2009年11月06日

経済活動別国内総生産の推移が物語る戦後日本経済の来歴と行方(続き)

 今回の「寝言」が900回目になります。正直なところ、あまり感慨めいたものもなく、自分でも、よくもまあ、「寝言」をこんなにたくさん呟けるものだと苦笑します。コメントに触発されて、前回、書ききれなかったことがいろいろと頭に浮かびましたので、記しておきます。

(お断り:経済統計はあくまで概数ですから「約○○○○億円」と表記しておりましたが、冗長になりますので以下では約を省略しております。為替レートが関連してくる場合など例外もありますが。)

 経済活動別国内総生産の産業分類は日本標準産業分類の大分類よりもかなり粗くなっておりますので、コンビニエンスストア業界の伸びなど個々の業種・業界の動向があまり反映しないという憾みはあります。また、付加価値ベースですので、売上から見た感覚とも異なってくると思います。売上(粗生産)から見ると、製造業は40%近くになります。売上で見ますと、製造業のように、他の企業・産業から原材料や部品を仕入れて加工する産業の比率が高くなりますが、二重計算が避けられませんので、付加価値ベースで見ております。通常は、産業の市場規模という場合、売上高の集計ですので、ちょっと特殊な表ではあります。

 小売業は景気の波をよく反映します。1998年には-5.6%と大幅に減少しています。もっとも、アジア通貨危機を受けたこの年には10%以上、付加価値(概ね企業の粗利益に相当します)の減少を経験した産業が製造業を中心にあります。繊維、鉄鋼・非鉄、家具などの産業です。小売業にはコンビニエンスストア以外の総合スーパー(売上で見ますと、郊外型以外の「主婦の店」タイプが意外と比率が高いようです)や百貨店などが含まれますので、仮にコンビニが伸びていても、他の業態の不振ですと、小売業全体では付加価値が減少することがあります。なお、2007年の場合、小売業の付加価値が23兆5,819億円ですが、卸売業の付加価値は45兆3,745億円と倍近い規模になります。実質ですので加工が入ったデータですし、あくまで目安程度ですが、私自身も生活の実感から遠い数字でもあり、たまにはこういう表も作ってみるものだと思います。

 建設業をあえてとり上げたのは、産業自体の規模がかつて大きかったことがやはり第1の理由です。また、今日では景気対策の手段としても、地域間格差の是正の手段としても生産面からは建設業、需要面からは公的固定資本形成に分類される公共事業ではもはやかつてほどの効果は見込めなくなっているという現実を見た方がよいだろうという点です。付加価値ベースではしきりに補正予算が組まれた1990年代ですら、1993年以外は前年比でマイナスです。再度、プラスに転じるのは小泉政権下で景気回復が鮮明になった2004年だけです。あえて、挑発的な表現をすれば、建設業はあくまで民間の事業者であり、公共事業の受益者というよりも、経済成長の受益者なのです。高度経済成長期に建設業が実額で見ても国内総生産に占める割合でも増加していることと逆のことがこの20年近くに生じたと考えた方がよいのでしょう。他方、付加価値で見ますと、2007年でも31兆3,930億円と小売業をはるかに上回る規模です。この産業が縮小傾向を続ければ、とりわけ地方における雇用にも影響が大きいでしょう。したがって、単純に公共投資がムダなのだからやめなさいというのはやはり乱暴な印象もあります。ただし、ここでは公共投資の費用・便益などは無視した、付加価値だけでのみ議論に終始しておりますので、政策を評価するには不十分な根拠しかありません。やや筆が走りすぎておりますように私自身が感じますので、あくまで「寝言」として読み流して頂ければ、幸いです。

表1 日米の実質国内総生産の推移


                                 (日本:10億円 米国:10億ドル)

    1955年 1970年 1980年 1990年  2005年

日本 8,369.5 73,344.9 240,175.9 430,039.8 468,062.3

米国 414.8 1038.5 2789.5 5803.1 12,422

(円換算)
米国 149,328.0 373,860.0 631.682.3 840,753.1 1,369,028.6
円相場 360 360 226.45 144.88 110.21


表2 日米製造業の付加価値額の推移(実質)


                          (日本:10億円 米国:10億ドル)

1955年 1970年 1980年 1990年 2005年

日本 2,381.0 26,402.3 70,232.3 102,619.2 125,108.5

米国 115 235.5 556.6 947.4 1480.6

(円換算)
米国 41,400.0 84,780.0 126,042.1 137,259.3 163,176.9
円相場 360 360 226.45 144.88 110.21


表3 日米製造業の付加価値が実質国内総生産に占める割合


         1955年    1970年    1980年     1990年     2005年

日本 12.8% 24.6% 25.9% 23.4% 23.1%

米国 27.2% 22.7% 20.0% 16.3% 11.9%


(出所) 日本:『新版 日本長期統計総覧』第1巻、『国民経済計算確報 平成19年度版』
米国:商務省経済分析局HP

 やはり気になるのは製造業の動向でしょうか。2007年は実質で130兆円を超える産業が衰退傾向(大企業は海外生産比率を高めて生き残るだろうと思いますが)にはいったときに、経済規模(GDP)だけではなく雇用や税収など広範に影響がおよぶでしょう。アメリカの実質国内総生産のデータは商務省経済分析局(BEA: Bureau of Economic Analysis)の推計によると2007年にはアメリカの製造業が国内総生産に占める割合が11.7%にまで低下しています(参照)。1980年にはアメリカの実質国内総生産に製造業の占める割合は20%であり、この年以降、国内総生産に占める割合が20%を超えていた年はありません。ただし、アメリカの場合、実質で見ますと、1980年のアメリカの製造業の付加価値は5,566億ドルであり、2007年には1兆6,168億ドルまで成長しました。実質GDPの金額が1980年の2兆7,895億ドルから2007年の12兆8,080億ドルと5倍近くまで成長していますから、アメリカで製造業の地位が低下したといっても、製造業の付加価値の伸び率が生産全体の伸びにくらべて低かった結果にすぎない側面もあります。

 他方、日本の製造業の規模との比較は為替レートの問題がありますから比較が困難ですが、1980年の日本の製造業の付加価値が実質ベースで70兆2,323円です。『平成21年度版 経済財政白書』の長期経済統計から円ドル相場のデータ(『白書』の注には「円相場は、インターバンク直物中心レート(但し、70年までは固定レート360円/ドルとした)。03 年以降は、月次計数の単純平均、02年以前は営業日平均」とあります)を参照しますと、1980年のレートは1ドル=226.45円ですので、1980年におけるアメリカの製造の付加価値は日本円で約126兆421億円に上ります。貿易摩擦が本格化する1980年代の初めの年でも、付加価値ベースで比較しますと、アメリカの製造業は日本と比較すればはるかに巨大だったといえるのでしょう。ただし、同じ為替レートを用いてアメリカの実質国内総生産を評価しますと、約631兆6823億円になります。同年の日本の実質国内総生産が240兆1,759億円ですから、両国の経済規模の差と比較して相対的に製造業の差は小さいことになります。ただし、この数字はあくまで参照程度にしかなりません。まず、名目値をデフレートした実質値であり、さらに為替レートも実勢相場がよりよい近似を与えるのか、購買力平価がよりよいのか、あるいは貿易財のみで評価するのがよいのかなども見解がわかれるところでしょう。くどいようですが、円換算したアメリカの実質国内総生産や製造業の付加価値額は、実質値を計算する段階と為替レートでバイアスがかかったり、無視できない誤差が生じる可能性が高いので、ごく大雑把に比較するための目安程度に見てください。

 表1を見ますと、あらためてアメリカの経済規模の大きさを実感します。最も日米の差が縮まったのが1990年前後でしょうが、1990年で日本の実質国内総生産は430兆398億円、アメリカの実質国内総生産は5兆8,031億ドル(1ドル=144.88円で評価すると840兆7,531億円)です。当時の人口データがないので本当に大雑把な話ですが、当時のドル円相場で評価しますと、日本のGDPがアメリカの2分の1以上になった時期です。為替レートに翻弄された感もありますが、1990年代は真剣にアメリカでは日本脅威論が盛んになった結果、「ジャパン・バッシング」が生じました。2005年のデータを見ますと、日本の実質国内総生産は468兆623億円に対し、アメリカは12兆422億ドル(1ドル=110.21円で評価すると約1,369兆28.6円)にも上ります。1990年から2005年までの15年間で、日本の低成長に対し、アメリカの経済規模は2倍以上に成長したのでした。「ジャパン・バッシング」自体は経済からのみ説明できる問題ではなく、むしろ、ソ連崩壊後のアメリカの標的として日本が狙われ、口実、あるいは因縁として国内総生産などの経済規模や対日貿易赤字などが利用されたのが実態なのでしょう。1990年から2005年の日本経済が縮小したわけではありませんが、「ジャパン・バッシング」が終わり、小泉政権下でブッシュ政権との特殊な関係の時期には既にアメリカの経済規模は概ね日本の3倍近くの規模に達していました。

 もっとも、高度経済成長期の起点を1955年とみなしますと、当時の日本の実質国内総生産が8兆3,695億円であったのに対し、アメリカの実質国内総生産は4,148億ドルでした。当時の為替レート(1ドル=360円)でアメリカの実質国内総生産を円換算しますと、約149兆3,280億円、当時の日本の実質国内総生産の実に約18倍にのぼります。経済の面からみれば、確かに日本の戦後は夢物語のような成功物語だったのでしょう。それが、旧ソ連という仮想敵国が崩壊した後に、警戒すべき国の筆頭はアメリカの識者に映ったことは容易に想像できます。成功したが故の問題に1990年代は内外ともに苦しんだ時期とも言えましょう。

 その象徴となるのがやはり製造業です。同じく、あくまで目安にすぎませんが、1955年における日本の製造業の付加価値は2兆3,810億円でした。当時のアメリカ製造業の付加価値が1150億ドル、円換算で約41兆4000億円(日本の約17.4倍)であったことを考えますと、1955年当時は日本の製造業はアメリカと比して実に矮小な存在でしかなかったことを実感します。それが2007年には1955年と比して約52.5倍、実質国内総生産が約56倍になったの比して、長期時系列データで見ますと、成長率よりも若干、低いとはいえ、アメリカの製造業の付加価値額が日本のそれと比して約1.3倍程度までに近づいたのでした。経済規模と比して、日本国内の製造業の規模ははるかに大きいとみなしてよいのでしょう。付加価値から見た場合、決してアメリカの製造業は「衰退」したわけではありません。1955年から2005年の50年間で4倍前後に成長しています。それを上回る成長を日本の製造業が達成したからであり、アメリカの経済的地位の低下は、かならずしも絶対的な水準から生じているのではなく、戦後のアメリカ以外の西側諸国が復興・成長を遂げた相対的な結果であったことに注意が必要です。産業の付加価値における構成のみで議論はできないのですが、製造業の比率を考えれば、現在の日本の製造業はアメリカのオイルショック以前の水準です。

 今後、乗用車に代表される機械製造業の海外生産がいっそう進めば、日本経済もアメリカ経済と同じく、製造業が雇用や付加価値に占める比重がさらに低下するでしょう。他方、天然資源に乏しい島国が果たして「外需依存」から「内需主導」へと転換できるのか、私自身は疑問に思います。素朴ですが、仮に第三次産業の比率が雇用に留まらず、付加価値において比重が増したとしても、天然資源は海外に依存している状況には変わりなく、輸出すべき製品が失われれば、輸入を賄うために必要な外貨を獲得することが困難になるでしょう。素朴すぎる発想かもしれませんが、内需、あるいは医療や介護に象徴されるサービス業を中心とした産業構造への転換は、おそらく生活水準の大幅な低下とともに進む苦痛な過程となると思います。

 今日では、かつて「先進諸国」と呼ばれた国だけではなく、中国やインド、ブラジルなども高成長を遂げつつあり、経済においては「多極化」が進行しています。1980年代から1990年代に日本は経済大国になったと言われましたが、現在では国際経済に占める比重は過去20年間と比して低下傾向にあるといってよいのでしょう。このことを過度に悲観する必要もないと思います。わが国が島国であり、経済の面でも政治の面でも「海洋国家」であること、戦後に蓄積された物質的な意味での富と各種のノウハウなどの無形の富など活用可能な資源がまだ多く残っていることを忘れるべきではないのでしょう。必要なことは、私たちが60年以上、あるいは戦前も含めれば何百年とかけて蓄積してきた有形・無形を問わない資産をいかに活用するのかという知恵だと考えます。


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2009年11月03日

経済活動別国内総生産の推移が物語る戦後日本経済の来歴と行方

 今週は、更新しない予定でしたが、せっかく作った一枚の表をボツにせざるをえないかもしれませんので、「寝言」にしておきます。内閣府の「国民経済計算確報」や『新版 日本長期統計総覧』のデータをエクセルに落として加工しただけですので、大した作業ではありませんが、最終的にはワードに数字のまま打ちこまないとまずいので、思ったより手がかかりました。眺めていると、分析ではなく、とりとめのない「寝言」が浮かびますが、本題は例によって後回しです。

 それなりに予定が立て込んでいて、どれも手抜きが難しいので厳しいのですが、雑談を全くしないというほどの集中力を保つのが難しい年齢になりました。昔は、「時の最果て」では「なまもの」と称しておりますが、時事問題を見聞きしても、集中しているときには全く動じませんでした。元々、新しいものに興味がないからかもしれません。最近は面倒になってきて、新聞も米紙が中心ですが、段々、世の中とのズレがあまりにひどいので、見出しぐらいはと『日経』をつまみ食いをするよう、努めております。感想は特になく、「発表はシナリオB-22か? またも事実は宇宙との交信の中ね」というところでしょうか。変なところに目がゆくものですから、カリナスターが護衛艦くらまに衝突した事故は周囲でも話題になりました。まともな話は、こちらの方にお任せして、当方は与太話じゃなかった、「寝言」です。

「あれはひどいよなあ。左から抜こうとしたら、前の船が右に舵をきって減速したから、慌てて進路変更、くらまと衝突だってさ。

「進路は本質的な問題じゃないね。あの海峡、とりわけ関門橋のあたりで追い抜くこと自体が不可解だ。昔は、文字通りの水先案内人が目視で確認するのが当然だったはず。座礁も多い。今でも、なごりが残っているかもしれないぐらい危険なところだから。

「水先案内人か。今でもやってるの?

「うーん、自信はないけど、潮の流れも速いし、目視が確実だから、今でもやってるんじゃないかなあ。

「ああ、海保のサイトで見たなあ。圧流がきついみたいだね。

「とにかく、進路は無視はできないけれど、追い越しをしようとすること自体がちょっと信じられない。

「韓国籍の船は全般に操舵が粗いという話もあるけれど。

「それはわからない。最近は、民族関係での左右のバイアスがひどすぎる。現段階でいえるのは、あの船長の判断が異常だというぐらいだろう。

「それにしても、しらね、くらまといいことがないんだよな。ひゅうがが頼りか。いせはまだ2年ぐらいかかるんだっけ?

「いせ?

「ああ。ひゅうが級の2番艦。

「いせといえば、改装後の伊勢は萌え。

「!? そういえば、大戦中は水上機の発着ができるようになったんだっけ。

 以下、省略しますが、途中から戦艦伊勢の話で盛り上がって意外でした。うーん、長い付き合いですが、そんな趣味があるとは。ひゅうががドックに入る空白期間に有事がなければよいのですが。まあ、メディアも炎上した際には散々騒いで、たぶん、単に視聴率がとれない、あるいは飽きたという程度で、スルーしていますが、けっこう怖い状態です。もっとも、拡大抑止どころか、いわゆる「核の傘」についても、クリントン国務長官が、「何の話?」ってうっかりとぼけたりしたら、こちらで終了かも。

 それはさておき、本題ですが、長期時系列データを眺めていたら、付加価値ベースで日本の産業がこの50年以上の歳月で変容していることに驚きました。いわゆる雇用面ではぺティ=クラークの法則にしたがっているともいえますが、高度経済成長期の起点を1955年とするならば、付加価値で見ますと、製造業の比重が高度成長期に急激に上昇し、1970年代、安定成長期の1980年代、低成長期の1990年代でも約22%から約24%の間で推移していることが目につきます。

 第2に、以前も書きましたが、高度経済成長期から1990年までほぼ10%前半を占めていた建設業が、1990年代の景気刺激策にもかかわらず、国内総生産に占める割合は低下する傾向にあり、今後、衰退産業としてどう対応してゆくのかは、難しい問題だと感じます。率直なところ、きれいな解というのはないと考えております。人口減少による民間住宅投資の低下や新規事業の減少以上に既存のインフラストラクチャーのメンテナンスや効果が少ない既存事業(現政権下の新規事業の一括停止とは異なる)の継続を停止する必要もあり、現政権の政策とは無関係に安直な議論は困難だと感じるからです。

 第3に、サービス業が雇用だけではなく、1980年代以降、国内総生産に占める割合を増していますが、主として実額(実質ベース)では対事業所向けサービスが増えているのであって、公共サービスや対個人サービスは増減を繰り返しているのが実情です。小分類のデータは見ておりませんので、憶測にすぎませんが、1980年代に拡大したリース業をはじめ、広告や警備、ビル等の清掃などの事業所向けサービスが1990年代にはさらに増えたのでしょう。なお、93SNAでは中分類で見ると、この10年前後で昨年と同じく急激な景気後退が生じた1998年にはほとんどの産業が実質ベースで生産額の減少を経験していますが、対事業所向けサービスは、農業や通信業、電気・ガスなど数えるほどしかないプラス成長を維持した産業の一つでした。1991年以降、実質ベースで付加価値額の増加率がマイナスを記録したことがない珍しい産業です。ただし、2005年に対前年比7.2%の成長を遂げた後、2006年には5.7%、2007年には3.0%と低下しており、実質成長率よりも高い水準を維持しているとはいえ、今後、国内の製造業を中心とする事業活動の低迷が続いた場合(さらに衰退した場合)、従来のように成長を維持できるのかは疑問が残ります。

 端的にいえば、最近、喧しい「内需拡大」という政策は実現可能ならば、それにこしたことはないのですが、おそらく自動車に代表される機械製造の海外生産が「空洞化」の段階に移行すれば、外需縮小で成長率が鈍化し、結果的に国内でしか活動できない産業の比率が高まるだけであろうと。いわゆる「前川レポート」で登場した構造調整は、製造業の海外生産へのシフトが最終段階を迎え、輸出の縮小と成長率の鈍化のもとで結果的に国内でしか活動できない産業がなんとかしのいでゆくという形で実現するのかもしれないという「寝言」が浮かびました。


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2009年10月17日

中村隆英『現代経済史』が映す難しい時代(続き)

 本題とまったく関係がありませんが、白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』(新潮文庫 1999年)からの引用です。青山二郎さんのを語ろうとして白洲さんが洲之内徹さんの『セザンヌの塗り残し』から話を起こすところです。

 洲之内さんの文章がまた難物で、勝手にあっちへ行ったり、こっちへ行ったりする。彼がいうには、セザンヌの画面の塗り残しについては、いろいろ難しいことがいわれているが、ほんとうはセザンヌが、どうしたらいいかわからなくて、塗らないままで残しておいたのではないだろうか、凡庸な絵かきというものは、そして批評家も同じだが、いいかげんに辻褄を合せて、苦もなくそこを塗りつぶしたであろうに、それをしなかった、できなかったところに、セザンヌの非凡さがある、と。
 そういうところにはじまって、「絵から何かを感じるということと、絵が見えるということは違う。」絵を見るのには修練がいる。では、眼を鍛えるにはどうすればいいか。「私の場合、それは眼を頭から切り離すことだと思う。批評家に借りた眼鏡を捨てて……自分の裸の眼を使うこと。考えずに見ることに徹すること」――これは青山さんの持論でもあった(16−17頁)。

 この文章が書かれたのは1990年から1991年(雑誌『新潮』平成2年2月号から平成3年2月号および7月号が初出)ですから、ベルリンの壁崩壊後、湾岸戦争のあたりです。日本国内といえば、そろそろバブルの崩壊を多くの人が意識するようになった時期でしょうか。白洲さんによれば、この時期には青山二郎さんへの関心があり、「彼に興味を持っているのは一般世間の人々、それも現代のような複雑な時代に、どう身を処していいか迷っている比較的若い世代に多いように見受けられる」(10頁)とのことです。

 やや懐古趣味ですが、当時、今の年齢の半分以下だった私(体重に関しては約36%増(当社比もとい当時と比較して)は、1992年のソ連崩壊に関しても特に感慨がなく、変な奴と扱われていました。壊れそうだったものが、とうとう壊れたというそれだけの話で、左の人たちが「ゴルバチョフが根性がないからアメリカが先に逝くはずだったのが逆になった」とおっしゃるのを内心で冷笑し、フランシス・フクヤマの「歴史の終焉」という論考を読みながら、その思い上がりが悲劇を招くのですよとこれまた冷笑するという嫌な奴でした。大学に入るまでは人間の理性による社会進歩というものを追い求めておりましたが、大学の講義を受けるうちにそんなものは空理空論で何の役にも立たず、人間など古代からたいしてかわらないじゃないかという、世間でいうところとは異なる「保守的」な人間に変わりました。法学部を落ちて浪人するのが面倒だったのでたまたま受かっていた経済学部にいったおかげで、経済学というのは世間的な意味では役には立たず、「社会改良」という夢が幻だということを逆説的な意味で教えてくれるという点では私にとっては本当に役に立つ学問だというのが率直な実感でしょうか。

 こんなことばかり書いていると、自意識過剰かもしれませんが寝言ではなく、「寝言」という表現(リーダーで読み込んだブログ記事に「寝言」という嘲笑的な表現を見て過剰反応してしまいましたが)を使われてしまうので、本題に入らなくては。実は昨日には続きを書くつもりはありませんでした。気にはなっても仕事とはあまり関係がない話題ですので。以下は、中村隆英『現代経済史』(岩波書店 1995年)の「第五回 宴のあとの日本と世界」からです。

 この回の最後は、「二〇世紀の歴史を動かしたいちばん大きい事件は、第一次世界大戦と第二次世界大戦だった」という「常識」(246頁)からソ連の誕生と社会主義体制が西側陣営に与えた影響を論じています。前回、とりあげた占領期における「過度経済力集中排除法」にもとづく企業分割への批判的な評価もこの文脈で語られております。他方、経済成長と社会主義陣営への対抗から西側諸国も福祉国家への道へと進んだことを中村先生は肯定的に捉えています。そうした描写を踏まえて、日本の内的な変化として人口の高齢化をとりあげて、まず老齢年金の支給開始年齢の引き上げが不可避であることを指摘されています。また、高齢化の結果として勤労者の税と社会保険料の負担率が上昇するだろうと予想しています。「大蔵省は二〇一〇年には、両者の負担率は三〇%になるだろうという予想をしてます」(250頁)と述べられていますが、財務省の資料(注意:PDFファイルが開きます(参照))では、1995年の段階で国民負担率は36.2%、平成21年の見込みは38.9%となっています。消費税率引き上げ断固阻止の方たちからすれば、財務省が消費税率を引き上げるためにこしらえた数字となるのでしょうが、財政赤字を含めた「潜在的な国民負担率」では1990年代以降、ほぼ40%台で推移しており、『現代経済史』が書かれた時期よりもはるかに厳しいのが現状です。この叙述を読むと、1997年の消費税率引き上げのコンセンサスは主流の経済学者の間ではできていたのかもしれません。

 もっとも、中村隆英先生は不景気な話が続くと、ふっと話を転じたりと軽妙なところもあって全体を貫くトーンは決して重苦しいものではありません。ただ、高齢化の次にくる所得分布の問題ではやや陰影があります。本来ならば、グラフをアップしないとわかりづらいのですが、まあ、自己満足的な「寝言」ですのでご容赦ください。251頁に「図5−11 所得分布の平等度」というグラフがあります。横軸に暦年、縦軸にジニ係数がとられています。グラフでは1963年から1991年の期間で全世帯課税前でジニ係数が0.3を超えているのは、1963年だけです。高度成長後期の1960年代には大幅にジニ係数が低下し、全世帯課税前で約0.26、勤労者世帯課税後では約0.21程度に低下しています。

 1970年代には再びジニ係数が上昇していますが、1975年をピークに全世帯課税前、勤労者世帯課税前、勤労者世帯課税後のいずれも低下する傾向を示しています。興味深いのは、1980年代のジニ係数の動向です。1980年代前半はほぼフラットといってよい状態ですが、1985年の円高不況から再び上昇し、1986年あたりには全世帯課税前では0.28程度まで上昇しています。それが1988年まで低下し、再びバブル期に拡大するという動きです。このグラフを粗く読んだ程度では危険ですが、バブル期の経済成長は高度成長期とは異なって、所得格差を縮小させるようにはたらいたのではなく、拡大させる傾向にあったとも読めます。私自身は、経済成長と所得格差の関係に関する実証分析に不案内ですので自信はありませんが、少なくとも両者の相関は自明ではないのでしょう。所得格差を縮小させるには経済成長がベストだという主張には疑問を感じます。

 252頁には「表5−4 ジニ係数で比較した課税後所得分配の不平等度」が示されています。こちらでは1989年の日本のジニ係数が0.421となっており、同年のアメリカの0.40を上回っています。これは再読して一番、驚いた点ですが、バブル期には所得格差が拡大し、あくまで一推計にすぎませんが、所得という限定されたデータですが、この時期にはアメリカを上回る状態であったということです。以上のデータを踏まえて、中村先生は次のように結んでいます。

 同じような計算(ジニ係数の推計:引用者)をほかの国と比較した数字(表5−4)があります。日本の不平等度は、おそらく先進主要諸国にくらべていちばん低かったのですが、最近では、もはや低いとはいえない結果が出ています。
 一方では、所得税の減税が行なわれ、他方で、消費税の税率をわずかでも引き上げることが起きると、やはり不平等度を高める結果になる。そのへんのことも、長期的な問題としては、頭においておかなければならないでしょう。
 所得分布が平等化することは、社会的な福祉を増進するうえでは、大切なことだったと思います。それも広い意味での高度成長と社会主義諸国を意識した政策対応になっていたかと思うのですが、一面ではむずかしくなってきていることもつけ加えておきたいと思います(252−253頁)。


 経済史、あるいは広く経済学というのは頭を使わないわけにはゆかないのでしょうが、中村隆英先生の、このような淡々とした叙述を拝読しながら、まったく脈絡もなく白洲正子さんが語る洲之内徹さんの『セザンヌの塗り残し』を思い出したしだいです。『現代経済史』全体を貫く、あるいは中村隆英先生の著作全般にいえますが、今日的な問題でも、経済史だけではなく統計の大家としても、データを示しながら経済と政治、そしてより広く社会の描写を行いながら、「こうあるべし」とか「こうすべし」という話は行わずに、データを見ることに徹した中村先生の姿勢に共感を覚えます。私の若い時の志の低さや頭の出来を考えると、この域に達することはないのでしょうが、経済学者やエコノミストの役割というのが、この数年、口角泡を飛ばして、政策論ばかりの状態でうすら寒い状態を経験いたしますと、このようにデータを見ることに徹し、統計に明るいのにもかかわらず、根本の部分で"verbal"な形でしか表現できない、しかし、言語になる前の経済のイメージをしっかりと捉えておられた中村先生は頼もしく感じます。


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2009年10月16日

中村隆英『現代経済史』が映す難しい時代

 ふう。アクセス数が急増するというのはあまり心地よいものではなく、いつ落ち着くのかなと様子を眺めておりましたが、予想よりも早く過疎化が進んでホッとしました。うまく表現できないのですが、火のないところに煙は立たないとはいえ、炎上させようというのはついてゆけないですし、亡くなった方へのお別れを告げるのにあまりに強い自己主張は不要な気もいたします。違和感を覚えることも少なくなかったので、今後は頂いたコメントに御返事をすることに留めます。

 仕事の関係で中村隆英『現代経済史』(岩波書店 1995年)を再読しておりましたが、最初に読んだ段階ではまるで読めていなかったことに気がつきます。味わいの深い本で電車の中でざっと読んで、自宅でじっくり読み込むという感じです。「あとがき」に次のような一節がありますが、1970年代以降の経済の全体像を見事に描かれていて、読めば読むほど、味がでてきます。

 現代の経済については、すでに多くのすぐれた解説書がある。しかし、そのほとんどは、専門的、あるいは短期的、部分的な分析であるために、ごく最近の経済史の全貌を把握することは、必ずしも容易ではないのも事実であろう。本書においては、過去二五年間の経済を、時期を追って、総合的にあとづけてみようと試みたつもりであるが、理解しやすいかどうかの判断は読者に委ねなければならない(256頁)。

 一般向けの著作でこれだけ洞察に富んだ、それでいて才気がほとばしるような筆致ではなく、実に安心して読める著作というのは大家の特権なのでしょう。学生時代にボスが「君たちは本当に物を知らないから、高校生でもわかる本をテキストにする」とあきれながら、中村隆英先生の『昭和経済史』をゼミで扱ったことを思い出します。恥ずかしながら、これが中村先生の著作との出会いの初めてで、実にわかりやすく、なおかつすっと全体像が浮かび上がるので、驚いた覚えがあります(実は飲み会で2年生が次の年からゼミに初めて参加する年度だったので、苦肉の策でやさしすぎるかもしれないが我慢してくれと言われていたので二度、恥ずかしかった覚えがあります)。逆走するように、『日本経済――その成長と構造』あたりから『現代の日本経済』などを読んで、大家というのは若いうちからやはり頭の出来が違うのだと感じたことがあります。

 仕事の関係では産業のところがメインなのですが、これがまた実に淡いタッチながら過不足がなく、もちろん学問的な分析ではあるのですが、もはやこれは技芸の領域でとてもではないですが、まだ若いうちに真似ようとするとえらいことになるのでしょう。仕事で使う話は「時の最果て」ではちょっと厳しいので、既にそうなっていますが、雑感ですね。

 『昭和経済史』が7回のセミナーから構成されているのに対し、『現代経済史』は5回のセミナーで構成されています。本書を読みながら、日本経済の内的な変化と外生変数とするしかない国際経済との関連が截然とわかたれるのではなく、両者の違いを読者に印象付けながら、それが日本経済の動的な変化を一体となって描いているあたりが全体を貫く叙述のスタイルで、既に脱帽です。忙しい人ならば、「第三回 国際化と自由化」からいきなり読み始めてもよいのでしょう。中村隆英先生の著書はもちろん最初から通読するのが楽しいのですが、この回の叙述は本当に惚れ惚れします。私ですと、自由化というのは国際的なヒト・モノ・カネの動きの変化への対応という図式に陥ってしまうのですが、1970年代の国際通貨体制の変容と日本経済、とりわけ財政と金融の変化という条件がからみあって国際化と自由化が進むプロセスがいささかの図式に陥ることなく描かれています。赤字財政による国債市場の成立が債券市場の整備のはじまりとなるあたりは、自由化と債券市場の発達をついバラバラに見てしまうバランスの悪さを自覚させらます。

 さりげない叙述も冴えていて、「特定不況産業安定臨時措置法」に関する部分では長崎の町の描写が入って、産業の保護育成を目的とした政策から不況産業対策への転換が実に鮮やかに描かれています(70−71頁)。また、中曾根内閣のときに防衛費(原著では軍事費となっておりますが)の「GNP1%枠」を超える予算を組むという話も、実は成長率を低く見込んで計算していたので、実際は1%内に収まったというのはさすがです(124頁)。左右からそういう姑息なことをするからダメなのだと批判を浴びそうですが、「したがって、政治的な協調関係が喧伝され、他方経済関係の面は、経済摩擦一色に塗りつぶされた観がありましたが、実際にはそれほど人目につかないところで、日本の資本輸出がアメリカの台所を支えるというメカニズムが日米間に存在していたのです」と結ぶあたりは淡々としていますが、日米関係における「政治と経済の間」の冴えた描写だと思いました。また、『昭和経済史』と比較すると、占領期の民主化、とりわけ「反独占」というマルクス主義の影響の下でのある種の経済統制に批判的な叙述がされているのも目をひきます(246頁)。『昭和経済史』における叙述から意見が変わったというよりも、民主化のプラスの面をマイナスの面を高く評価しつつも、経済思想から行う改革に留保をつけているわけですから、後者の点に力点がおかれているというところでしょう。

 そんな中村先生も1995年の出版時点では、「第五回 宴のあとの日本と世界」ではIMF体制の基軸通貨国であり、唯一の超大国であるアメリカが同時に純債務国であることに懸念を抱きながら、アメリカ中心の国際経済体制を支える国として日本とドイツを挙げながら、ドイツは東西統一後、経常収支赤字を出していることを指摘して、日本がアメリカ中心の国際経済体制を補完しなくてはならないと苦吟しているのが印象的です。資金の面ではアメリカを支える大国であるのにもかかわらず、政治的・軍事的には大国ではないというジレンマに苦しんでいます。20年から30年というスパンで中国がアメリカの地位にとってかわるというあたりはやや疑問ですが、「将来の可能性として、ドイツを中心とするEU、それに日本とアジア諸国が、集団的に国際通貨を支えてゆくことになることが考えられます」(238頁)というあたりは経済畑の人間としては、そんなことは自明ではないのかという気の利かない批判もあるのでしょうが、様々な可能性を考えながら、諸制約を考慮してこのあたりだろうという経済の発想をよく表した、安心できる展望でしょう。

 もちろん、本書が執筆された時点ではアジア通貨危機を予測することは困難であり、後知恵で批判するのは容易でしょうが、再度、アメリカ経済が不安定な現状では、やはりこのような発想が生きてくるわけです。経済の面からみた場合、やはりアメリカ経済が不安定な状態は日本にとって不利益であり、またアメリカの地位を代替するということ自体が非現実的な以上、経済の側面に限定すればアメリカと補完的な関係にあるのが日本経済全体にとってやはり死活の問題であり、相互に反目する外交というのは控え目にいっても、経済的に自滅へ向かう道なのでしょう。


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2009年08月31日

「封じ込め」でも"G-2"でもない米中関係

 選挙結果は散々、報道でも出ていた数字なので、あまり意外感もなく、「ねじれ」がかなりの部分、解消されて好ましい側面も感じます。意外だったのは海外の報道で、たいていはサイトのトップにきておりましたねえ。"landslide"自体は海外では珍しいことではなく、小選挙区制によって増幅される部分が大きいにしても、比例区で民主党が自民党に対して優位であったことは否定しがたく、大政党間の連立の調整コストを考慮すれば、はっきりと勝敗がついたこと自体は、悲観すべきことではないと思います。事実関係が不明瞭なまま、党首討論で鹿児島県の国旗問題をとりあげた麻生首相の精神状態を疑いましたが、選挙戦が終われば政権の引き継ぎに不安をもたせるような言動はなく、ホッとしました。問題は、民主党サイドでしょうか。「変化」と「断絶」ではずいぶんの差ですので、今回の選挙結果を受けて、意図した結果であろうが、意図しない結果であろうが「断絶」とならないことを望みます。

 日曜日に鳩山由紀夫民主党代表の"A New Path for Japan"(New York Times, August 26, 2009 (参照))を読みました。日本の政治家が英語でオピニオンを発すること自体は歓迎しますが、発表当時ですら、次期首相の可能性が高い方がなんちゃってなのかは理解しかねますが、「強い円」のようなメッセージを出すのは、どうかなと。外需に依存する国内産業は海外で活躍して下さいなということなのでしょうか。

  The financial crisis has suggested to many that the era of U.S. unilateralism may come to an end. It has also raised doubts about the permanence of the dollar as the key global currency.


 あとはアメリカの"market fundamentalism"によるグローバル化が人間の尊厳を貶めたという冒頭の指摘にもかかわらず、後段ではアジア通貨統合で結局、カネかいと。と思ったら、次のような話も出てきてカネだけじゃないよ、日本国憲法があるのだとなって、苦笑を禁じえません。「反米」ととる向きもあるようですが、私みたいな「外道」には、どうぞどうぞ、やれるものなら、やってご覧なさい。コケるのを楽しみにしているからとなりそうです。

  I believe that regional integration and collective security is the path we should follow toward realizing the principles of pacifism and multilateral cooperation advocated by the Japanese Constitution.


……前途多難ですな。まあ、頑張って憲法の精神を中国共産党に対して、そして中国国内で布教して下さいな。一国の総理大臣ですから、破壊活動家として拘束するとかむごい目にはあわないでしょうから。(追記)日本国憲法の下における「八紘為宇」という印象もありますね。しかも、他国におけるナショナリズムの高まりに言及しているだけに、このオピニオンがどのような印象を与えるのかには鈍感なご様子。

 思ったより前段が長くなってしまいましたが、Kissingerの"Rebalancing Relations With China"(Washington Post, August 19, 2009 (参照))は興味深く、私自身、考えじゃなかった「寝言」を整理できていないので、メモ程度です。

 この論考自体はそれほど難解ではなく、米中関係を経済的相互依存の面から説き起こして、乱暴に前半をまとめると、経済危機以前は米中関係は経済の側面で互恵的な関係にあることは自明であったが、経済危機の後、両国の関係には相反する傾向が生じている。経済的な相互依存そのものは変化していないが、中国は米国の意思決定に依存するのを避けようとする姿勢を執拗に追求している。米国のエコノミストはこの傾向を軽視しているが、中国の世界経済への意思決定にかかわる影響力を高めることを認めないと、米中関係は対立関係に陥るだろう。

 最後の部分が私の拙さで論理的に飛躍しているように見えますが、キッシンジャーの主張が妥当かどうかは本当に難しいのですが、19世紀末(世界恐慌後ではなく)からの経済のブロック化を警戒しているようです。おそらく、キッシンジャーの大国間協調の理想は彼の複数の著作を読めば自明なようにナポレオン戦役後の「ヨーロッパ協調」であり、協調が失敗に終わった後、事実上、イギリス中心のブロックとドイツ中心のブロックに分裂したことが秩序の終わりの始まりであったことを想起させようというところなのでしょう。

 後段で、アメリカが"containment policy"に傾けば、中国はアジアブロックを形成するだろうと指摘しています。それに続いて、ヨーロッパ協調が崩壊し、リアルポリティークが独走した19世紀末から20世紀初頭にかけての時期と対比しています。

  America and China should not repeat the process that, a century ago, moved Britain and Germany from friendship to a confrontation that drained both societies in a global war.


 ただし、このような選択をした結果、協調が形成できない場合、現代では大国間戦争のリスクが高まるという指摘はなく、エネルギーや環境、核拡散防止、気候変動など国際協調を支える上で必要であろう共通する問題が後景に退いてしまうという指摘です。

 "G-2"は米中の意思決定から疎外されたと感じる国で硬直的なナショナリズムが高まるだろうと指摘しています。具体的にそのような懸念をもつ国をキッシンジャーは指摘していませんが、おそらく筆頭は日本で、ロシアやインドも含まれているのかもしれません。キッシンジャーの思考(日本への認識は違和感を覚える部分も多いのですが)がどの程度、アメリカの現在の政治的指導層に影響力があるのかはわかりませんが、"G-2"への批判論があること、その批判は主として米国の国益からきているとはいえ、ナショナリズムの高揚を招くがゆえに国際協調を困難にする可能性があるという理由付けがされていることには留意した方がよいでしょう。「友愛」ですら、異なる立場から見ればナショナリズムとして映ることを新政権は覚悟した方がよいのかもしれません。

 キッシンジャーがアメリカ外交へ提言しているのは1950年代に形成された大西洋同盟です。"the Atlantic region could deal with unprecedented upheavals"という表現は常識的であり、つい惹かれてしまいます。あらかじめ、どんな"upheaval"が生じるのかを予見するのは非常に困難ですが、備えは必要でしょう。もちろん、大西洋同盟と同等のものが太平洋において実現する可能性があると考えるほど、キッシンジャーはナイーブではありません。米中関係を緊密にした上で、その関係から太平洋の主要国が協調に参加するインセンティブが大切だと説いているわけです。露骨に言えば、日本のおける親中派よりもアメリカの親中派は利口だということなのでしょう。また、それは、裏を返せば中国から見て優先順位がどのように与えられているかということを如実に示していると思います。


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2009年08月24日

経済危機と政治的危機

 年始のNHKBSの『地球特派員スペシャル 壁崩壊から20年 グローバル資本主義の未来』を見て、当初は書きませんでしたが、妙に印象に残った発言がありました。司会の藤原帰一先生が今回の金融危機に続いて政治的危機、あるいはもっと明確に戦争とおっしゃっていたのかもしれませんが、起きるのだろうかと。素朴ではありますが、妙に印象に残って、経済危機と政治的危機の相関について考えておりましたが、非常に難しいです。この問題そのものについては今のところ、絶句するほかなしというところでしょうか。もし、私が日本人でなければ、次のように観察するかもしれません。今の日本の現状は海外の金融危機によって生じた経済的な危機に与党が適切な対応策を打てず、先が見えないまま、政権交代で危機に対応しようとしているようだ。おそらく、この賭けは分が悪く、失敗に終わるだろう。私は日本人なので、そこまで冷淡になりきれない部分があります。

 物事がよく見える人には世論がぶれるのが怖いのでしょう。しかし、民主制なんて世論が極端に振れることを恐れていては怖くてつきあいきれないでしょう。景気変動と投票行動に相関があること自体、現代の民主主義が欠陥だらけのシステムだいうことを示しているとすら思います。というのは、経済のことは最終的には民間部門が努力するほかなく、景気が回復するのは政府が介入してくれたからではなく、民間部門の試行錯誤と努力の結果以外には勝ちとれないものだと感じるからです。2003年を底に回復した経済は「実感なき経済成長」と評されましたが、息の長い景気回復から好況へのプロセスでした。

 表現が悪いかもしれませんが、食べることは自分でなんとかしてくださいなというのが、小泉政権の「構造改革」の「寝言」的解釈であり、出た当初は、ドン引きしましたが、追加経済対策が常態化していた予算編成を、実際には森政権から「出口戦略」を図っていたようにも見えますが、巧みに演出しました。食べることは民間でと突き放すのが困難な時代ですが、小泉氏の政治的説得力がそれを可能にした希有な現象でしょう(医療分野はやはり失敗が多かったと思いますが、この点はまだ考え、もとい「寝言」が整理できないので別の機会に)。外需主導の経済成長というのも微妙なところで、海外の需要に応えることができる経済も限られています。「外需依存」というとネガティブな価値判断が暗黙に含まれていますが、外需に応えること自体、企業の側からすれば決して容易ではないことを見落としている点で一面的だと思います。

 「改革なくして成長なし」というスローガンは、あくまで結果論でしかありませんが、食べることは自分でなんとかするしかないという緊張感を生み、公的部門に寄生せずとも回復できる分野から逐次的に、あるいは産業部門間の連関もあって、回復したのが実態でしょう。極論すれば、格差問題が注目されるようになったのは経済回復の結果でしょう。みんなが明日は食えないと感じている状態では格差どころではありません。自分と異なる見解を異端視するのは好まないのですが、格差問題が2003年頃にどれほどの人たちが意識していたのかは疑問です。概ね、悲惨な状態が克服されると、それまで意識している余裕がなかった悲惨さに目が向くというだけではないかと思います。ひどいあてこすりですが、格差問題がまだ話題になるということはデータ上の経済活動の急激な縮小にもかかわらず、まだ余力があるというのが現状であることを示しているのかもしれません。

 政府による古典的な総需要管理政策は、よいところ、痛み止めにすぎず、財政の専門家でも、今回の危機に財政政策が有効かどうかについては意見がわかれています。直接的なファイナンスの問題もありますが、需要不足を埋めるだけで終われば、供給サイドの調整が停滞したまま、経済成長に至らず、支出に見合った効果がえられず、長期的に財政の維持可能性に疑問符がつく状態も考えておいた方がよいのでしょう。他方、私が理解していないだけでしょうが、財政政策の効果をめぐる論争はコンセンサスといえるほど強固なものはなく、政府が長期的に経済成長を刺激するであろう分野に戦略的に投資できるほど、賢明な財政政策が行えるのかは疑問があります。オバマ政権がハブになって各国が財政政策を行う、ある種の政策カルテルが形成されていますが、オバマ政権が国内への説得に半ばしか成功しておらず、効果が不明瞭な状態が続けば、ある種の政策カルテルが崩壊する可能性も十分にあるでしょう。そうなった場合、国際通貨体制の危機に直面する可能性が生じるでしょう。

 2年近く前にこんな「寝言」を書きましたが、正確には1年と8か月を経過して、現状ではブレトンウッズ体制に代替する国際通貨制度を構想するのは困難を感じます。他方、現状の政策カルテルは問題点も多いでしょう。まず、ドル価値の維持がG7というよりはG20の枠組みでしょうが、各国共通の利益であるという認識がどこまで共有されているのかは疑問です。より正確には、ドル価値の維持によって国際的な交易と資本移動が安定的な環境で行われることによって各国がえられる、広い意味での便益と公的支出の増加にともなう公的債務の増加による諸費用(交際の増加にともなう直接的な金利上昇(現時点では限定的ですが)だけではなく、より長期的な担税力の低下による公的債務の持続可能性への疑義が生じる可能性を含む)との勘案が十分に検討されていない印象があります。また、最近のオバマ政権は財政支出の拡大をともなう政策にあまりに手を広げる一方、やむをえないと感じる部分もありますが、安全保障に関する支出を抑制する傾向にあります。これは経済活動との直接的な連関は希薄かもしれませんが、アメリカの国際政治における説得力の基盤を侵食するリスクもあります。ただちに、アメリカ主導の国際協調、あるいは政策カルテルから離脱すべしという主張ではなく、安定化のための協調に必要な費用とリスクを明確にする努力をした方がよいということです。

 冒頭の経済危機と政治的危機の関係については、恥ずかしいことを書けば、両者が重なって起きる必然性というのは乏しいのでしょう。ただ、国家が直面する資源の制約はリスクへの対応を困難にするという点で関係があるのかもしれません。もう一つの側面は、経済的な活力が低下しているアメリカを侮ることで自国の外交上の選択肢を誤るリスクでしょう。現行の政策には問題点も多く、その点をクリアにした方がよいと思いますが、勝手な思い込みで自滅した国は枚挙にいとまがなく、パワー足りえない国の場合、軽挙妄動が最も危険だと感じます。


 

2009年05月05日

中国脅威論とその反論のナイーブさ

 相変わらずの眠気ですが、寝すぎたせいか、少しはおさまってきました。気分は最悪ですね。あまり考えがまとまらない状態ですが、簡単に結論を書いてしまえば、(1)軍事的圧力がある下とはいえ、中台の経済的相互依存がただちに中国による台湾の併合につながるとは考えにくい。(2)ただし、経済的相互依存の深化がただちに中国の外交・安全保障政策を米国を中心とする既存の国際秩序に適合させる保障はない。他方で、中国が経済成長の果実を台湾併合などアメリカの覇権への挑戦に費やした場合、おそらくは中国は果実の大半を手放さなくなるのかもしれない。こんな感覚でしょうか。

 中国が米国に対する最大の債権国になったからといって、「現状維持勢力」になったというのはナイーブすぎる気がしますし、「衣食足りて礼節を知る」の例外など過去の歴史にいくらでも探すことができます。中台関係に象徴される中国の外交政策や安全保障問題を見る際に、いかなる希望的観測も事前にもたないという当たり前のことが非常に難しいのではと感じます。中国が経済的相互依存の深化に応じて応分の責任を果たし、自国の行動を自制してくれるのが望ましいとは思いますが、そうなるとは限らないという程度の話です。やや乱暴な単純化をすれば、いわゆる「保守論壇」が中国脅威論をナイーブに唱えている一方で、それに対する有力な批判が中国が大人になりつつある(もっとナイーブな場合、大人になった)という指摘という寒い状態だなあという感覚でしょうか。

 気がついたら、禁煙で最悪の気分の上に、睡眠時間までが乱れていて、「寝言」本体がバカバカしいほど長くなったので「続き」に回しました。楽しい話ではありませんので、大型連休も終わりが近づいているとはいえ、よほど楽しみのない方のみクリックしていただければ、幸いです。


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2009年02月04日

オバマ政権下の米中関係に関する妄想

 今週は既に一年で一番、憂鬱な二週間の第一週で、既に抑鬱気味です。仕事の内容自体はそれほど難しいわけではありませんが、作業時間に確実に比例しますし、いろいろな意味で自分の能力が低いことを思い知らされますので。先週は本来なら今週とは対照的に出張が多いはずでしたが、1月25日から発熱がひどく、医師の診断でもかぜではなく、解熱剤を飲んで寝ていました。体力的に漸く回復し始めたところで憂鬱な時期に入ったのできついです。超音波エコーの結果では血栓が残っていますが、気長に溶けるのを待つというところまで来ているので、ワーファリンを最低でも1年間は飲み続ける生活になりそうです。今回は、心臓のほうのエコー検査を受診しまして、いろいろ無理をしてきているので、まあ結果は悪いのかもしれません。以下は、あまり根拠のない「寝言」ですので、お暇な方は「続き」をどうぞ。おい、お前、そこに座れ。今までに根拠がしっかりとした「寝言」があったのかというツッコミをいれたい方はご自由に。

 なお、最近、意味不明の「寝言」にさらに意味不明のトラックバックが多いので承認制にしております。ぶっちゃけた話、確認せずに一括削除しておりますので、手動で「寝言」の中身に関係しているのに消されたというご奇特な方はコメント欄でお知らせください。


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2009年01月05日

プリンシプルのない私

 なんとなく慌しく、自堕落な年末年始でした。友人や知人と会って飲んでは、翌日、ひたすら寝るといういい加減な日々の連続。元旦はいつも通り、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見ながら、すき焼きを食べておりましたが、霜降りの高いお肉は貧乏な私には厳しく、お腹がもたれてしまって、コンサートを楽しめずに終わってしまいました。気がつくと、本日から仕事でありまして、正月休みにカロリーの高いものばかり食べたせいか、疲れきっております。仕事があった方が健康にはまだマシなのかも。

 この時期には新しい出会い(老若男女を問わないのですが)よりも、旧交を温めることがほとんどですが、つきあいが長い人でも、思わぬ側面があるのだなあと思います。私自身は、主義主張というほどの確固としたものがないのですが、付き合いでは、似たようなタイプ(私と似ているというのは非礼以外の何者でもありませんが)もいらっしゃれば、まるで異なるタイプもいます。ある「無礼講」での出来事ですが、その場では主義主張が明確な方が多く、であるがゆえに刺激も多いのですが、やはり会話をしていてホッとするのは、あまり主義主張に拘泥しないタイプです(私の場合には無節操という表現の方がピッタリですが)。私よりも10歳前後、年配の方ですが、こちらが勝手に似たようなタイプかなと思っておりましたが、意外な問いを投なげかけられてちょっと驚きました。まあ、ぐだぐだに酔っ払っていたので、ざるの脳みその記憶ではまるで信用できませんが。


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2008年12月11日

高坂正堯「正しい情報確保の難しさ」に関する「寝言」

 率直なところ、日本のマスメディアに好意も敵意もないのですが、『朝日』や『産経』などがたいした分量でもないのに、英字紙のように記事を複数のページにわけて掲載しているのを見ると、滑稽な感じがします。中身は英字紙におよばないので、せめて字を大きくして複数に分割してパーマリンクを貼りにくくしたいというところなのでしょうか。紙媒体で唯一、宅配を契約している『産経』ですが、政治・経済・文化いずれも読む価値があるところが少なく、ニ週間ほどまとめて適当に見出しを拾っては、本紙より多いチラシ類にうんざりしながら捨てております。うっかり捨てそうになりましたが、2008年12月6日の「昭和正論座」の高坂正堯「正しい情報確保の難しさ」(参照)は興味深く読みました。あとは、エアコンなどの掃除でチリが落ちてもよいように床に敷く分だけとっておいて捨ててしまいましたが。

 と軽い気持ちで書き始めたら、例によって、とりとめのない、自分でも「バカじゃないの?」とツッコミを入れたくなるほど長い「寝言」になってしまいました。頭が悪いというのはほんにつらい。ああでもない、こうでもないとぐだぐだとまさに「寝言」を読んで眠たくなりたい方は「続き」をどうぞ(煽っているわけではないので、警告を無視して本当に二度寝されても、苦情を当方は一切受け付けませぬ)。


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