2012年05月03日

チェンバロとピアノの歴史(2)

 目利きの方が貸してくれたのが『アート・オブ・コンダクティング』というDVDでした。これについても書きだすとキリがないのですが、シュヴァルツコップのインタビューでフルトヴェングラーとベームを評価する一方、対照的な指揮者としてカラヤンを挙げていたのが印象的でした。まあ、このなんとも言えない、少し鼻につく、敷居の高さがクラシック音楽の特徴でしょうか。実は、私自身、相手から振られない限り、クラシック音楽について話すことはありません。シュヴァルツコップの評価は世代を考えれば理解できますが、日本人で50を超えているかどうかという人がカラヤンは俗受けするタイプとバカにするのを見ると、クラシックが好きと素直に言えない自分がいますね。LPを買っていた頃はほとんどがカラヤン指揮のベルリンフィルでしたから。悪く言うのは簡単ですが、あれほどクラシック音楽のファンを増やすのに貢献した人は数がやはり少ないのではと思うのですが。

 「続き」にある動画を貼りましたが、再生数が5000ぐらいで、なんだかなあというコメントが目立つのはクラシック音楽ぐらいではと。評論が好きというのは決して悪いとは思わないのですが、既にクラシック音楽というジャンル自体が左前の時代に、さらに人を遠ざけるタイプがほかのジャンルより多いとなると大変だなと。正直なところ、時々、クラシック音楽を趣味として挙げるのはなんとなくためらいを覚えることもあります。

 他方、高齢化が進むと、クラシック音楽というのは案外、無視できないマーケットとして存続し続けるかもしれないという、あまり根拠のない楽観もあります。実を言えば、40歳になる前にくたばる予定だったので、こうして生きているのは困ったものだなあと。とりあえず、仕事をする一方で、最近は昔ほどの熱意が薄れてきていることも実感しますので、ボケないようにクラシックでもという感じです。海外事情は、英語圏に出かけた際に困らない程度に単語を覚えておこうかという感じですし。カネがなかったら、60歳あたりで文字通りの人生の「定年」でいいんじゃねというところでしょうか。

 それはさておき、ピアノの話の続きです。ピアノがチェンバロの改造だったというのはそれほど意外ではないのですが、イタリアだったというのは意外でした。クリストフォリの没後、フォルテ・ピアノを経て現代のピアノにいたるのですが、顕著な改良の代表は、まずウィーンで生じたようです。例によって浜松市立楽器博物館の資料の写真です。

piano_Vienna

 外観だけを見ても、どこが変化したのかはわかりづらいです。「ウィーン式」と命名されているアクションの説明と展示を見てみましょう。

action_of_Vienna

アクション(1) ウィーン式アクション

 このアクションは、別名「はね上げ式」とも呼ばれ1770年代中頃に完成されたといわれています。ウィーン式アクションのピアノは、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンなどに愛されました。タッチが軽やかで繊細な音色です。しかし、より力強い音が出せるイギリス系のアクションの広まりとともに次第に使われなくなりました。(浜松市立楽器博物館)


 次の写真はウィーン式アクションの模型ですが、実際に鍵盤部分を強弱をつけて叩くと、音量を調整できることがわかります。前回、省略してしまいましたが、チェンバロの模型で鍵盤を叩く強弱を変えても、音量がほとんど変わらないことも試すことができます。

action_of_Vienna2

 下の写真は、アクションをさらに模式化した図です。意外と仕組みは単純ですが、チェンバロと比較すると、既に複雑になっていることがわかります。

action_of_Vienna3

 ピアノの歴史に詳しいわけではないのですが、私みたいなど素人からすると、19世紀以前ではやはり西洋音楽の中心はイタリア(フランスは消費地として無視はできないのですが)であり、そこで発明されたピアノがウィーンというパリほどではないにしても、当時としては巨大な音楽の消費地で改良がされたというのは、中心から周辺に音楽の重心が移っていくプロセスの一つだったのかなあと。ただ、モーツァルトのピアノ協奏曲とベートヴェンのピアノソナタでは異なる楽器で演奏されることを想定していたのではないかと思っていただけに意外な解説でした。

 次は、かなり驚きましたが、目立った改良は次にイギリスで生じたようです。下の写真が陳列されていたイギリス製のピアノです。

piano_of_Britain

 「イギリス式アクション」とされている鍵盤を叩いて弦を叩く動作は、かなり複雑になっていきます。簡潔に要点を記しているのが下の写真の説明です。自分の影がかなり邪魔なのが遺憾ですが。

action_of_Britain

アクション(2) イギリス式アクション

 「突き上げ式」とも呼ばれるこのアクションは、1770年頃にイギリスで作られました。イギリス式アクションのピアノは、晩年のハイドン、ベートーヴェン、ショパンなどが演奏し、イギリスのみならずヨーロッパ各地の製作者が採用しました。タッチも響きも重厚で、後のフランス式アクション(現代のピアノアクション)へと繋がっていきます。(浜松市立楽器博物館)


 博物館の説明ではウィーン式アクションとほぼ同時期にイギリス式アクションが製作されたことになります。ピアノ製造技術の革新がどの程度のスピードで広がったのかは記述がないので、想像するか、考えないようにするかしかありません。モーツァルトの死がバスチーユ監獄襲撃から2年後、私自身が好きなピアノ協奏曲第21番が1785年、有名な第23番が1786年とすると、モーツァルトがピアノ協奏曲のお披露目に使おうと考えていたピアノを想像すると、かなり混乱します。機械的には、(1)クリストフォリ没後、原型に多少手を加えた程度のピアノ、(2)ウィーン式アクションを採用したピアノ、(3)イギリス式アクションを採用したピアノに、それぞれを組み合わせた可能性もあります。他方、ウィーン式アクションとイギリス式アクションの説明の双方に名前が出るのはベートーヴェンだけです。模型で叩いてみただけですので、わからないのですが、モーツァルトのピアノ協奏曲は20番と24番以外は長調で、軽やかで華やかさが中心ですので、モーツァルトの頃にはイギリス式アクションのピアノはウィーンでは知られていなかったか、モーツァルト自身が楽器の変化に鈍感だったか、どちらかなのかもしれません。

 妄想はさておき、イギリス式アクションの模型です。パッと見ただけで、ウィーン式よりも複雑になっています。

action_of_Britain2

 例によって、さらに模式化した図の写真ですが、模型をパッと見ただけではわからない程度にまで複雑になっています。ウィーン式よりもハンマーが全体の支点から遠ざかり、より強く弦をはじく仕組みになっているように見えます。

action_of_Britain3

 古楽とは異なる視点から楽器を見ていますが、古楽関連の書籍を読んだ方がよいのかなあとも。私の場合、演奏に使われていたであろう楽器を作曲家の視点からとらえたいなあと考えておりましたが、古楽と変わらんですね。ベートーヴェンあたりですと、ウィーン式アクションのピアノとイギリス式アクションのピアノが混在していた時期になりそうです。他方、それ以後のピアノとの接点は、あったとしても少ないのでしょう。

 次は、フランス式アクションです。実は、フランス式アクションのピアノかどうか、ペダル部分の写真しか撮っていないので、いきなり説明からです。

action_of_France

アクション(3) フランス式アクション

 フランス式アクションは、イギリス式(突き上げ式)を基に、連打機能(鍵を完全に戻さなくても再度打弦できる装置)を追加したものです。このアクションは、現代のピアノと基本的な機能は同じで、1821年にフランス・エラール社によって考案されました。このアクションを用いてリストなどの作曲家は、超絶技巧を用いた楽曲の演奏ができるようになります。(浜松市立楽器博物館)


 フランス式アクションとなると、時代がはっきり異なって、イタリアのように個人ではなく、はっきりと会社になるのが興味深いです。ちにみに、模型で鍵を叩くと、連打が可能であることが素人でもわかります。

action_of_France2

 説明ではリストの名前が挙げられていますが、例えばラヴェルの「夜のガスパール」あたりも、このような楽器が存在しないと、演奏は無理なのではと思います。例はキリがなさそうなのでやめますが、クリストフォリの発明で音の強弱がつけられるようになった改造されたチェンバロは、19世紀になると連打が可能になるところまできました。ピアノと言えばやはりショパンでしょうが、突き上げ式がなければ、作曲自体が変わっていたのかもしれません。

 自分で演奏できる楽器が皆無ということも大きいのですが、単に音楽をボーっと鑑賞していたのが、段々と、聴いているうちに、楽器が気になるようになりました。今回は、ピアノ関係で最も国内で集積が進んでいるであろう博物館を訪れたおかげで、基本原理が理解できるようになりました。実は、浜松に住んでいた頃に、ピアノを習いたいと言ったら、母上に、ピアニストにでもなるのと嘲笑とともに幼い、穢れのない心を汚された記憶があります。ピアノの歴史をたどるのがやっとですが、なかなか楽しいです。

 ちなみに、クラシックに関しては敷居の高さを感じさせない目利きの方は、「オーディオ唯物論者」です。コンサートを除いたら、その人の耳は、使っているオーディオセットの音のよさで決まるという説で、これに反駁するのは極めて難しいです。アンプは真空管、スピーカーはどでかいのでびっくりしましたが、これでクライバー指揮、ウィーンフィル演奏のブラームスの4番を聴いていたら、いきそうになりました。聴いている途中で「あれここのコントラバスの響きがバイエルンと異なりますね」と思わず呟いたら、「しょぼい環境で耳が意外と超えてるのお」と言われて、いろいろ教えて頂いております。私の場合は、その時代の代表的な楽器が作曲家を規定してしまうという「楽器唯物論者」といったところでしょうか。古楽との違いは、発想が単純すぎるということでおしまい。







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posted by Hache at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言

2012年05月01日

チェンバロとピアノの歴史(1)

 慶事の前は緊張します。率直なところ、時間通りに到着した段階で9割方、終わったような気分です。あとは流れに身を任せて余計なことを口にしないことさえ気を付ければという感じでしょうか。自分自身が披露宴をしたいと思ったことがないので、ピンとこない部分が多いのですが、やはりめでたいことはめでたく、気分も軽くなります。まあ、お調子者の同窓生がいろいろやってくれるので、後半はそちらをどうしようか、無視しようかと困っておりましたが。一番、困るのは、お前はまだかという話でして、候補すらいないのに無理ですよでは逃げ切れなくて、本気で紹介してくれそうな雰囲気だったので、防戦一方でした。しかも、極度の寝不足で体力的には限界に近く、終わってホッとした感じでした。まさか、『ぷよm@s』を土曜の夕方から見始めたら、止まらなくなったなんて本当のことを言うのはさすがに気が引けますし。ああ、厨二病なんだなあと、題材になっているゲームを2つともやっていないのにもかかわらず、ここまでのめりこんでしまう自分を見ながら、既に廃人なのかもと遅れて自覚がやってくる始末です(メジャーな動画のようなのでリンクは省略です。私のマイリストにポイントとなるパートが入っていますが、非公開なのであしからず)。

 あとはのどと引越しですが、かなり良い方向で変化しました。のどは比較的に湿度が低い浜松でも、マスクなしで痛むことはなかったです。弱い炎症は残っていそうですが、抗生剤のおかげで炎症はかなり鎮火したのではと思います。逆に言えば、3月から2か月近く抗生剤を飲み続けているので、そろそろ治まってくれないと、腸内のバランスがおかしくなっているのではと。お食事中の方には申し訳ないのですが、珍しくお腹を下した状態が続いています。引越しも移転先が空いて、間取りを確認しました。連休明けには不動産屋さんから階層のスケジュールが提示される段取りです。早ければ、5月13日の週、遅くても27日の週には引越し作業ができそうですので、しばらくは落ち着かない部分もありますが、懸案が一歩進むのは精神的に良いです。4階に移る程度の話ですが、見晴らしが思ったよりも良くて、しかもDK中心とはいえ、6畳強ほど広くなるので、本棚を置くスペースが一気に拡大します。冷静に考えると、引越しの時期が1か月ほどずれたおかげで、慶事にも支障なく参加できました。今年は思い通りいかなくても、積極的に物事を捉えた方がよいのかなと。

 それはさておき、浜松市立楽器博物館に行ってきました(参考)。ここを訪ねるのは2度目ですが、満足感をえるには3時間は必要だろうと、11時前に入館しました。昼食休憩を入れてだいたい午後2時過ぎに出ましたので、予定通りでした。ちなみに、私自身は音痴の上に、ピアノを始め、まともに弾ける楽器は皆無です。ただ、さすがに聴くだけとはいえ、楽器の知識がなくては鑑賞すらできないので、こちらの博物館のお世話になりました。地上1階と地下1階の建物ですが、中はかなり濃度が来いと思います。浜松だけにピアノ関係の集積が半端ではなく、もっと客をよぶコンテンツに育ったらよいのになあと思うのですが。60代以降も生きる羽目になったら、住んだ中で一番、過ごしやすかったのは静岡県内でしたので、津波が来るぞといくら地震学者が脅しても、静岡で老後を過ごしたいというのがささやかな夢です。この手の話題はかなり危険でして、浜松市と静岡市の両方で暮らしたことがあるので、どちらがいいかという話は避けたいところです。政治的配慮抜きでいけば、どちらでもいいというところでしょうか。付き合いからいけば、やはり住んだ期間が長かったことも大きくて浜松ですが、どちらも捨てがたいです。

 楽器の話に戻ります。1度目に来たときには、情報量が多すぎて、ただ写真をとるばかりでした。今回は、チェンバロとピアノの区別とどこまでが類似しているのかを把握したいと目的が絞れていたので、他のパートを流す予定でしたが、いきなり筝を見たら、はまってしまいます。自分で演奏することはもちろんないのですが、筝の演奏を聞いてから、日本の楽器というのもいいものだなあと。結局、前と同じく、千鳥足状態で、あっちふらふら、こっちふらふらと目的が曖昧になりかけたのですが、さすがに、下のパイプオルガンを見たら、目的を思い出しました。ちなみに、鍵盤楽器は文句なく日本一だろうと思うのですが、1階に電子楽器の陳列があり、これはこれで圧巻です。地下1階はアコースティック鍵盤楽器がほぼ揃っていて、これだけの収集をしているところは他にはないのではと思います。

organ

 オルガンの解説も簡潔ですが、わかりやすいです。以下、著作権で余計な争いを起こすつもりはないので、写真と浜松市立楽器博物館の解説であることをすべてに関してお断りを入れておきます。ご覧のように、解説を撮影しようとすると自分の影が映ってしまっていて恥ずかしいのですが、撮影に関してもずぶの素人ですので、お見苦しい点はご容赦を。

organ2

オルガン
 本来はパイプ・オルガンのみをさし、次の3つの装置を持つことが条件。
 1. 演奏のための鍵盤装置 2. 風によってなるパイプ 3. パイプに風を送る機械装置
 構造やサイズは多様。ポジティブ・オフガン、ポルタティーフ・オルガンなどの種類がある。発音構造上はバンパイプが起源。上記の3つの装置を持つ最初のものは、BC250年頃アレキサンドリアで発明されたヒュドラリウス(水オルガン)。以後古代ギリシアとローマで発達した。中世以降キリスト教会で使用され、普及改良が進む。鍵盤やパイプの増加にともない巨大化した。
 名称はギリシア語Organo、ラテン語organum(道具、器官)に由来。今日では発音原理が異なるリード・オルガンや電子オルガンも意味する。(浜松市立楽器博物館)


 幅はそれほどでもないのですが、高さは2mを超しているというところでしょうか。ちなみに、陳列物を見終えたところで、オルガンの解説をしますとのアナウンスがありましたので、そそくさと見に行きました。若い女性が解説をした後、グレゴリオ聖歌をまず演奏。続いて、ちょっと聴いたことがない聖歌でしたが、最後がやはり「アーメン」と聴こえてくるので、解説が終わってから、おずおずと聖歌でしょうかと尋ねるとそうですとのことでした。解説中に驚きましたが、3択クイズで形式でこのオルガン内部におおむね何本のパイプが入っているでしょうという出題があって、正解は150本。鍵盤一つに3本のパイプが対応しているとのことです。オルガンの左下に3本のカギがあって、鍵盤一つに対応するパイプを1本、2本、3本と選択できるそうです。実は、一番最後に聴いた解説でしたが、鍵盤楽器は、鍵盤そのものがなるのではなく、鍵盤を叩く動作によって別のものが鳴る構造になっているという、音楽の専門家が聞いたら噴き出すであろう基本をようやく理解した次第です。

 たまたま、入った入口からオルガンを見て、次にチェンバロ、ピアノの成立と歴史を追う形になりました。下が、チェンバロの一つです。代表的な陳列はCD録音のため陳列から離れておりました。

harpsichord

 上の写真は、1640年頃にフィレンツェで製作されたチェンバロです。こんな古い楽器が新鮮な音色を奏でるのには驚きでした。

harpsichord2

 実は、オルガンの解説が1時から、チェンバロの解説が12時からとこちらが先でしたが、オルガンから入った方がよいでしょうと。チェンバロの響きは実に快く、やはり好きな楽器です。実は解説前に写真を撮っていたのですが、解説を聞き終えてから、あまりわかっていないことに気がつきました。

harpsichord3

チェンバロ

 鍵盤を押すとジャック(木片)が上がり、その先に取り付けられたプレクトラム(鳥の羽軸や皮製の爪)で弦をはじく。大型のものではひとつのジャックが複数の弦を同時にはじき音量を上げたり、音色を変化させたりすることができる。
 ヴァージナルやスピネットをチェンバロの一種とすることもある。
 期限は不詳だが、弦をはじく楽器(プサルテリウムなど)に鍵盤をつけたものは15cにすでに存在したと考えられている。
 イタリア、オランダ、イギリス、フランスを中心に作製。16c−18cが全盛期。
 名称のチェンバロはラテン語のツィンバロム(打楽器や弦楽器を指す言葉)に由来。英語のハープシコードはハープharp(ハープ)+コードchord(弦)。(浜松市立楽器博物館)


 解説のおかげで、チェンバロは弦を弾く、ピアノは弦を叩くという基本が理解できました(実際には中間的な楽器があるのでかなり単純化されていますが)。『ナンネル・モーツァルト』を観たときに、クラヴサンをクラヴィーアと訳していて違和感があったのですが、このあたりは後で見ますが、微妙なところで、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』もあるので、クラヴィーアからチェンバロを外すのは、あまりにも現代的なようです。他方、解説ではピアノとの違いが強調されていました。チェンバロの動作原理を図式化した模型が下の写真です。

 action_of_harpsichord

 さらに、上記の動作を図で単純化したのが次の写真です。これを見ると、後のピアノと比較して、単純である一方、鍵盤を叩くという動作がてこの原理を使っている点は基本的には同じであることがわかりやすいと思います。

action_of_harpsichord2

 下の写真はオルガンの解説を聴き終えてから慌ててとりました。順路としては歴史をたどるように心がけたつもりでしたが、見逃しているものが多いことに整理していると気がつきます。クリストフォリの名前を恥ずかしながら、この展示で初めて知りました。

history_of_piano

ピアノの誕生

 ピアノは1700年頃にイタリア、フィレンツェのメディチ家に仕えていた楽器製作者、バルトロメオ・クリストフォリ(1655-1731)によってチェンバロを改造し考案されました。当時の花形鍵盤楽器のチェンバロとクリストフォリが発明したピアノは、外見はよく似ていますが、発音原理に大きな違いがあります。チェンバロは鳥の羽軸(うじく)などで作られた小さなツメで弦をはじきますが、ピアノは弦をハンマーで叩きます。この違いによって、ピアノは音の強弱を手元(鍵盤を押す強さ)で変えられるようになりました。ピアノが発明当時に呼ばれていた「グラーヴェチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」(弱音と強音が出る大きなチェンバロ)という名からも、音量に注目されていたことが分かります。(浜松市立楽器博物館)


 「ヘタリア」という俗称が象徴するように、戦争ではからっきしのイタリアですが、ルネサンスも過去になりつつあった18世紀初頭に、こんな発明があるのですから、やはりすごい国です。クリストフォリの死後、18世紀半ばからピアノが広く知れ渡るようになり、100年近い歳月を重ねて、現代的なピアノができあがったそうです。

history_of_piano3

クリストフォリ没後のピアノ製造

 クリストフォリの発明したピアノは、1711年に文筆家スキピオーネ・マッフェイが賞賛し、文芸誌で紹介したことで広く知れ渡りました。クリストフォリの没後、18世紀中頃から新しい技術が導入され、ピアノは急激に変化していきます。そして、19世紀後半には現在とほぼ同じ構造になりました。およそ100年に渡るピアノの変化では、主にアクションの改造、音域・音量の拡大などが行われました。この変化の一部は、展示と共に「ワンポイント・ガイド」として紹介していますのでそちらをご覧ください。

フォルテピアノ
 クリストフォリの没後、約100年かけてピアノは現在の形になりました。その過渡期(18世紀中頃から19世紀中頃)に作られたピアノは、現代のピアノと区別するために「フォルテピアノ」と呼ばれています。現代のピアノと比較すると、大きく力強い音は出ませんが、柔らかく繊細な音がでます。また、過渡期ということもあり、各製作者、時代、地域によってそれぞれ個性のある響きを奏でます。昨今の古楽ブームにも乗り、各作曲家が生きていた頃の響きを現代に伝えるフォルテピアノの価値が再評価されています。(浜松市立楽器博物館)


 写真の枚数、文字数も思ったより長くなったので、いったんここで「寝言」もお休みにしましょう。クリストフォリの没後、フランスで現代のピアノの基礎が確立した時期までの写真を次に見ていく予定です。


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2011年10月24日

お詫び 関西電力エリアの節電について

 2011年10月20日で「寝言」で関西電力エリアの節電の状況に触れましたが、他の電力会社の営業エリア内と比較して極端に低いとはいえないことを確認しております。きちんと調べずに先入観だけで近畿地方(とくに大阪府・大阪市)にお住まいの方に罵詈雑言を書いてしまい、まことに申し訳ありませんでした。まだ、データを整理できていないので、いずれまとめる予定でおりますが、現段階では、20日の「寝言」ではあまりに乱暴で、近畿地方にお住まいの方で、この「寝言」をお読みになった方にご不快の念を与えてしまったことをお詫びいたします。
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2011年10月15日

らしくない「寝言」

 久しぶりに、朝刊なるものを読みました。それも、この数年、手にとったことがない『毎日』でしたが。被災地の生徒が他の都道府県の学校に通っているという記事ですが、数字を忘れてみていると、被災地に「平常」が戻るのはいつなのだろうかと言葉にならない感情を抑えることが難しく、いかれた「外道」としては気恥ずかしいのですが、胸が痛くなります。

 朝刊を朝に読むと、一日が憂鬱になることは『日経』が教えてくれたので、たまに読むときも、夕方以降で夕刊がメインなのですが、それでも気が重くなります。福島県から県外へ移った生徒数が1万3千人を超えているというだけで、コミュニティの再生が可能なのだろうかと。東京電力福島第一原子力発電所の事故を乗越えるのは、放射性物質による汚染が基本にあるとはいえ、共同体の維持を困難にするという点で、やはり罪深いものだと思ったりします。

 瓦礫の処理は主としてネットで配信されている記事を見ておりますが、主として放射性物質が含まれているという点で受け入れる側の自治体にもためらいがあることが強調されているようです。現実問題としては、放射性物質の問題を抜きにしても、小金井市のように他の自治体にゴミ処理を依存するというのは極端でしょうが、既にゴミ処理能力自体が限界に達しつつあり、受け入れるのが難しいという事情もあるということは、地方版には掲載されているのですが、全国レベルの記事ではあまり重視されないようです。復興妄想なんとか会議とかいう有識者会議では、瓦礫でメモリアルをつくるとかのんきなことを議論していたようですが、国レベルで現実的な方向性が打ち出されることがないまま、被災地の自治体と瓦礫を受け入れる自治体の交渉に任されている現状は、薄ら寒い感覚しか覚えないです。もっとも、この問題をきちんと調べたわけではないので、国の果たしている役割を過小評価しているのかもしれませんが。現状では、福島県のみならず、除染作業を強いられている被災地の自治体の負担があまりに重いように感じます。

 久しぶりにテレビのニュースを見ましたが、電力会社の報告書に第三者委員会なるものの見解が一部、反映されていないというだけでガミガミ言うのが中央政府の仕事なんだなあと。世間様より、中央政府への信頼感が高い方だと思っておりましたが、単に民主党中心の政権と言うだけではなく、この状態が続けば、中央政府そのものへの信頼を失う感じです。他方、地方政府が中央政府の、内政に関する機能を代替するには金銭的な問題だけではなく、人的資源の面でも大きく制約されている事態になんともいえない寒気を覚えます。


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posted by Hache at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言

2011年04月18日

困難を極める東北地方の電力問題

 新聞社のサイトで見た覚えがあるのですが、どこの社だったのかは忘れてしまいました。東北電力のサイトに記載があるので、(参考)こちらが正確でしょう。実質的には東北電力と東京電力の合弁会社である常盤共同火力の勿来発電所から調達しても、東北電力が想定する今年の8月の最大電力には到達するわけではなく、あらためて厳しい、綱渡りの状態が続くことを実感します。勿来発電所に関しては検索すれば一発ですが、立地は微妙なところですが、石炭火力の再開発が進んでいることを実感させられます(参考)。2011年3月14日の「寝言」で首都圏の電力問題について書いた者としては、現在の電力問題に関する報道が首都圏のことばかりで異様な印象を受けます。「時の最果て」にはふさわしくない「寝言」ですが、せめて首都の名にふさわしい情報発信をして頂きたいと思います。

 東北地方の電力復興は、被災地の再建を図るうえで不可欠ですが、電力会社の投資が極めて限られている状態では既存設備の活用に限られてしまうのでしょう。首都圏へ必死に電力を供給するべく各電力会社が努力を行っている現状で、首都圏のマスメディアや識者と称する方などから電力会社へのバッシングが続いているのは極めて異様な光景です。下記にもある通り、経済産業省が、東西融通を事業者に促しているのが現状です。

 経済産業省は13日、東京電力と東北電力管内の電力不足を補うため、東日本と西日本で異なる周波数を変換する施設の数を増やしたり、送電の能力を高めたりする方針を固めた。中部電力など他電力からの電力融通を、5年以上かけて現状の数倍の300万〜500万キロワットに増やす。

 電力需要が高まる夏のピークは、東電と東北電を合わせ7500万キロワット。これに対し、両社が今夏までに確保を目指す供給電力は6200万キロワットにとどまる。火力発電所などを増強しても数年は厳しい電力需給が続くとみられ、電力融通の拡大で中長期的な電力不足に対応する。

 現在、東電が中電から受け入れられる電力は100万キロワット。東電と中電の間にある変換施設の能力を増やす。与党内には、政府が施設増に補助金を出すべきだとの意見もある。

 日本は明治時代、東日本の電力が周波数50ヘルツの発電機を導入、西日本は60ヘルツの発電機を導入したことから東西で周波数が異なり、スムーズな電力のやりとりを妨げている。

 また、東電は中電から、東北電は北海道電力から、それぞれの管内に引き込む送電線の本数を増やして容量を増やす。(福田直之)


 もっとも、60Hz地域の電力会社からは冷ややかな話がほとんどです。まず、東京電力の管内は、首都圏を含むとはいえ、日本で販売されてきた総電力の3分の1近くを占めるほど、電力需要が極めて巨大であることです。電気事業連合会HPの電力需要実績に関するデータ(参考)によれば、2010年度上期(2010年4月から9月まで)では、いわゆる全国10社の電力会社の総販売電力量は4,582億5,139万6,000kWhであり、東京電力の販売量は1,506億5,949万5,000kWhと実に10社合計の32.9%を占めます。東北電力は410億9,564万1,000kWhと約9.0%を占めるにすぎません。現在でも、東北地方(茨城など北関東を含むますが)では地震が続いており、仮に、想定されている電力需要を超過する供給能力を確保できたとしても、送電が破壊されるなどのリスクは依然として残っており、安定供給を東北電力が実現するのは、需要規模が小さいからといって容易ではないことを首都圏の識者どもは忘れるべきではないのでしょう。被災地は、茨城や千葉などを除いて、東北地方に集中しているという事情をおいてもです。

 60Hz地域の電力会社が冷ややかなのは、既に書いたように、周波数の変換所に要するコストが巨額であること(だいたい同程度の発電所をつくるのと変わらない)が大きいのですが、周波数の変換が不要な北海道・本州間連系でも60万kwがいいところであって、このケースは送電網を、海底をもぐらせなければならないという特殊な事情が大きいのですが、日本の地理を考えれば、周波数の問題をおいても連系に要する費用が大きくなるという事情を無視している議論を見ると、それが首都圏のことしか考えていないという視野狭窄に陥っているという点を除外しても、うんざりするのが正直なところです。電力会社の方もうんざり気味のようで、各方面から問い合わせが多いとのことですが、現実を見てくれとも言えず、お疲れのご様子。ちなみに、周波数統一の話もしてみましたが、やはり発電所単位で莫大な費用が発生するばかりではなく、最終需要家レベルでインバータをかませなくてはならず、言うは易く行うは難しというところでしょうか。家電はよほど古い冷蔵庫や洗濯機は別として対応ができそうですねと話すと、まあそうですねと。問題は、中小零細の事業所で使われている発動機でしょと話を振ると、そちらにすべてインバータの取り付けをお願いするとなると気が遠くなるとのこと。識者先生方が空理空論を振り回している間に、下記のような危機が既に生じているわけでして、首都圏の先生というのは、一度やったらやめられない、極楽な稼業ですなあ。下記の記事は、60Hz地域でも電力料金の水準が長期にわたって上昇することを予想せざるをえない問題を指摘しています。資源価格も上昇しており、デフレがどうこうという以前に、全般的な物不足が長期化すれば、種々の財貨やサービスの小売段階で価格や料金に転嫁にしても、しないにしても、長期的に復興に伴う税負担に日本経済が耐えるのはかなり厳しい状況となりかねないでしょう。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、電力各社が社債(電力債)を発行できずにいる。東電だけでなく原発を持つほかの電力会社の信用も揺らぎ、金利が上昇しているためだ。4月の電力債の発行は、4年4カ月ぶりにゼロとなる見通しで、混乱が長引けば各社の資金繰りが悪化しかねない。

 社債は、事業会社が金融市場から直接資金調達するために発行する債券。電力会社は例年の4月だと上旬に発行することが多いが、いまは「動きがない状態」(市場関係者)だ。金融情報サービス会社のアイ・エヌ情報センターによると、このまま電力債の発行がなければ、2006年12月以来の事態となる。

 電力10社の電力債発行残高は約13.1兆円。社債市場全体の約2割を占める。とくに東電債は約4.8兆円の残高があり、売買も多いために社債市場の「指標銘柄」とされてきた。

 社債は国債利回りに上乗せする金利が、取引の指標となる。電気料金から安定した収入が見込める東電債は、国債に近い信用があり、上乗せ金利は市場でも最低水準だった。

 発行された社債は、証券会社の店頭(流通市場)で売買され、金利(価格)が上下する。事故以降、東電債の上乗せ金利は急上昇(価格は下落)。直近では事故前の23倍、2.56%幅に高まった。売買はほとんど成立せず、新規発行ができない状態だ。

 金利は、ほかの電力債も上昇している。津波による原発事故は、どの電力会社でも起きうる。自治体は停止した原発の再起動に慎重だ。電力各社は津波対策を求められており、そのための巨額投資で業績が悪化するとの見方が、金利上昇の背景にある。

 数兆円ともみられる東電の賠償金の一部を業界全体で負担するという観測も、金利の押し上げ要因。「電力各社に大きな負担となり、格付けが下がる可能性がある」(アナリスト)。

 東電は毎年5千億円にのぼる社債償還などに備え、事故後に金融機関から2兆円の緊急融資を受けた。ほかの電力各社も社債を発行せずとも、銀行借り入れで資金調達できるが、調達コストは社債より高くつく。

 東日本大震災後、東電債の上乗せ金利上昇を受け、社債市場全体が低迷した。ようやく大手銀行が発行を始め、事業会社にも動きが出てきたが、依然、東電の賠償問題が影を落とす。市場では「政府の東電処理方針が固まるまでは、本格的な発行は難しい」(アナリスト)との見方が強い。(前地昌道)


 現状は東北地方の電力復興に最も高いプライオリティを置くべきだというのが、「時の最果て」にふさわしくない、まじめな「寝言」です。福島第一に足を引っ張られる形で、東電のみならず、東北電力をはじめ各電力会社の資金調達に困難をきたしている状況では、電力会社の自助努力に任せているようでは、それすらも空理空論になりかねない状況です。中東におけるイランとサウジの新しい「冷戦」など考えたいことが山積みですが、日曜日の朝7時からやっていた番組で福島産のイチゴを御厨貴と渡部恒三ほかが食べているのを見ながら、こいつらはなにをやっているのだろうかと休日の早朝から憂鬱になりました。別のところを読みながら、銀座の街を明るくするために東西融通に投資して、それがひるがえって60Hz地域の電力料金にも跳ね返るとなったら、どのように説得するのだろうかと。ちなみに、勤務先以外でも東京方面への出張を控える傾向が強いのですが、理由は簡単です。地震で新幹線をはじめ復路の手段が確保できないリスクがあるから。地震や津波が怖いわけではなく、まして放射能(CSの番組を見ましたが、福島の人を心配しているようには見えませんでしたが)などには無関心というのが実情です。自粛ムードとは無関係です。政治や行政、経済などの中枢が東京に集中しすぎているのが問題でしょう。あと、やはり同じく朝日ニューススターの番組で逆に放射能で発がんリスクが低いという話は結構なのですが、福島第一周辺の方々に避難をお願いしている与党議員がいうことかねえと。ちなみに、1955年から1960年生まれあたりは層が以上に薄い印象です。政治的リーダーシップの担い手も含めた本格的な復興は、わかってもいない理屈を振り回す団塊の世代よりもはるかにたちの悪い連中が隠居してからかなあ。全治20年というところでしょうか。

 まじめにやるつもりでしたが、やはり無理ですね。復興構想会議は復興妄想会議にでも改名してもらって、五百旗(苗字が読めないと復興期に関心がない人にはきわめて評判が悪い)氏に今は亡きMaxisの開発陣とシムシティ4000開発資金を与えて、東北地方太平洋沖地震復興シナリオでもつくればいいのに。増税したら市民が暴動とか西洋的な要素も取り入れて頂くとか、高台に車で5分もあれば漁業ができるという発想がどれだけ現実離れしているのか、実感していただくには、ゲームの開発費用程度なら、実際に適用されるよりもはるかに害が少ないと思います。


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2010年10月13日

弱りつつある「見えざる手」を「見える手」でいかに補完するか?

 カワセミさんへのリプライを書いておりましたら、長くなってしまいました。論点整理が下手なことに恥じ入るばかりです。

 温かいお言葉、ありがとうございます。とりあえず、歯も含めてわかっている疾患はほぼ治っています。ただ、9月の血液検査の結果を火曜日の診察で知りましたが、白血球数が高い状態が8月頃から続いており、ちょっと微妙な感じです。夏の暑さのダメージから体はだいぶ回復しましたが、ここ数日は頭の方がよろしくないようです。

 コンピュータ将棋そのものには詳しくないのですが、カワセミさんのコメントを拝読してから、検索したら4Gamerで棋譜が出てきました。見た印象は、今回は4つのエンジンの合議制とのことですが、角交換から振り飛車を選択するなど、プロ棋士の対戦データを相当、データベースで読み込んでいる印象がありました。私の印象では、エンジンの読みを外そうとして(例えば25手目の▲9八香や27手目の▲7七角)、清水市代女流王将が序盤から守りが薄い形にしてしまった印象です。

 マイコミジャーナルの解説では、あからの66手目の△5七角が意外な手とあって、▲同銀だと△5五角から王手飛車が見えていますから、とれないようにも見えます。控室のプロ棋士も見えない手だったとのことですから、王手飛車をかけても大したことがなく、私の棋力不足なのかもしれませんが。第59期王将戦第6局でもプロ棋士が気がつかない手順(実戦例があるので新手ではないようですが)をGPS将棋が示しているので、カワセミさんがご指摘の通り、全パターンを読むという評価関数なら、開発者の棋力とは関係なく、性能が向上するので、男性の棋士が敗れる日もそう遠くないのかもしれません。

 Google Booksはよくわからないのですが、「アルゴリズムで形勢判断して手を捨てるのではなく、全てのパターンを力業で処理する方がいいというような方向性」というのは、市場機構をコンピュータで再現しているような印象をもちます。市場機構の本質的な特徴は、人格的な「見える手」による調整よりも、非人格的な「見えざる手」による調整ですから。他方、コンピュータの場合はわからないのですが、このような非人格的な調整が理想的に機能する条件も限られていることは60年近く前から知られていたことではあります。金融危機後の世界は、確かに多くの不確実性を抱えていますが、市場経済を分析する人たちの主たる関心は、非人格的な市場機構のはたらきを人格的な調整によっていかに補完するのかという点に多くが割かれてきたことも事実です。

 「デフレ」の現状認識については、『週刊ダイヤモンド』2010年10月9日号(118頁−120頁)に掲載された齋藤誠先生のインタビューが私には説得的な印象を与えます(120頁の政府の役割は疑問だと思いますが)。通常、デフレは消費者物価指数の動きから判断しますが、「リフレ派」と称する人たちはGDPデフレータをもちだします。この時点でかなり恣意的な印象をもちますが、なぜ、財貨やサービスの価格の変動、それもマイルドな変化でしかありませんが、にこだわるのかが率直なところ、理解できません。

 2002年から2007年の景気回復期には、株価や地価など資産価格の下落が2003年から2005年頃に漸く歯止めがかかり、回復傾向に向かいましたが、地価の場合、主として三大都市圏であり、ある程度、「面」として資産価格の上昇が見られたのは、首都圏というよりも東京都市圏のみです。財貨やサービスなどフローの動きがどうでもいいとはいいませんが、不良債権問題が解決した後も、資産価格の上昇については日本国内でもかなりの差があります。「格差」にしても、主として所得格差ばかりが問題になりますが、不動産などの資産をもっている家計では労働を供給するインセンティブが弱いでしょう。資産市場と実体経済の関係については、私自身、整理できていないのですが、これらを無視した議論はあまりに乱暴だと思います。また、「デフレ回避」で実行されている非伝統的な金融政策に関しても、「リフレ派」の評価はひどく辛い印象があります。あの人たちは本質的に、政府と中央銀行が適切な処置を行っていないと主張しますが、裏を返せば、政府と中央銀行の政策で安定成長が見込めるかのような主張をする点で今日の経済について過度に楽観的な期待をしている印象をもっています。

 「高齢化社会とグローバル化が進んだ成熟社会」への対応と物価が上昇すれば、すべてがうまくいくという立場とはあまり関係がないと思います。既に触れましたが、市場経済の分析を仕事にしている人たちの関心は、50年近く前から非人格的な市場機構と「人為的な調整」の望ましい関係にあったと思います。もちろん、ご指摘の通り、この15年間ぐらいで直面している課題は、先進国にとっても新しい問題でしょう。むしろ、問題は、後者の「グローバル化」への対応が日本のみならず、国際経済の安定性を担保してきたアメリカでも、いわば「グローバル化」の重みに耐えかねていることでしょう。以前、漠然としたことを「『グランドデザイン』のない国際経済」という「寝言」に書きましたが、経済に関する国際協調を維持するためには強力なリーダーシップが必要であるにもかかわらず、3年近くを経過しても、そのようなリーダーシップが機能していないのが現状だと思います。

 高齢化については、現在の民主党政権のひ弱さが幸いするのかもしれません。役所のロボットになって、医療保険における負担増や年金のカットなどを実施すれば、国民生活にはダメージしか与えていない政権ではありますが、それなりに成果が残るのではとすら思います。いまの高齢者には申し訳ないのですが、彼らの生活を支えるためには、彼らが現役時代に蓄えてきた原資では全く足りません。この問題をまともに説得しようとすると、ほとんど不可能に近いので、首が変わろうが無能な政権を官僚主導で3年かけてすりつぶしながら実行するには意外と好機かなとも思ったりします。

 やはり気になるのは、プロテクション・レントの増大でしょうか。中国の脅威も対応しなければなりませんが、日之出郵船の乗っ取りなど、対応すべき問題が拡散する傾向にあります。アメリカの覇権が、一時的なのか永続的なのかはおいて、後退すれば、各国の負担が増加するでしょう。とりわけ、日本は「バターか大砲か」ではなく、民需における資源配分のみに注意を払って、「バターか大砲か」という問題は事実上、昔の「GNP1%枠」などほとんど問わずに避けてきました。カワセミさんの「人為的な調整」から離れてしまい、恐縮ですが、実は、これから日本社会が直面するのは、経済成長率の鈍化や人口の高齢化などによって資源(ヒト・モノ・カネ)の制約がタイトになっていくのにもかかわらず、広い意味での防衛に割かなければならない資源が拡大することでしょう。もちろん、単に予算の問題だけではなく運用の問題も大きいでしょう。ただし、繁栄の基礎となる安全保障の問題こそが、市場では解がえられない、最も慎重かつ効果的な「見える手」が要求される分野だと思います。


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2010年03月11日

日米関係を漂流させる世論の「民主党化」

 いわゆる「核の密約」自体は大騒ぎするほどのこともないと思います。要は、民主党政権が二度と自民党政権の復権を許さないために、過去をあれこれ穿り返しているだけでしょう。なにより岡田外務大臣は郵政選挙で大敗を喫した当時の民主党代表であり、この問題にかける執念はなみなみならぬものがあるでしょう。小泉首相(当時)は、選挙後、民主党に寛大な態度を示しましたが、そのような寛容は民主党政権においては期待すること自体、どだい無理な話です。

 リーダーで日本語で書かれているものを見ると、ほとんどが非核三原則をどうするのかという問題を論じているようです。まあ、核抑止に関してはアメリカの、いわゆる「核の傘」に依存している以上、理解できないこともないのですが、非常に視野の狭い議論ばかりです。もっとも、某参議院議員をおもちゃ扱いするために国会の議事録を適当に検索するような者に言われたくはないでしょうが。

 例えば、北朝鮮有事の際にどうするのだと問題にする方がいらっしゃいます。これは簡単な話でして、有事ということは抑止が破られた状態、あるいは破られるであろう事態になるわけですから、核戦力よりも通常戦略戦力で北朝鮮の交戦能力を破壊する、あるいはそのような準備をすることになるでしょう。そのような事態を想定すれば、核抑止の問題が決して小さいとは思いませんが、むしろ通常戦力を含めた拡大抑止が保障されることが肝心でしょう(抑止が破られた状態で拡大抑止というのは奇妙に響くかもしれませんが、抑止力というのは、事前の予測が完璧でありえない以上、抑止が破られた際の抵抗する能力でもあります)。日本の安全という、核心とはいえ、極めて狭い日米安保体制の問題に関して、非核三原則の問題を持ち出すのは、現政権が拡大抑止に関するアメリカのコミットメントを弱めるようなことばかりしている現状を覆い隠すことにしかならないでしょう。岡田外相の核の先制攻撃の否定など核抑止の拒絶など、日本の安全にかかわるアメリカのコミットメントを揺るがせかねないことをしていることを無視しているという点で、意図と反して、民主党政権の思い通りでしょう。先日のワシントン・ポスト紙の社説は、あまりに藤田議員の奇矯な議論に紙幅を割きすぎたことに問題があるのでしょう。本質的な問題は、民主党政権が言葉ではなく行動で日米安保体制にコミットしていないことです。

 もう一つ不思議なのは米紙では継続的に報道されているオバマ政権による"Nuclear Posture Review"への懐疑と批判がまったく出てこない点です。もちろん、この問題そのものは、日米関係から生じているわけではありませんが、アメリカの核戦略を考慮せずに、非核三原則が云々というのは政策を議論するための健全な前提を欠いているでしょう。私自身、核抑止の問題に詳しくないので、本業に支障が出ない範囲で整理しておきたいと考えておりますが、アメリカの核戦力の削減はロシアとの関係を中心に中・東欧諸国の懸念を招いています。アジアにおいては中国の核戦力の実相がわからない部分がありますが、米ロ関係よりも深刻な結果を招く可能性が高いでしょう。実態はともかく、少なくとも中国からすればアメリカの核戦略が宥和的であると映れば、核戦力によってアジアにおいて米軍の介入を抑止し、勢力圏としようとするインセンティブを高める可能性が高いからです。

 翻ってみれば、冷戦期以降、1990年代には混乱がありましたが、小泉政権以降、日米同盟は核抑止を中核とする拡大抑止へ発展させる方向が明確になりました。アフガニスタン戦争やイラク戦争があったために、「世界の中の日米同盟」へやや拙速の感もありました。しかし、日本の安全を守るという日米安保体制における日本の国益の核心部分を確実にすることと、極東の安定とが両立するという方向性が明確になった時期でもありました。幸い、普天間基地問題の混迷にもかかわらず、連立与党関係者は絶望的ですが、世論の大半は日米関係の安定を望んでいるとみてよいと思います。本質的なことは、日本の安全を守る拡大抑止が極東を不安定にするのではなく、現状維持にとって不可欠であり、それが翻って日本の安全を確実にするというコミットメントを民主党を中心とする連立政権が揺るがせているということです。今回の「核の密約」に対する反応を見ておりますと、普天間基地問題では当初の私の懸念は幸い、外れましたが、世論の「民主党化」が進むのではと懸念します。

 なお、集団的自衛権を憲法上、行使できないという解釈を変えない限り、あくまで家庭仮定の話にすぎませんが、朝鮮半島有事においては、「米軍の武力行使と一体化しない範囲で」在留邦人を日本へ退避させる程度の役割しか果たせないでしょう。この問題は、現実の問題としては核抑止の問題と無関係ではありませんが、区別して整理しておく必要があると思います。なお、北朝鮮からの核攻撃に関しては、中国に対する核抑止とは異なる側面が大きく、PAC3、可能であればTHAADがより重要でしょう。

(追記)文中に誤りがありましたので、下線を施して訂正いたしました。また、一部、加筆いたしました(3月11日)。


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2009年10月12日

江畑謙介さん

 リーダーでJSFさんの記事で訃報に接しました。ちょっと言葉が出ないです。ありきたりですが、お悔やみ申し上げます。安全保障に強い興味をもったのが、キッシンジャー『外交』を読んだことがきっかけでした。古い時代はともかく、時事的な問題になると現代の兵器に関する知識が貧弱すぎて、困った覚えがあります。とりあえず、大型書店で軍事関係のコーナーで素人でもわかりやすそうな本ということで見て回った上で、某所の方にメールで江畑謙介さんの『兵器の常識・非常識』がよさそうに思えるのですが信用しても大丈夫でしょうかとお尋ねしたところ、「これだからど素人は」という苦笑を抑えているのが文面から伝わってきましたが、良書を選ばれましたねと返信を頂いて、むさぼるように読みました。

 3年ほど前、江畑さんと直接お話できたのは貴重なご縁でした。パーティの際ですので、15分程度だっただろうと思いますが、誰も信じてくれないでしょうが、人見知りが激しいものですから、私もずいぶんあがってしまい、たどたどしく自己紹介をしながら、江畑さんは想像以上に腰の低い方で私の方が気恥ずかしいぐらいでした。台湾海峡の軍事バランスの問題を少し補足していただいた上で、伺いたかったのはロジスティックスの問題でした。私は素人ですし、どちらかというと軍事が民間経済や企業に与えた影響という本当に素人的な話題からお付き合い頂きました。おそらく筋の悪い質問が多くて、江畑さんが一瞬、間を置いてから、実に驚くほどそのまま文章になるぐらい整理されたご返答を頂いて恐縮するばかりでした。

 今でも印象に残っているのは、「あなたは経済畑の方ですから遠慮されているのでしょうが、米軍も民間のロジスティックスを研究しています。もちろん、軍事と経済で目的は異なりますが、不思議と共通する部分も多いのですよ」とおっしゃっていたことでした。江畑さんご自身もSCMなどにも詳しくて驚いた覚えがあります。本当に楽しくてあっという間に時間がすぎてゆく中、岡崎久彦さんが(図々しいデブがアイドルを独占していたのを見かねたのか)ニコニコされながら、続きをしましょうということで台湾海峡の軍事バランスの議論がさらに掘り下げられたことを思い出します。

 『老子』の中でもらしからぬ一節ですが(やや鼻につく)、私自身の軍事への感覚は次の一節が基本でしょうか。「兵は不祥の器にして君子の器に非ず。已むを得ずして之を用うれば恬淡を上と為す。勝ちて美とせず」。「不祥の器」を論じるには高度の常識が必要であって、江畑さんは見事にそれを体現されていたように思います。この島国ではなかなか報われない分野でプロフェッショナルであると同時に常識の士を失いました。心よりお悔やみ申し上げます。


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2009年10月05日

他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス

 『衆議院議員 中川昭一 公式サイト』から「中川昭一が語る」(2009年9月14日)より。

P.S. 過日、麻生総理の「就任直後に解散しておけば勝っていたかもしれない。しかし、経済状況を考えると、とてもそれはできなかった。」という主旨の報道があった。それが総理の本音であり、総理という立場の判断の辛さだと思う。私は麻生総理に対し、心から申し訳なく思っている。何故なら、昨年来、経済・生活対策を最優先にすべしと一番強く迫ったのは、財務・金融担当大臣つまり私だからである。何よりも政局より、政策実行の為に。総理の選挙を負けさせ退陣に追い込んでしまった。私も議席を失ったが、あの時の判断は、その後の対策が日本と世界を上向きにしつつある現状を見ても、間違っていなかったと今でも思っている。


 特定の政治家というよりも、この志を与野党問わず少なからぬ政治家の方々が共有して頂くことを願います。
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2009年09月28日

白洲正子と青山二郎:参りました

 円高・株安でメディアは騒いでいるようですが、気の利かない連中だなあと。この半年ぐらいは東証一部の時価総額は300兆円を行ったり来たりしていますし、円高ももちろん痛いのですが、問題はドル安でしょう。やはり半年ぐらい、ユーロ、円、ポンドなどの主要通貨に対してドルがあまりに弱い。今のところ、直ちにドルへの信認の問題にはならないのでしょうが、これから10年ぐらいかけて戦後の国際経済体制の土台が揺らぐことも考えておいた方がよいでしょう。要は、予測不能な事態がくることも覚悟しておいた方がよいということです。そんなもの起きなきゃいいのよ。起きたらしゃれにならないから。

 カネの話は政治よりもはるかにムカムカすることが多く、そうでなくても面倒なので避けておりましたが、イライラするのは「デカップリング」論とかいう話ですね。『産経』のこの記事が典型ですが、なぜ「リーマン・ショック」を起点とするべきか、まるで根拠がない。SSECは2007年10月をピークに現状では半値程度です。時価総額自体は増加していますから、日本とは事情が異なりますが、ほぼ日本を除く先進国の株式市場と同じような動きをしている。切り離したくても切り離せないのが相互依存の本質であって、「デカップリング」というだけで、経済を見る目がないとすら思う。今日のように文字通り地球規模で相互依存が進んだ世界にブレトンウッズ体制が適応できるのかが問われているのでしょう。エコノミストという人たちは頭がよすぎて問題を複雑にしすぎる。

 自分で手口を明かす必要もないので黙っているつもりでしたが、いわゆる「G-2」論というのはアメリカが中国に抱きついているようなもの。最初は抱きつかれて中国も嫌な感じはしなかったのでしょうが、これは大変だと気がつきつつあるのが現状でしょう。おまけに間抜けな国が東アジア共同体と称して、大東亜共栄圏構想(なんで「東アジア共同体」ではなく「大東亜共栄圏」と報道しないのかが不思議といいますか、批判している連中の肝の小ささを象徴している印象がありますが)を迫ってきて、言い出した側ではあるものの、知らぬ顔で通すのが当然というもの。中国としては米国とつかず離れずの距離感を維持したいものの、実に難しいということぐらい理解してあげたらと思うのですが。実に気が利かない国ですなあ。

 Bob Woodwardがワシントンポストですっぱ抜き記事を書いたおかげで日本の新聞も騒ぐだけ騒いだようですが(参照)、問題は増派してどのような成果が見込めるかでしょう(リーダーからアクセスしてああやっぱり報告書の内容が漏れちゃってたんだなという感じ。以前、書いた「寝言」でとりあげた記事でカンダハールの現状とマクリスタルの発言の評価がずいぶん食い違っていたので面食らったのだ)。アフガニスタン南部がひどい状況なのはISAFのサイトを見れば、一目瞭然です(参照)。2008年と比較すれば、米軍が増派してから南部がいかに悲惨か。この論評は正論だとは思いますが、間違っても2008年のイラク安定化のような事態は期待しない方がよいでしょう。イラクと異なってNATOも公式に関与している。露骨に言えば、「出口政策」というのはアメリカの「内向きのエゴイズム」をオブラートに包んで、撤退の口実を探ること。なまじ正統性のある戦争の方が「出口」を見つけるのが厄介です。人間の性として「覆水盆に帰らず」と割り切るのが難しいだけに、増派するほど事態が悪化することを覚悟した方がよいでしょう。

 朝はとってもテンションが低いのですが(血圧が90を超えるのがやっと)、ご覧の通り、夕刻をすぎると、ハイテンションになり、腹が膨れるばかりで精神衛生にとっても悪いので、日曜日の朝の続きです。小林秀雄が好きというと、まずは現代文で相性が悪かった人には「論理性がない」と言われて、肚の中で「だったら、『あなたがある』ということを論理的に説明してみなさいよ」とせせら笑いながら、「そうかもしれませんなあ」と苦笑いするしかない。戦争に協力したという悪口には、「戦争について」のどこが悪いと「御本尊」以上に居直る。しかるに、ジィちゃんには参りましたとしか申しようがなく、朝だったので省略しましたが、こんな具合です。私がぐだぐだ書くより引用した方が早いので、まるごと引用です。長くなりますが、雰囲気がよく伝わりますので。以下、白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』より。

 戦後まもなく秦秀雄さんが代々木に「梅茶屋」という割烹旅館をひらいた。忽ちそこは「青山学院」のたまり場となり、小林・青山をはじめとする多くの文士が集まって来た。三好達治さんのように長い間居つづけする人もおり、青山さんのようにそこを仕事場にしている人もいた。例によって秦さんの「悪癖」が災いして、わずか数年で潰れたが、私にとっては見るもの聞くものすべてが珍しく、一生のうちであんなに楽しかったことはない。
 夜になるとみんな広間に集まって酒宴がはじまる。多い時はニ、三十人もいて、真中に小林さんと青山さんが並んで座る。「高級漫才」がはじまるのはそういう時で、先にからむのは青山さんの方であった。
 「オイ、小林、お前の文章はダメだぞ。いつもこういう席で喋べってることとは違う。お前は酒を飲むといきり立って、たとえばゴッホを見た喜びを語るだろ。その方が書くものよりずっと面白い。生きてるんだ。文章になるとそうは行かん。
 ハイ、御見物衆、、今度はなにが釣れますか、よォく見てて下さい。ヤ、象です。象がかかりましたゾ。重い。重い。やっとあがりました、あがって行きます、もっとあがります……オットットット……ボッチャーン!
 そこでお前は落っことすのだ、大事なものを。御見物衆は、お前の手つきが面白いから一生懸命見てる。手つきばっかり見て、巧いもんだと感心してるから、獲物を落っことしたことに気がつかない。ダメじゃないか、そんなことじゃ……」
 とまあそういったことをくり返し、執念深くいじめるのだ。はじめのうちは小林さんも、「書くのと喋べるのは違う」とか、「俺が至らないんだナ」とかおとなしく受け答えをしているが、いつもの勢のよさはない。それというのも、あまりにほんとうのことだから、返す言葉もなく、小林さんは黙ってしまう。――ここのところで大岡さんは、「彼の眼(だか頬)に光るものを見た」と書いていたように記憶するが、私は何度も小林さんが涙をこぼすのを見ている。青山さんだけが、小林さんを泣かすことができたのだ(108−109頁)。


 この後、ジィちゃんの文章を引用しながら白洲さんによる「真の友情」についての説明がありますが、「よき細工は少し鈍き刀を使ふといふ」ほどの深みはないので省略しました。よき批判者ほど深い理解者というものはないことを実感します。109頁からバランスをとるように小林秀雄の「タンカ」を引用しているのがさらに惜しまれます。ジィちゃんの胸のうちなど凡人が忖度するに能わず。されど、何気ない酒席の戯言が小林の「宿命」を諦念と悲しみをもって見つめていたことを感じます。


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posted by Hache at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言