2006年09月15日

台湾の民主主義

 ベタな話で恐縮ですが、ウィーン・フィルの公演はいつだろうと今頃になって思い出して、とっくにチケットが完売になっているのに気がつきました。しばし、自分のバカさ加減に茫然。11月11日のサントリーホールはありえないぐらいベタベタな曲目でため息がでます。思わず泣きたい気分になってベーム指揮の40番を聴いていたら、本当に泣いてしまいました。41番を聴いていると、この世のことを忘れてしまいます。この2曲は恥ずかしながらライブで聴いたことがなくて、ウィーン・フィルではなくてもいいのですが、あまりにもったいなく、ため息がでてしまいました。ベーム指揮のウィーン・フィルというのは「お約束」を通り越して「ベタ」なので恥ずかしいのですが、何度聴いても飽きないです。安心して感情を委ねられる頼もしさがあります。フルトヴェングラー好きのベートーベンファンには寂しそうな顔をされて、このあたりの陰影は素人には窺い知れないものがありますが。

 さて「台湾の民主主義」という途方もないテーマを掲げてしまいましたが、岡崎久彦先生の「新しい台湾問題」で基本的には論じつくされています(原文(日本語)をお読みいただければ、この記事をお読みいただく必要はありません)。中国が本土に進出した台湾企業にアメとムチを使っていることや、国民党への工作などが台湾の世論へ影響を与えていることを指摘された上で、「しかしより巨視的に見れば、最近の民進党の人気の退潮ぶりは、民主主義そのものの本質であると言える」というこの論文の最も主要なテーマが提示されています。現代の民主政体は、古代と異なって政権交代のシステムが確立しています。台湾の情勢に詳しい方からすれば、政権交代が台湾の世論によるものであって、単に中国の圧力や工作によるものではないことは自明なのかもしれません。ただ、この民主主義の力学が場合によっては民主主義の存続そのものをあやうくする可能性を内在していることを忘れてはならないと思います。

 「新しい台湾問題」では、国民党が政権についたときに起こりうる事態を想定して、台湾の民主主義が危機に陥る蓋然性の高い状況を"force majeure"(不可抗力による強制)であるかのような状態を中国が作り出すことと表現されています。本質的には圧倒的な軍事的優位の下で経済封鎖や海上交通の妨害、特殊部隊による放送局の占拠などを何らかの口実の下で行うことが挙げられています。また、この脅迫が成功するためには極めて短期間で行われる必要があることも指摘されています。さらに、興味深いのは、これらの事態は台湾関係法(1979年1月1日発効)の起草者が既に想定していたことであるという指摘です。岡崎先生は、台湾関係法の目的を実現する手段として米台間に緊密な軍事協議関係をつくることを提言されています。余談ですが、9.11がなかった場合、このような措置が既に講じられていたかもしれません。

 この記事の目的は、これらの内容の実現可能性を検討することではありません。一連の台湾に関する岡崎先生の論考から民主主義について考えさせられることが多く、その点について触れます。2005年に公表された「台湾の将来」では明らかに台湾の現制度下では政権交代が起これば、台湾の民主主義は危機に陥るという観測がされています。「新しい台湾問題」と同様ではないかと思われるかもしれませんが、「台湾の将来」では中国の軍事的威嚇の下で国民党政府が統一を自発的に受け入れるような事態が主として想定されています。「台湾の将来」には次のような表現があります。「それならば何時になったらば台湾の民主主義は安定するのだろうか。それは台湾の人の圧倒的多数が、台湾人としてのアイデンティティーの意識を確立して、台湾の将来を決めるのは台湾人しかないと思うようになった時である。 そうなった時は、おそらく台湾の政治は、現状維持派と独立推進派との二大勢力、あるいは二大政党の対立の形となるのであろう。これは一見現在の民進党と国民党の対立と似た形であるが、本質は異なる。それは両者の間に台湾人の将来は台湾人が決めると言う基本的合意が存在するからである。また、それは一般的に言って、人民が自らの将来を決めるという民主主義の基本的前提でもある」。

 「新しい台湾問題」では、その可能性を否定してはいないものの、国民党政府がこれに拒否しても、台湾の民主主義が危機にさらされる可能性が指摘されています。「民主主義の基本前提」が確固としたものとなり、国民党政権が「台湾の将来」における「現状維持派」にならなくても、政権交代は民主政体では当然のことであり、国民党政権成立の際にも台湾の民主主義が生き残ることが可能であり、そのための手段について論じられているのが「新しい台湾問題」だと考えます。

 「人民が自らの将来を決めるという民主主義の基本的前提」が確固としたものになるには、どうしても時間がかかります。この国ではどうでしょう。戦前は立憲君主制の下で議会制民主主義が成立するために日清・日露戦争を戦って第一次大戦で海軍が対英協力を行って「基本的前提」の、さらなる暗黙の前提である国家の生存に自信がもてるようになって初めて本格的な政党政治が行われるようになりました。国家の生存が確実であることはどんな政体にせよ、不可欠の前提ではありますが、民主政体では国家の基本政策が政権交代によって転換されるチャンスとリスクが存在します。この政権の交代によって国家の生存といういかなる政体にも共通する基本的な部分が侵食されてしまえば、民主主義は確実に崩壊するリスクにさらされてしまいます。幣原外交が破綻したのは、軍部の責任ではなく、政党政治そのものに世論がうんざりし、同時に英米協調という当時の帝国にとって生存の根幹に関わる部分でのコンセンサスが崩れてしまった結果だと私は考えております。もちろん、そこから太平洋戦争まで一直線の道であったというのは、史実に照らしても誤りだと思いますが、国家の生存に関わる前提が崩れてしまえば、滅びる可能性は、それ以前と比較して極めて高くなっていたでしょう。

 戦後を考えると、日米同盟が国家の生存、戦後の体制を支えてきました。日米安全保障条約が締結されて55年間を経てようやく、日米同盟がこの国の生存の基本条件を支えているという認識が、すべてではありませんが、国民の大多数の共有認識となりつつあります。同時に、自衛隊が国防の要であることも、ほぼ党派を越えたコンセンサスになっています。集団的自衛権の行使をめぐる議論ではいまだに感情的な議論が残っていますが、現在の状況ではリスクと効果の議論に収斂してゆく可能性が高いと考えております。これは楽観的すぎるのかもしれませんが、少なくとも、世論のレベルでは安全に関する基本的なコンセンサスができつつあるように思います。仮に、数年後に民主党が政権をとった場合にも、自民党と外交・安全保障の根幹部分で同一であれば、戦後民主主義は成熟し、磐石であるといえると思います。

 お約束のようにとりとめがなくなってきましたが、イギリスの場合でも、勢力均衡がイギリスの外交・安全保障政策の根幹として意識的に追求されるようになったのは19世紀であり、名誉革命から100年以上を要しています。ひとたび、党派を超えたコンセンサスが成立すると、イギリスがバランサーとしての地位を失った後も、アメリカとの事実上の同盟が根幹であるという変化に極めて素早く転換が行われてゆきました。民主主義は失敗しますが、一度形成されたコンセンサスというのは強固であり、他の政体に比べても変化への対応の速さや強固さは他の政体に勝るのかもしれません。他方で、安全に関するコンセンサスが確固としたものになるためには時間がかかります。台湾の民主主義が生き残る不可欠の条件は、コンセンサス形成のための時間が存在することであり、それを支えるアメリカによる平和が基盤であるという岡崎先生の見解は、様々な洞察を含んでいるだけでなく、的確であると考えます。

2006年09月05日

靖国に見る戦後政治の不作為

 日下公人氏のコラムは、寸言人を刺すところがあり論旨に賛同するかは別として好きです。「『心情』から語る靖国論(1)」は、氏にしては珍しく(というのも失礼ではありますが)、慎重な筆遣いをしながら、飄々とした文章で興味深く拝読しました。いろんな方が感想を書かれているので、私みたいな者がいまさら取り上げる話題ではないとも思いますが、「ずれた人」の面目を施すべく、キーボードを打ちます。

「サマワから1人も死なずに帰ってきたと喜んでいるが、誰が出迎えに行ったのだろうか。やはり、危険なことをする人に対しては、礼儀を尽くさないといけないと思う。自衛隊の人は危険を乗り越えて任務を果たしたのだから、上の人も上の人の任務を果たさねばならない」。
 このコラムが何回にわたって連載される予定なのかはわかりません。上記で引用したのは、このコラムの最後の部分です。「靖国論」から離れてしまう部分がありますが、自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣が自らの命令に従って亡くなった隊員をどう弔うのかという点についてすら、はっきりとした形がないという現実がうかがえます。

 卑賤な家系に生まれたこと、軍属、あるいはそれに準ずる者が親族・親戚にいないこと、関が原の戦いや幕末維新に関わる出来事からとくに利益も不利益もえなかったせいもあるのでしょうが、靖国神社に私自身は特別、感情的に深い思い入れはありません。日下氏のコラムでは、靖国神社の「冷たさ」についても、触れられていますが、政府が憲法9条に定められた戦力不保持の原則から自衛隊が国内的には「国軍」なのかどうかを曖昧にしてきたこと、自衛隊員の方々が内閣総理大臣の命令の下で亡くなった時に、それを戦死として扱うことを曖昧にしてきたことなどが根源の問題であり、靖国神社の対応には疑問を感じる点がありますが、結局は国として国防をどうするのか、自衛隊が他国であれば軍隊でなければ参加できない軍事行動に参加する状況にどのように対処するのか、結果として自衛官の方が亡くなった場合にどのように対応するかなどが先送りされてしまった印象があります。

 靖国論から離れてしまいましたが、戦後の安全保障論議の混乱は、靖国神社にも影を落としているというのが率直な実感です。日下氏のコラムは、靖国神社の問題は、「A級戦犯」の合祀以前に、戦後の政治のあり方から靖国神社を考える上で、有益な論点を提示していると思います。

2006年08月26日

勝者の論理 phlegm and truthfulness

 ショックなことにさっきまでテキストエディタで編集していた記事が保存できませんでした。泣く泣く強制終了しました。文章に勢いがなくなっていますが、簡潔にまいります。

 24日の『産経』正論欄にに岡崎先生の論稿が掲載されていて、G.F.Willの"The Uneasy Sleep of Japan's Dead"(Washingtonpost, Sunday, August 20, 2006)を読みました。迂闊な話ですが、遊就館の展示説明にこんな惨めな部分があるとはしりませんでした。ルーズベルトに匹敵するような政治指導者が当時の日本にいなかったとは思います。しかし、不況を克服するための陰謀のせいで戦死して靖国に祀られている方も、祀られていなくても亡くなった方もこれではあまりに惨めすぎます。

 事の顛末は『溜池通信』の「不規則発言」(2006年8月25日)に詳しいので、御覧になっていない方は、そちらをお読みください。当方は、この間の事情には疎いので、いつものように「寝言」を綴ります。

 以前の記事で"british phlegm"という言葉について騒いだ顛末を書きました。この言葉は、非常に訳しにくいです。手元の辞書で見ると、"calm"の類義語となっていて平静と訳すのがよいのでしょうが、私の感覚では事実を直視して動じない態度です。お題の"truthfulness"も訳が難しい。こだわらなければ、誠実という訳が適切なのでしょうが、私の感覚では真実を語ることを恐れない態度となります。英米圏の優れた方に見るのは、この二つの美徳です。英米圏の独占ではありませんが、やはり抜きん出いている印象があります。

 この記事は、前回の記事の続きという位置にあるのですが、"phlegm"にしても"truthfulness"も、科学的精神のように、よくいえば真実を求める精神、悪くいえば形式的な精神とは重なる部分もありますが、もっと曖昧で処「生」術に近いものがあります。今日は、歯切れが悪いですねえ。要は、貴族的精神の要だと思います。この言葉は、縁なき衆生である私が使うのは含羞と躊躇がありますが、品格ともいえるのでしょう。このようなものを言葉で表わすとなると、私の手に負えませんが、トゥキュディデスやカエサル、チャーチルなどは濃淡はありますが、文章によってこの精神をよく体現していると思います。

 もっと露骨に申しましょう。"phlegm"と"truthfulness"というのは勝者の精神です。トゥキュディデスは国が敗れたために、『戦史』を残したので違和感を覚える方も少なくないでしょうが、絶頂期のアテナイを経験しているからでしょうか、やはり他の二者と同じ精神を感じます。その後、アテナイの崩壊を目の当たりにした分、彼の洞察は他にない深い人間味を感じます。

 他方、カエサルは『ガリア戦記』という「難題」を後世に残しました。塩野七生『ユリウス・カエサル ルビコン以前 ローマ人の物語?』も、私には『ガリア戦記』に敗れたたくさんの作品の一つに映ります。塩野さんをけなしているわけではなくて、対象が悪いんす。"phlegm"と"truthfulness"を一身に体現していた時期のカエサルが、自ら残した戦記以上の「作品」を生むのは無理があります。むしろ興味深いのは、塩野さんがあの巻を書くにあたって参考にした文献の多くは、イギリス人の手によるものであり、散々、イギリス人をからかいながら、最後にはひれ伏している(あの時期にはまだ一筋縄ではゆかない方だったでしょうが)ことです。大陸諸国もそれぞれ固有の伝統と文化をもち、貴族的精神ではイギリスにはないタイプの傑物も生んでいますが、イギリスの層の厚さにはかなわない印象があります。

 ふと、英米の歴史を見ると、ヨーロッパ大陸の強国が征服しようとしてきたところを迎え撃っては破っています。オランダのように言いがかりのような口実でやられた国もありますが。鶏が先か、卵が先かという議論になりかねませんが、イギリスは19世紀まで自らの力で自国の安全を守り、20世紀にはアメリカとともにドイツ、ソ連の挑戦をしりぞけています。このような歴史が二つの美徳、すなわち"phlegm"と"truthfulness"という美徳を涵養するのに不可欠であったと考えます。「値段」の話から遠く離れてしまいましたが、政治・経済を問わず、一貫した価値の体系を築くには背後に血で自らの安全を守ってきたという歴史があったと思います。自分でも、かなり強引な議論だとは思うのですが。

 この二つの美徳の対極にあるのが、卑屈さです。自分の主張を事実に基づいて整合的に他者に説明することができないことを示している態度です。岡崎先生とWillの文章を拝読して敗戦国というのはここまで堕ちてしまうのかと暗然とした気分になりました。幸い、靖国神社が対応しているとのことで救われた気分になりました。思うに、この二十年間以上、靖国参拝を国際問題化しようとする国内の卑屈な人たち(私には彼らが敗戦によって最も卑屈になった日本人に映ります。安保反対を叫んでいた左派の人が「米軍は『傭兵』だ」などと発言して二度と口を利かなくなりました。左派の人たちがすべてそうだとは申しませんが、私はこの手の手合いだけは受け付けられません)に攻撃されているうちに、頑なになってしまっていたのかもしれません。もう一度、慰霊という原点から靖国神社の現行のあり方を前提にして静寂な環境をまずつくって、靖国神社が頑なになってしまった部分を多くの人たちの共感がえられる形で、できうる限り、神社が自発的に手を入れてゆくことが肝要だと思います。

 本題からそれてしまいましたが、私は岡崎先生は、現代の日本人で数少なない、二つの美徳、"phlegm"と"truethfulness"を保たれている方だと尊敬しております。伊藤師匠が引用しているFTの記事では"rightwing political commentator"と紹介されていて、私も右翼、ないし右派?と思いました。右だの、左だの、鳥類でもいいんですが、こういう分類は人間の性ですかね。バカバカしい限りですが、自由な社会でも不自由はあるんだなあとぼんやりと思いました。宇宙の歴史の前では人類など一抹の夢。一抹の夢なら、結果はともかく自由に生きることが、なにより美しいと呟きます。
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2006年08月21日

憲法改正と自衛権

 週末は、トレーニング三昧でした。もちろん、ピラティスでへとへとに。インストラクターの方が、爽やかな笑顔(奥底に悪魔が潜んでいる気がいたしますが)「今日はみなさんにお中元がありますので、お楽しみに!」終わった後でのしをつけて返したい気分ではありますが、効果てきめんなので感謝するしかないです。



 日曜の深夜にチャンネル桜の「日本よ、今...闘論!倒論!討論!2006 安倍内閣と日本の防衛」という番組を見ました。メンバーが凄くてそれだけでお腹いっぱい。タイトルで「安倍内閣」という身も蓋もない表現が使われていてちょっとどうかなとは思いましたが、内容は勉強になりました。ただ、違和感というか、私が思っていたより問題が深刻だなあと思いました。



 このブログでは集団的自衛権の行使に関する素人談義をしていたのですが、個別的自衛権については行使できるのが解釈としても定着しているのであまり議論をしていませんでした。しかるに全体のお話の中で自衛権はあるけれども武力行使は事実上できない(憲法9条で交戦権を否定しているからということでよいのでしょうか?勉強不足で申し訳ありません)。策源地攻撃能力の問題で物議を醸すというのは私の理解の範囲を超えるのですが、領域警備ですらここまでお寒い状況であるというのは理解できていませんでした。根っこは同じであるということがよくわかりました。自衛権はあれども、交戦権はない。素人考えにすぎませんが、前から集団的自衛権が行使できないということは、個別的自衛権も事実上、行使できないということではないかと考えておりました。なんのことはない。憲法9条が諸悪の根源であるというシンプルな問題であることが整理できました。



 ただ、憲法を改正すれば、これらの問題が解決するのだろうかという懸念があります。憲法で定めているのは、かなり大枠の話でこれが制約になっているのは事実だと思います。9条2項を削除して自衛隊を国軍として認めるのは当然だと思います。他方で、憲法で定めているのはかなり大雑把な話で憲法の条文をどのように解釈するのか、防衛の問題に絞っても、さらに具体的な法整備やROEの策定などがむしろ重要だと考えます。極論ですが、憲法を改正しても、それにふさわしい法をはじめとする制度が整わなければ、事態は変わらないのかもしれません。素人の浅知恵ですが、憲法の条文は大切ですが、運用面をちゃんとしないと、問題は変わらないということになりかねない懸念を持ちました。



 さらに素人の目から見ると、憲法を改正し、解釈がまともになっても、そのときどきの為政者の判断しだいでは、国防の観点から望ましくない結果が生じるかもしれません。安倍長官には期待しておりますが、戦後60年以上の悪弊はまだまだ残っているように思います。また、憲法改正に時間がかかれば、番組で指摘されていた2008年に間に合うかどうか。現行憲法の下でも総理の判断でできることは少なくないと思います。素人の「寝言」ですので、理解が至らない点を御指摘いただければ幸いですが、番組の趣旨と反して憲法改正以上に国防の問題は、総理の資質による部分が大きいと感じたしだいです。



 もう一つ感じた点は、手前味噌になるので恐縮ですが、敗戦国の再軍備の難しさです。冒頭の古森義久さんの解説は、アメリカも日本の「軍備増強」(古森さんはこのような表現をしていなかったと思います。政治的には不適切な表現でしょうが、「時の最果て」ですので言いたい放題にさせていただきます)に不信感をもっていたのが、ブッシュ政権の下ではむしろ、それを望んでいて首脳間の特異な関係もあって日米関係は外交・安全保障ともに非常に良好だという評価でした。もちろん、2008年の大統領選挙の結果しだいでは、変化しうることも指摘されていました。



 番組では中国の「文攻武嚇」とそれに対する反撃が詳細に検討されていましたが、私は、アーミテージ・レポートの線で共和党保守派から共和党・民主党の中道に日米同盟が米英同盟に匹敵する価値をもつことが、日本の国益だけでなく、アメリカの国益にもかなうというコンセンサスをつくるための努力がはるかに大切だと思いました。J.ナイもリベラルな立場ですが、いざ実務となると、ナイ・イニシアチブをまとめました。靖国参拝でアメリカでも否定的な意見があるのは事実でこれに対応することも大切ですが、それ以上に日本がアメリカの同盟国として軍事的にも、共通の価値という点でもぶれることがなければ、靖国参拝や中国の「文攻」などは枝葉末節になると思います。集団的自衛権に関して余計な留保は不要だと思います。集団的自衛権を行使するとなれば、私は心から自衛官の方々にご無事で帰還されることを望まざるをえません。血を流すことが同盟の最も強い絆となるとはいえ、やはり同じ日本人として断腸の思いがいたします。集団的自衛権を「必要最小限度」で認めるというのは、違和感があります。このような重い決断を軽々しく行われること可能性は低いと思います。



 繰り返しになりますが、自衛権の行使というのは軽々しく行うものではありません。イラクへの陸上自衛隊の派遣は問題も少なくないと思いますが、当時としてはギリギリの決断だったと思います。問題は、憲法以上にそれを運用する最高指揮官の資質が大切であると実感したしだいです。

2006年08月08日

美しい国への道

 今日、初めて『美しい国へ』を手にとりました。この本を読んでしまうと、「ある敗戦国の幸福な衰退史」など書き続けることが難しくなりそうなので、読む前に先に記事を書きます。率直にいえば、「美しい国」が実現してしまえば、私が「ある敗戦国の幸福な衰退史」などという「寝言」を書くインセンティブがなくなるでしょう。こんな「寝言」よりも、政治家の方々がまともなことをまともにやって頂いて、こんな記事など永遠にお蔵入りする方が、はるかに私にとって幸福です。過疎ブログなので、ネット上にあってもお蔵入りしているも同然ではありますが。



 私みたいな「いかれた外道」に美しい国への道などというテーマは、いささか手にあまる難題です。屁理屈をこねれば、なにが美しいと感じるかは、人の数だけあります。ただ、私みたいな「いかれた外道」でもわかることがあります。歴史に名を残すような国家というのは、形成に途方もなく時間がかかるということです。



 バカバカしいように聞こえるかもしれませんが、現代の民主主義国家にとっては、この問題は致命的です。古代ローマのように、アウグストゥスが40年以上も統治するなどということはありえない。2005年の衆院選は、図らずして逆の結果もありえることを示しているでしょう。現代の民主主義国家は、統治の継続性という点で多くの問題を抱えていると考えております。立憲政体というのは、その解の一つなのでしょう。古代では少数の巨人が国家という壮大な建築物を創造しましたが、現代では小人が巨人の仕事を分業して行います。政治家が小粒になったという嘆きは、立憲政治というものの本質を理解しないから生じるのでしょう。現代の民主主義国家における政治家は、小人の中で頭一つ抜けていればいい。しかし、頭一つは抜けていなくてはならない。そして、トップは、頭一つ抜けた人の中で頭一つだけ抜けていなくてはならない。あまり抜けすぎていると、独往してしまう。この難しさは、チャーチル以上にF.ルーズベルトがよく示しているように思います。



 もちろん、この政体が、最善であるかどうかには、疑問の余地がないわけではない。論理的に憲法に基づく民主政体が、最善であるということは立証されているわけではないでしょう。あけすけな表現をすれば、これよりもマシな政体が見当たらないというのが私の率直な実感です。岡崎久彦『陸奥宗光』の読みどころの一つは、明治の人たちがこの問題を根本から問い詰めて実務に反映してゆく姿にあると考えております。



 唐突ですが、塩野七生『パクス・ロマーナ ローマ人の物語??』(新潮社 1997年)に次のような一節があります。

 カエサルは、広い壁面に、彼にしかできない??速攻"でフレスコ画を描いていく。出来あがったら直ちに、すぐ隣の壁面に挑戦する。この調子で、感嘆してみている人々の目の前で次々とフレスコ画が完成していき、広いサロンはあざやかで見事なフレスコ画に囲まれれるという具合だ。
 アウグストゥスには、油絵を完成する時間的余裕があった。広いサロンには、大小とりまぜた数多くの画架が並び立つ。しかしアウグストゥスは、一つを完成して次に移るというやり方はしない。最初は、キャンバスの多くには、軽くデッサンだけが描かれる。だが、ときには一挙に完成させることもある。完成した油絵にして観衆に見せたほうがよい、つまりこの機に既成事実にして示しておいたほうがよい、と判断した場合である。共和政への復帰を宣言し、「アウグストゥス」の名を贈られた際の演出などはこれにあたる。他の場合は、完成には歳月をかける。良かれと思った時期に画架の前にもどってきては、ちょっと手を入れるという感じだ。そんなことをくり返しているから、関心を持続できないのが普通の観衆は飽きてくる。観衆の注意が緩慢になったときが、アウグストゥスにとってはかえって好機なのだ。油絵は、誰も気がつかないうちにすべてが完成している、ということになる(41??42頁)。

 現代にはカエサルもいなければ、アウグストゥスもいない。代わりに、アウグストゥスのやった仕事を何十人で手分けして行う制度があります。正確に言えば、現在のこの国には、はるか昔からの古い土台があったものの、それがすべて悪であったというフィクションによって禊を行って、代わりに手抜き工事だらけの、生乾きの土台がその上に乗っかっている。フィクションをフィクションだと言ってしまうことは政治的には得策ではないでしょう。他方で、中途半端な土台では頼りにならない。作った当時は世界に誇るべきものと日本人自身も思い込もうとしましたが、最近ではどうも新しいはずだった土台がこの国の実情と国際情勢にあわない部分がでてきていて、日本人の多数も、どうも心許なく感じている。もともと、その程度の土台だったのかもしれず、かといって古い土台をそのままもってくるのも難しい。土台をどうするのか、塀をどのように囲むのかという議論では、単に喧しいだけではなく、一時期は日本人どうしで刃傷沙汰にすらなった。他人事ではありませんが、今では笑い話でしょう。



 地層が途方もない時間をかけて形成されるのと似て、国家というものも個人レベルからすれば、個人を超越した途方もない時間をかけていろいろな有形、無形の制度が積み重なって形成されてゆきます。この国は、敗戦という大きな断絶のおかげで新しい土台をつくる作業が中断してしまい、途中で変な土台が加わってしまった。良くも悪くも変なものでも上手に取り込んでしまうという日本人の特性のおかげで今までなんとか凌いできたものの、やっぱり今の土台は変だと感じる人が増えていると思います。明治以降の国家形成に戻ることはできませんが、再び、その延長線上に現代の状況に応じて土台を作り直すことが必要だと私は考えます。ただし、この作業は、憲法改正が最大の問題ではありますが、憲法という文章として形になっているものを変えることには留まらないのでしょう。



 そして、私たちが再び自らの意思で国のあり方を考えるときに、塀の外が危険では困る。塀を守るのには自力でやれることが理想的ではありますが、現実には困難でしょう。私たち自身が塀を守ることを明確にした上で、頑丈な他家と協力するのは当然のことだと考えます。塀の中にこもっているだけでは塀を守ることすらできないのも自明であると考えます。



 あえて土台を固めることと塀を守ることを区別しましたが、美しい国家というのは両者を峻別することはできないのでしょう。まだ拝読しておりませんが『美しい国家へ』を書かれた方にあえて申し上げることはなにもありません。ただ、すべてを一人で行う必要はなく、むしろ、事業を続ける人を育てることが、現代では肝要だと考えたしだいです。



 それにしても、『ローマ人の物語』シリーズでは後の巻になるほど、アウグストゥスの業績への言及が増えていて興味深いです。カエサルの巻で塩野さんが、カエサルにないアウグストゥスの美徳として偽善を印象的に挙げたために(作家の才能としては見事としかいいようがありませんが)、かえってアウグストゥスのキャラクターがわかりにくくなった感想があります。アウグストゥスは、カエサルと同じく、政治というものが演じるということと不可分である、あるいは本質であるという洞察をもっていたと思います。カエサルとアウグストゥスを比較しても、意味がないのでしょう。どちらが偉大という問題ではないのでしょう。カエサルはカエサルの資質を、アウグストゥスはアウグストゥスの資質をそれぞれのスタイルで事業に捧げ、運に恵まれた。「時の最果て」のような鄙びたところで「寝言」を綴っている者のささやかな願望は、美しい国を目指す方々に天が味方することでございます。

2006年08月07日

戦後民主主義の悪弊「減点主義」からの自立

 今日の記事はできが悪いです。読者の方には申し訳ありませんが、このまま公開いたします。論理が飛躍しているところが多々ありますので、突っ込みを入れていただければ、幸いです。



 えっ、あんたの記事でできのよいのがあるのって?
…失礼しました。「今日の記事できが悪い」です。



 昨日、ジムから帰ってきて『溜池通信』を拝読すると、な、なんとサンプロにご出演とのこと。慌てて、朝日ニューススターを見ました(以前は出演番組を全部、録画していましたが、露出度が上がると、ありがたみが減って「まあ、いいか」となってしまいます)。中川政調会長には申し訳ありませんが、ウェルチの話が早くこないかなあと思っておりました。録画しておけばよかったと後で後悔しました。英語の彼の肉声を聞いた方がわかりやすい。私の語学力では一回では無理でした(字幕の方がありがたいです)。それにしても、引退しても存在感がある方ですね。



 ウェルチ本は一時期、山ほどでていて実は一冊も読まなかったのですが(「ずれた人」ですので)、思わず頷いてしまう話が多くてちとびっくり。2社が合併したら、どちらかが食ってしまわないとダメ(もっと上品な表現だったと思いますが)というのは、私の持論(こちらは「いかれた外道」ですね)でもあるので、「ほお、なかなかできる経営者だな」と不遜極まりない感想をもちました。数年前、三菱と東銀が合併した後、三菱系が牛耳っている状況を東銀の方が嘆いておられて、「どちらかが食わないと合併なんてうまくゆきませんよ」とご本人の前で平気で言ってしまう外道ですので、アメリカの有名な経営者というのはたいしたものだという感想になります。双子の「日」はどうとかは黙秘いたします(弱者救済のような偽善も嫌いですが、弱いものいじめも嫌いなので)。



 かんべえ師匠の「ウェルチは教育者」発言は、上品だし、ウェルチファンでもない私でも知っているありふれた話ではありますが、あのインタビューを聞いた後で考えると、なかなか味わいがあります。ウェルチ氏の精気に溢れた表情を見ながら、この国の広い意味での「教育」を考えると、戦前と戦後の断絶が大きいことを感じます。それは「減点主義」から越えられない戦後のありようです。



 まず、論点を整理するために、滅茶苦茶なことを申しますと、「減点主義」は、どの時代の、どの国でも、どの組織でもありがちなことで、これが蔓延したところで国が滅んだり、組織が潰れるということはありません。当たり前のことができなくては、仕事以前の問題です。基礎的な反復作業の部分ができなくては困ります。戦後の史家は、表現は異なれど、戦中の減点主義的な軍の教育・昇進などを批判することが多いのですが、「いかれた外道」にかかると、そんなの戦後の方がひどいでしょとなります(自衛隊の話ではなく、戦後の官庁や民間企業、公教育、政党などの話です。失礼ながら、対米戦争を体を張って止めるなどというのは夢のまた夢で、損切りをできそうな戦後生まれを見たことがありません。不良債権処理一つとってもねえ)。お役所を「官僚的だ」という批判も、「ずれた人」の手にかかると、「なんで利益を上げている会社に『拝金主義だ』って批判しないの?」となります。話がそれましたが、減点主義を批判するのは簡単ですが、まず基礎のレベルでは減点主義はむしろ当たり前であることを明確にすることが大切だと思います。



 問題は、減点主義では対応のできない領域です。端的な例を挙げると、お役所というのは基本的にすりあわせ、先送りの名人芸の集合体です。嫌味や否定的なニュアンスはありません。世の中、答えがでない問題が多い。あちらを立てれば、こちらが立たない。上手に感情と打算をコントロールしてその場、その場でトラブルをできるだけ少なくするというのは、大人の知恵です。しかるに、お役所でも、従来の先送りの手法が行き詰まると、新しい先送りの方法を編み出さねばならない。「霞ヶ関名物、財務省御用達腹話術人形の谷垣さだかず君」などという嫌がらせをする人も宥めて新しい先送りの方法を考えるというのは、傍観者からすると、なかなか創造的ではあります。減点主義の権化であるかのような霞ヶ関ですら、減点主義だけでは立ち行かない領域があります。



 2年ほど前に部長クラス(民間企業)の方々から、トップの選び方がわからないという声を耳にしました。これは、私もこれという解があるわけではありません(ひどいことを申しますと、そんなことがわかったら、こんな「寝言」も書かないでしょうし、マニュアルなんて下っ端にやらせろとなりまする)。年功序列というのは、勤続年数が経験と大筋で一致し、結果として能力を、例外も多いものの、反映するという点では合理性があると思います。他方で、ありふれた話ではありますが、経験が環境変化への適応を妨げることもあるのでしょう。ただ、経験が単なる邪魔なら、既存の従業員や管理職をすべて切って、無垢な人を入れればよいわけです。



 単純な「改革」論のほとんどは、この意味で「減点主義」そのものです。古いもの、手垢のついたものは減点の対象となり、極論すれば、清算すべき対象となってしまいます。学生の頃に戦前と戦後の「連続説」と「断絶説」という議論(経済史)を聞いてバカバカしいなあと思いました。歴史なんて連続かつ断絶に決まってるでしょという「寝言」、もとい一言で蹴散らしましたが。



 なんだかとりとめがなくなってまいりましたが(「お約束」とでも申し上げましょうか)、減点主義と清算主義は同根という強引な話であります。露骨にいってしまえば、あまり頭を使う必要がないという点で。公教育のあり方から、組織内部の人事評価に至るまで減点主義というのは評判が悪いのですが、「ずれた人」には批判の的がずれているように見えます。減点主義というのは、教育する側、管理する側が頭を使わなくてもよいという点が強みであり(教育者、経営者のできが今ひとつでも現場は回る)、それが行過ぎると、だんだんみんなが「閉塞感」を感じるようになってしまう。環境への不適合が生じると、「清算主義」になって自己破壊を始める。しばらくすると、壊すだけではダメだということに気がついて、生き延びる組織は頭を使うようになる。問題は、頭を使うことではなくて頭を使い続けるという営為を続ける持続した意思と能力の問題に行き着きます。



 ウェルチ氏の経営理念は、サンプロの翻訳によると、「誠実」ということだそうですが、これはなかなか難しい。素朴な意味での「正直」と「誠実」は、はっきりとした差があります。このレベルの話になると、私の頭では抽象論しかできないのですが、真実というのは目の前にあるのだけれど、神様の悪戯なのか、進化のなれの果てなのか、原因はともかく、直接、見ることはできない。目に映ったことをそのまま叙述しても、正直ではあっても、誠実ではない。誠実であるということは、目に映じたことがらを真実に近い形で再構築する意識的な営みであり、あえて極言すれば、自分に嘘をつかないということなのでしょう。



 最後になりましたが、今日の駄文の本論です。以前、私は、戦後民主主義の堅牢さを評価する記事を書きましたが、靖国参拝でこれだけ割れてしまうのを見ると、やはり誠実さという点でなにか欠けたものを感じます。岡崎先生には申し訳ないのですが、民主主義は失敗するという醒めた認識が戦後世代の共有知識であるとはいえない状況はまだ続く気がします。身も蓋もない考えをあからさまに言ってしまうと、日米同盟のおかげで戦後民主主義は失敗してもブレが小さくて済んでいるというのが、私の戦後史の基本的な見方です(日米同盟がなかったら、戦前の失敗など小さく見えているでしょう。「日本」なる国が独立した単一の国家であり続けたかどうかすら、怪しいものです)。



 この問題で左右(それにしても、もうちょっと利巧な「左」がほしいなあ。雪斎先生が「リベラル」というのは戦後の意味での「リベラル」では無理がありすぎるし)の「減点主義」(この場合、清算主義の別称)の弊害は甚だしく、誠実さからほど遠い感があります。「自立」というと、日米同盟から離れることしか思い浮かばない状況というのは、困ったものです。日本人が、自分の運命を決める明確な意思をもって、まず自国の安全を自ら守る意図と能力を明確にした上で、自国の安全を確実にする手段として日米同盟を選択することこそ、真の自立である。それが、私の「自立」論です。



「続きはかんべえ師匠への私信です。かんべえ師匠以外の方は決してクリックしないで下さい」と書くと、クリックする方が増えるので、お暇な方はお好きなだけクリックしておくんなまし。

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2006年07月21日

靖国参拝は粛々と

 …迂闊でした。「続き」を入れれば、読みたくなるもの。これじゃあ、アクセス数のインフレを煽っているようなもの。ただでさえ低い知能指数が、ゼロに近い状態です。というわけで今日は寝言の極み。



 『日経』(2006年(平成18年)7月20日、14版)の一面に「昭和天皇が不快感」で『日経』に不快感をもちました。富田朝彦氏のメモをいつ入手したんでしょうか。笑えたのが、『産経』(平成18年(2006)7月20日、15版)一面で「インサイダー疑惑 日経社員 強制捜査へ」。メディアどうしの「インサイダー取引」なのか、談合なのか、暗黙の協調なのか、ハードコア・カルテルなのかわけわかめの状態。『産経』は、古森義久氏の解説とともに、アーミテージの読み応えのある論評を掲載していて、空気が読めない上に政治的な下心(総裁選の争点にしようという意図)がミエミエの『日経』はダメダメでしょう。「逆神」Hacheも目を剥くOGぶりに呆れ果てます。アーミテージが指摘しているように、まずは日本人が答えを出すしかない。じゃあ、答えがでるのか。率直に言って、みんなを満足させる解などないでしょう。



 身も蓋もない結論をいきなり書きましたが、民主政治ではみんなが納得のゆく解などでない。他の政体の場合、少数あるいは単独の指導者が解を強制するだけの話です。靖国神社の参拝は、利害計算にはなじまない。価値観が優先します。価値の問題を事実のように扱うことはある程度までは可能でしょうが、あるレベルを超えてしまうと、結論ありきになってしまう。極論でしょうが、「どうでもいい」というのも見識の一つでしょう。「総理が参拝すべきだ」、「すべきでない」という見解の争いに巻き込まれても、なんの利益もない。私自身、「総理の」靖国参拝問題についてはどうでもよくなっています。



 まず、「A級戦犯」の合祀というどうでもいいといえば、どうでもいいような枝葉末節ばかりが問題になるのでうんざりします。もともと、靖国神社に祀られる基準自体が手続き的であり、「なぜ、この方が」と思う方が祀られていなかったりします。「手続き的」と書きましたが、政治的な要素もあります。これはむしろ、太平洋戦争以前、維新の前後に顕著です。維新の最大の功労者、西郷隆盛は「賊軍」となったために祀られていない。論理的な一貫性がまったくないとはいいませんが、一貫していると確言することは到底できません。
 
 また、太平洋戦争での柱が多いことは事実でしょうが、ここにばかり焦点が集まるのも、うんざりします。日清・日露戦争で払った犠牲は、数からすれば、太平洋戦争の比ではないのかもしれませんが、維新後、日本が安全を確保し、独立を保つのに払った大きな犠牲です。柱の数だけの問題ではないのでしょう。まだ先の大戦で戦死した方のご遺族がいらっしゃる。また、戦争といえば、いまでも真っ先に思い浮かぶのは先の大戦であり、「戦後」といえば、その後の時代を指すのが普通です。



 上記のような問題があるにもかかわらず、私は、明治以来の犠牲に感謝するために靖国に参っております。想いを馳せるのは、維新以来、血を流して保ってきたこの国の安全と独立であり、その犠牲の上にある今日の繁栄です。今日、繁栄している国の多くは、血の犠牲があっての現在です。そのようなことを忘れて、今の自分があるかのように考えることは、思い上がり以外のなにものでもないでしょう。



 大きな戦争で敗れた国が生き残るのは難しい。しかし、小さな国であったなら、滅ぼされていても不思議はありません。確かに、先の大戦で払った犠牲はあまりにも大きかったと思います。それでも、維新、日清・日露戦争がなければ、今日の日本はなかったでしょう。そのような犠牲を代表する神社は、国というレベルでは靖国神社以外にはない。敗戦も含めて私が今日あるのは、200万をはるかに越える方たちの犠牲のおかげであるという気もちでこれからも靖国神社へ参拝いたします。 

2006年07月19日

台湾関係法 Strategy is simple.

 おバカな記事と連休明けのおかげで、インフレファイターとして失格のアクセス数を記録してしまいました。無念。「かんべえ 極悪」の検索結果で33件もアクセスがあったことが悔やまれます(つい1件目をクリックしたくなるという心理を読み落としているとは…)。断固たる決意をもって、アクセス数を半減させることを宣言いたします。



 「時の最果て」よ、凍りつくがいい!! 



 本日は、「台湾関係法」2条B項です。元の法律の全文はこちらから、邦訳の全文はこちらから読めます。岡崎先生の論稿で引用されているものと全く同一のものです。

【原文】



Taiwan Relations Act
Public Law 96-8 96th Congress



(b) It is the policy of the United States--
(1) to preserve and promote extensive, close, and friendly commercial, cultural, and other relations between the people of the United States and the people on Taiwan, as well as the people on the China mainland and all other peoples of the Western Pacific area;



(2) to declare that peace and stability in the area are in the political, security, and economic interests of the United States, and are matters of international concern;



(3) to make clear that the United States decision to establish diplomatic relations with the People's Republic of China rests upon the expectation that the future of Taiwan will be determined by peaceful means;



(4) to consider any effort to determine the future of Taiwan by other than peaceful means, including by boycotts or embargoes, a threat to the peace and security of the Western Pacific area and of grave concern to the United States;



(5) to provide Taiwan with arms of a defensive character; and



(6) to maintain the capacity of the United States to resist any resort to force or other forms of coercion that would jeopardize the security, or the social or economic system, of the people on Taiwan.



(c) Nothing contained in this Act shall contravene the interest of the United States in human rights, especially with respect to the human rights of all the approximately eighteen million inhabitants of Taiwan. The preservation and enhancement of the human rights of all the people on Taiwan are hereby reaffirmed as objectives of the United States.



SEC. 18. This Act shall be effective as of January 1, 1979. Approved April 10, 1979.



【邦訳】



B項 合衆国の政策は以下の通り。



(1)、合衆国人民と台湾人民との間および中国大陸人民や西太平洋地区の他のあらゆる人民との間の広範かつ緊密で友好的な通商、文化およびその他の諸関係を維持し、促進する。



(2)、同地域の平和と安定は、合衆国の政治、安全保障および経済的利益に合致し、国際的な関心事でもあることを宣言する。



(3)、合衆国の中華人民共和国との外交関係樹立の決定は、台湾の将来が平和的手段によって決定されるとの期待にもとづくものであることを明確に表明する。



(4)、平和手段以外によって台湾の将来を決定しようとする試みは、ボイコット、封鎖を含むいかなるものであれ、西太平洋地域の平和と安全に対する脅威であり、合衆国の重大関心事と考える。



(5)、防御的な性格の兵器を台湾に供給する。



(6)、台湾人民の安全または社会、経済の制度に危害を与えるいかなる武力行使または他の強制的な方式にも対抗しうる合衆国の能力を維持する。



C項 本法律に含まれるいかなる条項も、人権、特に約一千八百万人の台湾全住民の人権に対する合衆国の利益に反してはならない。台湾のすべての人民の人権の維持と向上が、合衆国の目標であることをここに再び宣言する。

 B項ならびにC項を具体化するアメリカと台湾の政府レベルの協議が実施されるようになれば、中国は手出しできないでしょう。他方で、このような協議が定例化されることは、事実上、台湾を独立国家として承認することになります。これが私にとっての「現状維持」にほかなりません。台湾が自由と人権を尊重する民主主義的な独立国家であるという現状を維持することが、肝要です。



 中国は、口先介入でアメリカに政府レベルで台湾関係法を死文化するよう努めてきました。「馬は馬、鹿は鹿」といえば、当然、介入しようとするでしょう。現状では、アメリカがそのような措置をとろうとしているわけではありません。しかし、断固として介入を排除してアメリカが台湾関係法にもとづいて必要な措置をとったときに、この国がどちらに立つのか。踏み絵ではありません。本来の意味での戦略が必要なのは、このような問題であると考えます。

2006年07月07日

イギリスの錯誤 オーストラリアの強欲 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ7

 今回は、平間洋一『第一次世界大戦と日本海軍』第ニ章に関するメモの最終回です。日本海軍による南洋群島の占領の背景を英米豪との関係から考察されています。第1にイギリス海軍の苦戦と対英豪関係の好転、第2に日本の参戦後アメリカの対日感情の好転、第3に英豪の錯誤が挙げられます。



 まず、第1の点ですが、1914年9月20日に巡洋艦ペガサスがドイツの巡洋艦ケーニヒスベルグに撃沈され、21日にはにマドラスがエムデンの砲撃にさらされてしまいます。さらに同月23日には、タヒチが巡洋戦艦シャルンホスルスト、グナイゼナウに砲撃され、ドイツ東洋艦隊による攻撃が活発になります。



イギリスは日本にオーストラリア艦隊への協力を求め、それに応えて9月21日に戦艦薩摩、巡洋艦平戸・矢矧をオーストラリア艦隊との共同作戦へ派遣しました。伊吹にいたってはANZAC軍の護衛のために遠くアデンまで派遣されます。「…日本海軍は、ドイツ東洋艦隊を包囲するためイギリス海軍の要請に応じ、戦艦薩摩、巡洋戦艦鞍馬・筑波、巡洋戦艦浅間・平戸・矢矧・日進・春日・出雲、駆逐艦山風・海風を遠くカナダから太平洋に派出し、さらにエムデンの対処にインド洋に巡洋戦艦伊吹、巡洋艦筑摩と日進を送った」(平間[1998]、63頁)。



 チャーチルは、次のように評したそうです。「太平洋及印度洋上の護送警備は大部分日本の旗を掲げる軍艦に託されることになった」(63頁)。イギリス海軍は兵力不足から日本海軍にドイツ東洋艦隊の撃滅とオーストラリア・ニュージーランドのシーレーンを依存せざるをえない状況でした。また、日本海軍も、これに応えました。チャーチルは、いくつもの謝電を日本海軍に送りました。平間先生は、日本海軍の協力意欲の低下を恐れたという現実的な評価をしています。また、日本海軍の協力を考えれば、当然ともいえるでしょう。太平洋とインド洋で日本海軍は大きな貢献をしていました。英豪に日本海軍への依存に恐怖心がなかったわけではないでしょうが、利には利によって報いるというイギリス人の性向からすれば、英豪の対日感情が好転したのは当然であると思います。



 第2の点に関しては、アメリカ世論の移ろいの儚さを感じます。日本が最後通牒を発した8月15日にはニューヨーク・タイムズ紙が「日本の参戦は日英同盟に基づいたものとは認めがたい、『寧ロ日本政府ノ欲望ニ出デタルモノト云フヲベシ』と報じ」(64頁)ました。余計ですが、同盟に基づいた参戦であっても、自国の国益を守るための行為であることは変わらないと思うのですが。同盟に基づく軍事行動が一見、利他的であっても、それが同盟の締結国の利益から行われるのは当然でしょう。同盟を理解することが難しいことをあらためて実感します。



 それはさておき、結局、アメリカの世論は沈静化してゆき、9月2日の山東半島上陸についても「自国の軍備が弱小ならば他国の侵略を妨ぐことはできない。武力弱小の点で中国に似ているアメリカは、平時より兵力を充実する必要がある。しかし、日本の中国領への上陸はドイツのベルギーの中立侵害とは意味が違う」(65頁)と報じるまで沈静化してゆきました。表現が悪いかもしれませんが、アメリカの世論は大きくスウィングしますが、大局的にはまともな解をだしてゆきます。悪い方に振れたときに、あまり反発せずに冷静に対応すれば、自分で修正する力をもっていることを記憶しておくことが大切だと思います。



 第3の点に関しては、イギリス海軍レベルと政府レベルの誤りに区別されています。海軍レベルでは、「チャーチル海相の香港集中命令、ジェラム長官のドイツ東洋艦隊がインド洋に向かったとの誤判断、イギリスの艦隊撃破第一主義、さらにはオーストラリアやニュージーランド自治領政府の部隊運用の不適切が兵力分散を招き、ドイツ東洋戦隊に行動の自由を与え、戦域制限を有名無実化し日本海軍に占領の口実を与えてしまったのであった」(74頁)とまとめられています。とくに重視すべき点は、イギリス海軍の戦略思想が、島嶼など領土の占領よりも艦艇の撃破を重視することでしょう(74頁)。同様の錯誤は、後に自ら海戦の戦略を変えてしまった日本自身が別の形で経験することとなりました。



 政府レベルでの錯誤は、主として自治領オーストラリアのピアス国防相によるものです。南洋群島の領有にかられたピアス国防相は、ハーコート英植民地相がヤップ島の占領を日本から引き継ぐとした電文中の"Yap and others"(ヤップ島及びその属島)を「ヤップ島及びその他、太平洋の独領諸島の全部」と誤解し、公表してしまいます(76??77頁)。その後、日英間の交渉で日本側の立ち回りの巧みさ、グリーン駐日英大使の不注意もあって、グリーン大使は「日本国民ハ赤道以北ノ独領諸島全部ノ領有ヲ主張スベキニ付キ英国政府ノ指示期望ノ件」という口上書を書かされてしまいました(78頁)。当時の戦況を考えると、この一件がなくても、南洋群島の占領は、戦後、既成事実化が図られた可能性が高いと思いますが、オーストラリアの強欲、イギリスの不注意は、海軍の南洋群島占領を正当化する助けとなったのでありました。



 冷静に見て、太平洋、インド洋ではイギリス海軍は日本海軍の南洋群島占領を阻止する力はありませんでした。また、それに見合うだけの貢献を日本海軍は行っていました。粗雑な評価かもしれませんが、南洋群島の占領は、長期的に日米の対立を増大させる可能性を高めるものでしたが、英米豪への日本海軍の貢献を考えれば、相応の対価であったともいえましょう。後に日英同盟廃棄にいたるプロセスで確認いたしますが、軍事的貢献ほど同盟を強化するものはありません。また、文中でも申し上げましたが、同盟に基づく軍事行動も自国の利益からなされるものであって、完全に利他的な行動というのはありえないことです。軍人を他国のために死なせるということは、よほど愚かな国でない限りありえないでしょう。同盟の本質は、互恵的であり、軍事的な共同行動にあるという平凡な事実を確認して今回のメモを終えます。

2006年06月30日

南洋群島の占領 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ6

 今回は、南洋群島の占領の問題です。第一章の終わりでは、南陽群島の占領によって日米両国が互いに仮想的国として見る一歩となったことが述べられています。第二章冒頭で日本による南洋諸島の占領がどのような戦略的意義をもつのかが、簡潔に示されています。



「第一次世界大戦時の日本のドイツ領南洋諸島の占領は、イギリス自治領オーストラリアやニュージーランドにとっては仮想敵国視する日本の脅威が南下接近することを意味し、アメリカにとっては本土とグアム・フィリピン間の海上交通を遮断されるため、国際政治上極めてデリケートな問題であった」(平間[1998]、58頁)。イギリス海軍は、米豪への配慮から日本海軍の行動に制約を加えようとしました。結果からいえば、イギリス海軍は、太平洋とインド洋、そして自治領オーストラリア・ニュージーランドへの海上交通路の安全を日本海軍に依存せざるをえず、日本海軍による南洋諸島の占領を許してしまいました。



 ここで脱線しますが、当時は「帝国の時代」、すなわち、列強によるパワー・ポリティクスの時代です。ビスマルク亡き後のドイツは、海外へ植民地を求めてアフリカ、太平洋の島嶼などへと「力の空白」に勢いで進出してゆきました。このこと自体を善悪で論じることは、無意味とはいいませんが、歴史を理解する上で重要な点であるとは思えません。ドイツにとって重大であったのは、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争、普墺戦争、普仏戦争などドイツ統一のプロセスでヨーロッパ大陸で最強の陸軍国となったことに加え、海外進出にともない、海軍力も飛躍的に増強したことでした。1916年のユトランド沖海戦ではイギリス海軍はドイツ海軍に対して戦略的には勝利を収めました(ただし、この開戦でイギリス海軍は、量的にはドイツ海軍よりも大きな損害を被りました)。以後、ドイツ海軍は、イギリスの制海権に正面から挑戦することをやめますが、1917年初め頃から無制限潜水艦作戦を開始して、アメリカの参戦を招いてしまいます。ドイツ帝国の無定見な海外拡張政策は、英米の覇権への挑戦となり、滅亡を招いたのでした。



 他方で、イギリス海軍は「七つの海を支配する者」という立場にありましたが、北太平洋には拠点をもっていませんでした。第一次世界大戦を全体から俯瞰すれば、太平洋を巡る英独の対立の比重はさしたるものではありませんが、日本海軍の助力なしには、アジアにおける権益や自治領オーストラリア・ニュージーランドなどへの海上アクセスの確保ができない状態におかれていました。ドイツの脅威の下では日英は基本的には補完的な関係にあったと考えますが、それが脅威ではなくなったとき、日本の政策しだいでは太平洋において日本がドイツと同様の立場におかれる可能性があったことをどれほど日本政府、海軍が理解していたのかは疑問です。



 もちろん、南洋群島の占領が直ちに日米、日英の戦争を必然にしたわけではないでしょう。しかし、パワー・ポリティクスというのは、本質的に強力な敵とお互いに手出しができないという意味で均衡をつくりだすか(バランス・オブ・パワーと区別が難しいところですが)、より強力な敵に破れるまで拡張をやめることのない、本来的には自己破滅的な側面を含んでいます。戦前の政治的軍事的指導者を過小評価するものではありませんが、パワー・ポリティクスの危険性を理解していたのは、世界の覇権を数世紀にわたって握ってきたイギリスとドイツ統一後、ショックを和らげようとしたビスマルク、冷戦期のアメリカぐらいなのかもしれません。



 少々、脱線が長くなりましたが、平間先生の叙述による南洋群島の占領に話を戻します。南洋群島への進出の主導者は、海軍でした。海軍は、「帝国国防方針」(1907年)でアメリカを仮想敵国とし、八八艦隊の建設を推進しました。この際、南進論を正当化するために、ジャーナリストや学者の関心を高め、世論へのはたらきかけを強めてゆきます。このような軍事的な側面からの南進論に呼応して農商務省を中心とした経済的な南洋諸島への進出熱も高まってゆきます。「…一九一三年には南洋興業合資会社が設立され、開戦時には小規模ながら五社がサイパン、ポナペ、トラック、ヤップ、パラオ、グアムなどに支店を開設し、西カロリン諸島およびパラオ諸島に五六名、マリアナ諸島に五一名が在住するなど、民間レベルの進出も徐々に活発化しつつあった」(平間[1998]、58頁)。



 当然ではありますが、日本の参戦によってアメリカやオーストラリア、ニュージーランドはドイツ領南洋群島への日本海軍の進出を警戒しました。イギリスは、大戦でこれらの国々の協力が不可欠であり、戦域制限交渉などを通して日本海軍の行動を制約しようとしました。他方で、イギリス海軍は、カナダ方面への警備依頼、シンガポールへの艦隊派遣依頼などによって事実上、日本側に戦域制限を撤回したと考えさせるシグナルを送ってしまいます。これによって、日本海軍は、南洋群島への進出を始めました。ただし、シンガポールに派遣された伊吹艦長加藤寛治大佐が終戦の際に事実上、南洋諸島を押さえておく具申をげると、「…政府の意向は『対外関係ヲ考慮シ島嶼ノ占領ヲ不可トシタルヲ以テ』、海軍としては『単ニ一巡ノ索敵行動ト敵ノ軍事的設備ノ破壊トヲ目的トシ群島中ニ根拠ヲ作成スルコトヲ避ケ、揚陸しても、作業を終了したならば、速ニ撤退スルよう部隊にも指示していた」(平間[1998]、60頁)とあるように南洋群島の占領に慎重な傾向も存在しました。



 それにもかかわらず、参戦直後の1914年内に海軍は南洋群島の占領を果たします。平間[1998]の62頁にある表を掲げておりきます。

   占領日時   占領島嶼    占領部隊     艦名



   10月 3日   ヤルート    第一南遣支隊    鞍馬
        5日   クサエ          同上       浅間
        7日   ポナペ          同上       筑波
               ヤップ       第ニ南遣支隊     薩摩
            8日   パラオ         同上        矢矧         
        9日   アンガウル      同上        同上
       12日    トラック      第一南遣支隊   鞍馬
       14日    サイパン     通信中継艦    香取

 平間[1998]では南洋諸島の占領に踏み切った国際的な背景に関して詳細な分析が加えられていますが、この点に関しては次回に論じます。南洋群島の占領の最も積極的な主体は、海軍でした。南洋合資会社社長横井太郎からの南洋諸島占領の意見具申に対して八代海軍大臣はサインし南洋群島の占領を正当化する主張に傍線を引き、秋山軍務局長は捺印をし、百武三郎大佐の意見具申に賛成する欄外注記があるなどの史料によって平間先生は、間接的にではありますが、あらためて海軍の南洋群島の領有意欲が強かったことを示しています(平間[1998]、66頁)。海軍の南洋諸島への領有の動機は、第1に、対米国防圏の拡大であり、純粋に軍事的なものでした。第2に、海軍力の増強を補完する商船隊の充実、貿易振興など何進政策の推進でした。また、「シーメンス事件で失墜した海軍の威信を南進によって回復し、陸軍に対する優位を確保し、陸軍の『大陸発展論(北進論)』から海軍の『海洋発展論(南進論)』へと国民の目を転じさせたいとの願望が強く働いていたのであった」(平間[1998]、67頁)との指摘もあります。



 最後に、指摘おかなくてはならないのは、海軍の南洋群島への進出に消極的であった、加藤外相も、既成事実に引っ張られる形でこれを追認し、結局は積極論へと転じていったことです。加藤外相は、10月12日に南洋諸島の占領に関して在米大使に占領が一時的であるのか恒久的なものであるのかコミットしないよう訓電を送りますが、わずか3日後には米国世論の反応を探るよう、訓電を送り、姿勢を転換してしまいました。さらに、11月27日には英駐日大使グリーンに「相応ノ分ケ前」を求める申し出をし、1915年8月の単独不講和宣言への加入に際してグレー英外相に南洋群島の占領を認めることを明確に求めています。大隈総理にいたっては、『実業之日本』1913年11月号に「南洋諸島への雄飛」との記事を書いていました。もっとも、大隈総理はもともと主張に一貫性の欠いた人物だったようですので、南進論者として扱うべきではないかもしれませんが。いずれにせよ、総理が南進を制限する姿勢を見せなかったことは事実でしょう。



 上記の事態の推移は、対米戦争にいたるプロセスと直接に対比することはできません。しかし、南洋群島を占領することが軍事的見地からのみならず、国家レベルの戦略的な観点から検討された形跡は、ほとんどないようです。ここで注意していただきたいのは、私自身は南洋群島の占領の是非について論じているのではありません。問題は、政治的指導者が南洋群島の占領という行為の戦略的価値――対米戦争を必然的にするレベルではないが、可能性を高める――を理解した上で軍略に対して政治的影響力を行使していなかったということです。以前、齋藤健『転落の歴史に何を見るか(ちくま新書、2002年)で明治の指導者と昭和の指導者の「断絶」という歴史の捉え方に批判的な検討を行いましたが、日露戦争以後、政治と軍事を双方、理解した上で戦略的な判断ができる政治的指導者は、既にこの時期にも見出すことが困難です。それでは、あの記事を書いた頃と私の考えが変わったのかといえば、変化はありません。双方を理解するリーダーが恒常的に生まれる為には、失敗を重ねながら、生き延びてゆくという試行錯誤のプロセスが不可欠です。結果的に帝国は対米戦争における敗戦によって滅んでしまいますが、結果からプロセスを断罪する歴史観から自由でありたいという立場には変化がないことを、最後に述べさせていただきます。



(追記) 下線部を修正いたしました(2006年7月1日)。