2009年09月27日

白洲正子と青山二郎:評価に困る人たち

 政権交代に感想めいたことをちょっとだけ書きましたが、だんだんとどうでもよいかなという感覚になりつつあります。おおざっぱですが、政治的イッシューを大・中・小と分ければ、民主党政権が手をつけているのは、ほとんどが小程度の問題であり、中程度の問題がまばらではありますが、目につくぐらいです。ただ、政権交代後としては思ったよりも悪くはないかなと(マイナス100ぐらいかなと思っていたらマイナス90程度だったてな感じ)。問題は、民主党や連立のパートナーがやりたいことをどう進めるかというよりも、自民党中心の政権であれ、民主党中心の政権であれ、外交・安全保障、経済など想定外の危機にどう対応するのかということだと感じております。未知数ですから、今から予想をしたところで虚しく、とりあえずは政治への期待値を下げ続ける日々になりそうです。古いネタですが、3k産経新聞社会部のTwitterに書きこまれた「産経新聞が初めて下野なう」は噴きました。日本語の政権交代論もそれなりに目を通しましたが、大したものはなく、これが一番、笑えてよかったです。

 将棋の王座戦も観ましたが、羽生王座の強さに山崎隆之七段が踏み込み不足の印象が強く、残念でした。素人の感想ですので、あてになりませんが。昨年の竜王戦では渡辺竜王が思い切りよく踏み込んだのとは対照的で、ひどい目にもあっていますが、ああいう場を踏まないと難しいのだろうと。個性があるので難しいところですが、成績では文句なく好調で伸び盛りの山崎七段にはもっと怖い目にあってほしいと思ったりします。

 漸く本題ですが、連休中にNHKドラマスペシャル『白洲次郎』をまとめて放送するとのことでしたので、とりあえずといってはなんですが、録画しておきました。再生してみて録画しておいてよかったなあと思ったのは、NHKのドラマスペシャルというのは90分途切れることがなくて、録画しておいたおかげで手洗いにたつときに一時停止ができることでしょうか。ちなみに白洲次郎氏のことはなにか著作を一冊程度、読みましたが、あまり印象に残りませんでした。この数年ぐらい、よく話題になるので気にはなっていましたが、このドラマのおかげで主人公ではなく白洲正子さんに興味がむいてしまったという、いかにもちょっと頭のいかれた人らしい方向にゆくのがわれながら悲しいのですが。

 見た印象では、第1回が一番、ドラマらしくてよかったなあと。原田美枝子さん(白洲芳子役)を拝めたのがありがたく、日中戦争突入前の雰囲気や現在のケンブリッジの美しさなどが印象に残ります。イギリスの大学はオックスフォードもそうですが、本当に美しく、外観が問題ではないのですが、ああいう環境というのは日本ではまず見当たらないなあと。白洲次郎が吉田茂邸を訪れたときの雰囲気などもおもしろく、実話かどうかなどという面倒なことも忘れて、ケンブリッジはイギリスの友人が最近は共産主義者とホモセクシャルばかりだと嘆いていたと笑いながら、「君もねらわれたんじゃないの?」というあたりは吉田茂の俗っぽさと軽妙さが見事にでていて楽しいですね(原田芳雄さんはご年齢からして大丈夫でしょうが伊勢谷友介あたりは確かに狙われるかも)。

 うってかわって武相荘はこれまた美しく、お前は演技じゃなくて、そんなところばかり見ていたのかと言われそうですが、穏やかで豊かな雰囲気です。NHKのサイトを見ると、茨城県某所にロケ地を設けたようで、当時の雰囲気とは異なるのでしょうが、よい情景だなあと。岸部一徳さんが(近衛文麿公)大根を食べるシーンも不自然さがなく、フィクションの部分を興味深く見ました。

 番組後半のメインですが、GHQの占領統治と新憲法制定の過程はあまりおもしろく感じませんでした。これはやはり活字が勝るのでしょう。ドラマが悪いというより、五百旗真先生が示したような、占領統治のプロセスは、ルーズヴェルトに代表される日本の無力化という主旋律と知日派による日本の戦前のデモクラシーを認めた上で英米を中心とする秩序への包摂という第2旋律のシンフォニーというのは映像化になじまないからでしょう。このあたりは面倒なので省略します。後半も武相荘の美しさになごみましたが。番組の冒頭と終わりに晩年の白洲次郎が文書や手紙を燃やすシーンが印象的でした。「実話に基づくフィクション」として描く対象としては適切なのでしょう。それにしても、中谷美紀さんが晩年まで演じたのはさすがと申すべきか。お肌がきれいすぎる印象はありましたが。

 旧白洲邸武相荘のサイトを見たら、メールマガジンを発行していました。白洲次郎に関する知識は貧しいのですが、読んでいてなかなか興味深い記述が多く、「武相荘だより 〜白洲邸 折々の記〜」(2008年12月25日 第86号」(参照))の「武相荘のひとりごと」には下記の文章があります。

この頃とても気になることが有ります。

武相荘もお蔭様で開館7年が過ぎ、相変わらず大勢の来館者をお迎えしております。

NHKの次郎と正子のドラマなども制作中であり、それでまたお若い方々にまで関心を持っていただくのは良いのですが、正子は物書きとして世に出たのである程度は致し方ないとして、次郎は一部の雑誌などで、「日本一カッコいい男」とか、「日本で初めてジーンズを履いた男」くらいはご愛嬌としても、「マッカーサーを怒鳴りつけた男」と書かれるに至っては、白洲は筋を通してもそんな失礼な男ではなかったと言いたくなります。

情報化時代とは言え、白洲は自分の身長を公文書に175cmと申告し、正子も彼は6尺豊かな大男とは書いていますが、最近の雑誌では遂に185cmに成長し、ゴルフのハンディキャップも実際は「7」か「8」だったと思いますが、いつの間にかハンディキャップ「2」の名人に成ってしまいました。

このまま後5年もすると、白洲の身長は2mを超え、ゴルフはタイガーウッズより上手くなってしまうのでは・・・と、とても心配です。


 混乱した現代では確かなものを求めていまだに虚像を求めてゆくのでしょう。それは白洲次郎の流儀でもなければ、白洲正子の流儀でもないのにもかかわらず。私自身は、私の生きている間しか経験ができないがゆえに、あえて「混乱した現代」と書きましたが、いつの時代も同じなのかもしれません。


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2009年04月22日

デリケートな10年

 再発してから約半年ですが、この時期が意外とむくみがひどくなります。通常であれば、歩くことで解消しますが、歩けば歩くほどむくみがひどくなって無理は禁物。ワーファリンで凝固作用そのものはコントロールされているので、血栓が肺に入るリスクは非常に低いのですが、やはり血栓が消えるまでは時間がかかります。もう半年は辛抱をして、長時間のトリップはできるだけ避け、徐々に歩行を増やしてゆくという段階でしょうか。もっとも、今でも一日に一万歩を超える日が多いのですが、細切れの歩行ですので、むくみがかえってひどくなるので、なかなか思い通りにならない日々です。

 単なる雑感ですが、我流で資料を集めて加工をしていると、あらためて1944年のブレトンウッズ体制の発足、自由貿易の促進というのは当初は西側陣営に限定されていたとはいえ、偉大な時代だったのだなあと思います。今回の経済危機はアメリカ発の金融危機という側面が級長されているため、アメリカの影響力の低下を懸念したり、複雑な利害計算を行う向きもあるようですが、戦勝国のみならず敗戦国である日本とドイツが復興し、全体主義の経済的な特徴であるアウタルキーを築こうとした東側陣営が崩壊した後、経済の「多極化」という状態を生んだというのは、戦後の国際経済体制、アメリカ主導の国際協調というものが協調に参加したメンバーに互恵的な関係をもたらしたことをよく示していると感じる日々です。単純なアメリカの「没落」とも異なる感覚なのですが、「成功したがゆえに没落する」という気の利いた表現が似合わない小物ですので、現在の経済的な困難にもかかわらず、経済の側面での国際協調が崩壊しないのは、戦後の国際経済体制に代替する「グランドデザイン」を構想する難しさと同時に、やはり多くの欠落があるとはいえ、現在の体制そのものをとって代える段階ではないという感覚を抱きます。新しい国際経済を構想する要請など私にくるはずもなく、こういう時期は平均身長より若干、低いですし、首も長くはないのですが、ちょっと首を伸ばしてじっくり状況を見ていればよいのだろうと。消極的な感覚なのでしょうが、うんざりするほどの提言を見た後では、「錯覚いけない。よく見るよろし」というところでしょうか。

 その点では朝鮮半島は軽視はできないものの、やはり喉にささった小骨で、本筋は米中関係の動向ですが、難しいです。Wall Street Journalの"China, Friend or Foe?"(April 18, 2009)は主として安全保障面から観念的ではなく3月8日のImpeccableの活動をめぐる米中の鞘当を出発点に、中国の軍備増強を総花的な印象もありますが描写して、中国の軍拡を警戒する立場から米中関係を論じています。結論部分は弱い印象もありますが、性急に政策的なインプリケーションを導かずに、中国がアメリカにとって真に恐るべき脅威となるにはまだ時間がかかるという観察は、平凡といえばそうかもしれませんが、概ね冷静な観察だと思いました。ただ、次のような大局観は間違いではないのでしょうが、やはり図式的な印象があります。

  A conflicting dynamic is now at work in relations between the U.S. and China, arguably the most important relationship of the 21st century. While economic forces are pulling the two sides closer (China has become America's largest creditor), military ties have stalled.

 市場における取引は互恵的であるというのが基本的なスタンスですが、今日の経済危機は単なる不況に留まらず、国際経済体制の動揺へと進む可能性もあります。経済の面でも、米中が純粋な経済活動の面で「融合」の側面が進化しても、政策協調はよほどの意識的な努力がなければ困難でしょう。確かに中国がアメリカの最大の「債権国」であるという立場にあるとはいえ、アメリカの経済政策を支配したり、戦後の国際経済におけるアメリカの地位を凌ぐことは軍事的なバランスを崩すことと同等に困難でしょう。もちろん、中国が一人当たりGDPで1万ドルを超える成長を遂げると、私の見通しも変えざるをえませんが、それは容易な道ではないと思います。他方、日米英の中央銀行には相当の負荷がかかっており、通貨という面から協調そのものの維持が困難になるリスクも増しています。もっと個別の問題に分析を施した上で論じたいのではありますが、疲労もありますので控えますが。今後10年間ぐらい、戦後の各国の経済成長をサポートしてきた国際経済における協調が崩れるリスクには細心の注意が必要だと感じております。自動車の販売台数に関する米中逆転など中国のプレゼンスが高まることは容易に予想できますが、中国に現在のアメリカのような経済における国際協調の要の役割を果たすことは困難であり、アメリカ主導の国際協調が崩壊した場合にはそれに代わるものがない状態が続くと覚悟した方がよいのでしょう。


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2009年04月10日

危機の時代の消極的な気概

 動悸がおさまり、脈拍も55−65前後になりました。ちょっとホッとします。悩ましいのは立ち仕事をすると足がむくんで歩くのがやっとになるのですが、来週はこの手の作業が多く、ちょっとつらい一週間です。すぐに治る病気ではないので、じっくりマラソンをやる感覚でしょうか。食欲が少し戻ってきたので、今度は肥満を警戒した方がよさそうです。

 『産経』は、2002年の小泉訪朝前の時点で切るつもりでした。一面トップが8月末から政府のチャーター便に関する報道から、ありとあらゆる手段で訪朝自体をとりやめるべきだという方向に読者を誘導しようとしているとしか思えませんでした。率直に言えば、このような見え透いた、姑息な読者をバカにしているとしか思えない記事を載せる新聞など信用できません。こういう場合は、拉致問題をとりあげよとストレートに主張するのが筋でしょう。なぜ、そのときにやめなかったのかといえば、単に忙しくて販売店に電話を入れたものの、本社から「特別なお客様」という扱いだったそうで、「ハァ?」と思って、ネットで購読を申し込んだだけなんですがと正直な話をしたら、向こうが困惑していました。

 バタバタしていたので、惰性でとり続けていましたが、今回は一面でしつこく西松建設の問題をやっていてうんざりして、とどめは例のT編集委員の「怪気炎」でもうけっこうとなったしだいです(毎朝チェックしている方のサイトでは「電波成分入りオジサン」などという表現をおみかけしましたが、これはちと。電波は公共性が高く、社会的な有用性は非常に高いので、電波に対して失礼ではないかと(以下略))。『日経』の場合は、某大手電機メーカーがアップル買収へという記事がやはり一面トップででていて、元役員の方にすごいですねと尋ねたら、「ガセだよ、ガセ」との話でびっくり仰天。まだ20代前半だったのでそういう「芸風」だとはつゆしらず、うぶなもので、あっさり一面トップが信用できない新聞などとる価値がないということにつきます。別に紙面で謝罪をしろとかまでは思いませんが、せめて訂正ぐらい、行うべきでしょう。冷たいかもしれませんが、真っ先に目に入るところがダメなメディアは生き残れないのではないでしょうか。

 こちらで紹介されている『ツァイト』の論説は、わかったようなわからないような、協調にも限界があるといえばそれだけの話ではないかという気もしますが、以下のコメントはさらに意味がわからないです。失礼ながら、歴史主義の貧困という気がしますが。

 日本は、この半年間、米国に気を使ってでしょうが、「日本の経済、とりわけ財政と金融市場の特色はこうであり、従ってこうした政策をとる」と明言しないままで来ました。そのため、国力に比して、日本の主張は表に出ず、他国には「対米追随の国」という印象を改めて与えています。欧州とは立場が異なりますが、米国に完全に同調することはありえないのですから、日本政府や日銀はもっと声を挙げるべきでしょう。

 まず、財政政策ですが、麻生政権はアメリカが裁量的な財政政策を行うのをいそいそと喜んでいるようにしか映らないのですが。メディアではなく、官邸HPの広報を読むと、「国際協調」の名の下、いろいろたがが外れるのを喜んでいるという印象です。昨年は消費税率の引上げに言及したかと思えば、途端に公共事業の拡大とまるで一貫性のないようにしか映らないので、そもそも「対米追随」というよりも、単に現政権に定見がないだけでしょう。後者が選挙も近く(よほど非常事態が生じない限り、遅くとも9月までには実施するでしょうから)本音なのではと思いますが、麻生政権が本来、実施したい施策をアメリカに遠慮して主張していないというのは贔屓の引き倒しだと思います。

 高齢化が進み、社会保障関連予算の抑制の副作用が強烈に生じている一方、長期債務の持続可能性に疑義が無視できない現状では、裁量的な財政政策を行う余地はほとんどないというのが実情でしょう。それを「百年に一度」というスローガンで覆い隠して、単純に需要不足だから民間部門に代わって政府がカネを使うという議論を延々と正当化するためにくだらない話をやっているのが日本政治の現状です。『日経ネットPLUS』の岩本康志「ケインズ『新学派』巡り、岩本東大教授が異論」で論点がかなり整理されていますから、それでも読んだ方がはるかに見通しがよいと思います。公共事業そのものを否定する議論(どこかの国の総理によればそのような議論があるそうですが)というのはないと思いますが、せめて厚生評価をしてほしいというのが率直なところです。

 金融政策は……。「非伝統的金融政策」というのはよくできた言葉で、あれはダメ、これもダメの状態から、どんどん脱いで最後の「一枚」をなんとか踏みとどめているのが現状なのでしょう。私などは破廉恥なものですから、「変態」といった方がわかりやすいような。金融政策は、既に壮大な社会実験の場になっており、絶句するしかないですね。FOMCを読みましたが、崩壊寸前の金融市場をFRBが必死に支えているのが現状でしょう。もはや問題は、CDSやCDOではなく、ABS、MBSといった証券、さらに個人の各種ローンまできており、バーナンキも長期債買入れの期限を決めていますが、半年先に「出口」が見えるのかどうか。書棚の奥から取り出して、ガルブレイスに続いて林敏彦『大恐慌のアメリカ』(岩波新書 1988年)を読みましたが、金融市場が機能停止した場合、その災厄ははかりしれないものがあります。こちらは、協調の本筋であり、おそらくはアメリカの金融市場が機能停止したときのヨーロッパのダメージはアメリカを超えるのかもしれません。あまり選択の余地がない状態と考えた方がよいのでしょう。

 最近、気になるのは、株価上昇による楽観論、金融市場の緊張が相変わらず継続しているがゆえの清算主義でしょうか。平凡ですが、こういう状況下では、生き急ぐのも死に急ぐのも禁物でしょう。残念ながら、私の理解できる範囲では経済学は物理学のような安定した法則性を見出すほどの地点には立っていません。凡人には、そのような地点があるのかすらわからないのが率直なところです。とりわけ、金融市場が不安定な下で実体経済が悪化している現状を考えれば(もちろん、そのような状況から早く脱したいという心情は私自身ありますが)、市場が機能しないメカニズムそのものがクリアーではない状況(ただし、まったくわけがわからないという状況ではない)では、公的部門は後手に回り、なおかつ失敗もつきまとう暗中模索の過程が続くと覚悟すべきでしょう。日本の現政権の無定見さとは全く別の問題です。

 確固たる原理原則や見通しをもって対処できる状態ではないという、消極的に映るかもしれませんが、強い意思がなければ保てない気概というものもあるものです。決まり文句のようで恥ずかしいのですが、経済活動というのは生の一側面にすぎませんが、生全体がそうであるように、常に"muddle through"のプロセスであり、状況の変化に揺れ動きつつも、現実の制約を可能な限り意識し、自己の生存にとってより有利であろう選択肢を慎重かつ果断に選び、ときには一歩退く覚悟です。危機であろうがなかろうが、同じだと思いますが、危機の時代にはそのようなプロセスであるという認識が明瞭になるのでしょう。知恵は後からついてくるものです。このような経済活動のみならず、生への態度は消極的なのかもしれませんが、それはそれで強い意思を要するものだと私自身は考えております。


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2009年03月22日

とてつもない国をつくるわよ(実践編) 国際経済の危機と『三國志VIII』?

 いろいろ慌しいようですが、原因不明の発熱に花粉症の潜在的症状などで集中力がまとまらない状態です。A.I.Gのボーナス問題では、だいたい米紙はポピュリズム批判と金融安定化への支障となりかねないことを主張している状態で、ごもっとも。対象となる範囲は経営者だけではなく、トレーダーにも及ぶようで、邦字紙の報道よりもかなり広いようです。主たる問題は、(1)法的問題(法の不遡及に反する)、(2)金融安定化のために必要な資金を受け入れるインセンティブを殺いでしまうこと、(3)公的資金を受け入れている金融機関から人材が流出したり、努力を行うインセンティブを損なうリスクなどでしょうか。下院で成立した法案があまりに筋が悪いことは明白でしょうが、それ以上にこのような法案がでてくる素地が気になります。"populist anger"(House Approves 90% Tax on Bonuses After Bailouts(参照))というのはあまりに抽象的で(たぶんアメリカ人には自明だからでしょうが)、どのあたりで感覚的につかめるのだろうかと。もちろん、損失を垂れ流して公的資金を受け入れている金融機関が多額のボーナスを手に入れるというのはあまり不条理だという感情はわかりますが、どのあたりでそういう雰囲気が表出しているのかがわかりにくいです。

 ただし、経営責任の問題を先送りしてきたこと自体は事実でして、The Market Tickerでも、"AIG Derivatives Guys: Just Do It (Seppuku)"(参照)を見たときに、やっぱりこれですかという感じ。昨年の9月から急激にバタバタと対策がとられて、ことが急を要する自体だっただけに経営責任の問題を先送りしたこと自体は賢明だったと思いますが、この問題がすっきりしないのは事実でしょう。以前、金融機関に対して過度に懲罰的になることを懸念した「寝言」も書きましたが、先週の半ばぐらいまでMadoffが話題にならない日がないぐらいのおかげで、金融業界以外の人々がどのように業界を見ているのかは容易に想像がつく上に、Madoffの話題が大きすぎて、端緒となったサブプライムモーゲージに象徴される腐敗の問題などはあまりに先送りされてきた感もあります。ガイトナー財務長官までが腐敗した一部ととられ、オバマ大統領の説得力が低下するのは非常に危険な状態です。あれこれ書こうかなと思いましたが、既にまとめている方も少なくないので、メモ程度で終了です。これはうっかりしておりましたが、この問題で身動きがとれなくなることは容易に予想できることですが、その場合には経済合理性の問題の範囲外だから、ブッシュ政権がすべて悪いという形で処理するしかないのではと思いましたが、人事を考えると、継続性を重視したために、それ自体はまともな判断だと思いますが、政治的な解がないまま推移するリスクが高いでしょう。さらに、アフガニスタン問題でチェイニー前副大統領がオバマ政権の政策批判をして、オバマ大統領がちょっと感情的ではないかという反論を行うなど、オバマ政権が一気に乱気流に巻き込まれてコントロールが難しくなりつつある印象です。

 「日本経済の将来構造はいかにあるべきか」という話が少ないというご意見もあるようですが、アメリカ経済自体が見通しが立たず、EU圏はさらに深刻な信用リスクを抱えている現状でそのような動向から切り離して日本経済について論じるのは限界があまりに大きいでしょう。外交問題でアメリカやその他の国の情勢を考慮せずに外交政策を論じるのと同じ程度にナンセンスな話です。相互依存が深化した世界で日本だけがアメリカがどう転んでも保険をかけるというのは無意味な議論でしょう。

 嫌らしく名指ししませんが、「経済のサービス化」は先進国共通の現象で、特定の政策によってもたらされているわけではなく、就業者別でみれば、1970年代初頭がが第2次産業に従事する就業者の割合がピークに達した時期です。この30年間でも1980年に第2次産業の就業者数は全産業の約34.8%でしたが、2005年には約27.0%に低下しています。そもそも経済の場合、政策的な誘導が所期の目的とは反したり、思わぬ結果を招くことが少なくありません。戦後復興期ならばともかく、高度経済成長期でも政府が日本経済の「あるべき姿」を描いてそれに民間がついてゆくという時代ではなく、池田内閣の「所得倍増計画」が象徴的ですが、経済政策から独立して経済の進むであろう方向性を敏感にかぎとってそれに政府が追従してゆく方向へと転換してきました。

 今後、必要になってくるのは、市場では解決できない問題に政府がどのように関与してゆくのかという消極的な問題であり、そのような消極的な姿勢ですら、経済を撹乱する効果をもつことに十分な配慮をどのように行うのかという技術的な問題です。技術的な問題であって、イデオロギーや「べき論」などは捨ててかかるべきというのが私のイデオロギーです。今回の金融危機ですら、市場が機能不全に陥っても、金融市場で過剰な介入を行えば、市場はそれに応じて反応しているのが現状です。「かくあるべし」という壮大な構想にもとづく議論ではなく、より事実を重んじ、後追い的と批判されながらも市場を用心深く損なわないように政府が補完してゆく政策が必要でしょう。

 一例を挙げれば、医療などで「市場原理」なるものをさらに導入するべきという議論もありますが、あまり同意しかねます。医療の特性や既存の制度があえて乱暴に表現すれば、供給側である医療機関、需要側である患者あるいは予防医療を含めた利用者にどのようなインセンティブを与えているのかを無視して、一方で単にカネを増やし(これは政府の権限を強める方向に作用するでしょう)、他方で「市場原理」の導入というのはわかりづらいでしょう。個々の市場(医療分野がそこまで金銭的なインセンティブで動いているのかは用心深く評価する必要がありますが)の特性を無視した「グランドデザイン」など無意味な時代です。ただし、国際通貨体制は究極的には市場のように自発的に形成されえない部分が大きく、今後も金融危機への対応からどのような変化が生じるのかを冷静に観察するのが最もプライオリティの高い分野でしょう。もっとも、これとて事前の「グランドデザイン」にもとづいて今後、再構築されるのかすら先入観をもたないほうがよいだろうと考えます。


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2009年02月20日

『一般理論』から『イギリス保険史』への逃避

 相変わらず、「脳死」状態ですねえ。『世界の論調批評』の「仏、英、露、中国の経済危機(2009年02月09日)(参照))を読んでいて、お茶を噴きそうになりました。「こうした中で、シュピーゲルが日本経済を取り上げていないのは、日本にとって大きな打撃は専ら輸出の減少のみだからです。日本のメディアで、格差拡大や派遣切りが大きく報じられているのは、まだ比較的に損害が軽微で、雇用面でも深刻な社会問題となっていないことを示しており、従って、外国が注目するまでには至っていないと言えるでしょう」とのことで、はあ、そうですかという感じ。

 各国とも株式市場の指標が低下している中で、アメリカ(S&P 500)やFTSE 100などの指標はほぼ1996年から1997年あたりの水準にまで低下しておりますが(2003年以来の水準というのはイラク戦争開戦前後なので無視した方がよいと思うのですが)、日本だけはTOPIXで見るとほぼ1980年代前半とほとんど資本市場が壊滅しているといってもよい状態です。おまけに、日銀が社債の買入を実施するという惨状ですから、債券市場のデータは知りませんが、まあ見ない方が精神衛生にはよろしいのでしょう。金融危機の「直撃」がないのにもかかわらず、企業金融は他の先進国よりもひどい状態なわけでして、大変ですな。日本が話題にもならないのは、「まだ比較的に損害が軽微」なら別のニュースとしてとりあげられそうな気もしますが(「アジアの奇跡」(笑))、そうではなく、金がありながら使い方が20年かけてもわからない国は話題にすらならないというだけでしょう。国内では危機感ゼロの間の抜けた評論も多いですし。Austinの論説も意地悪く読めば、せめて米国債だけは売らないでくれとも読めますし。

 ちなみに、報道では外需要因が2008年10−12月期の成長率を押し下げているのは実質成長率の方で、別に間違っているわけではないのですが、名目で見た場合には交易条件の改善もあって純輸出の寄与度は-0.7で国内需要の-1.0と逆転します。どちらが正しいというわけではありませんが、民間企業設備の減少は2008年を通して下落率が拡大する一方です。家計最終消費支出も帰属家賃を除いた値は実質ですら-0.6で雇用者報酬が実質で1.0%上昇していることを考えると、今後、正規雇用も減少に転じてゆけば、まるで楽観できる材料がないと読むのが普通でしょう。家計も企業も不況の長期化を織り込んで行動しており、その期待そのものはおそらく妥当ではないかと思いますが、結果的に内需の落ち込みが今後、強烈に生じてくるでしょう。評論家よりも実際の家計や企業は合理的であり、合理的な行動の帰結として不況の長期化を招く可能性が高いということでしょう。

 元の記事がシュピーゲル紙ということもあって英国の惨状が強調されているようです。2009年のG-20議長国であるイギリスのブラウン首相は、中川昭一前財務・金融担当大臣の不始末の後も記者会見で、おそらくは日本人記者と思われる人物の質問に対して、次のように答えており(参照)、ブラウン自身が国内的な説得に苦労しているとはいえ、現時点で望みうる公正な仲買人ではないかと。カネをどどんと出すというのはありがたいのですが、どうも知恵のなさそうな国で、"ambitious"という微妙な評価ではありますが。まあ、カネがあっても使い方がわからない国はゼロと大して変わりませんよ。イギリスの総理大臣が日本人記者の軽薄さをやんわりとたしなめるなんてあまり見ない光景ですから。ドイツにかぶれてイギリスをバカにしすぎないことですね。昔話になりますが、手を組んで碌なことにならなかったですし。

  Well I am looking forward to meeting the Japanese Prime Minister and whoever is the Finance Minister when it comes to the G20 meeting. We will be meeting all the time, I don’t think there will be time off for many of the events that you are talking about that happened in Rome.
  Your Finance Minister has actually been very ambitious in some of the things he has recommended, as has your Prime Minister to the world community and I do look forward to working with Japan, particularly its proposals to strengthen the international financial system.

 というわけで、「脳死」はどうにもならないようなので、いよいよ「自主防衛」の時代ですかね。嫌な時代ですこと。安全保障は対米依存あるいはアメリカべったりでやってほしいものですが。政治システムの麻痺という「脳死」のおかげで、おそらくほとんど効果がないであろう景気対策が遅れるのが怪我の功名となるのでしょうか。個人的な利害からすると金額もわずかで手続きを役人自身が嫌がるほど面倒であろう給付金よりも定率減税の方がはるかにありがたいのですが。今度は恒久減税(霞ヶ関では「恒久的」とつくと、「暫定」と翻訳されてしまうようなので)ではなく、税率そのものを引き下げていただけると本当に嬉しいですね。「3分の2」が使えないように、自公の議員さんが少なくとも17人でしたか(お一人は確定ですかね。薬も酒も借りる必要のない方ですからね)、風邪薬の副作用で欠席していただけないものかと(以下略)。ちなみに社会保険における世代間扶助と所得税を廃止していただければ、消費税30%はウェルカム?


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2009年02月11日

ケインズ嫌い

 抑鬱状態も明日で解放されます。正確には火曜日の午後9時の段階ですべての作業が終了して、木曜日に別の部署に渡すだけ。一応、最後のチェックはありますが、非常に事務的な作業になります。困ったことに、9月に血栓性静脈炎に罹ってから、遠距離の出張をしていないので経費が若干ですが、余ってしまいました。出張先で容態が悪化するのはちょっと怖いですし(一応、落ち着いておりますが、血栓そのものが消滅するにはまだ時間がかかる状態)。海外へ行くには少なすぎますし(元々の金額を書きたいのですが、悲しくなるぐらいなのでやめます)、国内はこの時期は大型の会議が少なくて、移動時間の方が長くなることが多くてもったいない。しかしながら、最近、つとに感じますが、長い大型のシンポジウムよりもこじんまりした集まりの方がはるかに的が絞れていて、ためになることが多いなあと。惰性というとちょっときつい表現かもしれませんが、コンパクトにした方がよいのかもしれません。露骨に表現すれば、集まる人が増えるほど会議の質が落ちるという感じでしょうか。悩ましいのは減らしたからといって高くなるわけではなく、このあたりはよくわからないです。

 いきなり本題から離れておりますが、11月に北海道へ仕事で行く予定がありました。しかしながら、飛行機を使わないわけにはゆかず、他方で「エコノミークラス症候群」という表現もありますので、ワーファリンを服用しているとはいえ、微妙な感じでした。結局、断念してもったいない。冬のスポーツには無縁なので雪の時期でなければよく、できれば6−7月あたりがよいのですが、こうなってくると仕事ではなくなってしまうので、さすがに。抑鬱状態になる原因が自分でもはっきりしているのでうつ病といえるのかどうか怪しいのですが、今年度は失敗だった、来年度から切り替えましょうと割り切ってしまえば、気が楽になるというすちゃらかな人生です。


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2008年11月23日

塔を建てる前には費用を計算しなければならない

 ふわあ。やっぱりバッハの『管弦楽組曲』はいいですね。土曜日はボーっとしながら、全曲を聴いていたら、とても気持ちよくうたた寝をして目が覚めて再び聴くという幸福のひととき。クラシックに関しては聴いていて気もちがよければよいという「フリーセ○クス派」(学生時代に恩師とスナックでおごって頂いたときに、ひいきのママさんと私が恋愛の話ですっかり意気投合してしまって、「○○君、やっぱり時代はフリーセックスかね?」と尋ねられて、一瞬ポカン後、ははんちょっと妬いているのねとかわいいなんて不謹慎なことを考えちゃいました。それにしても、酔っ払っていたとはいえ、フリーセックスってなんですかと素で聴いてしまった私は救いようがない。いまだにフリーセックスの意味がわからないのですが)なのですが、バッハはいいですね。しばらく、音楽を一切、意識的に聴かないようにしておりましたが、無音の世界というのは、私の居住環境では難しく、かといって後期ロマン派のような精神的に不安定な人向けではないのかと思える曲は聴く気にもなれず、安易にバッハに流れてしまいます。

 リチャード・E.ルーベルスタイン著/小沢千重子訳『中世の覚醒 アリストテレス再発見から知の革命へ』(紀伊国屋書店 2008年 原著:Aristotle's Children: How Christians, Muslims, and Jews Rediscovered Ancient Wisdom and Illuminated the Middle Ages. Harcourt. 2003)は、紀伊国屋BookWebからのメールで知りました。タイトルがよさげだったので、5月ぐらいに、いかれた「外道」らしくアマゾンで注文したのですが(だって、1冊でも肺送料無料だしぃ、プライム会員だしぃ)、読む暇がないまま、積読状態に。深い意味もなく、今週になってから読み始めたのですが、著者のバックグラウンドがわからなくて、アリストテレスをあまりに現代的な意味での「合理性」から評価しているので、ちょっと大丈夫なんだろうかと思いました。英語の『Wikipedia』を読むと、専門がはっきりしないのですが、訳書では国際紛争解決となっているものの、英語の著作のタイトルを見ていると、とても守備範囲の広い方のようです。まだ、読み終えていないので、本書の評価は控えますが、第1章「『知恵者たちの師』――アリストテレスの再発見」の60頁に次のような記述があります。

 アリストテレスは老師(プラトン:引用者)が生存しているときにも、自分は独自の思想をもった忠実なアカデメイアの門人であると――まことにもっともなことに――主張することができた。彼はいわば「左派のプラトン主義者」であり、師の思弁を現実に引き戻すことによって、師の思想の最も優れた要素に忠実たらんとしていたのだ(60頁)。

 「左派のプラトン主義者」という意味がわからないのですが、そういう無学な読者にもわかりやすいように注(第1章注27)がついています。これを読むと、著者のスタンスに疑問をもってしまうのですが、他の注と異なって参考文献が示されていないので、著者自身の独自の見解なのでしょうが。

 プラトンに対するアリストテレスのスタンスが,師のヘーゲルに対するカール・マルクスのそれに似ていることを、想起せずにはいられない。フリードリヒ・エンゲルスはその関係を,マルクスは「逆立ちしたヘーゲルをひっくり返した」と要約している(481頁)。

 著者がアリストテレスを「左派のプラトン主義者」と読んでいるのは、「師の思弁を現実に」引き戻したからだということはわかるのですが、それが「左派のプラトン主義者」となるのがわからないです。イデア説というのはプラトンの方便であって、一つは真善美という価値をそうではない現実から導くことが困難であるということから、あえて、浮世とは別世界におかざるをなかったという感覚でしょうか。さらに、プラトンが描くソクラテスはそういう言葉を使わなかったにせよ、普遍とか真理とはなにかというのを対話によって語ってゆく。正確には普遍とはなにか、真理とはなにかについて問いを発しながら、そのものについては語らずに、対話相手の言葉の使い方の矛盾をついて真理という言葉をあえて真空にしてゆくような感じでしょうか。教科書的には真理という言葉が使われているその場で真理という語の使い方を示してゆくような感じ。ただし、対話編でソクラテスが駆使する論理はソフィスト顔負けの屁理屈のような気もしないでもないですが。ただ、以前、真理という言葉に当たるギリシア語は忘れられることの否定形であるという話をどこかで読んだので、ソクラテスの弁証法はギリシア語の文法という気もしないでもないです。

 対するアリストテレスですが、こちらは手強い。学生時代に一通り読みましたが、含蓄があるものの、まるで砂を噛むようなわかりにくさ。質料と形相、可能態と現実態などまあ読む方としては疲れたことは間違いないです。それにしても、存在を存在たらしめている本質に迫ろうという真摯さには打たれたような気が。原典を読み返していないので適当な話ですが、プラトンの「思弁」が「現実」と離れていたかのような認識は甘いような気が。『ティマイオス』ですら現実を論じているのではと思うのですが。アリストテレスとプラトンの違いはといえば、存在の本質を思弁のなかで存在そのものからとりだしたというアリストテレスの力量であって、どちらも見ていたのは現実であろうと。まあ、原典にあたって確認していないので「寝言」そのものですが。

 で、ヘーゲルとマルクスの関係ですが、めんどうなんで、ヘーゲルにとっての現実はマルクスにとっての「現実」よりはるかに広く、アリストテレス以来の哲学の流れではとてつもないことだったという感じでしょうか。マルクスは、所詮、ヘーゲルが現実として捉えていたものを捉えるほどの力量はなく、哲学でやってゆけるほどの才能がなかったので経済学に流れたという感じ。さらに、ひどいことを言えば、クールノーの現代経済学の基礎となる1838年の考察を受容するほど経済学の水準は高くなかったので、マルクス程度も食えたんでしょうね。学生時代にクールノーの訳書を読んでびっくりしました。150年も前に現代的な発想があったのに、なんで三流の経済学がもてはやされたのだろうと。そんなわけで、ルーベンスタインの学識の方が確かなんでしょうが、ちと読みながら信用して大丈夫なのかなと思いながら読み勧める日々です。


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2008年10月18日

アメリカの「金融再生」の芽?

 経済危機の現状と危機への対応策についてばかり「寝言」にしてきました。他方で、今回の金融危機の「震源地」となったアメリカでは、「危機の克服」が目立たないように進んでいるようです。始まりは、やはり2008年3月のベア・スターンズの破綻の危機だったようです。問題が明らかになってくることによって解決の道筋が見えてくる。CDSの扱いをどうするのかという点については私自身、お手上げでしたが、徐々に方向性が見えてきているのでしょう。


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2008年10月13日

高坂正堯『宰相 吉田茂』再読

 なんとも平和な日々です。歩数計で連続で2000歩を超えると、むくみが悪化するので、あまり負担をかけないように、買い物ついでに外出する程度。蒟蒻畑のりんご味がおいてあったので記念で買いました。包装を見ると、たしかにこれはダメかもしれないと思いました。子供と老人の絵があってバツマークが赤で記されているのですが、その下に「お子様や高齢者の方はたべないでください」と書いてあるのですが、漢字が多すぎて少数とはいえ漢字も読めない消費者もいるでしょうから、全部ひらがなにしなくては。裏の赤字の警告もたぶん、バ○な消費者には理解されないでしょうから、凍らせちゃダメよと一言書き添えておけば、幼い命が救われたでしょうに。よだんになりますが、価格は需給で決まるという話すら、消費者団体には理解できないそうですから、中国が絡まない限り、売り手には受難の時代がくるのでしょう。値段は安ければ安いほどよいのだとその系列の学者さんの本には書いてあるそうなんで、小難しくいえば、価格が極端に低い場合には取引量が過大になり資源が浪費される、バ○でもわかるように表現すれば、タダでなんでも買えるのがベストということになるのですが、どのみちわからないでしょう。行政全体が高度成長期までは生産者重視で社会問題を引き起こしたと思いますが、逆もゆきすぎれば危険だというなんともわかりにくい話は世間様ではバカにされるだけでしょうし。

 上海馬券王先生曰く、「これ(世界同時株安)に比べれば13ゲームもつけてたゲーム差をわずか1ヶ月半でひっくり返された阪神タイガースの方がまだしも・・・、と、これは今のかんべえ先生には禁断の話題でしたな」。嗚呼、うるわしき友情。この話題はもともと興味がないせいか、どうでもよいのですが、さすがに傷口に痛いでしょと塩を塗る暴挙は私ごとき不出来な自称「弟子」かつ小人にはできず、さすがと感心します。かんべえ先生の返歌がまた奥ゆかしく、「阪神タイガースの負の連鎖が、21世紀に断ち切られるのですから。せっかく小泉首相が快挙を成し遂げたのに、その後の2代が続けて台無しにしてしまった自民党と比較すると、この点はまことに光るものがあるではありませんか」とあり、凋落の度合いからすると落ち目なりになんとかなっている度合いからすると、「阪神タイガース>>(越えられない壁)>>世界の株式市場>>(越えられない壁)>>自民党」というまことに世情を反映したすばらしさです(上海馬券王先生ウォッチャー(自称)としては2008年6月29日の渾身の自虐ギャグを読み落としていたのは不覚。「上海遠島の上、秋口まで馬券予想の禁止を申し付ける」って、もう、S・U・T・E・K・I(エス・ユー・ティー・イー・ケー・アイ)ステキ)。以前、おふざけで「保守の『衰退』 自民党の『凋落』」という「寝言」を書きましたが、当時は2007年3月でここまで短期で悪化するとは想定しておりませんでした。来年の9月までに自民党が政権の座にあろうが、政権交代しようがどうでもよいのですが、とりあえず、金融危機への対応としては受身にすぎる感もありますが、自民党と民主党でコンセンサスができそうな雰囲気は歓迎です。G7でイニシアティブをとれなんて無理なことを要求する気もありませんので。


 全集はちと辛いので、中公クラシックスで高坂正堯『宰相 吉田茂』を読み返していたら、夕方になっていました。学生時代に読んだ記憶がありますが、あまりに日本の戦後史に無知だったせいか、すごい本だと言われて読んだのですが、なにがすごいのかがピンときませんでした。失礼ながら『文明が衰亡するとき』の著者もあまり面白くない本を書くのかなというぐらいでしたが、年をとったのか、ちょっとびっくり。『中央公論』の1960年代というのは本当に知的水準が高かったのだなと驚きました(今が低いというわけではないのですが)。単なる人物評伝と読んでしまったのが失敗で、著者の関心が一貫して戦後政治における政治的リーダーシップのあり方にあり、これほど地に足の着いた議論は少ないような気がします。もう一つは、私が政治や経済にもちだした頃は、日本は単に経済発展を遂げただけでなく、G5(当時)のメンバーとなる経済大国として国際貢献をとかそういう時代だったので、「二流の国」のリーダーシップのあり方をこれほど学術的に一般向けに書かれた静かな情熱にうたれてしまいます。いかれた「外道」ですので、名高い「宰相吉田茂論」よりも、はるかに「吉田茂以後」と「妥協的提案」の分析が興味深く熱中してしまいました。

 「内での秩序の維持と外での安全保障などの責務を果たすことはすべての政府にとって不可欠であるが、こうした問題について世論の理解と支持を得ることは難しい。政治の責務を果たすことと、世論の支持を得ることは必ずしも一致せず、ときとして矛盾する。この二つの要請をいかにして調和させるかが、議会民主主義における政治家の最大の課題となるのである」(81頁)という指摘は一般的には簡単なのですが、実際に具体的な叙述となると怪しい場合が少なくないように思います。「吉田茂の負債」から始まって統治機構の整備とナショナリズムに形を与える(日米安保体制と独立が矛盾しない国際関係の確立)などの課題が提示され、鳩山一郎、岸信介、池田勇人の各政権を対象に分析が進んでゆくのは熱中してしまいます。とくに、岸政権の分析での「閉ざされた政治」の描写は鋭く、安保改定を積極的に評価しながらも、「しかし、最大の問題は彼(岸信介:引用者)が自民党を強力にするに当たって、社会党など反対勢力に対する対決姿勢をもってそうしたところにあった。なぜなら彼は、日本における国論の分裂の積極的な評価をまったく理解しえなかった。彼はその破壊的な側面しか見なかったのである」(131頁)という指摘は、その後の「妥協的な諸提案」で「岸の精神主義」としてさらに分析が重層的になっているように思いました。現代の民主主義のリーダーシップに最も要求される説得が放棄されているわけで、田中角栄の「宣伝」も似たようなもの。いかれた「外道」の目には時代背景があまりに異なるとはいえ、2006年9月から世論の歓迎を受けて成立した政権があっという間に瓦解したプロセスが重なって映ります。

 表現は悪いのですが、世界恐慌はなるようにしかならないし(まだまだ各国の努力が続くのでしょうが)なるようにはなる(まあ、世界が終わるわけでもなし)状況では、混乱の時代に日本の政治的リーダーシップの問題について思いを馳せるのも悪くないのでしょう。本書を読んで、やはり難しいと感じますが、金融危機をめぐる対応(それ自体は受動的であるとはいえ)で自民党と民主党で公開の討論で互いに説得し、妥協し、コンセンサスを形成することができれば、日本政治も決して再生不能ではないと楽観的に考えることにしました。


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2008年10月01日

アジアの民主主義の運命

 なんだか病院にばかり行っておりますが、D-ダイマーの値がワーファリン投与後、上昇しているとのことで、私の悪い頭で解釈すると、どうも薬が効きにくい体質のようです。幸い、肺の影響はあっても軽微だろうとのことで、問題は心臓そのものにリスクがあるそうです。こちらは深部静脈血栓症との関連が自明ではないとのことで、別途、手を打ってゆきましょうということになりました。少し早いですが厄年と思ったほうがよいのかもしれません。おっかないのではありますが、ここがやられたらそれまでよと開き直る気分ですね。

 病気について尋ねられると、左足の静脈に血栓ができましてねと話すと、相手の顔がこわばって脳に入ったら大変ですねとまじめに心配されてしまいます。脳にゆく前に肺に入って呼吸困難で死ねますし、運が悪いと心臓に入って一巻の終わりですよと冗談ぽく話をすると、さすがにひきつってしまうので、「ガンで何年も痛い思いをして抗がん剤の副作用で苦しむのと比較したら、心臓一撃のほうが数分ですから楽なもんですよ。ツキがなかったと思えばどうってことない」と笑い飛ばすと、ああ、こいつはくたばりそうにないなという苦笑を浮かべて「お大事に」と言って頂くことがおおいです。そうはいっても、こまめにメンテナンスをしてゆくほかなく、やはり最大の「リセットボタン」は睡眠。「自堕落にひたすら寝ます」と宣言したら、苦笑されましたが、「よし!」とのこと。帰宅したら、ぐったりして、夕飯の支度が終わったところで、ストレッチポールでもと横になったら、そのまま寝てしまいました。冷めた夕食を夜中に食べてリズムがかなり乱れてしまったので、ちょっとまずいかもです。

 お医者さんもアメリカの株価の暴落にはびっくりしている様子で、直接的な実体経済の悪化以上に心理的な影響の方が大きいのかもしれません。ただ、やはり「財布」の中身は私とは桁が違うので、株屋の口車に乗せられてひどい目にあったという話が多いですね。投信でひどい目にあった先生もいれば、特定の銘柄をすすめられて100万円単位ですっちゃった先生とバラバラですが。株屋なんて所詮は他人のカネだから、ひどいところもありますよと。古い話ですけれど、会社ぐるみでこんな手口がありますよとごにょごにょと話すと、そんなにひどいんですかとびっくりしていて、二度と買わないとのこと。国内の個人投資家が育たないのはそれなりの理由があるものです。

 ずいぶんアメリカの金融市場と政策決定を眺めるのに時間をとっていて、ふと国内に目をやって思うのは日本とアメリカでおおいに相違はあるものの、民主主義って最悪の政体だなあという感想でした。なにか代わりを求めたいという気分はまるでないのですが、しみじみ最悪だと感じました。こちらで紹介されているMichael Auslin, "Asia's Democratic Crisis"を読みながら、このような論説はアメリカでも少数派だと感じつつも、民主主義の"messiness"と付き合ってゆくしかないのだと諦念には至りませんが、そんな感覚をもちます。気になるのは米軍の存在がアジア地域における現状維持の要であり、そのことが国内問題の解決によい方向に貢献してきたという指摘です。これ自体に異論はないのですが、これから10年ぐらいはどうなんだろうと。金融危機とは無関係に北朝鮮をめぐる状況ではアメリカ外交が混乱気味ですし、自虐的ですが、失敗したときのインパクトが大きいとはいえ、アメリカの政治的意思決定がやはりスピード感は日本とは比較にならず、しばらくの間、日本外交は事務レベルは別として、意思決定が麻痺するリスクも抱えています。同盟というのは双方が能力はもちろんですが、常にコミュニケーションを図って共通の利益を確認し、相反する利害を調整せねばならず、パートナーの政治的意思決定が麻痺してしまうと、期間にもよりけりでしょうが、同盟が機能しなくなるリスクは決して無視できません。北東アジアにおける「マルチラテラリズム」の流れは想像以上に強いようです。

 さらに、金融危機でアメリカが軍事に割ける資源(ヒト・モノ・カネ)が制約されてくるでしょう。次期政権が実際にどのように動くのかはわかりませんが、ブッシュ政権の下でも、北東アジア外交は迷走している感覚があり、ひょっとすると政権が交代した後も、さほど変わらないかもしれません。現状の混乱は中国の変化とアジアの複雑な利害を十分に理解していない当事者にあるように見えますが、そこにカネが足りないという身も蓋もない理由が加わると、極端なケースとしてこの地域は中国に任せて米軍の負担を軽くしようというインセンティブが生じるかもしれません。現状では経済問題に目がゆくこと自体は当然だと思いますが、今後のことを考えると、同盟をマネージしてゆく力量を政党間で共有してゆかなければ、10年ぐらいで日米安保体制そのものが空洞化しかねないリスクがあると思います。米軍のプレゼンスが、絶対的というより中国との比較で低下してくれば、現状維持という役割を果たすことは難しいでしょう。

 この国のデモクラシーが戦前の失敗によってかえって強いものになっているというのは岡崎節だなあと思います。ただ、徐々に、戦後民主主義しかしらない人たちが主たる担い手になってくるでしょう。逆に言えば、私のように民主主義以外の政体を自国で経験したことのない人たちがメインになってきます。大正デモクラシーを知らない世代が軍に任せてみようとか、あるいは共産主義などイデオロギーで粉飾された専制政治を望む確率はほとんど無視できるといってよいでしょう。

 問題となるのは、民主主義を回復するプロセスが占領統治で屈折した上に、自民党が国民のすべてではないにしても多くの階層のコンセンサスを代表する時代が長く続いたことでしょう。自民党がそのような能力を失いつつあるように映る現在、コンセンサスを複数の政党で共有するしかけができるのかどうか。とりわけ、外交や安全保障の分野は有権者の優先順位が低く(民主主義国の外交官が共通してこぼす悩みではありますが)、コンセンサス形成へ積極的に取り組むインセンティブが十分ではないように見えます。日本人が民主主義の"messiness"に付き合ってゆくためには、短期の「食」の問題をなおざりにすることなく、長期の「安全」に関する強固なコンセンサスを形成することが不可欠だと思います。悲観はしていないのですが、あまりに大切な問題がイデオロギーのレベルで議論され続けてきた戦後の負の遺産を払拭するのには、"messiness"に意志を曲げず、時間が遅いことに耐える、消極的ではありますが、持続する意志がやはり不可欠だというのが今晩の「寝言」です。


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posted by Hache at 06:02| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言