2007年12月08日

2007年の個人的な「ビッグ・イニング」

 金曜日にかんべえさんのオフィスを訪ねました。その前に、フフン、もとい福田総理が「テロ対策海上阻止に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案(補給支援特別措置法案)」を再可決する胆を固めたとの報道を読みながら、あらためて法案を読んで、質問の整理をしておきました。実際に、訪問すると、台湾海峡の問題が真っ先に浮かんでしまって、「予習」がどこかにいってしまったのですが。先崎さんがいらっしゃるようにご連絡をしていただいたご様子で、さりげなく場をつくってしまうあたりはさすがだなあと思いました(先崎様、気が利かなくてまことに申し訳ありません。慌てて予定を組んでいた状態でしたのでご容赦のほどを)。かんべえさんと「二人きり」の間に台湾海峡情勢について見立てを伺っておりました。

 要点をまとめると、次のようになります。ディテールは省きます。

 
台湾海峡問題は、中台統一の実現は困難になっており、むしろ中国の国内問題になりつつある。国内問題というのは、統一を果たすことができないであろう中国共産党が大陸のナショナリズムに関する正統な代表者か否かが問われる問題だということである。台湾海峡で「中台統一」という振り上げた拳を下ろすことに中国共産党は苦しむだろう。


 あくまで、かんべえさんのお話を私なりに解釈したことですので、正しくお伝えできるかどうかは私の責任であります。また、様々な留保がありますが、要点をまとめると先述の要点になります。非常に興味深い観察ですので、順を追って整理してゆきます。

(追記)本文と続きを修正いたしました(2007年12月9日)。


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2007年11月02日

落合博満の面目 責任ある者の決断力

 泣いてしまいました。この日が来るとは…。期待しては裏切られ、期待値をゼロにした方が楽になってしまったあの日から、まさか日本一とは。いまだに夢を見ているような感覚で、言葉にならない部分があります。

 恥ずかしながら、気が小さい私は中日がボロボロになるのが怖くて、こちらを拝見して、3勝1敗となったというのを知って、ちとびっくり。逆に言えば、ここでダルビッシュが当然、登板するだろうと読んで、ドラゴンズの元ファンとはいえ、ダルビッシュ目当てで中継を見るというのはいかがなものか。いかがなものでではなくて、われながら、恥ずべきチャランポラン&ミーハーですね。

 家に帰った時点で1対0。よくダルビッシュから1点をもぎとったねえ、でも、これが限界だよなあとどこまでも弱気。正直なところ、ダルビッシュは男前で、クールでかっこいい。「裏切り者」と罵られるのを覚悟で書いてしまいますと、中日打線をあやすダルビッシュに見入ってしまう。ただ、中継で見たダルビッシュはイメージと異なって、ストレートでぐいぐい押すという感じではなく、テクニシャンという感じでした。解説陣から調子が悪いですねえという声が出るのですが、あのお、中日のバッターがバッタバッタ三振するんですけどという感じでした。データが出て、球種を見ると、意外と変化球が多く、若いのに、自分の調子を考えて無理をしないというのは感心してしまいました。山井も調子が良いようで、あっという間に試合が進んで、快適。ピッチャー交代のたびにCMで間が空くのが苦痛なので、投手戦の方が楽しいのです。7回表の日ハムの攻撃中にここまでパーフェクトですよという話がでてびっくり。一気に重苦しく、「へっ!?」と思いました。ダルビッシュからもう1点というのは苦しいなあと思っていたら、日本シリーズで「完全試合?」という信じられない状態です。こうなると、いつ一発を食らうのかとかくだらない心配で頭が一杯になってしまいます。しかるに、8回裏までファイターズ打線が打てそうで打てない。この辺はよくわからないです。ダルビッシュは、ヒットを打たれたり、歩かせたりするのですが、後続を無難にいなして点がとれそうにない。しかるに山井がパーフェクトというのはできすぎで、やはり中日びいきで見ているので、反動が怖い。どうなるんだと思って、「運命の8回裏」。

 アナウンサーだったかな、解説者だったかな、山井がキャッチボールをしてませんねと訝しげにしゃべっていて、まさかここで交代はないでしょ、岩瀬に代えた方が堅いけれどといくらなんでもねえとやっていました。これは、素人にはわかりません。頭では、前人未到の記録を負わせて投げさせるよりも、岩瀬に投げさせた方が、山井にとっても楽だろうと考えるのですが(万が一、記録を達成しても、その後、振るわないことも多い)、ここまでパーフェクトピッチングをしているピッチャーを降ろすのは尋常ではない決断力がいるなあと。8回裏の攻撃があっさり終わって、いよいよ9回表。

 落合監督がベンチを出る姿を見て、思わず、ゾクッとしました。アナウンサーが守備の交代もありますからとか言っていて、理解できない。もちろん、これは投手交代でしょと思いつつも、ゾクッとする決断でした。打たれれば、岩瀬はもちろんですが、落合も非難轟々。ドーム内は山井コール。表情を変えずに球審に交代を告げる落合監督。「非情」という言葉が解説陣からも漏れて、なんとなく違和感がありました。このまま投げさせた方が、楽というもの。シーズンだったら、交代はないのでしょうが、ここで山井が打たれて負けてしまうと、一気に流れが変わってしまう。岩瀬に代えるのもリスクがありますが、こちらが主導権を握ったままの交代で、リスクがないわけではないでしょうが、交代のタイミングをファイターズに渡すこともないだろうと。ただ、あれこれ説明を考えるのは簡単ですが、あの決断は私にはできない。ありとあらゆるところで「不作為の罪」を散々、見せられてきたし、自分でも同じことをしていることに気がつく者としては、戦慄とともに久々に決断する勇気を味わいました。責任ある立場の方たちが、責任ある者として当然のことを淡々とやれなかったことを思うと、あそこで交代させる落合監督に感服してしまいました。ウェットな日本の風土では嫌われるのでしょうが、その風土が責任ある立場の方たちに当然のことを避ける格好の土壌となっている状態に嫌気がさしているので、仮にヒルマン監督が同じ決断をしたとしても、同様の評価でしょう。失礼ながら、「空気を読め」とおっしゃる方たちがことをなしたことは、寡聞にして知らず。

 それにしても、山井の出来は異常でしたが、ダルビッシュの腰を割らない投球のおかげで、テンポが良いながらも、緊張感のある試合で久々に途中からとはいえ、野球中継に釘付けになってしまいました。そして、落合博満の責任ある決断。書いているうちに53年ぶりの日本一とかはどうでもよくなって、「劇」を堪能して満足した状態ですね。それにしても、前回の日本一のときに「(生後)11ヶ月」だったという落合監督。もうそんな年齢だったのねとちょっと意外でした。
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2007年10月29日

鈍感な人の「幸せ」

 件の事務次官経験者ですが、これはさすがに「○証でしょ?」と思ったことがあります。賭けマージャンで「1000点50円」はありえないだろうと。事務次官経験者クラスともなると、テンゴでも満足なのか、半荘3回で勝った人が焼肉をどうたらとか、聞いていてなんともシュールな感じ。言いにくいのですが、テンピンが「適正レート」じゃないのかな、しかし、役人のトップともなると、賭けマージャンのレートも控えめなのかしらんとか、くだらないことばかり気になりました。しかし、やはり制服組のトップご自身がストレスがたまるというのはよろしくないので、「天下り」先で広い個室で最高スペックのPCで3Dの格闘アクションゲームをやるとか、『シヴィライゼーション』シリーズで脳内世界征服でもやっていただく方が、脱力感も強く、ネタとしてはおいしいかなと。ゴルフ、マージャンというのはあまりにベタで上手に脱力させるあたりは、なまなかな者には真似ができぬのおと不謹慎な「寝言」ばかり浮かんでしまいました。それにしても、証人喚問自体は質問者側の準備不足感が拭えず、なんとなくバカバカしくもあり、自民党と民主党が「手打ち」をするための準備かしらんなどと変な「寝言」も。証人喚問の中身というより、証人喚問すること自体に意味があったのかなという感じ。

 まあ、こちらはしゃれにならない問題がありそうですが、賞味期限がどうたらこうたらとか地鶏とかとなると身近ではあるのですが、あまり食にこだわらないせいか、神経質な方が増えているんだなあと思います。と書いておきながら、やはりスーパーなどで豆腐を買うときに、ついつい奥の方から賞味期限が新しいものを選んでしまうわけでして、業者を擁護するわけではありませんが、なかなか難しい。もっとも素朴な発想は、古くなればなるほど消費者の評価が下がるのなら、それに合わせて値段を下げればよいわけですが、ブランドイメージを維持する必要がある場合には、そう簡単でもなく、大変ですなあという感じ。イメージを維持するのも一苦労と思います。

 そんなわけで世間は大変だなあと思う反面、帰り道で少し大きめの公園に「道草」をして、余計なことを考えずに木々をぼんやりと眺めていると、不思議と幸せな気分に。もちろん、公園というのは自然ではなく、人間の作為そのものですが、そんな中にも自然があり、事前の設計のロジックからはみ出てしまう部分があります。そんな垢抜けない公園の中で、呆然としていると、不思議なもので木々が会話しているようでもあり、やわらかい土を踏みしめていると、土がなにかを語りかけてくるようでもある。もちろん、「言葉」そのものではないのですが。効率を追い求める社会で上手にムダをつくるのが難しくなっているのかなと他人事のような「寝言」が浮かんでしまい、帰って夕食を食べたら、眠くなってしまい、なんとも大事を自分でもなす人間ではないなあと思いつつ、ダメ人間にありがちな、まあ、これでいいじゃないと眠気の中で「寝言」が浮かんでしまいます。
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2007年05月10日

ヒラリー・ハーンの奏でる無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ(J.S.バッハ)

 お世辞にも日常生活が規則正しい人間ではないのですが、最近は、ある快楽を覚えてしまい、夜9時からその快楽に溺れて、夜10時には寝てしまいます。こんなことを書くと、こちらから「格差社会」は本当にひどいと「爆弾」を飛ばされるのではとハラハラします。ぐうたららしく朝は6時ぐらいまでぐっすり眠ってしまうのですが。本題に入る前に、安達正興さんの「女王陛下のアメリカ征服」を拝読していたら、最初の1行で思わず参ったなあ、これじゃあ話が続かないじゃないと思ってしまいました。言いにくいのですが、「英米関係、アングロ-アメリカンの絆にくらべると日米関係などはママゴトだな〜」ですべて終わってしまう。「戦後レジーム」から脱却しようがしまいがどうでもいいから、とっとと、バカげた憲法解釈などくだらん議論など適当に済ませて、まともにせよとうっかり口走りそうになります。5月3日の『産経』で「解釈改憲」の四文字熟語を見てから、『産経』を読まなくなりました。あんたたちがいつもバカにしている左の人たちの用語じゃないのと思いつつ。「戦後レジーム」からの脱却に賛同し、主張しているうちに、20−30年前の議論、あるいは「戦後レジーム」まんまの議論に戻っていて、斜め読みしながら、この程度ですかね、国内の「マスメディア」はなんていう「寝言」未満のバカバカしさで、だんだんスルーしたくなってきました。

 というつまらない話は、月曜日以来、どうでもよくなって、ヒラリー・ハーンのメンデルスゾーン『ヴァイオリン協奏曲』から始まって、J.S.バッハ『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ』(私のもっているCDではパルティータ第3番→パルティータ第2番→ソナタ第3番)を1度目は真面目に、2度目は幸せな気分になって、寝る準備をした上で聴いていると、いつの間にかうとうとして、午後10時を回った記憶はあるのですが、そのまま寝てしまうという、いかにもちゃらんぽらんそのものの生活をしております。ひどいときは、朝5時頃に目が覚めてもう一回、パルティータを聴いていると、幸せになってニ度寝をしてしまいました。

 本来は、ヒラリー・ハーンを紹介していただいたカワセミさんの「宿題」、すなわち感想を書かなくてはならないのですが、感想とか面倒なことが思い浮かばず、聴いていて気もちがよくなって、寝てしまうという、「時の最果て」の「中の人」としては最上の「音楽鑑賞」をしております。子守唄になるようなクラシックが私みたいなすちゃらかな聴き手にはベストであります。これでおしまいとしたいのですが、カワセミさんが怒りかねないので、簡単に感想をば。かなり「辛い評価」もあると思いますが、カワセミさんを「釣る」意図はありませんので、誤解のないように申し上げておきます。

 ショスタコーヴィチは苦手なのですが、ショタコンはもっと苦手です。しょこたんは…。じゃなくって、ヒラリー・ハーンのおかげでショスタコーヴィチまで聴いてしまいました。迷惑だわね、こういう演奏家は。メンコン(「通」ぶるわけではなく、メンデルスゾーン『ヴァイオリン協奏曲』と打つのが面倒なだけですが)を聴けば、たいていわかる。CDの「おまけ」でも絶賛されているので、「賛歌」を書く必要もないでしょう。メンコンをらしく弾くのはあるレベルを超えた演奏家なら、誰でもというのは言い過ぎかもしれないですが、まあ、誰でもできる。奏でるのは少し敷居が高い。まさに「自然に鳴っている」いる感じ。テクニック的にどのレベルかというのは素人でもメンコンでわかるので、このあたりはコンセンサスでいいんじゃないのと思います。

 問題は、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ。とくに、第2番の「シャコンヌ」は異様。録音データを見ると、1996年から1997年の録音ですが、ちょっと信じられない。まず、メンコンのCDを見ると、美しいけれど、どこか幼さやあどけなさが残っているヒラリー・ハーンの写真が載っていて、いくつのときの録音だというのが気になります。解説には正確な生年月日が載っていないのですが、「1990年に10歳でフィラデルフィアのカーティス音楽院に入学したハーンは…(後略)」とあるので、1979年もしくは1980年生まれでしょうか。ということはパルティータを録音したときには18歳前後ということになる。ちょっと異様な感じがします。なんというのか、当時のティーン・エージャーには失礼千万な評価ですが、なんとも「ジジ臭い」演奏で安心して聴けてしまう。どこで、こんな演奏を覚えたのと、私が親だったら、小一時間は問い詰めたいところ。

 切れ切れそうになりそうな音を紡ぎながら、音が途切れるのではないかというぐらいたおやかで、しかも多くの演奏家が静かに演奏を始めながら熱してゆくところでも、冷ややかなまでに落ち着いていて、それでいて熱した演奏よりもはるかにしっかりと音が鳴っている。小憎たらしいぐらい。ちょっと信じがたいですな。こんなジジ臭いシャコンヌは聴いた覚えがない。

 さらに困惑したのは、メンコンを聴いていてもわからなかったのですが、パルティータとソナタを聴いても、低音を聞けばデル・ジェスではないのはわかるのですが、高音でストラディヴァリウスのようななんともいえない輝きはなく、それでいて、ストラディヴァリウスによる演奏でありがちな音が微妙に割れるような感覚がない。ソニーのヒラリー・ハーンのプロフィールには使用楽器が明記されていないので、確信がもてないのですが、どちらでもないんじゃないですかね。それにしても、曲への想いが先走りそうになるところをとことん抑制した上で、しっかり音が自然と鳴っている。なんだかいけないものを紹介していただいたカワセミさんに感謝いたします。

え゛っ!? これが「お礼」かよって!?

ま、「ここは時の最果て、すべては寝言」がお約束の糞ブログということでお許しのほどを。 
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2007年05月01日

「時の最果て」流 連休の過ごし方

 気がつくと、幸せな2日間を過ごしました。朝起きて、軽く散歩。食事を済ませて、肩慣らし程度にお仕事。お昼になったら、これは完全に手抜きですが、近くのお惣菜屋さんで昼と夜をまとめ買いをして、「篭城戦」でも大丈夫な状態。ご飯は玄米(健康に気をつかっているわけではなく、お惣菜屋さんでコシヒカリの玄米を食べたらおいしかったので、常食しております)。お昼は少し多めに食べて、片づけをしたら、速攻でお散歩。朝は体を起こすためですが、昼は心身のデトックスというところでしょうか。なにも考えずに、ひたすら歩く。

 お仕事のことはもちろん、間違っても集団的自衛権がどうたらこうたらとか面倒なことは考えない。もちろん、○なこともNG。ひたすら体のリズムに脳をあわせる感じです。気がつくと、体と心の区別がなくなります。もちろん、半ば無意識にペースを調整してはいるのですが。気がつくと、身も心もさっぱりできる時間がこの1ヶ月ぐらいなく、どうでもいいことで頭が一杯になっていることに気がつきます。どのみち、おつむのできがよくないので、さっさといらないものは捨ててしまう。最近は必要なこと(お顔を拝見してお名前が出てこないときにごまかすとかどうでもいい「技術」が「進歩」します)がパッとでてこなくて、まあ、この程度のできだわなと慰めるというより、どんどん鈍感になってゆく自分が自分でも怖いのですが。

 ま、それはさておき、散歩が終わると、ジムへ行って、ストレッチ、筋トレ、ストレッチ。はあ、気もちいい。もう、この時点で完全に気分は幸せ。この2日間で4万歩ほど歩きました。田舎モノにとっては、アスファルトではなく、まさに土そのものを踏みながら歩くこと自体が幸せ。帰ってきて、仕事を済ませて、晩ご飯。終わると、『サンデープロジェクト』の録画でも見るところですが、平間洋一『第一次世界大戦と日本海軍』第3章を1時間ほど読み込んでしまいました。日曜に腹筋を頑張りすぎてつりそうなので、らんまを見ずに記事にしてしまうという究極の手抜き。

 食事なんですが、以前ほどバランスに気をつかわなくなりました。最近はふきや筍の煮物などを少しずつお惣菜屋さんで買いこんで、あとは適当。30過ぎぐらいから種別を問わず、お肉を食べたいという欲求がなくなったので、ほとんどが魚類。それも、アジやサンマ、サバといった青物が好物なので、お惣菜屋さんは重宝します(適応力は衰えていなくて、お肉しか食べられない環境でも生きてゆけます。イギリスではBSE騒ぎが醒めぬ頃にレアでステーキを食べまくった覚えが。これが現在の私の原点?)。ポイントカードも主婦なみに活用して、「嫁いらず」状態。なんとなく、まずい気もしますが、良くも悪くも「自給自足」で済んでしまうので、面倒なことを考えるのも嫌という感じ。まあ、散歩して体を動かす程度で幸せになってしまう単細胞な人間なので、適当にあしらってくださる方がいらっしゃれば、来る者は拒まずではあるのですが、さすがに女性というのはちゃんと人柄を見ていて、そんな物好きな人はそうそういないこともこの歳になってようやく気がつきます。気がついた頃には遅いわけでして、…てな感じでしょうか。

 話がそれましたが、『第一次世界大戦と日本海軍』を読み返していると、同盟のマネジメントというのはつくづく大変だなあと思います。7回もかけてようやく2章まで進んだのですが、第3章にくると、アメリカが前面にでてきます。しみじみアメリカという国は扱いづらい。孤立主義的傾向と十字軍的願望が平気で混在するし、変なところで利益にがめつかったりする。おまけに、この時期のアメリカは、現在では想像もつかないほど人種的偏見が強かった時代にありました。日米同盟の双務性をより高める努力にたいする反論を考えているのですが、同盟は同盟として大切にしながら、アメリカみたいに気まぐれで、ややこしい国に深入りしない方がよいですよというのを、もっともらしく説明するのが案外、手強いのかもとくだらない「寝言」が頭に浮かびます。第5章と第6章(最終章)が本書のクライマックスなのですが、「寝言」にしようとすると、なかなか手強いです。ついでにケナンの本を読みたいと思ったら、でてこない。というわけで、「寝言」を書く前にお部屋のお掃除が大切とわかったので、次の4連休は大掃除が「宿題」となりました。

 ぐだぐだと『第一次世界大戦と日本海軍』に関するメモをアップする予定が遅れていることの言い訳を書いておりますが、連休の「序盤」は幸せそのもの。これが維持できますかどうか。 
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2007年04月21日

身辺雑記の効能

 ふう。珍しく「普通の」風邪をひいたようです。通常は、扁桃腺が腫れて発熱と咳なのですが、今回は、扁桃腺が腫れずに、くしゃみと鼻水で苦しみました。脂肪が厚く付着しているせいか、周囲の目も気にせず、さっさと帰って、最低限のことを済ませて寝てしまう(電車の中でもティッシュを手放せない方が気になります。いい年をして洟垂れ小僧状態でしたので)。火曜の晩ぐらいから編でしたが、「発病」が水曜日で金曜日の晩にはほとんど回復。風邪が長引くことが多いのですが、おそらく最短記録でしょう。ほぼ全快です。

 これで土日は散歩にジム三昧とつい張り切ってしまうところなので、危ないです。実は先週の土曜日に久しぶりに気合を入れたところ、日曜日に筋肉痛でのた打ち回りました(翌日に痛むのでまだ若いのでしょうか)。これで身体が疲労して、日月火の睡眠不足に寒暖の変化が加わり、ダウン。新年度早々、ぶっ倒れかけましたが、おかげで一週間の組み立て方が見えてきたので、これも「授業料」というところでしょうか。このブログ、日記みたいなことは書きたくない(書いてもつまらない)のですが、やはり、自分の日々を振り返るのには便利でして、「アルファブロガー」の方からすると、ネットのリソースのムダ遣いということになるのしょうけれども、それなりに対価を払ってリソースを確保していますし、つまらなければ見なければよいわけで…。まあ、ぐだぐだ言い訳を書いておりますが、やはりブログは、よほど志と能力に恵まれた方ではない限り、たいていは自己満足であり、最大の受益者は自分自身かなと思います。

 なんといっても、あとで自分で書いたものを読み返すと、そのときの関心だけでなく、集中力や「気分」などを客観視できます。もっとも、読み返した時点での「気分」の問題があるので、完全に客観視できるものではないのでしょうが。それでも、加齢とともに、20代後半から30代前半のような精神的に安定した状態で自己制御する能力が落ちてゆくでしょうから、ブログを書くことで自分の気分のあやうさを自覚する助けになればいいなと思ったりいたします。

 文章は、紙に一字一句を推敲しながら書くのが、基本だと思います。主語と述語の対応関係など、基本ではありますが、いろんな留保をつけていると、何を書きたいのかが不明瞭になります。唸りながら、15年近く前に2万字程度を紙に書いたことがあります。その後、内容はともかく、文章としてのできを超えるものを書いた覚えがあります。本当は、紙に字を書く時間を増やしたいのですが、テキストエディタは便利でありまして、最初、ざざっと書いた文章を編集するのが楽ですので、文章を書き始める初期コストが紙に書くときに比べて、はるかに減少します。これも時代の流れなのかなと思ったりします。

 雪斎先生の渡仏になにか言葉を送りたいのですが、思うように言葉が浮かばず、さくらさんの温かいコメントに便乗させていただくことにさせて頂きます。ありきたりですけれども、ご母堂に親孝行をされながら、ご自身がおおいに楽しまれるのが一番かと。個人的には民宿みたいなところで南仏からイタリア北部にかけて安旅行をするのが楽しいのですが(安いなりに飯がうまい)。来週は友人の結婚式もあり、祝辞を述べる機会はなさそうでホッとしておりますが、昔から突拍子もないことを口走ってしまう癖があるので、要注意というところでしょうか。

 それにしても、いろんな「旅立ち」をされる方々がいながら、私は相変わらず地を這いずり回るような生活の連続。鼻水にはまいりましたが、平々凡々とした生活をちょっとしたことで楽しむ日々です。

 例の「ブツ」を御覧になりたい方は、「続き」からどうぞ。それにしても、いつまで続くのやら…。
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2007年04月14日

リスクをとる

 加齢とともに他人の話が耳には響いているのですが、聞こえていないことが増えてまいりました。最近、出不精になっておりまして、わざわざ他人の話を聞きにでる機会がめっきり減りました。そんな私でも、この方の話は聞きたいということもありまして、久々に往復3時間をかけて話を伺いにまいりました。これが「お約束」なのは自分でも極めてまずいのですが、方向音痴なのでたちまち遅刻。慌てて駆け込むと、つかみの部分を聞き逃してもったいない。「本体」の説明からでしたが、なるほどの連続。「本体」の「核心部分」はまさに形式そのものですが、形式がそのまま意味になっていて非常に刺激を受けました。筋のよい話は途中から伺っても、すっとわかるものです(ちと下手くそな言い訳ですが)。

 実際は、超寝不足で往復の電車で爆睡。お隣が妙齢の女性ですと、遠慮が働くのですが、この日は本当に眠くて目が覚めると、女性の肩にもたれかかっていて思わず赤面してしまいました。幸い、目的地では一切、眠気がせずに精神が研ぎ澄まされる感覚で、終わってから、再び、眠気。5時間ぐらいは寝たはずなのですが、帰りも爆睡。今度は、お隣がかんべえさんぐらいの方で、こちらは遠慮仮借なく肩を払いのけるので、しょっちゅう目が覚めてしまって熟睡できませんでした。言いにくいですが、オヤジの肩で好きで寝たいわけではないので、邪険に払われるとちと腹が立ちます(逆の立場だったら、もたれかかった瞬間にすっと席を立ってびっくりさせるのが特技)。もっとも、行きの女性のおかげでけっこう寝させていただいたはずなのですが。

 現場の知識というのは侮れなくて、数字の内訳から実に丹念な検討が加えられていました。ただ、「ああでもない、こうでもない」で煎じ詰めると、「よくわからない」。他方で、話のネタを提供していた方は、実に丹念に形式で意味を表現されていて、とても刺激になりました。言いにくいのですが、私よりも年配の方ばかりだったので、お尋ねしたいこともありましたが、終わってから直接、伺おうと思っていたところ、司会の方が私に振っていただいたので、形式のエッセンスの部分についてだけお尋ねすると、プレゼン資料や説明の間にしゃべりきれなかったことがどんどんでてきて、とても勉強になりました。要は、最初に出てくる「模型」が実際のデータの描写と対応していない部分があって、そこが繋がるととっても面白いんじゃないかなという話。私よりも10歳年上の方に申し上げるのはちと自分でもどうかなと思うのですが、形式のみを論じる場合にも、微妙な部分がありますが、とても面白い結果になっているのですが、これを形式で論じようとすると、結構難しい。「ブレイクスルー」とまではゆきませんが、ヒントにはなりそうな感じ。かなり生意気なことを申し上げましたが、「なるほど、そこは詰めてませんね。これはおもしろいかも」というリプライを頂いて、こちらも楽しかったです。

 ある某有名サイトで「形式」を論じることを散々にバカにされたおかげで、どんどん鈍感になってゆきますが、ふと気がつくと、「現場主義」の方ほど、自分の「形式」をおもちで、それが透明ではないので、議論してもあまり話が深まらない。「形式」、あるいはある種の「虚構」に徹することでしか語れないということに気がつかない方がご同業でも少なくないのでびっくりすることがあります。まず、誰しも意識しているか否かは別として、なんらかの「形式」を自分でお持ちのことがほとんどですが、私が扱っている「形式」は、手順さえ面倒がらずに踏みさえすれば、原理的にはわかる「形式」です。次に、理解されないのは、形式から意味を切り離すことは無理だということ。もちろん、無意味な「形式」がないとは思いませんが、みんなにとって透明な「形式」はそれ自体が意味だということです。私が扱っている「形式」には本音と建前のような区別はなく、「形式」すなわち意味です。さらに、「厳密」という言葉ほど誤解されているものはなく、要は、手順さえ踏まえれば、誰でも理解可能ですし、手順がおかしければ、こちらはかなり面倒ですけれど、やはり「透明なプロセス」で訂正が可能です。言ってみれば、無数の人たちが試行錯誤の上でつくりあげ、進化してゆくのが「形式」です。「形式」をバカにする方は、他方でご自身の、失礼ながら、主観的な「形式」を押し付けているわけで、「俺様」ぶりに傲慢不遜な私もさすがにひいてしまいます。

 ぐだぐだ書いておりますが、10歳近く上の方がリスクをとっているのを拝見すると、私自身がちょっとどうかなという仕事をしていて、いい歳してバカなことをしているなあと思っておりましたが、本当に励まされた気分になります。ネットや書籍を拝見していると、外交や安全保障、政治、経済で優秀な方がたくさんいらっしゃって私などが割り込む余地がないことに気がつきました。なんとかなさるでしょう。利巧な方が多いので、のほほんと私は好きなことでもやっていればよいのかなと。いろいろ回り道をして参りましたが、「形式」の世界で楽しむことに専念しようと考えたしだいです。

 まず、無理でしょうけれど、本業は世界共通の「形式」なので、世界で勝負したいという野心は持ち続けたいものです。
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2007年04月11日

なにかを選ぶ なにかを捨てる

 小林秀雄を読んでいると、いろいろ考えさせられます。とはいうものの、1日に1時間程度しか読む時間をとらないようにしております。同じ料理でも、なぜかつまみ食いの方がおいしいもので、ついついそちらに時間を割いて、本業がおざなりということになりかねません。それにしても、小林秀雄だからでしょうか、文学者というのは言語道断なところがあって、人間をありのままに見るという特権にめぐまれているようです。その特権をどのように活用するのかは、その人しだいという気もしまが。「ヒットラアの『我が『闘争』」を体制批判と読むのは、間違いではないのでしょうが、あまりおもしろくない。「舞台裏」を書くと、火曜日に掲載した文章が全文ですが、彼が愛そうとしても愛せない対象に出くわしてしまったときの反応がおもしろくて読んでいたということになります。

 文学者に限らず、学者さんというのは、対象に愛情をもって接するのものだと思います。私は、「時の最果て」でよく量子力学、それもハイゼンベルグの文章を持ち出しますが、他の物理学者だって、対象を愛していたし、現在でもそうでしょう。別に、対象を愛するのは学者さんだけの特権ではないでしょう。私の父もそうですが、それぞれの仕事で仕事に愛着をもっている方は、そうでない方よりもはるかに多いと想像しております。ここで私はなにか、職業に卑賤なしとか、そういうことを論じたいわけではありません。昨日は、激しい勢いで書きましたが、戦争を美化したか批判したか、職業の卑賤とか、そういうものの見方は、人間の思考のあり方の一つだけれども、そのような思考のあり方を離れると、私を見れば一目瞭然ですが利巧にはならないけれども、ちょっと違った景色が見えてきますよということです。せっかくの人生、楽しんで生きなくては、おもしろくもなんともないじゃないですか。

 たとえば、小林秀雄の評論家人生の最初は、プロレタリア文学の批評に多くを割いています。マルキシズムの批判というのはいろいろあります。私の能力が乏しいために、ごく一部しか読んでおりません。一例として、「唯物史観というのはキリスト教的世界観の亜流だ」という趣旨の批判のしかたがあります。実は、これはなにかを言っているようでなにも言っていない話だと思います。たとえば、西欧文明を理解するときにキリスト教を信仰はしなくても、少しぐらいは理解しておく必要があるでしょう(宗教については幼少時の経験でどこかで嫌悪感をもっていることを率直に記しておきます)。西欧文明におけるキリスト教の影響は、日本人の想像を絶するものがあるでしょう。それでは、そのような文明の中で近代において「キリスト教的世界観の亜流」であるマルキシズムというイデオロギーがなぜ他のイデオロギーよりも強い影響力をもったのかという問題をたてることもできます。あるいは、20世紀の前半においても西欧の科学者たちがキリスト教から多くの影響を受けていたようです。そこを踏まえて、キリスト教的世界観がなぜ2000年近くも西欧において受容され続けてきたのかという問いを立てることもできるでしょう。もちろん、キリスト教的世界観の「普遍性」に目を向けるのか、「特殊性」に目を向けるのかでも問題は変わるでしょう。学業を本業とされている方が、このようなナイーブな問題の立て方をするとは思いません。ただ、考えるということの始原というのは、案外、こんなところじゃないのかなと思ったりします。

 お約束のようにとりとめがなくなりましたが、対象を愛し続けるのにも情熱が必要です。小林秀雄は亡くなるまで「業」が深かったようで亡くなるまで考え続けていたようです。他方で、すべてを愛することは誰しもできない。「ヒットラアの『我が闘争』」から完全に離れてしまいますが、ある水準を超えると、なにを拒絶するのかが難しくなってきます。それ以前の問題として、一個の人間がなすことは有限であり、それと比すれば、やれることは無限に等しいといってよいほどあるということです。前者の問題は、私のような凡夫には縁が薄いのですが、後者の問題は非常に悩ましい。あれもやりたいな、これもやりたいなと考えることは簡単なのですが(実はそうでもないのですが、今回はそういうことにしておきます)、やれることは限られている。そうすると、上手に対象を「捨てる」しかなくなります。実は、対象を愛し続けることと、少なくとも同じ程度に、上手に「捨てる」ことは難しい。「捨てた」話の中に本筋が入っていたなどというのは、私みたいな凡夫にはよくあることで、泣きたい気分になることはよくあります。

 若い人たちを見ていると、「可能性の世界」というのは大変だなと思います。捨てざるをえないものが多すぎる。そこでたじろぐ人、深く考えずに上手に捨ててしまう人、考えすぎて捨ててはいけないものを捨ててしまう人、本当に多種多様です。私もいつまで生きられるのかわかりませんが、若い人たちから学ぶことが増えてきていることを感じます。もういい歳なので若い人にお説教を垂れるぐらいのことはしてあげなくてはならないのですが、彼らから教えてもらうことが多くて、いつまでたっても子供なんだなあと幸せなのか、不幸せなのか、自分でもわかりませんが、そんな「寝言」が浮かんでしまいます。 
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2007年04月05日

考える楽しさ

 年度の始まりはなかなか大変でありまして、三日連続の飲酒。飲めないわけではないので楽しいのですが、三十路半ばをすぎると、厳しいものがあります。平常モードも、煎じ詰めれば、体力勝負。早く週末を迎えて、散歩とジムに通いたいとそれだけを願っております。

 珈琲様からコメントを賜って思わぬ展開になり、M.N.生様のコメントを拝読してちとしゃべりすぎたかなと思いますが、「善意の怖さ」を書くきっかけが小林秀雄の「様々なる意匠」の最後の一節がふと頭に浮かんだことでした。たまたま新潮文庫が見当たらなかったので、『全集』を図書館から借りてきて確認をしていたという、われながら、計画性に乏しい話です。なにかの拍子に、いろんな先達の方々の言葉が思い浮かぶのですが、小林秀雄はときに鋭い刃物でえぐるような感覚があって、2006年6月2日には「匹夫不可奪志」というエッセーを「寝言」モード全開でとりあげております(なにでスイッチが入ったのかは、すっかり忘れてしまったのですが)。こんな話ばかりしておりますと、やじゅんさんを「年齢詐称疑惑」でからかえなくなるので、今回で小林秀雄の周辺を散歩するのは終了です。ブログの記事のネタから離れて『全集』を読みたいということもありますが。

 実生活では小林秀雄が好きだなどということは、口に出さないことにしております。碌な目にあったことがないんですね。月曜日に「…小林秀雄はなんとか読める。そして、鼻につく。しかし、小林秀雄には失礼ですが、どこかウマが合う」などと傲慢なことを思わず口走ってしまいましたが、これはさすがに思い上がりだなあと。「自分に甘い」「頭のいかれた『外道』」には、後で引用する「文科の学生諸君へ」などを読んでいると、昔の方が若いときに済ませていた「バカ」をしていなかったツケを払っているのだなと思えばよいのかなと思ったりします。同じ『全集』第5巻に収録されている「『日本的なもの』の問題 I」(初出「月刊文章」、昭和十二年四月(昭和53−54年刊の第四次小林秀雄全集(「新訂小林秀雄全集」)には収録されていない)、「『日本的なもの』の問題II」(初出「東京朝日新聞」、昭和十二年四月)なども、古くなっていないことに驚かされます。自分でも「ジジ臭い」かなと思いますが、目の開いている人はいつの時代でも少数で、ゆえに古くならないというどこかでふと感じることが、頭をよぎります。自分が「目が開いていること」を主張するものではなく、ハッとさせられるというのが正直な感覚です。

 コメント欄では同世代と一つ上ぐらいの世代に関してボロクソに書いておりますが、ちょっとだけフォローしておきます。といっても、この方のことをネットで書くのは「勇気」がいるんですね。ファンサイト(旧サイトは閉鎖に追い込まれました)、某巨大掲示板群でも荒れているところしか見たことがないので、著書からの引用だけしておきます。

 ヴァイオリンがとても好きだったという文芸評論家の小林秀雄氏の『音楽談義』のカセット・テープを聞かせていただいたことがあるが、その中で小林氏は、飄々とした口調で、「世の中には、ストラディヴァリウスを上手く鳴らすヴァイオリニストと、グァルネリ・デル・ジェスを上手く鳴らすヴァイオリニストと、二通りのヴァイオリニストがいるということですよ。ヴァイオリニストというのは、要するに、この二つの楽器が本来もっている音を、どうやって完全に引き出すかという仕事をする人のことを言うんです」
と語っていらした。
 勿論、小林秀雄氏は音楽の専門家ではない。音楽について、どれだけの造詣をもっていらっしゃった方か、名著『モオツァルト』の存在を知るのみで、私には窺う由もないのだけれど、大家とは、一言で物事の真髄を衝く表現をするものである。今、演奏している楽器について言えば、私は、この大切な人類の文化遺産をお預かりして、音楽を演奏させていただいている、ということになるのだろうか(諏訪内晶子『ヴァイオリンと翔る』NHK出版 1995年 72−73頁)。

 過疎地とはいえ、よけいなことを書くと、「炎上」となる可能性が高いので「燃料」はナシですよ。私とほぼ同世代でも、ヴァイオリンという楽器に限定されていますが、小林秀雄の言葉が印象的に響くように感じる方がいらっしゃるようです。

 さて、思わぬ「連載」となった「小林秀雄シリーズ」の〆は「文科の学生諸君へ」(恥ずかしいのですが、「文」の字の旧字体の出し方が解らないので新字体でまいります(涙))の冒頭部分です。引用ばかりで恐縮ですが、意外と手間をとる作業ではあります。「戰爭について」と同じく『全集』第5巻に収録されています。初出は『文学界』(先述の理由でこちらも新字体でごめんなさい)です。約70年前の文章ですが、まるで古臭く感じないことに驚かされます。『全集』には、いろいろ考えさせられることが多い文章が収録されていますが、この評論を読んで一生、勉強して楽しんでゆけばよいのだなあと、幸せな「寝言」が浮かんでしまいました。しつこい私は、棺桶の蓋が閉まっても、考え続けているのかもしれません。

 それにしても、小林秀雄の文章を読んだときに、ちょっとナルシストかなと思い、「近親憎悪」を覚えた気がいたしますが、ご本人が飄々と語っているので、愉快です。もし、私が今、「文科の学生諸君へ」を書いたなら、「もっとスケールの大きいバカになれ。太ることも学ぶことだ。『せごどん』はきついが目標ぐらいにはしろ」なんてわけわかめのことを口走ったりして。
 

文科の学生諸君へ


 僕はかつて文科の学生であったし、今も文科の学生諸君へ接する機会が一番多いので、そういうつもりで書こうと思う。自分のことばかりしゃべるようになりはしないかとも思うが。
 現代の学生の心は非常に不安であり、性格が分裂し、懐疑的であり云々のことがよく言われるが、僕は自分がまさしくそういう学生であったから、別にそういうことを深く感じないのである。僕の学生時代から見ると、今日の時代の方が、確信を抱いて生きがたい時代になっているということは、まさにそうだろうと思うが、どんな時代にしたって人間としての真の確信というものをつかまえるのは、生やさしい仕事ではないし、ほんと言えば青年の手に合う仕事ではない。時代の反映であろうが、生理的反映であろうが、精神の不安は青年の特権である、という考えを僕は自分の青年時代の経験から信じている。
 高等学校の一年生のとき、はじめて志賀直哉氏に会ったとき、聞いた話のうちでまだよく覚えている言葉がある。言われたとおり僕が実行し、言われたとおりになったからよく覚えているのだろう。「君らの年頃では、いくらうぬぼれてもうぬぼれすぎるということはない。うぬぼれすぎていてちょうどいいのだ。やがてそうはいかないときはからなず来るのだから」。以来僕はうぬぼれることにかけては人後に落ちまいと心がけた。何が何やら解らなくなっても、このくらい物事がわからなくなるのは大したことだとうぬぼれることにしていた。「改造」に初めて懸賞論文を出したときも、一等だと信じて少しも疑わず、一等賞金だけ前借して呑んでしまい、発表になって二等だったのでおおいに弱った。僕は不幸にして抜群の資質などというものをもって生まれなかったから、学ばずしてえるという天才的快楽をかつて経験した覚えはない。だからなんでも学んでうべしという主義である。うぬぼれだって手をつかねて生ずるものではない。うぬぼれだって学んでえるのだ。絶望するのにも才能を要し、その才能も学んでえなくてはならぬとさえ考えている。

初出「文学界」(昭和十二年四月)、『小林秀雄全集第五卷』(平成十五年 新潮社 101−102頁)所収。
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2007年04月03日

様々なる意匠:考える、すなわち自由

 
私は、今日日本文壇の様々な意匠の、少なくとも重要とみえるものの間は、散歩したと信ずる。私は、何物かを求めようとしてこれらの意匠を輕蔑しようとしたのでは決してない。たゞ一つの意匠をあまり信用し過ぎない爲に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない。
(「様々なる意匠」(初出「改造」昭和四年九月) 『小林秀雄全集第一卷 様々なる意匠・ランボオ』平成一三年 新潮社 133−151頁)

 最初に読んだときに、なんと「ええかっこしい」なんだろうと思いました。三島由紀夫はあまりに耽美的で投げ出してしまいましたが、小林秀雄はなんとか読める。そして、鼻につく。しかし、小林秀雄には失礼ですが、どこかウマが合う。芥川龍之介の評論と並んで、高校時代、出題されると、満点に近い得点だったので、なぜ、そんな点数が出るのか自分でもわからずじまいで、不思議な感覚だけが残りました。「現国」のおかげで小林秀雄を嫌う人が多いのも理解できなくはないです。自分でも点数がでた理由がわからないので、点数が今一つでない人には嫌われて当然だろうと。芥川は好きでしたが、『河童』を読んでからダメになってしまいました。早くもお約束どおり、とりとめがなくなってきましたが、「敗北の文学」をよんで、逆でしょうと考えた時期がありました。文学に命を捧げた芥川が、創造できなくなれば、死ぬしかない。……。これでは評論にならないので、文芸評論は無理だということを深く自覚した覚えがあります。

 芥川と比較するのは無理がありますが、小林秀雄の対照的なまでのふてぶてしさと女々しさがなんともいえず、恥ずかしいことを告白してしまうと、小林秀雄が好きです。うっかり小林秀雄が好きだなどともらしてしまうと、意地の悪い人たちに囲まれて、小林が自分の文章を読まされて、「誰だ、こんな難しい話を書いたのは!」などというまことしやかな話まで小林嫌いからは聞かされる始末。さらに、政治色の強い方ですと、戦時中に戦争を「美化」した文章を読めとか言われて、素直に読んで、「戦時中だったら別に普通でしょ」と思ってしまう自分が怖い。悔し紛れに、「利巧な奴はたんと反省するがいい。俺は馬鹿だから反省しない」みたいなことを言ってしまうあたりが、お茶目な感じです。まともな小林秀雄ファンを釣る意図はないのですが、ちょっと口の悪い日本人に特異な表現能力があったら、こんな感じかなと思ってしまう。ここまで書いたら、啖呵を切るのに躊躇うこともないでしょう。「寝言」のモデルは小林秀雄なのである。

 というのはさすがに悪い冗談でありまして、ただ、悔しいことに(本当は別に悔しくもないのですが)、私がない頭をひねってうんうん呻いているときに、ぽーんとあっさり言いたいことを表現されてしまう。冒頭で引用した「様々なる意匠」の最後の部分などは、小林が27歳のときに「改造」に掲載されたというのが、ちょっとだけひいてしまいます。この年(当時の小林よりも約10歳年上)になって、あれが単なる「ええかっこしい」ではないことを実感してきます。みんながああでもないこうでもない、私自身も、こうかなああかなとあれこれ考えているうちに、あの文章が浮かんできます。『寝言@時の最果て』など今日、明日にでもすぐに「店じまい」ができますが、本業ではそうはいかぬ。まあ、本業も「寝言」みたいなものなので、本質はいっしょかな。「たゞ一つの意匠をあまり信用し過ぎない爲に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」というのは、「誠心誠意、嘘をつく」とは異なる、真剣にやるふりなのでしょう。ある「体質」をもってしまうと、こういう形でしか、自己表現ができないことに気がついてしまう。

 文芸評論や政治評論などは門外漢なので、私の「ホームグラウンド」での話ですが、嫌悪感をもたざるをえない極論ですら、真実を含んでいることを認めざるをえない。それに反発したところで、なにかが示せるわけではない。他方で、「たゞ一つの意匠をあまり信用し過ぎない爲に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」という姿勢は、新しいものを生む源にはならないでしょう。ただ、見ている世界が同じなのにもかかわらず、少しだけ違う景色が見えてくる。あるいは違う景色が見える出発点にすぎない。そして、戻ってくる目的地も同じだったりする。私の頭が悪いのか、「神様」の悪戯なのか、ふざけた世界でからかわれている気分になることもありますが、考えるということはこんなに自由なことなのかと小林秀雄のなんともいえない悲壮感とはかけ離れて、考えることの楽しさを満喫してしまいます。
posted by Hache at 00:58| Comment(4) | TrackBack(0) | 幸せな?寝言