2006年06月29日

伊吹の武士道と矢矧砲撃事件 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ5

 ずいぶん間が開いてしまいましたが、今回は、平間洋一『第一次世界大戦と日本海軍』(慶應義塾大学出版会、1998年)の第ニ章「日英連合作戦と日英豪関係」に関するメモです。第二章は、次のような構成になっています。



  第一節 南洋群島の占領
  第二節 南陽群島の占領と英豪の錯誤
  第三節 オーストラリア警備作戦と日豪関係



本章では、いわゆる「南進論」とそれを具体化した南洋群島の占領、さらに南洋群島の占領をめぐる英米豪の思惑と対応に紙幅の多くが割かれています。



 まず本章の概要を述べますと、イギリスと自治領オーストラリア、ニュージーランドは、日本の南進に警戒を示しますが、主としてチャーチル海相の指揮下におけるイギリス海軍の作戦上の錯誤、オーストラリア国防大臣ピアスの重大な錯誤によって日本側の言い分が通ってしまいます。日本海軍による南洋群島の占領によってオーストラリア・ニュージーランドは日本を脅威と感じる傾向を強めました。南洋群島の占領は、結果的に一面では米豪接近、他面ではイギリス海軍の対日警戒感からくる英自治領諸国(カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど)の結束を強める結果を招きます。この問題が、第二章の主要なテーマではありますが、次回に検討いたします。



 今回は、オーストラリア警備作戦における、対照的なエピソードを取り上げます。第三節では日本海軍によるオーストラリア警備作戦を前期(対ドイツ東洋艦隊・エムデン作戦:1914年??1915年)と後期(対通商破壊船作戦1916年??1918年)にわけて日本海軍の貢献について述べられています。巡洋戦艦伊吹の武士道的行為は前期に、巡洋艦矢矧の砲撃事件は後期に生じていいます。南洋群島の占領という戦略的な問題に取り組む前に、それぞれのエピソードをとりあげて日本海軍の「苦労」をあらためて理解したいと思います。なお、伊吹と矢矧のエピソードに関しては平間洋一『日英同盟 同盟の選択と国家の盛衰』(PHP新書 2000年)がリアリティに富んでおります。引用に際して平間[1998]と表記している場合には『第一次世界大戦と日本海軍』、平間[2000]と表記している場合には『日英同盟』を指すことをお断りしておきます。



 まず、伊吹の武士道的行為からです。1914年9月頃からドイツ東洋艦隊が活発に活動するようになりました。ドイツ東洋艦隊の主要な戦力は、装甲巡洋艦シャルンホルスト(11,400トン)、グナイゼナウ(11,400トン)でした。これらの主要戦力は、ファンニング島の無線通信所を破壊、タヒチを襲撃するなど、太平洋で海上交通破壊を行います。一方、巡洋艦エムデンは、ベンガル湾に出現して9月21日にはマドラスを砲撃してイギリス海軍の威信を大きく低下させました。「イギリス海軍は伊吹をニュージーランドからケープタウンまでANZAC(Australian and New Zealand Army Corps オーストラリア・ニュージーランド連合軍:引用者)船団の護衛に使用したいと申し出た」(平間[1998]、82頁)。伊吹は、イギリスの巡洋艦ミノトーアとともにNZ陸軍部隊を載せた輸送船をアデンまで護衛する任務を行いました。なお、途中でオーストラリアの巡洋艦シドニー、メルボルンも護衛に参加していますが、最終的に全行程を護衛したのは伊吹のみでした。



 このANZAC船団の護衛中にエムデンがココス島を砲撃してシドニーは隊列を離れました。「しかし、伊吹は通信員が英語がわからなかったために出遅れてしまい終始船団を護衛し、エムデン撃沈の栄誉をシドニーに譲る結果となり、オーストラリア海軍に最初の武勲を飾らせた。そしてこの伊吹の行為が以後、『伊吹の武士道的行為』として礼賛され、日豪和解ムードが生まれると、常に日本海軍のオーストラリア警備作戦の成果・友好のシンボルとして利用されたのである」(平間[2000]、92??93頁)。意図せざる功名ではありますが、各国の軍隊の共同作戦ではこのような「幸運」も、やはり大切なのでしょう。



 オーストラリアのフリーマントル港に入港中の巡洋艦矢矧に砲撃がオーストラリア側から加えられたのは、オーストラリア警備作戦の後期、1917年11月20日でした。簡潔にこの時期のオーストラリア警備作戦における日本海軍の行動について説明いたします。



 まず、ドイツ東洋艦隊が撃滅された後、ドイツは通商破壊船(商船に武装を施した仮装攻撃艦)ウォルフなどをインド洋に進出させてきます。この事態にイギリス海軍は、日本海軍に対して(1)インド洋の警備、(2)オーストラリア??コロンボ間の船舶護衛、(3)オーストラリア東岸・ニュージーランドの警備、(4)モーリシャス方面への進出を依頼します。「これらの依頼に日本海軍は、第一特務艦隊に利根・出雲および駆逐艦四隻を増派し、対馬・新高をモーリシャス方面に進出させ、四月十四日には第三特務艦隊(司令官山路一善少将、巡洋艦筑摩・平戸)を新編し、オーストラリア東岸やニュージーランドの警備に当て、さらに巡洋艦春日・日進を増派し、日進をフリーマントル、春日をコロンボに配備し、インド洋の警備に当てるとともに、四月下旬から六月上旬の間、フリーマントル??コロンボ間の船舶(十六隻)の直接護衛を実施した」(平間[1998]、84頁)。



 このようにイギリスとオーストラリア、ニュージーランドの海上交通の安全に日本海軍は貢献していましたが、現実には日本とオーストラリア、ニュージーランドの間には対立が絶えませんでした。それを象徴する出来事が、矢矧に対する砲撃事件です。



「…日本海軍に大きな衝撃を与えたのが、一九一七年十一月二十日に発生した矢矧砲撃事件である。発射弾数は一発であったが、陸上砲台から発射された砲弾は、フリーマントル入港中の矢矧の煙突をかすめて右舷約三〇〇メートルに落下した。翌二十一日に西オーストラリア地区のクレア大佐から、実弾を発射したのは「規定ノ信号ヲ掲揚セスシテ入港セントスル水先人ニ対シ、単ニ注意ヲ喚起スル為ニ採リタル手段ニ過キス」との弁明があった。
 しかし、前日に電報で入港を通知し、パイロットを乗艦させていたにもかかわらず、実弾が発射された事態を日本海軍は重視した。そのため山路司令官宛に、事件の説明を求める文書を送付する。
 これに対し二十五日にはフリーマントルを訪問中のファーガソン総督が個人的に陳謝し、十八日には海軍委員会議長から『豪州政府ノ為ニ深ク遺憾トス」との、また海軍司令官からは「本件ノ発生ヲ深ク遺憾トシ、此種事件ヲ再発セシメサルヘキ」旨の謝罪電報やパイロットの資格剥奪などもあり、事件は一応収拾された」(平間[2000]、97??98頁)。



 当時は、日本海軍の南洋諸島への進出、日米と自治領オーストラリアの露骨な拡張主義、「白豪主義」に代表される人種差別などの背景もありますが、この事件自体は偶発的なものであったようです。これを現代にあてはめるのは、時代背景があまりにも異なるため、無理がありますが、他国の軍隊の共同作戦は、常に偶発的なよい出来事もあれば悪い出来事もあるという平凡な事実を確認しておきます。ここから教訓を導くことは危険ですが、同盟国やそれに準ずる国との共同作戦は常日頃から行っておくことが、不幸な事故の生じる確率を大幅に下げることは忘れてはならないと思います。第一次世界大戦では、攻守同盟にまで発展した日英同盟ですら、ふだんの共同演習を欠いた状態では混乱に満ちていることをよく示していると思います。



 他方で、伊吹の武士道的行為は、意図せざる結果とはいえ、究極の事態における「評判」の大切さを実感させます。今回、とり上げた二つのエピソードは、けっして日英同盟や英米豪との関係には決定的な役割を果たしたとはいえないでしょう。ただし、私たちがこのような先人の努力を知っておくことは、戦前のこの国を知るうえでも、将来の日米同盟を考える上でも何がしかの補助線になると考えます。



 やや先走りますが、日本が、ヨーロッパ戦線に陸軍を派兵しても、ヨーロッパ戦局を決定づけるような力はなかったでしょう。また、イギリスや他の協商国もそこまでの貢献を期待していたとは思えません。しかし、戦後とは比べものにならないほど、国際政治に影響力を有していた戦前の日本が、口実は同盟の「情誼」でもよいからアングロ諸国との協調という立場から、英米とともに戦うという姿勢を口だけでなく、行動で示したならばと惜しまれます。仮に行動の動機が打算であっても、結果として感情がついてくることは少なくありません。道のりは遠いのですが、後にヨーロッパ派兵をめぐる国内世論の混乱を鑑みると、戦後民主主義がこの問題を解決していないし、解決するにはまだ時間がかかるのかもしれないという感覚をもちます。



(追記) 下線部を原著にしたがって訂正いたしました(2006年6月29日)

2006年06月23日

台湾海峡情勢概論 クロー覚書の教訓

 わき道にそれましたが、台湾海峡全体の情勢を理解するには、岡崎先生が過去の著作でも幾度か言及されている、「クロー覚書」がもっともよいと思います。2006年8月13日の記事ではは、ニコルソンの『外交』から引用しましたが、今回は、長くなりますが、キッシンジャー『外交』(岡崎久彦監訳、日本経済新聞社、1996年、264−267頁)から引用いたします。

【引用開始】

 歴史学者の中には、三国協商は植民地に関する二つの取り決めが形を変えたもので、イギリスの真意は帝国の擁護にあり、ドイツを包囲することになかったと主張する者がいる。しかし、いわゆるクロー覚書と呼ばれる古典的な価値のある文書が存在しており、それは、イギリスが三国協商に参加した目的はドイツが世界の覇権に走る恐れを阻むことにあったことを、疑問をはさむ余地なく示している。一九〇七年一月一日に、イギリス外務省の優秀な分析家であったエーア・クロー卿は、なぜドイツとの妥協が不可能であり、またフランスとの協商が唯一の選択肢であったかについての彼の見解を示している。ビスマルクなき後のドイツに関する文書の中で、分析の水準の高さでは、このクロー覚書の右に出るものはない。対立は、戦略を持つ国と軍事力をむきだしにする国との間のものとなった。双方の実力の差に、はなはだしいへだたりがない限り――事実そういうへだたりはなかったが――戦略を持つ国のほうが有利であるとされた。それは、戦略を持つ国は行動計画を立てられるのに対し、むきだしの軍事力に頼る敵方はその都度その都度、決断を迫られるからであった。イギリスと、フランスとロシアそれぞれとの間に、種々の大きな相違があることは認めつつも、クローは、この両国とは妥協の余地があると論じた。なぜなら、両国の目的は明確に定義出来るものであり、したがって限定的であった。それに対して、ドイツの外交があれほどの脅威と感じられていたのは、遠く南アフリカやモロッコ、近東に至るまでの広大な地域に及ぶドイツのやむことのない挑戦の裏に、理論的な根拠を見いだしえなかったからである。これに加えて、ドイツの海軍国への躍進は、「大英帝国と両立しない」ものであった。

 クローによれば、ドイツの自制のない行動がほどなく対決をもたらすことは間違いのないことであった。「最強の軍事力と最強の海軍力が一つの国家の中に結合すれば、この悪夢からのがれようとして、世界が結束することを余儀なくせしめるであろう」。

 リアルポリティークの信条に忠実なクローは、安定を決定づけるのは、動機ではなく構造であるとした。ドイツについて言えば、その意向は無関係であり、その能力が問題であった。そこで彼は、次の二つの仮説を立てた。

 一つは、ドイツが明らかに全般的な政治上の覇権と海軍力の優勢を目的としており、これにより近隣諸国の独立と、ひいてはイギリスの存立を脅かしている、というのものである。もう一つは、ドイツにはこのような明確な野心はなく、国際社会での指導的勢力の一つとして、自己の正統的立場と影響力を示したいと考えて、外国との貿易を促進し、ドイツ文化の恩恵を世界に広めるとともに、国民の活動の範囲を広げ、平和的な方法で達成が可能な場合には、世界のいたるところで、いつでも,またいかなるところでも、ドイツの利益を新しく創造することを求めているだけだと見るものであった。
 しかし、クローはこのように区別をつけたところで、最終的には、ドイツが膨張しつつある自らの力に内在する誘惑に負けてしまうであろうから、区別は無意味であるとした。
 第二の図式(政府による支援を全く欠いているとまではいかないものの、半ば自立的な進展)はどの段階でも、いずれは第一の図式、すなわち十分に意識的な計画に吸収されうることは明らかである。さらに言えば、第二の進展の図式が実現をみた場合でも、これにより利を得たドイツの立場は、世界の諸国に対して、同じ立場を意図的≠ノ勝ち取った場合の脅威に匹敵する恐るべき脅威を与えるであろうことは、間違いない。

 クローの覚書が、現実には、ドイツに理解を示すことに反対する域を出なかったにしても、その意味するところは明白であった。もしもドイツが海洋での優位を獲得するという抱負を放棄せず、またその全世界的政策を控え目にしないならば、イギリスがそれに対抗するため、ロシアおよびフランスと結びつくことは確実であった。そしてその場合は、イギリスは前世紀(原文では"previous centuries"である:引用者)においてフランスおよびスペインの野望を打ち砕いたときと同じように不屈の精神をもって実行に移るであろう(引用に際して注はすべて省いた。また、太字による強調は引用者による)。

【引用終わり】

 ドイツを中国と置き換えれば、アジア諸国が直面している事態と多くの点で共通することが多いことにあらためて驚かされます。岡崎先生は、過去の複数の著作で冷戦後のアジア情勢を分析する際に19世紀のドイツ統一以後のヨーロッパ情勢を参考になるという見解を示されています。あらためて、キッシンジャーの分析を読むと、私たちが直面している事態はクロー覚書で分析されているドイツによるイギリスの覇権への挑戦と似ている側面が多いことに気がつかされます。

 第1に、ドイツの勃興は、1871年の統一から内在的な要因によって生じているという点です。もちろん、ビスマルクが去った後、ヴィルヘルム2世によって植民地獲得なども行っていますが、ドイツ興隆の最大の背景は、ドイツ国内のいわゆる「産業革命」あるいは経済成長でしょう。一国の経済成長は、経済の分野に限れば、互恵的な側面を持っているからです。問題は、クロー覚書で分析の対象となっているように、経済的発展そのものではなくてその果実をどのように配分するのかという点です。大切な点は、ドイツの意図がいかなるものであれ、軍備の拡張をともなう限り、イギリスの覇権、とりわけ海上覇権への挑戦となるということです。

 これは、現在、アジア諸国が直面している問題と酷似しています。中国の経済成長自体は、価値判断や批判の対象とはなりません。問題は、経済からえた力をどのように用いるのかという点にあります。現在の中国は、明らかに軍備を増強し、台湾海峡においては意図すら隠そうとしていないのが現状です。クロー卿のような仮定をおかずとも、19世紀末から20世紀にかけてのドイツとほぼ同一の存在であると考えて間違いがないでしょう。「台湾の戦略的価値」で強調されていた、中国による台湾併合はアメリカの覇権、そして台湾や東南アジア諸国の独立という意味での「バランス・オブ・パワー」に対する明白な挑戦です。

 第2に、スペイン、フランスなどの挑戦を退けたイギリスも、ドイツの挑戦には最終的な調停者とはなれなかったということです。第一次世界大戦の勝敗を決定づけたのは、アメリカの参戦でした。この点で、現在の日本は、当時の英国よりも明確な戦略をもつことができます。日米同盟が存在するからです。問題は、日本人が敗戦という犠牲の後にえた大きな「資産」を本気で活用するかどうかです。同じことばかり書いていて申し訳ありませんが、集団的自衛権の行使の問題は避けることができません。

 第3に、経済的相互依存は、かならずしも軍事的オプションを断念させる要因にはならないということです。ノーマン・エンジェルは、通商の利益が拡大している時代に軍事による勢力圏の拡大はもはや繁栄の基礎とはならないことを論じました(2006年2月28日の記事をご参照ください)。経済の視点に限れば、これは正当な主張かもしれません。しかし、国家、そして国際関係を分析する際にこれはあまりに互恵的な関係に重きを置きすぎた分析であるといわざるをえません。現に、エンジェルの主張に反してヨーロッパ諸国は二度の大戦を経験しました。中国も、現在の領土で満足すれば、今後、少なくとも、半世紀は繁栄するでしょう。しかし、そのような指摘は、おそらく台湾への野心を思い留まらせるのには的外れでしょう。中国の指導者が冷徹そのものであれば、そのような主張を表面的にはともかく、内心では冷笑することでしょう。

 中長期の問題を考える際に中国の脅威は増大する傾向にあるという現実が最も肝心です。当たり前のことかもしれませんが、そのような認識をもった上で、台湾海峡をはじめ、対中政策を考えることが肝心である。そのように考えたしだいです。

2006年06月19日

台湾の戦略的価値 訳文全文

【訳文の自己採点】
 今回は、"The Strategic Value of Taiwan"の全訳をエントリーいたします。各節の訳をエントリーしてから、若干ですが、修正をしております。3回の記事に分割されていては読むのにお手を煩わせてしまいます。また、できましたら、私の訳文で明らかな誤訳は当然として、理解不足な点をご指摘いただければ幸いです。基本的に私個人の勉強用のメモなので、内容を検討されたい方におかれましては原文を読まれることをお勧めします。

 主たる目的は、訳すこと自体ではなくて、きちんと全文を読んで理解することですが、訳しながら、私の英語力のなさをあらためて感じました。本題に入る前に自己採点をしてみます。

(1)大意理解 24/40点
 ちょっと甘いかもしれませんが、まあ大要は外してはいないと思いますのでこんなところでしょうか。自己評価が低すぎると感じた方もいらっしゃると思いますが、この論考で書かれている内容は、断片的には日本語になっておりますので、大意をつかめて当然です。

(2)語彙・文法その他、個々の表現の理解 12/40点
 たとえば、上海コミュニケの引用などは国内で定着している訳でよいのに、あえてこだわって自分の役にした結果、「…ことを認識している」ではなく、「認めている」と訳しています。このあたりは、大差がないといえば、そうかもしれませんが、微妙なニュアンスであるため、紛れがない表現の方が優ります。その他、第2節の"local Government"などの訳も、混乱があります。

(3)訳文が日本語としてこなれているかどうか 2/10点
 これはひどいです。原文を読んだ方がはるかにマシでしょう。

(4)その他、裁量点 1点/10点
 訳すことで原文の理解に貢献できたことといえば、"seaplane"など原文の誤りを見つけた程度でしょうか。それ以外はありません。

計39点

恥ずかしい限りですが、「不可」です。

 訳文のノートが全部でA4で5頁強あります。このため、「続き」に載せました。

(追記) 訳文のうち、下線部を修正いたしました(2006年6月23日)。


続きを読む

2006年06月17日

台湾の戦略的価値(4)

 今週、拝読していた論稿は、2003年のものです。直近の論稿として岡崎久彦「台湾の将来」があります。こちらは、より事態が悪くなっていることを反映した内容です。ただ、中国が台湾を併合することがもつ意味を理解するには"The Strategic Value of Taiwan"の方がよいと思います。



 第3節では、まず台湾併合とそれに続くであろう東南アジア諸国の「フィンランド化」によって1965年以来、アメリカが,ベトナム戦争などで払った犠牲も含めて、この地域の安定と繁栄のためにおこなってきた努力が無駄になることが指摘されています。同時に、それが中国の帝国としての復権とアメリカの地球的な規模での覇権への挑戦を意味することが指摘されています。



 第4節では、中国の思惑通りにことが進んだ場合、民主主義諸国の反応について分析が割かれています。基本的には、北京に読ませるために書かれた文章と読めます。深読みをすると、現在のアメリカの対中政策は、意図せざる米中対立に中国を誘い込む、非常にまずい状態にあるとも読めます。日本については、あまり書かれておりませんが、論外だと思います。



 まず、軍拡に対して軍縮で対応するというのは、「恭順」の意を示すようなものです。しかるに、日米同盟を廃棄して中国と「友好」関係を保つというわけでもない。洞ヶ峠を決め込むわけでもない。要は、自民党とお役所の得意技であるすりあわせと先送りが最悪の形で出ている状態ということでしょう。薄情な私は、「どうせ言ってもやっちゃうんでしょうけど、やめたほうがいいと思いますけどね」と「寝言」をつぶやきながら、まず、集団的自衛権の行使に関する解釈を元に戻した上で、F22をちゃちゃっと揃えんかいと思ってしまいます。そうそう、当然ですけど機密保持のための法律整備も不可欠ですね。気がつくと、戦後民主主義はほとんど同じことを議論してきていまだに解をみていない。自白剤をのまされなくても白状しますが、ずるずる大陸に深入りしてゆき、対米戦争で止めをさされた時期と大差がないことを50年以上も続けていると感じざるをえません。米ソ冷戦の時代には致命的な事態には至りませんでしたが、中国の台頭は、日本の安全保障にダイレクトに影響するだけに、この鈍さは異常だと思わずにはいられません。



 第2に、もう何度も同じことを書いているので自分でもうんざりしますが、集団的自衛権の行使に関してちゃんとしてほしいということです。万が一、最悪の事態が生じた場合、日本がアメリカ側につくのは自明なのでそれをあらかじめ中国側にシグナルを送るべきでしょう。もっとも、だんまりを決め込むなら話は別です。ただし、その場合には日米同盟を廃棄する覚悟が必要でしょう。国会におかれましては、日銀総裁の首より、こちらの議論を継続的にやっていただきたいものだと思います(われながら、言いたい放題でいい気なもんですな。まあ、何の影響力もありませんけどね)。



 最後に、事態の戦略的意味を世論が理解するタイミングが問題になるでしょう。実際の台湾併合プロセスは、微妙な形をとる可能性も十分にあります。どの時点で何が起きているかを民主主義国の世論が気がつくのか。当たり前ですが、早いほどよいのですが、抵抗するのにおぞましいほどの努力が必要なタイミングになる可能性は否定できないでしょう。日本人としてはFDRは最悪の大統領ですし、個人的には独裁者気質の指導者というのは好みませんが、やはりFDRのような政治的リーダーシップを発揮できる指導者が日本にもほしい。



 なんだかないものねだりばかりしてしまいました。来週は、予定が立て込んでおりますので、不定期更新になります。正直なところ、毎日、更新すること自体に意地になっていた部分があります。定期的に読んでいただいている方も、実数はまるでわかりませんが、安定してまいりました。「時の最果て」の名にふさわしい、ほどよい過疎ブログを維持できる状態にはなりました。できますれば、よりよい情報発信ができるよう、今後、さらにこころがけてゆきたいと考えております。定期的にお読みいただいている、おそらく150から200ぐらいの方々にあらためて感謝いたします。



続きを読む

2006年06月15日

台湾の戦略的価値(3)

 ふう。勤務を終えてからOkazaki,H., 2003, "The Strategic Value of Taiwan"を訳しているのですが、なにせ帰ってきたのが9時過ぎ。まあ、霞ヶ関と比較すれば、勤務条件自体は「天国」そのものではありますが、なかなか時間をとるのが容易ではありません。なんとか第2節の訳が粗いながらもできましたのでエントリーいたします。まず、第1節と第2節のポイントを箇条書きにしてみます。



第1節



(1)戦略というのは公に議論することは様々な困難があるが、常日頃から議論しないと戦略的思考は育たない。



(2)アメリカの対中政策は、一貫した戦略的思考にもとづいているとはいえない。



(3)戦略的思考とは、最も極端な事態を想定することから始めて蓋然性の高いシナリオを描くことである。



(4)以上のことを踏まえると、台湾海峡の問題で憂慮すべきは、中国が圧倒的な軍事的圧力の下に台湾を併合することである。



第2節



この節では第1節で述べられた台湾併合がなんらかの形で実現した場合、日本とアメリカの国益がどのように損なわれるのに分析がすべて集中しています。



(1)日本にとっての最大の関心事は東アジアにおけるシーレーンである。ただし、中東へのアクセスに関していえば、最悪の場合、オーストラリアを南に迂回するルートはある。



(2)シーレーン以上に東南アジア諸国のフィンランド化が進む可能性が高い。



(3)東南アジア諸国の動向を予測する場合、シーレーンの問題と同時に各国内の華僑の動向に注意を払わなければならない。



(4)フィンランド化によって東南アジア諸国の世論が中国になびくことは、アメリカの「信頼性」が著しく損なわれることを意味する。



 以上は、台湾併合という将来生じうる事態から様々な角度からアジア情勢を分析されています。岡崎先生は、この論文で日本の世論の動向についてあえて触れておりませんが、台湾併合が実現すれば、日米同盟を維持することは非常に困難になるでしょう。中国よりの言論が、今では考えられないほど影響力をもち、親米派の影響力は地に落ちるでしょう。基地問題のような、本来、安全保障の問題では枝葉末節に属することが、日米間の最大の「懸案」の一つになり、親中派と国粋派の主張は一致してくるでしょう。日米同盟が形だけでも残ったとしても、日本は中国に屈服するか、核武装も含めて「自主独立」を歩むのか、(今でもそうですが)空理空論がまかり通る事態になるでしょう。控えめに考えても、日米中正三角形論が現実的な選択肢であるかのように多くの日本人に映ることになるでしょう。極論と思われるでしょうが、以上の事態が生じた場合、百年後の歴史書に日本という国があったという記述になることでしょう。



 以上は最悪に近い想定ですが、現状では蓋然性を無視できない程度には現実的な話です。訳をしながら、あらためて岡崎先生の戦略的思考を理解できていなかったことを自覚し、恥じます。恥じているだけではだめですが。第2節の訳は「続き」にエントリーいたします(A42枚弱程度です)。

続きを読む

2006年06月14日

台湾の戦略的価値(2)

 私はなんと愚かな人間でありましょう。三十数年、自分の頭の悪さにつきあってきましたが、この「病気」だけは治らない。血栓性静脈炎はジムに通ったら退散しましたが、頭の悪さは治しようがない。前回、あんな宣言をしてしまったことを後悔しております。岡崎先生の文章は、曖昧な表現が一切ありません。なのに日本語で自分の言葉にしようとすると、驚くほど時間がかかります。"The Strategic Value of Taiwan"の内容を正確に理解したい方は、原文をかならず読んでください。私の訳を読んでしまうと、原文の意味が正確に伝わらない虞があります。ああ、ブログのサブタイトルが私みたいなおバカさんには高尚すぎますね。次の方がよいかも。



寝言は寝てから言え。訳はできてからエントリーすると言え。



 なお、私は、岡崎研究所の「門前の小僧」を「自称」するかんべえ師匠の弟子を「僭称」しているにすぎませぬ。恥を忍んで第1節の訳をエントリーいたしますが、これは、私の勉強用のメモであって岡崎研究所の方に許諾を頂いておりません。したがって、訳の正確さはすべて私の責任です。この論文の内容を正確に知りたい方は、私の訳ではなく、直接、岡崎先生の論文をお読み頂きますよう、お願いいたします。なお、自分用のメモですので、微妙なニュアンスや種々のコミュニケの背景など、訳に的確に反映してない可能性があります。私の訳を無断引用・転載していただいても構いませんが、その際にはかならず、原文をあたって訳が的確であるかを確認してください。なお、訳文の責任は私一人ですので、訳文に関する批判は当ブログにお寄せください。間違っても、私の訳のみを元に原文を批判することは慎んで頂きますよう、お願い申しげます。



 第1節だけでワードのA4の標準書式(40字×36行)で2頁ほどありますので、「続き」をクリックしてください(本音を言うと、あまりにひどい出来なので本文に掲げるのが恥ずかしいのです)。ああ、第1節を訳すだけでいったい何時間を使ったのか…。自分の英語力の低さは重々承知しているのですが、それ以前の問題が多いことに気がつかされました。



 もう自分で「バカって辛いよね」と慰めるしかありません。トゥキュディデスによれば、ペリクレスは「身の貧しさを認めることを恥としないが、貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる」と述べたそうですが、私の場合、貧乏な上に「知的レベルの貧困を認めることを恥としないが、貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる」という状態です。次回はどうなることやら…。



 くどくど書いておりますが、誤解のないように申し上げます。原文と照らしての訳文の批判は、大歓迎です。当方がご指摘が適切であると判断した場合、訳文を訂正してまいります。できれば、御批判を賜ってよりよい訳文になることを願っております。なお、原文の内容の吟味は、訳が完了してからです。でも、第1節を訳すだけでよれよれになっている現状では、これって言い訳になりかねないなあ…。



(追記)下線部を追加いたしました(2006年5月15日)。

続きを読む

2006年06月13日

台湾の戦略的価値(1)

【ありふれた話】
 あまり気が進まないのですが、W杯予選。観戦前に昨日の記事をエントリーしながら、あの日と同じ発作に襲われました。そう、悪夢の4月23日、千葉7区補選。発作は鬱。私が応援しようが、される側には何の影響がないことは、頭ではわかります。しかし、振り返るに、私が応援したチーム、候補者は落選する確率が1ではないにしても、0.9に近いというのは、われながら空恐ろしいものがあります。神様ジーコですら、逆神Hacheに勝てないとは…。やはり私の応援は究極のネガティブ・キャンペーンなのでしょうか。



【台湾の戦略的価値】
 本題に移ります。佐藤空将のブログを拝見しながら、深く感じ入りました。あらためて中台「統一」が他人事ではないことを考えるために文献を調べておりましたが、けっきょく、Okazaki, H., 2003, "Strategic Value of Taiwan"(Prepared for The US-Japan-Taiwan Trilateral Strategic Dialogue, Tokyo Round)がベストであるとあらためて思いました。検索してみましたが、日本語に訳されていないようです。今後、3回程度にわけてこの論文を自分用のメモに訳してまいります。



 
 翻訳に入る前に、台湾の戦略的価値について核心部分を述べている書籍を紹介いたします。谷口智彦さんの『タテ読みヨコ読み世界時評』(日本経済新聞社、2004年)です。とくに「『中国軍白書』は経済人も必読」(98??102頁)や第4章「『ネオコンの親玉』に会った」にある台湾関係の評論は必読です。重要なポイントのみを引用させて頂きます。



「中国人民解放軍は、『党の』軍事組織であって、その忠誠の対象は党のみである。強大な割に、透明度とアカウンタビリティーの著しく低い組織だ。
 軍事と経済は別物と考える人は、やはり多いのだろうか。筆者はいつも関連させあって見なければならないと思ってきた。
 台湾が中国のものになると、シーレーンはすべて中国の池になる。戦後日本は『アメリカ海上保険会社』から保険を買ってきた。シーレーンが中国の池になるようになるなら、保険を中国から買わなければならなくなる」(101??102頁)。



「以前の稿で、台湾が中国のものとなったら海上火災保険を(米国でなく)中国から買わなければならなくなると記した。
 東シナ海、南シナ海はともに、極めて浅い海である。水深は百メートルか、二百メートル。こういう浅海域では潜水艦を動き回らせることができない。簡単に補足されてしまうからである。
 ところが台湾東海岸は、一気に千メートルから三千メートルの深海に連なる。もしここを潜水艦基地とすることができれば、中国海軍はアジア全域と西太平洋を掌握することができるようになる。
 シーレーンは、中国の池になる。だからその通行の安全は、米国ではなく中国に頼むほかなくなる。
 台湾が日本にとって戦略的に重要だとしたら、右の一点に集約される」(235??236頁)。



 上で引用した文章はいずれも「谷口智彦の On the Globe 『地球鳥瞰』」のコラムの後記として『タテ読みヨコ読み世界時評』に書かれたものです。非常にシャープに中台「統一」が日本に及ぼす影響を短い文章ですが、的確に述べられていると思います。台湾が「中国の潜水艦基地」になってしまえば、アメリカの空母機動部隊は、中国の「内海」となった西太平洋での行動を制約されてしまいます。台湾がそのような状態になる頃には同時に東シナ海、南シナ海も中国の「内海」でしょう。そうなったときには、日本は「水槽」のなかに閉じ込められてしまいます。魚も陸上に打ち上げられてしまえば、料理するのは容易です。私は、台湾が好きだから、守るべきだと主張するものではありません。日本の安全にとって致命的だから、独立を支持するだけです。



 経済的繁栄は、国防の選択肢を増やします。しかし、経済的繁栄の基礎は、安全です。このことは、むしろ近代以前の商人の方が、はるかに敏感だったように思います。戦後日本が、このことに鈍感であったとまでは思いませんが、安全のために経済的繁栄の成果を割くことには臆病でした。台湾海峡の問題をストレートに議論している文献が少ないことは、その現れの一つなのかもしれません。もっとあけすけにいえば、敗戦国であることが、卑屈さと甘えを生んだのでしょう。五百旗頭真先生の『日米戦争と戦後日本』は素人にもわかりやすい、すぐれた著書だと思います。しかし、いつまでも壷つくりに甘んじる奴隷、ヘロデに甘んじる国は、長期では奴隷の地位すら維持できないでしょう。余談ですが、岡崎久彦編『歴史の教訓』の元となったシンポジウムで吉田茂論で厳しく岡崎先生の見解を質された五百旗先生が、シンポジウム後、岡崎先生にポツリともはや安全保障政策を見直す時期でしょうなと漏らされていたのが印象的でした。



 私自身は、台湾海峡で危機が生じることが好ましいことだとは考えておりません。それを避けることが外交の基本であります。しかし、中国の意図と能力は明白であり、それが現在、台湾に集中しているという非常に素人にもわかりやすい状況では、日本が動かすことができる変数を最大限活用することは、国として当然のことです。争いは望むものではありません。しかし、反乱には断固として鎮圧する意図と能力をアメリカと共有していることを明確にすることが、反乱を未然に防止することができるし、万が一、相手が計算を間違えた場合にも抵抗する力となります。私は、アメリカとともに戦い、自らと同盟国、そして利害を共通する独立諸国と血を流して安全を確保することによって敗戦国の汚名を返上することが真の戦後の終わりだと考えております。しかし、そのような機会が、訪れないことの方が、はるかに望ましいでしょう。



 とりとめがなくなってまいりました。次回以降は、血も涙もない、しかし、ユーモアと夢のあるOkazaki[2003]を自分のメモ用に訳してまいります。訳の過程で質の劣化は避けられませんが、岡崎先生、岡崎研究所の方々、岡崎先生のファンの方々におかれましては、お許しのほどを。

2006年06月09日

『第一次世界大戦と日本海軍』メモ4 ナイーブなアメリカ

 今回は、第三節「参戦と日米関係」です。表現は悪いのですが、アメリカというのはつくづく扱いの難しい国であるということを実感します。もちろん、90年以上前のアメリカと現在のアメリカは対外戦争だけでなく、人種差別など国内的な問題でも異なります。それにしても、これほど世論が大きくブレ、軍、とりわけ海軍が拡張指向のアメリカと対峙しなければならなかった帝国は外交面でも軍事面でも現在では想像がつかないぐらい困難を抱えておりました。



 第一次世界大戦での日米間の緊張の高まりが、ただちに1941年以降の日米戦争に直結するわけではありません。また、現在は日米同盟で結ばれており、少なくとも日本側からアメリカに戦争を行うことはまずありえません。しかし、アメリカ扱いの難しさを知る上では戦前の日米関係ほど格好の材料はないと思います。



 平間先生の叙述に戻ります。南洋諸島への日本海軍の進出はアメリカを刺激するものでした。ただし、これには日米間の緊張とアメリカ海軍の太平洋への進出という背景がありました。日露戦争後、アメリカでは世論レベルでは反日・排日論が、海軍レベルでは太平洋の覇権をめぐって対日戦争への警戒が高まりました。第一次世界大戦の勃発後、駐日アメリカ海軍武官コッテン少佐の帰国報告では、「日本がアメリカに宣戦するのではないかと多数の日本人が考えた」との記述が引用されています。陸軍参謀本部編『秘 大正三年日独戦史』からは「日独開戦ハ延テ米国トノ衝突ヲ来ス虞アリト為シテ非戦論ヲ持シ」という一節が引用され、同戦史に参戦に反対する者もあったという記述の存在が示されています。海軍軍令部では対米戦争の研究が行われ、「対米作戦意見書」が作成されていました。海軍次官の鈴木貫太郎少将は日米戦争になっても「三年以内なら負けない」という強硬論を主張します。この節では、開戦直後の日米戦争論や対米強硬論が高まった背景と日本海軍の対米観の分析が行われています。



 「日露戦争以前にアメリカ海軍には、ロシアの極東進出を押さえるために日英米同盟を主張する意見さえあったが」(38頁)との叙述があり、簡潔ですが、アメリカ海軍内部であくまで軍事的視点から日本を支援するという考え方が存在したことが示されています。しかし、日本海海戦のパーフェクト・ゲームにより、「アメリカの世論やアメリカ海軍の対日観は一転した」。日本海海戦の勝利は、列強に日本の実力を認めさせましたが、ナイーブなアメリカの世論は、一変して対日脅威論、反日論に傾いてしまいます。それは、いわゆる「ハースト系新聞」のように扇動的なメディアだけではなく、議会、司法でも同様な認識を表明するアメリカ人が出現します。



 もう一つ、日米関係を緊張させたのは、移民問題でした。1906年にサンフランシスコで日本人移民学童に隔離教育令が発せられました。この問題は、1907年から翌年にかけて日米紳士協定を締結していったんは沈静化しました。しかし、1911年末のメキシコの内乱が1913年にアメリカとメキシコの紛争に拡大すると、メキシコは日独に行為を示し、ドイツはこれを利用して日米を離反させようと策謀します。現代では想像もつかないのですが、日本とメキシコの同盟であるとか、日本海軍がメキシコ領マグダレナワンを海軍基地として租借するなどという風説が流布されました。1913年、このようなアメリカ国内世論の混乱を背景にカリフォルニア州議会で外国人土地所有禁止法案の審議が始まりました。この法案は日本人を対象としていたために、日本各地で大規模な抗議集会が行われました。遺憾ながら、日本の世論もナイーブで政府や軍の弱腰を非難する声が高まってしまいます。



 1913年に日本政府が強い抗議を行うと、「陸軍や海兵隊は演習を名目にカリフォルニア、ハワイ、フィリピンに警戒態勢を下令し、実際に兵力を展開し、日本軍の来襲に備えるほど日米間は緊迫していたのであった」(41頁)。平間先生は書かれていませんが、なんともナイーブな対応です。誤解のないように申し上げておきますが、アメリカのナイーブさを強調するのは、後の日米戦争で日本側の対応に落ち度がなかったなどと主張するためではありません。戦前のアメリカ扱いの難しさは戦後の比ではなく、しかも、アメリカ世論のブレに日本国内の世論のブレも負けていません。民主主義国どうしは戦争をしないという考え方があるようですが、利害が相反する場合、世論のブレを制御できなければ、やはり戦争は起きる可能性があるということは、留意しておく必要があります。



 日本側の対応について、まず、簡単に見ておきます。1907年の「帝国国防方針」では仮想敵国として第一にロシアを挙げ、アメリカがこれにつぐとされながらも、「『米国ハ我友邦トシテ之ヲ保維スヘキモノナリトイヘドモ、地理、経済、人種及宗教等ノ関係ヨリ観察スレハ、他日激甚ナル衝突ヲ惹起スルコトナキヲ保セス』と、基本的には『米国ハ我友邦トシテ之ヲ保維スヘキモノ』としていた」(42頁)。ここでは1908年の第二次日露協商の成立に関する言及がありません。また、ロシアとは異なり、アメリカとの間で勢力圏をお互いに認め合い、衝突を回避するという外交はほとんど困難だったでしょう。もっとも、ロシアとの妥協が成立したのは日露戦争とヨーロッパでドイツの台頭という背景があってのことで日米関係と比較するのは適切ではない部分があります。アメリカの中国進出、海軍戦力の増強、パナマ運河の開通などにより日本海軍はアメリカを脅威としてより強く認識するに至ります。



 しかし、このような緊張下にありながら、南洋諸島の占領を除くと、日本海軍の対応は比較的、冷静であったと評価できます。まず、参戦にあたって海軍は対米兵力を温存しようとしますが(青島攻略での金剛、比叡の温存)、このような状況下では軍事的には当然だと思います。注目すべきは、海軍がアメリカ世論を注視していたことです。少し長くなりますが、1914年12月に着任した駐米大使館付武官野村吉三郎大佐への訓電を引用いたします。



「其民情、動モスレバ排日ニ傾キ我国運ノ発展ニ対シ大障害ヲ与ヘントスルノ虞アリ、貴官ハ能ク此情勢ニ鑑ミ、常ニ努メテ親善ノ意ヲ表スルト同時ニ、彼ノ真意ヲ探求シ機宜ノ報道ヲ□得ンコトヲ図ルベシ。……同国ノ大事ハ概ネ衆愚ノ与論ニ決セラレ、当局ノ力モ左右スル能ザルモノアリ。甚ダ危険ナル国情ト認メラルルヲ以テ、貴官ハ此際、特ニ各州民ノ趨向ニ注意センコトヲ要ス(引用者傍線)」(再引用に際して傍線を下線にした)(47頁)。



 冷静な情勢判断だと思います。アメリカというのは世論で動く国だ。しかも、世論はぶれやすく、極めてナイーブである。普通は、ここでだからそんなものを読んでもどうせわけがわからないのだから、無視してしまいかねないのですが、この訓電ではだからよくよく注意して観察するよう述べています。これが軍だけでなく、政府全体を挙げてアメリカ・ウォッチに常に配慮し、世論を「衆愚」と見るだけでなく、復元する力も内在していることを理解して情報をとる習慣が制度化されていたならばと思わずにいられません。当時としては、非常に冷静な観察だと思います。外交と軍事が共同して対アメリカ戦略を適切な情報収集のもとに行っていれば、帝国の頓死は避けられたのではないかと、ついつい懐古趣味に走ってしまいます。



 しかしながら、海軍も軍事の論理で動きます。大戦への参戦、ドイツとの交戦中にアメリカの中立義務違反を見逃すなど、アメリカへの軍事的配慮を忘れなかった海軍も、他面で対米戦争への可能性を高める南洋諸島への執着は捨てませんでした。冒頭の鈴木貫太郎の発言は、「海軍のこの対米強硬論は南洋群島の占領が日米戦争へ連なり、敗北するのではないかとの国民の不安を沈静化するためのゼスチャー的発言であったといえよう」と断った上で次のように平間先生は本節を終えています。



「しかし、いずれにせよ、一九一四年十一月には秋山軍務局長が、『米国と云ひ、又独逸と云い我国の相対となるべき国は』と、アメリカを第一の仮想敵国視していることを部外の講演で明言するなど、参戦、そして南洋群島の占領が日米両国の仮想的国視を相互に一歩進めたのであった」(48頁)。

2006年06月08日

『第一次世界大戦と日本海軍』メモ3

 今回は、平間洋一『第一次世界大戦と日本海軍』の第一章「参戦と日英米関係」の第二節「参戦・戦域制限をめぐる日英交渉」に関するメモです。



「加藤外相の強硬な参戦要求にイギリス政府は、オーストラリアやニュージーランド自治領政府の反対、対米関係の悪化などを憂慮し、日本政府に参戦の一時中止を、そして、それが不成功に終わると作戦海域を中国周辺海域に限るとの戦域制限を要求した。日本はこれらイギリスの要求にいかに応じたのであろうか。また、なぜ戦域制限要求がうやむやのうちに消えてしまったのであろうか」(29頁)。



 簡潔に著者の問題意識が整理されています。この問題に対し、平間先生は戦域制限要求交渉でイギリス側にイギリス海軍と外務省との間で混乱が生じたこと、「この混乱を日本海軍がどのようにして利用して戦域制限を有名無実化し、南島群島の占領に結び付けていった」ことを指摘されています。この結論を導くためにイギリス海軍と外務省、日本海軍と外務省の4者を対比しながら、結論にいたるプロセスを整理されています。イギリス海軍は、極東における日本海軍のプレゼンス、作戦遂行能力から積極的に日本海軍の協力を求めました。他方、イギリス外務省は、自治領オーストラリアやニュージーランド、アメリカなどとの関係を考慮して日本の参戦に慎重な態度をとります。しかし、イギリス海軍が8月13日に北米沿岸警護のため、巡洋艦出雲の派遣を求めたり、8月21日には香港以北の航路の安全を日本海軍に要求しました。このような、イギリス海軍と外務省の間での意思疎通の不備や意見の混乱に乗じて戦域制限を事実上、なすくずし的に無意味なものとし、日本海軍は南洋諸島に進出します。最終的に日本側の言い分が通ったのは、イギリスが東洋で既に海軍力でドイツに単独ではできないという軍事バランスの現実を反映していました。



 興味深いのは、「イギリスでは日本海軍が第二艦隊を佐世保に集結させたとの通報を受けると、チャーチル海相はグレー外相を通じて日本海軍の謝意を表したが、六日には日本が参戦すれば中国への影響力が強化されるので、山東半島攻略やドイツ領南洋群島占領を避けるため、日本に一定の戦域制限を課するべきであるとの覚書をグレー外相に送った」(33頁)という叙述です。当初、チャーチルは日本海軍の力を抑制的に評価していたことがわかります。しかし、11日には、グレー外相が日本海軍の戦域を太平洋に拡大しないという条件で日本の参戦を認めた通知をチャーチルに送ります。これにたいし、チャーチルは、一変して、「日本が参戦を申し出たのだから戦友として認めるべきである」との覚書をグレー外相に送ります。チャーチルの「豹変」の背景は、イギリス海軍の戦力不足により、日本海軍の協力を不可欠とする戦局に直面していたことが指摘されています。



 グレー外相はオーストラリアやニュージーランドなどへの配慮から慎重に戦域制限を残そうとします。しかし、日本側は領土的野心がないことを米仏露蘭などの駐日大使に通告し、大隈首相の演説で領土の拡張の意図や戦闘行為が帝国の「自衛」の範囲を超えないと言明することなどを通して各国の猜疑を和らげる努力を行います。これを受けてグレー外相は、妥協に踏み切りますが、それでも、海軍の戦域拡大や南洋諸島占領を牽制し続けます。グレーの判断は穏健ではありますが、当時の軍事バランスを考えた場合、彼の調整努力には限界がありました。



 また、チャーチルの対応の混乱やグレーの必死の調整のプロセスに関する平間先生の叙述を拝見すると、日英同盟が攻守同盟へと変化したとはいえ、現実に同盟を適用する事態に直面したときに、日英両国で十分な事前の協力体制が整っていなかったことが理解できます。このことから、同盟の「空洞化」の問題を読みとることもできるのでしょうが、むしろ、想定外の事態に直面した際に同盟を機能させる場合にトップレベルの調整によるしかないことを痛感させます。チャーチルやグレーの混乱を機会主義的対応として批判的に見ることもできるのでしょうが、イギリスには日本海軍の協力が必要だったとはいえ、オーストラリアやニュージーランドの意向を無視することもできませんでした。最も、重大なことは、日本側に肩入れするあまりにアメリカが敵対的になってしまうことを避ける必要がありました。もちろん、戦域制限交渉に見るイギリス外交は、混乱しています。しかし、それは日米豪などとの関係を調整するにはやむをえない試行錯誤だったのでしょう。



 日本側については次のように平間先生は簡潔に整理されています。



「…この機会に中国問題を解決したい加藤外相は参戦には積極的であったが、日米・日英関係の悪化を恐れ戦域制限には消極的であった。これに対し海軍は参戦には消極的であったが、南洋諸島の占領意図は強く、戦域制限撤廃には極めて積極的であった」(37頁)。



日本側も、イギリスと同じく、指導部内で一糸乱れぬ戦略があったわけではないことがわかります。のちに、戦域制限どころか日英同盟の適用範囲を超える欧州への海軍・陸軍の派遣がイギリスから要求さましたが、この時点では外務省も海軍もそのような事態を想定していなかったでしょう。8月7日の閣議で加藤外相が「一は英国の依頼に基づく同盟の情誼と、一は帝国がこの機会に独逸の根拠地を東洋から一掃して国際上に一段と地位を高める利益」を説いて、参戦を協力に主張しました。第一次大戦の開戦当初、政府部内に考え方の相違はあるものの、参戦は基本的に帝国の利益に基づいたものであることがわかります。また、同盟上の義務ではなく「同盟上の情誼」とすることは、条約上の問題を回避するだけでなく、自国の利益を図るための自発的な参戦であったことと評価いたします。



 私は、参戦の決定や戦域制限撤廃交渉をめぐる日本側の立場を視野が狭いとは思いません。問題は、大戦の長期化とともに、英国との「同盟の情誼」を深めることが長期的に日本の利益にかなうという戦略的な判断がなされなかったことでしょう。ただし、この問題も単純には割り切ることができません。のちに見るように、欧州への派兵は国内世論の支持をえることが難しく、さらにアメリカという日本側から制御することができない大きな不確定要因がありました。次回は、第三節「参戦と日米関係」の内容を検討しながら、日米対立が日本外交、海軍の行動に与えた影響について考えてまいります。

2006年06月03日

聯合艦隊解散之辞

 戸??一成編『秋山真之戦術論集』(中央公論新社、2005年)に「聯合艦隊解散之辞」が収められていました。思わず、久々に読み耽っておりました。この文章は、現代人、とりわけ、自衛官の方のように国防に直接携わっていない人間にはには難しすぎるように思います。私のような、素人かつ「外道」からすると、軍人としてしごく真っ当な心得を、格調高く述べているにすぎないように感じてしまいます。むしろ、日本海海戦に勝利した後だけに、訓示の形とはいえ、自信をもって自国の軍の強さに矜持をもち、それを保つことが肝要であることを示しているように思いました。後半部分は、「古今東西の殷鑑」を簡潔に挙げながら、今後、訪れるであろう平時においても「治に居て乱を忘れず」という軍人の基本的な心構えを示して「古人曰く勝て兜の緒を締めよ」と締めくくっています。解釈としてはナイーブすぎるかもしれませんが、勝者として驕り高ぶることなく、格調は高いけれども、ごく常識的な内容だとあらためて思いました。



 戸??先生は、「或いは秋山には、日露戦争後の海軍の行く末が見えていたのかも知れない。日露戦争後、東郷長官が読み上げる連合艦隊解散の辞は、秋山の起草とされているが、その文面をあらためて読むとき、秋山が日本海軍の将来に大きな危惧を抱いていたことが感じられるのである」(前掲書、18??19頁)と述べられていて、私の軍事に関する理解力では読みとることができない、深い含蓄があるのかもしれません。これは、私の能力が至らないからでしょう。ただし、戸??先生と立場が異なりますが、「聯合艦隊解散之辞」に後の日米戦争における精神主義の源を見るような解釈にはついてゆけないものを感じます。物理的な装備、弾薬その他の物資が欠乏すれば、個々の兵士の敢闘精神に依存するしかなく、負け戦というのは多かれ少なかれ、その軍の強みが弱みに映ってしまうものです。強いて言えば、明治以来の日本は、海外での戦争で勝ち戦ばかりで負けることに慣れていなかった。その点では、日米戦争で日本の意外な脆弱性が日本人にとっても最も嫌な形で出てしまったのだと思います。



 敗戦と占領の衝撃が大きかったために、日本人の戦前のイメージは、極度に悲観的になってしまったでしょう。敗戦の遠因を維新にまで遡る史観があるそうで、ここまでくるとやや病的な感じがいたします。私は、歴史観というほど歴史に対して確固とした立場をもっていません。強いて言えば、できうる限り、事実を背景を含めて正確に理解することが肝要であるとか、史実は山ほどあるから、どれが大切なことでどれが軽いことなのかを判断するのが難しいとか、日本人だから日本びいきになるのは避けられませんが、外交や安全保障ではできるだけ相手国の立場からどう見えるのかを考えることが必要だなど、非常に素人くさいことぐらいしか思い浮かばないです。あと、「歴史の必然」というのは要注意ということでしょうか。因果律というのは、人間の思考様式の最も基本でしょうが、結果を知っている人間はつい、原因??手段??結果の関係を必然的に見てしまう。この関係は、もっと曖昧さ、あるいは確率論的な要素があるだろうと思います。他方で、矛盾するようですが、歴史にもある程度まで趨勢とも言うべきものはあって、20世紀の日本史を考える場合に、アメリカというとてつもない不確定要素の存在が無視できないとも思います。



 いつものようにとりとめがなくなりましたが、「聯合艦隊解散之辞」を読みながら、あらためて美しい勝者というのはよいものだと思いました。ありきたりですが、次にやむをえず戦争を避けることができない状況が訪れたならば、勝者の側に立つよう、願わずにはいられません。以前、「毅然とした敗者」という下手くそな文章を書きました。戦前の最大の錯誤は、事実上、現状維持勢力に組することがこの国の安全にとって最良の手段であったにもかかわらず、現状を変えようとする勢力に組してしまったことです。人間、一度は失敗するでしょうし、失敗しなければ成長しないという面もあるでしょう。しかし、致命的な失敗を繰り返せば、愚かとしかいいようがありません。その確率は、相当低いと思いますが、作為の失敗もあれば、不作為の失敗もある。戦後の日本人はあまりに知的になりすぎて、目の前にある、ごく当たり前のことが見えなくなっている部分があるように思います。「聯合艦隊解散之辞」は、あらためてそのことを私に教えてくれました。