2008年03月28日

『孫子』虚実篇

 周囲では評判が最悪だったIE7をMicrosoft Updateの際にインストールしました。最初は、ツールバーの変更で面倒でしたが、タブの使い方に慣れてくると、意外と便利です。旧スペックのマシーンにも導入しましたが、重たい感覚はなく、だいぶ改善したのでしょうか。忍者ツールで見ると、この1ヵ月間でアクセスした方のブラウザーの内訳は、IE6が約53.7%、IE7が22.4%となっていて、VISTAよりも普及が進んでいるようです。ちなみにさくらインターネットが提供しているアクセス解析では、おそらくRDFの読み込みを含んでいるので(PVが一日あたり3000を超えておりますが、アクセスカウンターの周り方を見ると信用できないです)、不明が多すぎて、役に立たないのが難ではあります。

 私が読んでいる『孫子』は、金谷治訳注のワイド版岩波文庫です。初版が1991年となっておりますが、読み下し文や解釈が通常の文庫と変化しているのかまでは確認しておりません。地味な作業の合間に『孫子』を読むのが癖になって、もうこれで10回は超えていると思うのですが、いまだに読めていないことに気がつきます。内容が難解だということよりも、私の悪さは「所与」として、やはり大局的なものの見方ができる人とそうではない人には努力では越えられない壁があることを感じる日々です。

 さて、今日は、「虚実篇」をとりあげてみます。とはいっても、『孫子』を再解釈しようというほど無謀ではないので、ボーっと「寝言」らしくだらだらと思うがままに書いてみましょう。以前、こちらで古森義久・吉崎達彦『ナイーブな帝国 アメリカの虚実』(ビジネス社 2003年)をとりあげましたが、ここでの「虚実」は虚像と実像というあたりの意味でしょうか。虚構と実態と言い換えても、よいのでしょう。『孫子』で出てくる「虚実」は「虚」はすきのある軍のありよう、「実」は文字通り充実した状態で、「実」をもって「虚」を討つという意味で戦闘において主導権を握ることの大切さが説かれているというのが凡庸な人の解釈です。

 『孫子』では戦わずして勝つというのが最善であるというのが基本ではありますが、最善の策が実現しなかった場合、すなわち戦争に至った場合の「兵法」というよりも、心構えを幾重にも説いていて、戦略論の古典であることを実感させられます。現代の戦略論ほど体系化されていないのにもかかわらず、素人には非常に洗練された体系を感じます。「虚実篇」をとっても、いわゆる「虚々実々の駆け引き」という言葉とは対照的に、説くところは、素人目にはなるほどと思わせることが多いです。私が好きな一節は「故に善く戦う者は、人を致して人に致されず」(60頁)という冒頭部分に出現するくだりです。人間関係では「敵か味方か」と峻別できることの方が少ないのでしょうが、戦争という重大な事態ではなくても、人の上に立つ方の能力を評価するときに、最も注目するのは「人を致す」タイプなのか「人に致される」タイプなのかということです。「人を致す」というと響きが悪いかもしれませんが、人の上に立つ方というのはあえて「悪徳」にも身を委ねなくては話にもならないと思います。もちろん、私自身は「致される」というより使われる側で一生を終えるのでしょう。あるいは使う「上」がいれば十分ですね。どこかの島国では2代も続いて「人に致される」タイプがトップで大変なようですが、代わりになる方はもっと頼りなく、考えない方が精神衛生にはずいぶんとよいという悲しい状態のようです。

 それはさておき、「虚実篇」に戻りましょう。ちょっと長くなりますが、先に挙げた版から引用いたします。

【引用1】 攻めて必らず取る者は、其の守らざるところを攻むればなり。守りて必らず固き者は、其の攻めざる所を守ればなり。故に善く攻むる者には、敵 其の守る所を知らず。善く守る者には敵 其の攻むる所を知らず。微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。故に能く敵の司命を為す(前掲書 62頁)。

 老荘思想の影響とも解釈できそうですが、冷静に読むと、ごくごく当たり前でありながら、なかなか現実には難しいなあと思います。戦史に詳しいわけではありませんが、たいていの戦闘などどちらかがここで書かれていることの6割も満たせば大勝となるわけで、表現は悪いですが、この世で行われた戦闘の多くは並がやっとでしょう。まあ、権力闘争も『孫子』でも最低限、理解した上でやってくださいなというところでしょうか。プレイヤーにとっては真剣勝負なんでしょうが、凡将どうしが泥沼の戦いをやって迷惑するのは、普通の人ですから。「プロ」と「アマ」の違いは、「アマ」が対象がつまらんと投げることができるのに対し、「プロ」は投げることができないという点にあるのでしょう。まあ、世の中の「闘争」のほとんどは引用の逆だと割り切ってなるようにしかならない現実を見てゆくよりほかないのでしょう。すなわち、「善く攻めざる者には、敵 其の守る所を知る。善く守らざる者には的 其の攻むる所を知る」てな感じ(でたらめな文章なのでまともな文章にできる方にアドバイスをお願いいたします)。ニヒリズムには無縁ですが、15年ぐらいは「解」がないと澄ましこんでおけば、気楽なものです。

【引用2】 故にこれを策りて得失の計を知り、これを作して(おこして:引用者)動静の理を知り、これを形して(あらわして:引用者)死生の地を知り、之に角れて(ふれて)有余不足の処を知る。
 故に兵を形すの極は、無形に至る。無形なれば、則ち深間も窺うこと能わず(あたわず:引用者)、智者も謀ること能わず(68−69頁)。



 本来は節がわかれておりますが、強引にくっつけてしまいました。どこかの島国のことを忘れて世界を適当に眺めますと、米軍を中心とする、ちょっと古臭い表現ではありますが、「軍事での革命(RMA)」というのも、戦場レベルでまさに軍を「無形」を可能にするすさまじい「革命」だなあと素人目には映ります。【引用1】とあわせると、いわゆる「ピンポイント攻撃」というのは、「無形」の一つかな、とあまりに素人的ですが、感じます。他方で、「戦場レベル」の戦略を離れて、より大きなレベルで考えると、米軍が中東とその周辺に集中しているのは、「無形」の対極でアメリカによからぬ意図と能力をもっている勢力にはわかりやすい構図でもあるのでしょう。ただ、よからぬ意図をもっている勢力も、『孫子』の発祥の地でありながら、「無形」にはほど遠く、これまたいい加減な素人的な観察者には萎える情勢ではあります。

 それにしても、民主制という政体は、軍事的な行動にあまりに代償の大きい制約を課すことを実感します。兵力の整備、配置など透明性を確保することを要求されることは対外的にというよりも、国内への説得として必然ではありますが、軍事上はこれらの代償は大きいと感じます。その点、専制国家は有利なのでしょう。米ソ冷戦の時代のソ連の軍事の透明性などは、本当のことを伝えるということ以上に、そのようなコミュニケーションが行われること自体に意味があったのでしょう。中国の場合には、一方的にこちらの手の内をさらけだすだけで、米国の艦船で平気で写真を撮ってしまう無神経さを考慮すると、とてもじゃないですが、「透明性」の確保のための手段がコミュニケーションではなく、双方の齟齬をきたしかねない印象すらあります。

 ただし、民主制の「無形」というのは、上記で述べた範囲を越えている部分があります。すなわち、いったん生じた事態に世論がどう動くのかということを見極めるのは、民主制の下で暮らしている人間にも困難な部分があります。「間接侵略」の脅威は軽視できないのでしょうが、権力者といえども、世論から見放されれば、動きようがなくなってしまいます。中国による、あからさまな軍事的脅威ではなく、種々の工作は、分権的な社会では効果が限定されてくるのでしょう。米軍の抑止力の低下、中共による民主主義国のエリートへの浸透は軽視すべきではないのでしょうが、民主制そのものを覆さない限り、その影響力は限定されるのでしょう。これを中共自らが過大評価することがむしろ危険ではないか。そんな「寝言」が浮かびます。

【引用3】 形に因りて(よりて:引用者)勝を錯くも(おくも:引用者)、衆は知ること能わず。人皆な我が勝の形を知るも、吾が勝を制する所以の形を知ることば莫し(なし:引用者)。故に其の戦いの勝つや復さずして(くりかえさずして:引用者)、形に無窮に応ず(69頁)。

 蛇足扱いになってしまいましたが、今回、読み返しながら思わず考え込んだのが上記の引用です。【引用3】は【引用2】の続きなのですが、ふと、塩野七生さんがカエサルの戦争が戦史家たちを悩ましているというのはこういうことなのかもしれないと。彼は『ガリア戦記』というあまりに巨大な作品を残しましたが、この面での後継者は生まれなかったと思います。もちろん、カエサルはオクタヴィアヌスという偉大な後継者に恵まれましたが。軍事に限らず、成功は「復さず」なのでしょう。なぜなら、「衆は知ること能わず」だから。友人でもなく、やむをえず業務上、お付き合いした人が「失敗からはなにも学べない。成功からしか学べない」と主張していましたが、「成功」に学ぶことははるかに難しいのでしょう。もっといえば、「成功」にせよ、「失敗」にせよ、どれも個性的なのであって「復さず」という類の、扱いにくい話なのかもしれません。最近は、過去の事例から自然科学のような法則性を導くことはほとんど不可能ではないかとすら感じますが、それでも、なにも分析しないよりはよいのでしょう。成功にせよ、失敗にせよ「復さず」ということがわかるだけでも価値があるという「寝言」が浮かびます。

 蛇足ですが、日露戦争の戦史も、失敗を覆い隠す「改竄」があったという指摘も散見しますが、むしろ、その種の「改竄」よりも、成功を伝えることが当の戦争を担った方たちですら難しいことを示しているのだと思います。勝ち戦を語り継ぐということはけっして容易ではないのでしょう。さらにいえば、国家の栄枯盛衰など「マニュアル」にすることは、おそらくは不可能なのでしょう。『孫子』が紛れのない兵法書であり、戦略論の古典であることは素人にもわかりますが、いかれた「外道」の目には兵法や戦略を知悉した上で後は自分で考えなさいと突き放しているようにも読めます。『孫子』の成立には諸説があり、曹操による注(魏武注)などがあるものの、テクストはいくつもあるそうです。このような経緯は、「其の戦いの勝つや復さず其の戦いや復さずして、形に無窮に応ず」という、戦争や戦闘という人間の生命を賭けた行為が「無窮」であると同時に、それを意識化する営みそのものが「無窮」であることをはからずして示していると感じました。
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2008年03月25日

医者の不養生

 先週の金曜日にかかりつけのお医者さんが復活したとのことでしたので、早速、来院しました。案の定、混み合っていて、大変。ふだんは1ヶ月に1回、診察していただいて、あとはお薬を頂くだけなのですが、これからは毎回、診察されるとのことで病み上がりなのに大丈夫かなと思いました。言いにくいのですが、案の定、3月17日に「復活」されたものの、翌日から再び、休診でこういう外れてほしい「予想」はよくあたります。さすがに待っている患者の数が多いせいか、診察も一人あたり10分程度で終わって私の番になりました。

 とくに、睡眠障害の症状が改善するわけではなく、悪くもならないのでそのまま申し上げました。ふだんなら、これで診察自体は終わりなので、先生に向かって「お大事になさってください」と申し上げるのも気が引けますし、まだ待っている人もいるので、そろそろかなと思ったときに、伺いにくいご自身の病気のことを説明されました。慢性的なストレスから来るご病気のようで、「ふだん、気楽に生きるのが一番ですわと言っていた本人がこれでは説得力がなくなります」と苦笑いを浮かべながら、おっしゃるので、ちょっとしんみりしてしまいました。詳しい病気の内容は匿名とはいえ、他人のプライバシーに関わりますので控えます。こういうときはあえて面と向かってまともな人が口にしないことをだすのが、いかれた「外道」の本領。ずばり、「医者の不養生ですね」。もちろん、意地悪な意図はなく、濃淡の差も大きいのでしょうが、医師という仕事は大変だなと思います。

「産科崩壊」とか「救急外来崩壊」とかマスコミが騒ぎやすい話は注目を浴びますが、開業医でもすさまじい状態です。現行の医療保険制度はあまりに問題が多いように感じます。「診察」から離れて、ついつい話し込んでしまいましたが、私があくまで暴論ですがと前置きした上で、「医療サービスには国民のニーズがあるのだから医療費に歯止めをかけるとかけち臭いことを言わないか、皆保険という建前を捨てて負担力に応じて良質のサービスを維持するか、どちらかしかないと思います」と不躾なことを申し上げました。意外でしたが、あっさり同意されてしまって、「○○さん、早く有名人になってテレビにでも出て本音をバンバン言ってくれませんか?」などと煽られたので、「この顔が全国に流れたら、ご老人がショック死するか抗議の電話が殺到しますね」と返していつもの穏やかなムードで診察が終わりました。とある街角にある病院の一光景です。

 なぜ、こんな「寝言」を書いているのかといえば、どうも最近、メディアでもネットでも違和感を感じることが多いからなのでしょう。たとえば日銀総裁人事でも、民主党の愚行は目に余りますが、政府の対応にも萎えます。それを統帥権干犯問題にたとえられても、まあ、戦前の政党の政争の拙劣さが滅亡の一因だとは思いますが、なんだか大袈裟だなあという感じ。政争にもルールづくりが必要だと両方の政党が本気になるまで「犠牲」が続くでしょうし、まだ「ねじれ国会」から一年。気が早すぎる感じです。

 あるいは、finalventさんが「暴論」と評価した『毎日』の社説を読むと、論説委員さんの「閉塞感」からくる発作みたいなもので、道路財源の一般化には慎重ですが、これはこれでいいんじゃないのと。昔は「民生の安定」という学術的ではありませんが、学者が定義できない部分を上手に表現する言葉がありましたからね。

 言いにくいのですが、世代論は信用しないのですが、1960年以前に生まれた方たちよりも1980年頃に生まれた人たちとの方が話があうことが多くなりました。簡単に言えば、彼らは1990年代後半から2000年代前半の不況でも、「これで不況なんですかね」とあっけらかんとしたものです。既に生活水準は豊かなので、変なインセンティブを与えている制度をこまめに見直してゆくという地味な話だと盛り上がるので、親近感を覚えます。ちなみに、公共事業の見直しは、理想論からいえば費用便益分析を丁寧に行って優先順位を明確にすることが肝要でしょうが、残念ながら便益計算も費用計算もザルの状態では、「暴論」がでてくるのもしょうがないかなと。「上げ潮」とか「リフレ」に拒絶感があるのは、理屈だけでなく(説得的なモデル(それでも仮説にすぎないが)すら示せないのではそもそも議論の対象にならないわけですが)感覚の違いだなと思いました。

 簡単に言えば、既に豊かな社会なのだから、「カンフル剤」のような「大技」(ないものねだり)よりも既存の資源をいかに有効に利用するのかということに関心が向くというところでしょうか。それは、個別の問題で残すべきインセンティブとなくすべきディスインセンティブを洗い出し、地道ながら強力なリーダーシップが要求される作業です。もっといえば、演出をどのようにするかは別として、政治が手続き的には民主主義的でも内実は専制以上に長期間にわたるリーダーシップを要するリストラクチャリング(再構築)なのでしょう。問題は、そのようなリーダーシップの担い手が出現するかですが、どうもこの国は分が悪いのかもしれません。それでも、失礼ではありますが、コンセンサスが確固としていれば、指導者が「並」程度でもなんとかなるのが民主主義の強みなのでしょう。ただし、コンセンサス形成は、英米を見ても、誰もが「痛い」と感じるまで固まらないのが民主主義のならいかもしれません。気長に楽しく暮らしてゆくのが、市井の人にはベストですね。

 その意味で最も世代の差を感じるのは、最近のかんべえさんでしょうか。台湾総統選挙に関しては、らくちんさんの2008年1月15日の記事がもっともわかりやすいように思います。事後の評価でこの記事を上回るものがないのは寂しいかぎり。「スモールポリティクスの時代」が最近の傾向というのはちょっと違うんじゃないですかと思います。自民党が安保闘争を克服して高度成長、そして1980年代の「安定成長」を演出したのは、まさに「スモールポリティクス」で様々なインセンティブを多様な階層・地域に与えながら国民の統合を図ったからだろうと。多様な政策を、乱暴ですが「大」、「中」、「小」にわけますと、このような「中」、「小」レベルの問題で上手に演出しながら、「大」レベル(主として外交・安全保障政策)での異論をコントロールしてきたのが自民党の統治能力の根源だったと思います。ただし、「大」レベルでは当時の国会対策上(より根源は1960年代から90年代までの世論の問題ですが)、やむをえないとはいえ、今日まで混乱を残してきているとも思いますが。

 現在では、その大部分は残すべきインセンティブであるのかどうか問われてはいますが、「スモールポリティクス」での対応は実際には場当たり的だったのでしょうし、失敗も多いのでしょうが、やはり政権を担当し続けただけに侮れないものがあったと思います。民進党の失敗は、スモールポリティクスで有権者の信頼を確立するという国民党の一党独裁体制を打破した後にやるべきことを怠ったことに尽きると思います。

 情報不足なので台湾の話は深入りしませんが、民主政の政治家に要求されるのは、「小」の問題、場合によっては「中」の問題で民意をつかみながら、「大」の問題で抵抗する人たちを屈服させることに尽きるのでしょう。最近は、専制政治でも同じかもしれないとすら感じます。「スモールポリティクス」はけち臭い発想なのではなく、民主政では「大」の問題で言い分を通すための、避けては通れない「洗礼」なのだと思います。安倍前総理は「洗礼」すら避けてしまい、前任者よりは政治的手腕が上だと見ていた福田総理も疑問符がつく状態では、自民党の統治能力も1990年代の政権交代時よりも低下しているように感じます。

 本題に戻ると、冒頭の先生は、「平凡な街医者で人生を終えるのも大変なもんですなあ」と漏らしておりました。そのような感覚を侮ることは、民主政では「愚行」以外の何物でもないと思います。
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2008年03月24日

技術進歩と諸制度の「進化」

 周囲のできる人には「PCぐらい自作しないか?」と言われてもう10年近くなります。所詮、と言ってはなんですが、IBMはともかく、ゲートウェイ、デルと渡り歩いたので、段々とトラブル処理にも慣れてきて、グラボの選定・換装がきっかけでちょっとは詳しくなりました。最近、大したタスクもしていないのに、ちょくちょく、ブルースクリーンになるので、参ります。どうもBTOのPCなので電源が弱いかもと素人判断。そろそろ、自作も検討しようかなと思います。

 日曜日にコンタクトの調子が悪いので交換をするためにでかけました。ついでに、家電量販店を覗くと、最近はソフマップやツクモでなくても、意外とPCパーツが揃っているんだなあと時代錯誤の感想をもちました。古いデルのPC内部を見ると、電源部分がなんとも貧弱です。よさそうなパーツを見ると、電源でも意外と根がはるのでびっくりしました。素人目にはENERMAXがよさそうと思いましたが、PCI-Expressは古いPCには「猫に小判」なので、衝動買いを抑えました。キーボードを見ると、アルミボディのタッチがよい感じのもでていて、こちらも1万円前後するので断念。あと2年ぐらい、64bit環境に耐えられるスペックの台と2003年ごろの台で我慢です。ただ、今ひとつ安定性がないので、自分でも作ってみるのも一興かなと。

 書店に寄ってど素人向けの自作パソコン雑誌や書籍を立ち読みしましたが、「オススメ」の構成がけっこう分かれるので、難しいなあと。ある雑誌ではクアッドコアで5年は使えそうなスペックを推奨していて、別の書籍ではメインストリームのデュアルコアを推奨していてなかなか見極めるには時間がかかるなあと。忍者ツールによる解析では、「寝言@時の最果て」にアクセスして頂いてる方の約75%はWindows XPでVistaは8%です。まだ、Vistaを使う気にはなれませんが、あと数年で変わってくるのでしょうか。XPでもデュアルコアはもったいない気もしますが、将来的に拡張性を考えると、デュアルコアが最低限になるのでしょうか。

 それにしても、情報通信技術の進歩は目覚しいですが、高性能のPCを自分でも組み立てられる時代が来るというのは驚きです。国内外で政治も経済も大荒れですが、生活を振り返ると、豊かなものだと感心します。素人の目には制度というのは失敗を重ねながらゆっくりとよきものを残す作業の積み重ねであろうと。技術の世界も似たようなものでしょう。ただ、情報通信技術に限らず、技術進歩は驚くばかりです。科学技術万能の20世紀後半の感覚は過去のものになった印象がありますが、やはり技術進歩は制度に先んじるのでしょう。問題は、技術進歩の成果を確実にする制度を地道に構築する人材の育成が肝心という、ありきたりな「寝言」が浮かびました。
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2008年03月19日

米軍の抑止力が低下したら?

 どこかの島国の「なまもの」は精神衛生に悪いのでスルーしたいところです。ま、軽く「寝言」をば。

 民主党の「財金分離論」だけでなく、金融政策自体が終わっているようです(冗談のつもりでしたが、利上げを考えているらしい。まとまりのない党なので統一された政策があるのかは疑問ですが)。武藤氏を蹴ったのは、ばかげていると思います。前にも書いたように、参議院で過半数を支配してる力を見せつけるための、愚行でしょう。

 ただ、福田総理の対応にも萎えるのが正直なところです。メディアに毒されているのかもしれませんが、財務省OB以外に適任者はいないのかと思います。政争になれば、民主党を世論から浮かせて妥協を迫るしかないと思いますが、官邸も「正論」路線でゆかれているようで。「煽りにマジレス」が前任者だけでなく、自民党の「芸風」になりつつあるのなら、悲しいことではありますが、民主主義的な意思決定は、日銀総裁の同意人事以外にも麻痺するでしょう。表現は悪いかもしれませんが、バカな駄々っ子に正論を説くのは政治的には拙劣だと思います。

 さて本題です。『チャンネル桜』の『闘論!倒論!討論!2008』で十分に議論されなかったのが残念ですが、佐藤空将が冷戦後の軍縮の結果として米軍の抑止力の低下(とりわけ陸軍の質・量の低下)が生じているという指摘は至るところでされてはおりますが、イラク戦争と占領統治に目を奪われているとついうっかりしてしまう話です。なぜ、イラク戦争直後や占領統治の初期に兵力を集中して投入しなかったのかは、財政的制約に起因する陸軍の動員力の低下だけでなく、行政府内の意思決定の不統一や戦後の見通しの甘さなど様々な錯誤の結果なのでしょう。また、RMAの進展は兵士の質の低下を補って余りあるのかもしれません。他方で、あまりに遅かったとはいえ、ペトレイアスによる増派は一定の成果を収め、反発していたアメリカのマスコミの一部も認めざるをえなくなっています。相変わらずイラクにこだわりすぎていると自分でも感じますが、イラクでの不首尾は冷戦後の軍縮、とくに装備だけでなく「人件費」にカネがかかる陸軍の力の低下だけでは説明できないでしょうが、巨視的には利いていそうな要因です。このあたりは素人談義あるいは「寝言」にすぎないので、的外れかもしれませんが。

 「アメリカの影響力」と私が表現するときに、その内容は多様で曖昧です。核戦力に代表される剥き出しのパワーを指すこともあれば、経済的な影響力も含みますし、さらにはアメリカのライフスタイルへの憧れ(フランスあたりでは反発も強いのかもしれませんが)なども含みます。前回は経済とごちゃごちゃにしたので、自分でも混乱させてしまいましたが、アメリカの影響力のコアは軍事力、あるいは非常に狭い意味での「ハードパワー」であるというのが「時の最果て」のスタンスです。くどいようですが、アメリカのような超大国の影響力は、ある特定の要素からなるのではなく、それらが複合し互いに影響しながら他国との相互作用で利いてくる複雑なものですが、最も決定的なのは軍事力であるというのが、「時の最果て」の「イデオロギー」です。表現が悪いかもしれませんが、いざというときにカネをくれそうな国よりも喧嘩になったら負けそうだという方が利害が対立したときに言い分を通しやすいというあまりにナイーブな感覚です。さらに露悪的なことを書いてしまえば、いざとなったらカネを出してくれそうな日本は私の目からすれば、日本人であるということを離れて、御しやすい国だと映ります。一発ぐらい殴っても反撃するかどうかもわからない訳ですから。もちろん、後ろにアメリカが控えている以上、そのような乱暴をはらたく国は皆無といってよいのでしょう。

 それでは、そのアメリカの影響力、とりわけコアになる軍事的抑止力が低下したらどうなるのか。ここでは、そのような蓋然性がどの程度あるのか、あるいはそのような事態が生じるプロセスはあえて無視しましょう。ただでさえ長い「寝言」ですし、ある種の「頭の体操」にすぎないので、ここでは思考上の仮定にすぎません。このような仮定を想定しても、実は日本のとりうる戦略はあまり変わらないのではないかというのが、結論です。それじゃあ考える意味がないじゃないかと言われそうですが、地上波の討論番組をたまに見て、安全保障の問題を議論しているのを見ると、この国のとりうる選択肢がいくつもあるかのような話がでてきてうんざりします。「国際貢献」もけっこうでしょう。上手にやれば、自国の安全を確保するという安全保障の基本的な目的を補完するものですから。しかし、リソースが限られている以上、直接・間接的な脅威から自国を守るという部分が据わっていなければ、代替的になってしまいます。表現をぼかしました。ヒト・モノ・カネの無駄遣いですね。

 アメリカの影響力、より絞って米軍の抑止力が低下したときに日本の選択肢はあまり変わらないというのは2つの点があります。第1に、自国の防衛はこの国自身が責任をもつということです。書いていてなんだかバカバカしくもあり、気恥ずかしい気もいたしますが、日米安保の枠組みが崩壊しないかぎり、米軍のプレゼンスの強弱に関わらず、日本の安全は日本人自身が守るのが当然だということです。北方領土や竹島など領土紛争を抱えている国が無防備だというでは話にならないでしょう。

 第2に、自らの国を守る意思と能力を明確にした上で、アメリカと同盟関係を双務的にするということです。これも米軍のプレゼンスの強弱に関わらず、自国を守る意思と能力をもたない国との同盟などアメリカから見たら無価値でしょう。また、尖閣諸島に関してモンデール駐日大使(当時)が日米安保の範囲外との趣旨の発言をして波紋を呼びましたが、アメリカが頼りになるかどうかという以前に、日本自身が守る意思と能力、そして実際の行動がなければ、意味がないでしょう。後で日米安保の範囲内と訂正されたようですが、まずアメリカの関与がなくても自国の領土を守るという基本が曖昧ではお話になりません。もっとも、ブッシュ大統領の「庭」程度の「島」のとりっこというのは人間って進歩しないねという感覚があることは否定しませんが。

 もちろん、米軍の抑止力の低下は台湾海峡をはじめ、日本の安全保障環境に大きな影響を与えます。おそらくは、イラクも関連するかもしれませんが、冷戦後の国際秩序が混乱したまま、引きこもる可能性も否定できないでしょう。今回は取り上げることができませんでしたが、高見沢防衛政策局長の自民党安全保障調査会での発言は、どこがまずいのかよくわかりませんが、発言要旨を読むかぎり、強いて言えば、台湾海峡問題は日本の安全保障の問題であり、問題の性格上、利害を共にする日米安保の問題であるということであれば、なにが問題なのだろうと。安全保障上は日本とアメリカは補完的な関係にあるわけで、中国の軍事的脅威が増大すれば、日本が補完する必要のある役割が増えるのは当然だと思います。アメリカが苦しいときには日本が役割を強めることが望ましいのですが、これには限界があるのでしょう。法的制約などは状況に応じて変えるのが当たり前ではないかと思いますが、遺憾ながら、あまりにカネがかかる。

 岡崎久彦さんが紹介している西園寺公望の言葉は今でも変わらない気がいたします。連盟脱退のときの「日本は英米と一緒に采配の柄を握っているのがよい」、「長いものには巻かれろ」などなど。西園寺は政治家としては物足りない印象が強いですが、戦前の日本は英米と「采配の柄」を握るだけの選択肢があったのにもかかわらず、別の選択肢を選んで滅びました。生き延びたこの国の状況はさびしいものがありますが、それでも選択肢はあるわけで、「長いもの」に巻かれる側にも戦略は欠かせないという「寝言」です。国際秩序をつくりだすだけの能力のある国が「リーダー」となるのは必然であり、そのアメリカに追随する「フォロワー」にも戦略が要る。そこに卑屈さや悲憤慷慨が入るから話が不透明になるだけだと感じます。


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2008年02月18日

都市と限界集落、その他あれこれ

 風邪が治りきらずにヨレヨレですが、いろいろおもしろい話を聞いたので、ちょこまかとメモ。「大きい」のは整理中なので、作業が終わったらという感じでしょうか。「時の最果て」ですので、適当に「リライト」しております。

 まずは、東京と大阪という「二都物語」。とある「東京代表チーム」が「東京と大阪を比較すると、東京の方が独創性・起業・市場性などの点で優位な立場にあって差がついたというレポートを出すんですが、いかがですかな?」と「大阪代表チーム」を挑発して、これは荒れそうだなあと「外野」としては高みの見物。キレルかな、キレルかなと思ったら、「大阪代表チーム」が元気がなく、「おっしゃる通りなんですが、成田と関空をとっても一方は全額、国が負担、関空は大阪府が出資している状態でして」と愚痴モードで、「東京代表チーム」が慌てて、フォローに回る状態でした。ありゃまという感じ。

 「外野」はどう見るかという感じで、私が口を挟みました。「まず、会議室に貼ってある東京都心の地図と大阪市の地図を比較すれば、緑地が東京の方が多いという時点で勝負ありでしょう」と言ったので、「東京」も「大阪」も「はあ?」という感じになりました。「だって、ムダが少ない状態では高級住宅地やそこまでゆかなくても住みやすい街にはなりませんよ。あと、大学なんてムダそのものですけれど、山手線の中に山ほど大学がある街と環状線の中に一つも総合大学がない街では比較にならないでしょう。どっちもゴミゴミしていて田舎者には住みにくそうですが、東京の方がはるかにマシ」。てなわけで、「東京」対「大阪」という話から、実は意外な発想が地方で生まれるんだよなあという話になって、まともな人たちを「時の最果て」に連れて行ってしまいました。ただ、そのような人材の吸引力でも首都圏と近畿圏では勝負にならないだろうなという感じです。大阪にアドバイスをするとしたら、ムダを意識的に残すことは難しく、ましてムダをつくることははるかに難しいから、せめて治安ぐらいよくしたらというところでしょうか。

 もう一つは、「限界集落」。かんべえさんがでると思い込んで『サンプロ』を見ておりましたが、あてが外れて適当に見ていたら、なんの議論をしているのかまるでわからない。霞ヶ関と永田町と「戦争」するそうですが、そんなことをしている間に、コミュニティを維持できないところがボロボロでちゃいそう。てなわけでなにも期待できないのですが、北海道の方がいらっしゃらなかったので、東北地方と中国地方が深刻だという話に。自治体レベルでは、どこかで線引きをして集落から市街地に移住していただくか村落への公共サービスを維持するかを決めようとしていて、線引きの基準の一つが「足の確保」。自治体でタクシーと乗合バスの中間のようなサービスを供給しても、利用が今一つで話を聞くだけでも悩ましいです。自治体では小回りが利かないので、NPOを立ち上げようという動きが広がっているようですが、痛みを和らげるのが精一杯で、なかなか厳しい印象です。

 浜松市も政令指定都市になる過程の合併で磐田郡の佐久間町や水窪町、龍山村などを吸収したようですが、地元では長期的には集落の維持可能性に懸念があるようです。知人の中には市は集落を切り捨てようとしているという批判もあるようですが、他方で公共サービスを維持すること自体、大変でしょう。素人的には農業以上に国内の林業を維持する努力を怠ってきたツケがこの10年ぐらいで顕在化してきている印象です。限界集落は、高齢化、人口減少社会の難しさを集約している問題だとは思いますが、同時に、山間部が多い国土の保全という問題にも関係がありそうな印象です。財政制約や所得再分配の問題が大きいのでしょうが、限界集落を「維持する」とか「切り捨てる」とか感情的な議論を離れて国土の保全という観点で見直す必要があるのかもしれないと感じました。「ベスト・ソリューション」が存在するのかすらわからない問題に真剣に取り組んでいる方たちの真摯さには頭が下がります。

 今回は話題になりませんでしたが、離島の問題も悩ましいです。このまま、人口減少が進めば、極限では無人になってしまう島が増えるでしょう。人口減少の問題は、主として社会保障や財政、景気など経済の視点からされる議論が多かったという印象をもっておりますが、国土の維持という点で見ると、また違った景色になります。

 素人の浅い観察にすぎませんが、霞ヶ関や永田町とドンパチするとか派手な話も不要ではないのでしょうが、もっと地道な話を伺いたいものです。私には無縁ですが、「あそこの局、あれだけインタビューを受けるときに念を押したのに、俺の話の一部だけ都合よく切り取りやがった」とか「私は、取材でしつこく誘導されましたけれど、それは言えませんと5回繰り返したら、向こうが根負けしましたね。あははは」なんて話を耳にしたものですから。「どうりでまともな方はテレビにでないんですね」とツッコミを入れたら、「いやいや私がまともなんて、とてもとても」という方たちでしたけれど。「でも『色物』が多いでしょ?」と誘導尋問したら、否定するお答えがでなかったのはなんなんでしょう。
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2008年01月28日

セキュリティ余談

 日曜日の最大のイベントは、グラフィックボードの「換装」でした。などと書いていると、日記みたいで自分では嫌なのですが、けっこう感動しました。バッファローのGeForce 6200を搭載したグラフィックボードをアマゾンで購入して日曜日に届きました。本当はソフマップで買ってワランティをつけておきたかったのですが、取り寄せ状態になっていたので、届く時期が悪いと、そんなことしてられるかとなりそうだったので、在庫を持っていたアマゾンで注文しました。驚いたことに、PCのパーツまでレビューがついていて、たいていは高い評価なのですが、最新のレビューにBIOSでひっかかるとあったので、注文した後で気がついたのですが、届いて大丈夫だろうかとドキドキしました。素人さんにありがちな話です。

 とりあえず、旧PCから周辺機器をすべて取り外して電源を抜き、マシーンの「蓋」を開けようと背面を覗くと、ほこりだらけ。慌てて、掃除機で取り除きました。長いこと手入れを怠っていたのでひどい状態でした。デルのケースは、古いタイプということもありますが、お世辞にも高級感はないのですが、操作が楽で、ボードを取り替えるために中を開けるのも気軽です。誤解のないように書いておくと、上下のボタンを押さなくてはならないので、まず勝手に開くことはありません。デフォルトのグラフィックボード(グラボ)を抜いて、びっくり。これはPCIじゃなくって誰が見てもAGPです。注文する前に見ておけばよかったとがっくり。確か、AGPだと3000円ぐらい安いはずで、しまったなあと。これも素人さんのやりそうなミスです。大丈夫かなと思いながら、PCIバスに取り付けて、ほいほいとキーボードやマウス、スピーカーなど必要最小限のモノだけ取り付けて、最後に電源ケーブルを挿しこんで、スイッチオン!なんのことはない、普通に起動してドライバをインストール後、再起動してあっという間に終わりました。この間、30分程度。

 ねらい目は、GeForce 7600でしたが、ほとんどがPCI Express対応型だったので、無理かなと思って、6200にしましたが、私には十分すぎるぐらいの性能です。あらぬことに、欲求不満の原因の一つだった『三國志11』を起動すると、完璧に動作して感動しました。画像解像度が1024×768ピクセルでは画面を正常に表示できないのが不思議でしたが、他はほとんど完璧で、強いて言えば、ちょっと重いかなというぐらい。こちらは、CPU(Pen4の2.4GHz)とRAM(512MB)の問題が大きいのでしょう。この程度なら、まだまだ現役という感じでしょうか。ついでといってはなんですが、ウィルスバスターも2008にアップグレード。

 実は、年々、ウィルスバスターも重くなって嫌になっていたので、2007で大変だなあと思っていて2008へのアップグレードを避けておりましたが、トレンドマイクロのサイトではメモリを食わなくなりますよと書いてあったので、早速、試してみました。アップグレードには数十分要することがあるという趣旨のことが記されていたので、ちょっとだけドン引きしましたが、ADSLで約15分程度かかるというファイルのダウンロードが1分たらずで終わって、ありゃまという感じ。インストールも数分で終わって、再起動して最新のパターンファイルを更新。ここまで10分で終わって、念のために検索をかけた状態にして外出しました。さすがにこれは時間がかかりそうなので、パソコンが「お仕事」をしている間に散歩をしましょうという魂胆でした。

 これで、AGP対応のグラボを買って、PCI対応の方を新しいパソコンに回せばとうまくゆくかもというのは素人の浅知恵でしょうか。新しい(とはいっても、買ってから半年が経過しましたが)PCはもちろん、PCI Express(x16)なので、もっとよいのがほしいのですが、ロープロファイル対応でこれというのが見当たらず、言いにくいのですが、ATIはドライバが今一つという感じなので、旧世代のグラボでも、CPUやメモリーの量(ムダに3GBをとっています)でカバーできるかなと。ちょっとだけ不安なのは帯域の問題ですが、たぶん、大丈夫でしょう(本当か?)。グラボの問題が解決したら、旧PCはネットに接続して、新しい方はスタンドアローンで仕事専用にしてしまおうかと。完璧にはほど遠いですが、なんとかわが家の「情報セキュリティ」は確保できそうです。


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2008年01月26日

情報セキュリティとルール(後編)

 PC環境を一世代前の状態に戻してみました。昨年、購入したPCの性能は抜群なのですが、なぜかグラフィック関係が異常に弱く、ロープロファイルなので適当なグラフィックボードが見当たらない状態です。他方、古いPCは5年ほど前に購入しましたが、ウィルスバスターでも重たい状態でこれはちょっとつらいなあと。ただ、グラフィック関係の安定感は異常でして、「GeForce 4 MX420」という「化石」になりつつあるボードですが、不思議なものです。『大航海時代IV』をやったのも、こちらのマシーンでした。データの移転の関係でウィルスバスターをアンインストールした後で再インストールしようとするとエラーが続出して放置していたのですが、トレンドマイクロのサポセンに電話をしてみたら、サイトのFAQに載っている程度のエラーで恥ずかしい思いをしました。アンチウィルスソフトが使えるとなりますと、あとはグラフィックボードを変えてしまえば、古い方がなにかと快適でして、昨年購入した分をデルに見てもらうことが可能に。ただ、バスが古いタイプのPCIですので、なかなか適当なグラフィックボードの入手が難しいのですが。ちなみに、周囲はノートン先生が好きな方が多いのですが、なにせ重くてたまらんという感じ。このあたりは好みの問題でしょうか。

 「道草」が長いのですが、昨日の話の続きです。実は、「ネタ振り」役の方と帰り道が同じだったので歩きながら、会話をしていたのですが、家庭のエンドユーザーでアンチウィルス対策をしている割合が3割程度というアンケート結果があるという話になって、ちょっとびっくりしました。また、脱線ですが、気がつくと、最も使用頻度が高いPCはすべて外国製でして、IBM→ゲートウェイ→デルときて、最近はもう自作するしかないかなと。AMDのデュアルコアの性能のよさにびっくりしましたが、仕事で使う分と遊びの部分のバランスが難しく、仕事でも3Dを使う機会が増えているので、微妙です。もはやPCなしの生活は仕事でもプライベートでも考えることができないので、多少、カネがかかっても、セキュリティの確保は絶対の条件です。盗まれて困るデータはあまりないのですが、使えなくなるのが困ります。そんなわけで、家庭用エンドユーザーの7割程度はアンチウィルス対策をしていないという結果は、ちょっとびっくりでした。もちろん、アンケート調査ですし、サンプルが偏っている可能性があるようなので、この数字を鵜呑みにはできないのですが、思わず耳を疑いました。その方を信用していないわけではないのですが、Windowsだったら、警告が出るんじゃないですかとか、気の利かないツッコミをしてしまったところ、「警告がでないように処理しちゃう人もいるんですよ」と微笑を浮かべながらあっさり返されてしまって、思わず言葉がでなくなりました。

 「ネタ」の段階ではスパムの負の経済効果がメインでしたが、こちらも実感がなくて的外れなことばかり尋ねていたかもしれません。スパムの処理で平均で5分程度余計な時間がとられるということでしたが、なんとなく実感がわかず、ピンとこない。職場でもスパムの処理で苦労している方が少なくないのですが、勤務先のメアドにスパムが紛れ込んだのが2回ほどで、必要なメールが読みとれないほど攻撃されたことがないからでしょう。それでも、スパム対策をしている会社がほとんどではないかと思ったのですが、大手企業でさえ、40台に1台程度はウィルス対策が不十分で、単にスパムに攻撃されるだけでなく、汚染されて他のPCにスパムを発信する「ゾンビ」化したマシーンが存在するとの事で、これもびっくりでした。もちろん、平均ですので、そんなマシーンがないところにはないのでしょうが、アンケートをとるコストが低い大手企業ですらこの状態というのは意外と高い印象です。

 ICTの普及のおかげで、セキュリティの問題は大切だとは感じていましたが、意外と深刻だと気がついたしだいです。ここからあとは、「ひそひそ話」の域を出ませんので、お読みになりたい方は、「続き」をどうぞ。


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2008年01月25日

情報セキュリティとルール(前編)

 まず、「事務連絡」ですが、右サイドバーの「時計」を読み込むのがやたらと遅いので外しました。こんなところで油を売っていてはまずいですよという軽い皮肉と、私自身が時計を確認するためにいれておりましたが、最近、やたらと重いので外しました。その他のツールもいじってシンプルな方向へもってゆく予定です。

 気がついたら、アクセスカウンターが20万を超えていました。こんなブログでも、お読みいただいている方に感謝いたします。アクセス数が減少傾向にあるのですが、さらに激減させることを書きますと、過疎地でも物好きな方はいらっしゃるようで、人様に情報を提供しようという志がない人間が書いているブログでも、「中の人、生きてる?」とか「長いから暇つぶしにはいいか」とか「外道」ならそんな感じで読むブログの一つなのかなと。

 ブログの管理画面を見たら、ページビューが一日4000を超える日が続いていて、アクセス数の割に変だなあと思うのですが、RSSリーダーで読み込まれた分を含んでいるようなので、ブログ本体にアクセスせずにお読みいただいている方が多いのかな思いました。ちなみに、さくらインターネットに移ってから、昨年1月までのページビューが累積で854,699件、ココログのときを含めると、937,347件で多いのか少ないのか、自分でもよくわからないのです。ちなみに、昨年の12月はかんべえさんの「テロ」で月間のページビューが69,251件と大幅に増えて、泣きたい気分になりました(本当はテロを抑止したいのですが、怒らせると怖そうだなあと。めったに怒らない方だけに、いってはならない一言で無言のプレッシャーを感じ、屈してしまいました)当初は顔見知りの方だけにご連絡を差し上げていたのですが、あまりのコメントの少なさに悲しくなり、「開放路線」へ転換しましたが、いろいろな刺激を頂いて恐縮です。

 さて、ネットで情報を発信しようという心意気はまるでないのですが、昨日の勉強会でふと思ったことがありました。どうも、日本人は情報はタダだと思っているのではないかという「寝言」です。その前振りがありますので、まずはそちらから。「余計なルールをつくると、守られるべきルールが軽んじられる」という話です。


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2008年01月21日

「カネ」から見る日本の政党の「衰退」

 政治的リーダーについて考えるはずでしたが、議会制民主主義で政党政治の下では政党がその担い手を養成する最も重要な機関であるというあまりに当たり前の結論に私自身が脱力してしまいました。書き始めた頃は深く掘り下げるはずでしたが、準備と分析が甘い私ではこのあたりが妥当なところでしょうか。ただ、戦前の政党政治の衰退は、政党間の党争から説明されている場合が多い印象がありますが、そんなものはほとんどの民主政につきもので、政治的リーダーが「独断」にせよ、「調整」にせよ、リーダーシップを発揮できるかどうかが肝心だと思います。

もちろん、コンセンサス形成に失敗すれば、政治が機能麻痺に陥り、重大な決定ができなかったり、逆に致命的な決定をする危険もあるのでしょう。戦前の場合、「暴支膺懲」という世論を抑えることができず、一歩一歩、英米の覇権に挑戦するという軍部の動きを抑制することができませんでした。それが、党争に明け暮れた政党の衰退として見ること自体は間違ってはいないのでしょうが、問題は党争のプロセスで強力な政治的指導者を生み出すことができなかった政党の「活力」だと思います。現在の国内政治に悲観的な見方をする方が圧倒的に多く、私自身も同様ですが、問題は今後、与野党問わず、強力な政治的リーダーシップを発揮する人物を継続して排出できるかどうかだと思います。民主政は強力なリーダーシップによって補完されなければ持続することができないというのは、古代のアテネから現代のアメリカまで大雑把でも「散策」すれば自明ではあります。肝要な点はこの国の場合、戦前から戦後まで政党が政治的リーダーを養成するメカニズムを欠いていたのではないかという「寝言」です。

 今回は、そのようなリーダーを育成する政党を財政、あるいはより素朴に「カネ」の面からざっと見てみましょう。ただし、いわゆる「政治とカネ」で問題となる政治資金規正法がらみの話は無視して、政党の「活力」を政党の収支から簡単に考えて見ましょうというわけです。下記の表は、総務省の「報道資料」(平成19年9月)の平成19年9月14日付の「平成18年分政治資金収支報告の概要」、「平成18年分政党交付金使途等報告の概要」から作成しました。なお、政党交付金は一般には「政党助成金」と呼ばれています。また、総務省の資料では政党交付金の合計は317億22百万円となっておりますが、下記の表では各政党の政党交付金を単純に合計しているので、百万円ほど多くなっています。平成18年は国政選挙をはじめ、大型の選挙がなかった年であることも付記しておきます。


平成18年の政党の収支と政党交付金

				(単位:百万円 %)
  収 入 支 出 政党交付金 交付金の比率
日本共産党 28,197 27,132  0 0.0%
自由民主党 26,161 20,229 16,847 64.4%
公明党 14,439 13,981 2,859 19.8%
民主党 12,502 7,359 10,479 83.8%
社会民主党 1,955 1,443 1,006 51.5%
国民新党 439 391 267 60.8%
新党日本 176 127 160 90.9%
自由連合 131 131 105 80.2%
計 31,723

(出所)総務省「平成18年分政治資金収支報告の概要」(2007年)
    総務省「平成18年分政党交付金使途等報告の概要」(2007年)

 この表を作成して驚きましたが、共産党を除くと、民主党は8割以上、自民党でさえ収入の3分の2近くを税に依存していることになります。「平成18年分政治資金収支報告の概要」によると、政党別のデータがないのが残念ですが、同年の「寄附収入」が約220億円、「政治資金パーティーの対価に係る収入」が約127億円となっており、合計でかろうじて政党交付金の合計を上回っているのが現状です。ちなみに、「事業収入」は約475億円と最大の項目ですが、共産党の収入が大きく利いている可能性があるので排除しました。なお、政党交付金は支出額から算出しているので、収入との比較は適切ではない可能性があります。また、各政党の収入に政党交付金がどのように繰り入れられているかも不明ですので、あくまで粗いデータであることにご注意ください。

 簡単な分析ですが、民主党が収入の約8割強を政党交付金に依存していることは、同党が現状では支持者を中心とする自発的な献金によって政治活動を行うことができない状態であることを示していると思います。いくら政治活動にカネがかかるとはいえ、それに見あう収入を自ら獲得できないという状態では、政治的リーダーを輩出するのは困難なように見えます。もちろん、カネを多く集めることがリーダーシップのすべてではありませんが、有権者に対して魅力的な提案を行い、活動に見あう収入を確保する能力がないという点では、リーダーシップの発揮を期待するのは困難だと思います。この状態が改善されなければ、政権を担ったことがないという点を割り引いても、将来的に政治的リーダーを育成することを期待することは無理があると思います。

 民主党以上に深刻だと感じるのは、自民党の収入の3分の2近くが政党交付金に相当するという結果です。現下の自民党は、私などが言うまでもなく、「結党以来の危機」なのでしょうが、政党の財政という点から見ると、政権与党ですら、有権者から活動にふさわしい資金を集めることができないという惨状を示していると思います。本来なら時系列でこの比率を調べたいのですが、自民党の収入の約6割程度は政党交付金に依存しているという状態は、この数年で変化がないようです。政党交付金が導入されたときの論点の一つは、有権者が政党への寄附を行うことが少ないということだったと記憶しておりますが、政党交付金が定着することは政党に自発的に寄附その他の形で有権者から活動に必要な資金を供給するよう説得するインセンティブを殺いでいるのではないかという危惧を抱きます。

 日本人のボランティア精神、あるいは公への奉仕という精神が弱いという指摘はある程度まで正しいのでしょう。しかしながら、この国の憲法で明確に定められた唯一といってもよい「エリート」である国会議員・地方議員が活動に必要な資金すら自前で確保できないという現状は、単に日本人の意識が低いという問題ではなく、それをリードする側の力のひ弱さを感じさせます。現状では、政治的リーダーを育成する機関として政党しかないのにもかかわらず、期待ができないのは、収支の面から見ても、「マネジメント」とリーダーシップの発揮をまったくといってよいほど感じないからです。

 アメリカ大統領選挙は「金権選挙」といってもよいほど、莫大な金額が支出されます。その善悪是非はおいて、この国の政党が政治的リーダーの養成機関となる主要な前提は、政治活動に必要な資金の大半を自ら賄うことだと思います。政党助成金が憲法違反かどうかとか廃止すしべきかどうかというのは、いかれた「外道」にはとるに足らない問題だと映ります。問題は、法律にいくら公共心や公の精神を書き込んだところで、その精神を喚起するはずの「エリート」の集まりである政党自身がまるで貢献できていないという現状だと考えます。
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2007年12月26日

サイレント・マイノリティのため息

 まずは「事務連絡」です。コメントスパムがこの5日間程度、まったくこなくなりました。他方で、コメントを頂戴しておりますので、コメントおよびトラックバックに関しては、受付後、私の承諾なしで反映されます。なお、過去の記事でスパムが集中した記事に関しては、今回よりもかなり前にスパム対策をしている記事があるかもしれません。自分でもどの記事であるのかは覚えておりません。どの記事が該当するのか確認するには一つ一つの記事ページをチェックしなければならないので、あまりに手間の多い作業です。ご了解ください。

 最近は、経済や金融、産業などに関する記事が増えております。それぞれの記事に関して有益なコメントを賜った方々にお礼を申し上げます。また、アラメイン伯様には刺激的なコメントを賜りました。最近、ネットでは「出不精」になっておりますので、あらためて落ち着いたところで、こちらからも参らせていただきます。

 さて、今日のお題は、財政と金融です。とは言うものの、実際には、安達正興さんかんべえさんに便乗しようという軽い話です(気がつくと、お二人とも実は岡崎研究所つながりでサイトを知ったという、偶然があります)。安達正興さんは「サブプライム基金、爽快に頓挫」という記事で、懐かしの吉牛コピペなら「ウォール街ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ」というノリで非常に爽快でした。まずは、アメリカ国内でちゃんと対策を打つことが先決でしょうね。各国の対応が確立していない状態で無理に「国際協調」という美名を掲げても、所詮、無理なものは無理。なにしろ、損失の総額すら見えない状態で(『日経』は世界全体で10兆円という金額をだしておりますが)、慌てる必要はなく、中央銀行レベルの資金供給という点では協調体制はありうるのでしょうが。

 かんべえさんは、「不規則発言」(2007年12月25日)「埋蔵金伝説」のフォローでこれまたよくまとまっているなと。ただちに長期金利が上昇するリスクを織り込むのは早いとは思いますが、余剰金の趣旨などがちゃんと説明されれば、「埋蔵金」と騒ぐほどのことでもないと思います。かんべえさんが財政融資資金特別会計に関する財務省の対応を肯定的に評価していて、政党・役所・マスコミを叩くばかりのネットの風潮には辟易しているので、安心感があります。マクロレベルのISバランスのみから財政の維持可能性を議論するのは無理でして、日本の国債市場の特殊性のほうが大きいのでしょう。枠組み自体が粗っぽい会計程度の話ですし、貯蓄超過を吸収するのは政府部門だけとは限りません。そうなっているのは、金融機関のビヘイビアが大きいわけで、これが変わってくると、貯蓄超過の状態でも、財政は更にタイトになる可能性があります。当面は、変化の可能性が低いでしょうが、財政再建は「マラソンレース」ですから、現状で貯蓄超過が政府部門に回っている状態を長期間にわたって持続すると考えるのは、危険だと思います。

 経済の面から見ると、来年は厳しい一年になりそうですが、この国全体を見ると、政権交代「リスク」が最大の不安定要因にも見えます。韓国大統領選が終わったあとの忘年会で韓国も政権交代したし、オーストラリアも同様で、次は日本かなと話題を振ると、重苦しい雰囲気に。30代が中心だったので年金などは話題になりませんでしたが、「補給活動を認めない民主党が政権をとったら、日米関係は大丈夫ですか」という疑問をもっている人は少なくないようです。アメリカとの関係をマネージできない政党が政権を担うのは無理だろうというのが、私自身もそうですが、周囲の同世代では非常に多い印象があります。逆に言えば、外交や安全保障でコンセンサスが形成されれば、政権交代への抵抗感は意外と少ないのかもしれません。

 「大連立」や問責決議案の提出、解散・総選挙のタイミングなどテクニカルなことにはあまり興味がないのですが、外交や安全保障など国の安全に関わる致命的な問題でコンセンサスのないまま、政権交代というのは私ぐらいの世代では、私の知り合いの範囲にすぎませんが、望まない意見が多数です。年金記録問題や薬害肝炎への対応で政権与党への信認は下落する一方ですが、与野党問わず、より根幹にある安全に注意を払っている30代の「サイレント・マイノリティ」もいるということを忘れないでいただきたいと思います。

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posted by Hache at 02:32| Comment(3) | TrackBack(0) | まじめな?寝言