2007年12月15日

日米同盟 冷戦後の戦略の欠如

 刺激を受けてはいるのですが、悩ましい日々です。なんとなく自分が年をとったのか、もとからちゃらんぽらんなのか、根本から物事を考えるということも必要なんでしょうが、微妙に物事、すなわち私(あるいは他人)の生へのアプローチが変わってきていることを実感します。この感覚を表現するのは私の手に余る気もいたしますが、なんとなく黙っていようとしても、喉にひっかかる感覚があるので、あえて「寝言」にしてみましょう。なお、最初は、軽い感覚で書き始めましたが、思考が整理できていないために長くなってしまいました。お手すきの方は、「続き」をごらんいただければ幸いです。


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2007年12月12日

ムダを削る ムダを残す

 『諸君!』12月号で経済論壇の「イデオロギー化」が話題になっておりましたが、そんなものかなあと論壇全般に興味がない私は軽く読み流しておりました。ただ、安倍政権以来の違和感はあって、「なんとか構想」がなんと多いことかと思います。昔の「イデオロギー」は、それが妥当かどうかは別として、それなりに包括的な世界像を与えたものですが、現代では、「とりあえず、消費税は許して」とか「上げ潮」(名目成長率を政府がどうやってコントロールできるのかがまるでわからない)とか、もっとひどいのになると、「インフレ期待の形成を」とか「赤字国債の新規発行をゼロに」とか、メニューを見た瞬間に、「すまん、別の店にする」という按配になりそうです。さらに場末(しゃれにならないことに「議連」ができていたりするわけですが)では「日本版SWF」なんて、「カジノ」に出入りする前に「借金」を返済しろと叫びそうになりますが、その瞬間にどうでもよくなって、なにごともなかったようにお茶をすする。そんな感じでしょうか。4%前後の利回りでご不満ですか、そうですかという感じ。

 だからというわけではありませんが、地味におもしろいのが電力自由化でした。複雑な経緯はわからないので、いい加減なものですが、「官」と「民」の対立で私が知りうる限り、「民」が強い分野という印象でした。「官」の言い分も聞いてみたいのですが、「民」の言い分をとりあえず抑えておきましょうという感じです。半日程度かじっただけのど素人ですが、なるほどと感心することが多く、「一見さん」だけに恥ずかしい質問もできて楽しかったりします。自由化自体はいいんだけれど、料金が低下して消費量が増えるという最も単純ですが、自由化の成果を図る基本が通用しないんじゃないんですかという恥ずかしいことも聞けてしまう(もちろん、料金が安いにこしたことはないのですが)。単に図々しい、ずれた人かついかれた「外道」の発想ですが、自由化を先にやった国では既に議論が終わっているようで、表現が悪いかもしれませんが、ことを急かないほうがよいことが多いことも感じます。こんな脈絡がないのが「時の最果て」の流儀ですので、かんべえさんの「釣り」にひっかかった方は早々にご退場なさるのが精神衛生上、よろしいかと存じます。印象に残った点を私自身のためにメモとして残しておきます。
  
(1)電力サービスの品質と信頼性

 電力業界では「安定供給」の内容を十分に整理してこなかったのではないか。単に停電が起きないなど表層的なレベルだったのではないか。発電から送電、最終消費者への供給までのプロセスで品質と信頼性を区別して安定供給を考える必要がある。

 品質は、(1)周波数、(2)電圧、(3)電気の波形などの要素で示すことができる。これらは消費者には通常、知覚されない要素である。信頼性は、消費者が知覚できる要素であり、停電などのような極端な自体から、精密機器に代表されるようにちょっとした電力の品質の変化によって停止してしまうケースなどある程度の幅がある。この区別は形式的に聞こえるかもしれないが、発電の分散化によって、異なる品質の電気が混在してしまうと、事業所によっては電力供給が事実上ストップしてしまう。このような事態を避けるために投資を行っているが、案件によっては数千億単位に上ることもあり、発電の分散化がただちに費用削減や品質の向上、信頼性の改善につながるわけではなく、むしろ、逆の事態を招くことが多い。

 東西の周波数が異なるために、東西で電力を融通するためにも投資が必要となる。他方で、投資の効果に関しては主として金銭的な評価が中心であるが、品質や信頼性の観点から評価することを含める必要がある。

(2)計量分析とシミュレーション分析

 均衡解が存在しないという結果は、ある程度想定してはいたが、解釈が難しい。最も単純に解釈すれば、東西での電力の融通のために中途半端に投資するならまとめて投資をするか、そうでなければ、ケチった方がよいということになるが、乱暴すぎる。計算自体は、本当に簡単になった。もっと簡単にすればExcelでもできるぐらいだ。ただ、でてくる結果の解釈は難しくなっている。

 計量分析の積み重ねがまだ貧困だ。3つや4つでは、検証にはならない。理科系並みとは言わないが、もっと研究者が参入してせめて20ぐらい同じデータで検証するぐらいにならないと、話にならない。電力分野はまだ恵まれている方だが、まだ研究の蓄積が必要だ。

(3)すべては変わってみな同じ

 自由化はしたものの、ピーク・非ピークや非貯蔵性など電力サービスの特徴は変わらない。料金水準が低下したものの、料金体系も昔とさほど変わらない。とくに外部の人に理解されないのは、電力の場合、瞬時の変化に対応を迫られるが、それに備えるためには無駄なぐらいの投資が必要だということだ。これをどんどんと削らざるをえない。最近は、昔の電力マンの知恵を聞きたいと思うこともある。ただ、「大家」と呼ばれる人たちの話は面白いが、系統的に受け継ぐことが難しい。よく聞いていると、考えさせられることが多いが、「交通整理」がまるでできていない。もっとも、自分が年をとったときに同じことを言われるのかもしれないけれど。

 ざっと記憶のままに並べただけですので、あくまで個人的なメモです。私の解釈がかなり入っているでしょう。ふと思ったのが、"redundancy"を意識的に残すことというのは難しいなと。自由化で「ムダ」を削るほど、ギリギリで操業しなくてはならなくなります。最近では、大都市圏で大規模な停電がなくなって、家庭がまるで慣れていない状態です。もちろん、停電がない方が望ましいのですが、いざというときの備えが私自身、できておりません。昔は、停電があると、最初は慌てるものの、何事もなかったように、父上が懐中電灯と蝋燭を取り出したものですが、20年以上前と比べて、電力に依存する生活環境であるにもかかわらず、個人の備えは足りない。

 「市場原理主義」という、おそらくは2000年近い歴史を誇るであろう、陳腐なお題目の批判には組しませんが、インフラストラクチャーという地味なところから見ると、市場がありとあらゆるところに浸透しているにもかかわらず、それが機能しなくなったときの備えがあまりにないことに気がつきます。これが唯一の答えというほどのものがあるのかどうかすらわかりませんが、"redundancy"をどの程度の水準で保つのが適切なのかということに市場が解をもっているのかは怪しいかなと思います。
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2007年11月26日

ヨレヨレの「中国論」

 かんべえ先生(教壇に立たれているようなので)の「不規則発言」を11月19日から25日まで読み通すと、面白いのですが、いかんせん、ヨレヨレ。休日にパソコンの再セットアップなんてやるんじゃなかったと思います。完全に生活のリズムが狂ってしまって、今日は2時間しか寝ていない状態。オーストラリアに関しては、雪斎先生安達正興さんの記事を読んでおいて、疲れがとれて、なにか思いついたら、書きましょう。不思議なもので、これが仕事だったらうんざりですが、ついついなにかを書きたくなってしまう。休むほうが無難かなとは思うのですが。

 まず、感じるのは北京と上海でこうも雰囲気が異なるのかという点。政治というより、安全保障が前面に出ると、やはり対立の側面が強く出て日中の落としどころが見当たりづらい感じです。他方で経済がメインになってくると、コンセンサスが形成できないわけではないなあと。中国経済の「バブル」崩壊を中国の弱みと見るのはやや早計だと思います。日本は対中貿易では出超が続いていて、まったくの他人事ではなく、調整のスピードにもよりますが、日本経済にも安泰というわけではないでしょう。問題は、どの程度の影響があるのかという点ですが、業種によって濃淡もあって、率直に言えば、計算そのものは私の手に余ります。起きてみないとわからない(既にそうなっているのでしょうが)部分が大きく、ただ、過度に悲観的にも楽観的にもならないというありきたりな表現ではありますが、対中貿易では、あくまで総計にすぎませんが、買い手というよりも売り手としての立場にあることを忘れなければよいだろうと思います。重商主義的な発想には賛同しかねますが、企業内分業など特殊な要因を無視してざっと見てしまえば、中国経済が日本経済の内需に依存する以上に、日本経済は中国経済の内需に依存しているということを抑えておけばよいのだろうと。他方で、中国政府の経済政策に影響力はほとんどないでしょう。端的にいえば、日中は経済的に融合する部分が大きい一方で、政治的にはその利益を活用する(あるいは不利益を回避する)ことは困難であろうという見通しになります。

 こんなことを書いておいてまるっきり正反対のことを書いてしまうと(まさか上海からこちらを見てこんなに善人なんだぞと「不規則発言」を書かれたわけではないのでしょうが)、かんべえさんもずいぶん丸くなったなあと。「お馬鹿な質問」と一刀両断にされていますが、バブルの経験が初めてなら、頼りにされるのもやむなしというところでしょうか。陳先生はしっかりされているなあと感心してしまいます。ただ、このように自由な雰囲気は北京では例外のようで、首都と経済的に繁栄している都市との違いでしょうか。「対日デモ」の終着点が上海であり、その時点では反政府運動へと発展しかねないと勢いであったことを思い起こすと、中国が一つの国としてまとまってゆくのは容易ではないように思います。

 台湾海峡で強硬姿勢を崩すのはやはり難しいのでしょう。私は今でも、中国が台湾の併合を実現するならば、中国が音頭をとって台湾の国連加盟を支援して実現するという岡崎先生の「上策」がベストであろうと考えております。台湾の世論が親中に流れれば、日米が泡を食ったところで、打つ手なし。これがなぜできないのかをうんうんとない頭をひねって考えておりましたが、著者ご自身とお話した機会に不思議そうにされていました。「どうしてだろう」。PCの再セットアップで干からびた、なけなしの脳みそを酷使すると、まず、中国共産党指導部には民主主義というものが感覚的にわからない部分と国内的制約でしょうか。台湾の「独立」を認めた上で「併合」しようというのは、トリッキーなようにも思えますが、意外と民主主義国をなびかせるには脅迫よりも強力でしょう。台湾海峡の軍事バランスは、中国側の努力にもかかわらず、武力行使に及べば、日米の干渉がなくとも、台湾が独立を保つ可能性が高いのでしょう。他方で、「一つの中国」という虚構は、対米外交ではある程度まで成功を収めているようにも見えますが、いざとなればアメリカはどう出るかわからない部分があると思います(アメリカの行動を制約できる国など他にもないでしょう)。こうなると根競べみたいなもので、中国は言い続けるしかないのかもしれません。言わなくなれば、中国のナショナリズムの正統な代表者としての地位を中国共産党が失うのかもしれません。そんなことをしなくても、中国がアイデンティティを保つことに苦労しないのが望ましいわけですが、まだ時期尚早なのでしょう。

 日本人が中国の政治体制を論じるときに暗黙に民主化した中国が望ましいという価値判断が、濃淡の差はありますが、混ざっていることがあります。果たしてそうなのかは、私にはわかりません。中国人自身が決めるべきことと書くと、優等生的に響くのかもしれませんが、私自身は突き放した見方として、そのように見ております。大陸に深入りすると碌なことがないという感覚があることは否定しませんが、中国が民主化した後に台湾併合を断念するという保障はどこにもありません。露骨に言えば、中国共産党の独裁体制下であろうが、民主化された体制であろうが、中国との外交は必要なのであって、それをいちいち面倒がっていては筋違いであろうと。強いて両者を比較すれば、民主化された政権の方がより中国の発言力は国内のコンセンサスを透明に反映したものとして、より強くプリゼントされる可能性が高いでしょう。打算だけでゆけば、案外、一党独裁体制の方が付き合いやすかったということもありうるでしょう。

 現状では、経済では相互依存が優勢であり、安全保障では対立する側面が強く、「ねじれ」が生じています。ありきたりではありますが、国内の「ねじれ」とともに、対中関係における「ねじれ」と辛抱強くお付き合いしてゆく粘り強さが肝要だと考えます。まあ、いかれた「外道」の「常識」からすると、「ねじれ」の一つや二つで参っていては、私のひずみだらけの人生などどうなるのよというところでしょうか。
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2007年11月15日

制度改革と「保守的な」私

 私は、断じてよき「組織人」ではないのですが、歳をくってきたのか、「組織人」として振舞ってねというプレッシャーがかかってきて、正直なところ、どう逃げの手を打つのかでない頭をしぼっています。会議が増えてきて、疲れがたまっておりますが、組織全体のことを考える場で、周囲を見ながら、自分のタイプを考えてしまうあたりは、いかれた「外道」というところでしょうか。あまりブログで自分の職場のことを書くこと自体、含羞もあるのですが、それ以上に自分が、政治ポジションとは無関係に「保守的」であることに気がつきます。

 制度を見直す際に、いろいろと個性がでて、会議自体をサボっているわけではないのですが、なんとなく発言する方の個性を見てしまう。私と対照的なタイプは、明確な理念と将来のビジョンをもち、制度改革に情熱を燃やす方です。実は、20代半ばぐらいまで自分ではそういうタイプだと思っておりましたが、40まで700日+αになってから漸く、そのような資質がないことに気がつく。とくに、理念で引っ張ってゆくリーダータイプではない、俗人だなあと実感します。理念やビジョンをもたず、現状を用心深く見渡して、動かしてはまずい制度を見極めることに専念するタイプかなと。頭の中で逆の作業をすることもあります。ある制度を変えると、どこで支障が出てまずいのかとか、私も含めて実際に作業を行うサイドでコンセンサスができるのかどうかとか、オヤジ臭いことばかり考えてしまいます。このあたりは、上層部でチェックが入るから大丈夫だろうとは見ているのですが、制度改革を考える場で、ついつい逆のことばかり考えてしまいます。簡単に言えば、変えない方がよい制度を見極めることと余計な仕事を増やさないための方策(正直なところ、自分も「被害」を受けますからね)に足りない頭の9割方が集中してしまいます。

 「革命」よりも漸進的な「改革」、「改革」よりも「改善」、「改善」よりも「現状維持」を好むタイプなんだなと。もちろん、現状維持だけでは現状も維持できないことはわかるのですが、改革とともに余計な仕事が増えるという感覚も強く、経験が浅いせいか、制度変更による費用対効果の分析がパッとできないというだけのことかもしれません。ただ、周囲があれこれ騒いでいるときに、私一人はボーと「寝ている」状態のうちに、落ち着く先が見えてきて、このあたりでしょというのを考えるタイプなのかなと。ただ、このやり方では変化に追いつけない可能性が高いわけでして、欠点も多いなあと思います。

 「お仕事」を遊びにしてはいけないのですが、考える対象自体は変化しないのに、考えてゆくうちに変えてないほうがよいと考えていた要因そのものは変わってゆく思考のプロセスを楽しんでしまいます。変えてもよいかなという要因が見えたと思ったはなから、ダメだということがわかる。気がつくと、普通に考えればわかることだったりします。なんと私の思考の迂遠なことよと嘆きつつも、そのような思考のプロセス自体を省みるのが楽しい。考えるばかりでことをなす人間ではないことを自覚しますね。しみじみ、よき組織人にはなれそうにないことを痛感する日々が続きます。
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2007年10月17日

鏡の国のリリス

 適当にネットの記事を見ていて、中央線での痴漢行為の検挙数が埼京線を上回ったとの記事があって、「へえ」と思っておりました。確認しようとしたら、どの新聞社のサイトを見ても、そのような記事がなく、どこだったんだろうと思いましたが、「はてなブックマーク」で『朝日』のサイトだったことがわかりました。残念ながら、『朝日』のサイトでは当該記事を読むことができないのですが、女性専用車両の導入の効果にも触れていたと記憶しております。女性専用車両の導入には賛否両論がありますが、私自身、導入当初、やや懐疑的でした。1車両程度では、被害にあった経験の多い女性が十分に収容されるのかどうか疑問がありましたし、男性サイドとしては駆け込み乗車は危険ですし、他の乗客にも影響が出かねないなど好ましくないとはいうものの、急いでいるときにはやむをない場合も多く、女性専用車両が最も近い車両の時にはどうするんだろうとか、下らないことではありますが、痴漢被害の軽減と他の面での乗客の利便性の比較考量ができているのだろうか、やや疑問でした。

 現段階で女性専用車両が痴漢行為そのものをどの程度、軽減しているのかは疑問な点もあります。ただ、ないよりはマシだろうというぐらいには評価しております。今回はこの点には触れずに、どこか、痴漢行為に関して鈍感な感覚がまだまだ根強いという点についてのみ、触れます。

 ただ、痴漢行為そのものには、私自身の性格と、後で述べる経験から、ずいぶん日本社会というのは寛容だなあという感覚がありました。極端な例かもしれませんが、主として義務教育に携わる方たちに極めて高いモラルを求めている方が、知人となると途端に甘くなるという傾向などを見聞きいたしますると、相手によって破廉恥行為の重みが全く変わってしまうという点では、痴漢行為その他の破廉恥行為そのものに関する認識そのものが実は甘いのではないか、そんな疑念をもったりします。私は、他人から体を触れられることと嫌悪感を覚える神経質なところがありまして、こどもの頃から向こうは親しいと思っているのか、頭をなでたり、肩を叩かれたりすると、相手が気がつかないように避けていました。頭を触るというのは、両親ですら許したことがなく、「おばあちゃん子」だったせいか、祖母に「よくできたね」と頭を優しくなでてくれる以外、許したことがありません(「加齢」とともに例外も増えてゆくのは致し方ないか)。もちろん、頭以外の部位に関しても、他人からなれなれしく触れられるのは嫌でして、若い人が記念に肩を組んで写真をとってくださいと言わない限り、肩を組まないぐらい、他人の肉体に触れること自体が苦痛ですらあります。もちろん、若い人が望む場合には苦痛ではなく、らしくない体育会系のノリでがっちり肩を組むのではありますが。

 この手の、新聞でいえば「社会面」あたりで記事が載る話題は、「時の最果て」の苦手なのですが、やはりこのような記事を読むたびに、自分の「被害」が時々、記憶として蘇る部分があります。幸い、一度きりでしたので、当時、大変なショックを受けただけで、現在ではそのような感覚も薄れておりますので、簡潔に自分の経験を書いておきます。

 学生時代(まだ未成年の頃でした)に家庭教師のアルバイトが終わって、日によっては訪問先をでて駅で電車に乗る頃には10時前後になることもありました。アルバイトが終わって最初に電車に乗ったときには満員でびっくりすることもありましたが(田舎からでてきたので電車で定期的に通うという習慣もなく、こんな遅い時間でも混むのかと、ちょっとカルチャーショックでした)、段々と慣れてきました。2年目の秋でしょうか、正確な時期は覚えておりませんが、いつも通り、電車に乗ると、やはりかなり混んでおりまして、帰りの電車の乗車時間は20分程度でしたので、自分の勉強の本を、これまたいつも通り準備して読み始めました。乗車してから2分後程度でしょうか、お尻のあたりに違和感があり、ふだんは荷物があたる程度ならしばしば経験しておりましたが、段々と人間の手であることに気がつき、背筋が凍りました。当時は、ジーパンとチノの両方を使っていましたが、そのときはジーパンだったと思います。まったく身動きが取れない状態というわけではなく、冷静に考えれば、素知らぬ顔をして移動すればよいのですが、ジーパンの上からお尻を触られるという経験自体が非現実的で、冷静な対応ができませんでした。これは私の至らぬところかもしれません。

 もう一つは、田舎では「変質者」というのは女子生徒から聞かされてやっぱりいるんだというぐらいの感覚で、電車で通学している知り合いがいなかったせいか、痴漢による被害という話は聞いたことがなく、なんとなくリアリティがありませんでした。それもあって、こちらが自意識過剰なのかなと放置していたら、お尻から股間にかけて手が撫で回してきて、気もち悪さと嫌悪感と恐怖感が高まり、さすがに耐えがたく、おそるおそる手の主らしき人をたどってゆくと、見た目は当時としてはそれほど派手ではない、ごく普通の20代半ばの女性で、余計に気もちが悪く、次の駅で逃げるように下車しました。目的の駅ではないのですが、あの適切な形容が思いつかないバカにされたような、なんとも心底から屈辱を感じる状況から逃げたいという一心でした。

 今となっては、私が狙われた理由がわかりませんが、当時は、まだ高校を卒業して1年程度でしたから、長距離をやっていた頃に、ヒップが締まっていたようで、女性の友だちとは、「お尻の形はいい線してるよね」とからかわれるので、「お尻だけかよ!」と言うと、ハイハイという感じで「顔もいいわよ」と「トドメ」をさしてくださる状態でした。ただ、そんな冗談が通じる相手でも、突然、お尻を触られたら、お断りですし、まして知らない人となると論外。あの嫌な経験をした後も、何事もなく読書をしたり、講義に出たりしておりましたが、アルバイトはしばらくしてやめました。電車に乗るのが苦痛になってしまったからです。私がひ弱なのかもしれませんが、しばらく電車を見るのも嫌になりました。もっとも、今ではお尻もたるんで触ろうという奇特な方はいないので、平気で満員電車に乗ってつり革につかまりながら、うつらうつらしていることが多いのですが。

 「痴漢冤罪」も深刻な問題でらくちんさんの記事を拝読したときは、怖いなあと思いました。普通の男性にとっては、こちらが「脅威」なのでしょう。痴漢自体に興味がそれほどないので、どの程度の比率で男性が痴漢行為をしたことがあるのか、まったく検討もつかないのですが、冤罪の問題はあるとはいえ、これだけ検挙数があるということは、女性の被害があること自体を否定することはありえないでしょう。さすがに、職場では聞きづらいのですが、やはり、なかにはひどい経験をしたという相談もあるので、データではでてこない深刻な部分があるのを感じます。通勤・通学でそのようなストレスを感じていては、個人差があるとはいえ、やはり大変だと思います。

 痴漢行為に関する分析を読んだことはありませんが、やや厳しい表現をすれば、満員電車などで行動が制約されている中で他人の身体の自由を侵す行為だと認識しております。もちろん、破廉恥行為ではありますが、他人の身体の自由を直接に侵すという点では日常生活の中で最悪のものであろうと。私の場合、自分がそのような目に遭うのが嫌だから、他人にもしないという低いレベルで考えてしまうのですが、自分を律することができない方がいらっしゃる以上、そのような方から被害を受けやすい方を自分を守る選択肢を増やすこと自体は好ましいことだと考えます。もちろん、女性専用車両がそのような方策のすべてではないのでしょうが、効果を評価してゆきながら、対応してゆくことが肝心だろうと。人権問題の多くは、極端な事例が多く、私にはわからないことが多いのですが、ごく日常生活で起きている他人の身体の自由を侵す行為を律することもできなくては、より深刻な人権問題に触れること自体、空々しさを感じてしまいます。また、より深刻な性犯罪では再犯率が高いことが指摘されており、自分で自分を律することもできない人たちの監視に租税が使われること自体、腹立たしい側面もありますが、やはり、やむをえないのでしょう。「二度あることは三度ある」、「三度目の正直」とも言いますし。

 それ以上に、痴漢行為に無意識に寛容な部分が男性サイドにもあるように思うことがあります。私自身が肉体的に受けた苦痛自体以上に、精神的な苦痛は相当でした。他方で、精神的苦痛が大きいにしても、その根源は身体の自由を侵す行為です。痴漢行為にも程度の差があるのでしょうが、どこか身体の自由に関して鈍感な方々も無視できない程度にはいらっしゃるようです。「冤罪」の問題は深刻な側面もありますが、過去の履歴などからある程度、推測できる部分もあり、そのような予断をもつこと自体、危険なこともあるのでしょうが、繊維などを利用した捜査などにより「冤罪」が生じる確率は技術的に低下してゆく可能性があります。問題は、日常生活における自由というのは、どこかで自制が必要であり、その自制できない行為を繰り返す方というのは、やはり社会人として失格なのではないかと。懲罰がゆきすぎないバランスも必要でしょうが、ダメなものはダメと強制する以外ないのでしょう。

 以上のことが偽善的と感じる方はご勝手にという感じ(抑制していること自体は否定しませんが)。それにしても、自制することが難しい時代に生きているんだなとしみじみ感じますね。それにしても、加害した者の心を映しだす鏡があったら、そこになにが映るのだろうかと。悪魔なるものは、心の中にある闇を具象化したにすぎないのかもしれません。 
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2007年10月06日

台湾海峡をめぐる「意匠」

 ちゃみ様のおかげで「マッコンキー」が「麦肯基」とわかりました。御礼申し上げます。土日月とフル稼働ですので、コメントはのちほどということでお許しください。

 話題があちこちにとびますが、今日は、「他人の褌」をそのまま、お借りします。佐藤空将のブログから引用させて頂きます。私自身は、以下の「シナリオ」が生じる確率は無視できる程度に小さいと思いますが、台湾海峡で米中が軍事的に衝突するという、最も極端なケースをシンプルに整理されているように思います。

 話は変わるが、門脇翁が発行しておられる小冊子「あけぼの」8月号に「米国側のある想定」というこんな記事がある。

●2008年北京オリンピックの終了を待って、中国は台湾に対し積極的行動に出る。翌9年1月中国海軍は、中国沿岸を航行中の台湾籍貨物船に対し、臨検を行い武器の有無を調べ、同時に台湾に対する経済封鎖を宣言する。

●これに対しアメリカは、空母と長距離爆撃機と海陸遠征部隊を派遣して、西太平洋地区を防衛する。

●中国はこれを中国への内政干渉であると抗議し、日本政府に対して中立を要求する。

●中国は台湾に対し、200基を越すミサイルを発射して、台湾の空軍基地、指揮センターと主要都市を攻撃する。

●30分後250機の爆撃機により台湾の軍事基地を爆撃。

●アメリカ大統領は、中国の台湾侵攻に対し武力で阻止する決心をする。

●これに対し日本政府は、国会の承認を経なくては、国内の米軍基地使用を承認することは出来ないと、アメリカに通告する。

 これに私の見解を付け加えるとすれば、◎時の米国大統領は誰になっているか?◎彼(彼女?)は台湾防衛を決心するか?◎イラクを中心とした中東情勢はどうなっているか?◎ロシアはどう出る?◎中国バブルははじけていないか?◎日本の首相は誰?福田?麻生?それとも小沢??◎その時沖縄では「11万人大集会」が開かれ「中立宣言」する?

 いやはや、何と無く現実味を帯びた「想定」で、2009年も、想像を超える事態がおきるような気がする・・・

(『佐藤守のブログ日記』2007年10月5日より引用)

 まず、このシナリオでは中国が台湾に対し、臨検や経済封鎖を行うタイミングと手段に関して完全にフリーハンドを有していることが前提のように読めます。現実的な問題として、「台湾籍貨物船」に対してのみ、臨検を行うことが可能なのかどうかは、素人なので疑問が残ります。また、臨検や経済封鎖を行うとなると、中台の往来だけでなく、台湾との通商のある国すべてが影響を受けるわけですから、中国が国際的に孤立する可能性が高い危険な行動でしょう。このような行動を起こした時点で、最後の部分である日本政府が米軍基地使用を事実上、認めないという選択肢はほとんどありえないと思います。

 このシナリオ自体が生じる確率そのものは低いと評価しておりますが、一つ一つの項目は、興味深い点もあるので、素人的に考えてみましょう。まず、台湾の政治日程ですが、立法院選挙が2008年1月、総統選挙が2008年3月に実施される予定です。現実的な問題としては、国民党が両者を制したときに、台湾の政権が中国への圧力に屈し、「一国二制度」をのんでしまえば、中国による台湾併合は完了してしまいます。その場合、アメリカの介入を排除するように、台湾を威嚇しながら、内部的に台湾の政権やメディアなどに侵入し、「一国二制度」をのませてしまうというのが、最も「安価」で確実な方法のように思います。ただし、この場合にも、武力による威嚇という点で経済封鎖は有力な手段ですが、これを中国の「国内問題」であるかのように演出できるかが鍵になるのでしょう。その演出に、仮に成功したとしても、国際的な非難を浴び、場合によってはアメリカの介入を招くリスクは決して無視できないでしょう。台湾の国連加盟に関する国民投票が中国を刺激するのは間違いないのでしょうが、仮に実施されて、加盟すべきだという結果になったとして、中国が介入する理由となりうるのかは、やや疑問ですが、中国が「現状維持」以上のものを望んでいる場合、この程度のことでも介入の口実にはなるのでしょう。

 以上のことを考慮すると、なんの背景もなく、いきなり臨検や経済封鎖が可能かどうかはやはり疑問ですが、無視はできないのでしょう。それでも、このような事態が生じる確率は低いでしょうが、万が一、中国が強硬な手段に出た場合、アメリカはどのように動くのかという点になると、これが非常に難しい。現在の「米中接近」からアメリカの対台湾政策を危ぶむ意見も多いのですが、これは予想がつかないです。シナリオでは臨検と経済封鎖のタイミングが2009年1月となっておりますが、大統領の交代時期を想定していると読めます。また、中国の挑発に対して具体的な措置を講じるのは行政府ではありますが、その長が誰になるかということ以上に、アメリカの世論、もっと限定すれば、そのときのアメリカ議会に中国の行為が悪玉としてプリゼントされるのか、台湾が中国の挑発を招いたとして台湾が悪玉としてプリゼントされるのかが、はるかに利いてくると思います。この点が、次期米大統領が誰であるかという以上に私は重要であろうと。大統領選挙と同時に実施される上下院の結果もわからないので、仮定に仮定を重ねるしかありませんが、中国に宥和的な大統領でも、議会で強硬論が支配的になれば、台湾海峡「危機」に無策であるというのは無理でしょう。逆に、対中強硬の大統領でも議会が宥和的であれば、説得が難しい。次期大統領が誰なのかという点が重要なのは当然ですが、それ以上に議会の動きが要注意だと思います。

 次に、中国の臨検・経済封鎖にアメリカが軍事的にプレッシャーをかけた場合の日本の対応ですが、中国が日本に対して「中立」を要求してきたとして、「中立」の中身が微妙です。空母機動部隊を派遣する場合、日本がこれを拒否するのは事実上、不可能ではないかと思います。なにもしない以上に、リスクが高く、拒否した場合、事実上、日米同盟というより日米安全保障条約は死文化するでしょう。むしろ、その後、「アメリカ大統領は、中国の台湾侵攻に対し武力で阻止する決心をする」という事態に至ったときに、海自や空自へのなんらかの支援を求めてくる可能性があって、これですら、協力しない場合、事態が収まったときに日米同盟が危機に瀕する可能性が高いと思います。ここで問題になるのは日本国内の世論と政権の「決断力」でしょうが、ぶっちゃっけ、政権の決断は混迷する可能性が高いでしょうね。周辺事態法の適用に踏み切れるのか、どうか。いずれにせよ、中国から圧力がかかるのでしょうが、ここでいきなり中立を宣言するのはあまりにリスクが高く、日本らしく曖昧にする可能性が高いと思います。

 次の中国の軍事行動ですが、これは越えてはならない一線でしょう。素人なので自信はありませんが、その前段階でアメリカが介入を躊躇った場合に、そのハードルを取り除く愚考としか言いようがありません。簡単に言えば、その時の状況に依存するとはいえ、宥和の背景にある、中国の言い分をある程度、認めることによって、事態の沈静化を図るという「幻想」を打ち砕く可能性がきわめて高いと思います。簡単に言えば、この段階まできてしまうと、中国がいかなる外交的言辞をもってしても、中国が台湾を攻撃しているという事態が明白になるので、アメリカを中心に先進国の態度は、仮にこの段階以前で宥和的な雰囲気が支配的だったとしても、それを打ち砕いてはるかに強い対応にでるでしょう。国連安保理決議はでないでしょうが、そういう問題ではなくなる可能性が高いと思います。「これに対し日本政府は、国会の承認を経なくては、国内の米軍基地使用を承認することは出来ないと、アメリカに通告する」というのは民主主義国の「ブレ」を無視した話だと思います。ただ、仮に、ここまでバカげたことをした場合、「戦後」、アメリカから一方的に日米安全保障条約の更新を認めない事態が生じる可能性が高いでしょう。

 現実に日本が対応に苦慮するとすれば、こちらのようなケースでしょう。この場合、台湾関係法が機能するかどうか、かなり微妙な問題が生じると思います。また、日本政府の長が誰であれ、対応が非常に困難だと思います。露骨に言えば、台湾海峡で中国が無神経に剥き出しの暴力を行使すれば、話は透明になるのでしょう。そうではない場合の方が中台統一の可能性が高いというのが、今日の「寝言」です。
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2007年09月27日

民主主義のムダ

 あな、おそろし、か○べえ師匠の祟り。面倒なので、TBを一括承認しました。管理者権限および責任の放棄ではありますが、さすがに面倒。しかも、なんで最近の記事で一番、時間をかけたのにもかかわらず、最も読まれていない記事にTBが集中するんだろうと首を傾げていたら、自分で読み返して、『溜○通信』の「由緒正しい」読み方なんてよけいなことを書いたせいで、か○べえ師匠をからかおうとしてひどい目にあったことに気がつきました。こうやって伏字だらけにすればトラック爆弾バックもなくなるだろうと、われながら涙ぐましい努力であります。

 おまけに「フフ○語」でグーグルで検索をかけると、「本家」(念のため、お断りいたしますが、こちらが「ご本尊」から「分家」として認定されているわけではありません)より上位にくる状態はいかがなものかと。検索エンジンのしくみが今ひとつわからないのですが、アクセス数なら、控えめに見積もっても、「本家」が約50倍はありそうなので、記事の中で「フフ○語」を「連呼」しているのがきいているのでしょうか。伏字だらけで怪しげなブログ(まあ、「寝言」ですけれど)になりそうなので、この話は終了ですね。

 政治関連の話が連続しましたが、小泉改革の継承と修整という場合、個々の政策に焦点が当たるようです。同時に「官邸主導」という、政治的リーダーシップのあり方は維持すべきという意見をネット上でも見ます。ただし、小泉政権下の「官邸主導」は、小泉元総理の特異なパーソナリティに加え、党内基盤の弱さと大衆的人気の底堅さ、テロによるアメリカの「危機」など、その時代の背景に対応してゆくうちに成立したもので、他の方が同じように「官邸主導」を演出するのかは別でしょう。むしろ、内閣に党の実力者が入っていることを考えれば、内閣官房の権限自体は制度的にも強化されているわけですから、あとは上手に人を配置して、総理のリーダーシップが発揮できればよいと思います(書くのは簡単ですけれど)。このあたりで安倍政権は、「日本版NSC」や「日本版CIA」などいろいろ新機軸を打ち出されようとしましたが、あまり成果が上がらずに、「器」づくりが空回りしている印象がありました。福田総理は、現在のところ、内閣の「胴体」部分を改造する余裕がないようにも見えますが、無理に改造する必要がなければ、時々の情勢に応じて総理のリーダーシップが発揮され、政府と党、政府と官僚機構が、フリクションを全く避けるというのは無理でしょうが、機能すれば十分だろうと。意思決定プロセスの流れを改革することが今でも不可欠なら、そうせざるをえないですし、失敗すれば、成果が出ず、最終的には選挙で負けて適切な改革ができる政権が成立するまで、「政治の混迷」が続くのでしょう。

 迂遠な話ばかりですが、議会制民主主義というのは「マニフェスト」など事前の公約で政権を選択するというよりも、事後的に現政権の「成果」を評価するというプロセスの方が実際には大きいと思います。現状では、参院選の結果を受けて、自公政権から民主党中心の政権へと交代する可能性が無視できない程度にあるわけですから、事後的なチェックの役割はさらに重みを増してくるのでしょう。事後的なチェックが「適切」かどうかは、難しい問題です。露骨に言えば、政権が交代したとてすぐに改善する問題ばかりとは限らないわけで、民主主義にはムダも多いのでしょう。また、極端な場合には「解」が定まらない状態に嫌気がして民主主義自体が「自殺」してしまうこともありました。そこまで極端な事態が今日で生じることはないのでしょうが、議会制民主主義というのは意思決定のプロセスとしてムダも多く、それに耐えられなくなると、機能しなくなると考えております。

 抽象論ばかりですが、福田政権に対して「派閥談合」という批判は今後も絶えないでしょう。私自身は、このような見方に与しませんが、現実には政権交代の可能性は、十分にあるわけで、衆院解散を無期限に先延ばしできれば別ですが、そんなことはできるはずもなく、今回の総裁選の結果が有権者の目から見て好ましくなければ、事後的なチェックを受けるということになります。それはそれで民主主義が機能しているということなのだろうと。政治に限らないでしょうが、執行機関内部で完璧な意思決定メカニズムを構築することは難しいでしょうし、さらに、それを事後的にチェックする完璧なシステムというものが存在するのかどうかは怪しい部分があります。民主主義というのは、すべての人を満足させることができない以上、不満をあるレベルに抑制するのがすぐれた政治的リーダーシップの要素の一つであろうというのが、消化不良の「寝言」ですね。 
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2007年07月26日

トレードオフ

 この2、3ヶ月は眠たくて眠たくて…。昨日も勉強会で爆睡してしまいました。徹夜の後でPowerPointを使ったプレゼンを聞くと、内容が面白いかどうかと無関係に熟睡してしまいます。ネットでのコンテンツ配信ネットワークに関するお話。コストと信頼性、コストと応答時間の関係で「トレードオフ」という言葉がでてきて、「へえ」と思いました。講師の方は工学畑の方でしたが、理科系でもトレードオフという言葉を使うのかと思っていたら、当たり前らしいので恥ずかしい思いをしました。

 トレードオフという言葉は日本語に訳しずらいです。大昔に読んだ経済学の教科書では「あちらを立てればこちらが立たず」とか、わかったようなわからないような、でも、そんなものかなという説明があったと記憶しております。この場合、一方を捨てて他方をとるということでは、かならずしもありません。物事の優先順位を決め、優先順位の低い変数を一定として優先順位が高い変数を可能な限り高く、あるいは大きくするという感覚でしょうか。情報通信の分野に限らないのでしょうけれど、企業向けシステムを組んでいる会社の営業マンが、「品質と費用・価格はトレードオフなんだけれど、客先では間違っても口にできない。これがベストですと言わないと商売になりません」とこぼしておりました。当たり前のことのような気がしますが、あからさまに表現すると、「日本的風土」(?)にはなじまないのでしょうか。

 下世話なたとえで参りますと、それ相応の関係にある男女で男の方は彼女も大切だけれでも、仕事の方に優先順位をおいている。他方で、彼女のほうは最低でも週一回は会わないと欲求不満になってしまう。そうすると、自然と男の立場としては彼女の不満をできうる限り抑えつつ、仕事を優先するよう、生活を組み立てるほかないわけです。ここで、仕事の優先順位が高いからといって、彼女をないがしろにすると、モテナイ男、というよりダメな男になってしまうわけでありまして、両者を両立させながら、優先順位を守るというところが肝心です。

ダメな男ってあんたでしょ?

…ご想像にお任せします。

 本題に戻りますが、コンテンツ配信で信頼性が優先するというのはちょっと意外でした。途中で熟睡してしまったので、この場合の「信頼性」の中身が今ひとつ理解できておりませんが。音声の場合、信頼性が第一になります。自宅の固定電話もとうとうIP電話になりましたが、今のところ、信頼性・音質で問題を感じることはほとんどありません。音声の方を中心に見ていたので、信頼性が第一という感覚はありましたが、動画や音声配信でも電話ほどではないけれども、信頼性が優先するというのは知らなかったなあという感じです。水曜日のお話では主としてサーバの増強の手法が問題という印象でしたが、電話を含めて広義の多様な「データ」が通信回線を往来する状況になると、ネットワーク全体の制御技術が要の一つかなと思ったりします。

 最後に放言ですが、「日本文化」なるものが曖昧なもの、微妙なものを尊重してきたと主張され、「『デジタル思考』よりも『アナログ思考』を尊重すべし」(余計なお世話ですが、「デジタルorアナログという時点で「デジタル思考」のような気がしますが、その上で「アナログ思考」という発想が私には難しすぎます)という言説に触れると、まず結論部分を読んで、「ああ、トレードオフという発想がないんですね」とたいていの場合、ぶつぶつとつぶやいてしまいます。放言にすぎませんけれど、トレードオフというのは言葉自体はバタ臭いかもしれませんが、自然現象のようなもので、乱暴に言ってしまえば、限られた資源をいかに有効に活用するのかという、いつの時代・地域でも難しい問題の一側面でしょう。優先順位を明示するのは難しい。なぜなら、優先順位が低いとされた「変数」を「怒らせ」かねないから。だから、明示しなくても、制御する側は優先順位をはっきりさせておかなくてはならず、なおかつ自分の順序付けが適切でないと気がついたら、素知らぬ顔をして優先順位を変えるぐらい厚顔無恥でなくてはならない。最近、「寝言」がでてこないのは、こうした妙味を感じる話が少ないというのは「寝言」そのものでしょうかね。
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2007年07月24日

年金不信?

 「ネタにマジレス」は不得手なのですが、さすがに年金問題はスルーというわけにはゆかず、さりとて制度が複雑すぎてわからないことが多すぎます。というわけで、帰省の連絡もかねて実家へ電話。両親には失礼ではありますが、ごく平凡、あるいは平均的な家庭なのでどうなんでしょというところです。

 まず、意外だったのは、年金に「怒り」とか「不安」というのは意外とない様子。父上が数えで64歳ですが、まだ現役で給与所得があるせいか、余裕すらありましたねえ。両親とも最終学歴は高等学校ですが、愛知県の景気は底堅く、なおかつ人手不足で土曜も勤務しているとのこと。このあたりは地域的な特性が入るので、60歳で定年退職されて現金収入が年金のみという家庭とは温度差があるのかもしれません。

 年金問題で一番、両親が関心をもっているのが、何歳でいくらもらえるのかということのようでした。これは私にはわからないのですが、ボーナスがでると、年金の支給額が減少して、その旨の通知が来るそうで、減額の算定根拠がわからない。また、母上が満61歳ですが、年金の受給に関する通知が来ていないとのこと。他にも細かい話がいろいろありましたが、受け取る側からすると、制度が複雑すぎて一番知りたい情報である「何歳でいくらもらえるのか」という身も蓋もない話ではありますが、収入に直結する肝心の部分が伝わっていない印象を受けました。また、父上が退職した後にどの程度の年金の受給が見込めるのかということもわからない。あと社会保険庁がどうたらこうたらにはまるで関心がない様子。本人たちが受けている印象よりも、恵まれた境遇かもしれないので例外的なのでしょうが、年金の受給年齢の複雑化や所得に応じた受給の減額などの制度を単純化する一方、正確な受給額の見通しが立てば、わが家程度の家庭ですと、「年金不信」というほど深刻な問題ではない印象を受けました。母上の言葉を拝借すると、「(年金制度は)ややこしすぎる」。

 この程度の「ヒアリング」で結論というのは乱暴ですが、社会保険庁の解体や年金の一元化などはあまり受給者には響かないのかもしれません。わが家では年金の維持可能性にはそれほど不安を持っていない様子で、2004年の参院選の話をすると、「そんなことあったっけ?」という反応で拍子抜けするほど、不安感がない様子でした。当時は、向こうが必死に年金がもらえるのかしつこいぐらい尋ねてきて、参った覚えがあるのですが、呆れるぐらいケロリと忘れているご様子。この種の問題がでてくるたびに、「抜本改革」が叫ばれますが、案外、小骨を丁寧に抜いてゆくことが肝心なのかもしれないと思いました。この種の問題になると、メディアで大声を上げている方の話が目立ってしまいますが、年金の受給年齢の引上げや所得による減額など制度が複雑化しすぎていることが問題かなあと思います。

 もう一つ感じたのは、既に長年、年金をもらっている人が少ないために、「こんなもんだよ」とアドバイスしてくれる人が身近にいないこと。両親とも、平均よりも早く近親者が亡くなっているので、身近に相談できる方が皆無の状態。公的機関に相談するのが一番なんでしょうが、このあたりも手馴れた方が身近にいるかどうかが大きいように思います。いずれにせよ、「消えた年金」などで、それはそれで深刻な問題ですが、各家庭ごとに年金に関する関心は多様でわが家の話を一般化するつもりはありませんが、「大所高所」からの年金制度改革から、果ては年金問題を入り口に「財政構造改革」というのはごく平凡な家庭での「年金問題」からかけ離れているのかもしれません。各種世論調査では参院選への関心が高いという結果がでているようですが、それほどでもない様子。参院選の結果いかんにかかわらず、大量の年金受給者が増える時期を迎えて、「抜本改革」ではなく、きめ細かく的確な手段で正確な情報を伝える丁寧な作業と受給者の側から見てわかりにくい制度を簡素化することの方が肝要だと思います。

 ずれた人の「寝言」ですが、小魚をさばくのに大きな包丁はいらない。選挙のおかげで基本的に丁寧な仕事が要求される問題に、「大鉈」を振るうバカげたことにならないようにならなければよいのですが。

 ちなみに夏休みは、森林浴で過ごすことにしました。既に更新が滞っておりますが、新鮮な空気と樹木に囲まれてリフレッシュしたいなあと心は既にお盆休みに移っております。
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2007年07月14日

自由民主党の底力

 コメントやメールを頂いていて恐縮です。いろいろ立て込んでおりまして、こちらを御覧になっている方におかれましては、お返事が遅れることをご容赦下さい。体力的にも、日程の上でも8月上旬まで厳しい状態ですので、ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。

 『朝日』の7月13日付けの社説が一番、まずい「地雷」のありかでしょうか。経済政策論争というよりは、消費税率の引上げに関する議論に安倍総理が踏み込めば、参院選は目も当てられないことになるでしょう。時事通信の最新の世論調査では内閣支持率は25.7%で不支持率は53.2%。頼みの女性層も支持率が29.1%と3割を切る状態。消費税率の引上げを争点にするだけで、女性層は一気に敵に回るでしょう。だいたい、選挙前の国会で根本的な問題について十分に議論していない状態で選挙でいきなり議論しろという方がご無体な話。社会保険庁の体たらくに怒っても、碌なことがないのはわかりきったことですが、こればかりは感情論が先にたつのはやむをえないので、一つ一つ小骨をとっていって不手際で損失を被った方たちを安心させることが第一です。財政再建とリンクさせるのは、政治的には下策中の下策でしょう。安倍総理の説得力が危険な水準にまで低下している状態では、再び「封印」されるだけのように素人目には見えます。

 消費税率の問題は、衆参両院で議論して与党と野党である程度のコンセンサスを築いた上で選挙で問うのが筋だと思います。当たり前ですが、それが仮に福祉目的税のように、私にはちょっと理解不能な点もありますが、ある種の目的税化するといっても、増税を歓迎する人はごく少数でしょう。露骨に言えば、自公と民主で消費税に関する政策上の「カルテル」を結んで合意争点化した上で選挙を通して理解を深めるしかないだろうと思います。現実的な人はついつい勘定を感情に優先させてしまうけれども、そうじゃない人の方が多いことを忘れると、「現実論」は「理想論」になってしまいます。

 参院選に公示前後に票読みなどを行う方が多いようですが、私には手に負えそうにないので、そんなものかなと思ったりします。素人目には自民党が改選議席の3分の1を獲得するあたりが最低ラインという状態に愕然としてしまいます。私が危機感を覚えるのは、万が一、安倍政権が瓦解してしまって、アメリカとの同盟強化が置き去りにされてしまうことです。そこまでゆかなくても、安倍政権が目先の問題にやむなく追われて、集団的自衛権の行使に関する内閣法制局の解釈を正常なものにする作業が後回しにならざるをえなくなる事態です。2008年から2009年にはこの国の安保環境が大きく変化しかねない、各国の政権枠組みが変わる可能性が集中する時期です。私自身は、実際の変化は2010年頃にならないとわからないと考えておりますが(各国の政治情勢がある程度、確定するのに時間がかかるでしょうから)、それ以前にも「変化」が生じるのかもしれない。朝鮮半島や台湾海峡は、この国の安全に直接、影響をおよぼす、変化の生じる可能性が高い地域ですが、イラク統治、イランへの対応、パレスチナ和平など中東でのアメリカの政策の重点がどのように変化するのかは見極めがたく、日本の安全に直接関わる問題にも影響をおよぼしてくるでしょう。ずいぶん、粗雑な議論ですが、すべての事態を予見することは不可能ですが、日米同盟の信頼性が高いか否かで事態への対処も変化するでしょう。信頼性を高める日本側の最大の変数は、集団的自衛権を国際法上、有しているけれども、憲法上、行使できないという、法理上はいろいろな背景があるとはいえ、野党対策でできあがった変な解釈をまともにすることが肝要だということも、飽きるほど書いてまいりました。

 私の主張は、これらのことを参院選の争点にすべきだということではありません。消費税率の引上げという税制の問題にせよ、日米同盟のあり方にせよ、自公と民主でコンセンサスを築くことが望ましいということです。もちろん、私の主張自体が理想論なのかもしれないという危惧は私自身がもっております。ただし、後者については安倍総理のリーダーシップが最も期待できるイッシューであり、なおかつ国際情勢の変化が難しくなる時期にあらかじめ備えておくべき問題です。参院選の結果予想よりも、与党が民主党に責任の一部を負担させ、合意争点化すべき問題を明確にしておく努力が欠かせないと思います。民主党の大勢が、自民党を排除した政権交代にあるならば、私の「寝言」も非現実的でしかないのですが。参院選では与党対野党という構図は避けられないものと思いますが、選挙後に控えている課題を考えると、自民党がどうやって民主党を責任政党の一角に組み込んでゆくのかが大きな問題だと思います。自民党の底力は、今夏の参院選でどれだけ負け渋るかということではなく、選挙で勝つための手段を選ばない民主党を責任ある政党として包摂してゆくのかということだと考えております。
posted by Hache at 04:05| Comment(4) | TrackBack(0) | まじめな?寝言