2007年05月02日

『第一次世界大戦と日本海軍』メモ(8) 第3章(A)

【さくらインターネットからのお知らせ】

 本題の前にお知らせです。以前、管理画面へのアクセスが不安定だと書きましたが、4月28日から5月1日に障害が発生していたとの連絡がさくらインターネットからありました。

[障害]さくらのブログ

 なお、この障害を受けて、データベースのメンテナンスが下記の通り、実施されました。5月1日の午後5時から午後5時5分までコメントとトラックバックは受け付けない状態になっていました。ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。ただ、記事を投稿しようとしたら、メンテ以前の状態になっていて、参りました。コメントへのリプライを書き込もうとすると、"502 Proxy Error"と表示される始末。いったい、どうなってるんだか…。5分で直さなくてかまわないので、ちゃんと対応していただきたいものです。

【重要】[ さくらのブログ 緊急メンテナンスのお知らせ ]

 ちなみにさくらインターネットから連絡がありました。原因については調査中とのことです。とりあえず、管理画面に接続できたので、記事を掲載します。しばらく不安定な状態が続くかもしれません。

[障害] さくらのブログ


【平間洋一『第一次世界大戦と日本海軍』(慶應義塾大学出版会 1998年)】

 今回は、第三章「太平洋における軍事行動と日米関係」に関するメモの一回目です。第3章(表記が漢数字になったり、通常の数字になったりしますが、原著からの引用、あるいは原著に忠実に記述する場合のみ漢数字を用いるものとします)は、第2章とならんで、注を含めて50頁ほどの分量になります。最も長いのが最終章の第6章で60頁弱です。本書の副題「外交と軍事の連接」からすれば、南洋諸島占領と対英豪関係(第2章)、対米関係(第3章)が重視されるのはもっともだと思います。

 やや形式的ですが、第3章の各節のタイトルを引用いたします。

第一節 巡洋艦浅間のマグダレナ湾座礁事故と日米メキシコ関係
第二節 日本海軍のハワイ警備と石井・ランシング協定
第三節 南洋群島の領有と日米関係

個々の対象は具体的で明確ですが、分析は本書全体を貫く特徴ですが、軍事だけでなく、外交政策と交渉、当時の国内世論や相手国の世論の検討など多面的に行われています。第二節をとりあげる際に触れますが、岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』では、石井・ランシング協定の背後には日米の関係改善に熱意をもつイギリス外交のサポートがあったことが指摘されています。この時期の日米関係は、対立と同時に協調の側面があり、結果から見れば、この時期に南洋群島の領有によって日米の緊張が高まる種の一つが蒔かれていたことになりますが、平間先生は冷徹に日米関係の「明」と「暗」を分析して、日米戦争必然論とは一線を画しています。

 他方で、日米が、ドイツという共通の敵から「解放」されれば、太平洋をめぐって角逐する可能性が高まることも指摘されています。話が飛躍しますが、本章を読みながら、ウィルソン主義が「帝国の時代」にとって代わることはなく、結果的に、日英同盟という安全弁を日本だけでなく、アメリカからも奪ったことの重大さを感じます。日本の世論は、本書では省かれておりますが、アメリカの排日運動にナイーブな状態だったこと(現在でも戦前から日本人のアメリカへの認識が本当に進歩したのかは怪しい部分がありますが)や、本章で示されるアメリカの世論のナイーブさ、外交の稚拙さなどを痛感します。

 第1節では、メキシコ内乱から書き始められていますが、ここを無理に説明すると冗長になりますので、後で簡単に紹介しております。この節の主題は、1914年12月31日、北米西岸においてドイツ東洋艦隊の追跡作戦に参加していた巡洋艦浅間がマグダレナ湾に入泊中、座礁した事故が日米の緊張を煽るよう、利用された事態を分析することです。1913年11月以降、巡洋艦出雲がメキシコ内乱によってメキシコ西岸で在留邦人保護にあたっていました。その後、出雲は、第一次世界大戦の勃発とともに、イギリスの要請で北米西岸の哨戒を行っていました。ドイツ東洋艦隊が北米方面に出現する可能性が高まると、1914年10月1日に出雲艦長指揮下に遣米支隊が編成され、旧式戦艦肥前(日露戦争の戦利艦)が10月8日に、巡洋艦浅間が11月10日に参加しました。肥前と浅間は、イギリス巡洋艦ニューカッスル、オーストラリア巡洋艦オーストラリア、カナダ軽巡洋艦レインボーと協同でドイツ東洋艦隊の追跡作戦に参加することとなりました。浅間の座礁は、この作戦中に起きた純粋な事故(「水路中央の海図未記載の暗礁に座礁」(108頁))でした。

 なお、マグダレナ湾は、カリフォルニアの南西に位置するメキシコのバハカリフォルニアの太平洋岸に位置します。これという地図が見当たらないので、こちら(直リンを避けるためにアドレスの一部のみ記載しておきます。ttp://www.lextours.com/baja/whale.html)をご覧下さい。

 事故当初は、アメリカ政府・海軍の対応も好意的でした。本書での描写は微妙な部分がありますが、アメリカの参戦が1917年4月(対独宣戦布告)であることを考えると、「中立」という建前に反しない範囲で情報漏洩の防止や浅間の修理に協力的だったと評価できます。なお、浅間の座礁後、アメリカ海軍は、1915年1月5日に砲艦ラリーを、6日には巡洋艦カリフォルニア(太平洋戦隊司令官ハワード少将乗艦)を派遣し、状況を調査するとともに、救助を行いました。

 ところが、驚くべきことに、1915年4月14日にロサンゼルス・タイムズ紙が一面トップで悪意に満ちた記事を掲載しました。同紙は、特派員ネイサンを派遣して5枚の写真ともに、タートル湾内で日本海軍が機雷を敷設してアメリカ艦艇の入港を拒否する可能性を示唆するばかりでなく、「日本政府は数時間で引き降ろせる軟土に浅間を座礁させ、それを口実に艦艇を集め基地を確保しようとしていると私は確信する」(110頁)との記事を載せてしまいました。長くなりましたが、浅間座礁事故そのものというよりも、この虚報に集約される日米墨の関係が分析の対象です。

(1)メキシコの「思惑」

 1911年のメキシコ革命を主導したのは、アメリカの支援を受けたマデロでした。マデロの急進的な改革が国内の混乱を招くと、アメリカ駐メキシコ大使ウィルソン(Henry Lane Wilson 第28代アメリカ合衆国大統領Thomas Woodrow Wilsonとは異なる)は勝手にウエルタを支援して1913年2月にクーデタを惹起して、マデロを失脚させてしまいました。英仏独日はウエルタ政権を承認しましたが、アメリカはタフト政権からウィルソン政権へ交代すると、ウエルタ政権を承認せずにマデローの流れである立憲派の北部コアウイラ州知事のカランサを支持しました。1914年7月には、ウエルタは大統領の職を辞任してカランサが暫定大統領となりました。しかし、メキシコ国内は、アメリカの強引な干渉と国内の有力者ヴィヤ将軍がカランサ政権を支持しないなど内乱状態にありました。

 日本は、1913年11月に出雲をメキシコのマンサニョに派遣するにあたって、日本駐在の英米独仏の各大使に派遣の目的は邦人保護であって、「ヴィジット・オブ・コーテシーではないことを通告」(111頁)しました。しかし、安達峯一郎駐メキシコ公使は、出雲の派遣を要請する際に「特別ノ御詮議ヲ以テ『ヴィジット・オブ・コーテシィ〔Visit of Courtesy―公式な親善訪問〕トシテ帝国軍艦派遣ノ件至急御決定相成様致度、切望ニ堪ヘス」という要請を行っていました。露悪的に平間先生の叙述を表現してしまうと、当時の政府は、公式には親善訪問であることを否定して、内実では公使の言い分をのんでいたということになります。

 メキシコ側は、当然のごとく、「出雲の派遣を邦人保護としてではなく、日・メキシコ友好親善を強化する『ヴィジット・オブ・コーテシー』と大々的に報じ」(111頁)ました。ニューヨーク・タイムズがこれを批判するなど話がこじれました。さらに、困ったことに「安達公使は渋る森山艦長を押し切り、艦長など士官一五名を首都に呼び国威発揚に利用し」(111頁)てしまいました。このあたりは、「デフォルトするぞ」と脅してリスケを迫るメキシコの弱者の「狡猾さ」に軽薄な公使が自ら音頭をとっているようで実は乗せられているように見えてしまいます。

 平間先生の分析から外れてしまうのですが、アメリカのウィルソン大使、日本の安達公使、いずれも「困ったちゃん」です(まあ、陸軍以前に、この時点で公使が「暴走」しているわけですが)。他方で、日本の「本音」と「建前」、アメリカの政権交代による180度といってもよい方向転換とナイーブさの方向は異なりますが、日米双方の外交の稚拙さが垣間見れます。さらにいえば、アメリカのナイーブさは、少なくとも、この問題に限定する限り、結果としてカランサ政権が1917年に現行憲法を制定する結果になったという点で救われているのにたいし、日本のナイーブさはアメリカの反日感情を煽っただけに終わったという点に興味がゆきます。完全に「紹介」から離れますが、端的にいえば、アメリカの国力を考えれば、二手間違えても、自滅の危険がないのに対し、日本は二手間違えると、危ういという程度に差があったのでしょう。私自身は、この虚報事件自体は小さな出来事だと思うのですが、いろいろな意味で日米の「ナイーブさ」が集約されていて、平間先生の緻密な分析を外れて「寝言」をぶつぶつ呟きたくなります。

(2)日米関係

 人種問題は、当時の日米関係を著しく損ねていました。カリフォルニアの移民問題が有名ですが、浅間座礁事件も、最大限、排日のために利用されました。ロッジ上院議員は、メキシコに海軍基地を日本が獲得する危険を喚起し、大統領に調査を要望する決議案を通過させました。当然ではありますが、「第六二議会で大統領は、直接又は間接に日本がメキシコで土地を取得しようとしている証拠はないとの調査結果を発表した」(113頁)。しかるに、以下に引用する事態になりました。

 しかし、ロッジ議員はこの説明に満足せず、モンロー主義の太平洋への最初の適用ともいわれた次の決議案を提出し、八月ニ日に五一対四で上院を通過させた。

「合衆国の交通若しくは安全を脅威するが如き位置にある港又はその他の場所を、米国以外の外国政府、会社あるいは個人が海軍若しくは陸軍用の目的を以て所有することを重大視せざるを得ない」(113頁)。
 

ニューヨークの日本協会は、「日米開戦不可能の理由十一項目」を新聞広告に掲載するほど、「日米開戦」の噂が広がっていたことも指摘されています。よけいな感想ですが、日米同盟、あるいは日米安保体制のおかげでこのようなアメリカの「ブレ」が抑制されていることを、当時と現在では時代背景が異なるとはいえ、しみじみ実感いたします。この恵まれた環境で外交が難しいなどといってはならないとしみじみ思います。

(3)アメリカ海軍の対応

 ロサンゼルス・タイムズ紙の報道にアメリカ海軍も反応しました。まず、1915年4月17日にニューオーリンズを派遣し、艦長ヘンドリクソン大佐が報道を示して「暗ニ状況視察ノ意ヲ漏ラシ」(114頁)たものの、「滞在時間も短く極めて形式的」(114頁)な派遣に終わりました。さらに、太平洋予備戦隊司令官ポンド(Charles F. Pond)少将が、 4月15日のサンディエゴ・ユニオン紙で、ロサンゼルス・タイムズ紙の報道を痛烈なまでに批判しました。ヘンドリクソン大佐もサンディエゴ・ユニオン紙でロサンゼルス・タイムズ紙の報道を明確に虚報であることを示す報告(一例として、浅間が座礁したのは軟土ではなく岩礁であるなど)を行いました。サンディエゴ・ユニオン紙は、当時の「責任ある新聞」というところでしょうか。

 注目すべきは、アメリカ海軍の対応に関する平間先生の叙述で引用されている駐米イギリス大使スプリング・ライス(Sir Cecil A. Spring-Rice)の報告です。
 
「…(前略)日本が対華二十一ヶ条の要求を完遂し、東洋における覇権を確立することにアメリカが干渉するならば、対米戦争も辞さないとの意志を示すため、故意に浅間を座礁させ、救助を名目に艦艇を集め、アメリカに圧力を加えているとの『うわさ』(原文では縦書き引用になっているが、文字化けするため、二重かぎかっこに転換した:引用者)を流布している。アメリカ海軍当局は単なる反日キャンペーンに過ぎないと確信しているが、最も危険なのはカリフォルニアにおける世論の動向である」(115頁)。

 簡潔ですが、実に的確な観察だと思います。情勢判断の基礎は正確な情勢観察であることを実感させられる報告です。もちろん、イギリス外交がすべて正しい情報の基礎の上にあったわけではないのでしょう。死んだ子の齢を数えるようなものですが、日英同盟が情報という点に限定したとしても、各地の大使館など公的機関から集まってくる情報を共有するだけで、帝国が「頓死」する確率は格段に下がったであろうと思わずにはいられません。第2節では、日米海軍協定にもとづく日本海軍のハワイ警備行動が対象となるために石井・ランシング協定もとりあげられていますが、残念ながら、石井・ランシング協定の背景にイギリスの仲介があったことは触れられておりません。第2章ではイギリスの錯誤が強調されていましたが、平間先生の叙述を丹念におってゆくと、浅間座礁事故のように細かい話といっては失礼かもしれませんが、このような問題でも、イギリスの情勢分析の正確さには驚きます。もちろん、ニコルソンが古典的著作で描いたような理想的な外交官像がすべてのイギリス外交官にあてはまるわけではないでしょう。場合によっては、日米の外交官よりも野卑な例外もあるでしょう。他方で、クロー覚書に代表されるイギリス外交の情勢分析は、イギリスの覇権からアメリカへの派遣の移行期にあると見られている時期においても、むしろ他国から抜きんでた高い価値をもっていました。日英同盟は、日露戦争の勝利とその後の三国協商によって日英両国にとって戦略的価値を減じたと理解している場合が多いようですが、少なくとも日本側に限定すれば、当時の世界で最上の情報がえられるというだけでも、同盟存続の意義は大きかったと思います。

 なお、115頁の末尾から119頁まで「虚報の原因」の分析が行われていますが、安達公使の「暴走」、三井物産など民間業者の関与など日墨の利害関係に加えて、「黄禍論」を広げて日本と同盟したイギリスとアメリカの離反を図ったドイツの「陰謀の影」などが実証的に示唆されていることを記すに留めます。ドイツの「黄禍論」は、当時の日米関係を悪化させるのにある程度まで貢献したのでしょうが、そうでなくても、アメリカ国内、とりわけカリフォルニアの排日運動は、観念的な問題ではなく、日本からの移民に経済的競争に敗れるかもしれないという、カリフォルニアのアメリカ人からすれば、はるかに切実な現実に起因するところが大きいでしょう。また、メキシコ問題に関していえば、「黄禍論」よりも現場の公使の「暴走」の方が、赤裸々なまでに機会主義的で、こちらの方が、日本外交にとってより大きなダメージとなったように平間先生の叙述からは感じました。

 『第一次世界大戦と日本海軍』から完全に離れてしまいますが、平間先生が叙述されていることと叙述していないことを考えてゆくと、あらためて日英同盟が日本にとって戦略的意義を失っていなかったことを実感いたします。第5章で、地中海への特務艦隊派遣と陸軍の派兵問題がとりあげられるのですが、特務艦隊の派遣は成功裡に終わったものの、陸軍の派兵への世論の反応はあまりにもナイーブでした。当時の日本人を批判することが目的なのではなく、欧州への派兵の戦略的価値を理解することは非常に困難でした。同盟の戦略的価値を自覚的に追求することの難しさを感じます。欧州への派兵は目に見える同盟の「コスト」ですが、情報という見えない「効果」あるいは「ベネフィット」というのは、今日でも評価が難しいでしょう。完全に飛躍しますが、このような同盟の総合的な「マネジメント」を確立してゆく意識的な努力を欠いては、集団的自衛権の行使に関する解釈をまともにしただけでは、形だけになるでしょう。現状では、解釈を正常化することが最大の課題ですが、より長期的に同盟を「マネジメント」してゆくしかけをつくってゆく、不断の意識的な努力が不可欠だと考えます。

 最後に、日米双方の「ナイーブさ」をとりあげましたが、アメリカのナイーブさは、徹底した三権分立に象徴されるチェック・アンド・バランスの下での逸脱行為であることも少なくなく、さらに、カリフォルニアの排日運動に関していえば、州と連邦というアメリカ独特の問題も絡む、問題です。徹底した分権的社会では、ある局部のみをとりだせば、一時的には極論が世論を支配しているかのように見えることもあるでしょう。しかし、浅間座礁事故への対処と「虚報」へのアメリカ海軍や政府の対応は、中立という国際法上の立場からゆけば、穏健であり、概ね妥当であると思います。また、逆に行政府の「誤り」は、様々な立場から是正する圧力がかかります。

 今回の記事で述べたことは、現代とは時代背景が大きく異なります。しかし、アメリカが徹底した分権的社会であることを忘れて、アメリカの一部の大きく見える声を過大評価してしまうのは、アメリカとのおつきあいで最も危険だと思います。アメリカを美化するのが目的ではありません。アメリカとの関係は、すべてにおいて互恵的であるとは限らないでしょう。利害が一致しないことも少なくないでしょう。この国が、長期的に生存を考えるときに、アメリカという巨大な変数をどのように評価してゆくのかは、単にアメリカの軍事力だけでなく、彼らが世界中から頭脳を集め、様々な地域で利害を調整し、そのために情報を収集している現状を考えると、過小評価ほど危険なことはないと考えます。

 第1節だけでずいぶん長くなってしまいました。このシリーズを再開して実感したことをとりとめもなく、あるいは「寝言」を長々と書いてしまいました。最後までスクロールしていただいた、忍耐強い読者の皆様に心より感謝の念を申し上げます。

2007年04月30日

同盟の双務性 『第一次世界大戦と日本海軍』再び

 先週は、日米首脳会談が行われました。マスメディアだけでなく、ネットでの記事も斜め読みしておりますが、エネルギー安全保障や環境問題、拉致問題などに関する報道が多く、中には、「ジョージ、シンゾウ」というパフォーマンスも話題になっているようです。また、慰安婦問題もとりあげられています。これらの「論点」は、私も大切だと思います。しかし、いかれた「外道」には、儀礼やパフォーマンスなどが揶揄をこめて語られる中で、安倍総理が小泉後の日米関係をひとまず継承することに成果を収めたという点を評価しております。こちらで(コメント欄の11番目あたりです)、「小泉首相が退陣することで小泉−ブッシュ関係は終焉します。現在、日米関係は良好です。しかし、首脳間の個人的な関係があまりに大きい印象があります」とあまりに当たり前のことを書きました。これを書いた当時は、当たり前すぎて恥ずかしかったのですが、今回は当たり前のことをすぐに忘れてしまう方がほとんどだと気がついてびっくりしました。今回の訪米は、正直の申しますと、慰安婦問題ではひやりといたしました。小泉−ブッシュ関係を「相続」するに至ったのかは、ど素人の手に余りますが、概ね、日米関係の根幹に変化がないことを演出したという点で、歓迎しております。ただ、細かい準備のために事務方は疲労困憊のご様子。早く、回復されることを願っております。

 誰がやっても、この程度の「成果」なら収めるだろうという批判はあるでしょう。他方で、『日経』(2007年4月26日 第14版)は、「集団的自衛権 新たな憲法解釈検討」という見出しで、集団的自衛権に関する有識者懇談会を設置し、5月18日に初会合を開き、秋を目途に4類型を中心とした報告書をまとめる見通しであると報じております。このあたりは、報道だけでなく、ネットでも議論されています。「結論ありき」ということは、これに好意的な方も、批判的な方も指摘されていて、特に異論はありません。私が注目しているのは、同記事の「首相は有識者懇談会が行使の一部容認を打ち出した場合に、憲法解釈の変更で迅速に対応できるよう内閣法制局に指示したものとみられる」という記述です。例によって、曖昧な表現ですが、有識者懇談会の設置自体も大切ですが、有識者懇談会での議論が内閣法制局の解釈に反映されなければ、意味がありません。この記事の内容を信用するならば、安倍総理は、掛け声だけでなく、実際に集団的自衛権の政府解釈をまともなものにする決意だけでなく、実際の手はずまで進めていると思います。

 もちろん、有識者懇談会の議論が、解釈変更や日米同盟の基本政策にストレートに反映される保障はどこにもありません。私は、集団的自衛権の問題をクリアーし、そこからさらに日米同盟の双務性を高めることが、オブラートに包めば極東の平和、露骨にいえば、日本の利益になると考えております。当然ではありますが、同盟の双務性を高めれば、同盟関係から生じる様々な費用、リスクをシェアする必要があるでしょう。それが、日本の安全にとってみあうものなのかについては、より説得的な議論が必要だと思います。しかるに、このブログは『寝言@時の最果て』であります。この問題を「寝言」アプローチで考えてみましょうというわけです。

 2006年の5月23日から「『第一次世界大戦と日本海軍』メモ」という「シリーズ」を散発的にではありますが、連載したことがあります。その準備として「日英同盟の形成にみる偶然と必然」という、本体以上に長い準備作業用のメモを書いたこともあります。平間洋一先生の『第一次世界大戦と日本海軍』メモは、7回で中断してしまいました。第一次世界大戦前後の国際情勢や当時の戦争にあまりに無知なことに気がついたからです。中断して以降も、ぽつぽつと資料を集めておりますが、どうも作業が進みません。第一次世界大戦前には、日英同盟は攻守同盟へ発展していました。日英同盟が、極めて限定的とはいえ、攻守同盟としての役割を果たしたのにもかかわらず、1921年の四ヶ国条約によって廃棄されてしまいました。他方で、英国が欧州大戦での日本への軍事的「貢献」を求めたことに対する当時の世論の反応は興味深く感じます。勉強不足の点が多いのですが、再び、このメモを週に1回程度でしょうが、更新して、同盟の本質とまではゆかなくても、双務性の高い同盟特有の困難さについて考えてまいりたいと思います。

 以下は、過去に掲載した「寝言」一覧です。ここで、まとめておくのが、記事を書く上で便利なので、整理しておきます。それにしても、「テロ」や「台湾海峡」と「妨害」をうけて、首領様が「ミサイル発射」で「とどめ」をさしてくださったのだと実感いたします。

【『第一次世界大戦と日本海軍』】

(1) 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ1
(2) 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ2
(3) 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ3
(4) 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ4 ナイーブなアメリカ
(5) 伊吹の武士道と矢矧砲撃事件 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ5
(6) 南洋群島の占領 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ6
(7) イギリスの錯誤 オーストラリアの強欲 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ7

【日英同盟の形成にみる偶然と必然】

(1) 日英同盟の形成にみる偶然と必然
(2) 日英同盟の形成にみる偶然と必然(2)
(3) 日英同盟の形成にみる偶然と必然(3)
(4) 日英同盟の形成にみる偶然と必然(4)
(5) 日英同盟の形成にみる偶然と必然(5)
(6) 日英同盟の形成にみる偶然と必然(6)
(7) 自国を信じるということ 日英同盟の形成にみる偶然と必然(7)
(8) 日英同盟の形成にみる偶然と必然 まとめ

2007年04月04日

小林秀雄「戰爭について」

 昨日の記事を書き終えて、そういえば戦争を「美化」した評論はどれだろうと、ネットで検索していると、「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」の「小林秀雄(批評家)」の欄にこんな記述がありました。違和感がありまくりんぐなのですが。

 1937年11月、小林は『改造』誌上で『戦争について』と呼ばれるエッセイを発表し、その中で「天皇の臣民としての義務が何よりも優先する」と主張し、日中戦争に反対する人々を強い調子で批判した。小林によれば、戦争とは自然災害のようなもので、人間によってコントロールできないものである。そのため、台風をやりすごすのと同じように戦争は正しいか正しくないかにかかわらず勝たねばならないというのであった(『ウィキペディア(Wikipedia)』内の記事「小林秀雄(批評家)」より引用)。

 「天皇の臣民としての義務が何よりも優先する」という表現は、私が目を通している範囲では見たことがなく(全集を隅から隅まで読むほどの小林秀雄ファンではない)、「戰爭について」は20年近く前に、小林秀雄というのはこんな悪い奴だといわんばかりの方にとりあえず読めと言われて、読んだ覚えがあったのですが、これのどこが悪いと居直る始末。ふと、全集を手にとる機会に恵まれておりますので、「戰爭について」を読むと、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「小林秀雄(批評家)」の記事を書かれた方、あるいは書かれた方たちが小林秀雄の原文をお読みにならずに書かれたのか、新潮社、あるいは編集者が『小林秀雄全集第五卷』(平成十四年二月)の刊行にあたって戦後民主主義に迎合して『改造』に掲載された「戰爭について」を「改竄」したのか、不思議に思いました。『全集』の「戰爭について」では「天皇の臣民としての義務が何よりも優先する」という表現は見当たらず、その他の評論を読んでも、このような表現が見つかりませんでした。『全集』を隅から隅まで読み込んではいないので、読み落としているだけかもしれませんが。

 ただ、「日中戦争に反対する人々を強い調子で批判した」という「意匠」は、少なくとも「戰爭について」をどこをどう読めば、そうなるのかなと思います。「たゞ一つの意匠をあまり信用し過ぎない爲に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」と世間様に向かって啖呵を切ってしまう小林秀雄はふてぶてしく、こういう意味での「女々しさ」とは無関係じゃなかったのかなと思います。私が女々しい(「差別」用語なので不快と感じる方は、こちらでもどうぞ)と感じるのは、新潮文庫の『モオツァルト・無情という事』(不覚にも自宅の「樹海」に埋もれて「現物」は行方不明)の江藤淳氏の手による「解説」で、青山氏(記憶が誤っている可能性が大)にお前は釣る手つきをするばかりを魚を釣ったことがないじゃないかと言われた小林が、思わず涙をもらしたというあたり。

 江藤氏は文学者らしく解釈されていたと記憶しておりますが、小林秀雄の体質からすると、青山氏の言葉で涙したのではなく、戦争に負けて悔しいのだろうと。英米に復讐するとか、いやドイツの二の舞だというややこしい話を抜きにして、単純に戦争に負けたことが悔しかったのだろうと。ただただ、悔しかったのだろうと。ふと、悔しさがこみ上げてきて泣いてしまったのだろうと。現物が手元にないので、いい加減なことを書いておりますが、そんな感覚です(子供っぽさ全開の小林秀雄の言葉にわざわざ「反語」と付け加える江藤淳氏の自殺を責める気にはなれない部分があります。塩野七生さんは好きではあるのですが、江藤氏の自殺を責める文章を拝読すると、他人の「体質」にどこか鈍感な部分を感じてしまいます。江藤氏の場合、自死か狂死しかなかったのではないかと思えてしまいます)。

 予定では『小林秀雄全集第七卷』(平成十三年十月 新潮社)の「歴史の魂」(初出「新指導者」、昭和十七年七月)と「ゼークトの『一軍人の思想』について」の感想(要は泣いちゃったわけですが)を書く予定でしたが、『ウィキペディア(Wikipedia)』の「小林秀雄(批評家)」の項目の記述に違和感を覚えたので、「続き」では「戰爭について」全文を口語体で書き写しておきます。出典は、『小林秀雄全集第五卷』(平成十五年 新潮社)の248頁から255頁までです。初出は「改造」(昭和十二年十一月)です。文語体は私にはつらいので口語体に直しております。「たゞ一つの意匠をあまり信用し過ぎない爲に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」と世間様に向かって啖呵を切ったふてぶてしい人物は、どのように日中戦争(支那事変)を見ていたのか。私ごときが語るよりも、小林秀雄自身の「肉声」を口語体にしても、損なわれることはないだろうと思うのであります(口語体に書き直してみてはじめてやはり文語体の調子がよいことを実感しました)。まあ、文語体については、こちらを眺めるばかりであまり自信がなく、「変換ミス」がございましたら、御指摘を賜れれば、幸いです。なお、著作権上の問題がありますので、トラブルになる可能性がある場合、「続き」の部分は削除させて頂きます。

 それにしても、「たゞ一つの意匠をあまり信用し過ぎない」というのは理解されないものだとついため息が漏れてしまいます。どうにもならんのかなあと。日本人が日本人について一番、知っているはずなのに、このありさまかと。本居宣長に「そうでしょ?そうでしょ?」と泣きながら甘える小林秀雄を見ながら、女々しいと思いつつ、もらい泣きをしてしまう私です。


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2007年03月12日

「歴史認識問題」への違和感

 もともとものぐさな性格ですが、関心がもてないと、とことんものぐさになってしまいます。「歴史認識問題」について「異議」を唱えようというのに、南京事件や「慰安婦問題」に関する書籍を一冊も読んだこともありませんし、まして所有する気にもならないです。恥ずかしながら、この手の問題が存在することを知ったのはネット上でありまして、当時は教科書へ記述すべきかが問題になっていた記憶があります。私が、中高生だったのは1980年代でありまして、当時は南京事件に関しては1927年の事件(個人的な意見ですが、こちらの方が帝国の対中政策の転換に影響が大きかっただけに教えるべき事柄だと思うのですが)については記述があったと記憶しておりますが(高校では山川出版社の『詳説 日本史』というベタな教科書を使っていました)、1937年の方は記述がありません。現在、手元に見当たらないのですが、話題になっていた頃に確認したので、間違いないと思います。まして、「慰安婦問題」(「従軍慰安婦」という用語は、マスメディアをはじめ一般に定着しているようですが、軍属、あるいはそれに準ずるという話は聞いたことがないので、私は使いません)などは、今、話題になっている「強制連行」の有無にかかわらず、学校教育にはなじまないでしょうし、私自身、そのような教育を受けたことはありませんでした。回りくどい話から入りましたが、反発をおそれずに書きましょう。要は、南京事件にせよ、「慰安婦問題」にせよ、私みたいないかれた「外道」からすると、「歴史認識問題」ではなく、「政治問題」にしか映らないということです。

 もちろん、戦争には戦場での逸脱行為がつきものです。規律が徹底して逸脱行為そのものがないことが好ましいとは思いますが、現実に逸脱行為があった場合には厳正な処分が望ましいことも自明です。これは、戦争の悲惨さを和らげるという人道上の問題が根本だとは思いますが、洋の東西を問わず、時代を問わず、規律正しい軍隊は、軍としての本来の戦闘能力では計れない強さをもっていることも、忘れるべきではないと思います。北清事変で日本軍は欧米諸国以上の規律と自制心を発揮して、参戦した諸国の中でもとりわけイギリスに好印象を与え、日英同盟への心理的障壁を取り除く一因となりました。また、湾岸戦争後、ペルシア湾に派遣された海自、イラク戦争の人道復興支援に協力している陸・海・空の自衛隊も、現地や協力にあたる他国の部隊に高い評価を受けているようです。

 軍の指揮・統制に乱れがなく、規律のとれた軍隊は、単にハードパワーとしての資源だけでなく、その国への信頼や評判を高めるという意味でソフトパワーとしての資源の性格をもっていると考えます。逆に考えれば、戦場での逸脱行為は、他国の感情を損なうだけでなく、信用や評判といった無形の資産を損なうものです。それは、とりわけ敗戦国にたいしては、プロパガンダや戦勝国のある種の「無神経さ」から事実を誇張することや最悪の場合、デマさえも流されるということを覚悟しておく必要があります。私自身は、南京事件や「慰安婦問題」にあまりに無知ですが、学術的な研究は専門家の間で適切な研究が行われ、それが過度にこの国を貶めようとする政治的主張を抑制する土台と鳴ることが望ましいと思います。

 ただ、私が異様な感覚を覚えるのは、米下院の話は別として、国内において先の大戦における逸脱行為を過度に、場合によっては虚偽に近いと思われる程度にまでとりあげる傾向がマスメディアを中心に存在することです。最初に挙げた2つのテーマに関する学術研究も、かならずしも純粋に学術的な動機にのみもとづいて行われているとは言い難い研究も含まれているようですが、マスメディアに関しては、特定の方向に読者を誘導しようとする傾向が顕著であり、ネットでもマスメディア批判が盛んです。ですから、私みたいないかれた「外道」には、世間でいう「歴史認識問題」のほとんどが、国内における政治・党派争い(政党だけでなくマスメディアも含む)と密接に結びついた「政治問題」に映ってしまいます。

 誤解のないように書いておきますが、マスメディアや個々の記者、テレビのキャスターなどがそれぞれの価値観にもとづいて報道すること自体は否定されるべきことではない、というよりも現実問題として不可能でしょう。問題は、それが事実の報道を歪めてしまいかねないレベルまできているということです。報道は公正かつ中立であることが望ましいのですが、「公正」や「中立」を定義づけしようとすると非常に難しいと思います(私の頭が悪いだけかもしれませんが)。報道の自由というのは、仮に偏った報道が行われていても、それが他の報道機関によって検証され、正されてゆくプロセスを間接的にですが、保障していると私は考えます。特定の報道機関が「公正」、「中立」であるのではなく、多元的な価値を認めることで長期的に報道が総体として公正であり、中立であればよいのだろうと。しかし、現状ではそのような形での報道の自由は十分には実現していないと思います。この記事は、メディア論を目的としているわけではないので、以上で打ち切ります。

 それでは私にとっての「歴史認識問題」とはなにか。それは、第二次世界大戦が戦勝国、とりわけアメリカの圧倒的知的影響力の下でファッショ対反ファッショという図式がアメリカのみならず、日本を始め、先進諸国、そして都合のよいところだけ中韓がとりあげているというのが実態だという滅茶苦茶な話です。私自身が無知なので、南京事件や慰安婦問題というのは「冷戦左翼」の、失礼な表現ではありますが、「食い扶持」なのだろうと。冷戦下のプロパガンダが生き残っているという、その程度と言えば、その程度の問題です。冷戦も、イデオロギーやもっと広い意味での観念的な立場から見れば、自由陣営と全体主義陣営の対峙です。これと対比すると、第一次世界大戦ははるかに観念的な要素が少ないように思います。キッシンジャーのように、旧大陸でバランス・オブ・パワーが機能しなくなった結果だという捉え方も、事の本質を突いているように思います。それと対比すると、第二次世界大戦ははるかにイデオロギー的な色彩が濃厚だと思います。もちろん、戦勝国、敗戦国ともに、戦時体制を続けるために第1次世界大戦以上にプロパガンダを盛んに行い、戦勝国の影響力が戦後も残っているという点が大きいのだろうと思います。

 私自身、第二次大戦が反ファッショ陣営とファッショ陣営の対決であったという歴史認識が根本的に誤っているとは思いません。この国もナチス・ドイツやムッソリーニのイタリアと同盟を結んで連合国と戦いました。しかし、三国同盟の実態を考えると、日英同盟や日米同盟のように地政学的な利益による利害の一致は希薄でした。昭和期に顕著になる国家社会主義への傾倒を考慮しても、この国がナチス・ドイツやムッソリーニのイタリアのように日中戦争から日米戦争に至るプロセスで総動員体制を行ったにしても、三国同盟が理念による紐帯であったとはいいがたいと思います。強いていえば、「防共」というスローガンはありましたが、日独の意思疎通は同盟国とは思えないほど、ひどいものでした。形の上では連合国対枢軸国という構図は、その通りなのです。ただ、戦前のこの国が全体主義体制であったかといえば、総動員体制や「革新官僚」など社会全体に「計画化」が進んだという点では全体主義的な要素が皆無であったとはいえないでしょう。また、ナチスの行ったユダヤ人排斥は、ヨーロッパの慢性的な「病」が悲劇的に表出した面もあるでしょう。他方で、世界恐慌後は英米でも古典的な自由主義は後退し、国際通商では排外的な、国内的にも経済に対する国家の介入が増しています。もっと身も蓋もないことをいってしまえば、連合国の一員であったソ連は左の全体主義でした。ファシズム対反ファシズムという図式は、第2次大戦の主要な側面の一つではあったと思いますが、それだけでは説明がつかないことがあまりに多いと考えます。

 私は、この通説を批判したり、それにとって代わるような「歴史認識」を披露しようという野心はありません。近代以降の歴史を民主主義の拡大と失敗の歴史という非常に曖昧な視点から捉えなおしたときに、どのような景色が見えるのかということに関心があります。私自身は、民主制というのは、「よりマシな」政体であるに過ぎないという感覚があります。したがって、民主制が完全でない以上、その失敗と上手に付き合ってゆかなくてはなりません。歴史認識と呼ぶには漠然としているという実感は私自身がもっています。しかし、戦場での逸脱行為の有無やあったとしてどのようなことが「事実」なのかということが「歴史認識」なのだと言われると、なんともいえない違和感があります。「ある敗戦国の幸福な衰退史」というのは、まだ曖昧ですが、「民主主義は失敗する」という仮説の下に、その失敗とのつきあい方を、「ああでもない、こうでもない」と模索する、なんの役に立つのかは私自身もわからない、でも、答えがありそうでないような、ちょっとドキドキする個人的な「楽しみ」なのです。

2007年02月06日

ナイーブな「帝国」とのおつきあい

古森義久・吉崎達彦『ナイーブな「帝国」 アメリカの虚実』(2003年 ビジネス社)は、今、読み返しても、思わず唸る部分があります。書評をすることが目的ではないので、ごく一部だけを「つまみ食い」させていただきますが、時事の話は古くなることが宿命とはいえ、何十年、何百年もたってから読み返すことに価値があると、「古典」ということになります。本書を古典と評するのは、古森さん、吉崎さんのファンとはいえちょっとどうかなと思いますが、今でも読み返す価値があると思います。ちなみに、吉崎さんは印税のことで…。空耳だったかなあ。実は、お二人のサイン本を頂いたのでこれ以上は書けませんが、こうやってときどき「ヤキ」を入れておかないと、かんべえさんの卑怯な「テロ」を抑止できないので、御理解ください。

 今回は、ナイーブな「帝国」アメリカとのつきあい方について、本書を土台に考えます。いろいろ引用したい部分が山ほどあって悩ましいのですが、この本は対談本で古森さんと吉崎さんが交互に書き言葉で対談している形式なので頁と執筆者(敬称略)で引用いたします。第八章「日本はどこへ向かうべきか」の冒頭で吉崎さんが入江昭先生による日本外交の特質を「政府の現実主義と世論の理想主義」と整理した上で、イラク戦争への対応を見ていると意外と現実的だと評価しています。これに対し、古森さんが「…私は入江氏のように、日本の世論が理想主義だとは必ずしも思わない。日本の世論はたぶんに感情に流され、情緒的になる場合も多いし、目先の狭い利害だけにとらわれた実利に走る場合も少なくない」と失礼かもしれませんが、身も蓋もない評価をされていて、学者先生には失礼なのですが、きれいな説明よりも非常に実感にぴったりくるのはさすがだと思います。

 例によって寄り道をしますと、古森さんは本書の「まえがき」で「知米派の気鋭エコノミストの吉崎達彦氏」という表現を用いられています。言葉遊びかもしれませんが、「親日」、「親米」というより「知日」、「知米」という表現の方が情緒的でなくてすっきりする印象があります(本当にどうでもいいのですが、なぜか「親中」という表現はあっても、「知中」という表現はないんですね)。「で、アメリカの読み方へのアプローチで現実というのは、すなわち、日本にとって『損か得か』という判断だといえる。現ブッシュ政権の支持、あるいは特定政策の支持の立場に回ることが、日本にとり損か得か、反対の立場に回ることが損か得かを判断することである」(223頁 古森)にも伺えます。なにかと発作を起こす閣僚とはずいぶんと異なったドライさを感じます。

 古森さん(あとで吉崎さんも登場しますので、かんべえさんのファンの方はご辛抱を)はブッシュ政権を「日本を世界の同盟諸国の御三家」と位置づける、「日本びいきにみえる政権」と評価しています。同盟のパートナーとして憲法改正や集団的自衛権の行使に関する留保をやめることを歓迎し、同盟の双務性を高めることを期待していると評価されています。アーミテイジが政権から去る前の出版ですが、現在でもブッシュ政権の対日政策の大枠は変化がないと思います。

 この後、日米同盟を強化する価値を短期的には北朝鮮、中長期的に中国への抑止という点で論じられていますが、ここは省略させていただきます。テロ戦争への態度も重要ですが、今回の論点では、この問題すら枝葉末節になってしまうので、省きます。小泉−ブッシュ関係の頃ですから、割り引く必要はあるのですが、非常に重要な指摘を古森さんがされています。

 ブッシュ政権は日本の経済面、金融面のあり方について、不良債権の処理の仕方からマクロ経済の運営の方法まで、不満や苦情、注文は多々ある。「日本にこうしてほしい」「日本のここはおかしい」という点はたくさんあるわけだ。
 だが実際にはブッシュ政権からは日本への不満の公式表明というのは、まずほとんどでてこない。ブッシュ政権の側で明らかに日本を公然と非難することを自粛しているからだ。経済や貿易、金融などの領域でも、日本に対して批判めいた言辞を述べることは止めよう、という自主規制がアメリカ政府高官の間でも厳しく保たれている。日本との関係を大切にするため、だとされる。そのかわりブッシュ政権は水面下で日本に対し、経済や金融、ひいては防衛に関する領域で、注文、助言あるいは圧力をぶつけてはいるが、クリントン時代とは雰囲気がまったくちがうようだ(227−228頁 古森)。

 中堅(かんべえさんとだいたい同世代)のアメリカ・ウォッチャーの方の多くは、クリントン好きが多いようです。私の友人もクリントン政権時代にアメリカに留学して、景気のよさに興奮していました。例の事件でクリントンはちょっと(スキャンダルというより、女性の好みが理解できなかったようですが)となりました。ちなみに、日本のテレビではこんな報道をしていて見ている方が恥ずかしかったと言うと、「えっ、そこまでやってるの?アメリカではありえない」と言っておりました。

 …。完全に話がそれてしまいました。ナイ報告で日米関係の悪化は底を打ち、小渕政権でじわじわと好転して小泉政権では小泉−ブッシュ関係で日米の「蜜月」は頂点に立ちました。ここでは小泉−ブッシュ関係を抜きにしてアメリカ側の姿勢、すなわち日本に対して第三国にさえ明白な「外圧」をかけるのではなく、同盟国として意見が異なることは伝えるけれども、あからさまに要求するのではなく、外交的配慮があったと古森氏は指摘しています。そして、この外交的配慮は、けっして情緒的なものではなく、アメリカの利害にもとづいていたと指摘されています。

 ただし、ブッシュ政権が日本を大切に扱うからといって、同政権の要人たちがみな日本が好きだというわけではない。日本の文化に愛着があるわけでもない。これまで何度も述べてきたが、日本との関係を密にすることが、アメリカにとってプラスになり、利益となると考えるから、そういう対日態度をとっているだけなのである。そのうえ、そういう対日態度や対日政策はブッシュ政権でもやがては変わるだろうし、二〇〇四年の大統領選挙で民主党候補が当選し、ホワイトハウス入りすれば、またがらりと変わってしまうことも、ありうるのである。だからなおさら、いまのブッシュ政権の対日緊密政策を日本側も大いに利用し、活用する方途を考え出すべきだろう(229頁 古森)。

 幸い、2004年の大統領選挙でアメリカ人はブッシュ政権の継続を選択しました。2期目ではいわゆる「知日派人脈」は政権から去りました。それにもかかわらず、私の知る限り、対日政策が根本から見直されたという事態はないようです。2期目から2006年まではブッシュ大統領のリーダーシップと小泉−ブッシュ関係によるところが大なのでしょう。2006年の初めの頃にしきりに小泉後の日米関係は大変だと主張していました。次の総理が小泉線総理と同等の関係は期待できないにしても、信頼関係を築けるのか不安がありましたし(具体的な懸念材料があったというよりも、小泉−ブッシュ関係があまりに特殊でしたから)、小泉政権下でも同盟の双務性を高めるための恒常的な措置がとられることはありませんでした。

 日米同盟の基盤は利害の一致です。人間は感情の動物ですから、感情抜きの人間関係というのはありえないでしょう。古森さんの記事はアメリカへの好意に満ち溢れている。その古森さんでも、むしろそうであるからこそなのかもしれませんが、国と国との関係を論じるときに感情をもちだすことはあまりに幼稚だということを明確に論じられています。先に引用した部分とあわせれば、ブッシュ政権は大人の態度で日本にアプローチをしていたということです。いわゆる「アーミテイジ・レポート」では日米同盟を日英同盟並みに格上げすることが提案されていました。もし、これが実現すれば、アメリカの政権が交代しても、アメリカの対日政策の「ブレ」は無視できる程度に安定するでしょう。逆に、現在は、当時とは状況が変化しているとはいえ、日本側がこれに応じない場合、仮にブッシュ政権が任期を満了し、全く別の政権へ交代した際に、環境変化に対応する手段を何一つない状態から始めなくてはならなくなるでしょう。

 さて、かんべえさんの(「ファン」だったら本書を当然、読んでますわな)登場です。第八章の出足では今一つ冴えが感じられなかったのが、古森さんとの対談を通してかんべえ節が登場します。

 同盟という言葉に対して大きな誤解があると思う。
 同盟とは対等の関係でなければおかしいと考えられがちだが、実は歴史を振り返っても、対等な同盟はあまりなかった。
 例えば、日本の歴史のなかで同盟というと真っ先に浮かぶのが、戦国時代の織田信長と徳川家康だろうが、実際には呆れるほどの不平等条約であった。姉川の合戦で信長がピンチのときに、家康は主力を連れて馳せ参じたのに対し、三方ヶ原の戦いで家康がSOSを送っても信長は兵力三〇〇〇程度しか向かわせなかった。なぜかといえば、双方の力関係を勘案するとそういう結論になって、なおかつそれが互いに妥当なディールだったからである(230頁 吉崎)。

 さすが戦国武将をHNにされるだけに、このあたりの切れ味は、話自体は誰でも知っている話ですが(三方ヶ原の戦いそのものは家康の勇み足だと思いますが)、いろいろ突っ込みどころがあるとはいえ、大局的な勘のよさを感じます。このあたりの現実主義というより、俗物的な感覚は信頼に値すると思います(ちょっとヤキをいれすぎやりすぎ?)。

 したがって、「言うべきことは言うべき」という話は、吉崎さんからすると、鼻で「フフン」となってしまいます(実際には筋の悪いことを言ってじっと表情を確かめると、目がバカにしたようになるのが特徴です。描写が難しいのですが、少しだけ後ろに頭が傾いて口元が閉まった上で、目が細くなって相手を見下ろす感じでしょうか。このときも視線のオタクっぽさはキープされているのが気もち悪い「チャームポイント」です)。

 そこのところをわきまえないナイーブな、「日本はアメリカの同盟国なのだから、言うべきことは言わなければならん」という議論が活発であるのは、おおいに結構なのだが、たぶんアメリカはこちらの言うことを聞かない。言うのであれば、当然の義務を果たした上で、対等に振舞うべきだ。「イエス」というガッツのない者が、「ノー」といったところで説得力はゼロだ。いうべきことを言うなら、きちんとタイミングを選ぶべきなのである。当然だが、同盟は無礼講ではないということだ(231頁 吉崎)。

 最後の一文を除くと、古森さんの方がやはり大人だと感じます。ブッシュ政権は、日本を大切にすることがアメリカの利益になるから、言葉を荒げて要求を突きつけるような真似をしなかったわけです。イラクの占領統治の不首尾によってブッシュ政権の評判は、アメリカ国内、国外で地に落ちつつあります。それでも、先の北の核開発でも、日本側の大人気ない対応に冷静に日本を重視する大人の対応に終始しました。高いところからものを申すようで恐縮ですが、日本人が「戦略」とみなすのは、失礼ながら私にはせいぜい「戦術」レベルの話で、たいていが「その場しのぎ」です。他方で、ロシアや中国は戦略とも呼ぶべきものがあるのでしょう。吉崎さんには申し訳ないのですが、日米同盟が双務的になっても、「ノー」と言える範囲は狭いでしょう。イギリスを見ても、「同盟は無礼講ではない」のです。

 ここでようやく今日の「寝言」ですが、日本人がロシアや中国のように戦略的に振舞う必要はなく、最大の戦略的資源である日米同盟を揺るぎないものにすることが、肝心です。対北朝鮮、対中国では「大人の対応」だけでは難しく、いざというときのことに関してシグナルを送る手段を拡大する必要があるでしょう。しかし、同盟で結ばれているアメリカとの関係は異なります。日米同盟を強化することがわが国の利益になるから実行するということを明確にすることが、アメリカとの関係で肝要だと考えます。対米政策での大人の対応というのは、日米同盟から日本が利益をえていることを日本自身が理解しており、それをさらに強化することに他ならないと考えます。単に利害が共通していることだけでなく、互いが合理的である――利益を共有しているということを太平洋の西と東が理解していること)ことを確認しあうことが、国家間における「信念」の形成に他ならないと思います。

2007年02月05日

この国を守る

 以下のような報道がありました。御覧になっている方も多いかと存じますが、個人用のメモとして記しておきます。出所は、『日本経済新聞』2007年(平成19年)2月4日(朝刊14版)です。

 麻生太郎外相は三日、京都市で講演し、米国によるイラクの占領政策について「非常に幼稚だった」と指摘した。
 外相は「平和構築を考える時、ドンパチ(戦争)が終わった後が大変だというのがイラクで分かった」と強調。その理由として「ラムズフェルド(前国防長官)が、ばっと(開戦)をやったけど、占領した後のオペレーション(作戦)としては全く非常に幼稚であって、これがなかなかうまくいかなかったから、今もめている」と自爆テロなどが絶えないイラク情勢に言及した。
 イラクに関しては、久間章生防衛相がブッシュ政権の開戦判断を「間違っていた」と批判。その後、「当時、閣外で感じた感想を述べたものだ」などと釈明している(「米のイラク占領政策 麻生外相『非常に幼稚』」)。

 お相手が「釣り師」だけに現段階ではコメントを保留します。まあ、魚拓になるのも悪くないのですが。

 『チャンネル桜』の「日本よ、今...闘論!倒論!討論!2007 【緊急シミュレーション討論 今そこにある危機】」という番組が精神衛生によさそう(?)なので拝見すると、「こわーい話」を和やかにされているので、別の意味でmitsu様お気に入りの「((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル」となってしまいました。論点が多岐にわたるので、感想を書いていると、キリがないので、とくに勉強になったことを2点ほど記しておきます。第1は、アメリカの動向に関することです。第2は、憲法をはじめとする法制度と自衛隊の関係です。

(1)アメリカの動向について

 朝鮮半島情勢では、アメリカの選択肢について将軍・提督の方々でいろいろな見方があって、非常に興味深く感じました。粗っぽく分類すると、以下のようになります。(A)米軍は朝鮮半島の「共産化」を黙認することはありえない。韓国から陸軍兵力を完全に引き揚げることはありえない。(B)米軍は中東をはじめ、負担が重くなっている。朝鮮半島から「撤退」する可能性がある。(C)米軍は前線から下がろうとしている。「サージカル・アタック」を前兆かもしれない。錚々たる方たちのお話だけに、どれも説得力があります。遠慮しているのではなく、どの可能性も(番組では触れられていないことも含めて)考慮しておく必要があるでしょう。

 司会の水島さんが岡崎大使の話として「アメリカの動向を戦略的に考えすぎると間違えますよ」ということを紹介されていました。これは、誤解を招く可能性がありますが、私のザルの脳では、番組での結論と同工異曲だと思います。簡単に言えば、アメリカの出方は読めない。私の粗雑な表現なので誤解を招く虞がありますが、アメリカの動向を事前に読みきることができない以上、常にアメリカを観察しておくことが肝要だということになります。

 もう一つは、松尾文夫さんによるところが大きいのですが、短期ではアメリカの「エゴイズム」が世界を振り回すことが少なくありません。いくらアメリカとはいえ、ベトナム末期では撤退するより他には選択肢がありませんでした。アメリカの「エゴイズム」というと、表現がきついかもしれませんが、理想主義的な目標(それはかならずしも現実主義的な判断と背反するものではないことも少なくないのですが)を掲げたものの、その実現が困難になると、「現実主義的」な潮流が強くなるという話です。もっと、露骨に言えば、アメリカといえども、手詰まりになると、選択肢が一つぐらいしかなくなってしまって、投げてしまうということです。ベトナム戦争後の混迷は、1970年代のスタグフレーションとあいまってアメリカを「内向き」にしました。

 他方で、坂元先生の表現によると、「アメリカはinvincible(無敵)であるけれども、omnipotent(全能)ではないのです」(岡崎久彦編『歴史の教訓』PHP出版 2005年)という側面があります。アメリカは、その国力ゆえ、選択肢が他の国よりもはるかに広いでしょう。これもまた、他国からアメリカの動向を読み間違える原因になります。情勢判断一般がそうだと思うのですが、先入観や希望的観測を捨てて、冷徹にアメリカの動向を読むことが、とりわけ日米同盟という死活的問題にコミットしているこの国にとって不可欠のことだと思います。

(2)憲法と自衛隊

 領域警備の問題でこの議論がでてきたと記憶しております。警告射撃も「武力行使」というのはちょっと唖然としました。私にはこのあたりの議論が非常に勉強になりました。国防における「自主」とか「独立」というのは、この程度の問題であるというのも、勉強にはなるのですが、非常にお寒い状況であることが伝わってきました。最終的には自衛隊が国軍となり、自衛のためには、武力行使も辞さないというのが当たり前だと思います。このように書くと、「自存自衛」のために破局的な戦争に突入していったではないかという意見がいまだにあるのでしょうが、そのような意見は完全には無視できないけれども、少数になりつつあるように思います。

 番組では触れられていませんでしたが、憲法改正は私が思っているより早く進むのかもしれませんが、安倍政権が2期6年を全うして憲法改正への道筋がつくかどうかという程度でしか進まないかもしれません。その間、憲法でできないと言ってしまうと、佐藤空将が指摘されている「2008年問題」には対処できないでしょう。憲法改正を目指すと同時に、現行憲法でも可能なことを明確にすべきだと思います。領域警備の問題は典型ですが、同様の問題に集団的自衛権の行使に関する解釈の問題があります。これは憲法の不備というより、政治の「不作為」です。憲法改正は重要な問題だと思いますが、それと同等に政治の「不作為」をあらためることが肝要でしょう。

 もっと言えば、憲法を改正したら、万全かといえば、そうではないと思います。憲法やその他の法律は、基本的には行政府が執行するものです。憲法が改正されても、そして、それに応じて種々の法が制定されても、適切に運用できる政治家がいなくては、「空文」になってしまいます。

 自衛隊に関する政府の判断は、まず自衛官の方々の生命を危険にさらします。危機に不作為であれば、国民全体が危険にさらされます。この問題は、人の生死に関わる決断を行える政治家をいかに育ててゆくかという問題に帰着すると思います。憲法改正は大切ですが、それ以上に憲法を適切に運用できる政治家をいかに育てるのかということが抜けてしまうと、なにも変わらない可能性すらあります。これは国を挙げて考えてゆかなければならないと思います。

 上記の問題は、この国を守る気概を日本人が共有することにつきると思います。あらためて、安全保障の点から見ると、この国の敗戦後の歩みは衰退史であると思いました。他方で、この番組を拝見して楽観はできないけれども、衰退の歩みを止める気概をもった方々が戦後を支えてきたことを実感いたします。この国を守る気概を日本人が共有する――衰退を止めるためには、政治的リーダーシップが不可欠です。日米同盟が、本来の同盟として機能しない根源には、自分の国は自分で守る意図と能力をもつことが当然のこととして合意されていないこと、その根源に政治的エリートの不在があることを実感したしだいです。

 番組の内容の割りに、感想が貧弱なのが恥ずかしいのですが。陸海空で発想の違いなども垣間見れて、楽しんで拝見しました。ふと、政治の世界を見ると…。まあ、同盟関係に影響がないなら、アメリカもバカだねえとかお手軽な評論でもなさっていればいいんじゃないんですか。精神衛生によろしくないようなので、しばらくは放置。 

2006年12月30日

私にとっての2006年

 もう一年が過ぎてゆくという感覚とまだ一年も経っていないのかという感覚の双方がないまぜになっています。本業ではメニューを盛り込みすぎて、一つは「ハードランディング」。基本的に時間と比例する仕事だったので、どこかで下りるべきだったなあと反省してしまいます。、自発的にやっているというより、やらさられている感覚になった時点でダメだったなあと思います。要は、仕事にのまれてしまったいたので、この年齢としては失格です。まあ、上手にコントロールしないと、空回りしてしまうことを実感しました。いい年を恥ずかしい限りです。

 このブログを始めたという意味では、2006年というのは私自身の記憶に残る年でした。やじゅんさんのお勧めで始めてみたのですが、『寝言@時の最果て』を始める半年以上前でしょうか、『時の最果てで寝言』というブログを私一人で試運転していた時期があります。その頃は、やたらと他人のブログでコメントをしていましたが、自分で記事を書くとなると、難しいなあと思いました。あとは、ブログのタイトルがどうも落ち着かない。というわけで、記事もほとんど載せずに、店じまいです。たぶん、私以外の誰も理解ができないと思いますが、「寝言」と「時の最果て(at the end of time)」はキーワードなので外せないのですが、どうも、うまく組み合わせられない。あるとき、ポンと手を叩いたのが『寝言@時の最果て』とすれば、シンプルでいいじゃないという、実に下らない話です。自分でも不思議なのですが、タイトルが決まると、記事がどんどん出てきました。元々、「ある敗戦国の幸福な衰退史」という訳のわからない文章の断片を2003年4月頃に書いたのですが、ワードで3頁ほど書いて、そこから進みませんでした。この文章をまとめることが、このブログの幹になっています。

 「ある敗戦国の幸福な衰退史」というと、陰鬱に響くかもしれません。実際の着想は、集団的自衛権の行使に関する解釈が混迷を極めていることを近代以降の文明史――フランス、ドイツ、ロシアの興亡――の中で考えようという、いかにも素人臭い「大風呂敷」です。民主主義的な意思決定過程が形成される経緯と同盟という、組む相手を間違えると、国を滅ぼしかねない外交政策の基本をリンケージさせようというわけですから、まとまるはずがありません。もっと抽象化してしまうと、分権的な意思決定プロセスによって同盟という他の国家と利害の一致が前提でありながらも不一致もある外交政策を整合的に構築し、執行し、持続できるのかという「答え」があるような、ないような話です。こんな変なことを考えるのは私ぐらいだろうと。そして、「問い」自体に意味があるのかどうかすら、わからない。だから、「寝言」です。また、過去・現在・未来を自由自在に行き来できなければ、こんな話自体ができない。ゆえに、「時の最果て」で考えるしかありません。

 このブログを始めてみて、あらためて問題設定の曖昧さと勉強不足を痛感したという意味では、一歩前進というところでしょうか。書き始めてから10ヶ月以上が経過したにもかかわらず、大した進歩はないのですが。私が「寝言」を書いている間に、集団的自衛権の問題がクリアーされ、日米同盟の双務性が高まって、この国が安全になり、「何をやってんだか」と自嘲したり、他人から嘲笑されるようになれば、私にとっては幸福です。論証などの前に現実が先に進むことが日本人として最も望むところです。逆に、私の考えがまとまるまでに現実が進まなかったら、失望と危機感を抱くことになるのでしょう。

 私にとって最も大切なことは、この国の運命であって、私の「寝言」などは、私見にすぎません。一回の書生の私見ごときで世の中が動くものでもないでしょう。変なもので、結論自体は、今のところ、まるで変える必要を感じておりません。駄文で恐縮ですが、以下のような具合です。

 この論考で私は,戦後のわが国の歩みが幸福な衰退であったという仮説を提起する.先の大戦においてわが国はポツダム宣言を受諾し,条件付きで降伏した.条件付きとはいえ,降伏したのだから敗戦である.20世紀以降の大国間戦争における敗者の末路は哀れである.典型はドイツである.帝政を打倒した後,不幸にも民主主義が全体主義を生むという悲劇をドイツは経験しなければならなった.ロシアは,1度は敗戦したものの,2度目の大戦で戦勝国側に立場をおいていたために,皮肉にも長く全体主義を経験しなければならなかった.ドイツやロシアの先駆者はフランスであろう.王制の打倒後,革命が急進化し,ナポレオンによる専制を経験し,大国間戦争に敗れ,ドイツの興隆とともに独力での安全の確保が脅かされるまでにいたった.
 対照的に,わが国は,大戦後,日米同盟によって安全を確保し,長期にわたる経済成長を経験した.超大国に自ら挑戦し,敗れたのだから,悲劇が待っていても不思議ではない.事実,敗戦により帝国は解体された.しかし,血の犠牲に冷戦という幸運が重なった結果,日米同盟を獲得したためにわが国の安全は確保された.アメリカは戦う相手としては最悪であったが,負ける相手としてはけっして悪くなかった.まず,立憲君主制は維持された.革命の危機はあったものの,占領軍の存在のおかげでわが国は全体主義を経験することはなかった.次に占領軍による総力戦体制の解体とともに自発的に民主主義が復活し,自由をえた国民は経済的な繁栄を享受し続けてきた.そのため,わが国には戦後史が衰退の過程であるという自覚が欠如してきた.国の衰退の定義は困難であり,学術的に定義するのは不可能なのかもしれない.本稿では敢えてある国の衰退とは,その国の国民の運命を自ら決定する意思と能力を失う過程であるとあえて「非学術的に」定義する.わが国の戦後史は幸福な衰退史であった.なぜなら,自らの運命を決定する能力を人々がもちながら,それを決定する意思を明確にし,合意に至らなかったからである.端的に言えば,わが国は日米同盟のおかげで冷戦のもとでも経済成長を享受し,冷戦後は「アメリカ一人勝ち」の最大の受益者であった.しかし,わが国は日米同盟をより堅固にするための意思決定を避けてきた.この仮説は,人々が合意形成に成功すれば,衰退に歯止めがかかる可能性が存在することを示唆するものである.
 以上で述べたことは,論証を欠いた仮説である.以下で述べるのは,論証そのものではなく,仮説の詳細な内容である.私が望むことは,この仮説に興味をもった方がその真偽を判断するために検証を行っていただくことである.もっとも,このような奇妙な仮説に興味をもつのは私以外には存在しないので,いつか私自身が検証しなければならないのではあろうが.


 来年、あるいは、今後10年で期待しているのは、こんな「寝言」を考える必要がないほど、現実が先に進んでしまうことです。来年にそのような兆しが見えなければ、失望するでしょうが、「寝言」を綴ってゆくことになるでしょう。「寝言」ついでに、断片の最後を、含羞はありますが、アクセス数がかなり減ってきているので載せやすい気分なので、公開しておきます。 

 「彼れを知らずして己れを知れば,一勝一負す」.自分自身を理解したとしても,世界の情勢を把握しなければ,この国の運命は偶然にゆだねられてしまう.しかし,自分自身すら理解できなければ,衰退の歩みは確実に止まらないであろう.私たちが,再び自分の運命を決定する意思を明確にするには,私たち自身のことを冷静に理解することが不可欠である.それはけっしてやさしい道ではない.しかし,もはや浅薄な歴史観に左右されているほど,優雅なゆとりがないことも忘れてはならないだろう.他方,既に良心的な歴史家たちによって,この国の歩みを的確に記す作業は確実に進んでいる.
 本稿は,私たち自身を理解するための仮説を提起したにすぎない.検証を欠いた仮説にもとづいて意見を述べるのは,不健全である.したがって,私はあえてこの国の将来について意見を述べようとは思わない.しかし,私の仮説に興味をもち,検証していただくことは,歓迎すべきことである.もっとも,立証する責任は私自身が負わなくてはならないのかもしれないが.


 こんな駄文を公開できるようになっただけでも、2006年は実りのある年であったと思います。

2006年12月26日

イラクからの「出発」

 …。やじゅんさんがさりげなくテロをされて(変な表現ですが)、『やじゅんのページ』と『カワセミの世界情勢ブログ』経由のアクセスが合計で200を越えていました。二人の「テロリスト」にブログを乗っ取られた感じで、「国破れて山河あり」というべき事態でしょうか。「テロリスト」(別名「闇の組織」)の元締めことかんべえ師匠がでてきたら、「弱小国」とはいえ、死なばもろとも。やばい話をブログに仕込んでトラックバック攻撃という最後の手段を使うまでです。わが国の核武装と違って3年もいりません(『産経』を読むと、不謹慎ですが、対外的な信用などはかりしれない部分を除くと、意外と安いもんだなと思ってしまいましたが。さらに、不謹慎ですが、金正日の「異常な愛情」が少しだけ理解できるような気もします)。3分はさすがにきついですが、30分もあれば、簡単にできてしまう。いいですか、テロを容認できるのは、やじゅんさんとカワセミさんだけですよ(というより、「抑止」の手段がありません。お二人とも、「誉め殺し」の手口でこられるので、参ってしまいます)。最初に、メールを送る代わりに「警告」です。

 さて、本題。考えているうちに、何が問いだったのかがわからなくなってしまいましたが、M.N.生様のコメントを拝見しながら、何が出発点だったのかが漸く思い出せました。勝手ながら、コメントの主要部分を引用させて頂きます。

 やっぱり、9.11、イラクとくると、日本国内の言説への違和感(日本はアメリカのこと判ってんのかな。それで日米同盟と言ったってねえ・・・)が拭えないものですから。

 「イラクからの出口」ということから、二つの感想を持ちました。一つは、出口というのは、例えば冷戦の象徴だったベトナム戦争なんかに当てはまる言葉であって、あれは境界(必ずしも地理的物理的な意味に限らない)のある戦争でした。境界があるから、出口もある。

 だけども、冷戦が終って、グローバル化がここまで進んで、超大国(少なくとも軍事的、地政学的な意味で)が一国になったような二十一世紀初頭の世界で、対テロ戦争に、出口なんかないんじゃあないかと思うんです。アメリカがイラクから段階撤退したって、戦争は続くんじゃあないかって、思っちゃうんです。こりゃあ、憂鬱だなあ。これが第一点。

 もう一つは、カワセミさんが的確に指摘したように、イラク問題を、アメリカ問題として捉える人々が多すぎる。そのとおりで、私も反省させられます。中東のことを、ズバリと直接考えることが必要ですね。

 それに関連することなんですが、中東はいい意味でのグローバル化から取り残されている、それをなんとかしないとダメだと思います。悪い意味では、グローバル化の最前線です。石油がありますから。資源の争奪戦の舞台になりますね。「イラク介入の本当の理由は石油だ」という考えには、直接には賛成しかねるんですけど、石油のおかげで、皮肉なことにグローバル化が進まない、それが戦争の深い底流になっている、ということは言えると思います。

 その意味で、迂遠なようですけど、対テロ戦争の本当の出口は、少なくともアメリカが石油依存病から脱却することだと思ってます。私の好きな、トム・フリードマンもそう主張してますね。それと、(石油以外の分野で、日欧が)もっと投資をすること。結局、ある領域的な経済発展こそが、部族や宗派対立を超えた国民国家の基礎になる、これしかないんじゃあないですか。遠い道かもしれません。それまでは、混乱は続く。残念ですけど。


 繰り返しになりますが、「イラクからの『出口』」を書いたときには、こんな話もあったなあというぐらいの感覚でした。カワセミさんがアメリカの視点から離れろと書かれたときは刺激的で非常に興味深く拝見しました。ただ、コメントをしようとすると、非常に手強い。「寝言」よりも、はるかに視野が深く、いろんな補助線を引かれていて、おもしろい。ただ、私の考えようとしていたこととは、なかなか繋がらない。ハッとさせられたのが、M.N.生様のコメントで、「日本→アメリカ→イラク(あるいは中東)」で考えていてはダメなのであって、「イラク→アメリカ→日本」のルートで考えればよいのだと気がつきました。ただ、このプロセスを描写するにはまだまだインプットが必要だと思いますが。

 このコメントを拝読して、最初に考えていた問題が何であったのかがわかったしだいです。イラクを見て、私が信頼している方たちでも、「アメリカ恃むに足らず」ともとれる主張が、わずかですが、でてきている。これが一番、危うい。かんべえ師匠は、「脱アメリカ?」とは異なる立場から、「米軍の抑止力の低下」を指摘しています(念のため、お断りしますが、かんべえ師匠は、ちゃんとアメリカの復元力について述べらています。『溜池通信』のどれかなのですが、ちと手が回らないのでお許しを)。イラクを見ていると、現況は集団的自衛権の行使に関する解釈を正常なものにするには(要は必要があれば行使できるという解釈にして同盟の抑止力を高めるコミットメントを明確にすること)最悪の環境だということです。

 ここから、いよいよ「寝言」の本領です。ここでいきなり盤面をぐるりとひっくり返してみましょう。

 今、日米同盟が日本側のある種の「作為」から、離れたらどうなるか?まさに、事態は最悪です。最も親しい友人が、それもこちらが喧嘩をふっかけて負けた上で、同盟関係に入った友人を事実上、見捨てるかのごとき行為をすれば、それこそ、取り返しがつかない。以下に引用する小泉前総理の記者会見(「イラク問題に関する対応について」平成15年3月20日)は、最もimpressiveな人間性の発露を含んでいます。

 アメリカは、日本への攻撃はアメリカへの攻撃とはっきり明言しています。日本への攻撃はアメリカへの攻撃とみなすということをはっきり言っているただ一つの国であります。いかなる日本への攻撃も、アメリカへの攻撃とみなすということ自体、日本を攻撃しようと思ういかなる国に対しても、大きな抑止力になっているということを日本国民は忘れてはならないと思っております。


 小泉前総理は、非情の人ともいわれました。たしかに、薄情な方なのかもしれない。しかし、彼がいざというときに見せる人間味は魅力的であり、人情を超えたなにかを感じさせました。同盟は、同盟を結ぶ国どうしの利害の一致という基礎が脆ければ、なんの意味もありません。ですが、小泉演説は、利害の一致と人間性を分け隔てることなく、同盟の利益と価値を渾然一体として、しかし、曖昧ではなく、これほどまでにimpressive人間性の発露を見たことがないほど、見事です。

 陸自のイラクでの貢献はけっして派手ではありませんでしたが、大きな一歩でした。いまでも、空自はイラクでの輸送で貢献を続けています。海自もインド洋で活躍しています。イラクやアフガニスタンという現場での人間性は、自衛隊の方々が遺憾なく発揮されています。この状況下で、アメリカを軽侮することは、これらの高貴な人間性の発露――自国の安全を確実にするために同盟国との友誼を深める――を無にするものでしかありません。

 以上のことを考えるならば、場合によっては自衛隊の方々に命を賭ける命令を下す立場の方とそれを粛々と受けて国を守る立場の方々の人間性の発露を基礎にあらためてアメリカとの同盟関係を深める絶好の機会でしょう。くどいようですが、日米同盟は、情緒ではなく、利害計算にもとづいた関係です。しかし、イラクの現状から日米同盟を表面上、維持するという立場では、日米同盟の維持すら困難になりかねません。お互いの命を守りあう関係は、個人だけでなく、国家どうしの関係においても、最も重く、人間性が問われる関係です。厳しい表現をすれば、イラクでの困難に直面してアメリカを軽侮する傾向は、自らの人間性を表していると思います。「イラク→アメリカ→日本」という関係を描写するには至っていませんが、イラクの「混迷」は勝者の混迷に過ぎず、アメリカが本格的に世界にコミットしてゆく「入口」での混乱にすぎないのかもしれません。イラク問題があろうとなかろうと、同盟関係の双務性を高めるにはリスクがともないます。このリスクを負う覚悟があるのかどうか。一時的な困難に際して判断を誤ることは、その程度の国であるということを示すだけでしょう。

 以前、「毅然とした敗者」という稚拙な文章を書きました。「時の最果て」で「寝言」を綴るだけの能無しには「ノブレス・オブリージュ」を語る資格などありません。しかし、この国の少なからぬ方は、そのような精神をおもちだと信頼しております。日米同盟の双務性を高めることは、第一義的にはこの国の安全を高めるための「利己的な」選択です。しかし、この利己的な行動が、同時に利他的な性格をもつこともあるでしょう。以上の意味で、私のような「寝言」そのものの人生を送っている人ではなく、しかるべき方に「ノブレス・オブリージュ」を発揮していただくことを願ってやみません。

(追記)下線部を加筆・修正いたしました(2006年12月27日)。


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2006年12月05日

真珠湾への道

テイレシアス:謎解きならば誰よりも、あなたが一番の名手ではなかったか?
オイディプス:あざけるのは、お前の勝手。おまえのあざけるそのことにかけての、わしの偉大さは、やがてお前にもわかるだろう。
テイレシアス:ところがそのことにかけての、あなたの幸運こそは、その身の破滅を招いたものなのに――。

 『産経』が「正論」で「真珠湾への道 日米開戦65年」という連載を行っています。それぞれの識者の方の議論は、傾聴するに値すると思います。日米戦争に至る過程については、政治学や歴史学をはじめ、さまざまな識者の方々が実証的な分析を行ってきました。文献は汗牛充棟のごとくありまして、ものぐさな私は、そのごく一部にしか接しておりません。私の拙い理解では、日米開戦の前夜は「独裁者」の時代であり、彼らと渡りあえるだけの人物が存在しなかったことが帝国にとっての最大の不幸であったと考えております。左右の全体主義国家におけるヒトラーやスターリン、民主主義国家におけるルーズベルト、チャーチルと並べるだけで大変な時代です。当時の国力、民主主義の成熟度を考えると、帝国を維持するだけでも、途方もないリーダーシップが必要であったと思います。そして、そのような人物はでてこなかった。

 それでは、日米開戦は不可避だったのでしょうか。多くの識者の方々は、当時の帝国指導者の錯誤やアメリカの過度に強硬な対日政策の下では不可避であったと論じられています。結果的には、ハルノートの手交後、日本の選択肢は非常に限定されてしまいました。強いていえば、ハルノートを公開してアメリカ議会を刺激すれば、孤立主義の傾向の強い議会はルーズベルトを猜疑の目で見て対日政策を牽制したかもしれません。それでも、欧州大戦への参戦に強い意思をもっていたルーズベルトからすれば、大勢を変えることは難しかったのでしょう。ただし、ルーズベルトの対日強硬というのは、帝国を戦争に引きずり込むことがねらいなのではなくて、帝国が「自爆」して滅びようがどうぞ御勝手にという冷徹なものであっただろうと考えています。陰謀論もなにも、彼がナチスドイツと「平和共存」などありえないことを洞察し、仮借なく、一歩一歩、アメリカを欧州大戦に参戦するプロセスで遺憾ながら帝国が巻き添えを食ってしまったというところだと思います。

 岡崎先生は、戦前の取り返しのつかない失敗として、幣原喜重郎の日英同盟廃棄と山本五十六による真珠湾攻撃を挙げています。まず、真珠湾攻撃に関しては軍事的作戦としての評価ではなく、ハルノートを堂々と公開して開戦していれば、アメリカの国内世論は犠牲に耐えられなかったであろうという国家戦略のレベルからの批判です。真珠湾攻撃は、日本にとって有利な講和の余地すらなくしてしまうという意味で"point of no return"であったということです。

 他方で、幣原喜重郎の日英同盟に関する対応は複雑です。彼が、単に親英で知米派でなければ、日英同盟の存続にかんして妥協をしなかったかもしれない。このあたりの複雑な分析は岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』をお読みいただいたほうがよいでしょう。彼が、ウィルソン主義に共感し、アメリカの「新しい」外交潮流を理解したからこそ、同盟の廃棄が帝国の安全を新しい「国際秩序」の形成に適応させることと矛盾しないと考えてしまいました。その背後には、英国の相対的な地位の低下とアメリカの地位の向上という情勢判断もあったのでしょう。しかし、幣原は、アメリカの理想主義的な傾向を理解していたがゆえに第一次大戦後の「新潮流」に乗ってしまった。また、幣原が外相の地位にある間は、国際協調はある程度まで機能したという側面もあります。ただし、幣原をもってしても、英米と敵対しないことを国是とするまでには至らなかった。19世紀のイギリスのように超党派の外交政策は戦前の日本では形成されるにはいたらなかったということです。日英同盟が廃棄されていたら日米戦争は必然かと問われれば、それはありえないと思いますが、同盟が存続していれば、失敗があっても、致命的な水準に至ることはなかった可能性が高いと思います。

 もっとも、この記事でも述べたように、イギリスが成熟した外交政策を形成するまでには、多くの犠牲と惨めな失敗を繰り返してきました(最近、英国史を再度、勉強する必要を痛感しております)。明治と昭和を対比して、昭和時代(前期)を否定的に見ること自体は、個人の自由に属する問題ですが、率直なところ、ついてゆけないものを感じます。日米開戦の結果があまりに暗澹たるものであったために、「なんであんなことをしでかしてしまったのか」という問いを発すること自体は、自然なことでしょう。ただ、そこで指摘される失敗の多くは、戦後日本でもありがちなことで、これでいちいち国が滅んでいたら、かなわんと思います。もっと露骨にいえば、日米同盟のおかげで、失敗を重ねる余裕があるのが戦後と戦前の違いだとすら言いたくなってしまいます。

 とりとめがなくなってまいりましたが(お約束とでも申しましょうか)、思うに幣原と山本の「失敗」だけが取り返しがつかないことを岡崎先生は嘆かれていますが、この水準の人たちの誤りで帝国が滅んだのならば、もって瞑すべしという気分にもなります。岡崎先生の描く戦前史は、冒頭で引用した『オイディプス』の一節を思い浮かばせるような劇的な部分があります。ちょっと美しすぎるかもしれないという感覚がありますが、やはり戦前の悲劇は単なる混迷ではなく、劇的な性格を持っていたのかもしれないと思います。私自身が戦前史を語れるほど、勉強が進んでおりませんが、このようなある種の高貴な歴史観を超える「寝言」を書けないものかと、ない頭を振り絞っております(「ダメモト」であることぐらいを理解する程度には知能がありまする)。

 ただ、今週は始まったばかりなのに既によれよれで、とりあえず、この一週間を乗り切れるかどうかという実にレベルの低い問題で苦しんでいるのが実情ではあるのですが。

2006年10月18日

「時の最果て」の彼方からの「寝言」

 中川発言に便乗してか、核武装してアメリカにもの申すべきかのごとき、コラムをこの事態の下で平気で掲載している新聞がある。読むだけで不快になる。核武装してアメリカにもの申すならば、アメリカの核は中露だけでなく、日本にも向かう可能性があることをどう考えるのか。人間ならば、誰でも同じような失敗を繰り返す。国も失敗する。しかし、このレベルの失敗を二度、繰り返せば、日本という国は歴史上、存在したということになることを忘れていただきたくない。現に今、目の前でアメリカに楯突いて、収拾が付かなくなりつつある国を見ているのにもかかわらず、このような言論が堂々と新聞の一面に出ること自体が、言論が「封殺」されているどころか、言論の自由が最大限、保障されているがために、たるんでいるようにしか見えない。

 「核の傘」の信頼性をまさに政府レベルで確認しあったところに、このような議論が生じること自体が「平和ボケ」の象徴としか言いようがない。日米同盟の双務性を高めることが、この国の安全と繁栄を確実にする。「右」が攻撃する「左」は、極論すれば、自国を裸の状態にすることが安全であるかのような主張をしてきた。このような議論は、顧みるに値しない。しかるに、その「左」を攻撃する「右」の議論も、チンピラ並みの議論でしかない。「平和ボケ」をしているのは「左」だけでなく、「右」の方がひどいのかもしれない。「警官」に唾を吐きかける程度の「勇気」が男らしいというのは笑止千万である。今、騒ぎの元になっている国と大して変わらない。人並み程度に愛国心はあるが、チンピラレベルの「勇気」がもてはやされる国になれば、この国を去るまで。二度と人が住めない島が点々となったところでなんの感傷も抱かないだろう。

 日米同盟は成功しすぎた。この国の安全が同盟、露骨にいえば、米軍の抑止力に依存していることを忘れさせてしまうぐらいに。歴代の政権(小泉政権も含めて)は、不作為を重ねきた。他方で、肝心の同盟を脅かすような行為も、不作為の結果としては問題があったかもしれないが、積極的に起こしたことはない。安倍総理には期待しているが、すべては期待していない。現行の事態の下で最大限、動かせる変数を政権は動かそうと必死に努力しているように見える。最悪の事態を想定して、個別・集団の区別なく自衛権を最大限、行使できる環境を整えることが望ましい。しかし、政治に限らず、人の世では6割も話が実現すれば十分で、実際には思い通りにならないことが多い。論は易く、行うは難し。最近は、安倍総理に左右の「幻想」を打ち砕いていただきたいと思う。それでも、「右」は「変節」、「左」は「相変わらずタカ」と攻撃をやめないだろうが。

 どこからか、「寝言」が聞こえてまいりました。なんなんでしょう。気温が上昇すると、体調を崩すようで、どうも調子がよろしくないようです。なんだか、疲れがたまっているようですね。ちょっと早いですが、おやすみなさい。