騒ぐし、店長もシェフもてんてこ舞いで、最近は昔のようにゆっくり話もできぬ。まあ、喜ばなくてはいかんのじゃが、ちと寂しいのお。
ハッシュ:しかし、おぬしは世界中を旅したり、訪ねてくる者も多いではないか。退屈ではないだろう?
ボッシュ:まあ、そうなんじゃが。ココへふらりとやってくると、不思議な安心感があってのお。なんじゃか、落ち着くんじゃ。
ハッシュ:まあ、ワシは仕事をしてカネをえる必要もないし、自分の好きなことだけを考えておればよいからなあ。おまけに、それを誰かに聞いてほしいという欲もないゆえ、騒ぎに巻き込まれることもない。ワシのことなど知っているものは、それほどおらぬが、それも平気だからなあ。
ボッシュ:だから、究極の隠居じゃ。ときどき、おぬしに憧れるときもある。言いにくいが、ワシには無理だとは思うんじゃがな。なんというのか、孤独感に耐えられそうにない。
ハッシュ:まあ、慣れなんじゃないかな。時の最果てに飛ばされたときは、ワシもしばらく茫然としていたものじゃ。今では、時の迷子の世話ぐらいで、あとは時についてばかり考えておる。
ボッシュ:…。ふと思ったんじゃが、おぬしとワシとどちらが幸せなんじゃろ?
ハッシュ:…。好みの問題といえばそうだし、他方でなるようにしかならぬからなあ…。ワシも、好きでココに来たわけではないからのお。
ボッシュ:ジールの頃が懐かしく思えたり、いろいろ思い出してしまう。ワシも、ジパングで余生を送るとは思いもしなかった。
ハッシュ:幼いとき、若いとき、仕事盛りのとき、老いたとき、それぞれ楽しみがあるものじゃ。人は、胎内から生まれ、土に帰る。そのわずかな期間になにをえたのかなど、儚いものじゃ。たいていは、生きていることに価値を見出せる者など数少ない。凡庸であろうと、そうでなかろうと、淡々と真剣に今を生きることが肝心じゃな。生きることが価値なのではない。価値は、生きてからついてくる。
ボッシュ:あのデブは、「猛虎落地勢」とやらを必死にやる時期というわけか。あんなつまらない者でも、やっていることは下らないが、それなりに必死に生きておるのお。あのデブが、なにかとてつもないことをやらかすようには見えないが、まあ、大した人物ではないことぐらいはわかっておるようじゃから、努力をすれば、報いもあるんじゃろう。
ハッシュ:ワシもおぬしも、似たようなものじゃ。「時の賢者ハッシュ」とか「命の賢者ボッシュ」とか呼ばれても、たいしたことはできなかった。あのデブとたいして変わらんよ。
ボッシュ:あのデブよりは、マシだとは思うが…。なんだか話し込んでしまったなあ。そろそろ、お暇しようかのお。
ハッシュ:また、おいで。

 …。時の賢者様には参りますね。猛虎落地勢を見切られていたとは…。「ワーキング・プア」ではありませんが、私どもの業界でも、業績は悪化する一方なのに仕事は増えるばかり。体調のせいもあるのですが、なんとなく徒労感を抱くことがあります。今日も、還暦を迎えた方に教えを御指導を賜りましたが、このような方まで私のような一兵卒がやるような仕事に召集される異常な事態です。修行時代が一番、楽しくて、現職となると、修行時代に蓄えたものをどれだけ具体化する時間をつくるかが勝負ですよと言われたこともありますが、今になって、身に沁みます。

 「究極の隠居」に私も憧れます。日常の瑣末なことに煩わせられることなく、老後は煩わされずに、古今東西の「考え」に触れながら、誰の目にも留まらなくもいいから、「寝言」を綴ってゆきたいと思うことがあります。こればっかりはどうなりますことやら。

2006年10月15日

不毛な北朝鮮問答

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:先週、あんなおっかないことを言っていた御仁は居眠りかあ…。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、おぬしか。
ボッシュ:…。拍子が抜けるわい。
ハッシュ:ほお?
ボッシュ:おぬし、時の賢者ではないか?北朝鮮の動向ぐらい、予測できんのか?
ハッシュ:き・た・ちょうせん?
ボッシュ:…。ワシとしたことが、とんだミスだったのお。こんなところでボーっとしている御仁に尋ねるのが、無粋じゃった。すまぬ。
ハッシュ:その北朝鮮とやらがどうかしたのかね?
ボッシュ:…。おぬし、とぼけているのか?
ハッシュ:ワシは、いつも真剣に生きておるぞ。
ボッシュ:…。そういう意味じゃなくって…。はあ。北朝鮮の核実験のことじゃ。どうやら、ほぼ不発だったらしいが、国連安保理決議が採択されて北朝鮮はこれから締め上げられるようじゃ。ただ、制裁を受けた北朝鮮が暴発するかもしれないと恐れる人もいるし、逆に制裁などしても効果がないと恐れている人もいる。ジパングの人からすれば、拉致被害者を全員、戻すこと、核開発やミサイルを放棄すること、その他の挑発行為をやめることなどが理想じゃ。しかるに、すべてを実現しようとすると、最悪の場合、戦争をするしかない。まあ、現実には、こちらから手の出しようがないんじゃが。ジパングの言い分を通そうと思うと、北朝鮮の体制が崩壊するぐらいの変化が必要なんじゃが、制裁だけで実現できるかどうか、見極めが難しい。というわけで制裁でどこまでジパングの言い分が通りそうかでいろいろ議論があるんじゃが、悲観的な見方が多いというわけじゃ。
ハッシュ:ワシの手に負えそうにない問題じゃが。まず、一つ尋ねたい。ジパングにとって北朝鮮がどうなるかは、ジパングが生き残るのに決定的な問題なのか?
ボッシュ:…。あまり考えていなかったなあ。核爆弾というのは、うっかりトーキョーのど真ん中に落ちると、何百万人と死ぬかも知れぬ兵器をじゃ。現在はとてもじゃないが使える状態ではないな。しかし、使えるようになったら、しゃれにならんな。さらに、他の危ない連中に売りかねぬ。人攫いの問題も解決しておらぬ。
ハッシュ:命の賢者よ。おぬしにそのようなことを尋ねたのではない。ジパングの言い分が通らなかったら、ジパングは滅ぶのかね?
ボッシュ:…。
ハッシュ:それでは、もう少し問題を簡単にしよう。ほれ、なんじゃ、あのアポロの頭じゃったかな。
ボッシュ:アポロじゃなくてアフロ。
ハッシュ:おお、それじゃ。あの男がさらった人を返すから、核をもたせろといってきたら、どうするんじゃ?
ボッシュ:これだから、時の最果てなんぞにいる御仁はボケるんじゃ。そんなことは現実にはあるまい。
ハッシュ:おぬし、なにも見えていないのお。そんなことがありえないことは、ワシも承知じゃ。ジパングの言い分が全部通るのかね。もし、どれかしか通らないとしたら、どうするんじゃ?
ボッシュ:うーむ、状況次第じゃな。
ハッシュ:それでは答えにならぬ。どれを優先するんじゃ?
ボッシュ:…。正直に言おう。ワシにはわからぬ。
ハッシュ:おぬしを責めようとしたわけではない。あのデブも、この問題に関してはとぼけておるんじゃ。まあ、問わなければ、それが答えだからのお。ただな、ジパングの言い分が通らなかったら、ジパングが滅ぶのか。おぬしは、よそ者ゆえ、そこまで突き詰める必要はないが、あのデブはジパングの者だから、この程度のことは考えなくてはのお。まあ、答えられないなら、黙っておるのが、芸はないが、利巧じゃな。
ボッシュ:ふう。遊びにきたのに、なんだかワシがいじめられた気分になったわい。おや、『功名が辻』を見れなかったぞ。今日は仲間ちゃんに会えなかったじゃないか。ああ、腹が立つ。もう帰るね。
ハッシュ:…。訳のわからないことを言って逃げてしまった。まあ、ちと、やりすぎたかのお。また、おいで。

ピ・ピ・ピ…

ふしゅう〜〜

コメント不能。


 ということで終わらせたいのですが、さすがにこれは。時の賢者様も時々暴走されますね。命の賢者様もかわいそう(余計ですが、私は『功名が辻』を見ておりましたが)。私も、さすがに、この問題に答えるほど、「思いつめる」状態ではないのですが。まあ、月末まで仕事のことで頭がいっぱいなので問題先送りというところでしょうか。利巧な方が議論して答えをお出しになるんでしょう。中川政調会長は、どうなんでしょう。安倍総理は、「優等生」かもしれませんが、総理としては当然、非核三原則の堅持、核武装の意図の否定は、これぐらい明言する方がよいと思います。集団的自衛権どころか個別的自衛権すら事実上、封印されている状態で核武装ですか…。原則論としては理解できますが、メディアに致されるタイプじゃないかと不安になりますね(公明党の新代表も危なっかしいなあ)。麻生外相は、さすがとしか言いようがありませんが。不謹慎ですが、金正日に頑張って頂くと、麻生外相が見れるのでありがたいのですが、外相の出演が少ないほど、平和なわけで悩ましいところ。

 それにしても、今は北朝鮮の問題に政治的に集中すること自体は当然なのですが、台湾海峡は手薄になりそうですねえ。金正日と胡錦濤とどちらが怖いのでしょう。素人には北の核より中国の核の方がはるかに脅威で、日本が騒げば騒ぐほど、中国が得をするゲームになっているような気もします。メディアが報じているように中国が苦しい立場になったというのがまともな見方なんでしょうが、いかれた「外道」には、事態を長引かせて台湾海峡の問題が小さくなれば、胡錦濤は、後継者の問題はありますが、仕事が楽になるんじゃないかな。ま、これは素人の浅知恵、もとい「寝言」。

2006年10月09日

よくかぜをひくデブ

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:相変わらずかあ…。それにしても、よくこれだけ眠れるのお。
ハッシュ:ふわあ、なんじゃ、おぬしか。
ボッシュ:…。なんとも平和な光景じゃな。
ハッシュ:気のせいか、最近、客人が多いのじゃが…。あまり、喜べぬことじゃが。
ボッシュ:こんなトコにも、ワシ以外に客人が来るのか?
ハッシュ:客人といっても、物やサービスを売るわけではないがな。おぬしやあのデブがくたばった後ぐらいからが異様に多い。
ボッシュ:…。いきなり、おっかないのお。おぬしはワシやあのデブの死期までお見通しか?
ハッシュ:あくまで喩えじゃ。正確な年代は特定できぬが、まあ、あの様子では大きな異変があったんじゃないのかな。ジールが、火山の爆発で吹き飛んだ後の状態のようじゃ。口を利けぬものばかりがくるし、記憶がとんでおる。ワシもお手上げじゃ。
ボッシュ:…。なんだか、「ノストラダムスの大予言」みないな話じゃ。まあ、おぬしの寝言はともかく、ワシはちと驚いたぞ。
ハッシュ:ほお?
ボッシュ:バカはかぜをひかいそうじゃが、あのデブがかぜをひくというのは、天変地異の前触れかもしれぬ。
ハッシュ:あのデブ、見かけよりも体が弱いからのお。「寝言」で書かないだけでしょっちゅう体調を崩しておるわ。
ボッシュ:ほお。意外よのお。あのデブに殺虫剤をかけても、死なないように見えるんじゃが。
ハッシュ:…。
ボッシュ:…失礼。ところで、おぬしのところの客人が増えているというのは…。
ハッシュ:客人といっても、おぬしと違ってお金をもらうわけではないがな。あのデブは、ちと例外じゃな。あんな平和な国からやってくるというのは、まず他にない。たいていは、戦争とか大災害の時期にここにふらりとやってくる者が多い。つまり、社会が混乱している時期にここにふらりとやってくる。あのデブの場合、頭の中の整理がつかなくなってここにふらりとやってきたようじゃ。
ボッシュ:…。言いにくいんじゃが、おぬしの方が、ひどいことを言っていないか?
ハッシュ:そうかのお。ワシは、眼に映ずるままのことを言っているだけじゃが。
ボッシュ:まあ、あのデブの話はどうでもいいんじゃが、どうもバカはかぜをひかないというのはひっかかる。
ハッシュ:ほお?
ボッシュ:なんだか、体力と知力は対立するもののように聞こえるんじゃ。
ハッシュ:…。
ボッシュ:逆にな、健全な肉体に健全な精神が宿るという言葉もあるんじゃ。どうも、わからぬ。
ハッシュ:まず、ワシにわからないのは、肉体と精神は別のものかね?
ボッシュ:…。そういえば、ジールの頃にはそのような発想はなかったな。
ハッシュ:ワシは懐古話をしたいのではない。肉体と精神が別だと考えるのは、どういうときじゃ?
ボッシュ:…。なんだか、嫌な雰囲気だな。突っ込まれることを覚悟して言ってしまうと、体が丈夫だが頭は今ひとつとか、逆の場合を見ると、肉体と精神は別のように思える。
ハッシュ:もっと、それを実感するときがあるじゃろ?
ボッシュ:すまん、おぬしの問答にはついてゆけぬ。
ハッシュ:死じゃ。
ボッシュ:…。肉体だけが残って、魂は去ってゆくというわけか。ジールでは逆だったな。肉体は有限だが、魂は無限だった。
ハッシュ:肉体と精神が別だといってもよいし、同じだといってもよい。
ボッシュ:…。ワシの頭ではおぬしが今、言ったことがまるでわからぬが。どちらかしかありえないんじゃないのか?
ハッシュ:ワシの睨むところでは、あのデブの混乱の始まりは、どちらかしかありえぬという発想じゃな。あのデブが考えても、どうにもならぬ問題じゃ。
ボッシュ:ワシにもわからぬが…。
ハッシュ:考えずに生きれば、それが答えになる。考えてわかる現実など、現実ではない。
ボッシュ:済まんが、ワシまで気が触れそうになる。今日は、そろそろ帰るね。
ハッシュ:おや、まあ。また、おいで。そうそう、あのデブへの独り言じゃ。ジパングでは連休じゃそうだから、とっととかぜを治すように。

 …。…。…。かぜなのかどうかはわからないのですが。季節の変わり目には必ずといってよいほど、こういう羽目になります。少なからぬ方々に御心配をおかけしました。あらためて感謝いたします。

 それにしても、死についてどこかでいつも考えてしまいます。祖母が亡くなった未明に祖母が私の夢に現れて「さようならを言いに来たの」と言うので、思わず夜中に目が覚めて家中を見渡したら、弟は寝ていたものの、両親が見当たらず、子供心にこれは只事ではないと思いました。祖母が息をひきとる前の出来事でした。神秘体験など、科学に「汚された」私は、一切、受けつけないのですが、これだけは生々しく、昨日のことのように記憶しております。祖母のお通夜の時には、後にも先にもないぐらい泣いてしまいました。翌朝、亡骸を見ていると、涙が止められなくなって、三河の親戚に殴られてようやく収まりました。それ以来、死は常に私とともにあります。子供の頃ほど思いつめた状態ではなくなりましたが。子供の頃は、明日、死ぬかもしれないという感覚から今日やっておくことばかり考えていました。さすがに年とともに、そのような緊張感が薄れ、堕落してきましたが。

 私自身がおっちょこちょいなのでえらそうなことはいえませんが、フランシス・フクヤマという人の「歴史の終焉」や『歴史の終わり』を読んでなんて危なっかしい議論なんだろうと思いました。他方で、こういう議論ができてしまうのもアメリカの強みかなあとも。「寝言」ブログなので書けることですが、世間では生活に支障がでないように「現実主義者」のように振舞っていますが、内面では素朴な現実など信じることができません。もっと言ってしまうと、疑うことも信じられないです。「私は私である」というときの、真偽判断をする「私」はいったいなんなんだということを考えると、さすがにこれは危ない感じがします。

 イギリスの自由主義的な伝統は、現存する、あるいはこの数百年の歴史で存在した文明の中でよりマシなものだとは思いますが、それをなんの衒いもなく肯定することにはどうしてもためらいがあります。危ない人と思われるかもしれませんが、なにもかもを疑いだすと、自我すら疑わざるをえません。主義主張のなんと儚いことよと思います。どんな主義主張も信じられなくなると、生活に困るので比較的マシなものを信じているふりをするしかないのですが、頭の悪い私には、真剣にやるふりでしかないように感じます。

 芸がないのですが、精神的に危ないと思うと「私が私である」こと自体を忘れてしまいます。自我?どうでもいい。他人?どうでもいい。社会?どうでもいい。自然?どうでもいい。すべてを放逐してしまうと、あとは絶句するのみです。言葉にできない「なにか」があって、所詮、知的営みなどそこから断片をもってきては、「これはこうだ」と形にする。絶句するしかないものを表現するには、そうするしかない。そんな感覚で生きています。

 社会や自然について真剣に議論をしている方たちをバカにするつもりはありません。結局、なにかに真剣に取り組むことが答えそのものですから。私の場合、子供のように絶句しながら、とりあえず「こういうことにしておく」という感覚からぬけることができません。祖母が亡くなった6歳のときに、自分が何をしたいのか、哲学や思想など他人の借り物に頼らずに自分で考え続けた時期がありました。答えはありませんでしたが、人間、社会、自然を問わず本当のことが知りたいという欲求しか自分にはないのだということに気がつきました。あれから、30年、時期に濃淡はあれ、あまり変わらないことに気がつきます。本当のことを知ろうとすると、絶句するしかないというどうにもならない事態に困惑を覚えつつも、「思い通りにならない『現実』」と付き合ってゆく術を覚えてきたのかなと思います。それが、進歩なのか退歩なのか、自分でもわからないのですが。まあ、「時の最果て」で「寝言」を書いている人は、そんな程度の人です。

 連休中にこんな訳のわからない「寝言」を最後まで読んでくださった方に感謝いたします。例によって、心から感謝の念をこめてお約束を捧げます。



ここは「時の最果て」、すべては「寝言」。

おやすみなさい。

2006年09月24日

夢の後で

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:…。良くも悪くも、いつもどうりじゃな。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、またおぬしか。
ボッシュ:世の中は移ろいやすいが、ここだけは変わらないのお。
ハッシュ:ここは時の最果てじゃ。祭りの後といってもよい。
ボッシュ:ワシも年をとったかのお。ココにくると、ホッとする。
ハッシュ:おぬしはワシと同じくジールの生き残りゆえ、不思議ではあるまい?
ボッシュ:それもそうじゃな。ジパングも悪いところではないが、慣れていないことが多いせいか、疲れる。
ハッシュ:しかし、おぬし、もう店は引退したんじゃろ?
ボッシュ:店は順調そのものじゃよ。うまくゆきすぎて怖いぐらいじゃ。今のところ、不安はほとんどない。店長は若いがなかなかやり手ではあるし、シェフも料理人の育成に余念がない。店長は、あと数年したら、まったく別の店をだす考えのようじゃ。元々のワシの店とは別のな。まあ、うまくいくかどうかはお手並み拝見というところじゃ。
ハッシュ:なんだか余裕じゃな。それなら、疲れることもあるまい?
ボッシュ:疲れるというほどでもないが…。ジパングでは自民党総裁選というのがあってな、そこで選ばれた者が、事実上、総理大臣という地位につくんじゃ。地位はジールに仕える者じゃが、権限はジールなみになる立場になる。ワシはよそ者ゆえ、ジパングの上の人が誰になろうと、バカなことをしなければよいのじゃが、誰がなるのがいいか、くどくどお説教をされてうんざりじゃ。
ハッシュ:ワシらの頃は女王じゃったが、みんなで選ぶという発想はなかったなあ。
ボッシュ:そうなんじゃ。ジールはジパングのゲームではひどい扱いをされているが、ああではないがな。それはともかく、ワシがジパングにとばされた頃には小泉純一郎という人物が総理大臣じゃった。なんでも、一年前に選挙をやって大勝したそうじゃ。今回は、その跡目争いで、安倍晋三という人物が人気もあり、小泉純一郎という人物からも信頼されておるから、よほどのことがない限り、そのまま後を継ぐのが自然じゃ。ワシみたいなよそ者からすると、予想通りの人物がそのまま選ばれただけの話で、特にどうということはない。
ハッシュ:聞いていてわからぬこともあるが、なんだか平和な話じゃないか。
ボッシュ:そうなんじゃが。他に麻生太郎、谷垣禎一という人物が候補になっていて、麻生太郎という人物がいいという人も客人はいてな。これが実に始末に悪い。冷静に見て選ばれる可能性はゼロじゃが、好きな人に言わせると、安倍晋三とは比べものにならないそうじゃ。しかるに、その理由を聞いてゆくと、自分が好きだという以上のものが見当たらぬ。失礼ながら、どちらでも同じとしか思えぬのじゃが、うんざりするぐらい聞かされたわい。もっとも、シェフがニヤニヤしながらパソコンでなにやら変てこな画像を見せてくれてな。これを見ると、麻生太郎という人物に好感がもてる。しかし、それを言葉で説明する人の話を聞くのはうんざりじゃ。麻生太郎という人物がなぜよいかではなくて、安倍晋三という人物がいかにダメかが話の8割を占める。こういう話を聞くと、ワシの性格が変なのかもしれないが、麻生太郎という人物の欠点も教えてもらわないと、その話を信じることはできぬ。ガルディアにいた頃も選挙はあったが、田舎だったせいか、あまりこの種の話を聞く機会がなかった。慣れていないだけかもしれないが、ワシにとってはどうでもいい話じゃ。ひどいことを言うとな、惚れた女性の自慢話とふられた女性の悪口を聞かされているような気分になるんじゃ。それで、惚れた女性がみんながよいと言わないのが不満で、まだ愚痴を言ってくる御仁もいて、これには参った。
ハッシュ:…。難しいところじゃが、そこは商売と割り切って…。
ボッシュ:おぬしに言われなくても、そうしておるよ。まあ、だんだん性格が悪くなってきて「そんなもんですか。よそ者にはなかなかわかりませんなあ。また一つ利巧になりましたな」とでも言っておくだけじゃ。相手が自慢げにしゃべっていても、何を言っていたのか、なーんにも覚えておらぬが。
ハッシュ:もともと、おぬし、他人の話を聞いておったかのお?
ボッシュ:…。…。…。ワシより性格が悪い御仁がいるのがわかって安心したわい。今日は無粋な話をしない大切な客人のお相手じゃ。久々にやる気がでるのお。それでは帰るね。
ハッシュ:おやまあ。現金なことで。また、おいで。

 気がつくと、8月の方が総裁選の記事が多いですね。私の悪口がないこともありますが、今回は命の賢者様に一票。自民党総裁選は2001年に既に変わっていて、今回は、本命が変わっただけだと思いますが、おかげでネガティブ・キャンペーンが碌なことがないということも肌身で感じました。個人的には麻生さんがよいと思っていましたが、思い込みの強い記事を読めば読むほど、白ける。安倍さんを応援しようが、麻生さんを応援しようが、谷垣さんを応援しようが、私にはなんの利得もないので、押しつけがましい話は全部スルーさせて頂きました。

 お祭りが終わって安倍政権の品定めと行きたいところですが、これは実に難しい。小泉政権も、政権発足後、何度もダッチロール状態になりかけました。まあ、過疎ブログなので本音を書いても大丈夫でしょうが、政権発足前は小泉総理誕生に思い入れがありましたが、発足直後の支持率を見てひょっとして期待値が高すぎて短命で終わるのではないかと心配しました。人事を見てさらにびっくり。田中真紀子外相というのはさすがにまずい。案の定、外交は機能不全に陥って、小泉総理は私から見て最悪のタイミングで(更迭される側が同情されるという意味で)外相を切りました。おそらく、このあたりが小泉政権への評価の底だったかもしれません。後知恵でいえば、最初の3年は官邸主導を確立するプロセス、最後の2年はその威力が遺憾なく発揮された時期ということになるのでしょうか。

 小泉政権で印象に残っているのは、ありきたりではありますが、9.17訪朝とイラク戦争への支持演説です。訪朝前に『産経』が異常な反応を見せていて、真偽は確かめていませんが、訪朝にあたって私用する航空機からありとあらゆるキャンペーンを張っていてうんざりした覚えがあります。私自身は、総理がこれだけの決意で行くのだから、結果を見て判断しましょうという立場でした。あてにならない新聞記事からの憶測でしかありませんが、米国務省は訪朝に反対だったのでしょうが、ブッシュ大統領が抑えたのだろうと考えております。結果的には、国務省も収まったのだろうと憶測でしかありませんが、考えております。

 小泉政権への期待が信頼に変わったのは、イラク戦争への支持表明でした。「アメリカは、日本への攻撃はアメリカへの攻撃とはっきり明言しています。日本への攻撃はアメリカへの攻撃とみなすということをはっきり言っているただ一つの国であります。いかなる日本への攻撃も、アメリカへの攻撃とみなすということ自体、日本を攻撃しようと思ういかなる国に対しても、大きな抑止力になっているということを日本国民は忘れてはならないと思っております」(2003年3月20日)。これほど明快に日米同盟の意義を説明した総理は記憶になく、今後もこの演説を基調として対米外交が展開されれば、アメリカがどのようにブレようとも(アメリカ側に選択肢が多いという現実を忘れることは危険ですが)、まず、この国の安全は大丈夫だと思いました。

 もし、小泉総理が集団的自衛権の行使に関する解釈を80年代以前に戻していたならば、このブログも誕生せず、既存のブログで訳のわからないことを書き込んでいただけになっていただろうと思います。安倍さんも、麻生さんもこの点ではまったく一致しているので、あとは巧拙の問題だけだと考えていました。素人臭くて恥ずかしいのですが、こればかりはやらせてみないとわからない。安倍総裁が誕生した現実がある以上、是非、この問題に取り組んでいただきたいというのが率直な実感です。ただし、小泉政権で実現できなかったプロセスを見て行くと、連立の枠組みやタイミングなど私のような素人には窺い知れない政治の機微の部分が多く、この問題に関して今後も「寝言」を綴ってゆきますが、現場で議論されている方からすれば、ずれた議論になるでしょう。まあ、ずれた「寝言」を臆面もなく綴ってゆくのが「時の最果て」の基本ではありますが。この問題が解決したときに、ブログを続けるかどうかを考えようと思います。

 それにしても、小泉さんが総裁に選出されるのが確実になっても、信じられませんでした。小選挙区比例代表制の下で総選挙が行われるたびにこのような総裁選出プロセスが定着して行くのが自然な流れなのかまでは私には確信がありませんが、今回の総裁選は、新しい制度が定着したことを実感させられました。過渡期には過渡期にしかない苦労があり、小泉総理はその貴重な経験をされた方だと思います。本当に御疲れさまでした。今後、若い総裁が新しい制度を定着するプロセスをしっかりと見守って頂きますように心からお願いいたします。

2006年09月17日

血液型性格診断と世代論

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:おやまあ。今日もおやすみのようじゃのお。
ハッシュ:なんじゃ、また、おぬしか。
ボッシュ:…。はあ、賢者様だけに御立派よのお。
ハッシュ:うーむ、今日は虫の居所でも悪いのか?
ボッシュ:いやいや、ちと皮肉ったまでじゃ。ところで、おぬし、血液型は何型じゃ?
ハッシュ:いきなり、なんじゃ?ダーマ神殿で転職して医者にでもなったのか?
ボッシュ:ゴホン。ダーマ神殿はシリーズが違うから、とでも突っ込んでほしいのか?
ハッシュ:まあ、会社がくっついたから、ノープロブレムじゃ。ところで血液型がどうしたとか、冗談抜きで医者にでもなったのかね?
ボッシュ:実は、ジパングで客人から同じ質問を何度も受けて困ったんじゃ。まあ、最近は慣れてしもうたが。ジールではもちろんじゃが、ガルディアでも、医者以外がそんな質問をすることはまずない。ワシはO型とかいう血液型らしいが、病気や事故で輸血してもらうとき以外はどうでもいいことじゃな。ところが、ジパングの人たちは、みんなではないが血液型で性格がわかると考えている人が多いようじゃ。ジパングの人たちはいい人が多いんじゃが、これにはワシも面食らった。「どおりで明るい過多なわけですな。ガハハ」と言われて、最初は目が点になったわい。
ハッシュ:うーむ。ワシにはちとピンとこぬが。
ボッシュ:ワシもそうじゃ。だいたいじゃな、血液型自体は遺伝子レベルで定義できるが、性格なぞ定義自体が難しい。人の数だけ性格があるというのが、正直なところじゃないのか。もちろん、ある程度、共通する部分を見つけてタイプ分けすることは可能じゃが、共通する部分を明確に定義することなど、ワシにはできそうに思えぬ。
ハッシュ:うーむ。性格か。おぬしの言うとおりじゃが、あのデブの性格が悪いというのは、言えるじゃろ?
ボッシュ:…。ワシはさんざんあのデブの悪口を言っておるが、やっぱり本当なのか?
ハッシュ:実は、あのデブ、血液型で性格がわかるなんて頭の中がお花畑とか言いつつ、女性に向かって「A型かO型でしょ?」と言ってのお。ジパングの人の7割以上はこのどちらかだから、いい確率であたるんじゃ。この前も、それをやってのお、内心では「バ○だねえ」と呟いておるんじゃが、「すごい、どうしてあたるんですか」とか言われて、澄ました顔で「○○さんはA型にしか見えませんよ」と言って、「私のことがわかるんですね」と言われて、まんざらでもない顔をしておったわ。本人は全く信じておらんのに、信じておる人の純真な心に付け込んでおる。
ボッシュ:…。他人のことをさんざん「極悪」だの「非道」などと言っておいて、そこまでひどい奴とは思わなんだ。まさに「外道」じゃな。○木○子(わがブログの存続のために伏字にしております:書記係)なみにひどい奴じゃ。
ハッシュ:その、なんとかさんは、あのデブ並みにひどいのかね?
ボッシュ:なんでもある歌手の借金を肩代わりして美談になっているそうじゃが、実際はその歌手の興行権を握って荒稼ぎしたそうじゃ。本当かどうかはワシも知らぬが。
ハッシュ:残念というべきか、当然というべきかはわからぬが、あのデブにはそこまでの才覚はない。
ボッシュ:まあ、お座敷芸ぐらいなら、騒ぐほどでもないがな。あと世代論というのも気に食わんのお。
ハッシュ:せだいろん?
ボッシュ:何年生まれから何年生まれは○○世代で、○○世代はなんとかだからダメとかいうやつじゃ。これなど、星占いと大して変わらぬ。生まれた年でその人の個性が決まるというのは、よほど無神経か、とてつもなくバカじゃ。
ハッシュ:そんなことを真面目に議論する人がおるのかね?
ボッシュ:困ったことに、血液型よりもまともだとジパングでは見られている雑誌にこの手の話が多いんじゃ。店長のおかげで前より暇ができてでかけたいところじゃが、天気が悪くて雑誌を読んでおったが、呆れるほど、この手の話が多い。
ハッシュ:まあ、ある程度、年齢が近いと話題や方向性が上や下の世代と比べると、共通することが多いから、話しやすいというのはあるのかもしれんな。経験も年齢に比例するしのお。
ボッシュ:うーむ、そういわれれば、そうかもしれぬが、同じ年に生まれても、生まれた家庭、環境、成人後に就く職業でバラバラだぞ。ワシよりも年齢が上で利巧な人は、「世代論」とやらを述べるときに「例外の方も少なくありませんが」と付け加えておるが、今の40代、50代の「論客」とやらの世代論は、無神経じゃのお。もちろん、世代によって共通して体験することがあって、世代によって経験していたり、経験していなかったりするし、同じ経験をしても、年をくってからと子供ではまるで受け止め方が違う。だが、それだけの話じゃ。同じジパングに住んでいても、1995年の事件というだけで真っ先に地震を思い浮かべる地域もあれば、テロを思い出す地域もあるんじゃ。ジパングと言っても、地域によって気質がバラバラだし、同じ世代でも経歴によって個性が全く違う。それを「世代」の一言で一括りできる神経がワシにはわからぬ。
ハッシュ:…。おぬし、やっぱり虫の居所が悪いのではないか?
ボッシュ:…。そうかのお。
ハッシュ:ワシもえらそうなことはいえぬが、この世にはわかることよりも、わからぬことの方が多い。ジールの頃から感じておりのじゃが、わからぬことだらけの世の中をわからないままでいるというのは多くの人には耐え難いんじゃ。言いにくいが、血液型にしろ、世代論にせよ、おそらく出鱈目な話のほうが多いんじゃろうが、それで唱えている御本人もそれを読む人も、わからぬことをわかった気になって仕事に精がでるんじゃったら、それなりに効能はあるんじゃろ。これは上から物を言うようでワシも憚りがあるが、わからぬことをわからぬこととして直視できる者など少数じゃ。だからといって、直視できない人を非難するのはお門違いじゃ。わからぬことに不安を感じるのは人間らしいことじゃ。だから、その不安を解消するのが「神」であったり、あのデブの表現では「イデオロギー」だったりするんじゃ。それが、血液型で性格が決まるとか、生まれた年で価値観が決まるとか他愛もない話だったら、笑い事ではあるが、人間の弱さを表わしたものとして温かい目で見ればよい。いつの時代でも、どの地域でもそのときに起きている出来事を正確に理解することなど難しいし、まして将来のことなど誰もわからぬ。ワシも、わからぬこと、未知のことには不安がある。ワシは、不安を隠すためにもって回った小理屈など信頼せぬ。わからぬことがあるからこそ、おもしろい。わからぬことこそ、ワシの理性が試される格好のチャンスじゃ。しかし、チャンスだと思えぬ人にワシの考えは奇妙にしか見えぬ。いろんな時代に過去のこと、現在のこと、将来のこと、わからぬだらけのことにヒトはいろんな説明をしてきた。わからないこととそれにともなう不安に付き合うには、多くの人には「神話」がいるんじゃ。「わかったことにする」というのは、愚かではあるが、この世と付き合うそれなりの知恵じゃ。それを決してバカにしてはならぬ。
ボッシュ:…。おぬしは、ジールの頃から相変わらずじゃが、少し変わったのお。もう少し、心の狭い御仁かと思っておったが。
ハッシュ:時の最果てにおると、見えなくなることが多いが、おかげで見えることもある。もっとも、ワシがわかったと感じていることも、所詮は「感じ」にすぎぬのかもしれぬ。前に話したことの続きも語りたいが、長くなるから、今回はココまでじゃ。
ボッシュ:そろそろ、ワシもお暇するか。店長もそろそろ疲れが出てくる頃だし、店に戻るとしよう。
ハッシュ:また、おいで。

 …。血液型と世代論でこの展開とは…。さすがの私もついてゆけませぬ。なにやら賢者様たちだけが自分の心の広さを示して、私が「外道」ということだけが、印象付けられた気がいたしますが。このシリーズ、私の悪さが暴露されるばかりで真面目に書記をしているのが損な気がします。もっとも、血液型占いが出鱈目であるということを知りながら、散々、他人をおちょくってきたことは事実なので、ちと反省。

 言いにくいんですが、血液型性格判断以上に世代論はちゃんちゃらおかしいです。父上が団塊の世代のやや上、母上が団塊の世代のピークに当たるのですが、言論の世界の「団塊の世代」論からかけ離れたタイプです。高卒ということが大きいのでしょうが、イデオロギーの話とは無縁で父上は今でも若い人を育てるために粉骨砕身し、母上は家計を支えるために不満をもちながらも、現在も必死です。世代論から感じるのは、他の世代、あるいは時代を問わず、そのような生身の無名の人たちが生活のために必死で努力し、子孫を残すために自己犠牲も払ってきたというごくごく当たり前の、しかし、社会の根幹の部分から乖離して観念ばかり弄ぶ、自己の狭い体験からくる思い上がりと「日の下に新しいものなにもない」という、一見、傲慢な、しかし、人がこの世に生を享け、子孫を残し、土に還るという、不断は意識しない、人類がこれまで繰り返してきたあまりに平凡なことを思い起こさせてくれる精神とは無縁の儚く脆い精神です。このような精神からは新しいものなど何も生まれることはないでしょう。要は、言葉遊びで昔ながらのものでしょう。

 時の賢者様のおっしゃっていることはよくわかりませんが、頭の悪い私にはわからないことに出くわすと、「ああ、またか」と思ってしまいます。こういう事態に直面すると、「頭が悪いからしょうがないよね」と考える前にとりあえずやることをやるというのが私の「お作法」です。下手の考え休むに似たり。理屈は後からついてきます。自然が自然科学者が「法則」とみなしていることによって成立しているのではないのと同じように、社会も社会について論評している人たちの小理屈によって成立しているのではなくて、ときに合理的であり、ときに非合理的な個人の所為の積み重ねによって成立しています。

 私は「日の下に新しいものなど何もない」という感覚と「世界に確実なものは何もない」という相反する感覚で物事に接しております。前者だけなら、世の中はとっくに秩序で整然とした世界になっているでしょうし、後者だけなら、世の中は無秩序で理解しようとする努力自体が無意味でしょう。このような考え方をする者はサイレント・マイノリティであるという程度には、私も謙虚ではあります。

2006年09月10日

続・後継者

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:おや、いつもとおなじようじゃが…。
ハッシュ:ふわあ、おぬしか。
ボッシュ:…やはりいつも通りじゃな。
ハッシュ:おぬしはどうじゃ?
ボッシュ:店は店長に譲ったようなものじゃし、気楽じゃ。後を継いでくれる者がいてくれるというのは幸せじゃ。最初は、仕事だけさせてワシが責任をとって負ったが、今では責任も権限もすべて与えた。なじみの客人も最初はびっくりしておったが、事情を話すと納得してくれた。ワシはジパングの者ではないし、子もおらぬ。あと2、3年は大丈夫かもしれぬが、いざというときでは遅い。店長には悪いが、若いうちに苦労してもらおうというわけじゃ。
ハッシュ:子供を谷底に突き落とすようなものかな?
ボッシュ:…。ワシの店は谷底ではないが。今は、店も順調じゃ。これが左前になってからでは遅い。物事が順調なときは冷静に先のことが考えることができるが、そうではないときにはその場しのぎに負われる。逆境や逆風に耐えて人は育つというが、実際は逆じゃ。よい思いをしないと、必要以上に疑い深くなったり、物事を悪くばかり考えるようになる。今なら、成功したことはすべて店長の手柄じゃ。景気が悪いときに顔が暗くなるようでは、ワシの店もオシマイじゃ。
ハッシュ:…。ワシには難しい話じゃが、おぬしの考えはわからんではない。
ボッシュ:ところで、あのデブ、おめでたい話をもっと素直に喜ばんのかね?
ハッシュ:そうじゃ。そのネタは触れてもお答えしませんとのことじゃ。なんでも分不相応だということじゃな。
ボッシュ:あのデブ、思った以上に気が小さいな。
ハッシュ:ワシらもジールの後継ぎに口出しをしたことはあるまい?
ボッシュ:…。それもそうじゃな。それでは、あの総理の後継ぎはどうじゃ?
ハッシュ:あのデブに聞いてもらった方がよいと思うが。
ボッシュ:…。うーむ、今日は調子がでないのお。
ハッシュ:おぬしの考えはどうじゃ?
ボッシュ:客人から聞いた話じゃが、後継ぎを決めるゲーム自体が変わったそうじゃ。以前なら、こんなにオープンな議論すらなかったようじゃ。あと、年寄りが若いのを追っかけるというのも珍しいとのことじゃ。今回の候補者のうち、最年長者は一番、実力もあり、世慣れしている。最若年者がチャレンジャーというのは苦しいだろうが、この程度の試練を乗り越えられなくては、話にならぬ。ワシの店は小さいから、後継ぎを競争させるほどのゆとりはなかったが、問題のレベルが違う。ただ、年長の実力者よりも、若い人に統治の経験を積ませることは、あとあと大きな資産になるかもしれぬ。統治の難しさを若いうちに経験すれば、人材のプールができる。これまでのワシの話はよそ者の表面的な観察じゃ。それにしても、現総理はジパングの人たちの過半数に支持されているようじゃ。これを次の人が、資産と考えるのか、負債と考えるのか、どうでもいいと考えるかで路線が決まってくるんじゃないかな。
ハッシュ:なんだか、ワシの手には負えぬのお。
ボッシュ:まあ、素人談義だから、気楽に聞き流してほしいのお。それでは、そろそろじゃな。
ハッシュ:また、おいで。

 そういえば、先週は「後継ぎ」関連の話題が多かったですね。皇室はもちろん、他国の王室の立ち入った話には興味がありません。

 小泉政権の後継者に関していえば、ネットで議論が過熱するほど、醒めてゆくというのが率直なところです。私自身は、日米関係を首脳間の個人的な関係ではなく、両国の共通する国益に立脚することという基礎におくことが第1だと思います。集団的自衛権の行使は、この要です。麻生外相は、総務相時代から高い評価をしてきました。ブログで話題になっている「麻生外相まとめページ」を見たのは、昨年の暮れか、正月明けだったと思います。評価は現在でも、あまり変わりませんが、「日本は外様大名」発言で少し味が落ちた印象があります。ブッシュ政権は特殊な政権ではありますが、日本がいつまでも「外様」意識では困るというのは、今後のアジア情勢を考えると、ブッシュ政権ではなくても共通の感覚になるかもしれません。いつまでも、局外者ではいられなくなった。力む必要はありませんが、中長期的に中国の脅威は増してくるでしょう。日米同盟を強化して中国が破滅への道へと進むことを阻むことは、とりもなおさず「戦後レジーム」からの脱却だと考えます。

2006年09月03日

続・お引越し

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:…。相変わらずじゃ。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、おぬしか。
ボッシュ:いつきても、おぬしだけは変わらぬのお。
ハッシュ:そうかなあ。
ボッシュ:いや、悪い意味はないから気にせんでくれ。…やっぱり、少しは気にした方がよいがな。
ハッシュ:ところで、おぬし。店はどうなったんじゃ?
ボッシュ:思ったより作業がはかどってのお。昨日、新しい店をオープンしていきなり満員じゃ。
ハッシュ:ほお、なかなかのようすじゃな。
ボッシュ:ついでにワシは引退することにした。
ハッシュ:ほお?引退?
ボッシュ:実際は、店に顔を出すんじゃが、店は店長に全部譲ってしまったわい。今じゃ、ワシは店長の顧問みたいなもんじゃ。なにしろ、店を始めた頃は、一日に客人が10人単位じゃった。それが、今では100人単位じゃ。ワシでは身が持たぬ。店長も来年で30じゃ。あのデブとは出来が違うから、好きにやらせることにしたんじゃ。
ハッシュ:それでおぬしはなにをしておるんじゃ?
ボッシュ:週に一度だけじゃが、店のものだけで食事をするんじゃが、その飯はワシとシェフで作っておる。まだ、教え残したことがあるからのお。それと、なじみの客人と店長の仲を深めることじゃな。ワシが店を譲ったと聞いて客人の方がびっくりしておった。「思い切ったことをしますねえ」と半分、呆れられたが、ワシの方針を聞いたら、ほとんどが納得してくれてのお。なにしろ、店長より年上がほとんどゆえ、なじみの客人に支えてもらわなくては困る。おまけに客人の数、一日に動く金額が桁が違ってきておる。ワシも客人に教えてもらうことが多かったんじゃが、これからは徐々に店長に知恵が入るようにしないとダメじゃ。幸い、店長は腰が低いから、客人も可愛がってくれておる。文句もいってもらわなくては困るしのお。
ハッシュ:おぬし、昔とは変わったのお。
ボッシュ:まあ、そうかな。おぬしがジパングに飛ばしてくれたおかげじゃがな。
ハッシュ:…。
ボッシュ:別に恨んではおらぬよ。ただ、気がかりが一つだけある。
ハッシュ:ほお?
ボッシュ:これまで店は、はやる一方だった。苦しいときがなかったんじゃ。苦しいといえば、最初ぐらいじゃ。店長は、店が伸びている時期しか経験しておらん。このまま、伸び続ければいいが、そうもゆかぬかもしれぬ。えらそうに言っておるが、ワシもそうじゃ。それでも、ワシは若いときにいっぱい失敗をしておる。刀や剣、盾に鎧といろいろつくったが、失敗も多いんじゃ。店長も、ワシの店に来るまでに失敗ばかりしておったようじゃが、成功した後の失敗は経験がない。完全に引退しようかとも思ったんじゃが、店長とシェフに止められての。形だけ残ることにしたんじゃ。ワシがいても、店が苦しくなったときに知恵が出るかどうかわからぬが、いざというときに安心するようじゃ。
ハッシュ:ワシにはピンとこないが。ところで、そんないきさつだったら、暇ができただろう?
ボッシュ:そうじゃな。店の装飾品を作ったり、ジパングの歴史を見てジパングの人の好みのものをつくったりしておる。ジパングとガルディアは、対照的じゃな。古い建物からして木で出来たものがほとんどじゃ。石で出来た建物のような力強さはないんじゃが、不思議なものでこれが意外としなやかじゃ。店の引越しの前にキョートというところに連れて行ってもらったんじゃが、ジパングの古い建物が多くて、なかなか面白い。食べるものも違っておって、ワシみたいな年寄りにはなかなかおいしい。ただ、それをどう表現するのかとなると難しいのお。わびとかさびといわれても、ワシのようなよそ者にはよくわからぬ。
ハッシュ:ジパングとよその国はそんなに違うのかね?
ボッシュ:うーむ、それはよくジパングの人に聞かれて困るんじゃ。住んでいるところも違えば、それまでの歴史も違う。逆に、その程度の違いでしかないといえばそうなんじゃ。ジパングの人たちと接していて一番、困るのは、そこじゃな。ジパングというのはこういう国ですというのがあって、よその国とどう違うのかという話なら、ワシもわかりやすいんだが、逆なんじゃ。あの国はこう、別の国はこうときてジパングはそれとは違うといわれても、ピンとこないんじゃ。じゃあ、ジパングという国は、よそがどうだろうとどんな国なんじゃと聞くと、答えられる人が少ないんじゃ。この辺は、ワシにはよくわからぬ。
ハッシュ:あのデブにでも考えさせるかのお。
ボッシュ:あのデブでは無理だと思うが、まあ、気が向いたらでいいんじゃないか。
ハッシュ:それもそうじゃな。
ボッシュ:今日もしゃべりすぎた。のんびりしたいから、そろそろ帰るね。
ハッシュ:またおいで。

 「この国のかたち」を説明しろですか…。出版社と編集者にばれると、大変なことになるのですが(多忙と病気で筆が進まないことになっておりますので)、司馬遼太郎『覇王の家』(新潮社 2002年)を初めて読んでいて、なんともいえない違和感を覚えました。私はそれほど司馬さんの作品を読んでいるわけではありませんし、特別、愛着がある作家というほどでもないのですが、「あとがき」で「かれ(徳川家康:引用者)がその基礎を堅牢に築いて二百七十年つづかせた江戸時代というのは、むろん功罪半ばする」とあって、どうもこのような発想にはついてゆけないものを感じます。「功罪半ば」しない時代などあるのだろうかと。もっとも、司馬さんには失礼ですが、このような素人的な発想が、歴史を考える際に多くの読者を司馬作品に惹きつけてきた魅力かもしれません。私自身は、歴史を学ぶというよりも小説として楽しむという傾向が強いのですが。

 司馬さんは、徳川家康が苦手なようで、上方育ちということもあるのでしょうが、司馬さんの評によると、「…この稿の主人公(徳川家康:引用者)は、歴史を変えたというその作業のわりには、中国・ヨーロッパの概念の英雄からもっとも遠い存在なのである」とあります。他方で、描写では三河の田舎臭さ(上方気質にはあわないのは理解できますね)をバカにしつつも、むしろ、そうであるために徳川家康という人物の現実的な側面がかえって浮き彫りになっているのが興味深いです。『覇王の家』は小説としては、できがよいとは思えないですが、意図せざる結果として徳川家康の英雄としての重要な資質、現実的であることが示されているのはおもしろいことだと思います。

 政治から離れてこの国を見ると、他の国と比べてある宗教的な情熱や理想が他を圧倒し、支配することが少なかった国だと思います。多神教の国というときれいな説明ですが、古代から中世にかけては宗派間の争いは絶えず、政治にも関与しようとしていました。しかし、特定の宗派が他の宗派を長期的に圧倒するほど強力な宗教がなかったのが実態なのではないかと思います。これは、宗教史に疎い素人の「寝言」にすぎませんが。

 皇室の存在も、私には手にあまります。表現は悪いのですが、皇室を廃止するだけの独裁者は日本に生まれることはありませんでした。皇室が日本の伝統や文化の象徴といえるのかといえば、積極的な意味ではいえないと思います。他方で、皇室の存在は、結果として政治的な権力闘争にある限界を設けてきました。このような悪く言えば不徹底さ、よくいえば誰か特定の個人が理念や理想に基づいて制度を設計する歴史を経なかったことが、日本史の特色だと思います。善悪はおいて「世俗的」であることが日本人の強みであり、それを逸脱しようとすると、一時的には熱狂を生むこともありますが、飽きられてしまうというのがこの国の特徴かなと思ったりします。

 それにしても、右肩上がりは羨ましいです。お読みいただいている方には申し訳ないのですが、零細ブログからなかなか抜け出せませんね。その方が、私もやりやすいのですが、この閑古鳥が鳴いている状態はいかがなものかと、鄙びたところが好きな私でもちと複雑な気分になることがあります。まあ、私の器量はこんなものかなと思いますが。